「おい見ろよ夾竹桃、この機材の山を。ここの物だけでEMFが作れそうだ。そこのお前、俺と一緒に幽霊退治をやらないか?」
「……部品に話しかけてるの?」
「花には話しかけるだろ?」
「気難しい子にはね、蘭とか」
英国──ロンドン・ベーカー街の一角に潜んでいた電子部品の機材販売店から外に出る。仰いだ空は快晴、今もなお上昇中と言わんばかりに青く澄みきっていた
明後日にイギリスに行きましょう──と、唐突も唐突な夾竹桃に誘いに乗せられ、俺は英国イギリス、かの有名なロンドンの空気を無事吸うことになった。
まるで入国を歓迎してくれているかのごとく澄んだ空の下、映画やドラマの中でしか見たことのなかったベーカー街の歩道を俺たちはキンジとの待ち合わせにしているカフェへ向けて歩く。
「蘭が気難しいなら、椿はきっと寂しがり屋だな」
「またどうして?」
「なんつーかあれだ、イメージ。椿って強気な態度で身繕ってるけど、本当は極度の寂しがり屋ってそんな感じがする」
元UKの賢人ことケッチ曰く、ロンドンは伝統的なヨーロッパ風の建物と現代的なビルがバランス良く建ち並ぶ街。
こうやって実際に立ってみると、確かに天秤がどちらに傾くことなく釣り合ってる。伝統と現代建築がバランス良く共存してるってケッチの話は嘘じゃなかったな。
ネトゲの中では何度も話した仲とはいえ、現実では今日これから初めて顔を合わせるということもあり、夾竹桃も今日ばかりはいつもの黒セーラー服から離れて──黒いワンピースのドレスという、どちらにせよ人目を惹いてしまいそうな姿でロンドンの街を歩いている。
武藤が言うには『黒』は女性の体を細く見せる魔法の色だそうだ。白い造花をいつものように髪に飾り、隣を行く夾竹桃をふと見やる。
素人目でも手をかけて造られているのがハッキリと分かる上物の黒いドレスは……似合わないわけないか。分かりきってるな。
「なあ、お前本当に東大卒の──睨むなよ。蘭豹先生より上ってのがまだ信じられないんだ。だってそうだろ、世の多くの女性が若作りしようって頑張ってるのにお前と来たら……若返りの泉でも見つけたのかってレベル」
「一つアドバイスしてあげる、女性にその手の話題をしつこく持ち出す男は嫌われる。貴方が失礼なのは今に始まったことじゃないけど」
「悪かったよ、でも本当に失礼なヤツならもっと容赦ない言葉を浴びせる」
「それはたとえば?」
「たとえば────あんた、24でセーラー服は無理がねーか?」
刹那、鳩尾ど真ん中へ裏拳が綺麗に入り、俺は歩道にもかかわらずその場で悶絶する。
た、例えばって言ったろ……っ!
「もう一つアドバイス、好奇心は立派な資質だわ。猫だったらの話だけど」
「……ぼ、暴力反対……っ!」
「もう一つ、男は女を助けた気でいて見当外れなことをしてる」
「‥‥‥それじゃ一つじゃなくて二つだよ」
「その二つは同じものよ、本質はね」
「いや、違うだろ。どこをどう見ても‥‥‥」
「話題を変えましょう、愛しのbabyを一人にはしてないわね、誰に頼んだの?」
悶絶する俺を残し、強引に話題を変えた夾竹桃は歩道の先を歩いていく。
神崎のハイキックを浴びるキンジの気持ちが少し分かった気がする。言わなきゃ良かった……
「インパラなら留守中ちゃんと
「車でドッグファイトする玩具?」
「……まあ、間違ってないんだけど、たとえが武偵っぽいな」
武藤貴希。お馴染み武藤の妹で、車輌科一年の優良株。ブレーキ音みたいな名前に反して、日本全土をアウトバーンにしちまう第一級のスピード狂だ。
キンジもたまに仕事を頼むことがあるが、兄貴に似て腕はたしか。信頼できる。
貴重な2ドアの67年インパラということで快く引き受けてくれたが、イギリス行きと聞くや案の定お土産をせがまれた。
