高尾基地での一件から数日。
あれからキャサリン中尉が先端科学兵装の補給担当官として高尾基地に潜り込み、様子を探っている。
超能力方面ではロカとツクモが逆色金、例のパーピーのことを含めて日夜頭を稼働させてる。
そして、なにやら本気で『東大』に受からないとやばいらしいキンジは、こんな状況でも最近通い始めたという塾に足を伸ばしているらしい。
いや、むしろこんな状況だからこそ変わらぬ日常を送ることでなんとかメンタルを保とうとしてるんだろう。
(キンジはかなでといた時間が一番長かった。学校に通わせてご飯も作って、あの子の一番の拠り所になってたのはキンジだ。兄であり、初めてできた家族。親も同然だった)
一番無力感を抱いてるのはキンジだろう。
もしどこかで違った選択肢を選んでいれば、もっとマシな今があったんじゃないのか。
もうどうにもならないと分かりながら、人間ってのはそうやって後悔する生き物だ。よーく知ってる。
特に武偵って仕事ほど、後悔って言葉に縁がある仕事はそうそうない。
◇
やはり一人だと広く感じる部屋でソファーにもたれながら天井を仰いでいると、昨日からテーブルの上に置きっぱなしの携帯から『悪魔を憐れむ歌』が唐突に響いた。
特定の相手からのコールには専用の着信音を付けているおかげで画面は見なくても分かる。
『よ、早かったな』
『ビバリーヒルズ警察の1週間分は働いた。甘いものがあればげんなりする朝の会議も乗り越えられる、特に月曜日は』
今日は水曜日でもう夜だけどな。それにお前を会議に呼び出すような上役もいない。
何一つ合ってない言葉はそこで途切れ、代わりにさっきまで仰いでいた天井の光源が明滅する。
カーテンを閉じていないベランダの窓も曇り、お約束の前触れを挟んだあとにソイツは長い廊下を堂々と歩いてやってきた。もう通話が切れてる携帯をわざとらしく耳に当てたままで話し続ける。
「こんばんは。えっと、今日って何曜日?」
「水曜の夜。日曜学校は昨日じゃなくて三日前に終わってる」
ソファーにふんぞり返ったまま、キンジが残していった日捲りカレンダーを目線で示しながら出迎えてやった。
半分嫌味を混ぜた歓迎にも、部屋のなかでサングラスを取ることもなくフフッとやや薄気味悪い笑みが返される。
「んで、
「まあね。一杯飲んでもいいかな」
「六杯でも。コーヒーかコーラでよければ」
サングラスをかけたそいつの風貌は、10代後半、日本人、黒髪、耳の3連ピアスと探せばどこかしらに転がっていそうな特徴だが一方で中に潜んでいるのは普通とはかけはなれたモノ。
決して、ミュージシャンを目指して上京してきたようなエネルギッシュな若者じゃない。漂うのは硫黄と腐った海の匂い。
「ここ、探すのに苦労したよ。海辺の近くって、ここは海ばかりだ。全然ヒントにならない」
冷蔵庫から瓶コーラを二本持って戻ってきたそいつは───ベルフェゴール。
日本に来る以前、夾竹桃やジャンヌはおろかキンジと出会うよりもずっと前から面識のあった悪魔。俺に拷問のノウハウを刻み込んだ忌々しいアラステアの信奉者のうちの一人。
地獄と地上を繋ぐ
「けど、ちゃんと入ってこれるように『悪魔避け』を消してくれてた。だいぶ気心の知れる仲になってきたんじゃない? 知らず知らずのうちに俺のことを受け入れてる。ほら、癌みたいにさ」
「早期発見で切ってもらう、大門先生に」
「それ、ブラックジョーク? まあ、いいや。水銀の女、ちゃんと調べてきた。でもこれ結構やばい情報だからさ、これで」
そう言ってベルフェゴールは机に白封筒を置いた。
手に取って中身を改めるが、何も入ってない。
「おい」
「ああ、ここに全部入ってる。形に残すとやばいからFace to Faceで伝えようと思って」
封筒を逆さにすると、ベルフェゴールは悪戯が成功した悪趣味なガキのように笑って自分の頭を小突く。
情報は全部頭の中ってことか。俺が言うのもあれだがアクション映画の見すぎだな。
「ご新設にどうも。ミッション・インポッシブの見すぎだ」
「いきなり本題に入るより世間話を挟んだほうがいいと思って。ルームメイトがいなくなって不満を垂れ流す相手もいないんじゃない? 俺に愚痴っていいよ」
「生憎、それなりに毎日を楽しんでる」
「いらぬお世話? 了解」
「それで。お前が念押しするほど、今回のはやばい奴か?」
