別の惑星にいるくらい役に立たない──腐敗してる組織への評価は別として、商品のレビューだけは星5つをくれてやる。
「そんな玩具でよくも……ッ! ……!」
まるで小さな台風が降り立ったように風が髪を煽り立て、四肢の自由を阻む。
魔術と科学の融合で作り上げられた金色にエノク語が刻まれた悪趣味なカプセルは、奇々怪々な見た目とは裏腹にを過去には大天使すら器から追い出した実績を持ってる。
ルシファーみたいな第一級の化物を追い出せて緋緋神には効果なし、そんな理屈があるかよ。
青白く発光し、細かく暴れるカプセルを必死に両手で押さえ付け、張り合うように左目だけの狂眼を俺も緋緋神に向ける。
「返してもらうぜ。囚われの乙女というか、囚われの跳ねっ返りをな!」
意識を奪われた神崎の足が一歩、また一歩と前に引きずられる。
体が揺れ始めた、よし──このまま緋緋神の意識を剥ぎ取ってカプセルにぶちこんでやる。
「……一時しのぎでずいぶん吠えるじゃねえか。楽観的に考えるのにも限度がある、お前のはやりすぎだ。あたしがそんな玩具にいつまでも留めておけると思うか?」
「残念だが名案を思いついちまったんだよ、地獄の檻にお前の入ったこのカプセルをぶちこんでやる。神が魔王の為に作った監獄だ、あそこならもう二度と悪さはできない。頭のイカれたミカエルが四六時中遊び相手になってくれるぞ良かったなぁーッ!」
体裁なんて気にしない。考えられる限り、最低最悪の独房にぶち込んでやる。あそこなら憑依も脱獄もない、冴えてるぞ。
「──退きなさい。ヒヒは同時に何体も化身を動かせる、憑いたのはアリアだけではありません」
これで問題解決──悪魔で渋滞してる脳内に新しく直接響いた声が水を差す。
「ルル、つまらねえことすんなよ」
ルル──ネバダに隠されてた瑠瑠色金。
警告の言葉は現実となり、強烈な殺意が背中を串刺しにする。
「しいッ!」
「
心の底で最上級の悪態を叩き、下から這い上がるような猴の蹴りは喉元に触れるか否かの境界を擦過する。
首から上をそのまま切り取ろうかという鋭い蹴りは刃物同然の風切り音を耳に残した。ワンテンポ回避が遅れていれば、首は間違いなく明後日の方向を向いていただろう。
背後から、しかも味方だと認識していた猴からの完全な奇襲。
殺傷圏内の外、危険域を飛び出すよりも早く、蹴りとほぼ同時に伸びていたしなる尻尾に命綱のカプセルを手からはたきおとされた。
「悪いな、雪平。玩具を壊しちまった、謝るよ」
醜悪に覇美は笑う。
いや、覇美じゃない。
緋緋神となってしまった覇美の足が、俺の手から転がり落とした悩みの種を壊した。バラバラに解れたジグソーパズルのようにカプセルの残骸が天守閣の床を散らかす。
「……俺のお気に入りの玩具を。姑息なやり方しやがる、まだ手品を隠してたとはな」
1体でも頭を悩ませる緋緋神が3体同時、こうなると楽観的に考えられる状況を超えてやがる。
手札に保険を抱えていたのは一緒か。好転しかけた形勢がまた傾きやがった。
それに、本命ともいえる神崎に至っては神社で敵対したときよりも……身に纏っている気配はまるで別物。アマラでたとえるなら前はクラウリーの手にも負えた少女、今はルシファーすら一蹴しちまう成人の姿。
人では出すことのできない、異様な空気を身に纏わせた姿。これが完全なる、緋緋神。緋鬼たちが待ち望んでいた彼女たちが崇めていた、戦と恋の神が降臨した。
「──キンジ、もうこれまでのようです。あなた方は失敗した。ヒヒを止められず、その完全な復活を許してしまった」
見ると、キンジのポケットの奥から青白い光が差している。緋色ではなく瑠瑠色の光、米軍基地強襲ツアーで見つけた瑠瑠神だ。
「ルル、またちっぽけな姿になっちまったな。でも人ってのはおかしな話だぜ? 雪平は、もう地獄に片足を突っ込んでる。この瞬間にも見えてるんだろ、目の前に連中の幻覚がさァ?」
風がやみ、静かになった天守閣でキンジの瞳が丸く見開く。神様はなんでもお見通しってわけか、いいさこれで隠す必要がなくなった。
片足で済んだら御の字だ、地獄の王子とリリスが住み憑いてる、もう片足どころじゃ済まない。
「頭の中がおかしくなるとしても今日じゃない。その前にお前の望みを潰して、神崎にバーガーとコーラを奢らせてやる。一番高いヤツ」
「キンジ、今が最後の好機です。人が起床直後に眠ろうとしてもすぐには眠れないように、ヒヒは依り代に一旦憑依すると、すぐには自分の意志で抜け出す事ができません。いまのヒヒには逃げ場が無い、ナイフを持ったまま──3人に接近して下さい。そうすれば、私はヒヒの意識を換価重力圏に取り込み、部分的にですがあの魂を相殺します」
