るろうに範馬   作:北国から

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 FGOガチャ、アラフィフさんが来ました。

 ……持っていなかったけれども、ええ、まあ……沖田か武蔵が出てきてほしいと思っていたのに……しくしく。アサギアリーナもFGOも、終了の噂が出てきて課金意欲も失せている……

 今度は北斎様を祈願しつつ投稿します。

 

 さてさて、るろうにサイドのキーパーソンとしてスポットを当てている左之助、強化されています。

 素手の武術をあれこれ身に着けた格闘家になっています。

 具体的には刃牙ワールドの技は元より、他の格闘漫画の色々な技を使ったりします。

 例えば陸奥圓明流、陣内流柔術、南王手八神流、梁山泊豪傑の技、他にもいろいろ思いつくままにあれやこれや。

 何をどう言っても範馬、の一言で納得していただきたい今日この頃。

 
 ……斎藤との対面が楽しみ……そこまで書けないだろうけど、端折って一気に志々雄まで行こうかな


ぐらっぷらぁ左之助

「刃牙の奴、いまいち乗り気じゃないの……やっぱり当人と直接会わせるより他ないか」 

 

 その日の夜、光成は一人広大すぎる自室で腕組みをしつついかにも古臭い書を見つめていた。

 

 徳川光成。

 

 かの水戸黄門、徳川光圀の子孫でありにして総理大臣をも平身低頭するという世界有数の資産家。“ご老公”などと先祖そのものの呼び名で、古い映画なんかで黒幕をやっていそうな立場のとんでもない爺様である。

 

そして当代きっての格闘技愛好家として名高い老人であり、強者同士の名勝負を見る為ならば金に糸目をつけずに何でもする稀代のもの好きである。

 

 本当に何でもする。

 

 例えば一口で大の大人を丸のみにできるギネス記録以上の大蛇を闘技場に放り込んでレスラーと戦わせたり、パンダやトキよりも貴重かもしれない飛騨のUMAを空手家と戦わせたりもしている。資産価値として十億円以上する古代ローマパンクラチオンの優勝者に与えられたベルトを自身の開催したトーナメントの景品にしたりもした。

 

 他にもスカイツリーの下に秘密基地を作ったりもしてとんでもない悪戯を試みているという話もあるが……何よりも彼らしい代々受け継いできた悪戯がある。

 

 それが、地下闘技場。

 

 彼、徳川光成の一族が寛永の頃から守り続けている格闘技者の聖地。かつては後楽園、現在は東京ドーム地下に建造された密かな“ゆうえんち”だ。地上最強を求める格闘技者と今の時代でも変わらず強者に憧れる徳川の一族が三百年間、綿々と維持し続けるお伽の国。

 

 どっかに似たような何かが不定期に開かれているらしいが、それは偶然の一致に違いない。

 

 かつて都市伝説の霞の向こうにあり、今は確かに実在していると実証されて多くのマニアが追いかけている徳川の莫大な財力が成立させている悪戯の最たるものだ。

 

 そんな悪戯者の彼の自室に相応しく、球場よりも広大な自宅のまともな庶民の一軒家よりも広そうな総面積の自室において、平均よりも小柄な彼は腕組みをしつつ神妙な顔をして一人ぼやいた。

 

 昼間の歓談は彼の臨んだ反応を刃牙から引き出せなかったからだ。もっとこう、手に汗握る反応をしてほしいというのが語り手の本音なのだが、刃牙は鼻息一つを吹いた後は宿題を始めてしまった。

 

 最も、その辺りの冷めた反応を光成は気にしていなかった。半ば予想していたからだ。

 

 刃牙にはどうもそういう所があるらしく、何か楽しみを見つけると興味なさそうにふるまう事が多いのだ。

 

「あの死刑囚の時もそうじゃったな。顔を合わせた時なんか、わざとらしくあくびなんぞしよってさっさと帰りよってからに」

 

 いや、意外と本当に乗り気ではなかったのかもしれない。

 

「ピクルの時は結構乗り気じゃったな。オリバの時なんか大統領を白昼堂々かっさらってまで会いに行った程……あの時は、勇次郎に挑むのに力を付けんと必死じゃったし、また話は違うか」

 

 鼻息荒くため息をつく。

 

「さて、この侍の末裔は地上最強のガキをその気にさせうるかどうか……」

 

 そう言った光成の前には、数冊の博物館にでも飾ってありそうな和綴じ本と一冊の新書があった。

 

 それは光成が最近手に入れた江戸末期から明治初期のある剣術一門の記録とそれらを現代風に書き直させた自費出版の一冊である。

 

「なかなかいい出来じゃの。機会があれば勇次郎に……いや、せいぜい刃牙だけにしておくか。本人が言い出さなければ……」

 

 ぶつくさ言いながら本を取る。光成自身が書き直させた方だ。

 

『神谷活心流流派心得書 門外秘出』

 

 御大層な名前に反してきっちり出しているのは、時代の流れと下品ながらも金銭の力だろう。そのうち、ほとんどがタイトルの通りに流派の精神性を解説したものだが、前半には流派の歴史とそれぞれに関わってきた個人個人についても言及している。

 

 まず神谷活心流は神谷越路郎が創設した流派であったが、彼は幕末から維新にかけての戦争で行方不明……今でいう所のMIA(戦闘時行方不明)となっており、残された一人娘の神谷薫が開設された道場を守っている。その間になんと辻斬り騒動が起こり、下手人は殊更に大声で自分を神谷活心流の人斬り抜刀斎などと名乗って世間を騒がせたおかげで没落。

 

 娘一人になった所でふらりと現れた正体不明の流れ者が人斬り抜刀斎を退治したら道場の土地目当ての偽物と判明……流れ者はそのまま居ついたが、なんと彼こそ偽物を捨て置けぬと現れた本物の人斬り抜刀斎であったのだ。

 

「くっふふ……まるで時代劇じゃの」

 

 記録らしく面白みのない文章でその辺りが書かれているが、光成からしてみれば他の流派の記録によくある“とある大会に出場し好成績を収めた”だの“何年に後の高名な達人である何某かが入門した”などと比較して、書かれている内容がやけに講談じみており面白い。

 

 剣術流派の心得などと銘打っているくせに表ざたになっていない大事件とそこに介入した剣豪、強者の名前がごろごろ出てくるのだ。

 

 誰それが辻斬り事件を起こした際に巻き込まれた。どこぞで連続暗殺事件が起こり、そこに介入した。特に派手なものでは未然に防いだクーデター事件まである。これが公表されれば、さぞかし世の表現者たちの創作意欲を刺激し歴史研究家に飯と頭痛の種を与えるだろう。

 

 実際に光成もこの門外秘出に書かれている様々な事件の裏取りをさせているところであり、本人の資産に比べれば微々たるものとはいえ大金を支払っても惜しくはないと言えるほどに入れ込んでいる。

 

 人斬り抜刀斉とは何者か、という細々としたところが書かれている辺りは昼間刃牙に長々語ったのだが、これらの隠された歴史の真実という奴が描かれているおかげでそれ以外の所も実に面白い。

 

 強者が何より好きな光成としてはあくまで記録としてつまらない書き方をされていてもワクワクとして仕方がなく、もう一度読み直してみようと思った。隠された真実というのは純粋に読み物としても面白いのだ。

 

「比古清十郎、緋村剣心、志々雄真実、四乃森蒼紫、十本刀、新選組の斎藤一……正により取り見取りじゃ。沖田や土方がおらんのは実に惜しいが、漫画家や小説家を雇ってシリーズでも書かせてみたいの」

 

 事件の背景に大した興味は持たず、光成の興味はもっぱら人にこそ向いている。歴史物語というよりは剣豪小説を読んでいるのに近い感覚だ。

 

「ふうん、まずは範馬勇志郎の弟子と思しき喧嘩士……いいや、喧嘩屋の相楽左之助からじゃな」

 

 喧嘩屋、相楽左之助という人物はこの本の中で否応なく光成の興味を引く一番である。何しろ、剣術流派の歴史を語っているはずの記録に何故だか部外者の喧嘩屋が入ってきているのだ。

 

 剣豪の向こうを張って戦う素手屋という点だけでも興味を引くには十分すぎるが、彼にはそれ以上のとんでもない看板が付いている。明記してある格闘技……あるいは喧嘩術の師匠の名前が範馬勇志郎なのだ。

 

 この男、件の流れ者こと人斬り抜刀斎、緋村剣心が神谷活心流道場に居着き、後の神谷活心流の看板剣士となる東京府士族の少年、明神弥彦が入門というかヤクザに使い潰されていたところを引き取られた後にひょっこり現れて剣心に喧嘩を売った。

 

 なんでも剣心が居着くきっかけになった辻斬り濡れ衣の地上げ騒動に下手人に依頼されての話だそうだが、それ以上に二重三重に剣心に挑む理由があったらしい。

 

 曰く、手ごたえのない相手ばかりであり強者を求めているとの事。

 

 曰く、相楽の姓は赤報隊隊長相楽総三から与えられたものであり、彼は偽官軍の汚名を着せられ処刑された赤報隊の準隊士であった事。

 

 曰く、己の師匠はかつて飛天御剣流十三代目の比古清十郎と戦ったが勝負預かりとなって結着がつかなかったらしいとの事。

 

 その全てが維新志士であり、強者であり、飛天御剣流である緋村剣心に挑む理由となる。

 

 当初は乗り気ではなかったらしい剣心だったがそこまで言われては引くに引けず、とうとう受けて立ったらしい。

 

「時代を超えて、世代を超えて因縁の勝負! 見てみたかったのぉ~! この相楽左之助も一体どのような男であったのやら……」

 

 光成はいつの間にか自然と瞼を閉じていた。

 

 意識が向かうのは想像の彼方、空想の向こう側にある明治の名勝負。

 

 果たしてどのように打ったのか、どのように斬ったのか。

 

 ……時代の向こうに思いを馳せていた光成はいつしか眠りについていた。

 

 そして、夢を見る。

 

 彼が想像していたそれとはまた違う、奇妙にリアルな見知らぬ男たちの名勝負の夢。

 

 

 

 

 

 

 光成は、自分がどこか知らない所に立っていると自覚した。

 

 明るい日差しは早朝の頃か、寝間着に着替えた覚えもなければ寝床に入った記憶さえないというのに、自分はどこか屋外にぽつりと立っている。一体いつ、どうやってきたのかを全く覚えていない夢遊病のような気分だが、不安感が全くなかった。

 

「こりゃ、夢じゃな」

 

 なんとなくそう思った。

 

 明晰夢、という奴だろうか、夢の中に夢であると自覚している自分がいて頭も至極はっきりしているというのは老人である彼の人生においても初めての稀な経験だった。

 

 そうとなれば、楽しまなければ損である。改まって周囲を見てみると、足元はアスファルトではなく田舎道のようなむき出しの地面で、周囲の街並みも京都か奈良のそれのようにいちいち年式が古い。まるで時代劇のセットだが、日光江戸村よりも使用感がある。

 

 つまり、本物臭い。

 

「ほお」

 

 光成は見慣れない物を見た。

 

 人力車だ。

 

 今時観光地でなければまず見ないような古い時代の名残を引いて、若い男がえっほえっほと掛け声を上げて近づいてくる。

 

 小柄な光成が見えないかのようにどんどん駆け寄ってきて、あわや衝突となったが光成は全く慌てていなかった。

 

「ひょひょ」

 

 思った通りに自分をすり抜けて通り過ぎていった人力車を目で追って、嬉しそうに笑う。どうやら光成はこの夢の中では幽霊の仲間か何かのようだ。

 

「さて、ルールも大体わかったし……それでここはどこかの」

 

 ぐるりと見まわしてみれば、彼の邸宅のそれと比較して小さいにも程があるが門があった。

 

 とある道場の正門だろう。既に門が開いているところを見ると、朝稽古でもしているのか。

 

「神谷活心流……ほお?」

 

 見覚えがある名前に光成はにんまりと笑った。なんとなく、筋書きが読めてきたからだ。

 

 実に面白そうな表情で門を覗き込むと、すぐに広い背中を見つけた。

 

今時、随分と正統派な門構えの道場前で男たちが顔を突き合わせて剣呑な空気を周囲にまき散らしているのだ。

 

「こりゃあええわい! さすがは夢、絶好のタイミングのようじゃな」

 

 その剣呑な空気を忌避するどころかあからさまに歓迎しながらそそくさと忍び込んだ光成だったが、やはり先程の車屋の男のように誰も彼には気が付かない。

 

 完全に観客である彼の耳に涼やかな声が聞こえてきた。

 

「全く隠そうともしない馬鹿正直な闘気を感じたと思ったら……」

 

「喧嘩、しに来たぜ」 

 

 そう言ったのは眼光鋭い男。赤いハチマキに白いサラシ、諸肌の上に印半纏と昔の大工とも祭りの衣装とつかない恰好をしているが、印半纏の背中に大きく悪の一文字が記されているのが特に奇抜で特徴的な若い男だ。肩に担ぐように細長い包みを持っており、中にあるのはちょうど物干しざおくらいの長さをしている。

 

 せいぜい成人前か少し超えた程度と思えるが、見るからに威勢も気風もよさそうな粋な雰囲気を漂わせている。

 

 奇妙に収まり悪くあちこちに飛び跳ねた髪を左右に揺らして首を鳴らしている姿はどこか素人臭い印象を与えるが、反面、立ち方は奇妙に重心が安定して何かの心得があるのではないかと見る目のある者にならば想像させるだろう。

 

 地下格闘技場を経営し数多の超一流に熱狂し続けた光成には、彼が間違いなく強者であると見える。

 

 そんな彼の眼の先にいるのは奇妙な三人組だった。

 

 少年というにも幼い子供、年頃の娘、そしてどうにも年齢のよくわからない優男の三人だった。

 

「この間の……!」

 

 血相を変えたのは対峙している三人の紅一点である少女だった。

 

 華やかでもなく清楚でもなく、凛々しいという言葉が似合う稀に見る美少女であり、華やかな着物でありながらも高島田などの髷ではなく流した黒髪、それをまとめるリボンの取り合わせが江戸時代というよりも明治か大正に生きる女性らしさを醸し出している。

 

「やはりお主か」

 

 疲れと呆れがごちゃ混ぜになった顔をしてため息とともに呟いたのは年齢不詳の優男。

 

 短身痩躯の優男で絵に描いた侍の格好をしており、ご丁寧にも腰には真剣まで佩いているが、背中まで伸ばした赤毛を無造作に束ねているのはこの時代において奇抜と言ってもいい。

 

 ただ、髪などよりもよほど印象深いのは男の頬傷だった。左の頬にやけに深く鮮やかな十字傷が刻まれているのである。明らかに刀傷と思しきそれを刻まれているにしては前述の通りの優男ぶりで、とても荒事の世界に身を置いているようには見えない。

 

 むしろ雰囲気は温厚そのものであり、剣を持って襲い掛かられれば話し合いか逃走かの二択しかなさそうだ。

 

 だが光成は、彼もまた侮りがたしと睨んだ。一見すると華奢で少女と大して変わらないような体格だが、それでも稀に見る強者であってもおかしくはないのだと彼は知っている。

 

 それに、この男は格闘士ではなく剣客であるのが明らか。であれば体重だのリーチだのは前提条件として大きく意味が変わってくるものだ。

 

 なんとなくだが、徳川の末裔は対峙している二人が何者であるのか察していた。

 

 神谷活心流道場で対峙する強者二人など、彼には一組しか想像できない。

 

 しかし、それにしては奇妙なところがある。青年の担いでいる包みだ。

 

 大きさ、形状からしておそらく槍などの長物の類と考えられるが、記録を読んだ限りでは喧嘩屋相楽左之助は素手が流儀の腕自慢のはずだ。てっきり喧嘩を売っているこの青年は相楽左之助であると踏んでいたのだが、実は人違いなのだろうか。

 

「喧嘩は遠慮すると言ったはずでござるよ」 

 

 何やら因縁でもありそうな様子だが、同時に殊更に悪縁という訳ではなさそうだ。喧嘩を売りに来たと馬鹿正直に明言しているがそこには陰惨さが全くない。

 

 売る側はあまりにもあっけらかんとしているし、買う側は押し売りに困っているだけで購買意欲は何らなさそうだ。

 

「そうはいかねぇんだ。こいつは喧嘩屋としての喧嘩。こっちも引くわけにはいかねぇ」

 

 そう言って、喧嘩屋を名乗る男は一歩踏み込んだ。喧嘩屋と名乗るとは、やはり件の青年は記録にあった男なのだろうか。

 

「ましてや相手が伝説の維新志士……緋村抜刀斎なら尚更な」

 

 青年のセリフに三人組が悉く顔色をそれぞれの色に変えた。特に少年の変化が大きい。だが、彼らの見えない所で誰よりも顔色を変えたのは光成に他ならない。もう喜色満面の笑みだ。

 

「やっぱりそうか! なるほど、これが人斬り抜刀斎! 想像したよりもずっと小さくて細いの~」

 

 もちろんはしゃいでいる光成の方がはるかに小さくて細い。

 

 それはさておき、一応ご先祖筋から鑑みれば敵対関係なのだが、全くそれらは意識していない。

 

 光成自身世界でも有数の大富豪であるし、そもそも彼にしてみれば父親さえ生まれていたかどうかという時代の話だ。はっきり言えば他人事なのだろうが、維新志士である緋村抜刀斎がもしも知ったらどんな顔をするやら。

 

「長州派維新志士、緋村抜刀斎。使う剣は古流剣術“飛天御剣流”。その剣の腕を買われて“人斬り”として腕を振るう。働いたのは14歳から19歳までの五年間。前半分は文字通りの“人斬り”。闇に蠢く非情の暗殺者。後の半分は新選組なんかの幕府方剣客集団から仲間を守るための遊撃剣士として。本来なら陽の目を見ないはずのあんたが今日、最強の看板を背負って有名なのはこっちの働きのせいだな」

