哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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ドッグファイト

 

 

 

 

「お仕置き?」 

 

「そう、お仕置きだ」

 

「どうして小さいピザがお仕置きになるの? ウィンチェスター兄弟とピザはお友達のはずでしょ?」

 

 手袋をしていない右手でテーブルに頬杖を突いてやや紫がかった瞳は興味深そうに覗いてくる。

 

 気になったもの、知らないものはとことん追求するのが彼女。

 この世に自分の知らない毒があることが許せないと謳う夾竹桃は、答えを聞くまでこのままとでも言いたげに視線を固定して、暗に続きを促してくる。

 

「考えてみな。小さなピザじゃ腹一杯にならなくて腹が立つ、腹が減って腹が立つと気難しくなる。そんで意地が悪くなる。そして、眠くなるんだ」

 

「驚きだわ。ピザ一枚からよくそこまで連想ゲームができるわね。空腹に差し入れられたピザ一枚が救いになるとは思わないの?」

 

「それは時と場合による」

 

「トボケちゃって」

 

 冷たくも美しい、普段の夾竹桃の横顔をそうたとえるなら今は熱が上がって緩みきった、とでも言うべきか。

 ダウナー、美麗だが影が差し込んでいると言われがちな顔もいざ緩んでしまえばお可愛いもの。

 

 数日前からーーそう、少し前から俺の部屋には夾竹桃がDVDやらBlu-rayやらコミック本を手にほぼ毎日の上がり込むようになった。

 これまでも理子やジャンヌ、ヒルダやワトソンみたいにコンスタントに遊びに来ちゃいたが、今現在はほぼ毎日のように顔を合わせて、話をしてる。

 

 一緒に映画見たり、ロキシーに食べに行ったり、レバノンの基地にいた時みたいに一緒に飯作ったりとか色々と、楽しくやれてる。

 ああ、本当にーー楽しく。

 

「時間だ、カウンセリング行くぞ。先生を待たせちゃあとが怖い」

 

「カウセリング、三者面談、映画鑑賞会。果たしてどれが正解なのかしら」

 

「俺が思うに全部だ。カウセリングで、面談で、映画を観る。そしてたまに先生の愚痴を聞く」

 

 机の上で待ちぼうけしていたインパラの鍵を掴んで二人で部屋を出る。

 外は昼下がり、先生の気分もどうかこの晴天と同じく晴れやかでいてほしいもんだね。ま、昨日の尋問科の講義の荒れ具合を考えるに、そうはいかないか。

 

 67年シボレー・インパラ。愛しのBabyの褪せない漆黒のドアを開けてキーをかける。

 

 耳に馴染みすぎたV8の、空気がギクシャクと暴れるような音を聞くと不思議なことにーーなんていうか家に帰ってきた気分だ。いまさっき部屋を出たばっかりなのにな。

 

「なぁ、夾竹桃。夜、もし暇だったらどっか食べに行かない?」

 

「予定があるの、レイトショー」

 

「あ、映画行くのか。悪い、それは知らなかった」  

 

「さっき決めたところだから。21時から上演なの。暇だったら、観に行かない?」

 

 ‥‥‥えっ?

 ちょっと待て。

 

「予定があるって言わなかったか?」

 

「あら、そのとおりよ。映画を観る予定があるの。だから映画を観て、ディナーと行きましょう」

 

 してやったり、そんな顔で夾竹桃はベルトを締めていく。果たして魔宮の蠍はこんなに悪戯好きな女だったか?

