賢人派兵
大抵の人間には苦手なものが一つや二つはあるものだ。神崎は雷、夾竹桃は水が駄目だし、ジャンヌは火に弱い。サムはピエロを見るとパニック状態になる。
そして、イーサン・ハントやジェームズ・ボンドみたくいつも恐いものなしで無茶をやる我が家の長男が珍しく苦手としてるのが、
「どうしてインディアナ・ポリスから? 行きはケネディ経由で来たって聞いたけど」
飛行機と空港。だからどこを行くにもインパラで地面の上を駆け回ってる。西海岸から東海岸、州の端からまた端まで。
「知り合いの客室乗務員が今日最後のフライトなんだ。さっき挨拶してきたところ」
「その解答は予想してなかった。知り合いは退役軍人と保安官だけじゃなかったんだね」
「飛行機の中で一緒に悪魔払いをやったって言ったら信じるか?」
おどけてやると、わざわざ見送りに来てくれたロカお嬢様は小さく笑う。その機嫌の良さを見るに、ブレゲのオークションはご満悦に終わったらしい。
ラッフル付きの黒ブラウスにブラックスカートを合わせ、いつかの神崎がダブるお嬢様然とした姿のロカは左右で色の違った双眸を猫のように細める。
「サードからの伝言──お陰で首が繋がった、感謝する。だってさ」
「ハリケーンをなんとかしたのはそっちだろ。自力で竜巻を突破しちまうなんてキンジはやっぱりイカれてる。あいつの武勇伝がまた1ページ増えちまったな。どこまでいくのやら」
「武勇伝ならお互い様なんじゃない? いきなり走行中の列車から消えたと思ったら……右目だけでよく済んだね?」
信じられないと言った顔でロカは眼帯を当てた右目を見上げてくる。駄目元で親父も世話になってたハンター御用達の闇医者に駆け込んではみたものの、大天使の光で焼かれては治療云々の話じゃないらしい。
相手は大天使、しかもその筆頭。アナエルに大金を積んでも治療は恐らく難しい。キャスも無言で首を振ってたしな。外科的、オカルト、両方から匙を投げられる傷とは流石はミカエル、やってくれたよ。
「そこはちょっとは心配するなり顔を曇らせるなりにしとけよ」
「……そうだね。同情はちょっと、してる。想像もしたくないし……目を焼かれるなんて」
「悪い、冗談だ。お前の目が焼かれるところなんて俺も見たくない。俺の知り合いは天使に両目を焼かれちまったけど、命を賭けて俺たちを救ってくれた。片眼が残ってるだけ俺はラッキー、お前のまじないが効いたのかも」
片目一つ、それでミカエルから首が拾えれば安いにも程がある。視界の半分が消えた世界でこれからの生を生きる、ショックがないわけじゃないが両目をある日いきなり奪われた友人を俺は目にしてる。
パメラの一件をその場で目にしてるお陰で、片眼と命が残ってる状況では嘆きや喪失感はロカが心配してくれてる程でもない。
他人の傷を理由に足を踏ん張る、褒められた理由じゃないかもしれないがミカエルも緋緋神の問題もまだ健在。ルシファーも自由のままだ、嘆いてる時間はない。
「気にしてないよ、ロカ。元々あのミカエルは俺が呼び寄せたようなもんなんだ。それにまたお前と一緒に戦えて良かった、見送りありがとう」
とはいえ、ハンデつきの視界に慣れるのにはまだ少しかかりそうだけどな。理子もパトラの呪いをかけられたときは隻眼での衝突を避けた、ドンパチやるのはこの視界に慣れてからが懸命か。
「しぶといヤツ。ツクモと慰めの言葉も一応考えてたけど無駄になった」
「沈んだ顔見せられるよりマシだろ。タクシーを待ってるときにさんざん愚痴は吐いたよ。旅行中の神様に」
「それはジョークじゃなさそう」
「隠し事は親密さの敵、真実だよ。あとやっぱり天使を崇拝する教会の存在には異議がある」
