哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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恐れることを恐れるなかれ

 

 

「急すぎる」

 

「どこが、夜まで何時間もあるでしょ?」

 

「予定があってね」

 

「どんな?」

 

「そりゃまあ、いろいろ」

 

 とある放課後。

 強襲科御用達の射撃レーンを出たところで夾竹桃と鉢合わせた。

 

「どうせピザかなにかテイクアウトして、部屋に帰ってコーラを開けて、PC相手に麻雀でもするような予定でしょ?」

 

「お前とはそれなりの付き合いになってきたが見当違いもいいところだな」

 

「そう?」

 

「ハンバーガーだ。ピザじゃない」

 

 そう言ってかぶりを振ると、案の定というか溜息が返ってくる。ハンバーガーとピザ、どちらも健康的な生活には必需品。だが今日の気分はギトギトのピザじゃない、肉を詰め込んだバーガーた。

  

 しかし、アンニュイな表情も顔が良けりゃ絵になるんだから世の中ってのはやっぱりアンフェアだ。

 無駄に美人、やはりというか目の前の毒使いを表す言葉にそれ以上はない。一番しっくりくる。

 

「大体、スパナチュの‥‥‥ファンの集まりなんて俺が一番行っちゃ駄目なところだろ。なんでそんな地雷原にわざわざ行くんだ、まだコンカフェに行こうとか言われたほうが心臓に優しい」

 

「気分転換になるかと思って」

 

「逆効果だよ。もっとあるだろ。お前が行きたいところなら行く。そこにしよう。ただし、スパナチュの以外で」

 

 とんでもない提案だけは遮り、別に機嫌をとるわけじゃないがインパラの鍵を目の前にちらつかせてやると一瞬大きくなった瞳は手からキーケースを掻っ攫った。

 

「それはつまり、デートのお誘い?」

 

「見方によっちゃそうかも。てか、話を変えて悪いんだがお前は同窓会よかったのか? ワトソンは今朝インドに着いたって」  

 

「第二回同窓会のことなら私はパス。代わりにあの子が楽しんでくるわ」 

 

 同窓会と言っても普通の同窓会じゃない。

 元イ・ウーの生徒による同窓会。ようするにかつてシャーロックに認められた選りすぐりだけが集う、やばい同窓会。

   

「あの子? ジャンヌも理子も日本に──ああ、ヒルダか。そういや、あいつも同窓会の招待状貰ってるんだよな。ワトソンの影にでもくっついていったか」

 

 いつもの飛行機にただ乗りできるヒルダにしかできないやり口。あいつはレクテイアの一件、俺と同じく結構強固な理由で砦の側に回ってる。

 

 竜悴公の一族は、恐れられる事で人の心に巣食ってきた。なのにこの世界に竜悴公以上の怪異が大挙して来たら、人々は魔女に、怪異に慣れて恐れも何もなくなる。

 それがヒルダには許せない、砦につく言い分らしい。

 

 理由は全然違うがヒルダもまた、自分の一族が築いてきたものをエンゲージによって台無しにされようとしてる。それが許せないがゆえの砦側。  

 ある意味では、俺とよく似てる。エンゲージ、ベルフェゴールによるとそれは爆発的に怪異が増えると単純な話じゃない。

 レクテイア、こことは違った世界からのラスプーチナやヴァルキュリヤみたいな連中の大移動。それがサード・エンゲージの本質。

 

 

 モリアーティにとってエンゲージは作戦の第一段階でしかなく、ヤツが最後に描いているのはレクテイアの住人と俺たち地球の原住民との闘争。戦争だ。

 

 かなり過激な扉派だってのは分かってたがやはりモリアーティ教授は悪のカリスマなんかじゃなく、ただのイカれたテロリストらしい。

 

「また考え事? その顔は悪い方のだと思うけど」

 

「引っ越しのこと。引っ越しなんてやめといたほうがいい、物が多すぎて荷造りに泣いちまう」

 

