「リヴァイアサンって、ま、待ちなさい……!」
「神は天使や人間を作るよりもずっと先に怪物を作ったんだよ! ところが連中の食欲は神の創造物を食い尽くすほどに凄まじくっ、神は連中を監禁するために煉獄を作り上げた! ここは墓地じゃない、連中の為の檻なんだよ!」
いつかは敵、今は同盟を組んでいる味方としてのヒルダを連れて、かつて這いずり回った世界を駆ける。また吸血鬼とこの世界を走るとはな。うまい言葉が見つからないぜ……!
「頭が良く、極めて賢い怪物があちこちに住んでる。それがこの場所だ。なんでまた来ちまったんだろ、心当たりあるか?」
「あるわけないでしょ。まあ、答えは分かりきってる。原因があるとすれば私じゃないわ。十中八九、原因はお前でしょうね」
「ああ、かもな。でも俺にも分からん」
鬱蒼とした森林地帯、遮蔽物になりそうな木を背にして、とりあえず身を隠す。ヒルダも死んでないし、俺だってここに繋がるような扉は通ってない。だったら何でこんな場所に……
「朝起きたら、日本から怪物の墓場。いくらなんでも急展開すぎるだろ。前に来てなかったらパニック状態だ」
「今はパニックじゃないわけ?」
「パニックだよ。そこの木に頭をぶつけてやりたい。でもそんなことでここからは出られない。ちゃんとした出口を探さないと……」
たしか、青い光が吹き出してる場所。そこが地上と繋がってて、前はそこから抜け出した。暴れる心臓を押さえつけ、過去最高の警戒心で四方に網を張る。餌を欲しがる連中が四方にいる──休めるに休めない。
ここに巣食うのは神が匙を投げた化物だ。そこいらの獣人、怪物とはワケが違う。賢く、そして情け容赦なく獲物を丸飲みにする、それがたとえ悪魔や天使みたいな連中だろうと。
「信じられないけど、本当に前にも来たことがあるみたいね、ここは怪物の墓場。お前は人間でしょう?」
「ああ、人間だよ。前にリヴァイアの親玉を倒したら、視界が墨汁をぶちまけたみたいに真っ黒になって、気が付いたらここに迷い込んでた。今回はなんでだろ、日頃の行いが悪かったせいかな」
「いつもトラブルを招くわね、お前って」
「いつもって呼べるくらい一緒にいたか?」
「そういうのはジャンヌや夾竹桃とやりなさい」
「お前もレギュラー入りだ。おめでとう」
「……これは悪夢ね。いつかはお前から話くらいはと思っていたけど、まさか足を運ぶことになるなんて」
珍しく、その自信家な顔にも焦りが差してる。いや、むしろ警戒の表れか。魔臓って絶大なアドバンテージがほとんど働かない相手、それがリヴァイアサン。
ここの生体ピラミッドの頂点にありながら、最も個体数が多いであろう矛盾した化物。それにもしかするとここを統治してるのは……
「雪平っ!」
刹那、ヒルダの叫びにワンテンポ遅れて、スタンガンのような音が響く。音を立てて、膝を折ったのは見た目だけは30代前後と思える男。しかし、首が地面についた途端、その人間だった顔が黒い皮膚に牙と口だけとなった異形の姿に変貌する。何回見ても生理的に受け付けないよ──その顔はな。
「ウィンチェスターか。またバカをやったか?」
声の方向を振り向くと、男が三人横並びに立っていた。残念なことに吸血鬼やウェンディゴじゃなさそうだ。
電流を走らせ、迎撃したヒルダが不機嫌に新手を睨みつける。
「知らないようね、ウィンチェスターはいつだってバカをやるのよ」
「本当に夾竹桃みたいなこと言うなよ。つか、見ない顔だな。前に脅したことあったか?」
懐に潜らせた手から元始の剣を抜きつつ、首を揺らしてやる。さっきの一匹はヒルダの電流でダウン。周囲で気配を感じるのはこの三匹のみ。
「また吸血鬼と一緒か、よっぽど好きなんだな」
「まあ、成り行きで。退けよ、今なら追わない」
「人間は餌だ。吸血鬼も、ジンも、シフターもレイスも。忘れたか?」
当たり前に、それが常識だとばかりに言う。
実際、連中の中ではそれが常識なんだ。人間が空気を取り込んで生きるように、奴等にとって自分以外の存在はすべて餌。腹に収めるものでしかない。
どこまで行っても頭にあるのは食欲、飢饉の騎士もこれには呆れるな。本当に、心底うんざりする。
