哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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パンスペルミアの砦
Lilith's Chamber


 

 

 

 無人島でネモと共同生活をしていた、そんなキンジの衝撃的なカミングアウトがあった8月。

 死んだと思っていた父さんが実は生きていているかもしれない、これまたとんでもないことを話してくれたのが9月。

 

 早いもので俺は三年に進級、キンジは寮を去ってしまった今年も10月に差し掛かり、残すところ2ヶ月になった。

 

 

 無人島で何があったかのか知らないが、ネモと共同生活をやったらしい一件以降、キンジはNからの使者とかいう獣人を部屋に住まわせたり、ネモの安否を気遣ったりとあの組織にかなり入れ込んでる。

 

 それは普段ならキンジの肩を持つジーサードも怪訝な顔をするほどで、良くも悪くも何の物資もなく自分たちの身一つで生き抜くしかなかった無人島での数日は、それまで怨敵同然だったネモとキンジの関係性を変化させるには十分だったんだろう。

 

 

 そして──()()()()()()()の砦と扉。

 Nの目的とサード・エンゲージ。

 魔女、超能力者、獣人、あらゆる怪異が爆発的に増加する、それがエンゲージ──モリアーティ教授とネモが目指している終着点。

 

 かなでを取り戻してからたった2ヶ月。

 たった2ヶ月で、俺とキンジを取り巻く環境や状況はまたややこしく揺れ動いてしまった。

 

 すれ違っても最後には同じ場所にたどり着く。これまでは紆余曲折あっても最後は同じ方向を向いてた。

 

 けど無理だ、今回ばかりは違う。

 キンジ、こればっかりは同じ方向を向けないよ。向けるわけがない。

 神妙な面持ちで星枷とジャンヌが問う。砦と扉、開放と維持。どちらにつくか。

 聞くまでもないだろう。

 

 

「俺は砦だ。アメリカ全土のハンターを代表して言ってやる、モリアーティだろうがハイパーステルスだろうが関係ない。その地獄の門を開けようなんてヤツは一人残らず、片っ端から叩き潰してやる。一人残らずだ」

 

 

 人間誰でも譲れない一線がある。

 これは俺一人の問題じゃない。今まで命を賭けて戦ってきたみんなの意思、犠牲を台無しにしちまうことだ。

 命を賭けてくれた、大勢の家族や仲間の行動を水の泡にさえしちまう行為だ。

 だから俺は、この世に獣人や魔女、あらゆる怪異が溢れてくるって扉が開くのなんて見過ごせない。見過ごしちゃいけないんだ。

 

「お前はハンターで、俺よりずっと超常の者たちをみてきたはずだ。お前なら分かるだろ、人は超常の者たちの事をよく知らなくて、それが恐れに繋がってる。悪党の超能力者もいたはいたが、超常の力そのものは悪じゃないんだ。いいヤツだって沢山いる」

 

 星枷、ジャンヌが一緒にいる最中、俺とキンジの目はかつてないほど温度のない、冷めた瞳で繋がる。

 

「Nは自分たちみたいな……ネモは超能力者とか、異形の存在が……ただの人間と共存できるようにしようとしてる、俺はその考えを‥‥‥完全には否定できない、疎外され、疎まれながらも歩み寄ろうとしてくれてるその手を、跳ね除けたくないんだ」

 

 知ってるよ、キンジ。お前の言いたいこと分かる。

 立場が違えば、見方も変わったかもしれない。お前と同じ方向を向けたかもしれない。

 自分たちとは違った、異なったものを排除し恐れることが当たり前の世の中でお前は自分から一歩歩み寄ろうとしてる。それはとても、綺麗なことだ。

 でも俺はハンターだ。この一線だけは絶対に譲れない、この扉は絶対に開かせない。

 

「だとしても、俺も仲間がこれまでやってきたことを無駄にさせるわけにはいかないんだ。みんなが命を賭けて守ろうとした世界だ。みんな人生も生活も家族も犠牲にして戦った。あの本に書いてあることなんて一部だ、大量に流れていった血のほんの数滴──守ろうとした世界に怪異が溢れようとして、俺がその扉に手をかけるなんて真似、俺は家族の背中を後ろから蹴り飛ばすなんてことはできない」