「そうね、1週間は掛かりそう」

 

「もっとだろ、段ボール箱だって大量にいる」

 

「それは木が可哀想」

 

「引っ越した先に何がある? 自治会長を押し付けられて厄介事がコンスタントに舞い込む」

 

「‥‥‥それは悲観しすぎじゃないかしら」

 

 異世界からの引っ越し、大移動。

 文化が違えば色んなものが食い違って、渡ってくるのは清廉潔白な連中だけとも思えない。異世界レクテイアからの大移動、さて──そろそろアスピリンじゃ足りなくなってくるぞ。

 

 

 見慣れた廊下。

 リリスの部屋に続いていた廊下よりも弾痕やら焦げ跡やら何やらで汚れて見えるってのは‥‥‥少し言葉に詰まる。

 

 何度も歩いた武偵高の廊下を渡り、面識のあるヤツともそうじゃないヤツともすれ違いながら、インパラを置いてある車輌科のガレージへ。

 

「あ、雪平パイセン。インパラの診察終わってるよー」

 

「さんきゅ、貴希。ちゃんと振り込んどく」

 

「診させてって行ったのこっちだし、特別料金で安くしとくよぉ。パイセンは貴重なお得意様だし。だからさぁ、そろそろ教えてよ。オーバーヒートで溶けたヘッドガスケットを森の真ん中でどうやって直したの?」

 

「企業秘密だ。そもそも車のラジエーターに弾痕を貰わないほうがいい」

 

 第一声に響いたのは耳に馴染んだ快活な声。

 インパラを仕事半分趣味半分でメンテしてくれた貴希がシャワーを浴びたあとみたいにピカピカになったインパラと一緒にガレージで待っていた。

 

 車輌科とはいっても信用できる相手にしかインパラは触らせたくないのがウィンチェスター家の総意。インパラのメンテは俺が自分でやるか、貴希か武藤に頼むかの3択。

 

 この子は俺の遊び相手で、頼れる整備士で、気兼ねなく話のできる後輩。たまに金にがめつくなるけどいい子だと思う、そこは兄貴に似たのかな。

 仕事終わりの腕利きのメカニックは俺と夾竹桃を交互に見て、

 

「ねえ、食べ物ある?」

 

「食べてから来た。あなたは?」

 

「先に行ってくれりゃなんか買ってきたけど、あ、エナジーバーが2本」

 

「靴食べて倒れた人っているかな?」

 

「はぁ‥‥‥ちゃんと2本やるから変なこと言うな」

 

 懐に隠してあったエナジーバーを2本とも餌を求める猫みたいな目をしてる後輩に手渡した。

 持ってて良かった、非常食。やばいときにライフを助けてくれる。

 

「ウソ、2本ともくれるんだ」

 

「1本だけだったら言うつもりだったんだろ? 2本よこせって。いつもありがとう、貴希。ま、これは差し入れってことで貰っとけ」

 

「太っ腹ー、なんかいいことあった?」

 

 エナジーバーを指でつまみ上げお手本みたいな綺麗なウィンクを飛ばした貴希は‥‥‥

 夾竹桃の手に提げられたキーケースを一度見て、ひゅー、と口笛を鳴らした。

 

「へぇ、デートかよ」

 

 貴希、お前‥‥‥

 そのニヤついた顔はなんなんだ。

 

「でもデート行くならもっとお洒落したら? いつも無鉄砲な雪平切にしては地味すぎるよ。髪はこのままにするとして、もっと首にチョーカー巻くとかさ」

 

「驚いた。あなたたち生き別れの双子みたいによく似てる」

 

「そりゃどうも。貴希、心配ありがとう。チョーカーはないけど今度出かけるときは、もっと腕にシルバーでも巻いてくるよ」

 

 

 

 

