「今まで数えるのが億劫になるくらいの魔女を見てきたがロウィーナは俺が出会った魔女の中で最高に腕がいい。あの赤毛は信用できる。武勇伝の内容も他と比べてピカ一だしな」
「息子が地獄の王になって、自分は魔王ルシファーを呪って一度首を折られた。漫画のネタにするには十分ね」
「漫画のネタなら切り裂きジャックと浮気した話が抜けてる」
「‥‥‥切り裂きジャック? それってあの切り裂きジャックのこと? だとしたら静かな夜で終わったとは思えないけど」
「普通ならキスと一緒に刃物が飛ぶ。でもそうはならなかったらしい。ロウィーナは生まれつき強力でずる賢い魔女だからな。冷酷で狡猾な殺人鬼もこの女はヤバイって悟ったんじゃねえの? 怒り狂ったらルシファーだって体を腐敗させて海の底に沈めちまうような女だ、ナイフを引っ込めて正解」
車の中で女と二人だけになったら一体どんな会話をする?
たとえば天気の話、株の話、昨日何食べた、最近楽しかったことはあったか、とか。
ぶっちゃけ相手との親密さや関係にもよるところだがとにかく、切り裂きジャックやルシファーの名前が飛び交うなんてことはそうそうない。
いや、数時間永遠とブランチはどこがいいとか、ラブ・アクチュアリーがどうだとか語られるのはそれはそれで御免なんだが‥‥‥
とどのつまり、結局今の俺が何を言いたいかと言えばだ。
ここは日本じゃなく本土で、乗ってるのはインパラじゃなくカマロLTRSで、外に広がってるのは人工浮島じゃなく西海岸のだだっ広い真っ直ぐの道。
それでいて、話してるのは2人だけのゆったりとした車内のムードに足蹴りを食らわすようないつもの会話。そう、結局どこをどんな車で走ろうと、夾竹桃は夾竹桃で俺は俺ってことだ。
俺が握るハンドルがカマロだろうとインパラだろうと結局物騒奇天烈な会話が夾竹桃との平常運転。普通ってことなんだろう。
「‥‥‥なあ、もっとロマンチックな会話した方がいいと思うか?」
「それを相手に聞く時点でムードは毒されて溶けていると思いなさい。ナイフと魔術、どちらが強いかはさておいて。アーサー・ケッチのライバル出現ってことなら興味を惹く話ね。前はいい感じだったし」
「ああ、ナイフと魔術。なんともロマンチックな響きだね、最高」
嘆息ついでに助手席の夾竹桃先生に褒め言葉を贈っとく。
しかし、男女の恋愛はすべて不純だと言ってた魔宮の蠍とは思えない言葉だな。いや、あれはそもそもケースバイケースってことなのかも。どっちだっていいか。
ケッチとロウィーナ、化学オタクと老練魔女って正反対の組み合わせなのに、前のファーストコンタクトが案外いい感じになっちまったせいで変な感じになってる。
どうやらそういう珍しい二人の仲が結構気になってる夾竹桃先生は少し声を弾ませてる、何が面白いんだか。
「切り裂きジャックは地獄で大勢の罪人の魂と仲良く幽閉されてる。どれだけもがいて暴いても地上には出てこれないよ。仮に地獄と地上にぱっくり裂け目ができて、投獄されてる悪霊が纏めて溢れて出るなら話は別だけど、そんなことになったらケッチとロウィーナの仲がどうだの言ってられなくなる。それはまさに」
「まさに悪夢ね。ようするに歴史上の数多のハンターが地獄へ還した悪霊が一気に飛び出てくるってことでしょう?」
「ああ、地獄の。ざっと‥‥‥二、三十億。埋葬されてる死体にも構わず取り憑いてゾンビの最終戦争の勃発だ」
「地獄に閉じ込められた亡霊たちが一斉に地上でパーティー、パンドラの箱が開いた程度の話じゃないわね」
「ま、地獄と地上に裂け目を作ること自体が神の御業さ。レクテイアとこっちに未来永劫開きっぱなしパスなしの門を作るようなもんだからな、言った手前あり得ない話だった。そんなことができるとしたら、それこそ『神』くらいだよ」
