ロキシーは学園島唯一のファミレス。本土じゃうまいピザ屋は必需品って言われるけど、武偵高の生徒にとってはここがまさに。放課後や休日の必需品だ。
遡ると俺たちもアドシアードの打ち上げをこの店で開いた。星枷、神崎と、俺とキンジで。
新年早くも既に7月。
アドシアードからも1年が経ってる。懐かしい、ちょうど目の前に座ってる彼女と出会ったのもそのとき。火薬の積まれた武器庫で出会った、イカれたファースト・コンタクトだった。
「なんだよ急用って」
「別に、急用というほどではないのだが」
「‥‥‥コードレッドだってメッセージ聞いたから急いで来たのに」
「少し言い方が大げさだったかもな」
カップを持ったままサファイアの目を明後日に逸らす聖女さま。もとい『銀氷の魔女』ことジャンヌと対面する形で俺もテーブルについた。仕返しにせめて苦笑いを添えてやりながら。
ロキシーか。お馴染みの店内、メニュー票も本土に行く前と何も変わってねえな。安心するぜ。
「俺はこのサンドと――ドリンクは‥‥‥コーラでいいかな。これでお願いします」
水をくれた店員にそのまま注文を済ませ、俺はテーブルに左腕をかけて頬杖を突く。すると、バツの悪そうな顔で明後日に向けられていた碧眼がようやくこっちに向いた。
「また炭酸飲料か。時代、文化、人の心は移り変わってもお前の好みは変わらないな」
「先生と違って酒とタバコがない世界でも俺は生きていける。けど炭酸とジャーキーがなかったらそこは俺にとっての地獄だ。炭酸やコーヒーを薬物って言う知り合いもいたけどね」
「口が回るのは変わらずか。今度は無事に両眼で帰ってきてくれたことを嬉しく思う」
「今回は頼れるバックアップがついてたから、二度も人の目でバーベキューさせてたまるか」
前回、スタール墓地でミカエルと一対一をやったときは片目をもっていかれた。
おかげで俺は、右目を焼かれた状態で緋鬼や緋緋神なんて化物と刃物を交えることになったわけだ。傍迷惑この上なかったぜ。
「武藤の妹はお前の両眼が戻ったことに心底驚いていたぞ。それにとても嬉しそうだった。ずいぶんと好かれてるんだな」
「貴希が?」
「島と一緒に話をしたがお前のことを褒めちぎっていたよ。無理難題なきわどい依頼もいくつもこなしてると」
「出任せだよ。俺の出任せ信じてるから」
ミニ四駆で遊んでくれる優しい後輩。たまに金にがめつくなるがそこは御愛嬌。レースクイーンの仕事をした帰りに一緒にワイルド・スピード観に行こうって誘ってくる愉快な後輩。
いいヤツだよ、兄に似て。ブレーキ音みたいな名前に反しスピード狂なのが相席注意だけどな。
続いていた会話が一旦切れると、店員がコーラを運んできてくれた。うん、本土でも日本でもコーラはうまい。
「キリ、お前ダンスは好きか?」
――?
ダンス‥‥‥?
