「しかし、留年とはなぁ。それなりに勉強も頑張ろうって意気込みはあっただけに報われないね」
遠山キンジ。
世界を救って、大勢の誰かのために撃って斬られて血を流してきたタフなルームメイト。そのご褒美がこれなら、やっぱりこの世はアンフェアだ。
「あなたが高校生って未だに慣れない。無理していまふうに話題や言葉を合わせてる感じ、むず痒い」
「母さんやめて。そこはどうか触れなくていいところだから。そう、話を戻すとセントラルパークで会ったでしょ? 俺のルームメイト、見事に留年だって。多少ひねてるところはあるけどいいやつなんだよ?」
「話したから分かる、悪い子じゃなさそうだった」
「いいやつだよ、映画の趣味はたまに合わなかったりするけど。痛い思いをして神様とケンカして、大勢の人を救って、その結果がこれならさすがに笑ってやれないな」
とは言ったものの、ここまで言って本当にただの本人の学力不足や居眠りで出席を取り消されて日数が足りなくなったなんてくだらないオチだったときは、エレン式に背中を蹴飛ばしてやる。
レバノン、ヘンリーの爺さんが残してくれた毎度御馴染み賢人のアジトこと『バンカー』で、俺と母さんは家族揃って銃の手入れ。
気になる情報を見つけてペンシルベニアまでインパラと飛んで行ったサムとキャスの帰りを待ち、分解した自動式拳銃を弄り回しながら危機に備える。
汝平和を欲さば、戦へ備えよ。
──かのジョン・ウィックでも御馴染みの9mmパラが備える格言。
1%でも首が繋がってる可能性が上がるなら喜んで準備に励むってもんだ。
「何が言いたいかって、トラブルってのは俺たちだけじゃないってこと。そう、だからなんていうのかな」
「キリ。無理に喋って悲観的なことを考えないようにしてる、それじゃあいつか限界が来る」
「‥‥‥黙ってたら頭がおかしくなりそうで。一昨日XDを掃除してたら、気付いたら分解して掃除してを5回繰り返してた。これじゃ銃が痛む」
弾を抜き、テーブルでバラバラにしたイスラエルの傑作ジェリコ941を元あった通りに組み上げる。
「行き詰まってる状況から目を逸らしたくて銃のメンテに励む、この弾の格言からは逸れてるわね」
と、母さんも並べられた弾に目を落とした。
実質、亡くなった29歳のまま時間が止まっていた横顔は明日からアクション女優でもやってけるんじゃないかってレベルで完成してる。
ディーンも初めて生きてる母さんを見たときは『おふくろ超綺麗』って言ってたし。
「実は俺も似たようなこと考えてた。朗報があるとすりゃ、トラブルが飛び込んできたのはいつも通りでも今回は味方がたくさんいるってことか」
「ええ、だからこそいい方向に考えないと。でないと不安に飲み込まれる、私たちが折れてしまったらそこで終わり」
「はい、母さん」
余計な気持ちはなしに頷いて返す。
広さのわりに出入りするのは俺たちやキャスくらいだった閑散としていたアジトも、今では異世界から渡ってきたハンターのみんなで賑わってる。
向こうでミカエルや天使の軍とやり合ってた反乱軍の面々は、結局こっちでもミカエルの目論見を潰すのに喜んで足を突っ込んでくれた。
号令をかければ、みんなが武器を取って俺たちの後ろに続いてくれる。
いくら俺たちが終末の世界から逃げる場所を提供したとはいえ、相手はあのミカエル。ありがたいことだな。
援護があるのは心強い、そう前向きに捉えようとしたタイミングでテーブルの上の携帯が鳴った。
「誰から?」
「‥‥‥分からない。非通知なんだけど」
誰だろう。
武偵高校のメンツ‥‥‥? 俺直通の番号だ、知ってるのは限られてる。
とりあえず、出てみるか。
「はい」
『キリ。久しぶり、大変なことになってる』
透き通るような淀みのない声。
最初から最後まで明瞭に聞き取れるこの声、アナエルか‥‥‥?