かなめにも何か身繕うつもりだったし、時間を見つけて車のキーホルダーでも探してみるか。排気量の高そうなデカイやつの。
「イギリスがどうして左側通行か知ってる?」
すぐ隣を古いルノーが追い抜いて行ったときだ。ちらりと薄闇色の瞳がこちらを向いた。
「中世の習わしだろ。今も昔も右利きの人間が多い、馬で左を走りつつ、すれ違いざまに剣を抜いて──切り合った。その習わしが現代にもこうして続いてる」
「あら、驚きだわ。勉強したの?」
「前に『NCIS』でやってた」
「納得」
さながら車は現代の馬、古くからの習わしが多少は形を変えてもこうやって現代にまで残ってるのは考え深い。因縁深い四人の騎士たちもみんながみんな洒落た車に乗ってたっけ。
『戦争』が乗ってた赤いマスタングは騒動の代金に拝借したが、一週間も経たないうちに姿を消して行方知れずのままだ。
クラウリー辺りが盗んだのか、独りでに姿を消してしまったのか。今頃、主人を失ったあの馬はどこで何をしているのやら。
「雪平。今さら言うのはおかしな話だけど、よく着いてきてくれたわね。賢人たちとの縄張り争いは現在進行形でしょう?」
「縄張り争いっていうか連中が一方的に押し寄せて来ただけだ。この際、連中のことは楽観的に考えることにした。いまはお前やワトソンもいるしな? 巣から這い出てきたときは一緒に暴れてやろう」
目配せすると、彼女は不適に微笑む。
「穏やかな観光で終わることを祈るわ」
「だな、たまには
「……いい『お母さん』ね」
「ああ。いい人だったよ、君に似て」
うっすらとした笑みが自然に広がる。
残された左目で仰いだ空は、蒼穹のごとく澄み渡ったどこまでも果てしない──蒼だった。
「英国をお前と散歩してる、これはお前のところの教授でも推理できなかったかもな」
「貴方は私のお目付け役で、もう私の一部みたいなものなの。私は遠山キンジの要請でイギリスに行って、貴方は買ったら付いてた」
「それじゃあチップスのオマケじゃねえか」
「オマケだって馬鹿にはできないわよ? 野球カード、質屋で20ドルついたんでしょ? 直筆サイン付き、若かりし貴方の映画代に消えた。例の本に書いてあったわ」
……なんでも書くんだな、あの本は。
ここまで来ると呆れるぜ。
「……だからあの本は燃やせって言うんだ。なんでくだらねえことを一から十まで載せてやがる」
「4ドルを20ドルまで粘った忍耐力は誉めてあげる」
「誰のサインカードか分かってんのか? 現役の間、ずっと球団を支え続けた名遊撃手だぞ。もちろん殿堂入り」
「そうやって口説いたことも書いてあった。なんて言われたか覚えてる? 殿・堂・入・り・はしてない」
「殿堂がいつかすごさに気付くよ。明日か明後日か、もっと先か分からないけど」
◇
キンジが待ち合わせに指名したのは、ベーカー街にあるガラス張りの今時のカフェだった。
キンジがカフェで待ち合わせ……十中八九、神崎の妹を考えてのセレクトだろう。
肩透かしを貰ったというべきか、デススターに乗り込んだわりにはまだ銃声も刃物とも出くわしていない。
連中が抱えるのは養成所で教育された生粋の暗殺者だが、周囲に張り付いていれば俺か夾竹桃どちらかのセンサーにはかかる。二人で網を張れば穴はない。
「待ち人はまだ着いてないみたいね」
「十分そこらで来れるみたいだし、そう遅くはならねえだろ。まだ指定された時間まで三十分はあるしな」
一歩、また一歩と進めているうちに、何の障害もなく俺たちは待ち合わせのカフェに無事辿り着いた。
行き交う人の影がないわけじゃない。軽く夾竹桃に目配せし、辺りの気配を探ってみるが……案の定、変化はない。
「空振りね」
「空振りだな。通行人の中にもダサイ服着たそれっぽいのはいなかった」
「ストーム・トルーパーもストライキ?」