「好きだな、好きだろう? そうか、では問題ないな」
「な、なんだよ藪から棒に‥‥‥」
というか、不意を突かれた。ワンテンポ早ければ炭酸が変なところに入って涙目になってたかもしれない。
話を振ってくるジャンヌの顔は、何やらクールとはお世辞にも言えない熱が入ってる。きっと呼び出した本筋はこれだな、にしても話のもっていきかたが急降下すぎる。
ダンス、ダンスと言えば思い起こされるのは例のタンゴ。ディーンに教えを求めたことで巻起こってしまった一騒動。
思い出さぬよう鍵をかけて閉じ込めておいた記憶が不意に飛び出し、かぶりを振って脳裏から振り払う。
とりあえず頬を小さく掻き、考える素振りは一応見せてから、
「ダンスは‥‥‥‥苦手だな」
「ふむ、やはりか。理子が言っていた、お前は必ずそう答えるだろうと」
「えっ‥‥‥?」
「理子はこうも言っていた。とどのつまり、その答えはyes.で肯定だと」
「そ、それっておかしくないかな‥‥‥てか、ダンスのお誘いか? ま、いいや。どっか遊びに行こうって話なら週末暇してる俺は喜んでだが」
「そうか。では、決まりだな。パーティーだ」
と、まるでタイミングを見計らってくれたようにサンドイッチが届いた。
そう言えばあのときもサンドイッチだった。
ベラと、地上で一番性格の悪い守銭奴のあの女と博物館のパーティーに出かけたあの日もサンドイッチだった。
ただし、マアトの天秤を一瞬で傾かせるようなあの女と比べるにはジャンヌは聖人すぎるがな。
◇
パーティーだ――その言葉どおりジャンヌが誘ってくれたのは博物館をハコにした、所謂立食パーティーだった。
日が沈み、静かで落ち着いた夜空の下にドレス、スーツ姿の俺とジャンヌは並んで駐車場から館への道を歩く。
過去の経験から駐車係がいたとしてもなるべくインパラは運転させたくない。そう、過去の経験から。悪夢にでてきそうなやつ。
「誰からだ?」
「先生から。また他の男を探すって」
マナーモードにした携帯が震え、開いてみると中身は先生からのお約束のメールだった。
綴先生は朝食に殺人鬼、ランチにテロリスト、おやつにギャングのボスを食う女だ。言っちまえば肉食系の最上級、今回は相手との相性が悪かったってことだろう。
なぜか愚痴の捌け口に任命されてて、先生はこの手のメールやあるときは電話で俺に振ってくる。
先生はたしかに癖があるが実際いい人で、いい先生で、いい女性だと思うんだが‥‥‥タイミングや相性に恵まれないのかな。
(ご愁傷さま、綴先生。でもマッチングアプリの相手なんて俺は聞いてませんよ‥‥‥)
先日先生から男と会うと手短に告げられたときはエールを送った俺だが、それがマッチングアプリで出会った男と知ったあとでは複雑な気分だ。
文面からも哀愁が漂ってる先生からのメールを見るに、次の尋問科の講義もまた荒れそうだな。一番の的になりそうな一年のみんなもご愁傷さま。
アプリ上でのやり取りはうまく運んでも、実際に顔を合わせたあとは音沙汰なしでフェードアウト。
行場のない虚しさはとりあえずこのメールに、発散できなかった分は先生の次の講義でばらまかれる。尋問科なら誰もが知ってるお決まりのパターン。お約束だ。
たたんだ携帯を懐に戻してから俺は、隣を歩く銀髪碧眼の友人に横目を振った。
昼は昼で陽光に照らされて幻想的に輝く銀髪は、今は今で夜の暗闇をバックにより大人びた真昼で眺めるのとは違った美麗さがある。
昼の姿と夜の姿、どっちも無駄に美人なのには変わりないか。
「そもそもマッチングアプリに頼ろうってのが駄目なんだ。武偵なんてただでさえ癖のある仕事なんだからやっぱりアナログな出会いで行くべきだよ」
「今時珍しいことでもないだろう。お前にしては妙に噛みつく、苦い記憶でもあったか?」
「恋愛を食い物にする姑息な商売には加担したくないだけ。古典的って言われても、俺はFace to Faceの出会いを大切にしたいの」
