「──列車が行き着く場所はなかった。しとしとと降る雨は密やかな罪を映し出す。震えぬ心、揺れぬ思い、もはや傷つく事もない」
シャワーを終え、浴室を出たときに抑揚のない声は流れてきた。
広い部屋を埋める無数の観葉植物は低木から背の高い鉢植えまで多種多様。白い蝶がちょっとした植物園のようになっている空間をゆらゆらと飛んでいる。
「銀色の月光と消えた日々は今、抗いを求めるのか。瞳に移らぬその光はかつては確かに届いていた。そして、光は満ちる────」
悲哀に満ち、抑揚のない声で紡がれた語りはそこで止まった。アンティーク調のテーブルに向かい、ペン先を立てていた手もそこで止まる。
「誰の言葉?」
「さて、誰かしら」
テーブルとお揃いの、アンティーク調の洒落た椅子に腰掛け、首を向けてきた夾竹桃だが答えはくれない。
意地悪っぽく誤魔化した夾竹桃にそれ以上は聞かず、椅子代わりにだだっ広いベッドの一角を借りて腰を下ろす。
「シャワーありがとう。それで、キンジから連絡は?」
「なし。でももう一方から連絡が来た」
「もう一方……ワトソンくんちゃんか。どこに行っても生真面目だねえ、そこが好きだ。大きなニュースはあった?」
「ええ。いいニュースと悪いニュースがセットで来てる」
「近頃は悪いニュースばかりだからな、せめていいニュースから聞かせてもらっても?」
いいニュースと悪いニュースはお天気と交通情報みたくいつだってセット、一緒に訪れる。
エリア51の奇襲作戦を終えたのち、キンジは英国へ飛んだ。
神崎とワトソンの故郷──英国イギリス、そこにいる神崎の妹『メヌエット』に会い、彼女から色金の情報を手に入れる為に。
「いいニュースはメネエットと無事に謁見が叶ったこと。要約すると、貴方のルームメイトは無事彼女の屋敷に転がり込んだ」
「怖いくらい上手くいってるな、一週間も経ってないのに」
「ファーストコンタクトは幸運。それで、悪いニュースの方だけどそっちが難題」
「難題?」
「政治の話。恋愛も絡んでる、貴方たちの苦手分野よ、力で解決できないこと。おまけに、今回のことはスケールが大きいって」
「政治の話って大嫌い。まだ大して中身も聞いてないのに頭が痛くなりそうだ。胸焼けまでしてる」
「……それは食生活が悪いからでしょう?」
だが、政治の話ってことは大きいトラブルと見ておくぜ。恋愛、政治……厄介な匂いがこの上なく漂ってる。
ゆらゆらと部屋を飛び回る蝶を何気なしに目で追っていると、すぐ隣。ベッドの上にコーラの缶が投げ込まれた。
「なんだ?」
「ちょっとした用事ができたの、明後日のフライトで私もイギリスに行くわ。ついてきなさい、コーラあげるから」
「……は、はぁ!?」
衝動的に掴んだコーラを落としそうになる。
明後日にイギリスに行くから一緒に来い、代わりにコーラをひとつ奢ってやる、そういうことだろうか。無茶苦茶である。
当然、俺は待ったをかけた。
「ちょっと待て、どうしていきなり英国に行きましょうなんだ? ワトソンとキンジが心配になったってなら分かるがいくらなんでも急過ぎやしないか……?」
しかし、言い終えてから我に返る。
衝動的に言いはしたがただの旅行ってわけじゃないはずだ。明後日にイギリスに行こうだなんてやっぱどこかおかしい。
違和感を込めた視線で夾竹桃を見る、一緒に過ごした時間はまだ一年にも満たないが過ごした時間の『質』で言えば一年分どころじゃない。今夜の夾竹桃は何かおかしい。
突然持ちかけられたこの英国行きの誘い──何かある。
「さては何かあるな。何かおかしい。このコーラまだ開けてない、先に英国行きの理由を言え。そしたら開ける」
俺はプルタブに指をかけながら問い詰める。
私服になっている、黒い長袖のセーラー服姿の夾竹桃は一度片眼を瞑り、
「一応聞くけど、答えるまで追求されるパターンかしら?」
「じゃあここでクイズです。この状況、お前が俺の立場なら……アンサー?」
「話すまで追求する」