 

「お前なぁ‥‥‥」

 

「お誘い嬉しいわ、ありがとう」

 

「‥‥‥卑怯者、そう言われたら何も言えない」

 

「もちろん観る映画は私が決めちゃうけど」

 

「いいよ、コーラとポップコーンと座り心地最高のシートがあるだけで満足。ちょいと変化球だったが。ありがとう、お誘い嬉しいよ」

 

「どういたしまして。今夜が楽しみだわ」

 

「ああ、最近は楽しいことばっかりだ。特にお前といるときは」

 

「なぜか最近多いのよね、あなたと意見が合うこと」

 

 暖かな日差しを背景に夾竹桃は笑う。日差しに負けない、穏やかな暖かい笑みで、笑う。

 

「それは良かった、お互いに意見があって」

 

 

 

 人工浮島の流れる景色は数日前と変わらない。

 夾竹桃を乗せてインパラを走らせるのももう珍しくもなんともない。

 けどーー何かが変わってる、それは多分嬉しい方向に。

 そう思うのは、やっぱり俺はこの女に毒されてるって、そういうことなんだろうな。

 

「ーーあ、そろそろハロウィンだけどお前もう衣装の準備終わった? 去年はちょうどジーサードが仕掛けてきたのと重なってあれからもう一年ってのは信じられないなぁ、早い」

 

 ハロウィンか。

 去年のハロウィンといえばかなめが仕掛けてきた真っ只中だった。バスカービルのみんなが入院して、キンジがハーミットでワトソンがカボチャ頭のパンプキンでジャンヌは魔女で、てかジャンヌは元から魔女だったけど‥‥‥

 

「私は終わった。去年と同じだから」

 

「去年と同じ? えっ、それって‥‥‥」

 

「来年もそれやればいいって、病院で誰かさんに言われたの。雪女の」

 

 ‥‥‥

 ‥‥‥そりゃ見れるものならまたマフラー付きの、雪女の、見たいって言ったけど‥‥‥似合ってたしな。

 もう一度見れるならそりゃ嬉しいし‥‥‥

 しかし、ストレートにそう言われると反応に困る。嬉しい誤算ってこういうとに使うのか、いやちょっと違うか。

 

「夾竹桃‥‥‥本当に今年も雪女やるの?」

 

「似合ってたんでしょ?」

 

「かなりな。そりゃかなり似合ってた。しかし、あれだ。いいことばかり続くとあとがこわい。いきなり頭上に隕石を落とされるかも」

 

 疑いたくなるくらいチップが山積みだ。

 とどのつまり、そろそろバランスを取りに不幸がやってこないか不安になる。

 なんたってどこに降るか分からない隕石の落下地点を踏んでいくのが、俺とキンジ共通の得意技だったからな。

 

 

 

 

 左手、左足を前に構え、拳は完全には握らず緩く開いておく。軽く空気を握るイメージ、そして相手が殴ってきたらーー

 

「ふんっう!」

 

「悪いな」

 

 半円描くように避け、そのまま相手の後ろを取って首を締めて固める。

 子供の頃、何百、何千と繰り返し親父に仕込まれた動きの一つ。懐に隠し持った刃物には気をつけろって口酸っぱく言われたもんだ。

 

「‥‥‥‥! ‥‥‥っ!」

 

 10秒とかからずに相手からタップが決まり、締めていた腕を解く。

 ーー助かった、そんな顔でぜぇぜぇ言ってる2年男子の君。残念だが防弾ガラスの向こうから肉食獣(蘭豹先生)がものすごい眼光を飛ばしてる、海に飛び込むたくなる補習は覚悟しといたほうがいいかな。

 

 

 

 ーー第1体育館。防弾ガラスに区切られたスケートリンクみたいなこの楕円形のフィールドは、去年カナと神崎もやり合った明日なき学科こと強襲科の戦闘訓練施設。

 体育館とは名ばかりで、生徒たちからはもれなく闘技場と呼ばれている蘭豹先生のホーム。

 

 見るからに重たそうな青龍偃月刀を当たり前のよう背中に背負って叫んでいる蘭豹先生はここまで響いてくる罵詈雑言をいつものように飛ばして、今日も元気そうだ。一昨日大井でボロ勝ちしたって言ってたし。

 

「ケッ! 次や次! 次は誰や、誰かあのニヤけ顔を止めてこい!」

 