 人工浮島って言ってもファミレスもコンビニもファーストフードだって一応ある。

 たとえば去年、あまりに突然俺たちの部屋にやってきて俺とキンジを追い出した神崎来襲の日。あの時も部屋を追い出された俺とキンジは、人工浮島のコンビニで立ち読みしながら作戦を練った。

 

「何か飲む?」

 

「とりあえず目指すはドリンクコーナー」

 

 そして、神崎との縁が始まったあの日来てたコンビニに今は神崎が追いかけてたイ・ウーの構成員と俺は飲み物を買いに来てる。

 人間、どこで誰と縁が繋がるか読めないもんだ。

 

「えっと、ドリンクコーナーは‥‥‥コーヒーの新商品‥‥‥?」

 

「ああ、それって先生が辛口評価してたやつか。俺は普通にコーラでいいや。あ、ペプシマンのボトルキャップ付いてんじゃん、やったね」

 

「キャップにフィギュアがついてる、たったそれだけで購買意欲を唆られちゃう」

 

「ちょっと得した気分になるしな」

 

 しかし、新入りの缶コーヒー。

 店員さんの手書きのPOPとは目を惹かれるがつい最近先生が愚痴ってた代物だ、俺はスルーかな。

 

「なぁ、夾竹桃。俺思うんだよ」

 

「絵本しか読まない生活を辞めて、あっちで立ち読みしてくるって?」

 

「ちげぇよ、失礼な。メニューだって読む。そうじゃなくて先生のことだ。この前の休みの日に、二人で先生の部屋に行ったよな。壁を壊して蘭豹先生の部屋と行き来できるようになってるあの部屋」

 

 外に出るのが面倒くさいから物理的に中に道を作っちまうなんてさすが教務科屈指の有名人お二人だ。やることがなんとも派手すぎる。

 

「綴先生は恩人だ。いい人だし、いい講師だし、色んな方面に優れたすごい人だ。けど食事のことに関しては‥‥‥」

 

「ドライブインのほうが健康的かもね」

 

「そういうこと」

 

「通ってあげれば?」

 

「先生のところに御飯作りにか? 毎日スクランブルエッグになっちまうぞ、ちょい焦げ目の」

 

「私は毎日でもかまわないけど」

 

 何気なしの一言、しかしそれが頭に残ってリーチインケースを開けようとした手が止まる。

 聞いておかないと、それこそ毒を体に残したままこのあとを過ごすことになる。だから聞いた、率直に。

 

「それさ。毎日って‥‥‥どっちの? 俺のこと? それともスクランブルエッグ?」

 

「あなたが作るスクランブルエッグ」

 

 率直な答えと言っていいもんかな、それ。

 なんか変な意味に聞こえて──駄目だ、久しぶりの自由な放課後でうわついてんのかな。

 

「でも賢人のアジトにいたとき、普通に毎日お前の分まで飯作ってたよな」

 

「外食も中食もしたでしょ? 朝早くからリトル・トーキョーまでうどん食べに行こうって、結局渋滞に巻き込まれたの忘れちゃった?」

 

「最初は当番にでもしようって言ったんだ。ダイナーで毎日食い散らかすのは少しの間我慢しようって、ジャックとキャスにも言ったんだ。どこでおかしくなった?」

 

「私が思うにエルビス・バーガー。あれはある種の、食文化の芸術」

 

「あれが芸術?」

 

「‥‥‥あのカロリーの塊は、さすがの私もちょっとひいたわ」

 

 ああ。砂糖まみれのドーナツで挟む、なんて悪しき食い物なんだろうなあれは。見る者すべてを胸焼けさせるよ。

 滅多なことじゃ狼狽しそうにない夾竹桃に冷や汗をかかせるんだから大したもんだ、芸術かどうかはさておいて勲章者だな。

 

 おっと、そろそろコーラ買って‥‥‥

 

 

「夾竹桃、そっちは買いたいの揃ったか? レジ一緒に持って‥‥‥何悩んでんの?」

 

「ああ、ちょっと待ってもらえる?」

 