 

 つらつらと相手の情報を語る喧嘩屋に、光成は“花山とは違う”と密かに思わずにいられなかった。

 

 花山……光成が彼の時代において直接面識を持つ喧嘩士であり、若いながられっきとした極道の組長でもある青年だ。本名は花山薫といい、ことさらに天井知らずの矜持を持つ事でも有名な益荒男。

 

 平成の日本において最強と呼ばれる喧嘩ヤクザは、強者として生まれた自分に鍛える権利も小細工をする権利もなしとしている。

 

 相手の事をこまめに調査するような真似など考え付きもしないような男だ。だからこそ下が苦労する事も多いが、ともかく喧嘩屋はそんな喧嘩士の真逆を行っている。

 

「そして天下分け目の戊辰戦争。第一線の鳥羽伏見の役に勝利したのち失踪。そして今は流浪人、緋村剣心として生きる」

 

 戦闘スタイルなどではなく人生そのものを調べている。

 

 喧嘩屋と聞いて光成は花山薫と同じような男を想像していたが、どうやら全く違うようだ。拍子抜けしたと言えばいえるがこれはこれで面白いと気持ちはあっさりと切り替わる。要するに何でもかんでも強ければそれでいいのである。

 

 大体彼の闘技場でチャンピオンを張っている刃牙だって、試合の前には相手のスタイルを入念に調査してくるものだ。

 

「本当の喧嘩ってェのは相手を知るところから始まる。知った上で戦い方を決める。わざわざ幕末動乱の中心だった京都にまで出向いて調べたんだ、大体当たりだろ?」

 

「……それで戦い方は決まったでござるか?」

 

 緋村抜刀斎は穏やかさを決して失ってこそいないが、どこか鞘に納められた刀のように緊張感を醸し出し始めている。まさしく異名のごとく居合い抜きのようだとも言えるかもしれない。彼の言うようにわざわざ京都くんだりまで出向いて自分の事を周到に調べ上げた相手の本気を理解したのだろう。

 

「そこよ、問題は! 調べても分かったのは大まかな経歴だけ。肝心の飛天御剣流ってのがどんな剣術なのか、非情の人斬りが殺さずの流浪人に変わったいきさつとか肝心なところは一切わからねぇ。師匠もそこんところはさっぱり教えちゃくれなかったしな」

 

「師匠……?」 

 

「わからねぇからこうして正門から正々堂々ッ! 真っ向勝負に出たって訳さ」

 

「…………」 

 

 しばし両者は見つめ合う。にらみ合うとまではいかないが、ただ眼を合わせているわけでもなく、探り合うというのが最も適切な目の光だった。互いに互いを観察している二人だったが、数秒もしない内に剣心が徐に言葉をかけた。

 

「拙者も分からぬ」

 

 見た目同様に男性にしては高めで通りのいい声だった。

 

「お? なんだい」

 

 青年はそれを待っていたようだ。話したいネタがあるのだと構えている。

 

「弱い者イジメを見るのも聞くのも嫌うお主が、何故に喧嘩屋なんて理不尽な生業をする? 何故にこれ見よがしに悪一文字などを背負ったりする?」

 

 剣心にとっては重大な話のようだが、傍で聞いている光成にしてみれば先程の青年の調査も含めて妙な事を気にするものだと不思議にさえ思った。

 

 最強の剣客、人斬り抜刀斎が何をごちゃごちゃと語っているのか。目の前にいるのは、強者たる自分を見据える挑戦者だというのに、口を動かしあれこれと相手の過去や内情に踏み込んで、それが戦う男になんだと言うのか。だらだらと舌を回し続けて柄に手をかける事さえしないのか。

 

「性根は真っ直ぐなはずなのに、今のお主はひどく歪んでしまっている。何がお主をそのように歪ませてしまったでござるか」 

 

「何がって……やめた。そんなしけた話は勝負の前にするもんじゃねぇ。どうしても知りたけりゃ俺に勝ちな! つうか、喧嘩屋だって別に理不尽な生業っても思わねぇけどな。あんたがぐだぐだ気にしているのだって、結局人それぞれで済むだけの話だ。いちいち首を突っ込む話でもないだろ? もっと別の事を聞いてこいよな」 

 

 光成は全く同感で、いい加減に不貞腐れた様子でため息までついている。プロレスのマイクパフォーマンスよりもずっとつまらないやり取りなどを続けていないでさっさと丁々発止に始めてほしいものだ。

 

「別の事……? 今しがた口にした、師匠とやらの事でござるか」

 

「おうよ」

 

 今度こそ我が意を得たり、と青年は笑った。

 

「飛天御剣流って名前を聞くのは今回が最初じゃねぇ。俺の師匠はあんたの師匠……ああ、比古清十郎って言ったか? そいつと因縁があるのさ」

 

「け、剣心の師匠!?」 

 

 驚いたのは後ろの少女であり、剣心当人は少々眉を潜めた程度だ。

 

 それはまあ、おかしくもない。剣術流派の看板を背負った男なんぞ四方八方に因縁を背負っているのはむしろ必然的だ。自分ならともかく師匠に因縁がある知らない誰かなんぞどれだけいるのかいちいち考える方が不毛だろう。

 

「ちなみに聞いた話じゃ、師匠はあんたともまるきり見知らぬ仲でもないらしい。まあ、顔見知りがせいぜいってところらしいけどな。あの人は聞いた話じゃ途中まで維新志士の側についていたらしいんだよ。なんでも国外に興味があったから当時鎖国を行っていた江戸幕府が邪魔だったらしい」

 

「……拙者とも? 異国に興味……?」 

 

「心当たりはないみたいだな。だがネタばらしは……喧嘩の最中にでもしてもらおうか」 

 

 それが当然と誰もが理解する。

 

 師匠とやらが剣心と知り合いだというのなら喧嘩屋の戦い方もかなりの確率で判明してしまう。喧嘩屋と腕利きの維新志士の中でも半ば伝説となっている人斬り抜刀斎ではそもそも格が違っているというのに、更に輪をかける真似をする必要はない……見た目で言えば評価は真逆になるのだが。

 

「しかし、師匠とはやはり範馬勇志郎か? それにしてはやはりあの長物が気にかかる……この男は本当に面白いのう」

 

 気楽な第三者が見ているなど想像しているわけはないだろう両名は静かに見つめ合う。

 

「……引くつもりはなさそうでござるな」

 

「応よ。さっきの師匠の話だけじゃねぇ。それ以外にもあんたと俺との間には因縁があるんだぜ? 最強の維新志士さんよ。さすがにこんな所で人様に迷惑をかけるほど短気じゃねぇが、断ると言われてはいそうですかとひっこめる話じゃねぇ。悪いがこの喧嘩、一つ押し売りさせてもらうぜ」

 

 にい、と笑う若者に剣心は仕方がないとため息をついた。これはてこでも引かない、とこれ以上の押し問答の不毛を悟ったのだろう。

 

「因縁、でござるか。生憎と拙者には心当たりがない。お主の因縁は維新志士全てに、でござるか?」

 

「……維新志士って奴が俺は信じられねぇ。四民平等だの新時代だの、全て嘘っぱちのまがい物。自分たちのやる事なす事何もかもに正義の看板をぶら下げて真実は歪め、都合の悪い事は人に押し付けて力づくで悪党の看板を背負いこませ貶めるッッ! そういう糞みたいな連中の集まりだと思っている」

 

 背負う悪一文字に一体どんな思い入れがあると言うのか、それまではどこまでも飄々としていた青年の表情には語る内にどんどんと鬼気迫るものがまるで滑突くほど濁った泉のように湧いてきている。

 

「そんな維新志士の中で最強と謳われている伝説の“人斬り”を、俺は心底ぶっ倒してみてぇのよッッ!」

 

 大きい小さいではなく長年かけてこれ以上なく強固に凝り固まったような怒りが彼の芯から表面に出てきた。対峙している少年少女の背筋に冷たく重たい物を奔らせたそれの直撃を受けた剣心は一体内心でどう受け止めたのか。

 

「その背負う悪一文字、我ら維新志士が背負わせたものだという事か」

 

「…………」

 

「……わかった。受けてたとう」

 

 とうとう勝負を受けた剣心に、冷汗を垂らしてこわばったままの表情をした少女が名前を呼んだが、それを剣心は意に介さなかった。本来はそんな真似をしそうな男には見えないが、今だけは既に第三者が割り込んでいい領域の話ではないのだ。

 

「だがその前に一つ答えろ。この喧嘩の仕掛け主は比留間兄弟でござるな」

 

「ご名答。よくわかったな」 

 

 特に気にする様子もなくさっさと依頼主をばらしてしまった喧嘩屋から、先ほどのどす黒くぎらついた怒りはすでに消えている。

 

「わかるさ。この街で拙者の素性を知る人間は限られている。それに……そこの板塀の影に奴らの薄汚い殺気が漂っている。隠れていないで出てこい」

 

「へえ。さすがは超一流の剣客。おい、観念して出てこい」

 

 剣心はともかく、依頼主のはずの兄弟とやらを追い込む喧嘩屋の顔には全く悪びれるところがない。困ったものであるが件の兄弟はそれどころではないだろう。いつまでたってもリアクションがない事にイラついたのか、二人の顔に殺気じみたものが出てきた。剣心など剣の鯉口を切っている。意外と短気なものだ。

 

「出て来いって言っているんだ」 

 

 異口同音の最終通告だと理解したのだろう、すごすごと青ざめた顔をした二人組が出てくる。

 

「髭の大男にチビ……わしと変わらんじゃないか。これが兄弟だとしたら、義兄弟なんじゃないのか?」

 

「よしよし、それでいいんだよ」 

 

 そう言って笑う喧嘩屋だが、彼らは客である。

 

「ほれ、出しな」

 

「は?」

 

「は、じゃねぇよ。懐に呑んでいるこいつだよッッ!」

 

 財布でも要求するつもりなのか手のひらを差し出す喧嘩屋にきょとんとするのは小男の方だが、有無を言わせず懐に手を突っ込むと中から財布にしては妙に大きく重たそうな物をつかみだした。

 

「あ!」

 

 拳銃である。光成の目からしてみればいかにも旧式然として弾丸がきちんと発射されるのかも怪しい鉄と鉛と木材の集合体だが、傍観者以外から見ればそれなりに新しい形式の恐るべき武器だ。

 

「やっぱりな」

 

 もっとも、取り上げられてしまえば意味はない。

 

「おめぇら髭だるまや似非恵比寿の考えることくらいは、気が読めようが読めまいがお見通しだぜ」 

 

 手に持ったそれは重量にしておよそ0.5~1㎏の金属製だ。内部は空洞と隙間だらけで純粋な鉄塊程に頑丈ではないが、少々の事で砕けるようなものではない。そんな貧弱は武器として失格である。

 

「この喧嘩の売り手は確かにお前らだが、買った以上はもう俺の喧嘩だ。ふざけた横やりは……」

 

 決して、両拳で挟んで破壊できるような代物ではない。

 

「絶対に、許さねぇぜ」

 

 尋常ではない力を見せつけられた上での凄みある眼光に貫かれて青ざめる小男に、少女があからさまに沈痛な表情で声をかけた。

 

「……喜兵衛」

 

 何やら因縁があるのはすぐに察せられた。それがこの喧嘩の発端なのだろうと血の巡りが悪いわけではない光成には簡単に察せられる。

 

「……この土地屋敷は必ずいただくぞ、小娘」 

 

「…………」 

 

 喜兵衛とやらが憎々し気な表情で口走った一言で因縁の理由は察せられた。今更思い出したが、そう言えば人斬り抜刀斎が神谷活心流道場に居着いた理由である騒動は地上げの嫌がらせが発端だった。

 

「となると、この二人が偽抜刀斎騒動の犯人で……それじゃあやっぱりこの若者が相楽左之助か?」

 

 手に持っている長物のせいでいまいち腑に落ちないが、そんな不思議も一つの楽しみである。

 

「ったく、場がしらけちまったな。詰まらねぇ水差しやがって……ここじゃあなんだし、河原にでも場所を移すか? ええ、おい」

 

 

 

 

 

 道場を荒らされるのを好むわけがない一行は、近くの河原まで珍道中を開始した。

 

 殊更に目立つ一行は周囲の珍獣を見るような視線に晒されつつ居心地悪げに往来を縦断していく。その後ろで物珍し気にお上りさんをしている光成がいるが、それについて一行はもちろん街の誰も気が付きはしなかった。

 

 光成も光成で、ことさらにリアルな時代劇セットに目を見張る。街のどこを見ても現代の物が何一つとして見当たらない。まるで本当に時代劇の中に入り込んでしまったようだ。

 

「夢か現か、それとも化かされているのか……くくく、本当にかの幕末、維新の時代に紛れ込んでしまったようじゃな。それにしてもこれが明治の街並みか……わしの爺さんの世代、かの?」

 

 不安や困惑などなく、純粋に楽しんでいる光成は能天気と言うか図太いというか判別しがたい。大目に見て、器がでかいと称するべきなのだろうか?

 

 そんな気楽な老人など知った事ではなく、移動の最中に緋村剣心と脇を歩く少年……明神弥彦というらしいが、彼は緋村剣心が人斬り抜刀斎だと知らなかったらしく、その辺りを語り合い、どうやらこれと言ってこじれることなく穏便に解決したらしい。

 

 隣にいるのが剣の達人にして多くの人を惨殺してきた人斬りであると知れば背中に竹刀を括り付けている少年にとっては様々に影響強かろうが、彼はどうやらそのまますとんと器に落とし込んだらしい。

 

 なかなか大きな少年じゃな、と生霊のように得体のしれない老人に感心されているとは知らず、彼はむしろこちらの方が重大事だと潜めた声で剣心に言及した。

 

「そんな事より、剣心の方こそ大丈夫なのかよ」

 

「おろ?」

 

「おろ? じゃねぇだろ! あいつの手に持っている得物! あの長さはどう見ても槍だぜ。槍に剣で立ち向かうには相手の三倍の技量が必要だっていうじゃねぇか」

 

 神妙な顔をしている少年のいう事は最もである。

 

 光成の頃には剣道三倍段と言われているように、素手で剣に立ち向かうには相手の三倍は力量がいると言われているが、同様に剣で槍を相手にするのも同様に言われているのだ。いや本来は長物を相手に剣で立ち向かうには相手の三倍の力量がいるというのが先であるのだが、いずれにしても間合いの上回る得物を持った敵手に勝利するには相応の力量が必要なのだ。

 

 伝説の人斬りと街の喧嘩屋……格の違いは露骨な程だが、それを承知で入念に調べ上げて挑んでいる上に、何やら思い入れや因縁まである様子の喧嘩屋に弥彦は勝算ありなのかと不気味なものを感じてしまう。勝負というものに慣れていない幼い少年だからこそ特にそんな不安を感じているようだが、それを煽るように聞きつけた喧嘩屋が振り返った。

 

「槍じゃねぇよ、ボウズ」

 

 ニヒルに笑う男の顔には確かな凄みがあり、光成などはそれにワクワクとしてしまう難儀な性質だが弥彦はそれに少々飲まれてしまった。

 

「こいつはもっと、いい代物よ」

 

 

 

 

 

 一行は大して間を置かずに河原に着いた。

 

 いかにも決闘におあつらえ向きで、相対している二人を特等席で見ている光成には当事者の格好のせいで日頃見慣れている試合というよりも正に時代劇である。認識されていれば非難の目で見られること間違いなしの顔をして今か今かと開戦を待ち望んでいた。

 

「そういや、お互いに自己紹介もまだだったな」

 

 赤いハチマキがひときわ強い風に煽られて旗のようになびく。河原の風は冷えてどこかうすら寒いが、それはもしかしたら二人の人間が醸し出す決闘前の雰囲気によるものであるのかもしれない。

 

「俺の名前は相楽左之助。裏社会での通称は“斬左”」

 

 包みがほどかれ、現れた“槍よりももっといい代物”を目の当たりにし、一同は剣心一人を除いて揃って驚嘆する。

 

「斬馬刀の左之助。略して“斬左”」

 

 彼が手に持つのは身の丈を超える巨大な鉄の延べ板としか言いようがない何かだった。

 

 それだけで身の丈を超えるような大きい鉾の先端に、無造作に持ち手が付いている……そんな風に言えば何とか説明がつくだろうか。斬馬刀、と呼んでいるが刀には到底見えない異形にして巨大な得物を右手一本でまるで包丁のように軽々と持っている。

 

「斬馬刀!?」

 

「なんだよ、斬馬刀って!?」

 

 仰天している剣心の側に立つ二人は白目をむかんばかりだ。彼らも槍ではないとは聞いていても、まさかこんなものが出てくるとは想像もしていないに違いなかった。

 

「騎馬武者を馬ごと斬り倒す目的で作られた、数ある刀剣類でも最大、最重量を誇る代物よ! 戦国時代以前に作られたと聞いているけれど、あまりにも大きく重すぎるせいで完全に使いこなせたものは一人もいないと言われているわ」

 

「これが噂に聞いていた斬左の“相棒”か……」

 

 おそらくは、刀剣というものが完成を見る過程で作り上げられて消えていったうちの一振りなのだろう。運よく戦火の中で折れもせずかろうじて生き残ったそれが未だに現役でいるとは、打ち上げたどこかの鍛冶屋も想像すらしなかったに違いない。

 

「応仁の乱の頃の骨とう品で、手入れなんか全然してねぇから、斬馬刀なんて言っても切れ味はねぇに等しい。だが叩き潰す事は今でも可能だぜ」

 