「あの‥‥‥蘭豹先生? おそれながら今ので十戦しましたし、俺はそろそろ交代しますよ。後輩が成長できる、先生の貴重な講義の機会を奪うのはーー心苦しいですから、ね?」

 

「あァ? 雪平ァ、久々に顔出したと思うたら勝ち逃げかいな。そうは問屋が卸さんで」

 

「‥‥‥徒手格闘でガンスリンガーやるなんて聞いてせんよ」

 

 久々にやってきた強襲科の自由履修。

 闘争心をくすぐられる火薬、硝煙の懐かしい匂いに浸れたのも最初だけ。蘭豹先生の気まぐれで始まってしまった、銃器刃物を抜きにした徒手格闘の模擬戦はいつの間にか他の野次馬もドームの外に集まってる。

 

 ‥‥‥見世物じゃねぇんだぞ。

 さっきの彼でかれこれ十人目。

 神崎みたいなSランクやかなめみたいなモンスターとはまだ当たってないが最初の五人はBランク、怪しい繁華街を彷徨いてるゴロツキや犯罪者なんかよりずっと腕が立つ。

 

 徒手格闘のみってことでC装備はなし、制服もだいぶ汚れてきたことだし、そろそろチェンジの権利をできるなら行使したいんだがーーそれに誰も入ってこねえぞ、対戦相手いないならお開きでいいじゃないですか。

 

 

「なんや、志願者なしか。誰も行かんねんやったらウチが決めたる! せやな、よし、お前や! あのだらけたサーファー喋りを黙らせたれや!」

 

「ええっ、お、俺ですかっー!?」

 

 背中に背負っていた刀で指された一人の生徒が気をつけ、目を見開く。ひでぇ、まるで徴兵令だ。あるいはそれこそ、上から隕石が落ちてきたってところか。 

 

 あ?

 防弾ガラスの人混みの中に見覚えのある銀髪とブロンドが見える。ジャンヌと、理子も?

 

 野次馬に紛れて、お暇なこって。蘭豹先生、そこにとんでもなく強い八卦掌の使い手がいらっしゃいますよー。

 ま、理子に飛び入り参加でもされたらさすがにこの連勝も素直にお開きだな。

 

 俺もコールから軽くクンフーの手ほどきは受けたが理子の八卦掌ーーココから盗んだであろう中国拳法の練度は俺とはレベルが違う。素手でハイマキを簡単に制圧しちまうんだから恐れ入る。トリカブト、狼殺しの毒いらずだ。

 

 髪を使った変則的な絡め手、双剣双銃に変装によるふいうち、そして八卦掌を始めとした近接戦闘のスキルだ。器用な女だけに、手数の多さも勲章者だよ、峰理子さんは。

 

 てことで。

 俺の代わりにこっちで挑戦者募集しない?

 

 

「おおっ、裏ボスの登場だぁー」

 

 ふと我に返る。

 防弾ガラスで区切られ、ハッキリとは聞こえてこなかった。しかし、たぶん理子はそう言ったように聞こえた。

 モンハンやエスコンに夢中になっているときのような実に、楽しそうな顔でそう言ったように見えた。

 

 裏ボスなんて言葉は、この状況だとどこをどうやって見ても嫌な言葉だ。ましてや理子が言うところの裏ボスなんてのはとても、嫌な予感がする。

 

 

「っしゃ、やるで雪平。準備はええかー?」

 

「えっ?」

 

「アホウが。ちゃんと聞いとけや、お前がええんやったら始めるで」

  

 えっ‥‥‥

 いや、ちょっと待て。どうして蘭豹先生が俺の目の前で準備運動みたいに肩を回してるんだ? 

 

 なんで他の生徒は入ってこないんだ?