「ケッチみたいにあれが足りなくてそっぽ向かれたのかもな。人としてのまともさ」
あそこは右も左も秘密と嘘だらけ。
人の道を説く立場にないが真面目な話、あの組織は歪んでる。手のつけられたいレベルでUKの賢人という組織は終わってる、こればかりは誇張も何もない。
が、これは朗報だ。俺初の英国訪問はもしかするとこのまま穏やかに銃声とは無縁で終わるかもしれない。
「しかし、お前とイギリスか。異世界走り回るよりは楽しいもんだな。景色は綺麗だし、空から危ない連中が降ってくることもない。平和的だ」
「車のディーゼルエンジンで肉を焼いたのはあれが初めてよ。あの野外バーベキューは忘れられそうにないわ。それなりに一緒にいたのにまだ隠し技があったなんてね」
「専門用語でカーベキュー。あれは親父の知り合いの退役軍人からずっと昔にやり方を教わったんだ。カンダハルにいた頃、同じ部隊のメンバーとよくやったって」
まさか何年もあとになって実演する日が来るとはなぁ。世の中つくづく先のことが見えない、近頃はよくそんなことを考える。
俺はある日自分の首を奪いに来た女と荒廃した異世界を走り回り、バーベキューをやって、今は一緒にイギリスの空気を吸ってる。さすがに数年前の俺にはこの展開は読めなかった。
「こんなときに言うことじゃないけど、感謝してるよ」
「それはどれに対してかしら」
「色んなことがだよ。色んなことに対して」
待ち合わせまでまだ三十分、先にカフェのテーブルに着くや出てしまうのは自分でも形容しづらい言葉だった。
感謝してることが多すぎて、俺は一体何に対して礼を言いたかったんだろう。何気なしの一言でも一度口から出てしまうと取り消せない。
存外、言葉とは不便なときがある。気持ちが先走ると特に、厄介なもんだ。
「こうしてると変な感じ、どこにでもいる男と女って気がしない?」
「ああ、訳ありの男と女がカフェで堂々と珈琲を頼んでる。こうなっちゃ世も末だよな」
「初めて会ったときまで、貴方のことは悪い噂しか聞いてなかった。でも今の貴方は、どこか可愛げがある」
「……なんて答えりゃいいんだ?」
「ありがとうでいい」
澄ました顔で夾竹桃そう言う。「ありがとう」と、その場を見繕うように俺も答えた。
右目を覆い隠した帯の上から撫でる。
ミカエルに奪われた右目、なぞった指先から伸びた腕にあるのはマザーによって新たに姿を変えたカインの刻印。
一年前、キンジがバスに乗り遅れてしまったあのチャリジャックの日から、貯まっていたツケが押し寄せて来たんだと今なら納得できる。
「難しい顔ね、嫌なことでも思い出した?」
「いいや、そういうわけじゃ……どこにでもいる男と女って言葉がちょっといいなぁって思って。俺には縁のない言葉だ、だからすごく……いいなぁって」
ミカエルに続き、マザー、おまけにリヴァイアサンだ。ずっと動かなかった過去のページがここ最近で一気に捲られてる。
逸れたレールが元に戻されてるみたいだ。過去に俺が関わった狩りが、形を変えて舞い戻ったように新たな問題を引き起こしてくる。
「いいことなんて期待しない、こんな仕事じゃ望めないのは分かってる。どうせ最後は寂しく死んでいくんだ、それでいいと思ってる。ただ、これだけは覚えておいてほしい。俺が思い描く幸せにはきっと──」
──? 電話……国内電話だ。
『悪い、俺だ。もしかして待たせてるか?』
「久しぶり我が友。お洒落なカフェで待ちぼうけってのも悪くないな、たまには。もう着いて仲良くお座りだ」
キンジから電話を受けるのもいつぶりだ? なんだかすごく懐かしい気分だ。
あの
さながらイヴの置き土産、いいや嫌がらせだな。
『今からメヌエットと出る。すまんがそのまま頼む』
「待ち人が退屈しないように繋いどく。あとでな昼行灯」
