「おい、キンジ。まさかへばったのか? 弾を歯で噛んで止めるような男がそんな辛気臭い顔するとはな」
「西部劇は好きでも砂漠はそうでもないって今日分かったよ。口が淋しいなら割り箸でも噛ませてやろうか?」
「へばったのは砂漠のせいじゃない。人間に生まれたせいだ。出来損ないの肺と弱々しい足に文句を言え」
マッシュの妨害は予期していた一同だが、案の定ネバダ上空にてサジタリウスは落とされた。
光学迷彩をかけて重武装を整えても、手の内が大して読めないまま強襲されたサジタリウスは大破。噂の最先端科学兵装とやらの挨拶を早速受けちまったな。
それでもこうして五体満足の上に食料と水が1日分残ってる以上、勝負の卓から落とされるレベルの致命傷は避けられた。冷え込んだネバダの砂漠を歩くことにはなったけどな。
「朗報だぜ兄貴。前回よりは近づけた。エリア51まで、直線距離で190㎞。チョーク・チェリー山地を避けりゃ、道のりはせいぜい200㎞ってとこだ」
「200㎞って。東京から静岡間より遠いじゃねーか……」
「そう頭を抱えんな、俺に言わせりゃ目的地が決まってるだけ朗報もいいところだ。それに考えてみろ、ここは地球の上で異世界に飛ばされたわけじゃない。四方からリヴァイアサンが飛びかかってくるわけでもなけりゃ空から天使が通り魔みたいに襲ってくるわけでもない。いいことだらけだろ?」
「それはお前基準の話だろ。もはや基準がどうかしちまってんだよ」
「お兄ちゃん、でも雪平は言っちゃうと放浪から生還するプロだよ? 自分でも何言ってるか分からないけど、こことは違うところから何回も帰って来てる。不本意だけど今までで一番頼もしく見えるんだよねぇ……」
何とも複雑な理由で頼りにされたものだ。
とはいえ、見知らぬ土地から生きて生還するのは数少ない得意技だ。おまけに今回は頼れるお仲間がたくさんいるのだ、不安はない。
なによりここはアメリカ本土、地球の上ってだけでいつもよりマシだ。まぁ、頼りにされた理由として言うなら複雑もいいところだが。
「趣味は家出と映画観賞か、頼もしい限りだな」
「冷たい目に逢う覚悟はしてましたよ、冬のネバダの砂漠はよく冷える。ついでにリップクリームはバカ売れするだろうよ」
パウダーのように飛んでくる砂粒。お世辞にも歩きやすいとは言えない砂の足場。乾燥した空気で満たされた砂漠の上では瞬く間に露出している肌がかさついていく。
「ツクモ、ここの座標をもう一度見せてもらえるか?」
「? いいけど、これだよ」
「ありがとう。ネバダの砂漠で野宿したいとは俺も思わない。この座標……おい、サード。ちょっと話がある、耳を貸してくれないか?」
ツクモが手にする端末を覗いたまま、人差し指を揺らしてサードを招く。
「いいぜ、話せ」
「昔、親父と一緒の部隊にいた同僚の海兵隊に聞いた話だ。除隊した元陸軍の兵士がネバダの砂漠にある今はもう寂れかけた街に住み着いて、油田を探してるってな」
やがて半眼になって鋭さを増したジーサードの瞳に軽く肩を揺らす。
「聞いたのはもう何年も前の話だが、気になる話だったんで頭に色々残ってる。街そのものが動いてないならここから遠くない。賑やかなのは期待できないが多少の物資が手に入る可能性は、朽ちてない建物も1つや2つはあるかも」
「……サード。その話、頼れるかも」
そう言うと、コリンズが地面を示す。
「あんたの耳ならどう?」
意図を察したジーサードが屈み、耳を地面に当てる。ジーサードの五感の鋭さはこの場にいる全員が把握済み、10秒……20秒……俺たちも無言で声を沈めていると、そして起き上がるや、やや南寄りの西を義手の親指がまっすぐに示した。
「ビンゴだ。人工物で風が遮られてる、微かな音がする」
歩くぞ、と短くジーサードが命令を敷く。
夜の砂漠はここからが本場、熱を貯め込んでいない大地が容赦なく牙を剥いてくる。削り取られる体力と気力、両方保たないといけないってのが辛いところだな。
「かなめ、節約しろよ」
「おっけー、ん……」
寒さと乾燥、そして蝕んでくるのは足の疲労と喉へ引っ掻くような渇きだ。俺たちは限られた水を分けながら凌ぐが蓄えた水分も残酷な早さで干上がっていく。
砂漠の民は財宝より水を求める、砂漠でミイラと戦う映画の中であった台詞だが実際こうなると財宝より水に手が伸びる気持ちがよく分かる。
「見栄を張りやがる」
「お互い様さ。俺はキンジと違って、役に立てる場面は限られてるからな」
俺と同様、飲むフリだけして水に手をつけないジーサードにお互い様だと笑ってやった。
キツいのキツいが、喉の渇きと戦うのは煉国や例の最終戦争の世界で多少は慣れてる。喉をかきむしられてるみたいな状態で天使やリヴァイアと毎日のようにやりあってたからな。
「なぁ、雪平よォ」
「なんだよ、まさか世間話か? 一応俺もウィジャ版に四文字目のメッセージが刻まれてる気分なんだが」
「お前、宣戦会議フケたろ。そんときの話をまだ聞いてねえ」
「信心深い面子がいんのに今ここでする話でもねえよ。それに自分で言うのもあれだが、ファンタジー要素が強すぎて呆れられる」
「んなのはいつものことだろ。こんなタイミングしかねえのさ、てめえの旅路を聞き出せる機会なんてのは。兄貴も気になってるみたいだしよォ」
キンジが? レキと並んでいるところに目を向けると、罰の悪そうな顔で視線を逸らされた。聞き耳立てるつもりだったのか?