魂の相殺……瑠瑠神は淡々と語ってるが言葉の端々から悪魔的な響きがする。おい、ダゴン。
『専門用語を抜きにして翻訳してあげる。あの三人の中に入ってる緋緋神を殺すには、器ごと道連れに殺すしかない。で、緋緋神を殺すチャンスは今しかないからナイフを持ってさっさと近づけって催促してるところ。殺せる距離までね?』
案の定、ダゴンが翻訳した中身は見過ごせるものじゃない。
「待ちな、そいつは器の神崎ごとお前の姉貴を殺すってことだろうが。冗談じゃねえ、道連れにされてたまるか」
「瑠瑠神っ、本当なのか? お前がそれをやったら、アリアたちは……」
「ウィンチェスターが言った通り、そしてキンジが考える通りです。ヒヒの心が死ねば、依り代の心も死ぬ。あなたの気持ちはお察しします。ですが、これは千載一遇の好機なのです。ヒヒは、同じ手が何度も通じる相手ではありません。チャンスは、今この時だけです」
「ふざけんじゃねぇ! 戦場を歩き、国と国民に尽くした武偵の一生が台無しにされる、お前の姉貴の欲望を満たすためにだッ! そんなもんがまかり通ってたまるか!」
「……ルル。俺には見える。姉を手にかけたくないルルの心が、涙を流しているのが分かる。君のそれは、本心じゃないんだろう? 君は優しい、家族に手をかけることを望んだりしない」
俺は躊躇いなくかぶりを振り、キンジはまるで心をあやすように優しく、対極の立場から瑠瑠神の申し出を断る。
「……ですが」
「ルルが信じてくれるなら俺は別の可能性を見いだすよ。必ず、君の涙を見なくて済む結末を迎えてみせる」
頭に響いていた声が、止まる。神だって時には言い淀む、か。
「ミスったな、ルル。あたしを殺るつもりなら迷うべきじゃなかった」
「逃がすか! ちっ……覇美っ!」
捨て台詞を残し、緋緋神は天守閣の広間から外へ繋がる窓枠へ神崎の体を走らせた。
逃走を妨害するべく前に躍り出た俺を覇美の前蹴りが阻む。ふざけた速度の蹴りをいなし、返しに突き出した天使の剣はお互い様とバク宙に阻まれ、虚空を裂く。
「その気があるなら追ってきな。ステージで待ってるよ、切、キンジ」
風に乗ってアニメ声が運ばれてくる。
神崎の姿は消え、殿に使われた覇美と猴も同じルートを辿って天守閣の外へと姿を消す。
「……キンジ。あなたの言葉は、その意味に於いて正しかったと言えます。私も本当は、姉を殺したくない。本当は、あなたの語る結末を望めるものなら望みたい。ですが……私たち現存するヒヒの依り代を全て潰えさせる、最大の、そして最後の好機を逃しました」
「良かった。これであんたの望む結末も迎えられるし、俺たちも仲間の葬式なんて最悪な席に並ばずに済む。お互いにいいことだらけ、正しい選択だった。そうだろ?」
「ヒヒを討たねば、他の多くの命が奪われることになります。貴方にこれを言うのは酷というものでしょう。ですがウィンチェスター、貴方はヒヒを──キンジと共に討つべきでした。これよりヒヒは戦を振り撒くことでしょう、私たち姉妹の手が届かぬ場所から」
今が最後の好機だった、瑠瑠神がそう繰り返すのはここから始まる凄惨な戦いの光景を予感した故だろう。
自分の姉が撒いた火種で大勢の命が奪われるのは許せない、頭に響かせる声色からハッキリと伝わってくる。だが俺もさっき言った通りさ、神崎が道連れにされるのは見過ごせない。
「──ヒヒは目覚めました。貴方たちが以前戦ったときよりも、遥かに力を増した完全な姿で。もう止めることは、
頭に広がっていた緋緋神の声が薄れ、アザゼルとリリスの悪夢みたいな笑い声が響く。
姉を止められず、諦めムードの瑠瑠神に気分を良くしたらしい。幻覚もオリジナルもそこは変わらない、歪んでる。
「御愁傷様、神様。その男は不可能って言われると逆に燃え上がるんだ」
「これでも二つ名は、不可能を可能にする男なんでね。それにツイてるよ、ルル。なんたって俺の隣にいるのは、あのウィンチェスター兄弟の末弟だ。神と戦うのには世界で一番慣れてる」
「それが仕事だ。いつもみたいに死ぬ気で嫌がらせをやるさ、死ぬのはまずいが。行こう、ヤツが借りたステージとやらに」
道は決まってる。
喉元まで辿り着いたんだ。
ここまで来て逃がすかよ、緋緋神。セトリもハコも好きにセッティングすればいい、お望み通り舞台に上がってやるよ。暴れてやる。
鬼の国は、外側がマングローブの木に包まれた絶海の孤島だ。原子力潜水艦でわざわざ出向いただけあって、そう簡単に出たり入ったりできる場所じゃない。
緋緋神が戦を起こすにしても文明から切り離された孤島からじゃお仕事は無理だ。騒いでやまない心臓を押さえ付け、頭を巡らせる。緋緋神はこの国を出る──どうやって?