「そういうこと。なんなら深夜アニメ見ながら話すか?」
部屋相応の立派なテレビを視線で示す。
片眼を瞑ったままの夾竹桃は小さくかぶりを振り、俺の隣に静かに腰を下ろした。
「……いいわ。オフレコでも?」
「もちろん、音声バリア張るよ。音声バリア」
「それ前にも聞いたけど、元ネタはなんなの?」
「知らないのか? "それいけスマート"、テレビの。見たことない? あれ傑作だぞ」
「それってたしか60年代の作品じゃなかったかしら……。じゃあ話すけど、まずはさっきの話を掘り起こすところから。実は遠山キンジから連絡は来たの、私宛にね」
答え合わせの始まり。
ああ、なんだキンジからも連絡はあったのか。でも隠すようなことでもなさそうが、
「いいよ、続けて」
「ええ、そうよ。私宛に連絡が……あの男、さすがは探偵科と言うべきなのかしら。いいえ、でもこれは……ああでも、話しておくべき……? いっそ今日ここで……ああでもやっぱり……」
「……一人で何やってんだよ。おーい夾竹桃? 夾ちゃん?」
頭を抱え、突然葛藤し出した鈴木さんを俺はとりあえず落ち着くまで待った。
ここまで来ると、何がイギリス行きを決めさせたのか俺も気になってきた。見る分には面白い夾竹桃のレアな姿はしばらく続き……
「実は遠山キンジから連絡は来たの、私宛にね」
「そこから始まるのか……。いいよ、どうぞ続けてくれ」
「私が遊んでいるネットゲームに『ムニュエ』ってフレンドがいるんだけど、その子に会ってくれないかってメッセージが届いたの。……遠山キンジから」
珍しくどこか狼狽えているような声色で夾竹桃は俺の肩に両手を乗せてきた。……待て待て、落ち着け、整理するぞ。
「キンジから連絡はあった。けど、その内容はお前にそのムニュエってネトゲの知り合いに会って欲しいって連絡だった……どういうことだ?」
言葉に起こすと──意味不明だ。
どうしてイギリスで厄介事に巻き込まれてるであろうキンジが、このタイミングで夾竹桃にそんなことを頼むんだ?
「あの男が言うには……色々と濁したメッセージだったけど、私がムニュエに会うことは遠回しにだけど色金の真実に近づくことになる」
つまり、この頼みごとはなぜだか分からんが色金に、恐らくあいつが現在進行形で巻き込まれている厄介事にも少なからず関わりがある、ということになる。
「なあ、キンジは神崎のところの屋敷に転がり込んでるんだろ? 考えすぎかな、そのムニュエってユーザーはイギリスにいる。察するにキンジの近くに。……お前その知り合いって……」
「ええ、同じ意見。世界は狭いわね、そう思わない?」
なんてこった。夾竹桃と神崎の妹はネトゲを通しての知り合い。思わぬところでホームズ家との縁が繋がってたな……ネットはすごい。
いや、出来すぎてるぐらいの偶然だ。こんなところで縁が繋がっていたなんて斜め上もいいところ。神崎も自分の戦姉妹が逮捕した犯罪者が妹とネトゲ友逹だったなんて夢にも思わない。
「話は分かった、形はどうあれお前の英国行きが色金絡みなら断る理由もない。ついてくよ。ただ気になることがある」
と、俺はひとまずイギリス行きの" 了承 "を前置きした上で、残った疑問をぶつけることにした。
「これ、ようするにネットの友達と現実で会うってことだろ? ネットの中はネットの中、現実は現実って棲み分けをしたいヤツもいるけど、さっきの葛藤やなんか狼狽えてるように見えるんだよな。まだこのイギリス行きの話──大事なところが見えてない気がする」
「これ、取り調べなの?」
「俺の数少ない特技だ。今ので話の中身は半分覗けたな、あと半分も晒せ。一思いに」
「……いつになく楽しそうね。仲が悪い訳じゃないし、会いたくないわけでもないの。むしろその逆よ、仲良しでとても会いたい気持ちでいる。ただ言ってない事実があるというだけ」
「言ってない事実ってのは、ようするに嘘だってことか。それとも隠し事ってこと?」
「嘘だってことは隠してないわ。今言った」