 次の対戦相手は? いや、まさかな。強襲科の教諭としかもよりによって島を傾かせたとか言われてる蘭豹と、す、素手でやりあうなんて‥‥‥

 

「‥‥‥あの、蘭豹先生?」

 

「ガキ共の教育に良さそうやからな。ちっと本気で行ったるわ。やんのは1年ぶりやな、雪平。前にやったときより弱ァなってたらーー殺すで?」

 

 名前に違わず、豹のように鋭く先生の瞳が光る。

 げっ、さっき徴兵されたはずの彼の突っ伏してんじゃねぇか。聞いてねえぞ、こんなの。

 

 

「嘘だろ‥‥‥」

 

 

 正面にはやる気に満ち溢れた先生。

 反射的に防弾ガラスの向こうにいるジャンヌと理子に視線を振ると、目‥‥‥目を逸らしやがったぞ、あの銀髪とブロンド。

 

 いきなり無茶苦茶な対戦カードがやってくるのは我が家のお約束だが‥‥‥ったく、こうなるか。久しぶりに蘭豹先生の講義を受けてみたい気持ちはあったがまさかこうなるとはなぁ‥‥‥

 

 蘭豹先生は今年で20歳という年齢でありながら、香港では無敵の武偵として犯罪者たちから畏怖された女傑である。

 強襲科なんて刃物や弾が常時飛び交ってる死地に飛び込むような武偵を育てる科の教諭となれば、普通の人には務まらない。

 よって蘭豹先生は普通じゃない、それはまあ、色んな意味で突き抜けてる人だ。いきなりやってきた冷や汗を誤魔化すつもりで先生に苦笑いを向ける。

 

「蘭豹先生。あの‥‥‥さっき指名された彼は」

 

「雪平、言ったふりってのは女の特権やで」

 

「特権?」

 

「ああ。するのも、できるのも」

 

 この嘘つきめ、そう言える度胸はない。

 カットジーンズから長く伸びた脚はそうこうしているうちに、俺の目の前まで来ていた。退路はもう焼かれちまってるか。

 ‥‥‥来週にしとけば良かったかな、自由履修。

 これはもう覚悟を決める、もとい諦めるしかないか。

 

「分かりました。蘭豹先生、正直ハンデの一つや二つ欲しいところなんですけどーーああ、俺は準備オッケーですよ」 

 

 

 刹那、プライドもマナーも知ったことかの勢いで俺は蘭豹先生の膝を目掛けて右足を払った。スタートも開始の合図もなし、完全なふいうち。

 

 まずは膝から体勢を崩して、喉へ掌底を入れる。一年前は先制の爪先蹴りを貰って大変なことになったからな、今回は先攻を譲って貰うぜ、先生ーー

 

「ケッ、んなことやろうとは思うとったけどな。下手くそやな、手札が透けて見えるで」

 

 余裕めいた声色でそう言った蘭豹先生の足は、まるで大木のように蹴りを受けてもビクともしない。

 背中に冷たいものを感じながら喉を狙った掌底は真横からの手刀に弾かれると同時に、先生の体が半身になる。いや、

 

「先手はやったしな、サービス終わりや。雪平、手抜いてるとどうなっても知らんで」

 

 半身になったんじゃない、左手の手刀で防いでそのまま右足で後ろ回し蹴り。シームレスに動きが繋がってる‥‥‥!

 

 やばい、ガード間に合え‥‥‥!

 あの馬鹿力で頭を揺らされたら最悪そこで終わっちまう!

 

「‥‥‥チぃぃッ!」

 

 ギリギリで肘を挟めたが殺しきれなかった衝撃が体を揺らす。大振りの蹴りという反撃するには絶好のタイミングだってのに足は掴む前に引かれ、投げることを許してくれない。

 そしてワンコンマ、ふざけた膂力のせいで反撃の機会を流した俺に、蘭豹の先生のニヤァと恐怖を誘う笑みが届く。いやホント、夜のサバンナで豹に睨まれた気分だよ蘭豹先生‥‥‥!