「出会いの形は大した問題ではない。そこから確かな繋がりを築きあげることができるかは別の問題なのだからな。私とお前も出会いは、最悪だった。だが私はこれからお前とパーティーに出ようとしてる」
‥‥‥たしかに。
理子は別として、ジャンヌ、夾竹桃、ヒルダ、かなめ、みんな出会いは最悪だった。特にかなめは酷さのメーターを確実に振り切ってる。
それでもジャンヌが言った通り、今となっては確かな繋がりが出来上がってる。反論はない、そうかぶりを先に振っておこう。
「地下倉庫で睨み合ってたときの俺たちに見せてやりたいね。お互い敵意の塊だった。それがこれからナイトミュージアムに行きましょうだもんな。ああ、それと――そのドレスすごく似合ってる」
簡素な上に使い古された言葉だが、サファイアカラーの瞳は一瞬丸くなり、
「――本来それは第一声に求められる言葉だが、今日は良しとしよう」
『及第点だ』とジャンヌは綺麗に笑って見せた。
似合いに似合ってたせいで言うタイミングを失ってたってのも事実だが、ちゃんと言えただけ俺も良しとしよう。
「精進するよ」
ジャンヌが着ているブルーのドレスは袖が無く、胸元も背中も大きく露出させるイブニングドレス。ただでさえ美人なジャンヌには凶器どころじゃない。
白い肌と絵画のような銀髪と光沢のあるブルーのドレスのカラーは危険なほど調和し、モデルのようにしなやかな背は過剰な存在感をより1ランク上げて、メイクのせいでいつもはかろうじて残ってた幼さがそのまま大人びた美麗さに染められてる。
本職は映画女優って言われてもみんな納得するよ。
ハリウッドではファンレターより脅迫が多いが、ジャンヌに限っては例外だろうな。男も女も関係なく、きっとこの子に魅力される。
「しかし、よくそんな似合うドレス探してきたな。専属の衣装係でも雇ったか?」
「これは
新技のお披露目みたいに言いやがって。
ま、男を怯ませる注意を惹くって意味では立派な必殺技かもな。特殊捜査研究科的には。
前にヒールは背が高く見えるから嫌いとジャンヌは言ってたが、今日はブルーのドレスの足下にハイヒールを履いてる。
これはメアリー母さんも言ってたがスカートの丈がヒールの高さを前提に整えられているせいで、浅いものだと裾を引きずったり汚したりしてヒールを履くしかないからだろう。
ひょっとすると俺は、ものすごくレアなジャンヌの姿を見ているのかもしれない。自慢げに、そして少し楽しげな横顔に俺もつられそうだ。
「お前はどうした?」
「どうしたって何がさ」
「そのスーツだ、通販か?」
「驚いた、ジャンヌダルク渾身のギャグか? 俺がスーツで堅苦しくなってる日に限ってゆるゆるになるのかよ」
「いつもこうだぞ」
「ジョークがうまいな。やっぱり今日はゆるゆるだ」
博物館でのパーティーはアメリカにもあった。スーツやドレスでの参加が必須だったのも今日と同じ。あのベラと一緒に行ったときもそうだった。
ベラ――ヒルダと同じオカルトグッズの仲介屋で泥棒。傲慢さ、卑劣さ、手癖の悪さでは俺の知るなかでアバドンと並んで表彰台に上がってくる。
駄目だ、せっかくジャンヌが誘ってくれたのに暗いどころか惨劇みたいな記憶を掘り起こすなんて馬鹿げてる。
「ところで、お前は美術館と博物館の違いを知ってるか?」
「なんだよ、お次はクイズか? そういやヒルダは美術館と博物館を犬と狼って言ってたっけ」
「あと5秒だ」
「早すぎるよ、アンフェアすぎる」
ヒルダが言うのは同じようで少し違う、そういう例えだな。アンフェアな出題者さんよ。
急に始まったと思ったら持ち時間が短すぎる。ありえないだろ。
「美術館は絵画や彫刻なんかの人の手で造られた芸術作品を展示し、一方で博物館は歴史的・文化的価値を持つを物を展示してる」
それが俺のなかでの大まかな認識で境界線だが、博物館に安置されてる昔の飛行機や乗り物、細部までこだわった恐竜標本も見る者によっては『芸術』だ。