『早くピッチに上がらないと手遅れになる、潮が引いたと同時にキックオフだ。今さらダッシュボードから対策マニュアル引っ張り出して読んでる時間はないぞ?』
「キンジ、例の爆撃機だ。潮が引いて滑走路が出てる。連中はあれでここを出るつもりだ、danger zoneが流れる前に乗り込むぞ!」
窓枠から見えた景色は、来たときとは明らかに一変していた。潮が引いている。干潮だ。海水面が下がり、本来隠されていた浅い海底が砂浜となって数キロメートルに渡り続いてる。
四階の窓枠から飛び出し、樹木やマングローブの枝を力業のパルクールで経由し、俺とキンジは砂浜の上に回転受け身で転がりながら着地。
足を奪われそうな砂を蹴って、轟音の出所へ駆ける。
「富嶽、か……! あの急激な干潮、月でも攻撃したか?」
「月? ナイフで月をグサッと?」
「是非とも見てみたかったよッ! あれは干潮時にだけ使える滑走路だ!」
「大自然の滑走路か。俺ならあんなところから絶対に離陸しない」
「ゲームの中以外で動かせないだろ。……化物エンジンが吠えた、急ぐぞッ!」
「この国じゃ騒音の苦情も何のそのか。今頃、三人でスプーン片手に歌ってるかもな。大したハコを用意してくれたよ、ロスのナイトクラブ級だ」
いまもまさに空へ飛び立とうする乗り物にキンジと二人で乗り込もうとしてる、神崎を追いかけて。
いまも必死に両足を動かしてる、神崎を助ける為にな。言いたくないけどこの状況って、ものすごく──
「言いたくないけど、この状況ってものすごくあの言葉が浮かんでくる。武偵殺しのときも離陸しようとする飛行機を二人で追いかけてた」
「ああ、だからつまりあれだろ。お前の嫌いなデジャヴーってやつだよこれは」
「だからその言葉を言うな! ちくしょうめ、ガブには一言文句を言っとくべきだった、靴の下に張り付いたガムみたいだ、剥がれない悪夢って意味!」
寝ているところを叩き起こされたように緊急発進に駆けられた富嶽は、軋むような悲鳴をあげながらも命令に従って動き始める。
翅二重反転プロペラはギロチンのようにマングローブの林を切り裂いていき、強引に障害物を薙ぎ払って
「見つけた、操縦席にアリアがいる!」
ここまで来ていなかったら大問題だ。
傍迷惑に巻き起こる砂塵に逆らうように、俺たちは疾駆。
加速しちまえば人間の足じゃ勝負にならない。滑走する富嶽の左翼下、巨大なダブルタイヤを支える主脚にキンジが全身全霊で伸ばした手が、届く。キンジが足にしがみついた。
「もっと早く! 急げッ!」
「──うるせぇ、んなことは言われなくても分かってんだよ! チェックインだ!」
キンジの伸ばした左手を掴むと、片腕とは思えないふざけた膂力で体が持ち上げられる。
陸を離れる寸前で足にしがみつき、砂塵に隠されるように富嶽はマングローブに包まれた鬼の国を飛び立った。絶海の孤島から空の上、もっと逃げ場がなくなった。
「キンジの旦那、退路が消えてく。文字通り」
「前しか道がないのはいつも通りだよ」
「ま、そうなんだけど。なあ、プロテインバー持ってないか? できればチョコのヤツ」
「その前に格納庫に上がるぞ。ワトソンからくすねたのをくれてやる、半分な」
「食べたら共犯か。言わなきゃ良かったかも」
ふっ、とジャンヌを真似て笑いながら、俺はもう小さくなった鬼ノ國の大地から目を翻す。
キンジが先に懸垂で車輪格納庫に上がり、俺も続く。来ちまったな、ここが正真正銘の神との戦いの舞台。
「今日だけ勝てばいい。今日だけ頑張り切れれば、俺たちの勝利だ」
「なんだよ、俺がアドシアードのときに言った台詞じゃねえか。ま、実を言うと初恋の女からの受け売りなんだけどな」
ダブルタイヤの車輪は外側2輪が切り離され、虚空に投棄されていく。これで軽くなったな。