 

 無論これは強襲科の講義。睨まれるだけじゃ終わらない。

 瓦を重機で踏んだようなゾッとする音がその足元から鳴り、まるで弓を引き絞るように後ろへと引かれていた右腕が同時に放たれる。

 ちくしょうめ、直感でも経験則からでも分かる。こいつももらったらやばいってッ‥‥‥!

 

 

「くたばれやぁぁあああああァァー!」

 

 

 とても講師が生徒に向けるとは思えない言葉と一緒に、矢のような鋭い拳が俺の鳩尾に飛んできた。

 

「ご、ふ‥‥‥ぅぅぅッ!」

 

 プレデターみたいな馬鹿力に震脚によって体重も上乗せされた崩拳ーー中国拳法の形意拳でも特に火力を秘めた打撃を先生が放てば、さっきは矢なんて言っちまったがそんなお洒落なもんじゃない。

 鍛えられた拳は凶器、しかし蘭豹先生がその気になればその拳はセムテックス。ああ、爆弾だ。

 

 肺にあった空気は纏めて外に。

 聞くに堪えない悲鳴を撒き散らし、視界がグチャグチャに回りまくる。

 実を言うと幽霊のPKでぶっ飛ばされたときもこんな感じだ、頭から落ちたら本気でくたばっちまうなこれ‥‥‥

 

 

 

 

 

 

「ひゅー、よく飛ぶぅー。今ので赤ゲージまで削られちゃったかな」

 

 防弾ガラスで区切られたドームの向こうに目を離さず、まるで目の前で繰り広げられるテレビの番組から目線を切れないといった様子で理子は、そっと腕を組んだ。

 

 遭遇したのは完全な偶然。

 たまたま強襲科の自由履修を受けたキリが、いつものごとく無茶な対戦カードを組まされた場面に、たまたま私と理子が出くわしただけのこと。

 

 去年はアリアと一緒にカナに刃を向けた場所で、今年はあの蘭豹と。自分から豹の尻尾を踏んだわけではなさそうだが彼女の顔はまるで嬉々一色、また酔ったのか?

 

 

「‥‥‥っ、蘭豹先生、ちょっと待った。C装備無しで実弾使っての模擬戦はやばいです」

 

「お前どこに目ついとんねん、ウチもお前も素手やろが」

 

「先生の拳は大口径よりやばいんですよ! そんなマグナムみたいなのぶち込まれてこんな軽装で大丈夫だと思いますか!?」

 

「その為に体を鍛えるんやろうが! 鋼の肉体で止めろや!」

 

「何が鋼の肉体ですか馬鹿馬鹿しい! 人間、どれだけ体を鍛えてもできることと出来ないことがあるんです! 天晴れなり肉の宮じゃねえんですよ!」

 

 鬼のような形相で立ち上がったキリが叫ぶ。

 五体そのまま地面を転がったせいで顔には複数の切り傷、防弾制服も砂や埃でやつれている。

 ここまでの流れを整理すれば、問答無用にキリが仕掛けたふいうちがカウンターされ、体重の乗せられた崩拳に腹を撃ち抜かれたほぼ一方的な展開。

 

 とはいえ、野次馬から飛ぶのは熱がこもったヤジではなくもっと冷めた奇怪な視線だ。

 

「ま、そうなっちゃうよね」

 

「何のことだ?」

 

「んと、もし自分が蘭豹先生のさっきのを受けて今のキリくんみたいに叫んで喚けるかって話。車に跳ねられたみたいに吹っ飛んでたもんねぇ、みんなもし自分がああなったらって考えたんだよ」

 

「なるほど、明日は我が身か」

 

「先生の眼光、豹というかサーベルタイガーというか。これはもう闘技場じゃないね、サバンナでぇーす」

 

「‥‥‥サバンナ?」

 

 肉食獣に襲われているという意味でか、相変わらず理子の表現はクセが強い。

 

 が、キリの方も悪魔や天使、怪物たちとも素手で殴り合ってきただけはある。あの一撃で落ちなかったのはさすがだと言いたいが、相手が相手だ。

 どうする? 正攻法の裏を通すのがお前たちの得意技だがそう簡単には主導権はとれないぞ。

 

 人外の巣窟と言われる教務課、それも彼女は強襲科の教諭だ。

 ただ獲物を貪り食らうだけの怪物とは違って、彼女は多くの戦いを経験し、学び、その上で強襲科の講師として立っている。

 

 香港で無敵と言われた第一級の豪傑、武器も道具もなしにどう崩す?