武藤や島姉なんか、太古の乗り物や機器周りのテクノロジーを間違いなく芸術と崇めるだろうよ。
人の認識や境界線は人それぞれ、だから狼を犬と呼ぶ人間がいても何も珍しくない。我が家は昔から地獄の猟犬を躾のされてないクソ犬って呼んでるし。
「博物館は文化の保存、歴史的価値のあるものの保護を。美術館は新たな芸術の発展とその価値を伝えていく。スミソニアンではそう教えてた。実を言うとあそこで展示物調達員をやってた頃があってさ」
「待て、スミソニアン博物館で‥‥‥調達員をやっていたのか? 理子や桃子からも聞いてないぞ」
「言ってなかったからな。わけあってね、大変だったけどやりがいのある仕事だった。ほんの一時だったけど、あそこで働いてるみんなが前線に立って外部の攻撃からアメリカを守ってる。攻撃っていうか、予算削減かな」
「――――自国のアートをか?」
「分かるのか、さすがだな。そういう意味じゃ国の根幹だからな。スミソニアンが予算削減を阻止しないと国のアートにとっては大打撃、比喩的に言うとあそこが防御の最前線。それだけに大変な仕事だよ。残業や出張、秘密保持契約とかその他諸々に」
「国に尽くす仕事か、どうりで。お前の声に熱が入る理由が分かった」
「兵士や捜査官と一緒さ。犠牲を厭わず、国に尽くしてくれる仕事にはそれなりの敬意は持ちたいってそれだけ」
本当は俺が信じたいだけかもしれない。
国に尽くすことに意味がある、自分ではない誰かのために尽くす行為は尊いものだと、何より俺が信じたいだけなのかしれない。
善行を積めば、善き未来に繋がる。現実はそんな単純じゃないけどせめてそうであると信じていたい。俺たちみたいな仕事をしてると特に。
「ああそれと、スーツはどうしたのって質問だけど
ご丁寧にIDもセット。
たまに保険調査員やら疾病対策センターの職員にもなるが一番頻度が高いのはなんといっても捜査官。
「折角だし、ID貸してやるからやってみるか? 動くなFBIだーって」
「‥‥‥スーパーの会員証だぞ」
「あっ、やべっ‥‥‥間違って持ってきた」
「そもそもこの場で使うものでもないだろう。パーティーはまだ始まってもいないというのにだな、つくづくお前というやつは‥‥‥」
「愉快なバカだって?」
「さてどうだかな」
そんな呆れた顔も美人に見えてしまうのがアンフェアなジャンヌは、
「一人の時間は害になるか癒しになるか、そこに議論がある。だがお前との時間はさすがに退屈しそうにないな。夜はまだこれからだ、Follow Me キリ」
と、ヒールを鳴らして先を歩く。
ついてこい。そう言って見せてくれる後ろ姿は美しく、気高くて、どうやら自分で思ってる以上に俺はこの子のファンになっちまったらしい。
◇
「――では、お前がダンスパーティーの為に兄から教わったのは女性の‥‥‥パートだったのか?」
「そう。タンゴは覚えた、けど覚えたのは女性のパート。会場で彼女の肩に手を置いたところで初めて気付いたよ。相手が器用だったんでそのままリードしてもらった、彼女俺の3倍はかっこよかったな」
明るい照明の光に見下された館内は、想像していたよりも人であふれている。
とはいえ、まったく動きが取れないというわけでもなく招かれた男女が一緒に踊る為のスペース程度は十分ゆとりがあった。
博物館であり社交場。
ナイトミュージアムの映画ほどの賑やかさはないが耳をすくようなクラシックは心地良い。音に合わせてステップを踏むと、連動しているようにキリの足も動く。
本来は因縁で結ばれているはずのハンターと両手が解けぬようにぎゅっと指を結び、東洋寄りの顔立ちと相反する様な一時は片目だけになっていたヘイゼルグリーンの双眸をその胸元から見上げた。
「見れなかったのが残念だ。お前が慌てふためく顔なら私も見てみたかった」