 

 だから、これが現実だ。

 もしその地獄の門に手をかけるってなら、俺はその手をはたき落とす。

 

「俺はもう今までのことで散々学んでる。扉ってのは一度開いたら最後、溢れ出たもんは戻せない。たとえ締めることができたとして、一度出ちまったもんを全部戻して元通りなんてできないんだ。いつものパターンさ、檻や扉、鍵がかかってるもんがこじ開けられた最後、中から飛び出たもんに滅茶苦茶される、みんなが血を流す」

 

 悲観的すぎる、たった一言で済ますにはあまりに前例が惨すぎる。いつもそうやって俺たちの周りから大切な人が死んでいった、いつものパターンさ。この期に及んで学んでないなら俺はイカれてる。

 俺の意思は変わらない、鍵を回そうとするなら誰が相手でもはたき落とす。

 それがたとえ見知ったルームメイトの手だったとしても。

 

 

 

 

 

 

「つまりさ、こういうこと? 知り合って二年目にしてはあんたはルームメイトと本格的に喧嘩した」

 

「喧嘩じゃない。あいつの考えと俺の考えが逆方向を向いただけだ。すべての超常的な者に悪意や敵意があるとは限らない、だから扉を開いて手を取るべきだとそれがキンジの考えだ。だが俺に言わせれば、そっち系の扉を開いたことで目の前の景色がよくなった試しがない。科学の発展、文明が豊かになる、そうなればいいが、俺には扉を開いたら最後そんな幸せな景色が待ってるとは思えない」

 

「単純な質問なのに細かいね」

 

「俺は単純じゃない。次から地獄行きのフライトはファーストクラスにアップグレードしてほしいな。くだらない話を長々と語らされたら堪んねえよ」

 

 照明でも日差しでもないオレンジの明かりで上から照らされている地獄のワンフロア──リリスの部屋と繋がる回廊をベルフェゴールと歩く。

 

 ワトソンによると魔女連隊のカツェと長官のイヴァリタがキンジにコンタクトを取ってるらしい。あのドイツ連中とはこれまでの因縁から距離を取りたいのが本音。キンジと会うのはまた暫く振りになりそうだ。

 ま、さすがに距離を取りたいとはいえ、ここまで離れたいとは思わなかったがな。

 

 地獄。知らないヤツが迷い込んだら、RPGゲームに出てくる迷宮にでも来たんじゃないかと本気で思っちまうような景色だがここは地上の遥か下、ルシファーが落ちたれっきとした地獄の一角。

 普通は生きたままの人間が来る場所じゃない。だがなぜか俺はもう両手の指より多くこっちに来てる。嬉しくないことだな。

 

 黒く塗り潰されたサングラスでここでも目を隠してるベルフェゴールの案内で一緒に地獄に下りてきた俺は、ヤツの探し物があるというリリスの部屋まで現在進行系で護衛として同行してる。

 かなで奪還の際に結んだ取引。嫌な記憶が1ページでは足りない地獄の、それもあのリリスの部屋にこれから押し入ろうってんだからいい気分じゃない。

 

「ボディーガードで大事なのは安さより質だ。あんたに頼んで良かったよ、俺一人だとここまで来るのにも骨が折れる。具体的に言うとお気に入りのシャツも血だらけになってた、たぶんこれもね」

 

 と、気に入ってるらしい真っ黒なサングラスを人差し指で揺らす。サングラスをしようがしまいが目はドス黒の癖にな。

 

 

「もう3人、ルビーのナイフで切ってる。アラートを鳴らされる前に貰うもの貰って帰るぞ」

 

「了解。って言ってる間に到着だ。あれだよ、あそこが『リリスの部屋』だ」

 

 長かった回廊を下り、真っ直ぐ連なった廊下の最奥に高さ4メートルほどのアーチ型の扉があった。

 ホラー映画に出てくる一昔前の洋館に、こんな感じのがあったような気がする。これがリリス、ルシファーが最初に生み出した原初の悪魔の個室か‥‥‥

 