「ん? ──ああ、コラボパッケージってやつか」

 

 敵を前にして戦術プランを練るような真剣な顔つき、何事かと思ったら‥‥‥お気に入りのアニメとコーヒーがコラボしてたわけね、最近多いもんなぁ。

 

 ボトルキャップもそうだけど、こうやってパッケージに作品の絵を使っちまえばそっちファンにはコレクションとしての付加価値も付けてやれる。

 

 実際ほら、夾竹桃は完全にどのパッケージを買うか迷ってる。あの無防備な顔‥‥‥300円握りしめてどの駄菓子買おうか迷ってる子供みたいだ。

 こっちの毒気が抜かれるよ、おかわいいこって。

 

「全5パターン、どれがいいと思う?」

 

「俺に聞いちゃうのかよ。そうだなぁ、無難に一番かわいいやつとか?」

 

「全部めっちゃかわいいの、終わりだわ」

 

「‥‥‥全部かわいいのか。そりゃおしまいだな」

 

 腕を組む夾竹桃につられ、俺も腕を組む。

 

「雪平、見ておきなさい。これはまさに‥‥‥苦渋の選択。決めたわ」

 

 おっ、決めたか。

 

「ほい、カゴどうぞ」  

 

 

 がらがらがらがら。

 ん、んー‥‥‥?

 

「‥‥‥あの、夾ちゃん?」

 

「厳しい決断だった。さ、レジに行きましょう」

 

「これが、厳しい決断!? 結局全部買っちゃうのがか‥‥‥!?」

 

「?」

 

 なにか問題が?

 そんな顔で首傾げる夾竹桃だが‥‥‥お前、普段そんなにコーヒー飲むタイプだったっけ? 

 

 イベントの追い込みかけるときはお友だちになるんだろうけど‥‥‥

 まあ、ある意味誰一人見捨てずに全員サルベージしていくのは夾竹桃らしいか。

 

 レジを通り、無事夾竹桃がコラボパッケージをコンプリートしたところでインパラで次はどこに行くかって話だ。

 いや、俺としてはインパラであてもなく駆け巡ってるだけでも結構楽しい。元々、目的地もなく本土をインパラで駆け巡る生活だったからな。

 

 もっとも、親父やディーンがセトリを決めまくってあの頃は、ここまでアニソンをBGMにはしてなかったが。

 

 

「なんだっけ、この歌」

 

「Butterfly Kiss」

 

「歌詞も曲名もお洒落と来たか」

 

「Next。風がそよぐ場所」

 

 

 それはある意味、今と昔の違い。

 海を渡って、日本に来て、武偵としてやってきたからこその変化。

 インパラの運転席を譲ってもいいと思える存在と出会えたからこその変化。

 

 窓枠から流れる都心の景色は、緩やかに降りてきた夜の帷でオレンジから黒みがかり、これから色を変えようとしているその空は、とても雄大に見える。

 

 目的地は、別に聞かなくてもいい。

 夾竹桃がハンドルを握り、俺は助手席でそこまでおもしろくもない話と窓枠に区切られた夜を眺める。

 

「楽しそうね」

 

「楽しいからな。少なくとも天使の軍隊に追いかけられるよりは遥かに」

 

「あれは酷かった」

 

「かなりな、バルサザールの軍隊と追いかけっこ。異世界まで行ってありえねえ」 

 

 もうやりたくない。

 バルサザール、こっちのお前にはちっとは感謝してるけどあっちのお前はとんでもなかったよ。

 

「こっちの彼とは友達だったんでしょ?」

 

「どうかな。最後まで敵か味方かよく分かんないヤツだった。けど、どうだろう。あいつが残した天国の武器がなかったら空港でかなめには勝てなかったかもしれないし、厄介事を押し付けてきたときもあったけど個人的にはそこまで嫌いじゃなかったのかな」

 

「それがあなたの得意技なのかもね」

 

「得意技?」

 

