幻想郷のアリスさん   作:ローバック

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アリスとノブレスオブリージュ

「ありがとうございます……! 本当に……なんとお礼を申せばよいやら……!!」

 

 目の前の老婆が曲がった腰を地面につくのではないかと思うほどさらに曲げて頭を下げる。アリスの手元にはどっさりと籠に山積みになった野菜、生米、干し椎茸――それらは僅かばかりのお礼と称されてアリスに押し付けるように手渡された品々だった。

 

「もうあれがあなたの達の前に現れることはないわ。他の人たちにもそう伝えておいてちょうだい」

 

 礼物は不要、いや受け取ってもらわなければ、の押し問答の末に、村人たちに根負けしたアリスは不本意ながらもそれらを受け取った。ぎりぎりまで粘ったにも関わらずその量はアリスの両手に収まりきらないほどで、こと親切な村人が背負子の用意までしてくれる有様だった。

 

「ああ、流石はアリス様だ、もう解決してくださったとは! これで我らの集落も安泰だ」

 

「それにしてもなんと美しい……」

 

「まさに稲荷様の御使いであらせられるだけのことはあるのだなあ」

 

「ありがたやありがたや」

 

「アリスお姉ちゃん、ありがとー!!」

 

 集まる人々の称賛に少々居心地の悪さを感じながらも、満面の笑みを浮かべて手を振る少女にアリスは小さく手を振り返した。その少女は人外の化生――アリスの見立てではおそらく怨霊かなにかの類だろう――に取り憑かれ、あわや取り殺されようかというところでアリスが救った村の娘だった。

 

 この集落では数か月ほど前から村人の失踪が相次いでいた。一晩のうちに誰に見られることもなく人が姿を消すということが二度、三度と続くと、流石に村人たちの間にも警戒と焦りが浮かぶ。

 村人たちは徒党を組んで寝ずの見張りを立てることにしたが、ほどなくしたある夜、ついに奇妙な出来事に遭遇することになる。

 人々が寝静まった頃、ある家屋で青白いぼんやりとした影が鎧戸の隙間からするりと入り込むのを見張りの一人が目撃したのだ。急いで人を呼んでいるうちに、件の家から少女が一人外へと出てくる。それはこの家の一人娘だったのだが、声も発さず、白痴のごとき様相で踊り狂うようにふらふらと手足をさまよわせながら歩くその様子は、誰が見ても尋常の有様ではなかった。

 一夜が明けても娘の様子は変わることなく、遮二無二に手足を振り乱すため、家の柱に縛り付けざるを得なかった。食事も満足にとらない娘の状態も徐々に悪化し、家人は変わり果てた子供の姿にむせび泣いた。

 

 そんな折、化け物退治を引き受ける金髪碧眼の少女の噂が近隣の集落よりもたらされる。

 曰く、彼女は巫女や陰陽師とも異なる呪法を用い、見目麗しい少女の姿でありながらこれまで様々な怪異や人間に仇なす化け物どもを数多く調伏してきたらしい。

 村人たちはその少女、アリス・マーガトロイドという魔法使いに接触することに成功した。そしてアリスは瞬く間に怪異の元凶を取り除き、村の娘を見事救って見せたのだった。

 

 

 

 村人たちに盛大に見送られてアリスは集落を後にした。その足取りがやけに重たいのは、両肩にずっしりと食い込む背負子の紐のせいだけではないだろう。

 

 アリスのような魔法使いが人々から受ける反応というものはあまり好意的なものではない。大概は石をもって追われ、迫害の末に目立たぬ辺境にてこそこそと過ごすというのが一般的である。であればこそ、アリスはこのように人々から感謝や称賛の目を向けられることに慣れておらず、いささかの困惑とどうにもならないむずがゆさを感じているのだった。

 

「どうしてこうなったのかしら……」

 

 溜め息とともに吐き出された言葉は空に力なく溶け込んでいく。

アリスが置かれている境遇のその原因は、少しばかり前にアリスが八雲紫の従者と交わしたある約束が発端となっていた――

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

「はい、どうぞ。珍しいわね、あなたが一人でやってくるなんて」

 

 差し出されたティーカップから湯気が立ち上り、微かに上品な紅茶の香りが漂ってくる。

 

「ああ、ありがとう。近頃は紫様は何分御多忙でな」

 

 そう言うと彼女はティースプーンを手に取り、角砂糖を二つばかりカップへと放り込んだ。くるくると渦を巻く液面の動きに合わせて白いキューブは角をなくし、靄のような揺らめきとともに溶けて消えていく。

 彼女はカップを持ち上げて口元へ運び、音を立てずに中身を一口含む。こくり、と白い喉が僅かに上下し、カップを離した唇から熱を帯びた呼気がゆっくりと吐き出される。

 

 かちゃりと音を立ててソーサーにカップを戻したところで、藍色の導師服に身を包んだ彼女は改めてアリスの方へと顔を向ける。

 どこか蠱惑的な空気を孕んだ琥珀のような切れ長の瞳。頭頂部からは二つの獣の耳がぴょこんと飛び出しているが、それ以上に彼女の種族を雄弁に語る特徴はその尻尾の方だった。