「誰から?」
「アナエルだ。金をもらって患者を治してるってあの天使、シスター・ジョーから」
どうして俺の番号を知ってる? いや、んなことは今さら聞かない。
彼女ならあの手この手、いくらでも手に入れる方法はある。事務職だろうと天使は天使、ルール無用だ。
案の定、やや驚いた顔の母さんには『とりあえず話してみる』と指でジェスチャーしつつ、俺はさっきの無視できない言葉を問いただすように会話に戻る。
「シスター、大変なことって?」
『──ミカエルが軍隊を作ってる。もう動き始めてるわ、王国建設に向けて』
ゾッとする言葉に小さく舌を鳴らす。
‥‥‥仕事熱心なこって。煉獄でイヴが言ってた怪物を兵士にしてるってあの話はモノホンだったか。ミカエルに手をくわえられ弱点を克服したハイブリッドの怪物、まさに悪夢だ。
「観光でもしてろよな、堅物め。その口振りだとあんたも口説かれたって感じだな」
『勘違いしないで、天使の使命なんてとっくに無くした。大天使だからってもう上司と部下の関係じゃない』
「だからわざわざ電話をくれたのか?」
『相手はミカエルよ。私の知ってるミカエルは堅物だけど、あそこまで邪悪じゃなかった。関わらない、巻き込まれたくないのが本音。でもあの王様に玉座を任せたら──』
「ろくでもないことになる、同感だ。イヴの統治よりひどいかもな」
協力してくれたときもあれば、ルシファーと一緒に敵に回ったことあって、味方か敵かどっちとも言えないのがアナエル。バルサザール並のグレーゾーン。
だが、そんなアナエルも今回ばかりは俺たちに助力してくれるらしい。裏を返せば、それだけ今回の相手はやばいってことだが。
『ミカエルは地上にいる天使を感知できる、息を潜めてるグレゴリやキューピッド、もちろん私の居場所も筒抜け。今回は話しだけで終わったけど次はどうなるか』
「元上司の機嫌を窺いながら漁るブランド物は楽しくないか」
『毎日家の窓の鍵とガスメーターがいじられてないかチェックする生活が楽しいと思う?』
防犯意識が高いのは悪いことじゃない、世間では通用しそうな言葉もこの状況だと欠片も正論には聞こえないな。皮肉にしか聞こえない。
「いいや、全然。辺境の地を一人で巡る生活並みに楽しくない、友達はひたすら続く道だけ」
『淋しい生活ね』
考え事をするのにはいいかもな、1日や2日程度ならリフレッシュできるかも。
そう思った矢先、ツー、ツー、と前触れなく通話が切られた。一件、こっちも登録していないアドレスからメールも入ってる。
タイミング的にアナエルか。
そのまま話せばいいのにわざわざメールを寄越すとは、そんで肝心の文面といえば──” デンバー ”。ご丁寧に時間も書いてある。
話が聞きたいなら直接来いってことね。
デンバーってことはコロラドか。ローレンスよりも西寄りにあるレバノンからなら車を飛ばして5、6時間ってとこだな。
朗報だ。東海岸沿いやもっと西部の端を指定されてたら、ひたすら続く道をドライブの有様だった。さっきの話をした側としてはすごい皮肉。
「難しい顔してる。なにか収穫はあった?」
「コロラドまで呼び出し、ちょっと行ってくるよ。36を行けば5、6時間でいける距離だし。アナエルの機嫌次第で色々教えてくれるかも、彼女きまぐれだから。運次第ってところ」
「運を掴みましょう」
「頑張るよ、運を味方にするくらいじゃなきゃどうにもならないくらい四方が焼かれてる。これ、どうぞ。武装が足りてない子に渡しといて」
組み上げたジェリコに空の弾倉を添え、出入口の扉まで伸びる洒落た螺旋の階段を仰ぐ。
退路に火が回るのはいつものことだけど、今はなんというか八方塞がり。
天使さまのきまぐれにだって期待するさ。これですっぽかされたら恨み節の一つや二つ、天使のラジオに流してやりたいところだが。
「母さんはここにいて、サムが帰ってきて誰か冷静でいられる人がいなきゃ状況の纏め役は必要」
「一人で大丈夫? 誰か一緒に連れていけばいい」