地上と地獄を繋ぐ裂け目、本当にそんなもんが生まれたら笑えない話だが所詮は空想の産物だ。
そんなもんが作れるなら黄色い目もどこにあるか分からないコルトを探し回って地獄の門を開けるなんて回りくどいことしてない。
「切に祈るってるわ。今のあり得ない話がフラグにならないことを」
考えるほど悪循環にハマりそうな恐ろしい可能性に夾竹桃がトドメを刺した。同感、そうならないことを俺も祈ってる。
仮にそうなったら俺は、レバノンで暇してそうなウィンチェスター御一行の快刀乱麻の活躍に期待しちまうかな。
きっとサムとディーン、キャスとジャックが揃えばなんとかしてくれる。ああ、たとえそのとき俺が虚無にーー
「でも今は目の前のことを片付けましょう。まだ時間はある、後悔を残さないようにやることをやるの」
「そうだな。あの犯罪コンサルタントがどこまで先に糸を張ってるかは知らないがやれること全部やっていつも通り嫌がらせだ」
だな、今はモリアーティー教授とレクテイアの神さまたちに目を向けよう。マルチタスクはなし、目の前のことから先に片付ける。
ロウィーナは別行動、まじないやら古いツテからリービアーザンを探してくれるらしい。
会って間もなく進展があったら連絡をよこすとどっかに行っちまった。道中は別方向でも最後の場面にはちゃっかり顔を出すのがロウィーナだ、自由気ままな魔女には好きにやらせたほうが力を振るってくれるだろう。
俺たちは俺たちで、レクテイアからやってきたら神様を探せばいい。モリアーティー教授が誘い込んだレクテイアの神のー柱、リービアーザンを。
「彼は教授と対等に渡り合えるモンスターよ。常識の物差しじゃ計れない。私たちが本土を走り回ってるこの状況も、もしかすると彼の張り巡らせた糸の上かもね」
「かもな。だが、キンジの行動をシャーロックが一部読み取れなかったようにモリアーティーの策略知略にも落とし穴はあるかも。今は抜け道を信じて進む、これが一番マシな道だって信じてな。
「‥‥‥? 潜入任務にどう繋がるの?」
「潜入捜査はリアルさが物を言う、自分で信じられなきゃ説得力なし。リスク高いだろ」
「役者とかのインタビュー番組の見過ぎ。いつから潜入捜査が得意になったの?」
「ずっと昔から。そこいらの諜報科より腕利きだ、なんでもやったぞ。神父に疾病対策センター、保健調査員に森林ガイド、インストラクター、バーテンダーに馬の飼育係もやった」
「私に言わせるとそこから分かることは、潜入捜査と身分詐称は紙一重」
ガソスタで一度給油を挟み、隣接したコンビニでエナジーバーとコーラーを買って戻ると、運転席でハンドルを前にしながらノートパソコンをカタカタやってるアンバランスな夾竹桃の姿が飛び込んできた。
「夾竹桃。それ運転席じゃなくて助手席でやることじゃねえのか?」
「ドナテロに頼んでおいた、預言者のレーダーで何かを察知したら連絡を頂戴って」
「ドナテロかぁ。あいつを頼っちまうとなぜかいつもあいつがなんか痛手を受けるんだよなぁ。緊急事態なんで脳みそがなにかキャッチしたら教えてくれって言ったら、必ず流れ弾がドナテロのところに飛んでいくっていうか‥‥‥」
「あと、こっちは劇薬だからあなたに伝えてからにしようと思って」
「劇薬? 誰だよ、未だに恩を返してくれないヒステリック女神様のカリか? それともケッチ? ガースなら別に劇薬でもなんでもないぞ、会ったらハグされるだけ」
俺だってロウィーナ以外にも頼れるツテは考えた。
天使研究の専門家やリヴァイアを追いかけてるときに夫婦喧嘩を仲裁してやった凄腕の魔女コンビ、あと困ったときの我らがチャーリーとか。
俺が劇薬の名前を推理していると、夾竹桃は視線をパソコンの画面に逃がすようにしながら言い放った。