「ウチより広い俺の心を裏切ったな?」
「男子寮の我が家のことを言ってるなら大して広くないぞ」
「うるさい、言ってて悲しくなるだろ。夢のマイホームを目指して頑張ろうってか? ったく、俺が話してお前とキンジのコンディションが上がるっていうなら考える」
「撃ち合いになったらあのとき話しといて良かったって思うさ」
「……撃ち合いなんかになったらそもそも良かったなんて思えねえっての、だろ?」
危険生物がそこいらに潜んでる砂漠で、野宿しなくて済みそうなのは朗報だけどな。あのときは結局寝るに寝れなかった。
つまらない話だ、ゴーストタウンに着くまでに終わるといいがどうなることやら。
◇
……どうなってやがる。こいつはいったい、どういうことだ……?
「……傷が全部消えてやがる」
背中を起こし、困惑する気持ちで顔を触る。眼球ごと焼かれたはずの右目が、派手に引き裂かれた右頬が、何ともなかったように治ってる、なんだどうなってる。
困惑が晴れないまま、空を仰ぐとやはりそこには赤い雷と灰色の空が広がっている。唐突に現れた、異次元の裂け目の向こうに広がっていた最終戦争が開かれた世界──そうだ、俺はミカエルとやり合って……大天使お得意の指パッチンで体をバラバラにされたはずだ。
最後の記憶と矛盾した状況に、草一つ失った大地に立ち上がって頭を整理する。死んで天国や地獄に飛ばされた訳じゃない、ここはまだ異次元の世界だ。
だが、どうして受けたはずの傷がない……? 綺麗さっぱりリセットされたみたいに消えてる。
これではまるでリリスが呼んだ猟犬に体を引き裂かれたとき、キャスに地獄から引き上げたられたときと──
「──ばぁぁぁぁっ!」
「ッ……!?」
周囲を確認しようと振り向いた刹那、それは子供のように現れた。脳裏の奥底に、焼き印のごとく刻まれている顔が笑っている。有り得ない、有り得るわけがない……あ、有り得て溜まるか、こんなことが……
「やっとお目覚めか、ようこそ埃と砂だらけのテーマパークへ。リップクリームがバカみたいに売れそうだ」
震える喉で必死に目の前の光景を否定する。ありえない、ありえていいわけがない。
「やあ、キリ。かつてのルームメイト、会えて嬉しいよ。ホームステイはどうだった? ん?」
再会した友達にかけるような気軽さで、そいつは首を揺らした。
邪悪な内面を綺麗に隠したあどけなさで、それは微笑む。恐ろしくも自然に傷心にすり寄ってくる
「……ルシファー。嘘だ、檻に堕ちてるはずだ。こんなところにいるわけない」
震える唇を、喉を押さえ付け、俺は忌々しい名前を今一度口にする。
「残念だけど。少し待ってやろう、頬をつねったり目をこすってみるか? でなかったら大人の対応をするか、現実を、見たままを受け入れる。そう──本物だ」
ありえない、ありえるわけがない。
だが、間違いなく目の前にいるのは本物だ。一緒に檻に堕ちた、果てしない時間を共にした。体中の何から何までが悲鳴をあげてる、これは──本物だ。
目の前にいるのは本物の魔王。誇張でもなく、比喩でもなんでもない。
紛れもなく、それはこの世で最も邪悪で、おぞましく、恐ろしく、危険で、神々しい者──
大天使、地獄の最高権力者、聖書におけるミカエルと双璧をなしたメインキャスト、神にカインの刻印を渡され堕落した──ルシファー。
「……こいつは何の真似だ。どうしてこんなところに……大好きな檻の中で腐ってるはずだろ」
ルシファーがここにいる、そしてバラバラになっているはずの俺が息をしている。
冷水をぶちまけ、頭を無理矢理働かせれば察しがついた。誰が俺を治したか、そんなの一人しかいない。
「礼はいい。ああ、どうして私が檻にいないかって話だな。お前は知らないだろうが話せば長くなる。クラウリーがつまらないプライドに拘ったって話だが、私に首輪をつけて飼い慣らそうとしたところ、逆に私に首輪をつけられた。ヤツに人望はない、地獄じゃ私のほうがスターだ」
『長い話でもなかったな』と、ルシファーはおどける。ややモヤがかかったような説明だが、狂ったように暴れる心臓でもなんとなしに察しはついた。
モーテルでやったルシファーを檻に戻すためのまじない。あれにクラウリーが細工をして、ルシファーを自分の手元に置いた。散々虐げられた復讐を果たすためにやったんだろう。