「よせよ、おもしろくもないぞ? それに覚えるのも苦労したんだ。ディーンに酒が入ったときは大変だった、隣の部屋からオルタナロックが流れてくると裸足になって踊りだすんだ。ステップも何もない、まるでカリギュラの狂乱の宴だよ」
ひどい記憶だと、いつものように苦笑いする。本当は楽しかったと、声色を聞いていれば分かる。
呆れたり、苦笑いしながら話していても本当は家族のことが大好きなのだと、一緒にいれば分かる。
「サブタイトルは、ウィンチェスター兄弟の癖がありすぎるダンシング・オールナイトか」
「今日は言葉に遊び心出まくりじゃないか? やっぱり今日のお前はゆるゆるだよ」
「それはお前といるからかもな」
他意はなかった。
桃子風に言うなら毒気に当てられたと言うべきかもしれない。だがその言葉は、案の定というかキリの目を開かせた。
「驚いたか?」
「少しだけ」
「なんだその笑みは」
「綺麗にお化粧してるなぁって思ってさ。しかもその眉も描いてないんだろ? 自眉でそのラインってわりと反則だと思うんだけど」
「やっと気付いたか。お前が思っているより私は『美人』ということだ」
覗き込む瞳に目を逸らすのが嫌で、挑発的に飾った笑みが独りでに顔を出した。
男は女性の姿を綺麗だと思ったなら素直に言葉に出すべきだ、そうするべきであると私は思う。母からはそう教わった、だからこそ女も男をそのときが来れば素直に褒めるべきだと。
「そうだな、今日はいつも以上に無駄に美人なお嬢様ですよ。オルレアンの聖女さま?」
体幹がしっかりと鍛えられているせいだろう、唇は忙しなく動きながらも私の動きには無駄なく合わせてくる。
兄の教えが良かったか、それとも本来持ち合わせている器用さか。
「けど、なんで誘ってくれたんだ? すごく嬉しいし、いまもすごく夢見心地なんだけど、なあどうして?」
「それを聞くのは野暮というものだ」
「んな綺麗なマナーを気にする関係じゃないだろ」
「聞くなと言っているのだから聞くな馬鹿者。私もお前と、時間が欲しかったのだ。これから先も色褪せることのない特別な時間が欲しくなった、それでは不満か?」
「‥‥‥」
‥‥‥どうやら予想していた答えは外れたらしい。
尋問科、それもAランクの腕利きの裏をかけたのは喜ばしいがその顔はいったいなんだ? どんな答えをよそうしていたのだ、お前は。
「悪い、思ってた以上にロマンチックなセリフで非常に申し訳無くなった」
「な、何を言い出すんだお前は‥‥‥私が恥ずかしくなるだろ、その顔はやめろ」
「
カンザス訛りとにやけ顔が今日は目の前と耳元で私の五感を揺さぶる。
性格は尖っているが顔はいい、テニス部でもそう評されているほどには、ああ、悪い男の顔だ。
ウィンチェスター兄弟は顔のいい問題児、かの赤毛の魔女が流したとされる噂もあながち間違いではないか。
「聞け、別に深い意味はない。私もお前も無事に進級を終えた、遠山は落ちたが――私とお前が武偵高で級友としていられる時間は限られている、だから欲しかったのだ。お前とできた縁を、そう、証明してくれるような思い出が」
ハンターと魔女。
本来手を結ぶことのない関係だが、私とお前は結ぶことができた。
それはおそらく、幸運なのだろう。そうでなければこの一瞬が、こんなにも楽しいと思えはしない。
「ミカエルの件が落ち着いたとはいえ、また少し時間が経てばお前は別の問題に巻き込まれるだろう? だからそうなる前に誘いをかけたかった。誘いさえすれば、お前が断らないのは分かっていたからな」
「断らないよ、すごく嬉しかった。確かに最悪な出会い方だったけどさ、初めて会ったときはボロカスなトークバトルだったが今では大切な――『家族』だよジャンヌは。そうとしか言いようがない」
まるで私の名残惜しさを誘うように、曲は止まる。
できれば繋いだこの手を、解きたくないと思わせるタイミングで終わりはきてしまった。
「できればアンコールが欲しいくらいさ、今日のジャンヌは反則だと思う。こんなの初めて言うけどルームメイトが少し羨ましくなった」