「下手に突いたら国が滅ぶ、俺としてはおもしろいものが見れそうで歓迎だけどあんたとしては避けたいでしょ? そう、なんて言うのかな。S級テロリストの集まり、国際的なテロリスト集団。あの水銀女は
案の定スケールのデカい話が始まった。
国際的なテロリスト集団‥‥‥
国が滅ぶ、それはそれば実にやばい言葉が楽しげにベルフェゴールの口から飛んでくる。
イ・ウーが滅んでまだ1年経つかどうかってときにまた国際的テロリスト組織がキンジに絡んだのか。
ここまで来るとその悪役が寄ってくるようなヒーロー体質には同情するぜ。
先日ヒルダとポーカーをやったときと同じ、テーブルを挟んでの互いにソファーにもたれながら、俺とベルフェゴールは視線を結ぶ。今回はダサいグラサン越しにだが。
「分かった、続けてくれ。組織ってことは、イ・ウーみたいにあのターミネーター以外にもやばいのがいるのか?」
「それは言った通り、S級テロリストの巣窟。たとえば前に襲撃されたって話してた指の力で空気を弾いて弾にしたって女、あれは──伊藤マキリ。組織じゃ新人だけど昔は日本の‥‥‥なんだったかな。ああ、元公安0課のエージェントって話」
一瞬、電源が落ちたように思考が止まる。
停滞していた情報は、そのあと一気に頭へ流れ込んできた。
「‥‥‥待て待て。俺を襲ってきたあの女、こ、公安0課なのか‥‥‥!?」
「国を守る側の人間が、国を壊す側に回る。ある日突然、それまでとは全く逆の思想に触れ、感化されちゃうんだ。これまでやってきたことが全部バカらしくなる、一度そう思ったら元には戻れない。あとは新天地に向かって歩くだけ。彼女、アザゼルみたいに盲目なタイプじゃなかったってこと」
‥‥‥ブラドとランドマークタワーでやり合う直前に仕掛けてきたあの謎の女、今になってようやくその正体が割れた。
どうりで強いわけだ‥‥‥あの魑魅魍魎が渦巻いていたとされる公安0課の人間だったとはな。二度も仕掛けられて生きてたのがなんとも幸運だ。
「あの女‥‥‥どうにもやばいのがバックについてる感じだったが。国際的なテロ組織と来たか」
急に流れ込んで事実に腰を浮かせそうになるが驚愕はまだ始まったばかりだった。
「組織の名前は──N。ノーチラス。目を付けられたら、どんな国でも目茶苦茶にされる。急速にかゆっくりか、どっちにしても国が自分から自滅するように操られるんだ。自分から毒を飲んでいくみたいに。そしてそれを引き金に、他の地域も巻き込んでいく」
「デカい国が潰されたら多少なり色んなところに影響は出る。それをドミノ倒しみたいにうまく繋いで目茶苦茶やろうってのか?」
「もうゲームを始めてる──イギリスがプールしてた隠し財産が紛失した。不況や戦争に備えて貯められてた黄金172tがサウサンプトンから消えて、今もMやジェームズ・ボンドがあちこち駆け回ってる」
「‥‥‥それがNの仕業だってのか。ありえない、国全体にセンサーを張ってるような英国の機関にバレずにそんな量の金塊を盗むのも、見つからずに隠しておくのも不可能だ」
不可能だ。考えれば考えるほど、さっきの一つの国を自滅させて他の国も自滅に追いやることも含め、机上の空論としか思えない。
本当にそんなことができるなら、そいつは賢いとか天才とかそういう次元を超えた‥‥‥シャーロックに近い、人の姿をしているだけの人を逸脱した何かだ。
「けど現実にそうなってる。イギリスは歴史的不況の真っ只中、知り合いのホームズ姉妹にも女王陛下から勅命が下ってる、解決するようにってね。蟻塚に火をつけられたって感じ」
「イカれてるぜ、本気で英国を財政破綻させる気かよ‥‥‥」
「それは多分目的の半分」
「半分?」
「イギリスがこのまま内情不安になればEUを離脱する可能性も出てくるだろ? イギリスが離脱すれば後追いで他にも離脱国が出てくるかも、そうなったら連合はガタガタ。イギリスを契機に、欧州、ヨーロッパはひっちゃかめっちゃっか、混乱に飲み込まれる」
それはまるで悪い方向にのみ繋がっていく連想ゲーム。悲観論の極限だ。だが、仮にそれを現実でやれて、悪い方向にのみ情勢を舵取りできてしまうような化物がNにいるとすればどうだ。
近隣の国から資源を奪い合った戦争の時代を踏まえて発足されたのがEUという連合だ。
そいつをガタガタにして、なにを望む?