 大きな扉の前には、祈りを捧げるようにフードをかぶった骸骨の像が6体、廊下の右と左の端にそれぞれ1体ずつ飾られ、部屋に入るものを出迎えるように不気味なアーチを作ってる。

 祈ってるのはリリスか、それとも堕天使ルシファーにか。

 ‥‥‥さすがリリスだ、趣味が悪いのどうこうの次元を超越してる。

 

「リリスが死んで地獄がクラウリーの代に移ったあともあの部屋だけはずっとそのまま」

 

「いくら悪魔でも近づきたくないか。思いっきり陰気だもんな」

 

「リリスは強かったけどまじないにも長けてた。この扉も開けるにはちょっとしたコツがいてね」

 

 ベルフェゴールはいつものように肩をすくめる。

 ただ重たそうな扉ってわけじゃない、リリスが魔術で鍵をかけてんのか。それがあいつの死後も有効になってる。

 しかし、護衛まで用意して乗り込んだだけにベルフェゴールは想定内という様子で扉を端から指でなぞりだす。

 

「まあ、見ててよ。俺は女の子を箱に入れて半分に切ったり繋げたりする手品師とは違う。使うのはちゃんとしたまじないだ」

 

「開くのか?」

 

「俺を信用してらっしゃらない? もっと信用してくれていいよ、あのリリスの部屋に一緒に盗みに入ろうなんて淡白な仲じゃできない」

 

「仲がよくないとできないって? それが高速を走る車とそこをよぎる動物でもか?」 

 

「避けるやつもいる。あんたは動物? それとも車の方?」

 

 

 ベルフェゴールが指を鳴らし、それが契機となって扉は独りでに重苦しい音をたてて、奥へ開かれた。

 

「拍手してもいいよ?」

 

「気持ちだけで」

 

「残念」

 

 あのリリスの部屋‥‥‥まさか盗みに入るとはな、目的は何であれあいつの部屋にいると思うとゾッとするぜ。

 

 かつての地獄のリーダー。もっと豪華絢爛な立場を誇示するような派手なのを想像してたが、扉がデカいだけで中はまるで物置部屋だ。

 安置されてる物はともかく、安っぽいモーテルとそう大差ない。ま、やるのとはやっとくか。

 

 開きっぱなしになった扉は今度は人力でもなんとか閉じられる、再び閉ざした扉に俺は持ってきたカラースプレーをおもむろに吹きつけた。

 

「なにしてんの?」

 

「バリケードだ。他の悪魔が入ろうとしても時間を稼げる、それにリリスの部屋なら落書きにもなって好都合だ。俺の肉を犬に食わせた性悪女め」

 

「いやまあ、俺が言えることじゃないんだけど死者を冒涜ってさ、武偵的に大丈夫なの?」

 

「言わせてもらうが俺はおかしくない、むしろ理性的に正しいことをしてる」

 

「それ、自分で言う? おっ、いいのがあった。目的の物じゃないけどハクソンの指輪だ。ねえどう? すごくイカしてる」

 

 サングラスの次は、得体の知れないオカルトリングを右の中指に嵌めてベルフェゴールはご満悦。

 まさかリリスの私物を盗むなんてな。いくら死んでるとはいえ、あの女の悍ましい本性を見てる癖によくやるぜ。

 

 恐怖と崇拝、そのどちらか、あるいは両方であの女は地獄を統治した。二度と戦いたくない、会いたくないって連中はごまんといるがあの悪魔はめでたく上位トップ10入りだ。

 虚無にいるとは分かってても名前を呼ぶだけで呪われちまうんじゃないかと思ってるよ、マジで。

 

 さっきの広間に比べたら何分の一って程度の部屋だが物自体はそれなりにある。リリスのコレクションがこの部屋だけに集中してるとしたら当然か。

 

 

「思春期の学生みたいなことやってないで本命のモンをさっさと探せ」

 

「了解。そっちはお土産見繕えそう?」

 