 

 

「知ってますか、先生。LA育ちは気温が10度代になっただけでダウンジャケットを着始める」

 

「はっ、ぺちゃくちゃと時間稼ぎすんのも大概やで雪平。作戦タイムやんのもおしまいや、続きいくで」

 

「‥‥‥もうちょいトークバトルしましょうよ。天気とか株とか最近のつまらないドラマの話とか‥‥‥!」

 

 崩拳によって離された距離を埋めるようにキリが地を蹴りつけ仕掛ける。

 

「へぇ、先に動くんだ。十八番の血文字カウンターは禁止だもんね〜」

 

 猫のように理子の瞳が細められる。

 いつもならば踏み込んできたところを血の図形の閃光で迎撃、急所に一撃叩き込むのがお約束の一手だが今回は徒手格闘のみのルール。

 得意のカウンターは使えないと見て、潔く仕掛けたか。いや、膂力で劣る相手に潔く突撃するほど清々しい男ではないな、あいつは。

 

 となれば、先程の無駄口で稼いだ時間で何か思いついたか?

 

「ーー」

 

 さっきまでスピーカーのように響いていた口は沈黙し、前屈みになった体はただ真っすぐに蘭豹のもとへ突き進んで行く。

 十中八九、キリのひねた性格を加味しても真正面からただ突撃するのはありえない。腹に一物あり、あいつを知る者なら皆そう考える。

 

「ほーん、お手並み拝見やなぁ」

 

 腰を落とし、一段階鋭くなった瞳で蘭豹も受けの構えを取る。堂に入ったその姿は、生半可に仕掛ければさっきのように手痛いカウンターをもらうだろう。

 そうなれば私や理子、集まったギャラリーの視線を惹くのはキリが守りに意識を向けた彼女にどう仕掛けるか。

 

 愚直なまでに真っすぐ、最短で距離を潰しにかかった形相はもはや突進も同然だがーー? お、おい待つんだ‥‥‥! 本当に正面突破するつもりか‥‥‥!?

 

「き、キリくん‥‥‥!?」

 

 理子もそれは予想していないと声を張る。

 一瞬、怪訝な顔をするも蘭豹は動かない。防弾ガラスを挟み、闘技場を囲んでいる群衆が色めき立った最中、地を蹴りつけていたキリの足が直進する勢いのまま虚空へ飛んだ。

 地面から離れた両足の裏が二本の矛のように蘭豹へ鋭く突き出される。お、おい‥‥‥

 

「ドロップキックっ‥‥‥!?」

 

「愚直さで裏を搔くつもりか‥‥‥! 相手はあの蘭豹だぞ!」

 

 小細工、奇襲、ふいうちを辞さないキリが仕掛ければ、ある意味シンプルな正面突破は裏を掻けるかもしれないが‥‥‥勢いを乗せた両足二本の蹴りも蘭豹の両手にいなされ、その懐までは届かない。

 

「キーくんやアリアの野蛮な反抗精神に感銘でも受けちゃったかな」

 

 いや、阻まれただけに終わらない。

 この攻防。蹴りを阻んだ蘭豹の両腕の膂力で押し返されたな、不安定な体勢でキリの肢体が虚空ヘ投げ出されてる。このままでは着地後の隙をそのままとられるぞ。

 

 

「まずったな‥‥‥」

 

 確かに意表はつけた、しかし悪手だったな。それではただの見せ技だ。

 