 刃長だけでも成人男性に近い長さの鉄の塊だ。そんな物で殴られれば、生きているだけでもほめるべきだろう。ましてや、それを軽々と扱っているような怪力と言える腕力で殴られたのであれば猶のことだ。

 

「しかし、やはりこの青年が相楽左之助じゃったのか。しかしそうなると、範馬の弟子というのはどこに行ってしもうたんじゃ。あのどでかい得物もそれはそれで見ごたえがあるが……なんだか話が違うのぉ……」

 

 見ている光成としては事前情報との違いに眉をしかめざるを得ない。範馬の血族の弟子、という看板は彼にとってただでかいだけの斬馬刀よりもよほど重いのだ。正直、肩透かしな気分だ。

 

「流浪人、緋村剣心。逆刃刀でお相手いたす」

 

 そう言って剣心が抜いたのは、これまた異形の刀。

 

 なんとも奇妙な事に、本来は峰である部分に刃が、刃である部分は峰のようになっているのである。機能的にはまるっきりの無駄だ。足を引いていると言ってもいい。どこの職人がこんな珍妙な刀を打ち上げたのか。

 

「……とは言っても、おぬしの事だ。既に調べてあろうがな」

 

 構えながら語る眼差しに隙はなく、真っ当とは言えない武器の照りを映す目は道場の前で見せたお人よしの面影さえない。小柄で痩せぎす、にも関わらず鋭く冷たい迫力ある姿はなるほど刀の如しと言える。

 

「ああ、だから一言忠告しておく」

 

 大してこちらもそれを受けて怯んだ様子はない、

 

 相楽左之助。

 

 伝説の人斬りに挑もうとする青年もまた、全身に闘志を満たして打ち掛からんと構えている。その熱い闘志のこもった圧は光成の知る数多のグラップラーたちと確かに重なっているように思えた。

 

「不殺なんて甘い考えは今すぐ捨てな」

 

 全身の肉が力を貯めている。しなやかな筋肉が発条のように力を貯めている。

 

「さもねぇと……」

 

 発条は縮めばすぐに力を解放して飛び跳ねるもの。異形の刀を携える喧嘩屋の手足もまた、ため込んだ力を即座に解放した。

 

「死んじまうぜッッ!」

 

 光成にしてみるとバットのように構えられた斬馬刀と共に左之助は一つの塊となって走った。その速度に大男と少女が目を見張る。ただ走ったのではなく斬馬刀という重りを付けての速度としては異例なほどの速さだったからだ。

 

 そして、芸もくそもなくただ全力で振り下ろされる斬馬刀。相楽左之助、長身でこそあれ決して筋骨隆々という訳でもないすらりとした体型だが、巨大な鉄の塊を普通の竹刀と変わらない速さで振り下ろしている。

 

 正しく剛力。古代の英雄譚で語られる剛力無双のような膂力で振り下ろされる斬馬刀は、剣心の持つ刀が小枝のように頼りなく見える重兵器としての外見に過たず見事に大地を“弾け”させた。

 

 石だらけの河原がその下の土まで含めて周囲にまき散らされる。土どころか石まで砕かれて舞っている中に、黒い鞘もへし折られて無残な姿を晒していた。

 

 土埃の中でもどうにかそれを見つける事の出来た少女が顔を青ざめさせる。斬馬刀の石を無造作に砕いた一撃が剣心をも砕いたか、と……そう思ったのだ。

 

 だが彼女が悲鳴を上げるよりも先に事態は動いている。飛び散る石に巻き込まれるように飛んでいるのは鞘だけではない。その主もまた跳んでいた。

 

「!」

 

 猫のように飛び掛かる剣心は既に左之助の間近にまで入り込んでいる。宙を舞いながら喧嘩屋の左側面という剣を振るうに絶好の間合いで、彼もまた存分に一刀をお見舞いした。

 

 肉が鉄を打つ鈍い音が響くよりも先に、左之助は物の見事に吹き飛ばされて地べたを背中でこすりつけていった。小兵の剣心が踏ん張りの利かない空中で放った一閃の結果としては恐ろしく強烈であると光成は驚嘆する。

 

 鉄の棒であれだけ見事に吹き飛ばされれば、おそらく打たれた箇所は骨折して当然。下手をすれば内臓破裂の恐れさえあるだろう。

 

「人斬りが殺さずなどと言っとったのは意外じゃったが、本当に死んどらんのか、これ?」

 

 冷や汗を流して呆れる老人がいたが、彼以外はあまり気にしていなさそうだった。これが時代の違い、明治を生きる世代というものなのだろう。大したものだと光成は感心した。

 

「やった! そうだぜ、いくら斬馬刀がすごくても当たらなきゃ意味がねぇ! 剣心の圧勝だ!」

 

 弥彦が手に汗を握りながらもはしゃぐが、剣心の眼は鋭さを微塵も失わずに倒れる左之助を見据えている。

 

「さすがに強えな……伝説になるわけだぜ。だがよう」

 

 土煙の向こう側から平然としたまま左之助が現れた。汚れこそあれ、悠然と戻ってくる動きに支障らしいものは見当たらない。

 

「き、効いてないのか……?」

 

「まずいわ……」

 

 鯉のように口を丸くしてから少年が呟く言葉に答えたのは隣の少女だった。彼女もまた歯噛みをしながら分析をしている。

 

「私たちはあの男の強さを見誤っていた。あの男の本当の強さは、大男を指一本で倒す怪力でも、その怪力に利した斬馬刀の剣撃でもない。眉間に寸鉄を受けても微動だにしなかった、あの異様なまでの打たれ強さ!」

 

 ほう、と光成は彼女の説明に再度感心をする。

 

 なかなか面白いエピソードがあるようだがそれはそれとして、分析もそこらの小娘の物ではない。そもそもこのような争いを目の当たりにしている事自体、決めつけだろうが古き良き時代の女性としては異例の気丈さだ。

 

 おそらく、元々一目で察しはついていたが彼女こそが創始者が行方不明になった後も流派を守り続けたという神谷薫その人なのだろう。

 

「今まで全ての敵を一撃で倒してきた剣心の飛天御剣流。その一撃がこの男には通じない!」 

 

 驚愕を露わにする薫をよそに、光成は脅威だとは思えなかった。同時にそれが格闘家と剣客の違いなのだろうとも思う。確かに見事な打たれ強さではあるが、一撃で勝負が決まらないのはむしろ当然なのが格闘家の試合。

 

 殴られようと、蹴られようと、絞められようと圧し折られようとも、格闘士であるのなら意識がある限り立ち上がる。それは地下闘技場でオーナーを務める光成にとっても当然の話だ。

 

 立ち上がるのは格闘家の本能とさえ断言できる。それに驚くのは、やはり彼らが剣に生きる侍だからだろう。

 

 刃物はどこに当たろうと大きな痛手となり、悪ければあっさりと死ぬ。防ごうとしてもおいそれと防げるものではなく、掠めただけでもいずれ出血多量で死に至る可能性もある。

 

 つまり一撃必殺は当然。

 

 対して格闘家は空手に代表されるように一撃必殺は目標、夢だと言われている。力量に圧倒的な差があるならともかく、一流同士であればまず成立しない夢物語だ。

 

 結論として、少なくとも一撃の威力と意味において武器の有無は大きな差を生んでいる。だからこそ、彼らは立ち上がってくる敵に驚くのだろう。

 

「喧嘩ってえのは真剣の斬り合いと違って、剣に強え方が勝つんじゃねぇ。倒れねェもんの勝ちなのよッッ!」 

 

 以前、平成最強の喧嘩士が語った持論がある。

 

 何をどう言おうとも喧嘩は所詮ダメージの与え合い。最後に物を言うのは体力である。

 

 なるほど、明治の喧嘩屋が口にしている言葉にも通じるものがある。

 

 人斬り抜刀斎が逆刃刀などという珍妙な得物を使っている時点で、攻撃は斬撃ではなく打撃になっている。それなら、相楽左之助の打たれ強さを生かす余地は存在している。

 

「さようなセリフは、最後まで立っていられた時に口にするものでござるよ」

 

「ちげぇねぇ。それじゃさっさと勝って、でけぇ面するとすっかぁッ!」

 

 だが、それでも今のままで勝ち目はないだろうと光成は踏んでいた。

 

 緋村剣心は短身痩躯、つまり華奢で打たれ強さとは全く無縁と言い切っていいだろう体格からして喧嘩ならば左之助の圧勝とて有りうるのだろうが……

 

「いける! 抜刀斎の一撃を受けてもビクともせんとは……これならもしかして……」

 

「お前は本当に頭が悪いな!」

 

 ざぱっと切り捨てられた髭男がショックを受けて殊更にユーモラスな顔をする。凶悪なご面相だが、そうすると凄みもへったくれもなかった。だが対照的に小男の方は光成もよく知る類の陰険さを感じる顔つきに成り果てていた。

 

「虎の子の斬馬刀が難なく躱されたんだぞ。どう転ぼうと斬左に勝ち目はない!」

 

 全く持ってその通り。

 

 これが素手の勝負であれば左之助の打たれ強さから疲れ果てて剣心の腕が上がらなくなるまで耐え続けて反撃……剣心の薄い胸板を左之助の怪力で打てばそれこそ一撃で決着もありうる。そのような流れも無きにしも非ず。

 

 だが逆刃だろうがなんだろうが、鉄棒で殴られ続ければすぐに限界はくる。一撃だけどうにか耐えても、石でも鉄でもない人間の限界値は剣心にとって高い数値ではない。打たれたところを捕まえようにも斬馬刀で両手は塞がっている上に相手は速さ自慢。

 

 とどのつまりは時間の問題。

 

 似たような体格の二人が出した結論は同じだった。

 

「それじゃあ喧嘩第二幕! いくぜぇ!」 

 

 当然ながら戦う左之助がそんな負け犬の思考を抱くはずもなく、彼は再び斬馬刀を振りかぶると威勢よく振り回した。

 

 すぐ横でしている会話は対峙している剣心に集中して聞こえなかったのか、それとも聞こえていても意に介さないのか彼は意気揚々としたままだが、剣心は自分の一撃を耐えた程度の男にはいちいち驚きもしない。仮にも人斬り抜刀斎、その戦歴は維新志士最強と言われている男なのだから。

 

「!?」

 

 今度は薙ぎ払うように振られた斬馬刀だったが、今回はただ虚しく空を切るしかなかった。腕に伝わる感触など何も存在せず、影も形も見当たらない。巨大すぎる斬馬刀の影が剣心の跳躍を左之助自身から隠してしまう皮肉に彼が気付くよりも先に、剣心の低めた声がかかった。

 

「斬馬刀はその超重、巨大さ故に攻撃の型がどうしても限られる。打ち下ろすか、薙ぎ払うか二つに一つ」

 

 なんと緋村剣心、正に天狗のように斬馬刀そのものに颯爽と乗っているではないか。

 

 両刃で奇妙な程に幅広い斬馬刀の刀身に着地する離れ業を見せた剣心の鋭い眼光は左之助を射すくめんばかりとなって切っ先に乗った。

 

「至極、読みやすい」

 

 払い落そうとする斬馬刀から飛び降りた剣心は、その隙を逃さず一気呵成に襲い掛かった。俊敏な動きは猿のごとく、飛天とは空を飛ぶとの意味であると知らしめる。

 

「第二幕ではなく、これにて終幕でござる!」

 

 一撃は肩を打ち抜き、左之助の顔色が変わる。だが今度は喧嘩屋も吹き飛ばずにこらえて斬馬刀を横に薙ぎ払う。

 

 しかしてその動きは剣心の語る通りに読みやすく、相手が少々身を屈めるだけであっさりと躱される。その顔に戦慄が刻み込まれて背筋を凍らせるよりも先に、飛天の剣は喧嘩屋に襲い掛かった。

 

「斬左、おぬしに一撃は効かぬ。ならば!」

 

 逆刃刀が様々な角度から絶え間なく左之助の全身至る所を打ち据える。袈裟、逆袈裟、切り上げ、打ち下ろし、胴、逆胴、一つとして同じ強さと角度はなく、速さ優先でとにかく当てる事を考えた攻撃がまるで蜂の群れのように。

 

 連撃。

 

 至って単純な選択肢だった。一撃が通用しないのなら効くまで続ければいい。岩でもあるまいに一撃でも決して完全に通じていないわけではないのだから、数を重ねればそれだけで終わる。

 

「飛天御剣流、竜巣閃」

 

 一撃、ニ撃、三撃、積み重ねられた痛打の波に押し寄せられて、いつしか斬馬刀は音をたてて河原に屍さながらに横たわる。石と鉄のぶつかる音は肉と鉄のぶつかる音の中にまぎれて消えた。

 

 力はむしろ欠けている攻撃だが、とにもかくにも絶え間なく打ち込み反撃の余地を与えない連続攻撃の速さは特筆に値する。これを竹刀はともかく真剣で成立させるのは力と技量が高度に釣り合わなければ成立しない。

 

 この小さく細い体のどこにそれだけの力があると言うのか、もはや不思議でさえある。光成の知る最強のガキは背丈こそ低い物の骨格についている筋肉は著しく発達しているのだが、緋村剣心は華奢でしかない。これほどの高速で絶え間なく延々と刀を振り続けるなど身体構造の時点で間違えている。

 

 あり得ない技を成立させている、これが飛天御剣流の理にして剣にかける侍の執念なのかもしれない。

 

 これで決まったか。

 

 誰もがそう思った。

 

 傍で見ている見物人も、技を繰り出した剣心も確信を抱いた。もちろん剣心は残心を忘れてはいなかったが、元よりこれで倒せると踏んで繰り出した技なのだから自信を持っていて当然だった。

 

「呼っ!」

 

「!?」

 

 その自信が過信であると証明したのは連撃の直後、最も無防備な一瞬を狙いすまして飛び出した左の拳だった。それは鈍い音をたてて剣心の薄い胸板に突き刺さり一撃で肉と骨に深刻な痛手を与えた。

 

「ぐあっ……!?」

 

 軽く華奢な剣心は拳一つであっさりと吹き飛ばされて地べたを嘗めた。その姿を周囲は理解さえできずに呆気に取られて声もなく見つめている。

 

 剣心とて一流の剣客として当然ながら残心はしていた。だが、その警戒心を自分の技に抱いている自信が上回ってしまった。いや、ここは左之助を褒めるべきか。

 

「ぬう……」

 

 油断していた剣心に左之助の拳は殊の外響いた。胸の中央を射抜いた拳は骨身に堪えたようで歴戦の雄が苦痛も露わな呻き声を隠せない。

 

 かの人斬り抜刀斎の打ち込み、それも飛天御剣流の技を一介の喧嘩屋風情が見事耐え抜いて痛打を浴びせる。これは確かに番狂わせの偉業だろう……誰もが度肝を抜かれ驚愕の眼差しを注ぐ中で、左之助は一人不敵な笑みを返した。

 

「さすがは人斬り抜刀斎。すげぇ攻撃だ。これが逆刃刀じゃなけりゃ、今頃血だるまでお陀仏だったぜ」

 

 口ではそう言いながらもまだまだ意気軒高、散々に達人の奮う鉄の棒で打たれているというのに全身から闘志はこれまで以上に漲っていた。

 

「あの立ち方は……もしや、三戦立ちか!?」

 

 左之助は明治の武芸者、悉くが見た事のない奇妙な立ち姿で周囲を睥睨していた。

 

脇を締め、肘はわき腹に付けてある。右足を前に出し膝と両つま先を内向きに立っている。

 

 板についているその立ち姿に光成ははっきりと見覚えがある。全身の筋肉を締めて攻撃に備える空手の基本、防御に長けた型の一つとして懇意にしている実践空手界随一の雄が引き入る流派もよく使う形だ。

 

 しかし、空手は明治期においてまだ本土には全く伝わっておらず沖縄にとどまっているはず。

 

「斬馬刀に執着することなく、よもや拳で来るとはな……それに、竜巣閃に耐え抜くとはさすがに拙者の予想を超えていた」 

 

「今まではともかく、今回あんたは斬りかかってきたんじゃなくて殴りかかってきたんだ。そいつは大きな違いだろう?」

 

 さらりと言うが、鉄棒でタコ殴りにされて立っているのは尋常ではない。

 

 とは言っても、彼はけして平然としているわけではなく全身に痣と出血のオンパレードで満身創痍もいいところだ。誰が見ても、あと一押しで倒れる……剣心は駄目押しを好まなかったが、左之助に打ち込まれた胸の痛みが彼の背中を押した。一介の喧嘩屋と油断してはならない男であると認識を強制的に改めさせられたのだ。

 

「終幕と言ったが、まだまだ第二幕は終わらねぇよ。続きといこうぜ!」

 

「いや、もう一度言おう……これにて終幕でござる!」

 

 赤毛の燕が翼を広げて飛び掛かる。それを迎え撃つ喧嘩屋は、しかして足元の斬馬刀に手を伸ばす様子も見せずに両の掌を顔の前に揃えて構えた。その構えはどこか翼を畳んでいる鳥のようにも見えた。少なくとも光成にはそうだった。

 

「今度は前羽の構えか!」

 

 空手において防御随一の構えであり、これまた光成はよく知っている。彼の知る当代随一の実践空手家には遠く及ばない物の、左之助の堂にいった構えに胸が弾む思いだった。彼が何者であるのか確信が抱けた。

 

「しっ!」 

 

 緋村剣心の閃く銀光を左之助は素手で迎え撃った。明治の一同が訝しむ奇妙な構えから円を描いて動かされる掌が、刃ではないと言っても影さえ見えない人斬り抜刀斎の斬撃を見事に空かし、躱し、逸らして見せた!