残った車輪と脚柱が主翼に格納されると、これで外へ繋がる道は完全に絶たれた。俺たちもさっさ格納庫から抜けないとあの世行きだ。
さてとどこから抜けるか。キンジと二人で内側を探るしかないが、
『ここよ。天使の剣でくりぬけば左翼の小部屋に繋がる』
リリスが叩いた壁面に天使の剣を刺し、缶切りの要領で出口への穴を作る。
「スターウォーズでそういうの見たことある」
「俺はオビワンが一番好きだ。バーが凍っちまう前に出よう、空腹のまま神様と喧嘩したくない」
棺桶から外に出ると分かったが、かなり飛ばしてるな。エンジンに鞭を叩きつけてる。
「早いな、機体が悲鳴をあげてるみたいだ」
「エンジンも煙を吹いてる、これはかなり無茶な飛び方だぞ……」
武偵手帳に忍ばせたミラーで後方を確認したキンジが鋭く、黒煙を見つける。
富嶽の床は後ろにかなり傾いてる、速度もそうだが急激に高度を上げてるんだ。機体へのダメージを度外視した飛び方、不気味だな。
「……急ぐぞ、緋緋神には有視界内瞬間移動がある。これはその為の飛び方だ」
「例の瞬間移動か、途中でスクラップになっても問題ないわけだ。ファイヤーブーストかよ」
「ファイヤーブースト?」
「次のワイルドスピードのタイトル。チャージャーの勇姿がまた見れるんだ、嬉しいことだな」
納得、距離よりも高度優先なのは瞬間移動の為の演算だの計算だの制約に関わってくる。
この機体で進めるだけ進んであとは超能力でひとっとび、帰りの足は必要なし。スクラップ前提の飛ばし方に納得がいった。
神崎がいるのは操縦席。約束通り半分くれたバーを口にねじ込み、鍵もかけられていない通路のドアを先に、先へと駆ける。
「キンジ、手短に言うぞ。緋緋神がバラしちまったからな、数日前から幻覚を見てる。今まで戦った仲の良くないタイプの連中のだ。自虐抜きでこれまでの経験から察するに、このまま行くといづれはヨダレを垂らした狂犬みたいになる」
「……気にならないと言ったら嘘だけど、こんなときにブラックジョークは勘弁してくれ」
「最後まで聞け。幻覚とセットで刻印の出力も上がった、緋鬼と白兵戦ができるくらいにはな。もしも俺が血まみれになっても、気にせず好き勝手に動け。そう簡単には死なない。姉貴がトラブったって話をまだ夾竹桃から聞いてないしな」
「彼女は、日本に?」
「ああ、姉貴からのバットシグナルで日本にとんぼ返り。お互い目の前の問題を片付けたら、ソファーに座ってコーヒー飲みながら一緒に映画でも見ようって」
「──なら、死ねないな。彼女と何見るかは決めたのか?」
「『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』」
「……攻めたチョイスだな。この戦いは3対2の戦いだ、つまりどちらかが、2体の緋緋神を同時に引き受けることになる」
「まあ、体で数えりゃ3対2だが俺の頭の中にはリリス、アザゼル、ダゴン、地獄のアイドルが3人いる。あっちは緋緋神をあわせて4、こっちは5だ」
作戦会議と雑談を混ぜたようなやり取りで、たどり着いた。胴体部に繋がる最後の扉だ。
「数なら負けてない」
ポリマー製、ストライカー式の遊底を扉の前で引き絞る。
「──トーラスじゃないんだな」
「夾竹桃がレバノンから持ってきたんだ。貴方が迎えにいかないから連れてきてあげた、とかなんとか」
「元カノか?」
「お前には最高の似合わない言葉をありがとう。神を足蹴りするなら本当の貴方で挑めとさ、本当の俺って何なんだろうな?」
スプリングフィールドXD、それは日本に渡る前まで俺の懐にあった9mm口径のモデル。
でも感謝してるよ、鈴木先生。化物相手にずっと戦った、自慢の元カノだ。全力でいける。
「緋緋神はアリアの体を借りて、完全に目覚めてしまった、ベストな状態だ。だからもし負けたとしても言い訳できない」