 私が頭上に広がった青天の空へ一度視線を切り、そして戻したときには両手両足の四点で地面をついたキリが蘭豹を見上げていた。

 このままマウントポジションを取られて終わり、あるいは急所への踏みつけか。こうなっては地面に背を向けたキリを制圧する手段はいくらでもある、チェックをかけられた。

 

「イヤな感じ」

 

「‥‥‥? 何がイヤな感じだ?」

 

「理子の直感がびびーっとキテるんだよね。なーんかイヤな感じ。いつもの感じ」

 

 このタイミングで、理子は何かを疑うような声で半眼を描いた。

 

「みんな思っちゃったでしょ。善戦した、健闘した、だけどキリくんの力はこんなところかなって。手を抜いてる感じもなかったし、頑張ったけどこんなところかってーーあの嘘つきにラインを引かされた」

 

 最後は、無法者のとして顔を見せながら理子が怪しく私に向けて微笑む。

 

「ジャンヌもよく知ってるじゃん。嘘偽りのラインを認識させて、その外から隠し持った武器で刺す、それが誰かさんのお家芸なのはさ」

 

 

 地面を砕く音が響く。

 蘭豹が振り下ろした斧のような足の一振りはキリの体を抉ってはいなかった。

 

「奇を衒うには正攻法の仮面を被る、嘘のなかに少しの真実を潜ませることで本当に隠したいものを見せなくする。嘘つきだねぇー」

 

 蘭豹の足が抉り取ったのは競技場の地面だ、キリは身を退いている。

 半歩外、凶器のギリギリの間合いに逃れたその体は左腕一本で支えられーーなんだ、そのかわし方はーー

 

「ベイジャ・フロールーー意味は蜂鳥。ココが何回か見せてくれたっけ。クセが強くて気に入らないって言ってたけど」

 

 

 ああ、たしかにこれはココの好みからは逸れるだろう。

 片腕一つの逆立ちから両足を割り開くようなアクロバットな蹴り。ドロップキック以上にその姿は、強烈な印象を残し、視線を束縛する流麗な蹴り。

 

 変則的ゆえに決定打とはいかないが思いもよらないその攻撃は意識の外からの一打。

 決着の一撃からの回避に見せかけた完全に予測の外からのカウンターは蘭豹の頭をはっきり揺らした。

 

「はーーぁ。ようやっと一撃って、さすがは蘭豹先生です容赦ない」

 

 言い終わるやキリはバク転を切り、足を狙ったであろう予備動作もほぼなしのタックルから外へ逃げる。

 キリはそのまま再び両手両足を地面につくと、今度はお返しとばかりに地を這うような低姿勢から脛へと蹴りを突き出す。

 

「アホウが、教師相手に曲芸きめよってからに。そのケーダ・ジ・クアトロ‥‥‥慣れとんな。お前、最初っからハメめるつもりやったやろ!」

 

「考えなしの正面突破でお相手するには蘭豹先生は強すぎますからねッ‥‥‥!」

 

「教師にドロップキックするアホがどこにおんねん! マナー悪すぎやろ!」

 

「マナー? この状況でマナーもへったくれもないでしょうが」

 

 両手両足で体を支える低姿勢のまま蹴りの雨をいなし、巧みに四点で動き回りながらキリは‥‥‥信じられないな、あの姿勢で蘭豹と打ち合うとは。

 群衆の空気も妙に静まってる。どう反応すればいいか困る、今まさに目の前にあるのはそんな光景だろう。

 

「理子、あの四点で体を支える姿勢は‥‥‥」

 

「ケーダ・ジ・クアトロ、()()()()()だね。ブラジル源流のカラリパヤットと張り合える初見殺し。まだあんなの隠し持ってたんだ、抜け目ない。さっすがバランスのいい雪平キリくんだよ」

 

 冷ややかに、しかし楽しげに理子の口元がつり上がる。

 まだ袖下にカードを隠し持っていたとはな。本当に器用な男だよ、ウィンチェスター。

 

「ふッ!」

 