 

 三つ。

 

 唐竹、胴、逆袈裟の連続を見事に往なしてのけた喧嘩屋はそのまま両の掌を打ち下ろして逆撃を狙う。

 

 見事な離れ業に意表を突かれて体も流れてしまった剣心だったが、そこは身軽さと速さこそが身上の男、かろうじてだが打ち下ろされた掌をかわして間合いを外してみせた。

 

 それが中国拳法の中でも特に実戦的な近接主体の拳法、八極拳の一手だとは誰も知らない。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 観戦している面々は悉く大口を開けて間抜け面を晒している。斬馬刀を捨てた上での左之助の動き、技、何よりもそれが人斬り抜刀斎に通じている信じがたい事実に度肝を抜かれたのだ。

 

「廻し受け。師匠曰くあらゆる受け業の要素が籠められた最高の受け技。矢でも鉄砲でも……もちろん槍も刀だって持ってこいってな」

 

 光成が背筋に奔るものをこらえきれずに浮足立って身が震える。達人の振るった刀を素手で往なしてみせる秘技、格闘家を愛する彼が奮い立たないわけがない。

 

 周囲が戦慄し驚愕している中で部外者の彼だけは興奮してあらゆる意味で場違いだった。

 

「お主……まさか、流儀は斬馬刀ではなく無手でござるか」

 

 さすがに歴戦の男、驚いているのは確かだが動揺はなく神妙な顔をして油断なく身構えている様子に隙は無い。だが彼の片袖は破れて腕にはかすかに出血が見受けられた。完全に躱し切れたわけではないのだ。それを見てとった左之助はにやりと不敵な笑みを深めた。

 

「応よ。やっぱり喧嘩は素手でやるもんだろ?」

 

「はあぁ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げたのは髭の大男である。

 

「ちょっと待てよ、お前、二つ名は“斬左”だろうが! 詐欺か、それ!」

 

「外野がうっせぇな。斬馬刀が目立つからそんなあだ名がついただけだ。大体二つ名なんて自分で決めるもんじゃねぇだろ」

 

 まあ普通に考えて、自分で二つ名を名乗るような人物は痛々しい。

 

「あんまり弱っちい奴は素手で優しく撫でてやるんだけどな。数だけ多い時やそこそこの強さの奴の場合は薙ぎ払えば済むこの斬馬刀が便利なのよ。元々こいつは力を鍛えるのに具合がいいから持っているんだしな」

 

 大層な驕りを口にした左之助は、それが大言壮語ではないと証明するように適当な岩に斬馬刀を突き刺して無造作に片手で持ち上げてみせる。まるで岩が空の木箱であるように軽々とした動作で振り回すと、風を起こして斬馬刀は翻った。

 

 天然の石に切れ味がないと言っている斬馬刀を突き刺しただけでも驚きだが、それを軽々と振り回すとは、なかなかに人間離れしていた。

 

「でぇ! あぶねぇ!」

 

 岩は途中で割れて唖然としている見物人の足元へと飛んでいく。大層な勢いで振り回されたそのままに地べたを嘗めた半欠けの岩は大きな砂埃を上げて勢いを主張した。

 

「普通の石や岩よりも、こいつの方が持ちやすいんで重宝しているぜ? ただまあ、こいつは今さっき言われたそのまま……こういう一対一の強者相手にはいまいち向いてねぇ。ただ……お前さんが逆刃刀なんてけったいな代物を使っているんだ。こっちも相応にしなけりゃ五分ってわけにはいかねぇからな」

 

 どうやら相楽左之助にとって、斬馬刀は主武器ではなくバーベル代わりであるらしい。という事は、彼はバーベルを振り回して戦っているという事でまるでプロレスラーの場外乱闘さながらである。妙に似合っているような、いないような絵面が頭に浮かんで仕方がない。

 

 いつだったか、死刑囚の一人にバーベルで散々殴られたと言っていた日本プロレス界のカリスマを思い出した光成は思わず腹を抱えて笑った。

 

「ヒールもベビーフェイスもできそうじゃな、こいつ。やたらとタフじゃし、アントンが欲しがるかもしれん」

 

 これからこの奇妙珍妙な喧嘩屋の本領発揮を拝めるようだと、光成は自分のテンションがどんどん上がっているのを自覚する。これまでの様子からすると空手を学んだようだが、中国拳法も知っているようだ。

 

 果たしてそれは一体誰からなのか……そこに、範馬勇志郎という男の影と正体への手がかりを見つけて楽しみで仕方がない。

 

「……拙者の逆刃刀に合わせてくれた、と?」

 

「不満そうだな。けど実際にその刀はただの刀よりも得物としちゃ一枚落ちるだろう? 峰に刃、刃に峰なんてのはどう考えても不自然だ。たとえあんたが鍛え直して逆刃刀でも昔より強くなっていたとしても……やっぱり普通の刀に持ち直した方が強いだろ」

 

 剣心が逆刃刀に思い入れがあるのは誰でもわかる。そうでなければこんな奇妙な得物を好んで携帯なんぞするまい。

 

 特に明治期は廃刀令が施行されたばかりで、発足された警察もその辺りの取り締まりに躍起になっている時期だ。にも拘らず人目を憚っていない辺りよほど大事なものであるというのは明らかだ。

 

 それが足を引いていると言われてしまえば聞き逃せないのはもちろんだろうが、左之助のように相対している男には剣心の事情など知った事ではなく、ただそんな刀で戦う事を憤るか付け込もうとするかのどちらかだろう。

 

「そう思ったからあえて斬馬刀を使ったんだけどよ。さすがは往年の人斬り抜刀斎。幕末最強の人斬りは伊達じゃねぇな……こうまで歯が立たねぇ以上は四の五の言ってられねぇ。ここは俺の本当の流儀でやらせてもらうぜ」

 

 どちらでもなく自分にも枷をはめようとする左之助は馬鹿を通り越した大馬鹿であるに違いはない。

 

「……拙者の逆刃刀は恩人より授かった人斬りではなく流浪人である証。おぬしが本当の流儀で来ようとも、おいそれと後塵を期するつもりはないし弱くなったつもりもない……が、一つわかった事がある」

 

「へぇ」

 

「勝負の前に口にしていたお主の師匠……斬馬刀を使う剣客にも喧嘩士にも心当たりがなかった為にわからなかったが……無手の拳法がお主本来の技と聞けば話は変わる。いや、無手で闘うような男に心当たりは一人しかいないと言うべきか。剣林弾雨、殺意ひしめく幕末の京都で寸鉄一つ身に着けずに笑いながら駆け抜けていった男など、拙者はあの鬼のような男しか知らぬ」

 

 戦国の世は終わり、太平の世が来てから三百年。

 

 再び巻き起こった動乱の時代を生き抜いた中で重視されたのは刀ではなく銃器などの舶来品。そんな時代に銃器どころか刀剣類さえ持たずに戦場に立つような男はいない。そもそも刀は武士の誇り。それを持たずに街を歩けば笑いものとなるのも必然なのだから、いざ戦場となれば携えないはずがない。

 

「……かつて維新志士も幕府方も問わずにただひたすらに戦い続けた奇怪な男が幕末の京都にいた。全ての陣営に属さず全ての陣営を敵に回してひたすらに戦い続けた男は圧倒的な強さで戦場に立つ全ての男たちを蹂躙していったが、戦う目的さえ定かでない。ただ災厄のようにふらりと現れては戦場をかき回していく姿を我らは疎み、その理不尽さを呪い、伝説の鬼の如しと呼んで忌み嫌った……」

 

 光成はおお、と胸を震わせた。そんな真似をする人間、そんな真似ができる男など、そんな真似ができる血筋などこの世に一つしかないと確信していた。

 

「しかし、ある日突然混乱の日々は終わった。それまで戦火の巻き起こる所、悉くに首を突っ込んできていた鬼は霞のようにふらりと消えてしまい、それきり現れる事がなかった。結局何者であったのか、何を目的としていたのかは終ぞわからないままであったが……あるいは戦うことそのものを目的としていたのかもしれないと噂されていた……その不可思議さのせいで人によっては本当の鬼ではないのかと半ば本気で信じられていたが……そこまで言われていたのは刀も槍も、例え西洋式の訓練を受けた最新鋭の装備に身を固めていた一個中隊であろうとも彼は棒切れ一本持たない素手で真正面から叩き潰していたからでござる」

 

 剣心の脳裏に、人知れず赤い風が吹いた。

 

 全身にねっとりと絡むような風はかつて幕末の京都で絶えず吹きすさんでいた血風に他ならない。それは一人の男が吹かせているかのようだった。

 

 思い起こされるのは、垣間見た広い背中。振り返った貌に刻まれている犬歯をむき出しにした怖い笑み。

 

「名前も知れないあの男とお主の戦い方には大きな違いがあるが、拙者も知っている無手で戦う男となれば他にはいない」

 

 剣心の語りに周囲は驚きを隠せない。素手で刀はおろか銃器にまで勝る……それも多対一の一の側でなど本当だとは到底思えないが、口にしているのが他ならない人斬り抜刀斎。つまらない冗談を言うような男でもない。

 

「……違いってのは?」

 

「お主の戦い方は確かに洗練されている。拙者も多少話に聞くだけだが、それはおそらく琉球の方に伝わる“手”と呼ばれるものであろう……対して目の当たりにしたあの鬼の戦いは正にむき出しの暴力。ただ思うままに手と足を振り蹂躙していく様は獣か、其れこそまさに鬼のごとくだった」

 

「……へぇ……洗練だなんて誉め言葉は初めてだぜ。どいつもこいつも、技を使う前にへたばっちまう根性無しばっかりでな。その内に俺まで鬼だなんだと不釣り合いな綽名をつけられるんじゃないかと冷や冷やしていたところよ」

 

 左之助の雰囲気が変わった。

 

 それが周囲の誰しもに伝わった。

 

 す、と流れるように引いた足は自然な前後の半身となっている。重心はつま先に置かれ、前に出した肩が顎を隠してもう片方の腕は拳を顎の高さに置いている。緩く握られたそれは利き手であり、いつでも相手を殴れるようにと備えられている。

 

 突き出した肩から伸びている手は緩く開かれている立ち姿を見て、光成は興奮が最高潮に行きつくのを感じた。

 

「刃牙の……チャンピオンの構えじゃ! ここでそうくるかぁ!」

 

 彼が幽霊のような何かでなければ町中に響き渡るような大声をあげて、歓喜を天地に訴える。

 

「本領発揮、でござるか」

 

「不公平だなんだと言われるのは癪だ。あんたもその刀を捨ててもっといいのを持ってくるか、せめて刃を返しな。そうでなけりゃいつまでたっても言いわけが付きまとっちまう」

 

 本気になれば俺が勝つ。

 

 既に散々に殴打された分際で暗に言い切った左之助の強気を誰も笑えないのは今の剣心の語りのせいか、それとも左之助自身から発せられる、まるで彼が二回りも大きくなったような圧力のせいか。

 

「繰り返すがこの逆刃刀は拙者が人斬りではない証明……おいそれと捨てるつもりはないし、負けた言い訳にするつもりもない」

 

「そうだ、大体剣心が喧嘩屋なんかに負けてたまっか! バッキャロー!」

 

「どっちも威勢がいいねぇ」

 

 弥彦の声援と自身の誇り、握った逆刃刀に籠められている何かを譲らない為に剣心は刀を構えた。その表情には左之助を上回る凄みがあった。

 

「そっちも一応は本気になってくれた、か……」

 

「ああ。生憎とこの刃を返す気にはならぬし、捨てる気にもならぬが……だからこそ、ここからは本気で行かせてもらう」

 

「そりゃあいい。勝っちまえばそれで何もかもチャラだ。俺が何を言っても負け犬の遠吠えにしかならねぇな。最も……」

 

 ちらり、と目線をくれた先にあるのは屍のように転がる真っ二つになった鞘だ。

 

「人斬り“抜刀斎”が鞘を失くして、不利に輪がかからなけりゃいいけどな」

 

「ふうっ!」 

 

 目線を一瞬逸らした隙を剣心は見逃さなかった。剣を抜くまではむしろ人が良すぎるほどにしか見えなかったような男が、ためらいなく小さな隙を見逃さない……なる程、本気だった。

 

「おおっとぉ!」

 

「やはり誘いでござるか!」

 

 目線はあくまでも罠。百も承知で乗ったのは相手の力量を今一度確かめる為だった。

 

 剣心の閃かせる銀色の光は左之助に若干危なっかしくも避けられ、下から滑り込むような左拳が彼の顔目掛けて蛇のように襲い掛かってくる。剣心はそれをさらりと危なげなく躱してのけた。互いに同質の攻撃を放った一瞬の交差は双方に彼我の力量差を教え、それは周囲にも伝わっている。すなわち、剣心有利に左之助不利。

 

「ち……」

 

「…………」

 

 それぞれの顔色を伺うまでもなく差は周囲に知れ渡る。それだけ歴然としていた。何回振り回そうともかすりもしない斬馬刀と違って惜しいところまではいくものの、後わずかに届かないのが小さくも決定的な差だ。

 

 小さな差は、繰り返し積み重ねていけば大きな差となっていくのが自明。この交差を続けていけばいずれは左之助が倒れてお終いとなる。明暗が分かれつつあると観衆が踏むのも当然だが、緋村剣心は違った。

 

 そんな単純な話で終わるわけがないと確信に近い予測をしていた。

 

「へっ……もう一丁!」

 

「ふっ!」

 

 次は左之助の側から出てきた。剣心の呼吸を読んだ見事な拍子だが、剣心は危なげなく打ち込まれる拳を躱し……そこから飛蝗のように大きく飛びのいた。

 

「こいつも避けるかよ」

 

「……右拳か」

 

「刀は一本、手は二本。固さも長さもそっちが上だが、数だけはこっちが上だぜ」

 

 左の拳を撃ち込み、そこから流れるように右の拳。継ぎ目のない連携はむしろ自然にして必然的だったが、回転の速度が剣心の想像をはるかに上回っていた。すなわち、相楽左之助の拳に刻み込まれた練度が剣心の想像を上回っているのだ。

 

 剣心は鼻先に熱さを感じていた。二番手に打ち込まれた左之助の拳が微かに掠めたのだ。

 

「……」 

 

 剣心は驚いていた。

 

 左之助の力量と、そんな男と唐突に出会った運命の奇妙さに、だ。

 

 問題は多々残されているが一応の落着を見たはずの明治の世に相応しからぬ、むしろ戦国か幕末のような激動の時代に似合いそうな技量の男と、こんな所で戦おうとは想像もしていなかった。仮に強敵に出会うとしても、かつて幕末の激動でもまれた何者であるかとばかり思っていたが、ほぼ無名に等しい青年がこれほどまでに強いとは……

 

「まだまだいくぜぇ!」 

 

 頑健、強烈、剛力、俊敏、鋭利、巧み、さまざまな言葉が一瞬に剣心の脳裏を通り過ぎていき最終的に一言で占められていく。即ち“強い”の一言だ。

 

「!」

 

 小兵の剣心、長身の左之助。だが左之助は蜥蜴のように低く構えて剣心の懐に入り込んだ。その稀なる動きに対してさすがは人斬り抜刀斎、咄嗟に考えるよりも素早く切っ先を突きこんだのは無駄のない見事な対応だが、それに“流浪人”剣心の顔色は変わった。

 

 殺してしまいかねない一撃を咄嗟に出してしまったのは彼にとって不覚以外の何物でもない。咄嗟に切っ先を逸らしたのは無理やりの悪あがきに過ぎたが、左之助はこのぶれにぶれる奇妙な攻撃を鮮やかに躱して伸びあがる拳を披露する。

 

 必殺の一撃を崩す為に自分の体勢も崩した剣心を迎え撃つ拳が縦一直線に突っ込んでくる……いや、そこから更に横殴りの拳が挟み込んでくる。視界の影をそれと知らずに見て取った剣心は舌打ちをする間も惜しんで宙を飛んだ。その高さたるや何たるか、長身の左之助が見物人をやっているさらなる大男の肩に立ってもまだまだ届かない、正に飛天。

 

「なにぃ!?」

 

 自分の目線のはるか上まで飛んでいった剣心と拳を見比べた左之助は思わず唖然とした。見せつけられている並々ならぬ人間離れした跳躍が、絶妙の瞬間に彼の拳を踏み台にして拵えられた逸品だと残る草履の感触から教えられたのだ。

 

「飛天御剣流、龍槌閃」

 

 静かな声が五月雨のように降ってくる。

 

 その瞬間に背筋を奔った何かをどう言葉にすればいいのか左之助はわからなかったし、わかりたくもない。

 

 彼にわかったのは静かな声音と反比例する鋭くも重たい何かが高速で頭上から迫っているという物理的な事実だけだ。それが何かを理解するよりも先に、左之助は五体を的確に動かしていた。

 

 そう言えば、いつだったか言われていた。頭はぼんくらだが身体はそれなりに賢いようだなどと!