「梟の頭蓋骨、クラーケンのエキス、まじないの道具だな。そしてこっちのは、懐かしのゾロアスター教ダエワの印章か。祭殿が荒らされたら飼い主にも牙を剥く取り扱い注意のヒステリック悪魔」

 

「悪意に満ちた説明は嫌な思い出があるから?」

 

「昔の話さ、十年前の話。今とは色々違ってた、色々と」

 

 オンボロの木の箱に描かれた忌々しい紋章を見たせいでメグとの懐かしい記憶が脳裏をよぎる。

 

 もう十年前か、サムを迎えに行ったあの夜からもう十年。いなくなった親父を探して、白いドレスの女を祓ったあの夜からもう十年──色々変わったよ、ホント。色々と。

 

 

「あった。キリ、これが目的の物。()()()()()だ」

 

「杖?」

 

 所狭しと置いてあった中からこれまた埃の被ってそうな箱を一つ、ベルフェゴールは台座の上に持ち上げてパンパンと手で叩く。

 

「そう、リリスの杖。まあ名前はどうでもいい、杖というより角笛だ。リリスが地上に部下の悪魔をバンバン送ってた頃、ちょっとした問題が起きたんだよ」

 

 懐かしむように、そしてハプニングを過ごし楽しむような声色でベルフェゴールは続ける。

 

「地獄では部下に絶対的な忠誠を誓わせていたけど、彼らが一度地上に出たらボスを裏切って好き勝手なことをするかもしれないだろ? 天使との戦争そっちのけで自分の欲望に走るかもしれない」

 

「リリス自身、恐怖政治での忠誠心に疑いを持っちまったわけか」

 

「そこで、リリスはこれを作った。前に言ったこと覚えてる? 俺の骨についての話。あの話は半分当たってて、この杖を使えば俺たち悪魔たちのルーツ──自分の骨がどこにあるか分かる」

 

 なるほどな。

 悪魔払いは、所詮悪魔を地獄に追い返すだけ。本当の意味で悪魔を殺すには天使の剣やコルト、ルビーのナイフみたいな強力な武器を使うか、あるいは悪魔になる前の‥‥‥

 骨を燃やす。幽霊に対してやるように埋められてるなり放置されてるなりの骨を燃やす、そうすれば幽霊と同じく悪魔も本当の意味で死んでしまう。

 

「自分の骨を、自分の手の届く安全な場所に管理しておこうって悪魔は多い。クラウリーもそうだった。どんなに遠く、安全な場所にいても骨が燃えちまったらその瞬間お陀仏だからな。だが、リリスの杖なんてキャスやバルサザール、天使連中からは一言も聞いたことないぞ?」

 

「リリスは一度も使う必要がなかったからね。杖があることはみんなが知ってたし、あのリリスに首を掴まれてると分かったら逆らおうなんて思わないだろう? クラウリーが政権を握ってからは長い行列と事務作業で管理した。伝わってなくてもおかしくない」

 

「とどのつまり、お前はその角笛だか杖を使って自分の骨を探し出したいってことか」

 

「そういうこと。俺が悪魔になったのはもうずっと前のことだから、早い話が骨がどこに埋まってるかなんて覚えてないんだ。そこでこいつの出番、これを一吹きすればーーまあ、どこにあるか分かるみたい。鍵は掛かってないけど、この模様は何だろう‥‥‥」

 

 既に部屋に押し入ったあとではあるが、ようやく肝心なところを吐いたベルフェゴールの目が見ているのは模様‥‥‥いや、文字だな。

 錠前、鍵の代わりに縁に文字が刻んである。

 

「エノク語だ。天使たちの公用語、これは‥‥‥」

 

 ちゃんとした文章になってる。

 いや、文章というよりはーー

 

「えっ、マジ? キリってエノク語も読めちゃうの?」 

 

「日本の学校じゃ何の役にも立たないがな。これは────唄だ。この模様全部が歌詞になってる。魔王の、ルシファーを讃える唄だ。これが鍵の代わりっぽいな」

 

「それを読まないと箱は開かない」

 