「連中は混乱や争いに恋をしてる。国境を緩め、通貨を統一し、争いよりも共存と平穏を保つ今よりも、戦ってすべてを奪い合った過去の時代が恋しいんだ。結びつきを強め、助け合う事で維持される平和なんてリリスやアバドンからしたら地獄よりひどい目も当てられない世界。同じ考えの人間だっている」
「俺には目はないけど」と、最後にサングラスを揺らした仮にも千年以上生きている悪魔の言葉は、確かに芯を食ってる。
EUの根幹は、武力での牽制ではなく融和政策による経済的な抑止力での争いや戦争の回避。
ベルフェゴールの言った結びつきを強め、助け合う事で維持される平和。
そいつが崩れちまえば、結びつきと平和は孤立と対立に変わる。二度の世界大戦の発端となった20世紀のヨーロッパに逆戻りだ。
連中は知ってるのか、リリスやアバドンみたいなのが選り好む世界。
それをまさしく『地獄』って呼ぶんだよ。
「N──ノーチラス号のノーチラスね。お上品な名前つけても中身はドロドロだな」
思い出した。
伊藤マキリ、あの女は俺がイ・ウーやシャーロックの名前を出すたびに冷たく咎めてた。
自分がイ・ウーではないこと、そしてシャーロックは彼女の背後にいる存在がこの世でもっとも憎む怨敵だとハッキリと語ってた。
シャーロックを怨敵と捉え、尚且つ
スーパーヒーローは悪がいてこそ成り立つ、ルシファーの気取った言葉だ。シャーロック・ホームズが存命してるなら、彼と真っ向から張り合えるだけの宿敵ももしかすると存在してるんじゃないのか‥‥‥
伊藤マキリ、あの女と交戦してるときにも頭をよぎった。けどあのときは否定した。まさか、ってな。
だが、金塊の強奪から英国のEU離脱、ヨーロッパの基盤をぐちゃぐちゃにしちまうって悪夢の連想ゲームみたいな今回の一件を考えると、もう笑えなくなってきた。
そもそもオズの魔法使いもヘンゼルとグレーテルもカインやフランケン・シュタインだっていた。
彼が存在してないなんてのは、半丁選ぶのにどれほどの根拠を持つんだってレベルの話だ。
「ベルフェゴール。伊藤マキリは上役のことを教授って呼んでた」
国が滅ぶほどのブラックボックス。聞くとしたら、足を踏み込むなら今日このタイミング、この悪魔に確かめるしかない。
だから俺は踏み込んだ。
かつての直感が正しいかどうか。
「‥‥‥‥もしかしているのか? シャーロック・ホームズが「世界で唯一のコンサルタント探偵」なら、「世界で唯一のコンサルタント犯罪者」と呼ばれる‥‥‥あの『ジェームズ・モリアーティ教授』も。しかもNに彼はいる」
外れておどけて、笑われるならそれでもよかった。
しかし、サングラスで瞳を隠したまま、ベルフェゴールの唇がゆっくり傾き、最後には弧を描く。
「正解。さすがに驚かないかぁ。やっぱあっちの方が驚いた? あれだよ、トゥーレがトップを生き返らせたとき」
「その話には触れるな。魔女連隊の皆様方とはこのまま触れず、近づかずでいたい」
「ようやくの悲願達成。けど、それは一瞬の淡い夢。あんたたちに水の泡に変えられた、ツイてないね」
「そこまでにしないと悪魔封じの弾をぶち込む」
「ごめんって。やっと見つけた空き家なんだ、強制退去は許してよ」
「ディーンがあちこちに武勇伝を語っちまったせいで連中の耳に入らないか今でもびくついてるんだ。」
驚いてないわけじゃない。
ただ納得しただけだ。シャーロックがあんな化物なら、モノホンのモリアーティ教授もそれくらいはやるだろうからな。
コーラを流し込めるくらいには落ち着いてる。物語のなかの登場人物ならこれまで数え切れないほど出会ってきたし。