虎に鎖をつけて玩具にしようとしたところ、鎖が外れて噛みつかれたってことだ。クラウリーもルシファーの力を押さえ込む仕掛けは幾つも用意してたんだろうが、ルシファーの力はあらゆる点でイカれてる。
クラウリーの用意した鎖も、柵も、全部潜り抜けてルシファーが喉元に噛みついた。飼い犬に噛まれた、こんなに嵌まる例えはない。
「何が望みだよ。いや、何が目的だ」
「目的? みんなが望んでるのさ。パパからの謝罪の言葉だろ、リアリティー番組を一気に見る」
「ふざけるな、そのしたり顔を見るのはうんざりなんだよッ! 一度くらい分かるように説明してみろ!」
「おぉ、命の恩人に向かって噛みつくか。16歳ってのは難しい年頃だな、私も戻りたいよ。お前と違ってそうはいかんが」
記憶の奥にある忌まわしい顔と、何ら変わらない顔とふるまい。体の内側で暴れ回る心臓が一向に収まらない。
イカれた思考と強大な力、両立すればこれほど恐ろしいものはない。その最高峰が目の前でにやけているそれだ。
あまりに自然に心にすり寄ってくる、気を許したくなる、それが恐ろしい。本当に恐ろしい。
「まあ聞け。どうしてお前がここでミンチになってたのか、私がお前を助けたのか。お互いに聞きたいこと言いたいことは山ほどあるが生憎と時間がおしてる。愛しの母さんに会いに行こうじゃないか」
「は──?」
刹那、伸びてきた手に頭を掴まれて視界が切り替わる。ルシファーは墜ちても天使だ、器を必要とするのは天使と同じ。そしてその背中には大天使の翼が、今でも残ってる。
瞬間移動としか思えない天使お得意の翼による移動に巻き込まれ、次に視線が捕らえたのは渇いた砂が詰み上げられた砂丘だった。なだらかとは言えない斜面の下、見知った顔を見つけて血の気が退く。
「ざけんなぁっ……!」
砂の敷かれた大地に倒れ、粗末なコートをなびかせた男に銃口を向けられているのは──メアリー・ウィンチェスター。銃口は頭を冷たく向いていた。
「そんな顔するな。この私がいるんだぞ?」
耳元で無垢な声が響く。刹那、肉が弾け飛ぶような音がしてトリガーガードにかけられていた男の指が止まった。
傷んだコートに隠されていた男の胸元からルシファーの右腕が、飛び出したからだ。背中から尋常ではない力で差し込まれた拳は遮った肉を吹き飛ばし、一瞬にして命を……刈り取った。
あの男は自分に何が起こったのかも理解できないだろう。それほど一瞬のことだった。
五指の先端から赤い滴が垂れ、無言でルシファーが腕を引き抜くと大きく穴を作った体は支えを失う。人の肉がまるで紙切れだ、化物め……
「礼はいらない」
「……」
無言でルシファーを見上げる瞳は、これ以上ない敵意の塊だ。最悪だ、少しは頭を休ませろ。心臓に悪いことの連続じゃねえかよ。
「私から逃げてもロクなことにはならないぞ? どうして分からないんだ、お互いに得をする話じゃないか。この悪趣味なテーマパークを出て、互いに息子を取り戻す」
「……信用ならない」
銃はミカエルにかたっぱしから溶かされた。あるのはルビーのナイフと……
半眼でジョーのナイフを手元で回し、二人のいる方へ砂を踏みつけていく。見上げた頭上にはまだ雷鳴がひっきりなしだ。悪趣味なテーマパークってところには同感だな。
「おいおい、せめてもう少し会話をする努力をしろ。まあ、最初から楽しい会話ができるとは思ってない。だから回り道をしてミンチになってるお前のガキを一匹拾ってきてやった、いいさ礼はいらない」
無防備に立ち尽くしているルシファーの背中に二本の刃を向けようとして、かぶりを振る。こんなことで殺せるなら苦労はしない。
やがて目を見開いた、かつて親父が愛した人の反応に俺は目線を空に逸らす。ルシファーめ、信用を買うために俺を墓から掘り起こしたか。
「……嘘。本物……?」
「こんな愉快な顔を父が2つも作るわけないだろう。口が開けばすぐ偽物かどうか分かる」
「世間では息子がやったヘマの責任は親がとるもんだぜ、魔王さま。どうしてくれんだよ、このテーマパークに入場ゲートを作ったツケは」
最大級の不満を込めて眼前の化け物を睨む。