携帯電話をテーブルに置くと、薄闇色の瞳が鞘から走りそうな刃のように細められていた。
「なんだ?」
「さっきの続き。いいところで切れたから最後まで聞かせて欲しいの」
「言わなきゃスイスチーズみたいに穴だらけか?」
「あの子は置いてきた、派手なのは好きじゃないから。コーヒー来たわよ?」
ブロンドのいかにも客を惹きそうな美人な店員さんがテーブルにコーヒーを添えてくれる。
無反動ミニガンをあの子呼ばわりかよ。
空港で一度かなめに切り落とされたらしいが可愛いペットをお持ちなこって。
「あのときもこうやって二人でコーヒー啜ってたよな。お前が間違えて取ってきたカップルセラピーの」
「あの二人三脚は忘れてない。貴方が倒れなきゃ一位を独走だった」
「あれはお前がわざと倒れたんだろ、アニメの予約を理子にお願いしたいからってさ。でもあのままやってたら確かに勝ってた」
「当然」
「ああ、当然。それで次の日、高いハンバーガー食べて今みたいにコーヒー飲んでた」
「1500円のハンバーガーと一緒にね。あれは美味しかった、それは認めるわ」
「そりゃそうだ、1500円のハンバーガーなんだから」
お互い、隠すように小さく笑うと、残った俺の左目と闇色の瞳が合った。
神崎は緋色、ジャンヌはアイスブルー、ヒルダは血をこぼしたような赤色をしていて、夾竹桃の瞳は何色にも染まりそうもない彼女の心を写したような、そんな薄闇色だった。
「──貴方の瞳ってドラゴンみたいね」
……ドラゴン……?
「ドラゴン? あの下水道で引きこもってるあのガリ勉連中にか?」
「いいえ。貴方の瞳って、まるでサラマンダーみたいねって、そう言ったの」
くすりと笑い、告げられた言葉はどこかふんわりとして真意が分からなかった。
サラマンダー……サラマンダーの瞳ってどんな瞳なんだ? 俺は怪訝な顔で、
「それって誉めてるのか?」
「さて、どうかしら」
と、笑って彼女は答えをくれない。ロンドンのカフェでサラマンダーなんて単語聞くと思わなかった。
ファンタジー映画を見てるかぎり、炎の化身みたいな暴竜だ。マザーの子作りリストにいないことを願う。
「──そろそろキンジも来そうだな。んじゃ、俺は外で待ってるからここからは水入らず、ガールズトークを楽しめ。俺はキンジと盆栽の話でもしてる」
「盆栽? 盆栽なんて興味あった?」
「それが、数ヶ月前に買ったんだ。これが……セラピーになるんだな。週に二三回選定すると、新芽が育つとかなんとか。……笑いたいなら笑え」
「笑ったりしないわよ、ミスター雅。静かな気持ちになれそう、私をからかう以外の趣味を見つけてくれて良かったわ」
「じゃあ、楽しんで。それと、そのドレスかなり似合ってる。帰ったらそれでディナーでもどう? 奢るよ」
「コインのチョコレートじゃ受け取ってもらえないわよ?」
「ウケた、楽しんで」
自分のコーヒー代だけ済ませ、俺は店の外へと出る。少し遠く、まだ小さいがキンジらしき人物が車椅子を押しているのが見える。
束の間の一時でも、これが良い休憩になりますように。楽しんで、夾竹桃。
◇
「──あれから何時間経った?」
「一時間と……十七分。これが格差社会ってやつかもなぁ。向こうは暖かくてお洒落なカフェでお喋り、俺たちは冷たい地べたに座ってお喋り」
「言うな。言葉にすると、すごく虚しい」
「同感。神崎が初めて押し掛けてきたとき、部屋を追い出されてコンビニで立ち読みしてたのを思い出す」
「あのときは雑誌があっただけマシだ。肌寒くもなかったしな」
虚しい──そう呟いたキンジは地べたに座り込み、ガラス張りのカフェに向こうに目を添えていた。
メヌエット本人には、先に屋敷に帰ると告げたらしいが実際はこの調子。密やかに中の様子を伺ってる。
メヌエット……あれが『言葉』で人を殺せると神崎に謂わしめた件の妹か。神崎は、母親である神崎かなえさんから彼女に会うように言われて帰郷を決めた。