「ところでさ、米軍がお手製の色金を開発したって話ほんと?」
「ばら撒くなよ、センスの欠片もねえが一応極秘作戦らしいからな」
「人が色金を作っちゃう時代か。なんていうかさ、人間も派手なことをやるようになった。今どきの人間は小綺麗になっただけと思ったけど、そう、前に話したっけ? 俺が人間だった時代、あの頃の人間はもっとばっちくて、派手なことと言ってもでっかい岩を崇めてたくらい。どんな岩かって言うと────」
「言わなくていい、2代目クラウリーが人間だったのはもう千年以上前だろ。あのブラドですら生まれるずっと前だ、そりゃ変わってる」
「だね。だけど女の子に色金を埋め込んじゃったって話は心臓に撃ち抜かれた。ああ、驚いたってこと」
「頭が良すぎて変な方向に振っちまったのさ。あるいは90年代の殺人系映画を見すぎておかしくなったか。本土で色金を摘出して検査したあとは身柄を解放してくれるように護衛役がかけあってくれるって話だがどこまで信用できるか‥‥‥」
そう吐いて捨てた時だった。
「寝ぼけちゃった?」
ベルフェゴールが態度を変えたのは。
「‥‥? 何がだよ、目は冴えてる」
「そうじゃなくてさ。あんたはその子を助けたい、だから俺に探らせたんでしょ? それってさぁ、矛盾してない?」
「どういう意味だ」
「あー‥‥‥キリ? 平和ボケってことはないと思うんだけどさ。出し抜かれたっていうか、ほんとに気付いてないの? なんていうか、おめでたいヤツ」
眉をひそめた俺に、ベルフェゴールは肩をすくめてそのまま続けた。
「さっき色金を抜くって言ったけど、それが簡単にできないから緋緋色金に振り回されたんじゃなかった?」
ソファーで足を組み、瓶の中身を一気に傾けたあとベルフェゴールは首を後ろに倒し、天を仰ぎながら言った。
「色金は心と、命と結びつく。言っちゃえば魂みたいにデリケートなんだよ。一回埋め込まれちゃったらそう簡単には弄くれない。色金専門の魔女‥‥‥えっと星枷、だっけ? あそこなら知らないけど、ロスアラモスのインテリたちがもうスイッチの入っちゃった色金を抜くとしたらそれは‥‥‥」
言葉を切り、ベルフェゴールは右手で自分の胸を服ごと掴みこんだ。ちょうど心臓を握り込むような位置で‥‥‥
「‥‥‥根拠は?」
「信じていい。俺は地獄であんたとアラステアの仕事を見たときからあんたのファンだ。惚れ惚れする仕事ぶり、嘘はつかないって。ロスアラモスが一度結びついた色金を抜くとしたら、その子の
背筋が一気に冷たくなる。
あり得るか、あり得るだろうか。んなこと頭で議論する余地もなかった。
‥‥‥ちくしょうめ。
楽観論でそんなわけないと否定できる根拠はなにもない。むしろベルフェゴールが吐いた言葉のほうが可能性大だ。
「やっといつもの顔になった。退路を焼かれて進むしか選択肢がない、いつものキリ・ウィンチェスターの顔だ。そっちの方がいい、イカしてる」
「確かに平和ボケしてた、色金がやばいのは分かってたんだ。そいつを抜くってのに‥‥‥バカか俺は」
「でもまだ足掻くだけの余裕はある。どう足掻くかによって未来は多少変わるかもしれない。足掻いた結果、より酷い末路が待ってるかも。でもあんたちはいつも足掻いて、なんとかやってきたんでしょ? だって新聞にはそう書いてあった」
地獄の新聞なんて嘘ばっかりだ。
だが、たしかに首の皮一枚だったかもしれない。今ならまだかなではこの国にいる。本土に飛ばれたら間違いなくアウトだがまだ首の皮一枚、猶予は残った。