「奇遇だな。私も‥‥‥ああ、少しだが同期のことが羨ましくなった」
「へぇ、同期って誰のこと?」
「ルームメイトとは誰のことだ?」
はぐらかしながら、どちらともなく私たちは手を解く。最後はあっさりと、名残惜しさはもうなかった。
この記憶はきっと、私のなかで永遠に残り続ける。
一生を省みればそのなかの一瞬の一時、だがその一瞬を私はきっと忘れることはない。
ほんの数歩、先程より離れた距離で「ふ‥‥‥」とキリの笑みが目の前を埋める。
「お次はなんだ?」と、その先の言葉は――どうやら駄目だ、今度は浮かばない。
「実を言うとさ、その、女性のドレスでここまで目を奪われたのってほんと‥‥‥
知っている。こういう場面では決して嘘、偽りは言わない男だと私は知ってる。
「ありがとう。それとても、光栄だ」
そう、私もお前のことがまったく分からないわけじゃない。捻れたように見せて、本当は律儀な男であるのも分かってる。
一瞬名残惜しむように見せた顔が、何を意味しているかも分かってしまう。過去誰に目を奪われたか、そんなことは考えるまでもなく一人しかいない。
一緒に踊ろう――そんなありきたりな誘いをかける前に彼女は命を落とした、他ならぬ彼女を大事に思っていたキリの前で。
自分だけが、親しい相手の悲痛な過去を一方的に知っている。それもまたこの世界に満ちているアンフェアの一つなのだろう。
「楽しい時間はあっという間って言うけど、あの言葉が言えるってことは楽しい時間を過ごしたってことだもんな。それって結構幸せなことだと思うんだよ」
「哲学の話か? 沈黙を恐れて無理に話を作るような仲でもないだろう」
「そうじゃなくてパーティー楽しかったって話。無理に話題作ってるわけじゃない、まあ多少言ってて俺も疑問が浮かんだけど」
「口に出してから後悔したかわけか」
「喉から出た言葉は引っ込められないから。だから口は災いのなんとやら」
インパラでの帰路の途中も、いつものようにキリの軽い口とだらけた喋り方は変わらなかった。
来た道をそのまま帰るだけ、珍しくカセットテープを回していない車内は静まり返った夜相応に落ち着いている。
静けさを特段好むわけでもない、だが今はこの微妙な静けさが心を落ち着かせてくれる。
見慣れた景色は窓を流れ、
聞き慣れてしまったV8エンジンのアイドリング音は甘く見ればBGM代わりと言えなくもない。
「こんな話を知ってるか」
ついには周りに対向する車も、後ろをついてくる車も消えたところで、私は窓枠を流れる景色に目を逃がしながら切り出した。
「とある水兵の話だ。二度目の派遣が終わる頃、もう全く家族には会えていなくて、国にも帰れておらず帰国できる日を待ちわびてた」
「辛いよな」
「だが彼は残ることにした。気が変わったのだ、上官からの一言でな――不満を言えるのは、すべてを捧げた者だけだと」
「ジャンヌ‥‥‥?」
「今回のことだけじゃない。お前は今まで、色んなものを犠牲にして数多くを救ってきた。お前には権利がある。お前は今あるものを手元に置いておくのが精一杯だと言った、求めるものは手に入らず、持っているものをこぼさないように足掻くだけだと」
それこそ不公平だ。
犠牲ばかりの人生、何もないと平気な顔をしてお前は歩くのだろう。だが、
「お前は‥‥‥求めていいんだ。ウィンチェスター兄弟が幸せになる世界があってもいい、白いフェンスに囲まれた家で犬を飼って、それに大切な人と、一緒に暮らす生活があってもいいだろう‥‥‥?」
「‥‥‥ありがとう。それはすごく優しい言葉だ。お前にそう言ってもらえるだけで‥‥‥満足だよ。俺は今でも十分満足してる。こんなに優しい言葉を言ってもらえる仲間ができたんだ、十分すぎるよ」
笑うな。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