「いいや、忘れてないよ。人間はたった億単位しかいない。餌を分配をするのが嫌で吸血鬼との同盟も破棄したもんな、アルファの方がまだ話ができた。いや、本当に今思うとあいつはかなり話ができる方だったよ。お前らみたいに食べること以外にも頭が回った」
「ここは俺たちの巣だ。みんなお前には恨みがある」
「ああ、そりゃそうだ。地上ではメグと一緒に片っ端から首を跳ねて、こっちでも手当たり次第に噛みついてやったんだからな。ホームゲームなのにボロ負けだったよな?」
駄目だ、痛々しい。自分で自分が痛々しいって分かるのに歯止めが効かない。無理だ、痛々しいって分かってるのに笑みが抑えられない。
普通、ここで笑うか。いや、これがメグなら笑ったな。きっとルビーでも笑った。
「そっちも大切なことを忘れてる。こっちもお前らのボスには恨みがあるんだ、私怨ならたっぷりある。紙の山ができるくらいにな」
目を見開いて踏み込んだ刹那、三人の顔が同時にリヴァイアサン本来の姿を取る。連中の弱点はホウ酸、悪魔が聖水で火傷をするように奴等は洗剤で火傷する。残念ながら俺の手持ちには洗剤はないが、今はもっと確実に致命傷を与えられる武器がある。
相手はリヴァイアだ、仲間の頭に鉛弾をぶちこんでくれたあのリヴァイアサンだ。無理だな、勝手に手が動いてる。この手は止まらない。
「ここは煉獄で、お前たちは人間じゃない。9条もここにはない。地獄でも虚無でもいい……大好きな食事のできない場所に行っちまえ」
痛々しくてもいい。紛れもない殺意を込めた一撃は真ん中の一体の腹を抉った。リヴァイアサンは殺せない──それがルール。だがそのルールを無視する武器が、本当に都合よく俺の手に収まってる。
「……あ?」
刹那、剣を刺したその体は黒い液体を撒き散らすようにして四散した。黒く染まったオイルのごとき中身が髪に張り付いていく。
「アバドンを殺せる武器だ。お前らを一蹴できないわけねえだろ」
右には頭を、左の個体は肩を。部位なんて関係ない。殺意を持って一発与えれば、リヴァイアサンの体は黒い液体となって弾け飛ぶ。
俺が振るってるのはそういう武器だ。なんでも殺せるコルトの刀版、不死身とされた地獄の騎士だって葬ることのできる──元始の剣。
「なんって言ってたっけ。そう、たしか──ちょろい怪物」
いつか知り合いが連中に送った言葉を、そっくりそのまま真似てやる。地面には計三体分の黒い粘液がべっとり、ペンキをぶちまけたように足元を汚している。連中にとってはこれが血液みたいなもんだが、何度見てもグロテスクなことこの上ない。
「──Fii Bucuros……血に呪われた武器というだけはあるわね。余韻に浸ってるところ、水を差すけれど動いたほうがいいんじゃないかしら? 連中は虫のように群がってくるのでしょう?」
「ああ、そうだな。たったこれだけでも、騒ぎになりかねない。前に来たときは地上に繋がる出口があった。まだ門が閉まってないことを祈る」
電流でスタンしている残りの一匹に刃を振り下ろして、灰色の空を仰ぐ。陽光の注ぐ太陽も、明かりをくれる月もここにはない。
昼も夜もなく、雨も曇りも晴天はない。永遠と灰色の空が続いている世界、それが煉獄。またこんなところで数年間サバイバルなんて気がおかしくなる。
「行こう、ヒルダ。ここが煉獄なら
「ベニー? 前にお前が言ってた吸血鬼のお友達のこと?」
「正直、ここに迷い込むなんてのはとんでもないトラブルだが、ベニーに会えるんなら礼を言いたい。家族の分まで」
この場所に立って、まず最初に浮かんだのは親友と呼ぶべき吸血鬼だった。いや、彼は間違いなく恩人だった。アダムと同じ、ずっと心の内で引っかかってる過去の1つ。
「まずは死なないことを第一に考えなさい。死んだら喋ることもできなくなる」
「そうだな、それは言えてる。ベニーは寡黙で頭も良い、お前もきっと気に入るよ」
「そう、楽しみだわ」
四方にあるのは木々と草が繁るだけの、綺麗に言えばまだ人の文明が介入していない時代の、地球の元風景とも言える光景かもしれない。が、ここには花も咲いていなければ虫もいない。少し歩いていけば、空き缶やタバコの吸殻感覚で転がっている怪物の死体がここがどういう場所かは教えてくれる。