「ああ。ルシファーを讃える、いかにもリリスが仕込みそうな錠前だ」

 

「よかった。地獄じゃエノク語を読めるのはルシファー以外にリリスだけだ。キリがいてよかったよ。さ、俺は黙っとくから、いつでもいいよ?」

 

「お馬鹿。地獄までやってきてルシファーを讃える唄をやるんだ、どんな罰ゲームだよ。ひっでえ歌詞、作ったのはリリスか? はぁ‥‥‥喋る時はお前が歌ったことにしとけよ?」

 

 ひでえ、歌詞だ。

 アザゼルほど狂信じゃないがヤツに善戦できるくらいの歌詞だな。エノク語を鍵にするのは悪くないアイデアだがこの歌は本当にひどい。

 

 

「──やっぱりあんたを連れてきて正解だった、最高だよ。あんたの声には、魂がある」

 

 

 箱が開いた刹那、視界が上下逆さまに歪む。

 ああ、やりやがったな。

 

 んなことだとは、思ってたよ。

 

 

「‥‥‥この大嘘つきがッ!」

 

 不意打ちの念動力で浮いた体がそのまま部屋の床に叩きつけられる。頭だけは守りはしたが‥‥‥首だけを起こした視界に見えるのは開いた箱と、目論見がうまくいったと言いたげなベルフェゴールのニヤケ顔。

 

 つまり、またもや裏切られた。

 押し入った部屋にたまたま自分では読むことのできないエノク語のロックがかかった箱、そしてそれを解読できる俺の人選。

 怪しさは振り切ってた。いや、道具さえ手に入ったら仕事は此処までってことかもな。舐めやがって。

 

「おい、一応聞いとく。これ何の真似だ‥‥‥?」

 

「ごめん、実を言うと少し、手違いがあったかも」

 

「手違いね‥‥‥たとえばその杖には本当は骨を見つける為のものじゃなくもっと別の使い方があって、うまく使えば今空いてる地獄の玉座にもつけるかもしれないとか?」

 

 グラサンでヤツの目は見えねえがどうやら図星の反応を引けたらしい。

 リリスが骨を見つけて脅しをかける? あの女はそんな回りくどいことはしない、部下の手綱を握ろうとしていたのは本当っぽいがやり方がたぶん違う。

 

「それって、具体的にはどんな感じで?」

 

「その杖、魂をかき集められるんだろ? リリスはそれで言うことを効かない悪魔を地獄に連れ戻すつもりだったんだ。骨を見つけて脅しなんてあの女らしくない。んで、魂をかき集められるなら取り込んでふざけたパワーを得ることもできる。今の地獄じゃ敵無しだろうよ」

 

 キャスも煉獄の魂をかき集めてラファエルを瞬殺してたし、ベルフェゴールも魂をかき集めて座るつもりだったんだ。三下のアスモデウスが消えて、空席になっていた地獄の玉座に。

 

「ま、その角笛が吹けたらな」

 

 起き上がるのと同時に、俺はルビーのナイフで切った掌を床に叩きつける。

 実を言うと、俺にも手違いがあった。扉の落書きは侵入を防ぐバリケードなんかじゃない。

 

 

「‥‥‥!」

 

「バンシーの捕縛用のまじないだ、ちょいと悪魔用に弄くらせてもらったけどな」

 

 ベルフェゴールは自分の背後にある壁に磁石のように引き寄せられ、そして縫い付けられように固定される。先に裏切ってくれたんだ、文句は聞かないぞ。

 

 ルビーのナイフをそのまま固定されたベルフェゴールの右手目掛けて投擲。矢のように刃を空を裂いていく。

 ルビーが残した対悪魔に絶大な力を発揮する刃は深々と手に食い込み、見てくれはボロボロの角笛をその手からはたき落とした。だが、

 

 

「‥‥‥ひどいなぁ、ここまでやっちゃう? ちょっと傷ついちゃったなぁ」

 

「‥‥‥チぃッ!」

 

 刹那、ギロチンの嵌った断頭台に首がかけられたような錯覚が走り、本能的に肘で受けの姿勢を取る。人を逸脱した力で薙いできた蹴りにガードごと体が後ろに押し戻される。

 