「ミスったな、せっかくのダンスパーティーに湿っぽい感じにはさせたなかったんだがちょいと聖女さまが優しすぎたか」
急いてるわけじゃない。
だがここで言わなければもう、言えなくなる気がした。
やはり毒気に当てられたらしい、言葉が纏まらない。ガタガタだな。
「これまたどうした、自販機に新商品でも入ったときの顔だぞ?」
「そのたとえはあまりに意味不明だが。認めよう、やはり今夜の私はゆるゆる、だったのかもな」
「ははっ、ああそうかもな。やっぱお前は悪人には向かないよ、優しすぎる。ベラトリックスにはなりきれないよ」
笑い声が響き、そのあとは天気の話、経済の話、ありきたりな話だけがそれこそBGMの代わりに次々、入れ替わっていった。
「いいのか、ここで。ヒールであんまり長い距離歩くのはだろ?」
「気にするな、もうすぐそこだ。それにお前に心配されるほどヤワでもない」
「それは失敬。じゃ名残惜しいけどお休み、ジャンヌ」
「名残惜しいのか? そうか、私もだ」
インパラを降り、窓枠から運転席にそう言ってやるとキリはかぶりを振り、降参とばかりに両手を挙げた。いわゆるホールドアップというやつか、気分がいい。
「キリ」
そのまま歩き出そうと、向けた背を一度翻してインパラへと戻る。
律儀にインパラの外で茶髪が靡いていた。インパラのドアを背に待ちぼうけ、ウィンチェスター兄弟お決まりの構図だな。
「どうした財布でも忘れたか?」
「いや、そうではないのだ。そうではないが」
魔が差した。
本物の悪魔と戦ってきた男の前で、その表現を持ち出すのは複雑だが今夜は色々ありすぎた。
「ウィンチェスター兄弟式の再会の挨拶があるだろう。思い返すと帰国してすぐのお前には簡素な挨拶しかしなかったからな、今夜はしてやらないこともない」
ゆえに魔が差したのだろう。
こんなことを口走るのは。
「もしかして今日はダンスパーティーじゃなくてサプライズパーティーか?」
「? お前誕生日だったのか?」
「違う、だから余計にサプライズだったのかと」
ふっ、と肩の力が緩む。
冷凍グラタンにしてやろうか、いやこの男はこういう男なのだ。遠山のルームメイトなだけはある、困った男だ。
家族、か‥‥‥
ウィンチェスター兄弟にとって、家族というのは血の繋がりよりも最上級の繋がりを示す証。
血の繋がりで築くのではなく気持ちで繋がり築くものの意。
「ジャンヌ」
名を呼ばれたあと両腕が後ろに回る。
ウィンチェスター式の挨拶。それはあの本のなかで何度も書かれている生きて再会できた喜びと、生きて再会できる祈りを込めた『再会』と『別れ』に交わす抱擁。
「トラブったら呼べよ? 援軍が行く」
「お前が援軍か、それは頼もしいな。いいニュースのお礼にでは私からも一つだけ。もし女性に愛していると言うときはちゃんと伝えろ」
「なんだよ。そういうお前は経験あるのか、剣やナイフに愛してるって言っても経験にならんのよ?」
「伝えるなら、の話だよキリ。私からはそれだけだ」
どうせこの状態では見えない、今夜はゆるゆるだと言われた私がどんな顔をしていても、キリには見えない。
一分にも満たぬうちに、距離は開く。
解かれた腕が、スーツのポケットにしまわれてあるのはふいうちを貰ったような顔。
「‥‥‥何かおかしい。ジャンヌが優しすぎるし、今日は悪いことが一つもない。チップが山積みだ」
「大勝ちだな」
「大負けかも」
「the truth is complicated forgiveme」
「真実は複雑か、だな。じゃ、またの誘いを待ってるよ聖女さま。今度はそっちのバイクの後ろにでも乗せてくれ」
ひらひらと、いつものように後ろ手を振って最後はあっさりとその背中は消えていった。
どこか現実味のない、一夜限りの夢だったかのような後味を私のなかに残して。
もっとも後日、『また会えて嬉しい、心から』と時間差のメールが届くのだが。
次回、高尾基地。