既に片足に有刺鉄線が絡みついたような感覚だがまだ終わっちゃいない。それを俺に教えてくれるようにテーブルに置いた携帯がもう一度鳴り響いた。
『アメイジング・グレイス』──ロカだ。暴れる心臓を黙らせ、携帯を取る。
『ロカ』
『よかった。手短に言うよ。かなでちゃんが今夜のフライトで本土に連れ戻される。でも逆色金を摘出されたら‥‥‥』
『命ごと奪われる』
『うん。ロスアラモスは逆色金の失敗を国防総省に隠したいみたい。横田空軍基地を使わずに──羽田から別件で飛ぶオスプレイに相乗りさせて、グアム経由で向かうよ。サードはいまキンジを迎えに行ってるから私たちは別で動く』
ジーサードが台場7丁目のキンジのとこに向かってる間に先回りして米軍を足止めする気だな。
六本木‥‥‥インパラを走らせても人工浮島からじゃ時間がかかる。直接羽田に走って俺も足止めをするしかねえか。
『分かった、俺も羽田に急ぐ。だがちと、ここからじゃ時間がかかりそうだ。ロカ、気をつけて』
『お互いにね』
通話が切った携帯をそのままポケットに押し込む。
かなでを護送するならZセカンドも十中八九一緒についてる。時間稼ぎにしても命懸けだ、急ぐぞ。
「話は終わった?」
‥‥‥ったく。
「どうせ聞こえてるだろ。悪いが急ぎの用だ、俺はこれから出る」
「ああ、そのことなんだけど。キリはリリスの部屋に入ったことはある?」
「‥‥‥はぁ? リリスの部屋だって? いいや、何度か地獄には行ってるがリリスの部屋があるのも初めて聞いたよ」
XDと弾薬、そして携帯できるだけのオカルトグッズを毎度のごとくリュックに放り込む。
「そっか。リリスが死んでからずっとあそこは開かずの間になってる。実は俺の大切なものがそのなかにあって、でも血気盛んな悪魔がうろついてて、正直近寄るのもやっとって感じ。そいつらをかわして一人で部屋に入るなんて無理」
「身の上話なら今度にしてくれ」
「ま、最後まで聞いてよ。武偵ってなんでも屋だろう? 免停講習、列の場所取り、Carpool Laneを走れるように助手席に座るとかさ。つまりこういうことリリスの部屋まで俺の護衛をやって欲しい。警護して欲しいんだ、ボディーガードってやつ、得意だろ?」
地獄、それも
ままごと感覚で平和な家庭ひとつ滅茶苦茶にするアバズレの部屋になんで好き好んで‥‥‥
「いい加減にしろ、情報をくれたことには感謝するが俺も退路を焼かれて切羽詰まってる」
「知ってる。だからこれはそう、提案。俺にものっぴきならない事情がある、助けてほしいんだ。前に俺を戦友って呼んだよね、戦友ってのは仲間を背後から支えるものだろ? 背は向けないはずだ」
ほぼ一方的に繋げた会話をパチンッと両手の親指を鳴らし、ベルフェゴールは締める。
──
────やってくれる。
「てことで、あんたの背中を支えるよ。ちなみに俺が最後に泊まったホテルは、メキシコで一番エレベーターが遅い。多分いまでもそう、改築する蓄えなさそうだったから」
「‥‥‥おい、マジかよ」
「点数をつけるとしたら有料のタクシーは20点でタダ乗りの悪魔は‥‥‥50点かな」
リュックを手にしたままの俺と、首を傾げて見せるベルフェゴールの前にあるのは豪華絢爛な六本木ヒルズ・レジデンス。
一瞬でジーサード・リーグの拠点の前だ。
「直接行くより瞳の色の違う彼女と合流した方がいいと思って。ハエ叩きで殺せるのにわざわざ装甲車を引っ張ってくるのが米軍だ。一人で突っ込むより群れで行ったほうがいい」
「確かにおかげで時間は浮いた、かなりな」
「よかった」
「‥‥‥のっぴきならない事情ってのは骨でもパクられたか? 悪魔は骨を燃やされたら墓場行き」