「異議があるもなにも、既に存在してる。科学と一緒。それとも教会に行列する信者に説いてまわる?」
「ああ、たしかに行列してるよ。閑古鳥がな」
そのとき搭乗時間を知らせる為のアナウンスがかかった。不意の知らせにはどちらともなく結んだ視線をお互いに逸らした。
それでも先に言葉を繋げたのはロカで、
「今度は機内で悪魔と鉢合わせないといいね」
「縁起でもない、大変だったんだぞ。あのときは悪魔祓いも空で言えなかった」
「……ねぇ、それっていつの話?」
「親父が消えてすぐ。10年くらい前」
フライトの時間はいつまでも待ってはくれない。名残惜しいがロカと話せる時間も一旦今日が一区切り。懐かしの帰郷ツアーも終わりの時間だ。
ミカエルのことでレバノンのアジトに連絡を入れたり、色々ごたついてたからこうやって最後に話せて良かった。
「こんな噂知ってる? とある超能力者が年齢をチップ、掛け金にしてポーカーを開いてるって」
「さぁな、本土のオカルト事情はさっぱり。そんな怪しい勝負を挑むくらいなら富士山まで行って若返りの泉を探す」
「とぼけちゃって。それが10年前ならあんた何歳なの?」
「悪いな、地獄で30年過ごしたときからもう年齢は数えてない。というか、見送りにする話がこれでいいのか? お互い後悔しない?」
「じゃ、この辺りで折れとく。尋問しに来たわけじゃないし、診断しに来たわけでもないから」
遠回しに話を切って、ロカは腕にしていたMWCの時計を外す。一呼吸、間を置いてから、
「モスクワではね、友人と別れるとき身に着けていたものを交換するの。心理アカデミーにいたときに何度かやった、友情の証に」
「……それは、素敵な風習だな。でも俺は手土産の腕時計をもう送っちまったし……あ、それならこれを」
時計のコレクターのロカから差し出された腕時計に少し戸惑いながら、俺は首にかけていたネックレスに手をかける。
ある意味、コルトに負けないくらい古く、俺の人生に絡んできた道具の一つ。
「受け取ってくれ、ちょっと可愛さにはかけるが魔除けとしては一級品」
「……ねぇこれ……何? 呪われてないわよね?」
「おまえ……折角いい雰囲気だったのに呪われてるとはなんだ。神聖なものなんだぞ、一応」
「お土産物売り場でショットグラスと一緒に売ってそう」
どうしてこうも、俺の周りの女は尖ったヤツばかりなんだ。
歯に衣着せない物言いに口元が歪む。折角作ったお別れのいい雰囲気を自分でぶち壊しやがった、最高だな。実家のような安心感がある。
「そいつは神の探知機。神様が近くにいると、そいつがEMFみたいに光って教えてくれる。昔、そいつを提げて本土のあちこちを走り回った」
「ふーん、非効率っぽい」
「沿岸警備隊のモットー、常に備えあり。何もしないよりはどんな策でもある方がいい。ありがとう、大事にするよ」
「部屋に飾っとく。浮かないようにするの大変だけどね」
俺は、かぶりを振ってロカらしい言葉にどうにか笑みを誤魔化す。去り際のサプライズにしちゃ出来すぎてるな。
俺は右手を、ロカは左手を。お互いにさっきまで身につけていた装飾品を差し出し──
「なあ、ロカ。あのさ、別に恨んじゃいないんだけどガキの頃はいつも仲良くなった側から引っ越しが続いて、ああ、ちくしょう……駄目だな、こういうの」
またルシファーやミカエルがいつ押し掛けてくるか分からない。言うときに言っとかないと。そう、言っとかないと。
「──ありがとう、ほんと。言葉もないよ。大切にする」
「私たちは政治家じゃない。一度銃口を向けあった相手とだって友情を持ったっていい。ドリームワークはチームワークから」