「麗しき友情は、ここでおしまい?」

 

 ‥‥‥長く地獄にいるだけある。こうもあっさり封殺剣を外してくるとはな。

 まじないの知識はそれなりにあるとは思ってたがケルトの捕縛からこんな短時間で抜け出すヤツは初めてだ。バンシーやジンとはやっぱレベルが違う。

 しかも今のは、肘でカットしてなかったらたぶん終わってた。

 

「始まってもなかったのに終わりなんてあるかよ、特大の嘘と裏切りをやってくれたのはルビー以来だ」

 

「なぜか俺は口を開くと嘘が出るんだ」

 

「仲良しとか言った俺にもか?」

 

「あんただと特にそう」

 

 ‥‥‥ふざけやがって。

 血まみれの手から引き抜いたルビーのナイフを逆手に持ち、ベルフェゴールは飛びかかるように目の前へ踏み込んでくる。

 

 悪魔と人間、膂力や身体能力の差はアンフェアもいいところ。首を落とすような高さで横薙ぎに振るわれる銀閃をジョーのナイフで急所から外にいなす。

 刃が触れ合う冷たい音は徐々に激しくなり、俺とベルフェゴールの間でお互いの刃が手綱を手離した動物のように好き勝手に暴れまくった。

 

 急所から線を逸らす、死ぬ気で。

 いつかくたばるにしてもリリスの部屋で終わるなんて悲劇もいいところだ。死ぬ気で拒否してやる。

 

「おっ‥‥‥!」  

 

 お気に入りとかいったシャツごと眼前の胸にナイフを突き立てる。人間ならこれで致命傷、だがベルフェゴールには関係ない。

 少しの驚きの声を漏らしながらも振るわれるナイフを屈んで避けつつ、頭を下げたまま両腕は床に。跳ね上げた左足の踵で楔のように突き立ったジョーのナイフの柄をさらに奥へと蹴り込んだ。

 

「やるねぇ、的確に俺の器を傷つけてる。もっと無茶苦茶するのかと思った。冒険心はなくしちゃった?」

 

「自己防衛機能が勝った」

 

「へぇ、そんなの残ってたんだ」

 

「当然だろ‥‥‥!」

 

 顎を掌打が跳ね上げる、手応えは確かにある。

 が、相手は悪魔。人間の理屈じゃ測れない。ふざけた速度で飛んでくる拳のカウンターをたとえ硬い額をうまくぶつけてやったとしても──

 

「見えてたの?」

 

「読んでたんだよ、性悪は読みやすい‥‥‥」

 

「すごい顔だ、鬼気のような嬉々って感じ」

 

 頭が揺れる。

 額は人体でもかなり硬く、そこに剥き出しの裸拳を叩きつければ痛手を貰うのは拳の方。それは最悪、骨がやられちまうのも覚悟しろと蘭豹先生が言い放ったほど。

 

 が、やはりというかそれも人間の理屈。

 にやけたベルフェゴールにそれが当て嵌まる様子もない。そこいらの獣人の十倍は面倒だな、この対戦カード。

 

(‥‥‥カットしないとやばい)

 

 拳は引かれ、足が動く。

 悪魔の膂力で振るわれる鞭のような蹴りは、膝が伸び切る前に関節に蹴りを入れてストッピング。

 ワンコンマ遅れて、ルビーのナイフに頬を深めに切られるが手首を掴み、モグラ叩きよろしく至近距離からミョルニルでグラサンを潰すつもりで生け好かない顔をぶっ叩く。

 

「それマジ‥‥‥?」

 

「トラブルはごめんだ、既にトラブルだらけだけどな!」

 

 鉄の板を叩いたような音が響き、ベルフェゴールの膝が崩れる。青白い光がインパクトと同時に視界で花開き、腕には確かな肉をぶっ叩いた感触が残った。

 

 北欧のメインキャスト御用達の雷だ。

 これで終わってくれるならといつも思ってる、思ってるが生憎‥‥‥このハンマーで戦いが終わったことはそんなにない。

 