色金についての情報を、この首が回らなくなりそうな状況の突破口をあそこで談笑している少女は知っている。
「……実は少し参ってた、こっちに来た途端色々ありすぎて。お前が一緒に来るって聞いたときは驚いたがなんつーか、来てくれて良かった」
「気にするな、俺はあいつの付録と思え。買ったら付いてた」
久しく見てなかったルームメイトの苦笑いに俺も肩をすくめて頷く。
再会するなり聞かされた話をまとめると、メヌエットが色金についての情報をくれるかは、キンジが彼女を楽しませることができるかどうかにかかってる。
「夾竹桃も楽しそうだし、お前のご主人様も笑ってる。意味はあったさ」
「だな、あれなら賭けには勝てそうだ」
などと、綺麗な言葉を並べはしても俺たちはポケットに手を突っ込んで失業者のように寒い地べたに座り込んでいる。
子供を見守る保護者みたいな口振りだが、キンジの言葉は正しい。俺も虚しくなってきた。
夾竹桃は寡黙そうな顔して好きなこと、興味のあるジャンルには極めて雄弁になる。それはお相手のメヌエットも同様らしい。
一時間が過ぎても二人のガールズトークの終わりは、まだ見えそうにない。ぼけーっと座り込んでいたキンジが懐に手を入れ、黒い四角形の紙を取った。
「? なんで折紙?」
「白雪がお守りにくれた。S研用語のよく分からん厄除けのまじないがかかってるらしい」
「東洋のまじないじゃ札や折紙に呪いやパワーを込めるのは定番だしな。けど、折紙はまじないを繋ぐための道具だ、折らないとそのままじゃ厄除けも不十分だぞ? 文字が分からないのに聖書を持ち歩いてるようなもんだ」
「おい、そのたとえはおかしいぞ。聖書は読むだけでご利益あんだろ」
「読めないのに読んでるフリするのは嘘つきだ。そもそもあんな、中身は自分の宣伝ばっかりのバカ売れベストセラーに御利益を期待すんのが間違ってる」
キンジの指先に挟まれた黒い折紙を伸ばした人差し指で軽く突いてやった。
律儀にお守りを渡す辺り、星枷の性格がよく出てるよ。折紙ってのが巫女らしくていい、独創的だ。
俺たちが日本を発つタイミングで彼女は超能力特区に出向いたって聞いたが、色金が騒いでる件で本家からお達しでもあったのかな。
「自販機探してくる」
「俺が行くよ、お前はこっちを見ててくれ。折角のロンドンだ、少し歩きたかったし」
「そうか、悪いな」
「コーヒーでいいか?」
「頼む」
ひらひらと手を振り、キンジと一旦別れる。
時は平成。自販機ビジネスは昔より盛んになってるとはいえ、日本みたいにそこかしこに置かれてるわけじゃない。
どこか店を見つけてテイクアウトするのも一つの手かもしれない、そう別案を思い始めたときに限って願いが実るのが人生の皮肉なところ。
ホットの自販機からコーヒーを二つ落とし、ロンドンの景色を味わいながら元来た道を戻る。
テレビの中で見ることしかなかった異国の景色を自分の肌で味わうのは、終末真っ只中の異世界を走り回るよりずっと楽しい。
カイロ代わりに両ポケットにコーヒーを入れてカフェまで戻ると、キンジはまだ地べたを占領していた。
コーヒーを片方投げ渡すと、その足元にさっきまでは手付かずだった折紙が四角から変貌した姿で置かれていた。
……物じゃないな。頭がある、多分頭……そこから突起物が左右後ろにある。生き物だ、俺が思うにこの作品は──
「蛙か? 蛙だろ?」
「違う、白鳥だ。見りゃ分かるだろ」
俺はコーヒーを右手に持ったまま、空いている手で『ソレ』を拾い上げる。
「……突然変異? この伸びてるのは、羽か?」
「ああそうだ」
「三つもあるぞ?」
「そんなにない、こっちは尻尾だ」
わざわざ指で示し説明してくれた。
尻尾か。尻尾……白鳥に……?