着飾ったのか、それとも自然にか、どちらにしても硝子細工のような綺麗な微笑みを、俺は多分ずっと忘れない。
「あたしはお前の過去なんて全然知らないけど、いい人だと思ってるよ。良き人生を祈ってる」
忘れることもできない。
この記憶は永劫、俺のなかに残り続ける。
「
「また近いうちに──
ああ、お互いに。
また生きてたら会おう、凄腕の超能力者さん。どうか、君もお元気で。
◇
メヌエット・ホームズ──何度か神崎の話にも出てきた頭の良い妹。
神崎はそのメヌエットを訪ねて英国に戻ったはずだが、神崎同様に帰国しているワトソンから未だに吉報が届かないところを見るに雲行きは怪しそうだな。
「あれ、今日はカジュアルデーですか」
「おかえり、我が弟子ぃー。あたしは野暮用だぞぉー、大事な大事な野暮用だよぉー」
アルコールとニコチンが同居してるような部屋で、右手にグラスを左手にボトルを構えた綴先生が革椅子に足を組んだ姿で出迎えてくれた。
今日はギャング映画のボスみたいないつもの厚いコートとは違い、随分とラフな格好だ。
威圧感とは無縁の、良くも悪くもお出かけ向きの尋問科の講師らしからぬ服装がまず目を惹いたが野暮用の一言で全部片付いた。
俺は左目だけの視界で先生まで歩き、左手に握られたボトルを指で弾いて鳴らす。
「先生、放課後に合コンに行くのは止めませんけど一杯やるには早すぎやしませんか? なんですかこの酒、ここまで香ってくる……そこいらの居酒屋でこんなの見かけませんよ?」
「レバノンのアラック、いいヤツだよ。お前が帰ってくるって聞いたから開けた」
「……んなもん、これから男ひっかけようってときに飲んじゃ駄目ですよ。アラックの上物……こんなのよく手に入りましたね。じゃあこれ、帰国して早々に作ってきましたチキンサンド、急な本土行きをキンジと許してくれた礼です」
「あんた白馬の王子? ちょうど口が淋しかったんだよねぇ」
「乗ってるのは白馬じゃなくインパラです。それに黒の」
教務科、慣れ親しんだ先生の部屋の隅っこからパイプ椅子を借り、俺も久しぶりに訪ねた部屋で足を組む。この世の終わりみたいなこの匂い、懐かしい。
グラスがテーブルをトンと鳴らす。手品のようにもう一つ、空のグラスが増えていた。
「まずは改めてお帰り。んで、その目やったの誰よ──まだ生きてんの?」
喉に冷ややかなナイフが当てられるよう声にも肝が冷えるのは、理不尽なことにミカエルではなく俺だ。
ヤツお抱えの軍隊どもに八つ当たりしたくなる。
「答えに困ります。檻の中にいるといえば檻の中にいるし、まだのさばってるといえば自由に外を歩いてる」
「相変わらずだねぇー。その右目はもう手遅れなワケ?」
「ドクター曰く。まあ、右目を代償に首を拾いましたから文句は言いません。もっとグロテスクな姿で野原に転がってるところでしたから」
「へぇー、また化物の藪を突いちゃったか。一杯やる?」
「一応学生の身分です、お気持ちだけ」
「残念」
グラスが空のまま、先生のグラスに軽く当てて打ち鳴らす。
「外食以外で、人が作ってくれた料理を食べるなんて久しぶり」
「もっとそういう関係を広げたらどうですか。そうですね、拳銃が似合う女性が好きなバツイチとかどうです?」
「雪平、そうは言っても今時の男は強い女なんて嫌いなんだよ。あたしや乱豹みたいな女は流行りに逆風」
「そうですね。建築ブロックをおでこで割れると分かったらみんなビビってさよならです」
いや、建築ブロックならお可愛いもんだな。
先生と乱豹先生が酔って島を傾かせた逸話に比べたらコンクリートブロックなんてお可愛い。