 

「んなことだと思ったよ‥‥‥!」

 

 手に針が刺さったような痛みが走り、案の定オカルトグッズは手から離れ、ベルフェゴールは何事もなかったようにシャツを汚しながら起き上がる。

 割れたグラサンも外し、その奥に潜ませていた悪魔本来の黒い瞳を覗かせながら。

 

 結構本気で殴りにいったがまだまだPKで武装解除もお手の物ってか。

 ‥‥‥額が割れそう、すごく頭が痛い。いい考えだと思ったんだけどやらなきゃ良かったな。後悔しながら半歩、後ろに退く。そのときだ。

 

「やめた。争うことないよ、キリ」

 

「はぁ? 頭がどうにかしちまったか?」

 

「俺はただ今の地獄が好きなだけ。だから変わってほしくない、変わってほしくないから空いてる玉座に座ってこれから舵を取る。オーナーのいない今の地獄をね、俺がやりたいのはそれだけ。だからこの辺りで終わりにしない?」

 

「散々利用するだけして手打ちに? 百歩譲ってここで引き下がるとして、ならその杖をよこせ」

 

「それはできない。だって俺が折角魂を取り込んでパワーアップしても、あんたが一吹きすれば全部台無し。力は取り上げられる」

 

「アラステアの信仰をするようなお前をトップにしたらこのろくでもない世界がもっとろくでもないことになるのは見えてる。つまり却下だ、その千年オカルトグッズはもらってく」

 

「あんたの腹を割いた悪魔の物を? なかなかマニアックな趣味してる」

 

「汚い手ばっか使おうとする報いだ、色々根回しご苦労さまだがそいつは置いてけ」

 

 ついでにそれも返してもらうぜ。ルビーは過去最高の裏切りをやってくれたひでぇ女だが、そのナイフには数を数えるのも面倒なほど救われてる。

 ベルフェゴールが踏み込む、ルビーのナイフと。俺も踏み込む、鏡合わせの同タイミング。

 互いに嬉々とした顔で、イカれたアラステアの下で働いた者同士、チップの代わりに首を賭けた悪趣味なテーブルの上で、笑う。

 

 殺傷圏内。

 ここだ、借りるぜカイア。もうミカエルの槍は木っ端微塵に壊れちまったからなァ。これがたぶん俺の人生で、最後に持つことになった槍ーーでもどう見てもこれって

 

 

「‥‥‥──!?」

 

「巨大なフォークだよ、どう見ても。ミカエルを血だらけにできる、最強のフォーク」

 

 またナイフで刻み合う。

 そう考えて踏み込んだベルフェゴールはなんというか、リーチを測り損なった。

 まじないで背中に仕込ませていたカイアの槍は、可視化するのと同時にベルフェゴールの腹をフォークのような先端で一突き。

 

 引き抜くのと同時に、振り上げた刃が貫いた傷口ごとヤツの体を縦に裂く。

 カイアの槍、それは無敵と言っちまってもいい大天使ミカエルに傷をつけれるとっておきの聖遺物。ミカエルやルシファーの槍にも劣らない、第一級の武器。

 

 完全にふいうちで加えた二撃に、ベルフェゴールの足がたたらを踏む。反転された石突きで腹を抉り。

 今度は完全にヤツの背中を床とぶつけてやった。

 

「とりあえず、話をしようぜベルフェゴール。今度は俺からの提案だ。どうにも例のエンゲージの話、ただ怪異が溢れるってだけじゃない気がする。お前はもっと深いところまで知ってるんだろ、なんたってリリスやアラステアほどじゃないがお前の気の遠くなる昔から生きてる」

 

 首は落としてない、話せるかどうかはさておいて耳には入ってるであろうベルフェゴールを見下ろしながら続ける。

 

 

()()()()()、聞いたことあるか? 前にFBIが飼ってる双子の獣人がくっちゃっべってた。レクテイアってなんだ?」

 

 

 どうせいつも通り、聞いてから思うんだ。

 聞かなきゃ良かったって。

 

 

 

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