案の定、帰ってくるのは堕天使のにやついた顔だった。
「どうだ、これで分かっただろう本物だ。日曜学校が私のことをどう教えてるか知らないが私は──生まれ変わった。息子ができたことでな。今までのことは水に流して、また手を組もう、アマラおばさんと戦ったときみたいにな」
……信用できない。文字通り、ルシファーと手を組むなんて悪魔の取引だ。リスクを抱え込むなんて可愛い例えじゃ効かない。
だが、かつてザカリアが言ったようにルシファーの力はあらゆる点でケタ外れだ。天使の軍隊だけじゃない、この倒れた男みたいに敵はそこいらに潜んでる。
それに俺をジグソーパズルみたいに裁断してくれたあのミカエル……あれはルシファーより話を聞きそうにない。
目の前に投げられたのは、自分たちの首すらはね飛ばしかねないスーサイドのカード。ルシファーをボディーガードにして歩くなんて断頭台に首をかけながら歩くようなもんだ。だが──
「歩きながら話そう。時間はおしてんだろ、大天使さまよ」
「その通り。突っ立ってる時間はない、よく目を凝らして出口を探せ」
ブラウンの革ジャンを引き締めたルシファーは言うやいなや歩き始めた。
問題を凌ぐために新たな問題の種を抱える、案の定いつものやり口だ。またバカをやっちまったか。
「……どうしてこんなところに? だって、海を渡ったってサムが」
「他人のゲームに巻き込まれた? ま、いつものことだよ。中途半端な罪悪感から緊急参戦したとでも思っといて。武器はナイフと頭しか残ってないけど」
「信じられない。ルシファーが本当に貴方を助けたの?」
「回り道をしても信用を買いたかったんだろ。息子にご執心ってのは本当らしい」
久々にしては味気ない会話で、俺もルシファーの背中を追いかけて砂を踏む。腹に大きな穴を作って突っ伏している男の懐からベレッタのPx4モデルを弾倉ごと拝借。心で祈ってやりながら、思わぬ面子での放浪がここに始まった。
この再会はさすがに想像の斜め上だ。サプライズも振り切りすぎると心臓を痛めるってことがよく分かる。とびっきりのブラックジョークをひっきりなしに聞かされた気分だぜ。
「改心したと思う?」
「まさか。共闘してすぐあとにライブハウスで殺されかけた、そう思って後悔してる。友達になるならキングギドラの方が見込みありだよ」
「グズグズするな、こんな調子で歩いてたら永久に出口を探せない。もっとこうテキパキ歩け。だだっ広いからな」
両指を鳴らし、催促するルシファー。嫌がらせのように彼女はその場に座り込んだ。
「見つけてどうするつもり? だって行き着く先は見えてる。最後は私を殺す、この子も。そうでしょ?」
「おい、勘弁しろ。またその話か。鳩に餌をやる婆さんみたいに座り込んで、そこにベンチはないんだぞ?」
辟易した顔でルシファーは大きく息を吐いた。
「いいか、私は悪者だがバカじゃない。出たとこ勝負のお前たちと違って、知恵があるんだよ。作戦を立てる知恵がな。つまり、お前を生かしておかないと作戦が成り立たないんだ分かるか? そっちのオマケもな」
部下を説得する上司の図。必死に現実を誤魔化すがちっとも笑えない。ミイラにならずに済んだのは幸運だが、ジャンヌが言ってた宣戦会議ってやつにはどのみち出れそうにないな。
「お前も座るんじゃない、嫌味な野郎だ」
「人間はお前みたいに足が丈夫じゃないんだよ」
「お前らはいつだってそうだ。現実から逃げるのに必死で、何も考えちゃいない」
たしかにこのまま座り込んでいてこの状況が好転するわけはない。けど反対に、だだっ広い世界を歩き回ってどうにかなるかと言われたらそれも疑問だ。
メアリー母さんをこの世界に置き去りにはしたくない。同時にルシファーをここから外には出したくない。
だが、このテーマパークの出口を見つけるにはルシファーの助けがいる。状況を整理するほど頭痛がする、どうしたもんかな。
納得できる答えを探そうとすれば、あらゆる方向からそれを良しとしない面倒な糸が絡みついてくる。
「ここに来なきゃ話は別だ。お前たち一家をとっくに殺してるだろうが、大事な息子がお前のガキ共に捕まってる。だからお前を引き渡して代わりに息子を貰う」
「……子供を育てるようには見えない」