「いや、なんか一人で来てほしいって感じがしたし。はっきり言ってジョーは敵か味方かグレーゾーンだけど、そういう天使と絡むのも初めてじゃない。うまくやるよ、他を介さず直接電話にかけてくれるなんて彼女ともだいぶ気心が知れてきた」
さて、天使さまを待たせて機嫌を損ねちゃ悪い。わざわざ俺を指名してくれたっぽいしな。
外からは廃墟にしか見えないが、この基地は水道もガスもインターネットも通ってる対超常的な現象や存在への守りを備えている、れっきとした要塞兼活動拠点。
かつての賢人たちがコレクションしていたであろうクラシックカーがぞろぞろと並んだガレージから65年製の赤いマスタング引っ張り出した俺は、コロラドの大都市までほぼ一直線に続く航路に乗り出した。
デンバーといえば、コロラド有数の大都市。
標高1600mという高地にあることでも有名で、日本で言うと長野の上高地よりもまだ高い位置で街並みが広がってる。
貴希には、お隣りにロッキー山脈が伸びてる観光都市ってざっくりこの上ない説明をしたもんだ。
ほぼ真横に線を引くような直線で繋がったルート36は、ロッキーマウンテン国立公園内のディアリッジジャンクションの交差点まで繋がってる。
2000kmを越えるドライブも、幼少から移動手段がインパラでほぼ固定化されていた俺には、好き放題に組んだセトリを相棒に別に苦ってわけじゃない。
それよりも大都市と言われるだけに、飛び込んだデンバーはやはりというか、だだっ広い。
細かい場所を指定しなかったアナエルには、やっぱ恨み節をくれてやりたくなるがそこは気心が知れてきた仲だ。ヒントはある。
天国の物欲を一人で背負いこんだような天使だ。
好きなものはブランド、高い服に鞄に香水、宝石はじめ煌びやかな光り物。こんな観光都市で結びつくとしたらショッピングエリア。
まず行くとしたら中心街、一番でかそうなストリートモールから当たろう。
こんな大都市で一人を探そうなんて完全に狂気の沙汰だが、あっちから会いたいって気があるなら徘徊してんのを見兼ねて近づいてくる可能性もある。
(けどなんか、あんまり賢い作戦じゃないかもって思ってきたなぁ‥‥‥アナエルなら有益な話の一つや二つ持ってるかもって思ったけど、楽観論がいまさらながら過ぎたって感じがしてきた)
モールに備えられた大型の立体駐車場でマスタングを降りようとしたとき、服が突風にはためくような音がした。それはちょうど、隣から‥‥‥
「買い倒れって言葉があるけど、買い物袋で倒れそう」
「それあれか、今話題の失恋に一番効き目があるって買い物セラピーか?」
「アイスを食べるより効くわよ。とりあえずカードが使えるうちは」
両手に買い物袋をいくつも提げ、紺の見るからに高そうなハーフコート姿で助手席を陣取るのは、今まさに探そうとしていた信仰治療のセラピスト。
彼女はアナエル、またの名はシスター・ジョー。
金を対価にあらゆる傷を癒してくれという、奇跡を金で演じる天使。俺たちを最後の最後で壮大に裏切ってくれた因縁深きルビーのお友達だ。
おそらくマルベリーシルクの高級コートは、人混みを何度も掻き分けたあとみたいにずいぶんとくたびれて見える。
買い物袋を後部座席に置くや、一息間を置いてからようやく目線がこっちを向いた。
「久しぶり、
「そりゃどうも、俺も首がまだ落ちてなくて嬉しいです。香水変えたの? いい匂いがする」
「へえ、分かるの?」
「後輩がさ、クリスマスに男からプレゼント貰ったんだよ。痴漢撃退スプレー。彼女、香水と間違えて病院にかつぎ込まれた」
モールのなかを走り回る必要はなくなって、俺は降りようとした足を運転席へ戻す。ドアも閉じだ。
「それ、何かの皮肉?」
「いや、べつに。電話ありがとう」
「早かったわね、レバノンからでしょ? 急いで来てくれたの?」
「ネットじゃ優しくて綺麗な淑女って書いてあったから、俺の知ってるシスター・ジョーと同一人物か確かめたくて」
「すばらしい、こんな状況でも逞しい限りね。しおれた顔をされてるより話しやすい、口はカラカラで冷汗かいてたら話も進まないから」
「皮肉の拍手ってのは昔から変わらないな。先にソーダ買ってくる」