「癖のある相手と仲良くなる。得意でしょ、尖ったピーキーな相手と仲良くするの」

 

「どうだかな。じゃあ、お前も結構ピーキーな性格してるってこと? ピーキー×2くらい?」

 

 やや濁すように答えて、フッと小さく夾竹桃は笑って会話は止まる。 

 時計を見て、外を見て、帰るまでまだどこか一箇所くらい寄っていけそうか、なんて思って。

 

 今だけはサードエンゲージのことや狩りのことを忘れて、普通にドライブを楽しんでもいいか、なんて思って。

 テープが止まって代わりにV8の排気音が音楽になったインパラで常在戦場の武偵としては褒められたことじゃないけど、まあいっか、と目を閉じる。

 

「疲れちゃった?」

 

「‥‥‥悪い、マナー違反かも」

 

「いつも全力疾走なんだからたまにはペースを落としたら? 私が追いつくまで」

 

「そうする。鉛が飛んできたら起こしてくれ」

 

 

 そう、微妙に懐かしい気持ちになって睡魔に誘われたのかもな。

 

 マイアミで一番流行ってるってバーにジョーに誘われて、ディーンから鍵をくすねて二人でインパラを飛ばして、でも結局目的の店まで行ったら一ヶ月前に火事があったせいで何にもなくて。

 

 最後はそこらの店で買った、ひどい酒を二人で乾杯して、酒が抜けるまでインパラのなかで二人でぶっ倒れて‥‥‥

 ああ、過去最高の頭痛に襲われた、楽しい記憶。目を閉じると今でもはっきり覚えてる。

 

 この十年。悍ましい記憶は挙げたらキリがねえけどいい記憶だってそれなりにあった。本土でももちろん日本でも。

 

 

「ついたら起こしてくれとは言ったが、さすがに目的地は予想できなかった」

 

「懐かしさと一緒に乾杯しようと思って」

 

「それはいいアイデア。ちゃっかり瓶でコーラも買ってたわけか」

 

 白の買い物袋に刺さった瓶のコーラを2本提げ、夾竹桃は停車したインパラのボンネットに上がる。人が2、3人寝転んでも問題ないスペースに俺も上がる。

 

 目の前には死に絶えた廃墟。

 舗装路を割って伸びてきたツルに浸食されている建物と錆びだらけになって放置されてる自動車は、去年の春以来に見る光景。

 

「初めて会った場所にしては⋯⋯⋯ロマンも何もないよな、B級ホラー映画の撮影現場みたいだ」

 

「その方がらしいかも。もっとちゃんとした場所で会ってたら、ここまで仲良くなれなかった」

 

「逆に?」

 

「そう、逆にね」

 

 乾杯。 

 言葉は省いて、ガチンと透明な瓶をぶつけ合う。

 夜、しかもこんな場所だ。インパラのエンジンを切ったら静かにも程がある。

 

「早いよな、マジで。色々あったけど、もう今年も10月を過ぎたのかって感じ」

 

「あと半月もすれば卒業式よ、あなたも」

 

「えっ、あ、ああ⋯⋯⋯そっか。来年の春には俺、卒業しちまうのか‥‥全然実感なかった、まさか本当に卒業まで行けるとは思わなかったからなァ⋯⋯⋯」

 

「自分のことなのにすごく他人事ね⋯⋯⋯毎年自分の誕生日を忘れてる工藤新一並みよ」

 

「しかし、そっかぁ。色々あって卒業なんてすっかり忘れちまってた。実感ないな。けどそうなると、あの部屋を満喫できるのもあと半年」

 

「映画を見るだけの集まりになってきてるカウンセリングも」

 

「あと半年。淋しいもんだね」

 

 炭酸で喉を殴っても、少し辛気臭くなる。

 今までずっとやってきたことを辞める、それが楽しかったり意味のあるものならやっぱり寂しいし、名残惜しくなる。

 

 