「人間、死にかけると物の見方や価値観が変わるって言うのはよくある話。でもお前はそんな気配すらない、前のまんま。片目をやられたってのに逞しいこと」
「もう何回も死んでますから。物の見方が変わって変わって、もとに戻っちゃいました。それにこうも言いますよ、豹の模様は変わらない」
時間の流れと共に逆らって変わらない部分と流されて変化する部分、両方を併せ持つのが人間って種なのかもしれない。
なんか哲学っぽくて似合わないな。こういうのは夾竹桃に語らせるに限る。でもこの世紀末みたいな部屋の匂い、やっぱり妙な懐かしさに襲われちまうな。
「雪平ァ」
「はい、先生」
半透明のグラスを傾け、自然と耳に流し込まれるような声に視線は否が応でも向く。
「どんなブラックボックスを開けたか知らないけど、お前の右目ってお前が思ってるより安くないからさぁー」
溶けかけのアイスを揺らし、先生は磨がれた刃のような瞳でうっすらと笑う。
「決着はつけときなァ。お前自身の為にも」
「ええ、言われずともこう見えて根に持つタイプですから。NCISみたく、追い回してやります」
「確かにお前はしつこいよね。がらがら蛇みたいにしつこい、そこも気に入ってる」
「おもしろいたとえ。嫌いじゃないですよがらがら蛇、名前の響きはかっこいい」
間違っても遭遇したいとは思わないけど。
誰かさんの影響で毒について詳しくなりすぎたせいかな。ああ、きっとそうだ。
「ああ、先生。チキンサンドもいいですがお土産も買ってきたんです、鮫の縫いぐるみ」
「……一応聞くけどさぁー、なんで鮫なの? いや、あたしも好意はありがたいんだけどさぁ」
「なんでって、先生もご存知でしょ? ハワイの人たちは昔から鮫を崇めてきたんです。あっちの言葉で" アウマクア "。ご先祖様が鮫に生まれ変わって、子孫を守ってくれる。先生にもご利益があればと」
鮫は、アメリカ50番目の州では神聖な生き物の筆頭。今でも保護団体とツアー会社が日々バチバチにやりあってる。
「ふーん……ご利益ねぇ。自白とあたしに吐かされるのどっちにする?」
「知り合いの保安官と看護師からチャリティーで大量に買わされました。おひとつどうですか?」
帰国して早々、綴先生への挨拶を済ませると武藤や不知火、見知った顔とも何人かは学内ですれ違う。
ミカエルに持っていかれた目についても当然触れられるんだが、一応ジーサードが管理する警備会社への渡航ということになっているので、話を作るのには苦労しなかった。
さすがに最初は同情めいた視線が多少は刺さるが、ここは撃った撃たれたが日常の武偵高。すぐに元に戻る。
海外行きから戻ったら片目が持ってかれた、一時は賑わいそうなニュースだが鮮度がある。噂好きの獣どもはまた新たな餌を探すだろうからな。
懐かしの男子寮、僅かばかりしんみりとした気持ちに浸りながら鍵を差し込む。
ジーサード・リーグの賑やかさ、自分で思っている以上に気に入ってたらしい。ここに来て淋しさがやってくるとはなぁ、ロカの去り際のサプライズも堪えたか。
ミカエルやルシファーのことは抜きにして、悪くない帰国だったな。ああ、間違いなく。
「ただいまジャンヌ。キンジから良いニュースあった?」
「どうやら遠山は多忙らしい。音沙汰なし」
「ロウィーナが言ってた。男が自分の殻に閉じ籠るときは東洋なら宗教的な誓い、西洋なら女のせいだ。さてはまたトラブったな、女絡みで」
どうやら俺やキンジの留守中も理子と一緒に上がり込んでいたらしいジャンヌは、何食わぬ顔でコーヒーを傍らに置き、自前のノートPCを弄っていた。