「お馬鹿、そんな無茶な言い訳が通用するのはホームドラマの中と我が家の中だけだ」
これで七割、いや八割は明らかになった。あと一押しってところだな。
夾竹桃にストップをかけているのは過去メネエット……ネトゲの友達に対しての嘘から来る後ろめたさが原因。
それが大きな嘘ゆえか、大小に関わらず嘘をついていたこと自体が後ろめたいのか。ホント、ある日突然俺の首を落としに来た女とは思えない綺麗な理由だ。
「分かった、大体のところは見えたし、どんな嘘や隠し事をしてたかは追求しない。だが、その子が大切な友達なら今回後腐れなく本当のことを明らかにするのも一つの手。とりあえず、お前が行くなら俺もついていく」
綺麗な落とし処を見つけ、俺は広々としたベッドに背中を倒した。結局、夾竹桃が行くのならついていく。それで行こう。
前は、レバノンの奥地まで迎えに来てくれたことだしな。今度は俺がイギリスまで付き添いしてやる。本当のことを言うと、生のビッグ・ベンも見たかったし。
「なあ、あれ見よう。NCISのハワイ、やっとリリースされたんだ。そこのでかいテレビで」
「年齢……」
「えっ?」
隣からベッドが沈む音がして、首を捻る。表情の乏しい顔で魔宮の蠍は天井を仰いでいた。ポツリと口から出た言葉は確かに聞こえた、年齢……年齢……?
「あの、先生……?」
「少しだけ、ええ、年齢が事実と異なっているの。そう、少しだけ彼女に嘘の年齢を」
「言っちゃったのか?」
「言っちゃった」
天井に向けられていた首が傾き、仰向けのまま丸い瞳と視線が合う。年齢を誤魔化した、言い方は悪いけど安心した。もっと大きいのが来ると思ったけど、すごく普通の嘘だ。
「よし、分かった。言い方は悪いけど、それなら行くべきだ。確かに嘘は嘘だけど蘭豹先生だって出会い系じゃサバよんでる。そんなので大切な友達と会える機会をダメにしちまうのは、勿体ないよ。明日明後日何があるか分からない、俺たちみたいなのは特にな」
「……そうね。天を落とすときが来た」
「いや、その意味は分からんが。何だよ天を落とすときって……何の決め台詞だそれは」
「雪平。一応、一応聞いておくけど、私は高校生ってことになってる。間違いない?」
「はあ? 高校生だろ、かなめと同じ一年生。何を今さら、16歳の高校一年生。今年で進級して17歳」
何をいまさら、かなめに唯一拮抗できる頭一つ実力が飛び抜けてるここの一年生。そんなこと確認するまでないだろ。
「それがそもそもの間違い。理子やジャンヌ、あの子達は知ってるけど、私は高校一年生じゃないの」
「えっ、え……お前なに、一年生じゃなかったのか? ま、まあ、司法取引だったもんな。そっか、それは……驚いた。へえ、ずっとかなめと同い年かと」
司法取引で間宮と同じクラス、同じ学年を希望した。交渉材料に使ったなら頷ける。これは俺にとってもなかなかのカミングアウトだが……待てよ、じゃあ本当のところ何歳なんだ?
理子やジャンヌと一緒に組んでた、同期って聞いてるがそれはイ・ウーでの話だ。年齢ではなく同じ時期に入学したってだけの話。
聞かなくていいような、いやでもここまで来ると……そうだ、そもそも俺の過去は例のつまらない本で暴かれてる。これくらい聞いてもアンフェアにはならない。
「あの、失礼だとは思うんだが……夾竹桃って本当は何歳なんだ?」
「……」
清々しいくらい露骨に目が逸らされた。しかし、ここまで来てはもう退路も何もない。
頭に銃口でも突き付けられてるんじゃないかって険しい顔で、やがて手袋をしていない方の指が二本立てられる。
「2個……2個上?」
「え、じゃあキンジや星枷よりも年上だったのか? 全然分からなかった。でも二個上ならそこまで悩むなよ、世の中もっとサバ読んでるヤツは──」
「──高天原ゆとりの」
………
…………………
…………………………………
「……そっか。高天原先生の、2個上……高天原先生の2個……2個……かぁ……」
──高天原ゆとり。東京武偵高探偵科教諭、22歳独身。