「綴先生のことさ。俺が卒業したら、愚痴とかつまんない相談とかそういうの、聞いてくれる生徒もいなくなるんだよな」

 

「いいわ、代わりに引き受けてあげる」

 

「いや、誰かいないか聞こうとしたんだよ」

 

「⋯⋯⋯ウケた」

 

「はっ、冗談だよ。たまにでいいから話を聞いてやってくれ。ああ見えてたまにセンチメンタルになる人だから。お前がいてくれて良かった」

 

 寄り添ってやってくれ。

 間違いなく、俺にとっては恩師だ。アラステアじゃない、あの人の弟子だと思えることが、俺にとってはかなり救いになったから。

 

 って、なんで笑ってんだよ。

 

「んだよ、笑えるところあったか?」

 

「別れの挨拶みたいだったから。笑えるうちに笑っておこうと思ってね」

 

 そう言ってやんわりと笑う。

 俺はたぶん、お前と別れるとなったら笑えないかも。

 

「お前は卒業したら? 司法取引の、まあ、色々制約はあるんだろうけど。何したいとかあんの?」

 

「一緒に店でも開く?」

 

「そりゃ破綻したろ、経営のストレスで死にたくないって満場一致で」

 

「そうね、ストレスで胃に穴が開くなら撃たれたほうがマシかもね。白いフェンス付きの家でも買ってゆっくりするわ。猫でもかわいがって」

 

「マンチカンとか?」

 

 答えは返さず、ネオシーダーのように半分薬目的の煙管をいつものように喉に通す。

 紫煙が燻るこの光景も、心地よさそうに目を細めるその顔も、卒業ってなったら今ほど頻繁に見れなくなる。

 

「やっぱ卒業、少し名残惜しいな」

 

「留年する?」

 

「恐ろしいこと言うんじゃないの。まだ半年? 6ヶ月くらい残ってっからその時間を楽しんどくさ。本土に戻るとしても、この先面倒な事件が起きまくるとしても、墓に入るまで忘れないような楽しいやつを」

 

 ちゃんと墓に入れたら、ハンターとしては上々。

 駄目だな、何でもネガティブなのが入り込む。

 

 自己嫌悪と一緒に空を仰いだとき、

 

「前に言ってたわね。全部終わったら本土に戻るって」

 

「たぶんな。たぶん戻ると思う、ジーサードと縁は繋がってるし、前より動きやすくなった」

 

 紫煙がさっきより黒くなった夜へ舞い上がる。

 半分中身の消えた瓶を置いて、いつか来るそんな日から今は目を逸らすように寝転がる。

 少なくとも今すぐじゃないんだ、今すぐじゃ──

 

 

「帰らなければいいのに」

 

 

 どういう意味だよ、それ。

 俺の聞き間違いじゃなかったら、

 

「どういう意味だよ、それ」

 

「そのまま。ずっといたらいいのに」

 

 顔を横に傾けると、さっきは腰掛けていたはずなのに顔はすぐ隣にあった。

 メイクのせいか目元はいつもより幼く、描かなくても綺麗な眉は柔らかく見えて、童顔はいつもよりやはり幼く見える。

 

 

「泊まるとこなくなるって。それに──この国に残れる大義名分はないよ。十分楽しんだし、バカ2人組を海の先にほっとけない」

 

「私が残ってほしいって言ったら、それは理由にならない?」

 

 

「‥‥‥ちょっと待て。待てって。それは、お前にそう言ってもらえるのは、嬉しいけど‥‥‥」

 

 目を逸らしたくなる、逸らそうとして、けれどもう毒を盛られちまったように瞳は動かない。

 

 

「私は横から見るのが好き。だから自分でその意味を知ることはない、知らないことこそが創作意欲を生むから。けど‥‥‥例外もあったのかも」

 

「やめとけ、それは‥‥‥分かるだろ。ウチのバカ二人も結局うまくいかなかった。母さんも結局あの有り様だ、何が起こるか‥‥‥だから‥‥‥お前は優しすぎる、もっといいのがいるよ、もっといいのが‥‥‥」