 

「ちいぃいっ!」

 

 彼はとっさにその場で逆立ちになった。両手をつくのではなく左手だけで体を支えて前のめりになり、すると必然、そのままの動きで踵が振り上がる……それはまさしく胴回し回転蹴り、と呼ばれる空手技の変形だった。

 

「!」

 

 左之助の頭部目掛けて両手と全体重を籠めて渾身の逆刃刀を叩きつける剣心は、目当ての頭部が移動するのについていけず空振りする。身動きの取れない空中で、刹那に脇腹目掛けて襲い掛かる踵を目で追えただけでも大したものか。

 

 躱しも受けもできずに成す術なく抉りこまれて蹴り飛ばされた剣心は、肉と肉がぶつかり合う馴染みない音を引き連れて衝撃に揺れる視界の中に唖然としている薫と弥彦を見つけた。

 

「るぁぁあっ!」 

 

 剣心が宙を飛んでいる間に態勢を整えた左之助が駆けだすが、さすがは剣心。猫のように身を翻して音もなく着地して刀の切っ先を突き出してけん制してのけた。

 

「ちっ…やっぱり宙にいる相手じゃ蹴りきれなかったか」

 

「……龍槌閃を倒れる事で躱すとは、正直驚かされた。おまけに脇に蹴りまで入れられるとは、拙者も初めての経験でござるよ。なるほど、剣客にとって武器とはこれ刀。しかしお主にとっては五体全てが武器であるか。右も左も、手も足も区別はない」

 

「へ……」 

 

 宙を飛んでいる的を蹴り飛ばして力を集約させるのはなかなかに至難。ましてや相手は受けまいとする人間であれば……蹴鞠よろしく飛ばされた剣心だが、蹴鞠は蹴とばされてもそうそう壊れないものだ。痛手でこそあれ、骨身に染みてはいなかった。それよりも、かくも斬新な方法で必殺の打ちおろしを躱された事の方が驚きだった。

 

「これだけやって、当てたのはたったの二発……か……刀を相手にこれじゃあでかい口は叩けそうもねぇな……さすがだぜ」

 

 素手と剣では攻撃力が違う。にも拘らず相手に当てる事が出来たのはほんの二発……実質は一発かもしれない。対して左之助は防御しても痛手は受ける。とにもかくにも、素手は武器よりも数多く当てなければ話にはならず、同時に悉く相手の攻撃は避けなければならないものだ。不平等と言ってしまえばそうだが、それがそれぞれの選んだ武術の道である。

 

 にも拘らずの体たらくに苦笑いさえ出てこない。これで相手が剣心という小兵だからこそまだましだったが、相手が肉体的に恵まれている男であれば少々当てたところでたかが知れている……

 

「そちらが本領発揮してからは拙者もろくに入れる事ができてはおらぬ。さすがなどと言われてはこそばゆい」

 

 剣心は剣心で、よもやこれほどまでに苦戦するとは思っていなかったおかげで思い上がりを心から恥じ入っていた。少なくとも渾身の一撃を既に胸板に刻み込まれているのだ……拳でなければそれで絶命の可能性は大いにあった。そんな“もしも”に意味がないとは百々承知だが、それでも胸に恥じ入るものは湧いてくる。

 

「ふ……」

 

 恥じ入る、とは滑稽な事だった。己の剣は強さを誇示する物ではない……それはいまも昔も変わらないたった一つの真実。だと言うのに苦戦を恥じ入るなど増上慢にも程があった。

 

 そこまで思い至ると、一体何をやっているんだと火付きの悪い考えが湧いてきた。だが同時に、引いては何もならぬとも思った。

 

 この勝負は無意味な戦いでしかない。だが、戦わなければこの男は引かない……わざと負けるわけにもいかない。そもそも負けてしまえば左之助に喧嘩代行を依頼した二人が卑劣な手を道場に伸ばす。

 

「だが、そろそろ終わらせるべきでござろうな……この戦い、拙者にとっても道場の二人にとっても無意味に過ぎる」

 

「つれねぇ話だ。腕に覚えがあるんだろうに、盛り上がっちゃこねぇのかい」

 

「それほどに喧嘩が好きでござるか」

 

「ああ、喧嘩の世界はわかりやすいからな。強いか弱いか、勝ったか負けたか……だけど、あんたら維新志士の作った今の時代はごちゃごちゃしている上にいう事がころころ変わりやがる。正しいも間違えてるも明治政府ひいてはあんたら維新志士の都合で真っ逆さまの摩訶不思議……振り回されて生きてきた俺は、それが好きにはなれねぇのよ」

 

 二人の間の空気が奇妙に濁った。

 

 闘争にかき回されていた空気が、双方が期せずして作り上げてしまった沈滞に落ち込んで淀んでしまっている。そんな空気が作り出されていた。

 

「……それは、お主の背中の悪一文字に関わる事か」

 

「まぁな。だが、それは維新志士のあんたには言いたくねぇし、聞いたところで無意味な話に口を割らせるほど野次馬根性持っているわけでもないだろ」

 

 明治維新とは日本の歴史上一大変換期の一つである。

 

 その大きな変化は歴史上でも特筆すべき大きな動きだったが、だからこそ実際の政府の方針や政策は様々な問題点を孕んでいた。

 

 何しろそれまで主流であった徳川幕府を大きく締め出した一種の革命政権である。不手際も多く人材不足、国際法などにも疎く成熟した政府だなどとは到底言えない。である以上、急激な変化も相まって政策の犠牲となった民衆も数多いのだ。

 

 それを顧みることない維新志士もいれば、幕府のままでいるよりはよかったのだと目を逸らす者もいる。

 

 相楽左之助もまた見てみぬふりをされたうちの一人なのだろう。

 

「……だから維新志士である拙者を倒したい、か……詳しくは語ってもらえないか」

 

 維新志士に維新志士なりの苦労や苦悩があった事は間違いないのだろうが、それを免罪符にして納得してくれるのはよほどの阿呆以外にはいない。

 

「……まあな。話してどんな顔で何を言われたって腹が立つに決まっている。そもそも、ここであんたに身の上を語ろうが、それでなにがどうなる? あんたの一言で維新政府の歴々が動いて事が解決するのか? それはそれでふざけるなって話だ。それっぽっちの安い話で俺たちゃ踏みつぶされたのかって逆に腹もたつ。じゃあ、明治政府に反旗を翻して、先の西南戦争みたいなマネを繰り返すか? それなら最初から鹿児島に行っているさ……」

 

 薫にしても弥彦にしてもただの一般庶民であり、政府に何をされたという感覚はない。平成、昭和の庶民のように情報過多で穿った見方をするわけでもない。だから左之助の言っている事が理解できなかった。

 

「結局、どうやってケリをつけていいのかなんて俺にだってわからねぇ。わからねぇから、せめてあんたに勝ちてぇ。何をどうしていいのかも分からず、だけどなかった事にもできず燻っている毎日から、せめて一歩前に出られるような気がするんでな。わりぃがその為にはそこらの腐った偽維新志士なんかじゃない。最強の維新志士である人斬り抜刀斎からの勝ちが必要なのよ!」

「…………」

 

 子供の八つ当たりと言ってしまえばそれでおしまいだ。

 

 だが、そんな言葉で踏みつぶしてしまえるはずもない。

 

「……わかった。決着を付けよう」 

 

 静かな声に一体どんな決意や感情が籠められているのか。ただそれ以上は何も言わず、あるいは何も言えずに剣心は刀を構えた。

 

 左之助にもむろん否やはあろうはずがなく、彼もまた構えた。拳と刀、双方が再びの交錯を予感させて空気に張り詰めた糸の緊張感が甦る。弾ける瞬間を待ちかねている二人の隣で、緊張感に耐えかねた誰かが息を呑んで後ずさった足音がした。

 

 次の瞬間、二人は一気に弾けた。

 

「おおおおっ!」

 

 剣心の刀が弧を描いて左之助を打ち据える為に高速で飛来する。

 

「うらああぁっ!」

 

 そして迎え撃つ左之助の両拳も、剣心を骨まで抉りこもうと縦横無尽に四方八方から襲い掛かる。

 

 どちらも素人の目どころかそこらの玄人どころでも見えない程の高速連撃、正に意地の張り合いというべき攻防。ここで譲っては一挙に負けを喫すると考えた二人は気合で負けるかと言わんばかりに声を張り上げて、さらに加速した両雄の攻防が交錯する。

 

 左之助の両拳と剣心の逆刃刀が共に相手を凌駕する為に様々な軌跡を描き、時に肉を抉り時に髪の毛一本の差で躱された。その交錯に周囲はただ口を開けて見守るのみ。

 

 度肝を抜かれている一同は、左之助がここまで剣心に食い下がれるとは思っていなかった。

 

 何をどう言おうとも、人斬り抜刀斎の雷名の前に喧嘩屋一匹など霞んで同然。双陣営、互いに期待も不安もあれど結局最後は剣心が勝つという結論に疑いを持っていなかったが、蓋を開けてみれば剣心にまぎれもなく見事な痛撃を浴びせている。

 

 光成は範馬の弟子であるかもしれないと期待をかけている為に例外だが、ネームバリューで既に期待感はなかった。

 

 蓋を開けてみればよもやの結果に大男が唖然として小兵にお伺いを立てている。

 

「あ、兄貴……斬左の奴これ、もしかして勝っちまうんじゃないか……?」

 

「馬鹿言え! あれだけボロボロにされてもせいぜい一、二発当てただけで勝てるわけがあるか! どうせ最後は抜刀斎が勝つに決まっている!」

 

 ちなみに彼らは左之助に喧嘩を依頼した側である。お互いにどうにもこうにも困った間柄だった。

 

「ここはやはり儂の策通りに……」

 

 こそこそと言っている二人を光成はどうにも冷めた顔をして眺めていた。せっかく面白いところだと言うのに、冷や水をかけられた気分もいいところである。

 

「策だなんだと……どうにもつまらないマネをしそうじゃの……儂の時代だったら何とでもしてやるところじゃが……この喧嘩、どうケリがつく事やら」

 

 よく見るつまらない欲ボケの形相にため息さえ出てこない光成の白い眼差しなど知る由もない二人組は、いかにも胡乱な表情であくどい事を考えている様子だった。正に時代劇で毎週繰り返しやられる小悪党の鑑のようである。

 

「まったく、少しはこの二人を見習えと言うに」

 

 そんな小悪党どもに比較して、なんと見事な立ち合いを見せる男達であろうか。

 

 緋村剣心、相楽左之助。

 

 果たしてこの奇妙な邂逅が夢か幻かはどうでもいい。何よりもまず素晴らしい勝負ではないか。

 

 光成の価値観からするとどうにも左之助に肩入れしたくなるが、彼とて日本人。侍という言葉、日本刀という武器には思い入れがたっぷりとある。正直、どっちが勝っても負けても満足である。

 

 どっちが勝とうがどうでもいいのではなく、どちらが勝っても素晴らしい勝負に出会えるのは、きっと稀なる幸運に違いない……のだが、それを汚しかねない無粋の見本にはうんざりとする。これが光成の生きる平成の日本であればどんな手段を用いてでも取り押さえてやったところだ。

 

 いや、それ以前にこれほどの名勝負を台無しにするなど当事者含めてそこら中から叩きのめされてしかるべき愚行である。

 

「これほど見事な勝負を前にしてもなお詰まらん事を考えるもんじゃ」

 

 交錯する両雄は見事な超人技を披露しており、光成にとってその値千両万両と言えるお宝だ。よくも俗な願いを優先できるものだと感心さえする。価値観の違いというものは時としていかんともしがたい。

 

 そんな外野など知った事ではないと左之助も剣心も互いに集中していた。少なくとも、左之助はそうだった。剣心はともかくとして自分で言っていたように左之助にはこの勝負に入れ込む明確な理由があるのだ。

 

「しゃあッ!」

 

 しかし、それは気負いを呼んだのだろうか。左之助が繰り出した拳の中に、一つ大ぶりで雑な打ち下ろしが混ざった。

 

 無論のこと、それを見逃すような剣心ではない。雑な打ち込みを霞のように躱しながら、出来上がった隙へと吸い込まれるように鋼の光が残像を引いて振るわれる。

 

 ごしい、という音がした。

 

 振り下ろされた袈裟懸けが容赦なく左之助の肩に食い込んだ音だった。

 

「やった!」

 

「すげぇ音がしたぜ、あれならいくら頑丈なあいつでも立てねぇ!」

 

 歓声が上がる。

 

 これでこの勝負もようやく終わると喜びの声を上げる少年少女だったが、剣心はその声に応えられなかった。代わりに左之助のしてやったりという雄叫びが響く。

 

「捕まえたぜぇッッ!」

 

 なんと左之助は一撃打ち込まれて怯むどころかその場で剣心の小柄な体を鷲掴みにして捉えたのだ。両手で頭を抱えるようにしてがっちりととらえる姿はムエタイの首相撲に似ているが、正に肉を切らせて骨を断つ。これもまた、剣心の持つ刀が逆刃刀だからこそできる無茶な勝負だった。

 

 こうなると小兵の剣心は一気に不利となる。

 

「今の大振りはわざとか……!」

 

「こうでもしねぇとあんたは捕まえられねぇ。頑丈さには自信があるし、踏み込んで鍔元じゃ刀の威力は出ねぇからな。勝負に出る価値はあったぜッッ!」

 

 左之助の得意そうな説明に薫は漸く気が付いたようだったが、左之助は打たれる瞬間に躱そうとはせずにむしろ一歩踏み込んで刀を受けたのだ。

 

 打撃であろうと斬撃であろうと力が最も乗る個所というのは必然的に存在する以上、そこからずれれば威力は比例して下がる。威力があるのは外側であり、内に行けば行くほど威力は下がる。

 

 誰でもわかる理屈だが、逆刃刀と言っても達人の持つ日本刀の攻撃に突っ込んでいくなど正気の沙汰とは思えない命知らずである。

 

「そこまでして勝ちたいか、斬左……!」

 

 影となって誰にも見えない剣心の顔は悲痛でさえあった。だが、左之助は対照的なほどあっけらかんとしている。

 

「あたぼうよ。さっきも言ったじゃねぇか、最強の維新志士に勝ちたいってなぁッッ!」

 

「最強の維新志士に勝つ……その為なら、なんでもするのでござるか」

 

 肉を切らせてなんとやらまでやる左之助の覚悟に対して剣心は無残ささえ感じて寂寥感を抱いたが、左之助にしてみればまるきりの見当違いだ。

 

「何でもとは言わねぇが、この程度は当たり前だろうがッ! 強すぎてその辺ずれてんじゃねぇのかッ!? 抜刀斎ッッ!」 

 

 売られた喧嘩と売った喧嘩、胸に帰するものに差がありすぎた。

 

 いや、それ以前の問題か。

 

 光成の見たところ、左之助はこの喧嘩を純粋に楽しんでいる。最強の維新志士に勝利する事に対する思い入れこそあれど、それ以前に戦いそのものを純粋に望み、楽しんでいる姿は彼の知っている格闘士たちと何も変わらなかった。

 

 強くありたい、強くなりたい、その蓄えた力を思う存分奮う機会が欲しい。

 

 今、敵わないかもしれない格上の相手に存分に拳を振るう喜びを一挙手一投足に感じた。

 

 だが剣心は、不真面目でもなければ手を抜いてもいないだろうが剣を振るう事に充実感など一つも感じてはいないようだった。戦う事に対して興奮や喜びなど一つも覚えず、彼が抱いているのはむしろ疑問や悲哀などの湿っぽい感情に思える。

 

 もちろん勝手な憶測にすぎないが、いずれにせよモチベーションに差がありすぎた。

 

 それは左之助も感じていた。身勝手に売った喧嘩、相手のやる気にケチをつけるなどお門違いだろうが……身勝手ついでに全くやる気のない剣心がどうしても腹立たしい。

 

 その違いを振り払うように、左之助は首を支点に剣心を振り回した。

 

「ほう、首相撲か!」

 

 ムエタイの首相撲とは少し違うようだが、せいぜいが個人差程度の違いだ。やはり彼の師匠というのはただ者ではなく格闘技の知識が深い……それも時代を考えればあり得ない国際的な知識が豊富なようだった。それとも……天才的なセンスがたまたま技法にたどり着いたのか。

 

 あの男の先祖であるのならば、こと闘争に関する限りどんな理不尽も“範馬だから”有りに思えてしまう。

 

「ぬううぅ!」 

 

「剣心!」

 

 苦悶の声に、甲高い悲鳴が重なる。それらをかき消すように肉と肉がぶつかり合う太い音が空気をかき回す。

 

「おらぁ!」

 

 天を真っ直ぐに突き上げるような膝蹴りを繰り返し剣心に打ち込んでいる。その音が一呼吸ごとに重く響いた。

 

 重く、鈍い音はそのまま威力を物語る。膝で人を蹴るという攻撃をこの国の住人は知らず、その重たい音と剣心の声も出せない苦悶の表情に顔色が白くなる。

 

 鳩尾、脇腹、腹と危険な箇所に鋭く突きこまれる膝に、剣心は痛みと驚きを感じていた。

 

 蹴りという攻撃、更にその中でも膝を使うという技、首を捕らえて組打つという形の技法全てに驚くほどの斬新さを感じる。

 

 仮にも剣術一流派を学んだ身として組打ち術も知らないわけではないが、こんな技は初めてだ。大体にして剣術の中にある無手の技は戦場において活用するものが前提であり、蹴り技もなければこのような組み技もほとんどない。

 

 投げる、崩す、打つ、悉くの全てが最終的には刀で相手の首を掻き切る為の技だ。一瞬で相手を倒し、即座に首を斬るようでなければ、乱戦では第三者に後ろからばっさりやられてお終いだからである。

 

 このように、がっちりと一人の相手をとらえて離さないという技は異質だ。ましてやそこに蹴り技を加えるなどと、一対一を追求した結果の技とも言える。

 

 飛天御剣流は戦場で練られた剣術であり、それはそのまま多対多、多対一という状況に直結する。正に相反する状況の為の技であり、今この瞬間の為の技だ。

 

 だが、飛天御剣流が多対多の剣術だとしても一対一に通用しないわけではない。いや、通用しないなどとしみったれた話ではなく、このような状況下でも確かに実力を発揮して勝利を掴み取る剣術なのだ。

 

 幕末の人斬りを驚愕させている喧嘩屋であったが、彼はことさらに薄い剣心の胸板に固い膝を打ち込みながら欠片の油断もしてはいなかった。相手は知る人ぞ知る人斬り抜刀斎、彼がただ遠くから戦場を客のように眺めて震えていた子供の頃には既に戦い抜き、生きた伝説となっていた男なのだ。間違いなく、すぐさま対応してくるに決まっている。