 天鵞絨のように光沢のある滑らかな毛艶の尻尾は、まるで太陽が溶け出したかのような輝く黄金色をしていた。手を触れることを想像するだけで思わず溜息のこぼれてしまいそいうなその艶々の尻尾が、九つ。彼女の背中から後光が差すかのようにあふれ出している。その魅力に抗える者は果たしてこの幻想郷にどれだけいるというのだろうか。

 アリスもその例にもれず、ぼんやりと目の前の彼女――八雲紫の従者である八雲藍が紅茶を飲んでいる間、ゆらゆらとなびく九つの尾をじーっと見つめていた。

 視線に気づいたのか藍は少しばかり困ったような表情を浮かべ、その様子にアリスははっとして居住まいを正す。

 

「そう、どうりで最近はあの隙間妖怪を見ないと思っていたけれど。どうせならこのまましばらく忙しくしていて貰いたいものね」

 

 不意打ちで現れる厄介な訪問客に煩わされずにすむもの、と毒を吐くアリスに、藍は苦笑気味に答える。

 

「まあまあ、そう言わずに。紫様も、気を許せる友人の数は多くないんだ。アリスに嫌われてはきっと泣いてしまうよ」

 

「あら、紫にそんな可愛げがあるのならきっともう少し友達の数は多いでしょうに」

 

 フフフ、と二人して笑いあう。

 紫を相手にしているときに比べてなんて穏やかな時間だろうとアリスは思った。二人とも同じく紫に振り回される者同士で波長があうのだろうか。アリスは藍のことをもてなすべき客人リストに付け加えた。記念すべき栄えある最初の一人だ。紫に言うほどアリスの友人も多いわけではない。というかぶっちゃけ少なかった。

 

 

 

「それはそうと、紫様が忙しくしている原因なのだがな……アリスは結界のことは知っているか? 古い方の話だ」

 

 藍がやや眉根を寄せながらそう切り出した。

 

「ええと、外の世界から妖怪を引き寄せている……だったかしら。紫から聞いたわ、私がここへ呼び寄せられたのもその影響だろうって」

 

「ああ、正しくは”幻と実体の境界”というものだ。今幻想郷には多くの妖怪がこの結界によって呼び込まれている。外の世界で失われつつある伝承、信仰、儀式、現象などと共にな」

 

 そこで藍はもう一度紅茶を口へ運ぶ。

 

「それがあなた達の目的だったんでしょう? よかったじゃない、上手くいっているようで何よりね」

 

 アリスも紅茶を啜りながら藍に向かって言う。どうにも話が見えてこないとその瞳は訴えていた。

 

「そうだ、上手くいっている。いや、少しばかり上手く行き過ぎたというべきか」

 

 そう言って藍は額に苦悩を浮かべた。目を閉じて、眉間の皺をもみほぐすようにしながら大きく息を吐きだした。

 その様子を見てアリスは厄介ごとの気配を覚える。そもそも主と比べると真面目で実務的な藍が、ただの無駄話をしにアリスの下へとやって来るとは考えづらいのだ。とはいってもここで、そうなの大変なのね、じゃあまたねと会話を切り上げて追い出すわけにもいかない。

 

「あら、何か好ましくないと言いたそうじゃない。幻想郷はすべてを受け入れるんじゃなかったの」

 

 心なしか渋い表情になったアリスを見て、藍は手元に視線を落とした。爪の先を弄りつつ、少しばかりバツが悪そうにしながらも口調に淀みはなく藍は先を続ける。

 

「問題は外から入り込んでくるものの一部にある。特に、意思もなく意味もなく他の生命を欲しがるようなもの達だ。対象を失った呪いや恨み、由来さえ定かでない祟り、陰の気が寄り集まってできた澱みの塊――そういったものが、今雪崩をうって幻想郷に入り込んでいるというわけだ。その結果がどうなるかはもう分かるだろう?」

 

「……なるほど、紫も忙しくなるわけね。そんなものを放置していたらあっという間に幻想郷の人妖のバランスは滅茶苦茶になるでしょうに」

 

 そもそも妖怪とは人間からもたらされる恐れによってその存在を成り立たせている。幻想郷へ逃れた妖怪ももちろんその原理から解放されたわけではない。

 妖怪が人間を襲い、人間は妖怪を恐れる――幻想郷はこの二者の関係性を綱渡りのような絶妙なバランスで保ちながら存続しているのだ。もしも幻想郷内の人間が滅びてしまえば、遠からず妖怪たちも滅びを迎えることになる。幻想郷にとって人間とは、いわば貴重な資源の一つでもあるのだ。

 それを外の世界からやってきた話すら通じないものたちが一方的に食い荒らせばどうなるだろうか。

 