 

 なんか言えよ。

 言わせちゃうのもこうやって目を逸らすのもどっちも罪悪感で死にそうだ。

 

 ったく、どうする。

 いや、分かってる。ここまで迷って、考えて、とっくに答えなんて分かってる。

 

 

「分からん。やめだ、先のことはまた考えよう、明日生きてるか分かんない仕事してんのに考えても仕方ない」

 

 起き上がり、残ったコーラを一気に流し込む。

 ああ、そうだ。考えても仕方ない。

 先のことは明日の俺に任せよう。

 

 

「そうね。今のはなしってことで、そろそろアニ──」

 

 

「好きだよ、俺は。お前のことが本当に好きで、どうしようかなって思ってる」

 

 

「メを‥‥‥‥アニメ?」

 

 

「サムもディーンも大好きな人と、最後の別れ方は悲惨だった。もしお前がそうだったらって、そう思うとすっごく怖い。けどもし、お前とこの先生きていけたらって、それはすごく幸せで‥‥‥あー、えっと、重たかったか?」

 

 

「湿度が高すぎて驚いてる‥‥‥えっ、あ‥‥‥えっ?」

 

「湿度ってここの? 今日そんなに湿度高いか?」

 

「それとは別の意味なんだけど‥‥‥湿度が、湿度で、雪平あなたそっちなの‥‥‥そう‥‥‥えっ?」

 

「何回目を開いたり閉じたりしてんの。つか、湿度がなんだよ湿度が。おーい、大丈夫かー?」

 

 顔の前で手を振ってやり、ちょ、待て!

 手袋の方で掴むのは、待てって! 

 

 

「好き?」

 

「お前が」

 

「好きって言った?」

 

「言った。今日のお化粧すごく綺麗。てか、元が綺麗だからそりゃ言わなくてもいいことなんだけど」

 

「‥‥‥そう」

 

 あ、ちょっ‥‥‥なんで後部座席?

 

「運転して」

 

「助手席来ないのか?」

 

「寝るわ。起きたら現実に戻ってるかも」

 

「やめろ、結構恥ずかった俺の告白をなしにすんじゃない。ただいま、Baby」

 

 インパラが、なんかさっきより元気よくエンジンが吠えてる気が‥‥‥貴希のおかげかな、いい走りしてくれそう。

 

 

「雪平」

 

「んー、どうした」

 

「私のこと、好き?」

 

「‥‥‥お前そういうこと簡単に聞いちゃう派の女だったのか?」

 

「世の中にはあるでしょ、言質って」

 

「ああ、レスバしよってお誘いだったか。それならそう言えって」

 

 ハンドルを回し、来た道を辿るように帰る。

 先に夾竹桃を部屋に送ってからになるが、けど少しだけインパラも俺も、気分はアガってんのかな。

 

「好きだよ、すごく大切に思ってる」

 

「私もよ、ずっと前から」

 

「おい、やめとこう。別に競争してるわけじゃないんだから」

 

「やめておきましょう、私が勝っちゃうから」

 

 

 ‥‥‥負けず嫌いなことで。

 でも負けたとしても、それはそれで嬉しいけどさ。

 

 

「明日も行っていい?」

 

「どこに」

 

「スクランブルエッグ食べに」

 

「毎日でもどうぞ」

 

「我、恐れることを恐れるなかれ」

 

 やたら透明ボイス──つまり、どういうことだろう。いや考えるだけ無駄か。

 

「それ、言いたいから言っただけだろ?」

 

「録画してあるわ、今度一緒に見るわよ」

 

「またアニメにかぶれちゃって‥‥‥」

 

 

 不思議なもので、何か変わったようで、何も変わってないような夜は更けていく。  

 次の日から、DVD数枚を手に毎日誰かさんが部屋に押しかけてくるようになるんだが──ま、我、恐れることを恐れるなかれ。

 

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