「白鳥に尻尾なんてあったか?」
「あるさ。アヒルにもあるだろ」
「……多分な。……ってことはこれはアヒルか?」
「もういい、アヒルでも何でも勝手にしろ」
「怒るなよ、悪かった。真面目な話ばっかだと気が滅入るからな。話題を変えるか」
折紙を元あったキンジの足元に戻し、俺も地べたに腰を下ろす。
「最近改めて思ったんだが、女なら誰だって秘密の一つや二つクローゼットの棚の奥にしまいこんでる。有名な台詞にもあったよな、 " 女は秘密を着飾って美しくなる " 」
「どうして今になって学んだのかは知らんが一応言っとくぞ。だから俺は美人は信用しない」
「お前の周りは美人で渋滞してるけどな?」
「それで揚げ足取ったつもりか。今度は俺が話題を変えてやる」
「真面目なヤツにな」と、コーヒーで一息入れてからキンジはロンドンを見下ろしている快晴を仰いだ。
「最後の殻金を持ってる鬼の親玉、覇美のことだがあいつは俺が戦った鬼……家臣である閻よりもさらに強い化物って話だ」
「そのことなら少し聞いてる。なんでも昔は世界中あちこち旅しながら現地の武芸者とかたっぱしから戦ってたんだと」
「まるで武者修行だな、そんなの誰から聞いたんだ?」
「マザーさ、その名のとおり
刹那、空を仰いでいた瞳が驚きに揺れる。
聞きたくなかったって顔だが安心しろ、母親はまだ牢獄にいる。出てきやしない。
「難敵には違いないが無理ゲーってわけじゃない、指パッチン一つで灰にされるワケじゃないんだ。いまのお前ならなんとかなるよ」
「買い被るなよ、けど覇美を避けては通れそうにはない。最後の殻金はあいつの手の中だしな。はぁ……鬼が武者修行かよ。話し合いで平和的に解決できない可能性ってどれくらいだと思う?」
「90パーセントから100パーセントの間」
「楽観的な数字だな。覇美を倒して、ありがとうございました、いいバトルでしたで終わればいいんだけどな……」
まだ続きがありそうな切り方だが、キンジはそこで言い淀む。
「浮かない顔だな。嫌な予感が?」
「楽観論で行動し、悲観論で備えろ。言いたくないがな、俺にはまだ先があるような予感がするんだ」
「ミカエルが鬼を味方につけて襲ってくる?」
咄嗟に浮かんだ展開を口にすると、キンジはまたも苦虫を噛んだような顔をする。
「……冗談ならもっと笑えるのにしろよな。ブラックジョークとしてなら冴えてるけど」
「気をつけるよ。とりあえず、覇美から最後の殻金を奪還するまでは確定だ。ここまではレールが敷かれてる、そのまま上を行けばいい」
「レールがなくなったその先はどうする、いつもの得意技の出番か?」
「ああ、レールが消えたら消えたときだ。即興で対応してやろう、とりあえず──出てとこで」
「出たとこね、安心した。いつも通りか」
皮肉っぽく呟き、キンジは残ったコーヒーを強く呷るのだった。
◇
「なんてこった、もう安いモーテルじゃ寝泊まりできないかも」
「立ってないで座ったら?」
「ロンドンのホテルでクイーンサイズのベッドに御対面。今日は初めての連続だな。ブログに書くネタがいっぱいだ」
「雪平、貴方ブログなんてやってたの?」
「いいや、やってない」
メヌエットとのオフ会が終わり、夕食を済ませた俺は夾竹桃が予約してくれたロンドンのホテルへと一緒に訪れていた。
夾竹桃とホテルと言うと、日本で住まいのように使ってるあの植物園みたいな高級ホテルの一部屋が真っ先に浮かぶもんだが、案の定ここでも予約したのは星付きの高級宿だった。
THE英国って感じの絢爛なシャンデリアや絵画で飾られたエントランスに迎えられ、鮮やかな赤色のカーペットが敷かれた通路を抜けると、これも映画の中に迷い込んでしまったような星評価相応の豪華な部屋だった。
広いのはもちろんのこと、クイーンサイズのベッドが置かれた部屋は黄色と白色を主にして壁から机まで揃えられており、高級感たっぷり。