「既にいくつかの孤立した集落が滅びかかっているよ。外界からの補充も進めているが人間の減る速度の方がずっと早い。今の人間側にこれに対応できる人材が少な過ぎるんだ。紫様は結界の調整を急いでいるが、このままでは早晩対処しきれなくなってしまう」

 

 苦汁を滲ませて藍は組んだ手の上に額を乗せる。それから顔を上げて、アリスのことを正面から見据える。その目には力を貸して欲しいのだと分かりやすく書いてあって、思わずアリスは天を見上げた。

 

「単刀直入に言うよ――アリス、どうか手を貸して欲しい。妖怪に人間を守る手伝いをしてくれと頼むのもおかしな話だが、現在はそうせざるを得ない程状況はひっ迫している。私も紫様も手を尽くしているが、それでも足りないんだ」

 

 頭を下げて藍は言う。何とも言えない表情でアリスはそのつむじを眺めた。

 

「ああー……そう、そうね、事情は分かったわ、ちょっとだけ待ってくれないかしら」

 

 片手を顔に当ててアリスは溜息をつく。

 事情は理解できたし、自分にも無関係な話ではない。幻想郷の危機はすなわちそこに住むアリスの危機であるも同然だ。力を貸さないという選択肢はおそらくはないだろう。

 だがそれでも、二つ返事ではいと頷くことはアリスには躊躇われた。

 アリスは荒事を得意とはしていない。身に着けた魔法も、アリス本人の肉体性能も、おおよそ戦いに向いているとは言い難く、性格的にも争いごとを好まない。一応アリスはそれなりに長い時を魔女として生きているが、それは他者からの隠蔽と逃走手段の確保を徹底していたからだ。けして強敵に打ち勝ち、戦いの果てに生き延びてきたというわけではない。

 アリスは藍のその頼み事が無理筋である根拠を探して頭をひねった。

 

「えっと、人間を守るといってもどうするのかしら。これでも私も魔女なのだから、ただでさえそんな状況で人間側が受け入れてくれるとも思えないのだけど……」

 

「もちろんその辺りのフォローはするつもりだ。軽い暗示をかけてもいいし、夢枕に立って守護者であることを喧伝することもできる。なにより人々はすがるものを求めているから、明確に味方である事を示せばその後は評判が勝手についてくるだろう」

 

「う、うーんそうかしら……でも、やっぱり私より他に適任がいるんじゃない?」

 

「まさか、むしろアリスほどの適任者が居るわけないだろう!」

 

 何を言うのかと藍の語気が強まり、アリスは怯んだ。

 

「妖怪の多くは人間の恐れを糧にして成り立っているし、これは私も紫様も同様だ。けれど魔法使いという種族はそれとまた少し違う。魔法そのものを肯定し恐れる存在は必要だが必ずしも本人が恐れられる必要はない」

 

 いうなれば仙人に近いかもしれん、と藍は続ける。

 

「それに人間側の事情を汲んでくれる妖怪なんて少ないものだ。今回の件も数少ない心当たりにあたったが、応えてくれたのはその半分ほどだったよ。その点で、アリスは過去に実績があるだろう?」

 

 苦労を伺わせる藍の態度にアリスは何も言えなくなった。言い返す言葉が見つからず、ついにはアリスは首を縦に振ることになった。

 

「はぁ……これは貸しってことでいいのかしらね?」

 

 その言葉に藍の表情がパアっと明るくなる。どこか力なかった耳と尻尾も張りを取り戻したかのようだ。 

 

「もちろん、可能な限りの報酬は約束するとも。ああ、助かった、本当に猫の手も借りたいところだったんだ」

 

 一つ肩の荷が下りた、とでも言いたげなその様子にアリスは苦笑する。

 もっともアリスには最初から藍の頼みを断るつもりなどなかった。友人と称して差し支えない相手がわざわざ頭を下げてまでした頼み事を無下にするほどアリスは薄情でもないし、ほっといても誰かが何とかしてくれるだろうと楽観するほど考えなしでもない。もちろん人間を守ることに拒否感もなく、本来なら無条件で引き受けてもいいくらいだったが、わざわざ貸しなどと口にしたのには訳があった。

 

 笑顔になった藍の背後で上機嫌とばかりに揺れ動く尻尾を捉えて、アリスの目がキラリと輝く。

 

「ねえ、さっそくなんだけれど、報酬の前払いをお願いしても構わないかしら」

 

 なんだか声にねっとりとした響きが乗ったような気がするがきっと気のせいだろう。うずうずと興奮を押さえつけるようにぎゅっと手のひらを握るアリスの様子には気付かず、藍はそれを快諾する。

 

「む、早いな。もちろんそれはかまわないが、いったい何が望みだ?」

 

「簡単なことよ」

 

 こともなげにアリスは言う。

 

「あなたの尻尾、触らせて貰っていいかしら?」

 

 

 

 

 その後、藍を見送ったアリスの顔はとてもツヤツヤとしていた。もてなすべき客人リストの藍の名前には花丸が付けられた。

 

 

 

 


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