「お前に理解できることじゃない。いつまでそうやってるつもりか知らないが言っておくことが2つある。息子がとんでもない目に遭う前にこのシミったれた世界から脱出するんだ」
信じる気なんて欠片もなさそうな母さんの眼に、うんざりした顔でルシファーは天を仰ぐ。
「それと、そもそもお前のせいでこんなところを彷徨いてるんだぞ? へばったのは私のせいじゃない。人間に生まれたせいだ。出来損ないの肺と弱々しい足に文句を言え」
そして、いちいち人間くさい身振り手振りで座り込んだ俺たちを睨んできた。砂漠でミイラになってるよりは遥かにマシだが俺は一体何をしてるんだか……
「お前のせいって何やったの?」
「殴って裂け目に押し込んだ」
「……魔王を殴り倒したの? 最高、ここを出たら一杯奢らせて」
さらっととんでもないことを言ったあとに手元で揺らしてるのは対天使用のまじないの刻印が入ったナックルダスター。
大方、あれでルシファーを裂け目に押し込んだってことか。無茶苦茶やるなぁこの人……逞しいにもほどがある、さすがはキャンベルだ。
「おい、どこ行くんだよ」
「どこって向かいの店にカプチーノ飲みにいくと思うか? 少しは頭を働かせてみろ。カスティエルといいお前といい、深刻ぶった顔は外だけで中身はただの出来損ないじゃないか」
好きな放題にルシファーは不満を垂れ流す。
軽口が取り柄なだけの二枚目ならかわいいもんだが相手は地獄の最高権力者。軽口で場が和むなんてことはありえない。
「ホームズの孫とルームメイトのこともそうだ。目を覚ませ、カップルと一緒に住んでるなんておまえは二人の子供か? 私なら出てくいく、関係が悪くなる前に」
渇いた砂がみしりと音を立てた。
何かが砂を踏みつけた、それまで辺りには何一つ気配がなかったにも関わらず……それがどういうことかと言えば、
「ああ。やっと助けが来た、天使たちだ」
天から救いの天使がやってきた、比喩ではなくモノホンの天使が五人。
どいつもこいつも紛争地帯の武装勢力みたいなファッションで立ち尽くしている。ミカエルの腰巾着か。保安官みたいに巡回しやがって、ご苦労なこった。
「やあ」
見るからに歓迎されないムードをまったく気にせずにルシファーは両手を広げる。
「どういうことだ、そこの人間。ミカエルに首を落とされたはずだ、なぜ生きてる」
が、話の流れは想像より嫌な方向を向いた。
ジョン・ウィックに見えないこともない端正な顔の男がきつく睨んでくる。ルシファーに、ではなくその背後にいる俺へと。
……ちくしょうめ、天使のラジオで情報を共有してやがったか、せこい真似しやがる。余計なことがこぼれたせいで、ルシファーの首がめざとくこちらを向いた。
「ミカエル……? どういうことだ、お前ここで何をやってた……?」
振り向いたルシファーの瞳が紅く、血をこぼしたように深紅に染まる。
言い様のない寒気が体をなぞった、ただ睨まれただけだというのに一生分の恐怖を味わっている気分になる。ああ、これがルシファーだ。
「誰にミンチされたか聞かなかったからな。ミカエルだよ、ミカエルが俺の手足をパズルみたいにバラバラにしたんだ」
「疲れてるのか? ミカエルは今頃地獄の檻の中で丸くなってる。お前も知ってるだろ、頭がどうにかなって四六時中叫びまくってるんだぞ?」
「あのミカエルじゃない、こいつらのご主人様はこっちの──隊長さんよ、どうやら空からの救援部隊じゃないみたいだぞ?」
5人の天使たちの瞳が青白く光っている。どうみても戦闘体勢に入った。
ワイルドな風体の、一番前から睨んでるあの天使が指揮官ってところか。俺を睨んでいた視線はやがて方向を変え、両手を下げたルシファーへと向いた。
「地獄の悪臭がシミついてる、何者だ。名乗れ」
「臭いのはこっちとこっち」
「名乗れ」
肩をすくめ、今度は芝居がった口調でヤツは名乗る。
「──ルシファーだ」
眼前の連中には恐らくタブーになっているであろう名前を高らかに名乗る。最高位の天使でありながら神に背いた裏切り者の名前を。
しかし、この世界でのルシファーはミカエルによって殺されてる。本人にそれを聞いた。