過去に走り回った記憶を探るが、この世界も言うに及ばず広大だ。州、県、国ではなく、俺たちが迷い混んだのは煉獄と呼ばれる1つの世界。こんなことなら、地図を作っとくんだったな。
「人工物は欠片もないのね。人がいないのだから当たり前だけど、ここは花の一つも咲いていないの?」
「お前から花の話題とは意外だ。前にもここに来たことがあるが花なんて見たこともない。あるのはこれだけ」
草を踏みつけて歩きながら、転がっている怪物の死体を目で差す。あっちはシフター、こっちはピシュタコ、ちょっと歩けばアラクネと思わしき亡骸まである。バラエティーには困らない。
「ブラド、お前のお父様はここに興味津々だったが来てみてどうだ?」
「そうね、お前が語った話は本当かもね。ここにあるのは生きるか死ぬか。ある意味、純粋な世界よ。楽しいとは思えないけど」
趣味じゃない、遠回しにそう言いたげな目がこっちに向けられる。そりゃそうだろう。俺から見てもヒルダは地上の、正確には人間の文化や娯楽に馴染みすぎてる。良くも悪くも闘争以外は何もない純粋な世界は、現代に馴染すぎた彼女には退屈でしかない。
「長生きするように気をつけるんだな。ここがつまらない場所って分かったのは収穫か?」
「そうね、唯一の収穫よ。私の喉を満たしてくれそうな血もここにはなさそうだし」
「ここにいるのは化物だけだしな。こんなこと言うとは思わなかったが吸血衝動に耐えるのは……かなりキツイ。お前は上手くやってるよ」
スナック感覚で電池を食ってるところを見たときは流石に開いた口が塞がらなかったけど。人の首に噛みついて、血を抜き取っちまうよりはずっと平和的だ。
「まるで自分も吸血鬼だったような言い草ね?」
「ここにいると罪の意識に苛まれたり、余計なことを話したくなる。俺も日本に来るまでには色々あったんだよ」
「昔、お父様から聞いたことがあるわ。転化したばかりで人の血をまだ吸ってない状態なら、吸血鬼を人間に戻せる方法がある、と」
「地獄だ。ガソリンを一気飲みした気分って言えば伝わるかな。二度とやりたくない」
体の中に溜め込んだものを全部吐き出して、吸血鬼から人間に戻すってイメージ。あの解毒剤と呼ぶべき薬の不味さは酷いもんだ。良薬は口に苦し、それにしても限度がある。
「なんだ?」
「いいえ、一瞬でもお前が同族になっていたと思うと、不思議な気持ちになっただけ」
滅多に見れないヒルダの怪訝な顔に、つい聞き返していた。
「安心しろ、今はモノホンの人間だ。家族が物知りでラッキーだったよ」
「お前もこっち側なら、もう少し仲良くやれていたかもね?」
「分からないぞ、もっと酷かったかもな」
あのときはディーンは転化する前にリサに一目会いたいと、死ぬ前に愛する人に会うことを望んだ。残念ながら、ジョーを失って手一杯のあの頃の俺には、そんなリサみたいな相手はいなかったが、仮に今の俺ならどうするんだろう。死ぬ前に与えられた微かな時間、どこで何をするのか。
ウィンチェスターの家族と過ごす。スーフォールズでクレアや保安官たちと話をする。バスカビールのメンバーと食卓を囲む。エレンとジョーの墓に足を運ぶ。かなめに将棋のリベンジ、ロカとショッピング、ジャンヌとテレビ番組のイラストコーナに投稿する絵を描く。駄目だな、やることが多すぎる。
「死ぬまでに微かな猶予があるなら、人は最後は好きな相手に会いたくなるもんなのかな」
「知らないわ。私は人間じゃないもの」
ヒールの音と一緒に、素っ気なく答えが返ってくる。
「そうだな、俺は人間でお前は吸血鬼。天使がいない以外はあのときと一緒だ。なあ、200ガロンのAB型の血液をココに頼んだって、あれ本当か?」
「正確には東欧系の少女の血液パックを200ガロンよ。あの子もお喋りね」
話題を逸らしたことには触れず、ヒルダは露出した自分の手に目を落とす。200ガロンの使い道は末恐ろしいので聞かないことにする。
「あの守銭奴相手にそんな値が張りそうな取引をよく通したな? 吹っ掛けられただろ?」