これまた眼鏡がお似合いなこって。元がいいと何を添えても絵になる、アンフェアだよな。
もう既に上がり込んでいるとメールをくれていたので驚きはない。久しぶりに見る制服姿も、相変わらず読者モデルみたいに似合ってる。
「お前の方は、イエローナイフには泊まったのか?」
「豪華なキャビンに泊まってマシュマロ焼いて、オーロラを眺める──やってみたかったけど、残念ながらカナダには行かなかった。でもマンハッタンの摩天楼が見れて大満足。サードのチームにも愉快な仲間がまた増えたよ」
「ほう、敵対した相手を仲間に引き込む、ジーサードのカリスマは顕在か」
「キンジが言うには3POみたいなヤツだって」
「3PO? あれは文句しか言わないアンドロイドだぞ?」
「スピーカーみたいに五月蝿いってことなんじゃないか。あいつの主観は的を射るときとそうでないときに差が激しい」
マッシュがサードの部下になったって話も、無事にハリケーンから生き延びたキンジから電話越しに聞いた話だ。
順調に出世を続けてた反面、トラブルとは無縁の出世街道は周囲から恨み、妬みも買ってたんだろう。そして今回の失態で、ここぞとばかりに食いものにされたわけだ。
でもまあ、キャリアと引き換えに選ぶならジーサード・リーグって場所は決して悪くないと、個人的には思うけどね。LOOも一緒に付いてきたらしいし、また賑やかになるな。
「何調べてんだ? 情報科の任務か?」
「ああ、遠山からの連絡を待ってる間に関係者のSNSをチェックしていた」
画面に目を落とすと、テントをバックにピースしている若い女性の写真が映ってる。
他にも大型バイクに跨がってるものから、バランスボールに乗ってるのや猫と一緒にソファーでピースしてるものまで、随分と多趣味だな。
「なんで今時の若者はありふれた日常をこまごまとシェアしたがるんだ? プライバシーとか、ミステリーとかあるだろ」
「お陰で、私の仕事は捗る。関係者の中にたとえ一人や二人ネット嫌いがいたとしてもその周りの人間が発信する。ネット嫌いな彼らの日常をな。目には見えないところで網が張られてる」
「SNSはおっかないね、その言い方もかなりダーク」
「お前も狩りのときはこれくらい探るだろう?」
「情報集めは次男担当、俺は控え。夾竹桃はハンバーガー買ってこっちに来るってさ。さっきメールが来た。コーヒー、入れ直すよ。キンジが買ってきたインスタントだけど」
キッチンで記念すべき神崎への初接待にも使われたインスタントコーヒーを入れ直す。
まだ信頼関係も何もない相手にやたら細かなコーヒーを注文する神崎の図々しさも大概だが、それに市販のインスタントコーヒーで真っ向から向かい打つキンジの図太さも勲章ものだ。
「コナコーヒーはキンジが全部飲んじゃって切らしてる。コーヒーの飲み過ぎでいつも馬鹿をやるんだよ、あいつは」
「ちなみに今回は何をやったのだ?」
「F4のハリケーンと飛行空母を粉砕した。ジーサードと二人、人力でな」
「……これでまたSDAランクが上がることになりそうだな」
「いつか闇で懸賞金をかけられちまうかも。狙ったアサシンには同情するよ。あんなオカルト、理子に言わせりゃ常時ヤンマーニが流れてるようなもんだ」
「……? ヤンマーニとはなんだ?」
「彼女に聞けば教えてくれるよ、俺もあいつに教わったから。パスタ作りながら教えてくれる」
そう言ってから、俺はジャンヌのパソコンが陣取っているテーブルに弾の抜いた銃を置く。
単なる鉄の塊やポリマーとは異なった、異様な空気を纏ったソレにジャンヌのアイスブルーの瞳がめざとく液晶画面から離れる。