「ポート・ロイヤルの提督んちみたいだな。バルボッサに襲撃される前の」
ウィンチェスター御用達の壁はひび割れ、隣の部屋の音は丸聞こえ、ほんどの安い埃っぽいのモーテルとは雲泥の差だ。
「随分と楽しそうね。イギリスに来てから一番じゃないかしら」
「そりゃあもう、理由はどうあれ英国旅行に来れて高級ホテルまで用意されたら。楽しくないわけない。でも一緒の部屋で良かったのか? アジトじゃ当たり前のように俺の部屋に入り浸ってたけど、ここホテルだぞ?」
「……? 奇襲されたとき、同じ部屋の方が都合いいでしょ。何か不都合が?」
「いや、別に。ただの確認」
サンダースのじいさんの家じゃ男女は別々に寝ろ、だったからな。このだだっ広いベッドに二人で寝るなら確認しといたほうがいいかと……必要なかったな。
クイーンサイズのだだっ広いベッドに大の字で寝転がってみる。うん、まだまだスペースに余裕がある。駄目だ、このベッドは人をダメにする。
「座れとは言ったけど、寝るのは後にして。呼び出し来てるわよ?」
「……誰から」
誰から……聞くまでもなかったな。
隣にまでやってきた夾竹桃の膝元、クッションの乗せられたパソコンのディスプレイ画面には見慣れた顔が映っていた。
たとえるなら、味方のフリして終盤で陰湿に裏切りをやらかしそうな男。
「よぉ、ケッチ。また生きて会えたな。次に見るときはスイスチーズみたいに穴だらけかと」
『冷たい挨拶になるのは想像していたが、冷たい上に棘だらけとは思わなかった。心の内を少し明かしておくと、少しは労いの言葉も欲しいところだがね』
渋い顔を浮かべたのはアーサー・ケッチ。
過去に一悶着やらかした元UKの賢人お抱えの暗殺者。いまは組織を抜けたお尋ね者だ。
「というと、両手にギフトでも抱えてるのかしら?」
『──緋鬼がこの国にいる、という情報は贈り物になるかな』
気取ったいつもの喋り方ながら、腰を浮かしそうになる話だった。
「……来てるのか、連中が」
『お抱えの弓兵と共にイギリスの地を踏んだ。まだ頼れるツテはあってね、網にかかったということで君たちに伝えにきたというわけだ。ところでキリ、右目が随分とお洒落になったようだが、私の知らないニュースがあったのかな』
「ウケた、こっちからも素敵なニュースをくれてやる。ミカエルが案の定こっちの世界にやってきたぞ、いまこの瞬間も手当たり次第怪物をスカウトして軍隊を作ろうとしてる」
渋い顔がもっと渋くなり、唇と顔の動きが止まった。待てど待てどケッチに変化がない。
「おい、止まったぞ? フリーズしたか?」
「違う、ショックを受けて現実的な反応をしてるんでしょ。……動きが早いわね、神崎アリアの帰国を最初から知っていたみたい……」
「誰かが助言をくれてるのかもな。どんなオカルトが働いてももう驚かないよ」
怪訝な顔の彼女に後は任せ、俺は覗き込んでいた顔を離し、だだっ広いベッドに寝転がる。
「緋鬼のボスは……来てるのは閻って家臣だけか?」
「彼女は来てないみたいね。幸か不幸か分からないけど、お姫様はまだお城のなか」
「やることは決まってる、向こうが出向くかこっちが仕掛けるかの違いだ。奪られたものは奪り返せ、奪われた殻金は……必ず奪い返す」
嬉しくないニュースが続いてる。豪華絢爛な天井を仰いで気持ちを晴らそう、付け焼き刃のメンタルケア。
芸術は心を落ち着かせるとも聞くしな、byジーサード。
息の詰まるニュースばかりで寝転がると肩の力が自然に抜けていく。
「さて、伝えるべきことは以上で話終えたわけだがここからは私の興味に答えてもらえるかな?」
ギフトに見返りかよ、まあいいや。
東大卒のお嬢様がうまく流してくれるだろ、任せよう。
「ええ、元賢人の興味は何について?」