 

 確信めいた反撃の予感に今か今かと身構えていた左之助だったが、一発、二発、しかし三度目に痛みと共にもっと固く異質な音へと殴打の鈍い音が変化する。

 

「ぐお!?」

 

 蹴りを打ち込む側の左之助が呻いた。

 

「刀を盾にしたのか!」

 

 舌打ちをする鋭い眼が見たのは、胴と膝の間に入り込んだ鋼鉄の棒だった。鎬を膝にぶつけるように盾としているのを見つけて舌打ちをしたが、それは膝蹴りを防がれたからではなく。この期に及んでも刃をたてずにいる剣心の意思だった。

 

「いつまでもちんたらと……いい加減に本気で勝負してもらいたいもんだなぁ!」

 

 それに対し、怒りを込めた肘を剣心の脳天目掛けて振り上げた。これだけ打ち込んでもまだ譲らない意思を強いと認めるか、それとも自分が嘗められていると感じるか。

 

 左之助は彼我の間に横たわる大きな格の違いを理解しているからこそ後者だと判断した。本気であるなら、自分の力を嘗めているのでなければこの密着した間合いから剣客である剣心が抜け出すには刃を使う以外ないのだから。

 

「先ほども言ったが、今はこれが拙者の本気。二度と人は斬らぬという誓い。それを証明するためにもこの勝負を負けるわけにいかぬ!」

 

 これまでで一番強い意志の籠った気迫の言葉と共に、左之助の鳩尾に強烈な衝撃が走り、息が詰まった。肘が止まり、片手になっていた事で緩んでいた拘束から剣心がついに抜け出した。

 

「ぐっ……」

 

 左之助は脳に染み込んできた痛打の感触から見えない攻撃の正体を予測した。

 

 痛みの感覚は小さく鋭い。拳のそれではなくもっと小さな何かを突きこまれたのだ。真っ先に思いついたのは切っ先だったが、長い刀の先端を突きこむには密着している間合いが近すぎる。となると他の手段は刀を殊更に短く持ったか、柄や鍔でかちあげたかだ。普通に考えれば後者、特に細く抉りこまれた感触からして柄と見た。

 

「そういや忘れていたぜ……鍔迫り合いの際には柄で相手を押したり小突いたりするのは基本だったな……」

 

「お主こそ強すぎるおかげで、これまでそれを知る必要はなかったと見える」 

 

 語る剣心の声はどこかひび割れている。

 

 数発入った膝蹴りがよほどの痛苦だったと知らしめているが、同じように左之助もまた一撃で大きな痛手を受けていた。

 

 胴体部最大急所である鳩尾に刀の柄を深く抉りこまれたのだから、場合によっては死んでいても不思議ではない。だが、人を殺すつもりは公言しているからこそないと言い切れる……この痛打も左之助ならば死なないと確信しているからこそだろう。

 

 だが、これでまかり間違ってしまったらどうするつもりなのか光成は意地の悪い事を考えた。

 

「強すぎるねぇ……確かにどいつもこいつもちょいと小突き回しただけで吹っ飛んでいっちまうような弱っちぃ奴ばかりよ。全く、ずっとどこかにいい猛者がいねぇか探していたところさ……待っていた甲斐はあったな」

 

 にやり、と左之助は口元を綻ばせる。

 

 彼が心からこの勝負を愉しんでいるのは明らかだった。

 

 維新志士に対して心の底から淀んでいる怒りはあるが、それと同時に喧嘩を愉しんでいた。

 

 五体に刻み込んだ技と力を全霊で奮う事にゆがみも淀みもない清々しささえ感じる喜びを見せていた。

 

 その姿に、薫は上達を願い一心に剣を振るって汗を流す少年たちを見た。そう、ちょうどいま彼女の隣にいる弥彦の日一日と強くなることだけを願う真っ直ぐな姿に似ていた。

 

「あんたはどうだい? 俺は伝説の人斬りの相手として、どんなモンだい。ちっとは楽しませてやれているか?」

 

「あいにくと、喧嘩を愉しむような趣味はないでござるが……強さで言えば、かつての幕末でもそうはおらぬだろう。今のような太平の新時代にお主のような男がいるとは思ってもみなかった」

 

「ああ?」

 

 左之助は若い。

 

 新時代の明治においてこの若さでありながらも飽くなき意思で強さを追い求めている男がいるなど、剣心は考えてもみなかった。

 

「斬左、お主の力と技が生中な修練では身につかぬ事はよくわかる。だがお主、なぜそこまで力を求めたでござるか。今は明治、動乱の時代である幕末の頃にならばともかく、この時代にお主のような若者が力を求めて」

 

「つまんねぇ野暮言うねぇ……あんた、剣を振っても戦っても、楽しかった事はねぇのか?」

 

「……」

 

 答えないのは、答えられないからなのか答えたくないのか。左之助は自分の中にある燃え盛るものに若干の水をかけられたと自覚した。

 

「師匠がしかめっ面して言ってた事がよくわかるぜ」 

 

 剣心にとって剣とは殺人の手段であり、力を奮う事の喜びや強敵に勝利する充実など感じた事はない。

 

 雄敵との戦、死線を超えた事などいくらでもあるが、こりごりだと思っても今一度と思った事はない。強い敵に勝利する充実感など覚えてはいない。

 

 剣技の上達に喜びを感じた事は遠い昔にこそあったが、それ以外は……いや、決着がつかなかった相手にいつかは、という思いならばある。

 

 日ごろは忘れていても、ふとした拍子に歯痛のように甦るその思いは何度対峙しても決着がつけられなかった二人の男を思い出す度に消えずにくすぶり続けている。

 

「あんたは俺をよくわからねぇようだけど、こっちもこっちであんたがよくわからねぇな。剣も戦いも好まねぇならなんで刀を帯びてんだ。廃刀令が施行されたのに気が付かないような世捨て人って訳でもねぇだろ。自分は人斬り抜刀斎だから廃刀令なんぞ守らなくてもいいなんて言う話か?」

 

「ほ、法に関しては……逆刃なのだから大目に見てほしいところでござるが……拙者にとって、刀を振るうのは人を守る為。戦いを愉しむためでも勝利を得る為でもない、ただ目の前にいる人を守りたいがために拙者は剣を振っているでござる」

 

 なんだかんだと言っても、国法よりも自分の意思や目的の方を優先しているという事だろうか。

 

「へえ。人を守る為とか言わなきゃ危険人物だな。斬馬刀持っている喧嘩屋が言う事じゃねぇか」

 

 へらへらと笑う左之助だったが、言っている事は間違いではないおかげで剣心も居心地悪げだった。

 

 光成はこれらの話を聞いて、ふうんと息をついた。

 

 理解できないという訳ではない。

 

 武術とはそもそもが護身に端を発するとも言われている。わが身を守るために、あるいは家族を友を守るために生まれた武術も世の中にはごまんとあるに違いない。

 

 だが……この男の剣を振るう理由にどうにも納得がいかないと言えばいかなかった。ストイックや献身的というよりも、戦いを愉しむことをよくない事、と断じている節をありありと感じるのだ。

 

 これが弟子だけでなくかつて範馬と戦ったと言われている師も同様だとすれば、それは範馬の先祖も戦って詰まらなかろう。なまじ強いからこそ惜しいと思う。

 

 以前、とある喧嘩士と光成の間で現代に甦った原始人について言及した時に喧嘩士が言っていた。

 

「なんだかんだ言ってもあいつはこっち側。比べっこが好きって事ですよ」

 

 左之助はこっち側、そして剣心はあっち側、という事だろうか。一般的に考えて、むしろ剣心たちの方が正しいのかもしれない。いや、正しいのだろう。

 

 傷つけ合い、時には殺し合う事さえ厭わずに俺の方が強いと比べあう。そこにはなんら生産的な行為はなく、自分の身を守る為でさえない。生き物として、人として、間違っているのは闘争に愉悦を見出す側なのだろう。

 

 根本的に生き物は長くこの世に存在し、増える事を目的としているのだから相反している。

 

 だが、それがどうした。

 

 それが面白いと思うのもまた本能的だ。であれば、生物として正しいのだろうしそもそも正しいも間違っているもどうでもいい。

 

 しかし、剣心はそれを受け入れられないのだろう。純粋な競技まで否定するほど極端でもないだろうが、徳川の開く闘技場の事を知ればいい顔はしないだろうし、事と次第によっては妨害や停止を求めるかもしれない。

 

 まあ、それはそれで仕方がない。お互いに合わないから、離れていようと言うだけの話だ。左之助は維新志士に思い入れがあるから剣心に依頼を口実にして挑んだが、今回で互いの種類が違うとわかった以上は決着の形次第だがもう喧嘩は売るまい。

 

 ついでにわからないのは、何故剣心が刀を持っているのかという素朴な疑問だ。

 

 動乱の幕末ならともかく、廃刀令が施行された明治となれば争いを厭うている剣心は刀を置くのが自然ではないだろうか。よしんば自衛のためと言ってもこれだけ強いのであれば木刀や竹刀で十分だろうに、わざわざ峰と刃が逆転しているような奇刀珍刀を拵えてまで持っているのは一体何のつもりなのやら。

 

 所詮は動乱直後、まだまだ木刀程度では心もとないのか……そう言えばあれは人からの贈り物と言っていたか? あんなけったいな刀を作るからには相当の変人だろうが、それを官憲に目を付けられるだろうに堂々持ち続けるのは律儀を通り越している。せめて袋にでも入れるか偽装して隠し持てと言いたい。

 

 結局、彼も動乱から抜け切れず新しい時代に馴染めない徒花なのだろうか。

 

 明治という改編の時代を理解できていない光成には、緋村剣心という青年もどうにも理解できなかった。しかし行動、感性が理屈で片付かないのが人間であるのだから矛盾も間違いも当然と言えば当然なのだろう。

 

「いけねぇな。どうにもあんたにつられて詰まらねぇ話をしちまった。喧嘩の最中にぺらぺらと舌を回すもんじゃねぇし、大体お互いに昔話や人生について語り合う間柄ってわけでもねぇわな。これじゃあ空気がどっちらけだ。仕切りなおさせてもらうぜ!」

 

 左之助は顔の前で両手を交差させると、強く息を吐き始めた。

 

「カアアァ……」 

 

 そのまま両腕を振り下ろしながら最後に鋭く息を吸う。空手の呼吸法、息吹だった。

 

 それと知って習ったのか、それともただの偶然か。ここまでの左之助の見せた技は、光成の肥えた目から見て空手を基本としているように思える。もちろんそれだけではないが、打撃を中心とした武術にその筋が濃い。

 

「……ここにきて空手の息吹……なんと言うか、結構伝統派の格闘家っぽいの……範馬の弟子というなら我流の色が濃いと思ったんじゃが……いや、伝統派もこの時代ではまだまだ新興。これは個人の差か時代の差か」

 

 範馬勇次郎にしても範馬刃牙にしても、平成の時代に国家クラスとまで言われている格闘家である範馬の血族はどちらもあらゆる格闘技に精通し、勇次郎に至っては更に軍事を中心に数多の知識と技術を高度な水準で保持しているが、その上でそれぞれが独自の格闘技を磨いているのだ。

 

 光成は刃牙に対しては範馬刃牙流格闘術と適当に名付けてみたが、確かにそれは本質だけを端的に表している。

 

 対してこの男、相楽左之助は多少毛色が違うが真っ当な空手家のようにも見えるのだ。掴んで膝蹴りなど変則的ではあるが、ムエタイの専売特許ではないのだからおかしな話ではない。

 

「この時代、格闘技はまだまだ未発展。日本諸藩に門外不出の御留流という形で伝えられている武術はあれど、それが日の目を見ない時代だったはずじゃ。素手の武術は取手術や柔術、甲冑組打ち術など様々な名前で伝えられ、隠されていたと言われているが……剣術が主で素手はあくまでも添え物程度。武士と言う階級がなくなり、廃刀令によって失われた力を別の形で取り戻すために講道館柔道のような武道が生まれたとも言えるんじゃが……そんな時代に空手家じみたこの男は確かにおかしいの」

 

 だからこそ面白いと言う光成の前で二人の益荒男は正に終幕を迎えていた。

 

 剣心はあくまでも隙なく無造作な立ち姿で太刀の出所を見抜かせず、左之助はこの勝負に於いて三つ目の構えを取った。

 

「なんだよ、あの構え。まさかあのまんま拳を出すつもりか!?」

 

 弥彦が馬鹿にしやがってと吠える。

 

 喧嘩屋はそれほどわかりやすい立ち姿をしていた。

 

 腰を落とし、体を半身にして左の拳を大きく引く。弓を引くように下げられた拳を前に、剣心は幕末の頃に同じような構えをしている男に出会ったなと既視感を覚えた。

 

 同じように、光成も既視感を覚えた。今の構え、そして先程の構えと同じものを見せた男を彼は自分の所有する闘技場でよく知っていた。

 

 そしてまさか、とも思った。その男はこの分かりやすい構えから尋常ならざる特別な技を繰り出したが、まさか同じ技を左之助が……と思った。

 

「空手を使っている男じゃ……同じ技にたどり着いても決しておかしな話ではないが……」

 

 左之助と同じ構えをした男が地下闘技場で見せた技は剛体術。

 

 打撃の使う際の関節を命中の瞬間、完全に固定する事によって打撃の威力を増す、空手の極みとも言える秘伝。言うは易く行うは難しの見本であるその一撃は、繰り出された拳を術者の体重と同じ重さの鋼鉄に変えると言われている。

 

 だが、もしもあの時のチャンプと同じことをしようものならば、悪手と言わざるを得ない。

 

 ここまでの戦いで既に判明しているように、緋村剣心は速さが売り物の剣士である。左之助にしてみれば攻撃を当てることそのものが難しい相手である。

 

 剛体術はあくまでも威力を上げる技だ。むしろ、全身の関節を固定する為に攻撃そのものは隙が多くわかりやすい。

 

 もしも光成が想像したように左之助が剛体術を繰り出そうものなら、あっさりと躱されてお終いだ。それはそれで、追い詰められた選手が大技に頼ると言うよくあるパターンである為に納得のいく展開だが……

 

「……まるで、そのまま拳を打ち込むと言わんばかりでござるな」 

 

「あんたやそっちのボウズの言う通りさ。この拳、そのまま打ち込む。こいつに勝負を賭ける」

 

 馬鹿正直に答えるそれがハッタリや引っかけの類なのか。弥彦も薫も、先程不穏当な密談をしていた二人も判別ができなかった。普通に考えれば打つと見せかけて違う手を仕掛けてくるところだろうが、このおかしな喧嘩屋なら馬鹿正直な構えから、本当に馬鹿正直に拳を打ち込んでくるだけではないのかと思えてしまうのだ。

 

「素直な男だ」

 

 いや、剣心は既にそう確信しているようだった。

 

「ひねくれ者とは言われ慣れているが、素直たぁケツが痒くなるぜ」

 

 もちろんただ左拳を振ってくるだけではないだろう。打ち込むそれには左之助が決着の決め手に選んだ理由が籠められているだろう。

 

 だが必然的なそれは誰にも読めない一手だった。あまりにも左之助が明け透けすぎて、歴戦の剣心にも彼の狙いが読めない。本当にただ拳を振り抜くだけのようにさえ見えてしまう。

 

「おい、薫! あいつ本当にあそこから殴ってくるだけなのかよ。いくら何でも嘗めすぎだろ、そんなモンが剣心に当たるか!」

 

「それは私だってそう思うけど……あいつは私たちの知らない素手の武術の凄腕よ。いくらなんでもそれだけとは思えない、けど……」 

 

 そこまで凛々しかった顔が急に自信無げに変わった。

 

「なんて言うか、本当にただ殴ってくるだけのようにも見えるのよね。武術云々駆け引き云々じゃなくて本人の性格で」

 

「ああ、なんか結構頭悪げだもんな」

 

 聞こえていないつもりのようだが、丸聞こえである。左之助はもちろん、剣心も光成も緊張感を台無しにする二人に迷惑気だった。

 

「ったく、こういう茶化しがあるから喧嘩中にあれこれ舌を回すのはいけねぇ。あんた、少しはガキどものしつけをしておけよ……この勝負の後に、無事でいたらな」

 

 壊された空気をもう一度壊して作り直した左之助、ガキどものくくりに薫も入れられているような気がした剣心もそれに素直に乗った。

 

「………無論、拙者は無事に薫殿と弥彦のもとに帰る。しつけ云々は遠慮しておくつもりでござるがな。あれはあれでいいところでござるよ」

 

 両名の間の弛緩しかけた空気が今一度引き締まる。

 

 次の交錯が勝負の決定になると誰もが予感した。光成も長く地下闘技場の砂被りに座っている経験から二人は確かにここで決着をつけるという空気を感じ取っていたが、同時にそこから何かが覆る起死回生の一手を一流以上の格闘家たちは常に持っているとも知っていた。

 

 左之助の剣心もここで決着をつけるつもりはあるだろうが、双方例えこの一撃に後れを取っても諦めない。そういうものだと思っていた。

 

 だからこそ熱狂する。一人一人の格闘家たちが日ごろから磨き上げてきた全てをぶつけあう姿に光成を初めとして格闘技を、勝負を愛する人々は血を滾らせる。

 

「こういう時、侍ってのはこういうもんだったか?」

 

 緩く脱力した拳を後ろに構え、膝を曲げて若干の前傾姿勢を取った喧嘩屋が粋な笑みを浮かべた。

 

「いざ!」

 

「!」 

 

「尋常に、勝負ッッ!」

 

「……応!」

 