「イ・ウーの会計士は優秀なの。あの子にはいつも可哀想な買い物になるけどね」
不意に隣を歩くヒルダの足が止まった。
「その死体、さっきも見たわ。同じ場所を回ってる」
「いや、別の死体だ。俺は方向感覚が良い」
「……さあ、どうかしら。協力者の一人や二人用意できないの? お前のガイドはイマイチ信用できないわ」
「失礼な女だな。この悪趣味なテーマパークを抜け出すために俺も頭を捻ってるんだ。確かに友好的なまま別れた怪物も何人かいたが──」
草木を掻き分ける音がして、俺たちは足を止める。まだ数メートル先の太い大木と大木の間、そこに男が立っていた。ここでは珍しくもない、口元を血で汚しているだけの吸血鬼だ。
だが、その厳格な顔つきと屈強な体には覚えがある。ミイラ取りがミイラになった正確には吸血鬼になった吸血鬼ハンター。
「……」
「ご、ゴードン……?」
間違いでなければ、それはカスティエルやクレアどころか、ルビーやリリスよりも先に出会ったかなり古い知り合いの男だ。険しい顔が、ほんの一瞬だけ口角が釣り上がったように見えた。どうやら別人じゃなさそうだ……
「ゴードン……十年振りくらいか。にしちゃ顔色がいい。こっちの生活はどうだ?」
「……」
不気味な笑顔。こいつは相当恨んでるな。
「あれはお友達じゃなさそうね」
「色々あったんだ。もう昔のことだが元はハンターで──また説明する!」
銃の不法所持で刑務所送りにしたあと、最終的に兄が首を落とした──なんてことを説明してやれる暇はなく、口を開いて吸血鬼特有の牙を剥き出しにしながら突っ込んで来る。
まだ距離はあるが、その呻き声に近い声に引き寄せられるようにして眼前の木々の間から他の吸血鬼たちが群がってきた。今度は両手の指でも足りない……!
「昔と違って、今は吸血鬼と仲良しかッ……! 逃げるぞ!」
ヒルダの電流には回数制限がある、連中を纏めてダウンとお願いしたいところだが乱用はできない。逃げれる相手には逃げるのが懸命、俺は踵を返して再び生い茂る森のなかをヒルダと一緒に怪物から逃げる。
「雪平、お前は何を警戒してるのっ……! さっさと吐きなさい!」
「ここのボスだ! 普通に考えるならここを仕切ってるのはリヴァイアじゃない! 万物の──ちっ、どうにかして撒かないと!」
何の草、植物かも分からない自然ののさばる道をヒルダと駆けるが……
「お前、なんでヒールなんだよっ! そんなんで速く走れるわけないだろ!」
「私は逃走も速く走る必要もないのよッ!」
「今は必要なんだよ! 沿岸警備隊の教え、どんなときも備えありだ!」
「これだからヒールの価値が分からない男は……っ!」
ブーツやヒールを敬遠しているジャンヌとは違い、この吸血鬼の履き物は明らかにジャングルを駆け回るには適していないヒール。その背中にある翼も飛ぶというよりは風を掴んで滑空するための物。無理だ、この速度差は追い付かれる。あっちも腐っても吸血鬼、ある程度の身体能力は約束されてる。
「ちくしょうめ、あのモンスターが他のお仲間を呼ぶ前に片付けるしか──」
「そこのハンター! こっち!」
反転し、計画を変更しようしたとき、第三者の声が響き渡った。ゴードンに負けず劣らずの深い場所に置かれた記憶が引き出される。あそこにいるのは……おい、マジかよ。あれは──
「レノーラか……!? ヒルダ、あっちの彼女は仲間だ! なんとか走れッ!」
全力疾走のヒルダという稀有な光景を楽しむ余裕はなく、追ってくる吸血鬼たちの目をXDで狙って足止めを狙いながら、俺はレノーラのいる方向に進路を変える。ゴードンにレノーラ、懐かしい再会が続くもんだな……!
「雪平! あの子は誰なのよっ……!」
「お前の親戚だ! レノーラ、ヒルダ、5秒後に閃光弾をぶちこむ! いくぞ、5.4.3……!」
なけなしの武偵弾をぶちこみ、閃光が灰色の世界を包み込む。日光じゃなければヒルダに害もない、今のうちに逃げ延びる。
「レノーラ! 積もる話はあるが──」
「撒くわよ、ついて来て!」
「恩に着るよ! あのとき並みに!」
数時間だけヒルダと同族系主人公。
年内には緋緋神まで終わると思います。決戦前のところまでは行ける見込み。