「……それが例のコルトか。なんでも殺せるコルトとダークネスは母親が子供を寝かしつける為にするお伽噺。この目で拝める日が来ようとはな」
キーに伸びていた指をカップへと運び、ジャンヌはまだ湯気の昇るコーヒーに唇を付ける。
「苦労して修理したのに一発撃ち込んだら駄目になりやがった。ダゴンは良い仕事をしたよ、ホームセンターの材料とでっち上げの知識じゃどうにもならない。この様子だと、また苦労して修理しても弾切れが来る前に駄目になる」
優雅にコーヒーと戯れる聖女様に溜め息をくれてやり、俺も自分のカップを取る。
お伽噺になるような名実共に一級品の武器。そう簡単に修復できるわけないか。
「……」
「その何か言いたそうな顔はなんだ?」
「何事も無かったように振舞えるお前の姿に少し驚いてるだけだ。その目、治る傷ではないのだろう?」
透き通るような碧眼を曇らせ、ジャンヌがカップを下げる。
数秒。あらゆるシナリオを考えて答えを悩んだが、隠し事は親密さの敵。
「アラステアといたときは毎日体を細切れにされてた。誉められた方法じゃないが過去のもっと酷かった時のことを持ち出して、今はまだマシって自分に言い聞かせてる。知り合いの霊能者は両目を持ってかれた、彼女と比べると自分はラッキーって暗示みたいに言い聞かせてるよ」
褒められたメンタルケアじゃないし、お勧めもしない。
消せない後ろめたさを隠すようにゆっくりかぶりを振る。
「なんでもないと、内側の傷を隠してまたお前は歩くんだな」
「沈んだ顔で歩くよりは見てくれだけでも平気な顔をしといた方がマシだと思って。ヨガでもやろうかな、心が落ち着くって聞いたし」
半分好奇心で呟くと、打ち合わせていたようなタイミングで呼び鈴が鳴り、ファーストフードの紙袋を抱えて鈴木先生が上がり込んできた。
ああそういや、お前も持ってたよな。インパラのスペアキーとここの鍵。星枷は物理的に扉を開けて入ってきてたし、神崎は早々にコピーしてたし、我が家のセキリティーはもう失墜どころじゃない。
「よぉ、夾竹桃。生きて会えて嬉しいよ」
「ネガティブな挨拶をありがとう。大まかな経緯は遠山かなめから聞いたわ。誇張を抜きにしてシルバースターをあげたいところ」
「それは光栄。今回はある程度装備が潤ってたからな。イカれた刻印とコルトもあったし、隙を見てバッテリーを抜いてやろうと思ったが──ご覧のとおり、人の目でバーベキューしていきやがった」
「相変わらずで安心したけど、身内の欠損をネタにできる嗜好を私は持ってないの。そこで打ち止めにしておきなさいな、これあげる」
コーラで口を塞げって? まだコーヒー飲みかけなのに……
「はい、喜んで。黙ります。なんか今日は精神科医みたいだな、尋問か診断どっち?」
「理解したいだけ。それとさっきの言葉、私もまた会えて嬉しいわ。貴方が死ぬとは思ってなかったけど」
たまにこういうこと言うんだよな、この女。悪の組織の暗殺者だったとは思えないことをいきなり言ってくるから心臓に悪い。
しかし、それならお仲間のジャンヌ先生は?
「なんだ、なぜ私を見るんだお前は……いや、私も会えて嬉しいのが本音だ。お前がおとなしく土の中で眠っているとは思わないが、それで訃報を喜べるのとは別の問題だ」
「──────」
「……行儀が悪いぞ、わざとらしくストローで音を立てるな。私も同感だ、生きて会えて嬉しい。当たり前だろう?」
すごい、面と向かって言われると嬉しすぎてどうにかなりそう。
「お前の死体を見て喜べる嗜好を私は持ち合わせていない。倫理観の問題だ。桃子、私も貰うぞ。代金はキリにつけろ」
ジャンヌの恐ろしい一言にストローから慌てて口を離す。待て待て待て……!