 剣心は左之助の古式ゆかしい名口上にらしからぬ笑みが浮かんでくるのを自覚して一瞬以下の短い時間、戸惑った。同時に腹の底から湧いてくる奇妙な熱さをこらえきれずに口を開いた時、その熱さは応、という気持ちのいい喚声、いいや鬨の声になっていた。

 

 自分でもそれに驚いていた。それは彼の人柄を知る弥彦と薫も同じだった。強さは彼らの知る中で一番だが、同時に戦いを好まない点も随一である緋村剣心がはっきりと熱さと喜びを表に出しながら喧嘩屋の仕掛けてきた身勝手な勝負を受けてたったのだ。らしくない、と言わざるを得ない一面に驚いている。

 

 だが、剣心当人にしかこれはわからなかったかもしれない。

 

 尋常に勝負、という文句そのものを示すような相楽左之助という喧嘩屋との勝負に陰惨さも惨たらしさも遠い話だった。駆け引きさえ感じられない、ただ真っ直ぐに力量をぶつけあうだけの試合は正しく真っ向勝負。これこそまさに尋常なる勝負だろう。

 

 幕末の頃に粘ついた血のような陰惨さばかりの暗闘を繰り広げていた緋村剣心、背後には主義主張どころか利害関係、恨みつらみと好悪入り混じって血の粘りを更に強く志士たちの骨の髄にまで染み込んでくるような戦いばかりを繰り返していた彼にとって、隠し切れない維新志士へのギラついた怒りや恨みこそあれそれでも溌溂とした真っ直ぐさを失っていない左之助との勝負は新鮮でさえあった。

 

 これが、左之助の言う愉しさであるのか。

 

「!」 

 

 傍から見ている第三者にとってさえ体捌きでさえ目が追い付かない程の速さで駆け抜けた剣心は、左之助の前でこれまでにない低い体勢を取った。膝を曲げて刀の鎬に手を添えている体勢は明らかに伸びあがる様な一撃を狙っていた。

 

 左之助は明らかに虚を突かれていた上に、元々彼の方が剣心よりも長身で手足も長い。素早さを活かして懐に一気に入り込まれてしまえば後にできる事は木偶のように一撃を食らう事だけだろう。

 

「おおおぉっ!」 

 

 男にしては高い声で吠えるように叫ぶ剣心は、まるで昇竜のように天へと跳躍した。全身を使った跳躍は小柄かつ華奢な剣心でも尋常ではない破壊力を発揮できる。両手で支えるように掲げられた刀身が左之助の顎をめがけて一直線に銀光を閃かせた。

 

 鈍い音がした。

 

 鉄と肉と骨がぶつかり合う、聞いている人間の歯の根に嫌な気分を残す音だ。

 

 剣心が左之助の頭よりも高く飛び上がり、観衆にのけぞった左之助が見えるようになった。

 

「やった!」

 

 弥彦の歓声は、一瞬と経たずにかき消された。

 

「まだだぁッッ!」

 

 首が吹き飛んだのではないのかとさえ思えた左之助が自らに活を入れるようにして叫び、宙に舞う剣心に目掛けて握りしめた拳を真っ直ぐに突き出したのだ! 腰の入っていない見るからに軽い拳だが、その速さは正に影も置き去り自由落下の状態だった剣心に襲い掛かる。

 

「!」

 

 水月。

 

 胴体中最大急所であり、突き込めば素手でも死に至る箇所だ。

 

 左之助の拳は狙い過たず直撃し、伝説の人斬りは吹き飛ぶのではなく威力を余さず逃せずに胃袋に伝えられて血反吐を吐きつつ左之助の足元に撃墜された。

 

 見事、一介の喧嘩屋は伝説の人斬りを打ち落としてみせた。

 

「かはっ……!」 

 

「へ、へへ……肉を切らせて骨を断つってな…」 

 

 にやり、と笑った左之助は眉間から血を流して今にも倒れそうなほどふらついていた。だが、その顔は勝利を確信して喜びに満ちている。

 

「なんとまあ……あれだけ御大層に拳を見せつけておいて、打ったのはただのジャブかい……」

 

 呆れたように口では言う光成だが、なるほどこれこそ最適解だと実は納得していた。

 

 ジャブはボクシングの基本であるが、同時に平成の格闘技界で最速の技であるとも言われている。

 

 威力は完全に度外視して、まず当てる事を主軸にした速さだけが旨の拳技はなるほど剣心には最適だろう。いや、より適切に言えばこれしかないと言うべきか。

 

「力を無視してとにかく速さだけをとことん追求したのがこの“刻み打ち”……こいつが当たらなけりゃ、もうどうしようもなかったぜ……だがいくら速さ重視と言っても何度も膝くれたところを狙ったんだ、もう限界だろ……」

 

 空気を石のような沈黙が支配する。

 

 誰もが予想を超えた展開に大きく動揺していた。腹を隠してくの字に横たわり、それでも刀だけは手放さない執念の姿を見せる剣心を信じられない思いで見つめて一言も出ない。太陽が西から上るのを見てしまったような気分だった。

 

「……そうでもござらんよ」 

 

「剣心!」 

 

 よもや命の危険が、と嫌な予感が脳裏をかすめていた薫が涙ながらに声をかければ、ゆっくりと剣心が刀を杖にして起き上がっていた。未だ膝をついての頼りない姿だが確かに生きている。

 

 それどころか、戦おうとしている。

 

 剣心の見せる執念に、左之助は驚きを隠せなかった。

 

「……あんたがこれ以上戦おうとするとは思っていなかった。理由もないんだ、そのまま寝ているかと思っていたぜ……ああ、道場の事なら聞いてンが心配すんなよ。俺は余計な手は出さねぇし、出させもしねぇ。なんなら、後で警察にしょっぴけばいい……つうか、こいつら脱獄したみたいだしな。そろそろお縄じゃねぇのか?」

 

 ふぁっ!? と間抜けな驚き顔をしているが、脱獄囚が散々目立つ面子と一緒に堂々通りを歩いていたのだから大体そんな末路だろう。

 

「それは朗報でござるが……引く気にはなれぬ……自分でも不思議でござるよ。お主に当てられたのか、結局は拙者も剣客という事か」

 

 目を丸くする喧嘩屋を他所に、ふう、と深呼吸をしながらゆっくりと立ち上がる。その動作を遮る余力を左之助は持ち合わせていないようだった。

 

「効いたでござるよ。斬られた事はある、蹴られ殴られた事もないではないが……拳法家に殴られるのは随分と珍しい」

 

 左之助は油断なく構えながらも剣心の時間稼ぎに付き合っていた。自分自身足元がおぼつかずそれしかできなかったとも言えるが、同時にそうやって力を回復させて勝利しようという意思が嬉しかった。

 

「龍翔閃を躱すどころか自ら当たりに行って威力を殺し、空中で拙者の油断を突く……確かに拙者も空中ではそうそう自由には動けんでござるから、そこであの速い拳を打ち込まれれば成程、躱すに躱せない。初見であれば猶の事……しかしそれにしても無茶苦茶でござるな。額で受けたようだが、それでもよく……」

 

 呆れたように分析を語る剣心のおかげでようやく流れを飲み込めた一同、左之助の命知らずというのも生易しい阿呆な戦法に畏怖とも呆れともとれる目を向けるが、当人は全く問題にしていなかった。

 

「峰打ちされてなおびびっていられるかよ。そんなこっちゃ真剣相手になったら息もできねぇ」

 

 喧嘩慣れしていなければ棒切れ一本でも怯える。喧嘩慣れしていても光り物を恐れなければ単なる馬鹿だ。

 

 刃が返されていようとも刀を前に顔面を晒してそれが言える左之助の肝っ玉、並ではない。正に、馬鹿を通り越した大馬鹿である。

 

「ったく、何を下らん事をごちゃごちゃと……さっさと終わってしまえ!」

 

 小声でぼそぼそと呟く小兵の事など誰一人目もくれず、彼が密かに懐へと手を伸ばしたことも気が付いてはいなかった。

 

「……そろそろ、どうだい。お互いに少しは休めたと思うんだけどよ」

 

「そうでござるな……」

 

 まだやるのかよ、という顔を弥彦はしていた。

 

 双方ともに満身創痍、弥彦とて育ちは悪く荒事と無縁な生き方をしたお坊ちゃんではないがここまで戦う執念は見た事がなかった。

 

 よってたかって私刑の的にされた誰かが泣く事も呻く事さえできずに地べたに転がっている無残な有様の姿なら何度も見たが、それと変わらない程にボロボロでなお戦う意思を捨てていない。

 

 これが剣客であり、これが闘争なのだ。

 

 そう思い至った弥彦は背筋に奔るものを感じた。

 

 尻の穴から背筋を辿って口の中で歯の根を浮かしてしまうようなたまらない感触を覚えた。

 

 戦慄というのか、興奮というのか、それともまだ少年の知らない名前の何かか。

 

 その正体を知りたいと痛烈に思った。

 

 逃げ出したくなるような、抱え込みたくなるような不思議な気持ちの正体を知る為に、剣心のように強くなりたいと幼い少年は思った。

 

「見ている嬢ちゃんや坊主にゃわりぃが、俺は引かねぇ。俺は……相楽の姓に賭けて、絶対に負けられねぇんだ……見せたくないようなもんから守りてぇんなら、今の内だぜ」 

 

「相楽の姓に賭けて、か…お主の背負った悪一文字、今の一言で少し察せられてきた……維新志士である拙者を憎む理由、負けられないとここまで体を張る意地の出所……その上で言わせてもらう。拙者は負けぬ、拙者が勝つ」

 

 左之助の眼光が凄みを増した。

 

「相楽の姓を聞いて、よくもまあ言うじゃねぇか……最強の維新志士さんよぉッ!」 

 

 彼の周囲の空気が歪んでいるようだった。

 

 喧嘩屋の中に燃え上がる怒りが実際に周囲の気温を上げてさえいるような、そんな錯覚を覚える。実際に左之助の体温は怒りを燃料にして周囲の気温を上昇させるほどなのかもしれないと、ありえない妄想を抱いてしまう程だ。

 

 だが剣心に怯みも恐れもない。忘れてはならない、彼こそ幕末最強と謳われた人斬りなのだ。

 

「相楽左之助……赤報隊の生き残り……」

 

 目は鋭く、表情は静かに、一振りの刀であるかのように冷たく左之助の怒りを受け止めている剣心が何を考えているのか、誰にも分らなかった。

 

「今度こそ、決着をつけるでござるよ……」

 

「上等だッッ!」

 

 双方、満身創痍の身の上ながらも意気軒高。己の信じる最大の武器を握りしめ、それぞれが笑う膝に力を籠めて構えた。

 

 息は荒く、内出血の痣と出血の赤が混ざり合い不気味なまだら模様を表皮に描いているが、それらを全て圧倒する最後の気迫が両人の中間でせめぎ合っている。

 

 空気の弾ける乾いた音が聞こえてくるかのようだった。

 

「……」

 

「……」

 

 喧嘩屋と人斬り、いや流浪人にもはや残る余力はなく最後は互いが自分の最も信じる一撃、自身の酷使について来てくれた五体を信じて動くだけだろう。

 

 互いが互いの呼吸を読み、自分の中に残ったわずかな何もかもを束ねて最後の一瞬を待つ。その空気に薫も、巨漢も、そして幼いながらも竹刀を背負った弥彦も格闘を愛し続ける光成も固唾をのんで見守っている。

 

 誰かの喉が、ごくりとなった。

 

「ああああぁぁっ!」

 

「らああぁぁぁっ!」

 

 双方ともに精いっぱいの力を振り絞った、正に最後の一合に武術を嗜む一同は手に汗握る。

 

 なけなしの力をどうにか形にしただけの二人は、それまでの周囲の目も追いつかない度肝を抜くような動きが嘘のように緩慢で稚拙だ。それこそ素人でもどうにか抑え込めるだけの力しか既に持ち合わせていない。

 

 だがそれでも互いを打ち倒すために彼らは動く事も出来ない疲労の鎖を断ち切り、一体どこから感じるのかさえ分からない程に至る所から五体をがんがんと突き回す痛みを振り払って前へと突き進む。

 

 剣心は冷徹に相手の急所を殺さない程度に打つという意思をもっていたが、左之助にはそんな単純なプランさえなかった。

 

 ただ、的に向かって拳を打ち込む。

 

 そんな単純な考えしか持ち合わせていなかった。いいや、考えとさえ言えないだろう。本能に導かれるまま五体の望む動きをしているに過ぎない。

 

 もっとも馴染んで力を発揮する動きをしているに過ぎない。

 

 だが、それこそが正解だ。

 

 力みも気負いもなく、骨の髄にまで刻み込んだ拳を打ち込む。

 

 それまで抱いていた怒りも恨みも全て置き去りにして、無心に繰り出した右の拳が相楽左之助にとっての一番。

 

 剣心はそれをはっきりと見ていた。

 

 自分と相手、どちらも力尽きて弱々しく鈍間な動きしかできないが眼と頭の鋭利さはまだ失っていない。だからこそ見てとれたのは相楽左之助が繰り出した拳の凄さ、素晴らしさだ。

 

 何も考えずにただ身体の赴くままに繰り出していると一目瞭然の技が日々少しずつ積み重ねた弛まぬ修練の証だと、剣心は一目で看破した。そこらの素人にはただの打ちだとしか思えなくても、武に生きる人間であれば積み上げてきた修練に感心する他ないという“こうであるべき”拳だ。

 

 対して自分はこの十年、鈍らない程度のお遊びに終始しており強さを求める修練など遠かった。

 

 かつて宮本武蔵が鍛錬とは百日千日、万日弛まず続ける事だと残したらしいが、程遠い日々。

 

 自分がそんな毎日を過ごしている間に、この青年はどんな毎日を過ごしていたのだろうか。彼の察している通りならばあの赤報隊の生き残りに違いない青年が、その無念と怒りを抱えて一体……

 

 洞察力を鍛え相手の動き、思考さえ読む事を目的の一つとしている飛天御剣流の使い手である剣心には、左之助が文字通りに無心である事がわかっている。

 

 その白さが、眩しかった。

 

 同時に、そこに泥のような汚れを付けた維新志士の過ちが嘆かわしい。

 

 だからだろうか、ここまで必死に決着を付けなければと思わずにいられないのはそういう思いからなのか。

 

 そうである気もするが、全く違う気もする。

 

 自分の内心をはっきりと理解はできないままに、緋村剣心は逆さの刀を振りかぶり……そこで、かつて慣れ親しんでいた薄汚い殺気が混ざりこんでくるのに気が付いた。

 

「!」 

 

 咄嗟に向ける目線の先に見えた黒い穴を脳が認識するかしないかの際で、剣心は自分の腕が愛刀をそちらに向けて盾にしているのに気が付いた。反射神経が意志を凌駕して我が身を守るための適切な行動をとったのだ。

 

「死ねぇ、抜刀斎!」

 

 聞き苦しい奇声が挟まったおかげで、状況を理解できる間があった。

 

 悪党二人の小兵が剣心に向かって拳銃を突きつけたのだ。

 

 ずっとこの時を狙っていたのだろう、左之助の健闘に手を出しあぐねていたのだろうが……結果として最低の瞬間に引き金は引かれた。

 

「剣心!?」 

 

「いやああぁっ!!!」

 

 乾いた音、紫煙を吐く銃口、突如あらぬ方向にのけぞった剣心。様々な情報が一緒くたに少年少女の目を通して脳に事実の認識を突きつける。

 

 彼らの口から悲鳴が突き出たのは必然だった。

 

 だが、相手は腐っても人斬り抜刀斎。

 

 幕末の剣林弾雨を駆け抜けてきた男が、満身創痍の上に不意打ちとは言ってもこんな男の無造作な銃撃に沈むだろうか?