案の定、目の前の天使たちの放つ眼光に輝きが増した。どうやら火に薪をくべたらしい、んだが緊張感なくルシファーは首を揺らす。
「何の真似だ?」
「嘘だ。ルシファーはミカエルに八つに引き裂かれた。生きてるはずがない!」
「なんだと、一体ここはどうなってる……!?」
「動くな!」
不意に歩み寄ろうとしたルシファーに向けて怒声が飛ぶ。律儀に止まったルシファーは呆れた顔で首を揺すった。
「おい、どうするって言うんだ。まさか消すつもりぃ?」
「合図したらいっきにかかるぞ」
「勘弁してくれ……」
ぼやいたあと、臨戦態勢の天使に対し、ルシファーはすっと右腕を上げる。
「かかれェ!」
殺意の込もった叫びの上から堕天使がパチンと指を鳴らす。同情はしない、天使5人でどうにかなると思った方がどうかしてる。
一瞬、一瞬だ。ルシファーは指を鳴らしただけ。たったそれだけ。
乾燥した世界にスワップ音が響いた途端、攻撃の動作に入ろうとした天使たちは灰色の煙となって存在を消した。終わりだ、勝負はついた。
「マヌケか? 次元が違うとはいえ刃向かう天使がいるとは」
呆れた顔で振り返り、何もなくってしまった場所を指で何度も示す。敵うわけがない、アマラくらいなんだよルシファーを小細工なしにねじ付せれるのは……
こんな化け物をよくもまあ道連れにできたもんだ、過去の自分を称賛してやりたい。しかし、渇いた笑いを浮かべられたのも残念なことにそこまでだった。
あまりに唐突に灰色の空から落下した
「今度はなんだあああああああッ!」
砂塵が舞い上がり、ヒステリックな叫びを上げるルシファーをよそに脳裏のあちこちで警笛が鳴る。第六感なんてもの信じるタイプじゃないがあそこに何が落下したのかくらい、ああ……俺にも分かる。
捜索隊の天使たちを派手に始末した、となれば次に出てくるのは大元だ。大気圏を突き破って宇宙から隕石が落下した、生憎とそんな慈悲深い現実は待ってない──待っているのは非情な現実。
「──ルシファー! 今度は雑魚じゃない、ミカエルだァッ──!」
反射的に、喉が潰れる勢いでその名を叫ぶ。
派手に爆風を巻き上げた落下地点から、神々しいまでの青白い光が刃のように迸った。
「どうやら本当らしいな。有象無象のしたっぱじゃない」
おどけた雰囲気が一転、真紅に染まった瞳のルシファーの背から影のみ映し出される天使の両翼が現れる。
インド、北欧の異教の神の同盟を単身軽々と殺戮できるだけの力を持ったルシファーのお遊び抜きの本気。ホテルに集まった、あの態度がデカいだけの連中とはワケが違う。あれは魔王にそこまで備えを用意させる、本物の化物。
「あれがミカエル……」
重く息を吸い込むような声色で母さんがその名を繰り返した。西部劇にかぶれたような出で立ちの器が派手にできた風穴から歩いてくる。アダムとはちっとも似てないな、あっちはもう少し愛嬌があった。
コートの背中にはルシファーと同じで影を映すだけの黒い両翼が延び、臨戦態勢に入った大天使に怯むことなく歩みを進めてくる。
天使なんてのは名ばかり、全身から垂れ流されてる気配はリリスやアバドンの比じゃない。あのミカエルは地獄の重鎮よりもよっぽど邪悪で歪んでる。
「ルシファー、とっくに死んだはずだが」
静かに笑う。そして首が揺れる。
「お前も首を落とした。どういうことだ」
鋭く睨まれた刹那、底の見えない沼に引きずり込まれたような恐怖が背中を撫でる。お早い再会だ、出来れば二度と見たくなかった。
「困惑してるところ悪いんだが、あんた昔の西部劇に被れてんのか? 相棒は猿のクライド?」
「確かにルシファーだ。空でズタズタに引き裂いたがどうやって生き返った?」
「そいつはちょっと違う。元々は別の世界にいたんだが次元を超えてきた、簡単に言うとこいつのせい」
ルシファーが、次いでミカエルが順番に母さんに視線を流す。聖書の2大メインキャストに睨まれ、母さんは無言のまま瞳を灰色の空の高く、明後日の方向に向けた。
「確かにミカエルだ。あいつをジグソーパズルにできたのも分かる、そこそこに渋といからな。だがしかし、安っぽいコピーにしか見えない。ヤツは地獄の檻に置いてきた、頭がイカれてる」
「お前がそこのハンターを戻したのか。地獄の悪臭が染み付いていたぞ、お前と同じでな。まあいい、もう一度同じ事をするだけだ。正義を行うのは飽きたりない」