言ってしまえば同じ科学オタク、話の相性は悪くないからなこの二人の暗殺者。
「ああ、とある魔女の行方について。キリなら知っていると思ってね、名前はパトリック」
パトリック……? 誰だよそいつ……パトリック、パトリック……知らねーな。
「そのパトリックというのは?」
「一言で言うと魔女、付け足すと賭け師。チップの代わりに年齢を賭けてポーカーをする」
……やばい、知ってる。その危険なゲーム、知ってる。
「ストップ、その会話は──」
「それなら読んだわ。900年を生きた魔女で、ふらりと現れては各地を転々とし、歳を溜め込む。敗北したプレイヤーの歳を」
──その会話はやばいって。
「勝てば賭けたチップに応じて、若返る。負ければ老体に、というわけだ」
「でもどうして雪平が? テーブルに立ったのはたしか……ボビー・シンガーとサミュエル、それにディーー……年齢?」
ちらりと薄闇色の瞳はこちらを向いた。
24歳と言われて誰かが信じるだろう童顔が訝しげに瞳を細く、鋭利にしていく。
「……ケッチ、企んだな。嫌がらせか?」
「良き信頼関係への第一歩は隠し事をしないことだ。幼かったクレア・ノバックは立派なライダーに、サムはロースクールを諦めてからもう随分と経つが君が学生というのはなんとも……違和感がある」
画面の向こうに呪詛を込めて睨む。
つい最近、テーブルに投げられた話題をこのタイミングで……なんて間が悪いんだ。
会話を逸らす? 東大卒だぞ、ここまでのらりくらりと避けられたのが勲章ものだ。いや、夾竹桃は隠していた手札を晒した、これは思うに道連れにしてやろう精神だ。
地の底から伸びてきた無数の手に足を引きずり込まれる恐怖以外の何でもない感覚。
「あの、失礼だとは思うんだけど……雪平、貴方って本当は何歳なの?」
まるで因果応報、クイーンサイズのベッドの上でついに言葉を投げた首がかしげられる。
火薬庫に火をくべた本人と言えば、既にパソコンの画面から姿を消していた。
火を放つだけ放ち安全なところに逃げる、ふざけやかってなんて卑劣な放火魔だ。この怨み、いつか三乗にして返してやる。
そして俺は眼を逸らしながら、蠍の睨みへと立ち向かう。話題、逸らせるか……?
「……あの、ワトソン呼んでくれる? 呼吸するだけで破傷風になりそう」
「大丈夫、破傷風は外傷だから」
逃げ場はない、色鮮やかなネイルを塗ったような危険な手が指を絡めてくる。その爪にかすったら破傷風どころじゃ済まないんですけど……
「──────」
「は?」
「だから質問の答えだよ、無限罪のブラドより年下の──────だけど?」
「……嘘でしょ、その顔で……嘘、よね?」
……ここで嘘言ってどうすんだよ。
俺の名はキリ・ウィンチェスター。兄貴の名はサムとディーン、弟はアダム。育ちはカンザス州のローレンスでアマラよりは年下の───。仕事は怪物退治。
「さて、件の魔女に何歳か掠め取られたかな。そういや、本土を出る前に勝負したような、ずっと前のことだから覚えてないや。喜べ、尋問科が自白してやったぞ」
「その顔で……本気で言ってるの? ……こんなの詐欺よ、詐欺だわ……」
……そのロリ顔で24が何言ってんだよ、とは声には出せないな。
毒のネイルの指が離れ、俺はそのままベッドに胡座をかく。頬杖もセットだ。
「隠してたわけじゃないが、ずっとコンクリートの底に埋まってたものが掘り返された気分だ。先割れスプーンで」
何か飲もう、と立ち上がった俺の懐から何かがベッドの上に落ちるが……あれ、なんで俺が、これを持ってるんだ…?
それは黒色の紙で、頭に二本の羽と尻尾を備えたキンジの──
「まあ、かわいい子……」
──白鳥。
「アヒルね」
「白鳥だ」
……俺の年齢聞いたときより驚いてるじゃん。
恐るべきキンジの──アヒル?
引っ張ってきたネタもこれから回収始めていきます。