 

 答えはもちろん、否である。

 

 じゃりじゃり、と草履履きの足が河原を削る音に誰もが目を見開く。小兵に鋭い眼光が突き刺さり、緋村剣心の健在を伝えた。

 

 刀の鍔に弾丸が突き刺さり、真っ二つに割れたそれぞれが共に落ちた事で何が起こったのかがようやくわかる。

 

 少年たちの顔が歓喜に輝いた瞬間……

 

 左之助の最後の拳が剣心の顔面を打ち抜いた。

 

 ただでさえ小柄な剣客は藁のように崩れて地べたを嘗めた。そのままピクリとも動かない剣心に誰もが呆然として悲鳴も上がらない。認識が最も追いついていないのは、ただ無心に拳を振るっていた左之助だった。

 

「……あ?」

 

 いきなり奇妙な動きをした剣心に自分の拳が会心の当たりをした。

 

 左之助がわかっているのはそれだけだった。卑怯な横やりなど彼の眼には入っていなかった。

 

 仮に狙われたのが左之助であったなら、彼の人生はここで終わっていただろう。狙撃銃撃、奇襲に罠が当たり前の戦場を闊歩した人斬りと喧嘩屋の違いが浮き彫りになった結果だった。

 

 左之助はまず自分の拳を信じられないように荒い息で見下ろすと、そのまま周囲を見回す。呆然とした顔は、彼が何もわかっていない事を如実に表していた。

 

 その顔が、拳銃を前にして一変する。

 

「てめぇ……比留間ァッッッ!」 

 

 このワンピースで何が起こったのかを把握する事など誰でもできる。想像力の欠如している人間でもわからないはずがなかった。

 

 ぎりい、と酷い音がする。

 

 左之助の歯がきしむ音だった。そういう音をさせる恐ろしい表情で、彼は一歩ずつゆっくりと小兵に近づいていた。彼の背後で少年少女が青い顔をして剣心に駆け寄っているが、巨漢も含めた三人共に意識の外だ。

 

「つまらねぇ水を差してくれたなぁ、この糞野郎がぁッッ!」

 

 拳銃が目に入らないかのように堂々と仁王立ちする左之助は仁王どころか鬼の形相だが、比留間と恨みと怒りのごちゃ混ぜになった熱い色の感情をぶつける場所と自ら成り果てた阿呆はその怖さを理解できないように笑った。

 

「それに乗じてきっちりぶん殴ったくせにいまさら何を言うか! 手助けしてやったんだから、礼の一つも言ってほしいところよ!」

 

 彼の隣に立つ巨漢は自分よりもよほど細くて小さいぼろぼろの男が発散する怒りに怯え切って総身が瘧のように震えているが、それに気が付いていながらもなお勝ち誇り、笑っている。

 

「てめぇみたいな下種野郎の物差しじゃその辺がせいぜいか? ゴミ屑と一緒にするんじゃねぇよ!」

 

「ほざけぇ! 素手で銃弾をしのげるか! この距離なら絶対にはず……」

 

 左之助との距離、拳銃はともかく拳でも蹴りでも程遠い。

 

 斬馬刀は剣心との勝負最中に手放しており、今となっては足元に転がっている。なるほど比留間の言う通り左之助と言えど銃弾を素手で受けも躱しもできるまい。

 

「ぼげぇ!?」

 

 だが、醜い悲鳴を上げたのは比留間の方だった。

 

 宙を舞い、顎を変形させて血を吐いている彼の意識がないのは明らかで我が身に何が起こったのか当人には分らないだろう。

 

 最も、他の面々にとっては一目瞭然だった。

 

「斬馬刀の柄を踏んだ!?」

 

「なんちゅう横着……」

 

「あ、あにきぃ!!」

 

 足元に転がっていた巨大な斬馬刀の柄を無造作に踏みつけると、でこぼこの河原という事もあり梃子の原理で見事に跳ね上がったのである。

 

 左之助にしてみれば、その先端が見事に拳銃を突きつけていた不逞者の顎を跳ね飛ばしたのはもちろん計算ずくだったがどうにも間抜けが過ぎる絵柄だと笑う気にもならなかった。

 

「おい」

 

「へ?」

 

 おろおろと小さすぎる兄貴とやらを抱えている大きすぎる弟に一応一声かけてから、脳天に斬馬刀の鎬を叩きつけて有無を言わせず気絶させるとひどく寒々しい気分でため息をついた。倒れる二人の顔が間抜けに過ぎるのもそれに拍車をかけている。

 

 彼の背中はまるで砂漠のように乾ききった虚しさを滲ませており、一部始終を見ていた光成は大きくため息をつくと半眼でゴミを見るような眼差しを元凶の二人に向けた。これほどの名勝負、下劣な横やりで台無しにするこの二人組にほとほと嫌気がさしたし怒りを抱かないわけがない。

 

「お主の……勝ちのようでござるな……」

 

 そんな寒々しい背中の悪一文字にどんな顔をして何を言えばいいのかさっぱりわからないのは複雑な立場の神谷道場二人組だったが、いまいち聞き取りづらい声が彼ら以外から掛けられて血の気を顔に戻した。

 

「剣心!」

 

「無事だった……でもねぇか、顔がこぶとり爺さんみたいになってるぞ」

 

 顔を真っ赤にして、少女など涙を大きな瞳からぽろぽろとこぼして喜んでいるが剣心の顔を見ると揃って渋面になった。大体、弥彦が言った通りだからである。

 

「ははは、大体喋りづらいでござるが……まあ、そのくらいで済めば御の字でござるよ」

 

 ゆっくりと身を起こして顔を触り、腫れあがった頬を顰める剣心に罵声に近い声が左之助から浴びせられた。

 

「ふざけんな! こんな勝ち方納得できるか! 続きだ、立て! 立てねぇならもう一度怪我を直してから再戦だ! あんたにだって負けられねぇ理由があるって言っていただろうが!」

 

 左之助のセリフは光成にとっては納得のいく尤もなものだった。

 

 このふざけた形で終わった勝負、あまりにも惜しい。不完全燃焼という言葉はまだ明治にはないだろうが、この勝負に納得がいかないのは左之助だけでなくむしろ地べたを嘗めさせられた剣心のはずだ。

 

 それは光成にとって当然の話だったが、同時にこの奇妙な剣客がそれを良しとはしないだろうとは顔を見れば察せられた。

 

「……それはもうなくなったでござるよ」

 

「ああ!?」

 

 そろそろ破落戸になってきた左之助だが、さすがに今の剣心を見ると強気にはなりきれないらしく自分自身の疲労や怪我の程度もあってそれ以上躍起にあるわけにはいかなかった。おそらく持ち合わせていないだろうが、仮に持っているとすれば彼の辞書にも恥という文字は存在するのである。

 

「……維新志士に恨みを持つお主……相楽という姓……お主は赤報隊の生き残りであろう?」

 

「…………」

 

 勢いを失くした左之助だったが、その隙を突くようにガサツそうな彼の数少ない繊細な部分に触れる核心を口にされてしまい更に口を閉じた。徒に貝になるような男ではないが、それでも口にするには憚られる話は誰にでもあって当然だ。

 

「赤報隊? 薫、それなんだ?」

 

「え? ……ええっと、赤報隊っていうのは幕末に……」

 

「偽官軍の汚名を付けられてしまった政府の正式な部隊でござるよ、弥彦」

 

 まるで細君のように自分を支える薫に言わせるには気が引けた剣心は、事を知らない幼い少年に含みのある分かりづらい言い方で教えた。

 

「偽官軍!? なんだ、悪党かよ……ってあれ? 政府の正規部隊で偽官軍? ええっと……」

 

 含みを理解した弥彦が混乱している前で、左之助と剣心がそれぞれの表情で見つめ合っている。見ている薫には、何か事情に通じているからこその理解と同時に、薄くも強固な壁のようなものが二人の間にあるように思えた。

 

 先程まで丁々発止にやり合っていた二人だからか、まるで剣の試合で切っ先を突きつけ合っているような、そんな緊張感を感じる。

 

「どういう事なの? 私は確か、維新の最中に勝手に年貢半減令だかを触れ回って混乱を招いたせいで処刑されたって聞いたけど……」

 

「なんでそんなモンを勝手に触れ回らなけりゃならねぇんだ」

 

 声を荒げはしなかったが、内心が如実に表れている仏頂面で喧嘩屋は無造作に薫を遮った。

 

「え……」

 

「総督府に命令されなけりゃ、そんな真似はしねぇってェの」

 

「え? 総督府? え?」

 

「本当に悪党の偽官軍なら、年貢半減令なんて触れ回らねぇでもっと違う事するもんだろうが。徴発とかな」

 

「う、ううん……」

 

 ぶっきらぼうで様々に不機嫌さを露わにしている左之助だったが、何も知らない薫に直接怒りを向けるつもりはない。彼の器に剣心は安心したように口元を微かに綻ばせた。

 

「赤報隊は元々偽官軍などではなく正式な政府軍の一員でござったよ」

 

「ええ!?」

 

 今知ったばかりの弥彦はともかくとして、それまで当然と思っていた事実が実はまるきりの嘘八百だった知って素っ頓狂な声を上げた。それを見た弥彦が若い娘のする顔じゃねぇな、とませた事を言っている。

 

「俺たち赤報隊は当時、政府軍の命令で年貢半減礼をそこら中に触れ回っていた。国民を味方につける為に人気取りの手段としてな」

 

 舌打ちと同時に目いっぱいの軽蔑と恨みつらみが左之助の鋭い眼に籠められているのを見てとり、薫は息を呑んだ。

 

「だが、所詮政府軍はそんな命令を支えるだけの金はなかった。そりゃそうだろ? 官軍だの政府軍だのいった所で、結局は昨日までは薩摩、長州の田舎侍の集まりなんだからよ」

 

 偏見ではあるが、維新という革命を起こした彼らに……いいや、日本そのものに安定した財源など望むべくもないのは確かだ。

 

「言うだけ言って、実際にはどうしようもなくなった連中は俺たち赤報隊に全部押し付けたのさ……ご丁寧に偽官軍の悪党なんて看板まで背負わせてな。俺たち赤報隊は元々農民や商人の出が多いから、切り捨てるにも面倒がなかったんだろうな……」

 

 傍で聞いていた光成はふうむと腕を組んで鼻息を吹いた。昨今では件の年貢半減令は施行前に既に取り下げられており、赤報隊がそれを聞かずに触れて回ったという説も出ている。

 

 命令書や実際の行動の日付などでそのような説が考えられたらしいが、こうやって当事者から通説が真実であると聞くと何とも言えない気分になろうというものだ。

 

 歴史の事実というものの前には後の学者が繰り広げる仮説や推察は時として滑稽で見当はずれになるものも多いが、その中には楽しめる物と楽しめない物がある。今回のそれは悲劇が芯にあり、どうにも楽しめない類で……ヨモギを噛みしめるような苦さだけが口の中に残る。

 

 淡々とした様子にも拘らず、左之助からにじみ出る雰囲気がそうしていた。

 

「赤報隊の件に拙者は直接関わっておらず、あくまでも人づてに聞いた話に拙者の推測交じり……だがお主の言動からして外れてはいるまい……ならば、お主の怒りは正当なものなのだろう……同時に、今の時代晴らしようのない怒りでもある……それがわかっているからお主は鬱屈していた……違うでござるか?」

 

「…………」

 

 左之助は何も答えなかった。

 

 しかし否定の言葉を返さなかった分、彼の本音はよくわかる。

 

 巷に流布する醜聞を覆そうにも、その知恵も力もない。

 

 明治政府に喧嘩を売るだけの力もなく、犯罪に走るほどの悪漢にもなれない。かといっても忘れるなんてできるはずもない。宙ぶらりんの自分を持て余していた。

 

「そんなお主が拙者に勝ってしまったらどうなるか……それで気が済めばよし、そうでなければ……そう思えば、拙者も負けるわけにはいかなかった……」

 

 緋村剣心と戦う、その結果彼の鬱屈が発散されればいい。だが左之助の鬱屈に拍車がかかり暴発した結果どうなるか……戦う中で左之助の力量が彼の想像を上回る度に危機感は増した。

 

「維新志士だとしても……いいや、維新志士だからこそ拙者にはお主を止めねばならんでござるよ。赤報隊に悪名を背負わせた維新志士だからこそ……生き残りのお主をそのような道に進ませてしまえば……拙者、赤報隊の諸氏に申し訳が立たぬにも程がある……」

 

 それは偽善である。

 

 顔も見た事のないと明言している相手に、その汚名を被せた一派の一人である男が汚名を晴らしもせず、晴らそうともせずによくもいうものだ。

 

 恥知らずの偽善以外の何物でもないだろう。

 

「……あんた……まさか、赤報隊の為に負けられねぇって言ってたのか!?」

 

 だが、赤報隊の看板の事など左之助は全く考えていなかった。よりにもよって維新志士にそれを教えられたのが衝撃的だった。

 

「最強だなんだと言われても拙者とて所詮は人斬りに過ぎない。おまけに今となってはただの流れ者。政府を動かし赤報隊の汚名を晴らす事など出来ず、かと言って維新志士を怨むお主を放っておくこともしたくはない……さりとてただ拙者が殴られればそれでよいという話でもない。そんな真似をすればお主はただただ怒るだけであろう? であれば、体を張って受け止める事しか思いつかなかったのでござる」

 

「………」

 

 まるで自分がガキであるようにしか思えない。左之助は自分が癇癪を起してあやされているガキのように思えてならなかった。

 

「だが斬左、どうやらそれは杞憂であったらしい」

 

 剣心は痛々しくはれ上がった顔を歪めた。一応、微笑んだつもりらしいが傍で見ていた薫が一瞬肩を震わせるような笑顔である。

 

「お主はこの勝負の中で、あくまで真っ向からのぶつかり合いにこだわり抜き、そして戦い抜いた。卑怯な振る舞いは一切なかった。お主の真っ正直さに比べれば、確かに我々維新志士の方がはるかにえげつない」

 

 勝たなければならない。

 

 勝てば官軍、という言葉はちょうどこの明治期……正確には戊辰戦争の頃に生まれた。将来的に勝ちさえすれば過程はどうでもいい、という風に曲解されることが多くなる言葉だが、そんな誤解を招くほどに勝利という結果は過程をねじ伏せる力を持つ。

 

 勝つためならば何をしてもいい。

 

 勝ちさえすれば、卑怯卑劣は全て帳消し。

 

 ある意味真理とも言えるが、左之助は剣心との勝負において悉くその論理に逆らい続けた。剣心は、そんな青年が自分の危惧するような暴走はしないだろうと確信できた。

 

「であれば、もはや剣を振るう理由はない。御覧の通り、しばらく立てそうもないし……ここは大人しく負けを認めるでござるよ」

 

「…………」

 

 悔しさなど微塵も見せず、むしろ安心したとでも言いたげなほっとした表情を見せる剣心に左之助は正に苦虫を噛み潰して歯ぎしりせんばかりだ。渋面の見本を見せつけ、彼はその場にどっかりと胡坐をかいた。

 

「ああ、くそったれ! 俺の負けだッ!」

 

「……おろ?」

 

 剣心、薫、そして弥彦と神谷道場の面々はきょとんとしているが……第三者として勝負の一部始終を見ている光成はさもありなんとうなずいた。

 

「そりゃ、こんな形で勝ちを譲られたら男として突っ張らざるをえまいよ。気の毒な話じゃ」

 

 わかっていない間抜け面を三つ並べている辺り、緋村剣心という男はやはり剣客として武術家としての精神を持ち合わせていない……あるいは未来においては兵士のような側面が強いのかもしれない。

 

 勝ちは掴み取るものであり、そうでなければせめて盗むものだ。あるいはそれ以外、様々に手に入れる形はあれども……はいどうぞと譲られる場合だけはあり得ないのだ。

 

「元々峰打ちされていたようなもんだし、それでこれだけぼこぼこにされりゃ本当なら滅多切りのなますだったんだッ! その上とどめの一発もどさくさ紛れで、おまけにこんな事を言われっちまったら口が裂けても勝ちだなんて言えねぇよッ! 喧嘩売ってきた相手にどんなおせっかいだ、この野郎ッ!」

 

 歯をむき出す左之助だったが、剣心はどこ吹く風と笑っている。

 

「はは……だが拙者はこれでなかなかいい気分ではござった。真っ当な勝負というのはこれで気持ちのいい物でござるな……これもまた、薫殿の追い求める活人剣の一端といったところでござるか」

 

「だから、真っ当な勝負じゃなかったって言ってんだろうがッ!」

 

 左之助がむきになるが、光成はそんな一同を見てため息をついた。

 

 既に勝負の空気はない。

 

 互いに負けと言ってしまい、勝負なし。

 

 それがこの喧嘩の結末なのだろう。

 

 あるいは、この先再戦もないのだろう。緋村剣心の性格、今回の決着、それらを考えれば……彼らは二度と戦うまい。相楽左之助は煮え切らない想いを自分の中で消化するより他あるまい。

 

「なんとまあ……しゃっきりせんのう……なまじ名勝負だっただけに残念この上ないわ……」

 

 はあ、とため息をつく。

 

 光成はこの勝負を台無しにしてくれたろくでなしコンビの頭でも蹴飛ばしてやろうかと、夢か現かわからないような有様の分際で足を進めたが……そんな彼に誰かの声がした。

 

「つまらなそうじゃねぇか。この喧嘩じゃ、楽しめねぇってのかい?」

 

「そりゃそうじゃろ。相楽左之助と緋村剣心、どっちも逸材なだけにこんな不完全燃焼は殺生この上ないわ! つくづく横やりを入れたこの馬鹿どもが恨めしい」

 

 げし、と蹴りを入れるつもりで空振りをした光成はそこでようやく気が付いた。そう言えば、今の自分は幽霊もどきだった、と。

 

「……今儂に声をかけたのは誰じゃ?」

 

「おいおい、贅沢な爺さんだな。さすがは徳川の血筋ってか?」 

 

 質問を無視する形で声を重ねてきたのは何者か? 周囲を見回す前に、一帯がまるで突然日食にでもなったかのように真っ暗になった。

 

 そこで思いついた。自分が幽霊まがいなのではなく、或いはこの世界そのものが幽霊で生きているのが自分だけなのではないのか?

 

 改めて暗闇を見回せば、不思議と自分の手足は見えるのに足元は暗く、すぐそばにいた悪党二人組も少し離れた場所で顔を突き合わせていた喧嘩屋と剣客一行もいない。

 

「……夢の終わり、かの」

 

 光成はすぐに落ち着きを取り戻した。

 

 元々ここまでの状況がおかしかったのだ。おかしなものが正常に戻るだけなのだと、何とはなしに安心していた。

 

 それは、今の奇妙な……未だに顔も見せない声の主に察しがついたからかもしれない。

 

「また次の夜か、次の次の夜か……まあ、期待しておるぞ? 相楽左之助やい」

 

 どこかで血気盛んな青年がにい、と白い歯を見せて口元を綻ばせているのがわかった気がした。

 

「まかしとけ!」

 

 それはきっと、空耳ではない。

 

 爽やかな朝日が和室の障子を通して光成を照らす。

 

 光成はきちんと寝間着を身に着けて畳に如かれた愛用の布団にくるまれながら目を覚ました。

 

 奇妙に寝ざめがよろしく、さわやかな日差しと雀やカワラヒワなどの小さな鳴き声が穏やかな空気を作り出している。正に、絵にかいたような素晴らしい朝だ。

 

「……着替えた覚えも寝床に入った覚えもないんじゃがのう……ふふ……」

 

 もちろん光成は自分の脳機能の低下を心配してはいない。深酒をしたわけでもない。

 

「これからしばらく、寝るのが楽しくなりそうじゃな……かっかっ! 我ながら何とも贅沢な話じゃ!」

 

  

 

 

 

 

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