拳を握り込み、ミカエルが笑う。天使とは名ばかりの醜悪な微笑みを目にし、肩をすくめたルシファーが皮肉っぽく笑う。
「キリ、聞いたか? 悪役だって」
「聞いた。大天使さまが正義を行うって」
「じゃ、そうすれば──?」
僅かに続けた困り顔を翻し、一瞬でミカエルの眼前に移動したルシファーが無防備に晒されている顎に左フックを打ち込んだ。
「……!」
「顔とナイフ投げの腕は誉めてやる」
無慈悲な奇襲によろめいたミカエルの体が数歩下がり、俺の手元から離れた天使の剣は厚いコートを巻き込んで後退する左胸に突き立った。さっき襲ってきた天使の遺品だ、悪いが拝借させて貰ったぜ。
両眼を血の色に染めたルシファーが突き出した右手をゆっくりと捻る。ドアノブを捻るような動作は胸に刺さった天使の剣とリンクし、左胸のさらに深く刃が捩じ込まれていく。
「ミカエルを痛め付けていいのは私だけ、と言いたいが今回は別だ。愉快なバンド再結成といこうじゃないか」
「それを聞いて安心したぜ。これで心おきなくヤツに礼ができる」
「……愉快な挨拶だ。さて、どちらが痛みを感じることになるかな」
拝借したベレッタに込められた弾を動かないミカエルに向かい、撃ち尽くす。両目、喉、額にそれぞれ振り分けた鉛弾が無事に着弾──するのと同時に金属同士がぶつかったような異音が響く。
目の前で咲き乱れる赤い火花。半ば結果は分かっていてもホールドオープンまで急所を狙って効果なしとは苦笑いが耐えられない。
手傷を負おうとあの体に鉛弾は通らない、あいつの全身が防弾盾だ。触れたそばから無慈悲に9mmが弾かれる。
「これで私を殺すつもりか?」
胸を抉られているとは思えない落ち着いた声色でミカエルの双眸に光る。捩じ込まれていた剣が独りでに傷口から、ゆっくり、ゆっくりと押し戻されてやがて抜け落ちる。
今度こそ、つまらなさそうに顔を歪めるルシファーを見て大きく舌が鳴った。──ルシファーが力負けした……?
「……私たちの知るミカエルじゃなさそうだ。とんでもなく、堅物だ」
信じられない光景にゾッとするが、ミカエルの掌に蒼白い光が見えるや頭を殴り付けるつもりで思考を白紙に戻す。
すぐにバスケットボール大にまで広がったそのプラズマ弾の威力は覚えてる。かすっただけでも人の皮膚くらい根こそぎもっていかれる。
心底、回避に困る輝きが冷酷な速度でミカエルの手から弾き出される。大天使との戦いはいつだって不条理とアンフェアに尽きる。
体が脈を打ち、心臓が暴れて仕方ない。毒々しさすら感じさせるプラズマをルシファーは左手で弾き飛ばした。とんでくるボールを弾くような気軽さで、逸れたプラズマ弾が明後日の方向に見えなくなる。恐ろしいことを淡々とやってのけたルシファーは、にやっと渇いた唇を吊り上げた。
「やっと話がついたな、メアリー」
邪悪に笑ったルシファーの瞳の先、今まで舞台に上がって来なかったメアリー母さんがミカエルの右手に手錠を嵌め込んだ。あれは……天使封じを刻んだ対天使用の手錠。
「お返しに来た」
「なんのことかな?」
「あの子の首を落としたのよね?」
手錠を繋ぎ、間髪入れず母さんがコンパクトな動きで右腕を振る。
右、そして左。恐ろしいことに大天使ミカエルの顔を母さんは殴り付けてしまった。対天使用のナックルダスターを使い、体重を乗せた一撃一撃がミカエルの顔を右、左と強引に振らせる。
「恐れを知らない女だ」
「俺もそう思う」
さすがはキャンベル、さすがはウィンチェスターだ。最高に──イカれてる。
「……っ!」
渇いた地面を殴打され続けて数歩後ずさったとき、母さんが顔を歪ませる。ミカエルの右手から垂れ下がる手錠が真っ赤に染まり、次の瞬間手錠がヤツの腕から吹き飛んだ。
ライブハウスでロックスターに取り付いたルシファーがそうであったように、対天使用に備えた手錠でも大天使の動きは縛れない。
だが、意識は逸れてる。少なくともまだ一発浴びせるだけの隙が残ってる。薬室に一発、ベレッタの用心金へと指をかける──
「では私も今のお返しをさせて貰おう。相応に」
聖油、セージ、ミルラを混ぜ合わせて天使の剣を溶かした弾丸に塗りつけ、呪文を唱える。