「セルゲイ」
「却下だ」
笑えねぇ、とんでもないのが出た。
「即答? 思案する時間もいらないの?」
「必要ない。口にシアン化化合物銜えて交渉すんのはまだ早い、あのすっとぼけシャーマンは口から出任せカルト商法マルチ商法、頼りにならん。大して役に立たなかったあとで恩着せがましくまとわりついて来るだけだ」
「し、辛辣ね‥‥そこまで辛辣だと思わなかったわ」
「ロウィーナも最初の頃はハリケーンみたいに危なっかしかったが今はちゃんと一本芯が通ってる。メグと同じパターンだ、背中も首も預けられる。けどセルゲイは違う、メグじゃなくベラと同じパターン。後ろから火をつけられる」
「雪平、あなたって一度砂をかけられた相手には本当に容赦なしね‥‥‥たまに私も驚いちゃうくらい毒を吐くわよ、あなたって」
夾竹桃め。目を丸くして、本気で驚いたときの顔してやがる。至って当然の反応だ、実際ベラには砂どころじゃない、流砂にハメられた。ホントとんでもない女だったな。
「とにかく頼るなら信用できる相手に、チャーリーにも俺の方からあとから一報入れとく。薬品専門家のお前に言うのも悪いが劇薬使うのはまだ先だ、それと使うにしても効果があるやつにしろ」
「C34H47NO11」
「トリカブトだろ、それ。アコニチンーー猛毒のアルカロイド。神経毒の一種で触れると粘膜から吸収される。鼻腔、唇、口、皮膚。どれだけ接触したかにもよるが重度の下痢、痛み、麻痺、嘔吐が出て最終的には心停止」
劇薬なんて言ったからだろう。
実は東大の薬学部をちゃんと卒業してる彼女からさらっと口にされたのは、自然界に存在する過激な猛毒。昔は狼を退治するのにも使われて狼殺しなんて名前も付いてる。狼男がトリカブトに弱いのは本土じゃ有名な話。
「‥‥‥正解、満点の答えよ。勉強したの?」
「専門家と四六時中一緒にいたらこうなる」
ちらりと、意外そうな顔が向いた。
物騒なジョークを飛ばしてくれたとはとても思えない人畜無害そうなお可愛い顔が。
「冗談でも物騒なの挙げるなって。綺麗なのは認めるよ、トリカブトもエンゼルトランペットも。だが見た目は綺麗でも抱えてる毒は恐ろしすぎる。触れず触らず、綺麗なものは見るだけにしとけって言ってんのかな」
「警告色を備えた動植物はそう思ってるでしょうね」
「キョウチクトウも?」
「それってダブルミーニング? それとも別の遠回しな意図があるのかしら」
「いいや、別に。道端にある経口毒の方も、もちろん体の中に毒を飼いまくってるお前も、両方綺麗だなってそう思っただけ」
毒=綺麗って方程式も変な話だが。
いや、変なのは俺の頭か。自分でも何言ってんだ俺、どうにかしちまったのか。
「‥‥‥酔ってるの? それとも世界はまだ嘘をつけないまま回ってたりする」
「酔ってない、武偵は罪状倍のルールがあるんだから飲酒運転なんて許されてたまるか」
そもそも武偵じゃなくても許されないよ。
だから猩々を倒しに行ったときは、ちゃんと酔った俺もサムもタクシー使ったんだ。猩々、酔ってる人間にしか見えない酒に住んでる霊。ある意味難敵だったな。
「話が逸れるに逸れまくったがとりあえず出してくれ。今は頼れるところに連絡して報告を待つ、結局それしかない。アマラやリリスを探してたときと同じで」
酔ったところで目の前のトラブルは何一つ解決しないってのはずっと昔から経験してる。ウィスキーをいくら開けたところで現実はなんにも変わらない。
シートに体重を預けて、口寂しさにエナジーバーの包みをあけるとカマロが咆哮をあげた。咆哮というか唸りというか、イカしたエンジンサウンド。
運転は交代。助手席に座った俺の膝下にさっきまで弄っていたノーパソが差し置かれた。見てたのは、アクロンの記事‥‥‥?