「まぁ、そんなところ。あんたの言葉を借りるとするなら、リスク覚悟で地雷原を走るしかない」
「分かった。手が空いてるときでいいなら一緒にリリスの部屋に殴り込みに行ってやる」
「ほんとに? いいねッ、そうこなくっちゃ」
「俺の腹を裂いた代金だ。あのヒステリック女の部屋から使えそうなもんをひったくってやる。なんかあるだろ」
クラウリーもルシファーも自分の倉や倉庫、部屋に武器やまじないの材料、オカルトグッズを隠してた。
ルシファーから生まれた原初の悪魔、アラステア以上の力と権力を振るってたリリスの部屋なら、ひとつやふたつ役に立ちそうなのは転がってるだろ。
「決まりだ、これでお互いに得をした。みんながハッピー、この上なく平和的だ。俺はリリスの部屋で目的のものを手に入れる、あんたは──なんか使えそうなものを盗む」
「持って帰る」
「持って帰る、了解。てことで、ちゃっちゃっと片付けて女の子を救ってきてよ。スポーツバーから応援してる」
両手を叩き、ベルフェゴールは話を切る。ブロンド版ルビーもよくやってた締め方、そっくりだ。
さっさと行ってこい、って感じだな。言われなくても行くよ。
「また悪魔とズブズブの関係になってる。ありえねえ」
「またハンターとズブズブの関係になってる。ありえねえ」
悪趣味なオウム返しに睨もうとしたとき、やはりというかもうベルフェゴールの姿は消えていた。
リリスの部屋‥‥‥ああは言ったものの、また厄介事を招き入れちまった気がするぜ。
問題を解決する為にまた新たな問題の種を拾ってくる。解決した頃には種が発芽して新たな問題に発展する、お決まりのパターンだ。
リリス、尊敬するぜ。死んでもなお俺の首に巻き付くように厄介事を運んでくる、嫌がらせの達人だ。
「えっ‥‥‥え、えっ‥‥‥!?」
「落ち着けお嬢様。腕のいいタクシーがいてね、運よく乗せてもらったんだ。席はまだ空いてる?」
アンガス、コリンズ、アトラス、マッシュ、loo、キース、ツクモ、ロカ。
建物の目の前でジーサードの精鋭が勢揃いだ。今から突撃ってところだな、間一髪で間に合った。
目を丸くしてる一同の空気を誤魔化すように、とりあえず小さく手を振っておく。
「ね。アテにならないよ。あの手この手でズルしてくる男だから」
その賭けに勝ったような顔はなんだよ、俺のキツネうどんから揚げを掠め取ったときと同じ顔だ。
あの手この手で小細工する妖狐が何をイマサラ。
「──Good.今回は遅れてこなかったんだね。ギリギリ間に合ってるよ」
「世界を救ったご褒美が、退学と妹の誘拐ってのはさすがに同情しちまうからな。いつも通りあいつに恩を売って後払いで払ってもらうよ、冷えた瓶のコーラと遊戯王カード」
「それってザ・コアに出てくるハッカー並みに安い報酬だよね」
右と左、それぞれが違った輝きで散りばめられた瞳を細めてロカは笑った。
ザ・コア──ホットポケッツで自転の止まった地球をなんとか救う映画か。ガースがあのハッカーの物真似がやたらうまかった、ソックリさんかよってレベルで。
「ロカお嬢様はもっとメルヘンチックの映画が好きなもんかと」
臨戦態勢の一団に踵を返して俺も加わる。
N、また出しゃばってくるなら好きにしろ。伊藤マキリにやられた恨み、来るならここで倍返しだ。
「お前はイルカにでも乗ってると思ったが」
「乗りたくても乗れないよ、犯罪だ。それもしかしてずっと考えたのか?」
キース渾身のギャグ、だとしたらちょっとセンスがない。次の機会に期待しよう、今夜を楽しい夜で終わらせてからな。
Nに触れる話ということで‥‥