銀の代わりに天使の剣の弾を使ってるが、この行程で作り出される弾こそ、あのガンスミスが鉄道と一緒に作り上げた切札──
「──ウチの家族に触れるな、こいつを食らえ」
今度は違う、ベレッタが吐き出された弾丸がミカエルの眉間を確かに穿つ。
「……?」
首を傾げたミカエルの体にバチっと黄色い火花が散る。
「自慢しろ、キリ。小細工もここまで来ると大したもんだ。アスモデウスの代わりにお前を作れば良かった」
「そいつはどうも。モノホンのルシファーに誉められるなんて、嬉しくて泣いちゃいそうだ」
たたらを踏んでミカエルの体が前のめりに崩れる。打ち出したのはエアガンでも生憎と弾はBB弾じゃない。
ボビーとルビーが探し出した『なんでも殺せるコルト』の弾のレシピを殺傷能力の飛び抜けた天使の剣の弾と組み合わせた。こんなところで協力プレイとはな、嬉しいよ性悪悪魔め。
「とはいえ、できそこないのコルトで殺せる相手じゃない。オリジナルでも私は殺せなかった、覚えてるな?」
ルシファーの頭にコルトを撃ち込んだが殺せなかった。ジョーとエレンが死んだ日のことだ。忘れるわけない。
ルシファーの重ねた掌の中から例のプラズマの弾が作られてゆく。倒れているミカエルに冷徹にプラズマの塊が撃ち込まれると、とんでもない砂塵が目の前で巻き起こる。便利なもの持ってやがる、まるで自前で撃てるミサイルだ。
「母さんまで巻き込んでないよな?」
「嫌味な野郎だ、さっき言ったことをもう忘れたのか。私は生まれ変わった」
パチン、と指を鳴らすお決まりの手品で母さんがヤツの隣に音もなく舞い戻る。本当になんでもありだな、奇術師に転職してもやってける。
「さて、それなりに攻撃してみたわけだが敢えて言っておく。さっさと次の手を絞り出せ、死にたくないならな」
……言われなくても分かってる、見えてるよ。平然と歩いてくるミカエルが、俺にも見えてる。
拝借した天使の剣の一本を左手で回し、冷ややかに息を吐く。
コルトの弾はさっきの一発で最後。ミカエルの槍や聖なるオイルが次元の裂け目の彼方にある以上、いつものオカルトグッズに頼った戦法は使えない。なら、いまある手札でやれることを考えるまでだ。
「母さん、お覚悟は?」
「家業を知ったときから出来てる。ん……──ねえ、貴方いま母さんって言った?」
「あーそこねぇ……心境の変化がありまして。まあ、ピンク髪のイギリス貴族と友達になったって話なんだけど」
「おい、冗談だろ……! こんなときに家族会議を始めるつもりか、現実を見ろポンコツめ!」
吐き捨てたルシファーと歩み寄ったミカエルの拳が再び交わる。どちらかが被弾する度に、拳を振るっているだけとは思えない炸裂音が響く。嫌でも現実を見るよ、ちくしょうめ。
後にも先にもここまで物騒な殴り合いを見る機会はないだろう。ただの殴りあいに見えるだけで振るわれている力は人間の物差しから大きく逸脱してる、大天使とはそういう存在だ。
とてもじゃないが俺はここまでミカエルと拮抗した戦いはできなかった。ルシファーじゃなきゃ拳を一発貰っただけで致命傷だ、ミカエルと張り合える存在なんて最初から限られてる。
ミカエルの軍隊と僅かに生き残った人間たちがやりあってるのがこの世界。こっちのルシファーはアビリーンの空で切り刻まれ、ガブだって多分もういない。
ほんと、とんでもないことだよな。もうこの世界にミカエルの独裁を止められるヤツなんていない、そんなとき八つ裂きにしたはずの魔王が次元を越えてやってきた、ミカエルと真っ向から戦える存在が。
「……これ以上皮肉なこともないな」
あのグレたミカエルを止められるのは、もうこの世界にはあのルシファーくらいしかいない。ここでミカエルを止めなきゃ、一度作られたあの裂け目をいつかこの荒れ地の王様は越えてくる。
どこまでも皮肉で複雑だよ。
檻のなかで散々俺を八つ裂きにしてくれた堕天使が、いまやこの荒れた世界に残された独裁者を倒せる " 最後の希望 " ってのはな。
章のボス戦みたいになってますがlooとも遭遇します。サムルシ、ヴィンスルシ、キャスルシはみんな好きだけど、やっぱりニックルシファーが一番しっくりと来ますね。