 バク転で距離を作りながら立ち上がると、踏み込みと同時にキリの左足が上がる。鋭さは言うまでもなく、狙いは首か。

 

「手札はもう透けてるで。ハイキックに見せかけてのガンショ、どや当たりやろ?」

 

「‥‥‥博識ですね」

 

「当たり前やろ、ウチ先生やで」

 

 下から這い上がるハイキックを蘭豹が首の動きだけで避けた途端、振り上げられたキリの足先が曲がり踵が喉へと迫った。

 ボクシングのフックのような曲がった蹴り、普通の上段蹴りの感覚で避けようものなら踵が追いかけるように食らいつく。初見殺しというのも納得だ。

 

 末恐ろしいのはそれを見抜き、敢えてその二段構えの攻撃に乗った蘭豹か。踵は捕まれ、片腕一本でキリの体が持ち上がる‥‥‥な、なんて力技だ。

 

「嘘でしょ‥‥‥」

 

「去年よりはよかったで、去年よりはな」

 

 「あちゃー‥‥‥」と、隣で理子が苦そうに呟く。

 ぶっきらぼうな称賛の言葉を置いて、浮き上がったキリの背中は今度こそ地に叩きつけられた。

 

「痛そう‥‥‥」

 

 ああ、異議なく。同感だ。

 だが、このまま極められて終わりというわけでもないらしい。極められる前に背中を持ち上げた。

 

「はっ、しぶとさはピカイチやな。お前も遠山もずっと強襲科におったらーーまァ、今さら言ってもしゃーないか」

 

「‥‥‥もう一刺しする体力もないんですけど、先生には世話になりました、本当に。やれるだけ、先生の講義に‥‥‥貢献しますかね‥‥‥!」

 

「お前ちょくちょく行方をくらましよるからなぁ。これがウチからの最後の講義やとして、楽しんどけや」

 

「ちょっ‥‥‥いきなりなんですか! ここにきて微妙にしんみりさせんのは!」

 

「雪平。人間っちゅうのは自分を超える圧倒的な脅威と相対すると、意思と本性の間で反発が起きる。大抵は自分の持っとるもんとの差にやられて、圧に飲み込まれて萎縮するもんや。けどもう一方でズタボロになりながらも目の前の高みを見上げて、その高さを目指して這い上がる連中もいる。そういう連中は相対する脅威に逆に高みに引き上げられるんや」

  

 ニヤリと唇を歪めて、蘭豹はぐるりとドームの外にいる生徒を見回す。

 

「武偵は常在戦場。いつどこで役に立つもんが落ちてるか分からへん、技術、知識、情報。つまらん死に方が嫌やったら日頃からアンテナ張って拾えるもんは全部拾うことや。無駄と思ってたもんが自分の首を繋いでくれることもあるかもしれんからなァ」

 

「‥‥‥それ。ドラマの最終回が近いってときのセリフみたいですね。やけにシリアスっぽくて」

 

「回りくどい褒め方しかできんのかお前は。こんなんやったお前の罪状が二度と太陽を拝めんほど膨れ上がったわ。決めた、もっかい派手なのプレゼントしとこ」

 

「重たい罪状もグアンタナモも痛いプレゼントも願い下げです! こっちはこれで結構もうギリギリなんですが!」

 

 大振りの蹴りの連打、スタミナの浪費は軽くないといった様子だがどうせそれもフェイク。

 使えるものはすべて使う小賢しさ、姑息な真似は忌むべきものだが、あれはある意味窮地を前にしての逞しさでもあるか。

 

 勝負にでてやると、そんな顔でキリは笑う。

 そして、異音と共に二人の額が激突。獣のように笑う講師(蘭豹)と付き合ってやると言わんばかりの生徒(キリ)の、技術も何もない頭突きが続行の合図となった。

 

 もっとも、5分と経たずに目を回したキリを私と理子が衛生科に運び込むことになるのだが。

 

 





ラミエリアは怪しいけどアンジェリカは登場予定
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