「もう買ってきた。‥‥‥ちょっとやだ、違和感があると思ったらこの車‥‥‥
刹那、それなりに陽気さを見せたアナエルの声が低くなる。
「ソーダありがとう。乾杯するか、天使さま」
お話の前に、と右手ごと瓶を彼女に寄せるが瓶同士がぶつかることはなかった。
「待って、浮かれてた。このマスタングは戦争の騎士と一緒にやってくる赤い馬。なんであなたが乗ってるの‥‥‥?」
クレアや母さんを思わせる影のあるブロンドごとかぶりを小さく振り、アナエルの目が鋭くなる。
車ではなく
「私があなたに話をする立場のつもりだったんけど‥‥‥駄目。質問させて、どうして騎士の馬に乗ってコロラドに来てるわけ?」
「車は拾った」
「盗んだの? 騎士の馬よ‥‥‥?」
「盗んでない。騎士は指輪をなくしたら消えてそのまま車は炎上した田舎町に放置だ。かわいそうだから連れて帰ったんだよ」
戦争の騎士、嫌なやつだった。
自分で集団催眠に陥れた村に一緒に潜り込んで、殺戮の現場を直に見て楽しむ。劇場型犯罪を好むサイコパスをテレビの中からそのまま引きずり出したようなやつだった。
ジョーやエレンとも久々に再会を果たしたときの一件だけに頭の中に際立って残った記憶だ。ジョーと取っ組み合いになったのなんてあの時くらいさ。
「コーラの飲み過ぎで脳細胞が全部駄目になった?」
「まあ、なんてことを。失礼だぞ」
「バカやるから自業自得よ。‥‥‥それで、ミカエルはどうやってディーンを器にしたわけ? 愛の力? そんなわけないでしょ」
「ネフィリムの恩寵を取り込んで手が付けられなくなったルシファーを止めるため。つまり、原因の一つはあいつに手を貸したあんたにもある」
「それを言うならルシファーの器になったあなたも。ねえ、見たことある? 太陽の下のエッフェル塔って結構いいものよ」
「お馬鹿、話を逸らすのが下手すぎだぜ」
6時間の長旅ドライブで、朝にカンザス州を出たはずが外はあと数時間もすれば日が落ちそうだ。
サムとキャスは帰った頃かな、なにか進展してりゃいいけど。
「アナエル、真面目な話。ミカエルが軍隊を作ってるって話はほんのちょっと前に聞いてたんだ。やや半信半疑だったけどな」
やっぱりこっちのほうが呼びやすい。
ブロンド、長髪、同じ名前。嫌でも面影を見る。
真面目な話と前置きしたら、アナエルもただでさえ美人な顔を真剣なカオに作り直した。
「みんなには話してないんだけど、煉獄でイヴに会った。すべての怪物の生みの親、あの墓場の世界の女王様さ。ミカエルが色んな怪物に実験を施して、新たなモンスターに作り変えてるって話。シフターやピシュタコ、本来ある弱点を克服した子供が屍の山と引き換えに生み出されてるって」
騎士の次はイヴ。
またもや登場したこっち界隈の重鎮に、少し顔を引き攣らせたもののアナエルは少し頭の中で言葉を整理するような面持ちで、
「屍の山って?」
「選別だよ、ミカエルが欲しいのは兵士だからな。対応できない個体はそのまま、変化に対応できる個体だけが生き残ってヤツの配下になる。だからイヴも面白くないって顔だった」
「推測だけど。推測だけど、ミカエルが自分の恩寵を流し込めば、それも可能だわ。もちろんすべてが適応するわけじゃないけど、ミカエルの恩寵に適応する個体がいるとすればアルファほどじゃなくても‥‥‥ええ、力を得てる。兵士としては十分」
推測、と念入りに前置きしながらもアナエルの声は確信に満ちてる。
アルファ種、マザーが最初に生んだ種のピラミッドの頂点にして最初でもっとも力を持った個体。
アルファには届かずとも、それに次ぐ連中が量産されるなんてのは地獄絵図だ。どこをどう切り取っても笑えねえ。
「──キリ、ドライブしない?」
ふと、隣からそんな声がかかる。
「なんだよまた。ミカエルに何を言われたかはしらねえが、だったら運転するか? ウチの先生はしょっちゅう俺からハンドルを奪ってくぞ、私のほうが運転が上手いとか。どの口が言うんだか」
「惚気話聞いてほしい?」
「そんなんじゃない」
「嘘、口許が緩んでるわ」
‥‥‥緩んでたか?