「おい、さっきシルバースターを受け取った人間にハンバーガーを奢らせるのか!? 無慈悲過ぎるだろ、心がないのかお前は!」
「そもそもお前は軍人じゃないだろう。これを機に食事のマナーも見直すといい、友人としてのアドバイスだ」
「授業料って言いたいんだろうが払わねえぞ。ったく、生きて返れて良かったよお二方。ミカエルとルシファーは虚無か地獄の檻、絶対にどちらかにぶちこんでやる」
ハンバーガー、どこで食べても同じ味。
キンジの言うとおりだな。どこで食べてもハンバーガーはうまいのだ。大切な人たちと一緒になら、それはもう、最高に──
「それで、貴方はイギリスにはついて行かなかったの? お友達二人は入国してるのに、付かず離れずの貴方が帰国してくるのはちょっと意外だった」
「大丈夫、言い忘れたけど俺よりあっちに詳しいのを援軍に送ってある。デススターのど真ん中に飛び込むようなものだ、とかなんとかごねたが押し切った。今頃ワトソンと合流してんだろ。こそこそやるのが得意だから仲良くやってるよ。連中の十八番、こそこそ。水面下で這いずり回る」
「待ちなさい、もしかして援軍って……」
「最強の援軍だ。なんたって
苦笑いした夾竹桃の新鮮な表情を尻目に、俺はコーラを流し込む。
こそこそするのが得意だから怪獣の足元でもうまくやるよ。
「メール? 理子から……」
ワトソンくんちゃんと仲良しかは知らないが。
「音戯 アルトのネットライブ? いや、誰だよそれ、知らないって……」
◇
寝苦しい。息が詰まる。そんな夜も時にはある。最悪な寝覚めが運悪く訪れた日。
そんな、軽々しい気持ちで眼を開いたつもりだった。
「遅いお目覚めだこと。言いたいことはあるだろうけど、とりあえずファーストブレードを抜きなさい。二度寝できる場所じゃなさそうよ」
「ヒルダ……?」
眩い金髪と、それを台無しにする白黒の森林と空が視界に映り込む。色を失ったような白黒テレビの中に迷い混んだような光景。
殺風景な森林地帯と、BGM代わりに絶え間なく響いてくる悲鳴とも叫びとも思えない奇声。息を吸い込む度に心臓が押し潰されそうな圧迫感が全身に走る。睡魔は既に消えていた。
知ってる。もう数年も前のことなのにーーここにいた頃の記憶は鮮明に、今でも昨日のことのように思い出せる。空も、右も左も、広がっているのは色のない白黒の景色。
人の気配など皆無、あるのは怪物特有の咽せ返りそうな重たい気配。人間の重ねてきた文明社会から完全に逸脱した、こんな場所は一つしかない。神が食欲旺盛なペットを隔離するために作った牢獄、地獄と天国の狭間にある場所──ここは、
「『煉獄』か……マジかよ……」
死んだ怪物の行き着く墓場。森や廃墟で遭難した程度で迷い込める場所じゃないが、この景色、この肌に張り付いてくる空気は間違いなく……俺がかつて道連れにされたあの──煉国。
キャスとディーンと迷い込んだ、あの純粋な世界。立ち上がった俺の足が踏みしめているのは、気が遠くなる時間走り回ったあの荒れ果てた地面。
俺はさっきのさっきまで、眠りに入るまでは日本の男子寮にいた。それがどうして……嫌な現実を受け入れるのは苦手じゃないがそれにしても……いや、ここが煉獄なら考えることは1つだけだ、余計なことを考えてたら餌になる……愚痴を吐くことも原因を考えることもできなくなる。
「逃げるぞ、ヒルダ! 一ヶ所に留まったら虫みたいにすぐ集まってくるッ!」
「ま、待ちなさい……!」
なぜヒルダがいるのか、その顔は誰かに殺されてここに来たという顔じゃない。俺と同じ、理由も分からずに気が付いたらここにいた、そんなときに見せる顔。
だが、それを問い詰めるのも、俺たちがなぜこんな場所にいるかって話も全部二の次だ。あのときだって訳が分からないままこの場所に引きずり込まれた。
「二度と見たくなかったぜ……!」
黒煙が頭上を通り過ぎたとき、俺は右手で懐から元始の剣を、左手でヒルダの腕を掴み取った。
ここは連中の巣、1体が姿を見せれば次から次にわいて出る。荒れ果てた地面を走りながら、ヒルダの荒い声が届く。
「雪平っ、あれは……」
「地上では絶滅したがここにはわんさかいる。逃げるぞ、あいつは雑食も雑食だ。いくらお前でも魔臓ごと飲み込まれる……!」
共食いだって平気でやる。目に見えるものは何でも平らげるんだ。悪魔も、天使も、怪物も、人間も、命のあるものは等しく。
あれは、かつて神によって作られ、神の作るものを片っ端から喰らい尽くし、神によって隔離された太古の化物──
「──リヴァイアサンだッ!」