「ああ、神崎に似てお高くとまってプライドも高そうだからな。完膚なきまでに敗北させちまえばおとなしく言うこと聞いてくれるかも」
キンジが胴体に続く扉を蹴り破る。
頭の中に浮かぶ悪魔の幻覚は、そのまま刻印の進行具合を表してる。ダゴンが加わったことでまた一歩、呪いは進んだ。
だが、まだ足りない。緋緋神に届くにはまだ足りない。
餌をやる必要がある。放し飼いにした呪いにとっておきの餌をくれてやる。記憶の中には、誰にだって捲りたくないページがある。
「たった二人で来たか」
ガラス張りの操縦席で、神崎は腕を組んでいた。
右には鬼、左には孫悟空、三人の体に取り憑いた緋緋神が目が見えない威圧感を放し飼いにしてる。操縦席の空気が軋み、悲鳴をあげてる。
化物め、ああ、間違いない。相手は化物だ、人間と同じ場所には立ってない。人間の身であれとやりあえというのは、正直……アンフェアだ。
化物には化物を、捲るしかない。神の力が神崎の体に宿ってるなら──こっちは悪魔を、呼んでやる。
「……ふっ、あはは、あははははっ! いいよ、いいよ雪平ッ! そうだ、あたしはそれを待ってたんだッ!」
「お、おい……その目は……」
「大丈夫だよ、キンジ。今日この勝負にだけ勝てばいいんだ、楽勝じゃねえか」
アザゼル、リリス、ダゴン、まだ足りない。
地獄の王子と原初の悪魔でもまだ届かない。
刻印の力をフルに注ぐ、でないと目の前の神様との勝負のテーブルにすら上がれない。
呪いを進めるにはどうするか。簡単だ、俺が一番誘いたくない悪魔を、見たくない記憶のページを捲ってやればいい。
とっておきの一体が、まだ残ってる。
『なんだ、やっと招いてくれたのか。地獄ではずっと一緒だったろ、ずいぶんと冷たい扱いだ』
コックピットのガラスに血の滴が垂れる、まるで血の涙を垂らすようにガラスが、赤く濡れる。
もう来てる、来てしまった。
後戻りは利かない、だから招き入れるしかない。もう一度受け取ってやる、お前の剃刀を受け取ってやる。力を貸せよ、好きだろ。俺がイカれるのを見るのはさ。
『ああ……愛しい私の最高傑作。また一緒に授業ができて嬉しいよ。お前に教えを説いてやったあの時間は思い出すだけでも震えが走る……』
無精髭を生やし、ボロ布に身を包んだ幽鬼がそこには立っていた。この世の邪悪を詰め込んだような一筋の光も差し込んでいない瞳は──白色に裏返る。
『始めろ』
──答えはyes.ってことだな。良かった、現金な呪いだ。俺の瞳の色も、変わったらしい。リリスとそして目の前の幽鬼と同じ穢れた白色に。
キンジが腰を落とし、神崎を見据える。
三体の緋緋神が唇を歪め、笑う。
頭にイカれた悪魔を抱え、俺も真似る。
「来いよ、アラステアの弟子っ! 遠山と一緒にあたしの渇きを満たしてみなッ!」
アラステア、それは地獄で俺に最悪の時間をくれた忌まわしき怨敵であり、俺に尋問と拷問の術を植え付けた師。
リリスと同じ白い目をした、地獄の拷問を統括する権力者。ジョーの腸を抉った猟犬と並ぶ、俺にとっての罪と後悔の根源。
「満たしてあげるよ、緋緋。望むままに」
キンジの言葉が契機になる。
承諾もなく先に抜いたXDから飛び出したコルトの弾丸が、覇美の駆る戦斧に阻まれ開戦の音を立てる。
ふざけた速度で放たれる猴の抜き手、正拳を交ぜた連打を前に躍り出たキンジがさばく。
開戦だ、体裁なんてどうでもいい。明日明後日頭がおかしくなろうがどうでもいい。
この一戦だけは、本気でやってやる。
主人公のキャラを形成するのに一番関わった悪魔は十中八九でアラステア。
尋問科の根幹の技術を仕込んだ張本人なわけですが本人的にはあくまでも綴先生が師、アラステアからの教育を認めたくない反動で懐きまくったわけですね。