あーあ、得意げな顔しやがって。見ろよ、してやったぜって顔してる。理子がよくやる顔だ。
「ねえ、キリ。サムやディーンと違ってあなたっていつも私を天使の名前で呼ぶ。シスター・ジョーの名前を呼んでくれたのって数えるほど、何か理由があるの?」
「‥‥‥どうでもいいだろ、んなこと。運転どうぞ、天使さま。ほら、そっち交代」
目敏い、どうでもいいことだけどな。
くだらない理由だよ、んなことは。
「騎士の馬に跨るなんて、どうかしてる。買い物セラピーじゃ足りなかったのかしら」
「せいぜい楽しめよ。次はどうする?」
「クールに大袈裟には騒がない。さりげなくあなたとの会話を楽しむわ、ドライブも」
思ったより乗り気な様子でハンドルに手をかけたアナエルは、こうして見るとただの美人にしか見えない。
ちなみに、夾竹桃が見たって夢のなかではサムはルビーと、ディーンはジョーと婚約して仲睦まじく同居してたらしい。
いや、どんな夢だよ‥‥‥
ルビーはともかくアナエルとディーンが婚約ってのがなんつーか、驚きだ。
ちなみに俺は出てきてないのかって聞いたら、煙管を咥えてはぐらかされた。
フェンスに囲まれた白い家。
適度な広さの庭に、出迎えてくれる相手。この期に及んでだけど、憧れないと言えば嘘になる。
結婚か。
一生をくれてやってもいいと思える相手。そんな相手と巡り合えることができるなら、それは、とても幸運なことなのかもな。
「いいや、ドライブ楽しみましょう天使さま。ちなみに行き先は?」
「──”約束の地”を探す旅なんてどう?」
「いいんじゃない。カナン──”希望の地”を探しにいこう。騎士の馬に跨って」
交代したマスタングの助手席で、俺は薄く瞼を下ろす。
カナンーー神がイスラエルの民に与えたという約束の地。
だが、ミカエルが作るのは民のいない国だ。あいつが座るのは荒地の玉座、荒地の王様だ。統治するのは虐殺の果てにある焼け野原だけ。
どこにも救いはないし、見逃せる話じゃない。
「キリル」
「その名前は好きじゃない。ナオミのお馬鹿に言ってなかったか」
車に揺られ、最低限の警戒心だけ残しながらぼやく。
なんだよ、いきなり。
「どんな子だったの。あなたが好きになった、私と同じ名前の子って」
「‥‥‥」
だから、天使は苦手だ。
何も知らないって顔で、こっちが身構えてない時になんでも見透かしてくれる。
「あのお粗末な本を読んでたら分かるだろ、いいやつだったさ。優しい、強い女だった」
親子そろって俺よりずっと、強かった。
腕っぷしだけじゃない、いろんな意味で俺はジョーには敵わない。きっと、これから先も。
「バルサザールが残した天界の武器じゃミカエルの首には届かない。あなたはコルトをレストアしてるみたいだけど、剣を手に入れたいま頭痛を引き起こすのがやっと」
「‥‥‥?」
「目星はついてるの? ディーンの器が無事かどうかは置いて、即興で乗り込んでどうにかなる相手じゃない。抵抗できる何かを備えてないと、すぐに無駄死だわ」
一転して、ハンドルを握ったアナエルは饒舌になって一瞬言葉が詰まる。別に無口ってタイプじゃなかったが‥‥‥
「無駄死にとは穏やかじゃねえな」
「ミカエルよ。それも剣を手に入れてる、善意で警告してるの。あなたの好きな即興やその場しのぎは、今回は頭から外しなさい。ちゃんと策を立てるべきよ。無策でミカエルの進路に立つのは、自分から命を捨てるのと一緒」
「言っとくが諦めちゃいないぞ、ただこれ以上どう探したらいいか途方にくれてただけだ。‥‥‥ちゃんとした策。アルテミスは頼めば力を貸してくれるし、ベルフェゴールも利害の一致で協力はしてくれるだろ、ミカエルは地上が焼け野原になったら地獄でも好き勝手暴れんだろうからな。力を貸してくれるハンターもそれなりにいる」
「でも数を揃えただけじゃ解決にはならない。頭数での勝負もあっちには徴兵した軍隊がいる」
「ああ、お前の言う通りやっぱり作戦がいるな。放浪してるアマラを味方につけるくらいの強力で無茶苦茶なやつが」
分かってるよ、そんな顔しなくても。
Darknessが無条件で味方になってくれるならここまで頭を悩ませたりしない。けど、それぐらいの無茶苦茶な作戦しか通らない。
たとえば──
──虚無をなんとか呼び出して、ディーンに取り憑いてるミカエルだけを飲み込ませる。
(無理か。別にあいつは味方でもなんでもない、ましてや都合よくミカエルだけを引き剥がしてくれるなんてご都合が過ぎる)
八方塞がりになるほど、希望的な観測に縋りたがるのはまさしく地雷を踏むってものだ。
相手はミカエル、一度仕掛ければそれが最後。2度も襲撃できるチャンスや途中で離脱が許されるなんて考えないほうがいい。
願わくば、このドライブの間に少しでも名案が出るのを期待するか。なんたって隣にいるのは、自称類まれなる商才を持った天使だしな。元ボタン押しの。
正面に終わりなく伸びた道路、行く末に見えるのは巨大な土色の山脈。おまけに道路を挟んで左右に広がっているのは建物も何も無いただ広いだけの荒野。
これを殺風景と呼ぶか、大自然が残した景色と捉えるかはそれこそ人次第ってやつか。
‥‥キリくんがインフレについていけるか、実は作者も不安です。