「ーーオハイオで変死体?」
「ただ報告を待ってるだけなら狩りをしたほうがマシでしょ。それっぽい事件を見つけた」
「ハンターみたいなこと言いやがって。"被害者の一人は首を裂かれ血を抜かれており"ーーーー確かに怪しいけどアクロンだぞ? カリフォルニアからじゃ車で一日半はかかる」
西海岸から中西部、ミルズ保安官のいるペンシルベニアほどじゃないがそれでも3000kmはある。
本当にその気なのか運転する夾竹桃に確認の目を向けるがどうやら冗談のつもりはないらしい。
「交代で運転してホテルかモーテルで一日二日挟めば行けるわ」
「それは徹夜に慣れてるお前の基準だぞ」
「パイフェスやってるわよ? 42周年だって」
ホントだ、別の記事に書いてある。伝統あるパイフェスが42周年だって、めでたいね。
「へぇ、そりゃまた。化物退治のついでに寄っていくか、42年やってるパイを貪る祭典」
「パイを笑う者はパイに泣くわよ?」
「笑ってないさ、パイを浴びるのはまずい。まずいパイならもっとまずい。ちゃんと美味いパイが食えるように今から空腹にしとく」
「空腹が30時間持つ?」
「さあな、けどよく言うだろ。備えあれば嬉しいな」
ジーサード保有の会社からの依頼ってことでいつも通り武偵高には通してあるけど、借りてるこのカマロ、返す頃には走行距離が跳ね上がりそうだな。
◇
アクロンはオハイオ州の北東部にある州有数の大きな都市である。本土の端から端を狩りをしながらインパラで行ったり来たりの生活を数十年、その中には当然オハイオでの狩りもある。
「ジョディから連絡をもらってクロノスって時間の神とやりあったとき、あれもオハイオだった」
「保安官の管轄はスーフォールズでしょ?」
「ああ、でも警察無線に狩りっぽい話が入ったとかで知らせてくれたんだ。まだアレックスやクレアとも出会う前だった。ディーンが44年のシカゴにタイムスリップしててんやわんや」
「西部劇、大戦中の潜水艦、一昔前のローレンス。ここまで来ると趣味のレベルよ。他にもオハイオでの狩りなら血まみれメアリーの鏡の儀式」
「ブラッディ・メアリーと鏡か、確かにあれもオハイオだった。あれもうかなり前だぞ、たぶん十年くらい前だ。メグともまだ会ってないんじゃないか? つか、なんでそんな昔のこと知ってんだよ」
「例の本に書いてあった」
「‥‥‥やっぱ印税の一部貰っときゃ良かったかな」
無事にカマロの走行距離を大幅に費やし、ホテルで一泊、また一泊と休息を挟んで俺たちはアクロンへとやってきた。
さすがに賑やかだってのが来てすぐの感想、例のメアリーの事件があったのはトレドだった記憶だがあっちにも負けず劣らずって感じだな。どっちも人口は10万人を軽くオーバーしてるし。
「ま、ケチなチャックのことは置いといて。見ろよ夾竹桃、この賑わいこの活気、甘美な匂い。これはまさにーーカーニバルだよ」
「これが運命、なのかしら」
なんだかんだと言って頬が若干緩んでる夾竹桃は一歩先に『42周年・アクロン・パイフェス』と書かれた8mほどのエアアーチをくぐった。
奥にはキッチンカー、屋台、風船を持った子供と付き添う親子、建物の窓にはポップな字体で書かれた張り紙が至るところに、みんな楽しそうだ。
世の中色んな闇が渦巻いてるけど今この場所に限ってはまさに、平和って感じ。ただ美味いパイを食って腹を満たす、悪意も悪巧みもここにはない。
「そこで待ってるわ、私のもお願いできる?」
「はいはい、王様。ささっとお使いして来ますよ」
「先んずれば人を制す、私が場所取り役よ」
やっぱり楽しんでるな、この女。水色のベンチを陣取った夾竹桃はもう立つ気配がない。あれだ、フードコートと同じパターン。
てことで、定番のアップルパイ、チェリー、パンプキン、ホイップクリームがデカデカのキーライムパイと、スライスしたチェダーチーズとハムと卵を挟んだチーズパイーー
フルーツ系が定番だがこれが一番やばそう、チーズにハムと卵をパイって反則だろ、許されるのかそんなことが。見たら分かる、美味いやつじゃん。
「お待たせ」
「お帰りなさい、どうだった?」
「どれも美味そう、腕利き揃いってヤツ」
ベンチに戻ると、夾竹桃はどこかうわの空という感じで快晴の空をジッと見上げている。
こんなカーニバルのど真ん中で何考えてんだろう。あー、そうだな。明るくて賑やかな温かい空間にいると、ふと真面目なことを考えちまうってのは少し分かる気がする。
そう、分かる気がしたから気が付いたら隣に座りながら聞いてた。
「どうしたんだ、難しそうな顔して」
「考えてたのよ、これから先のことを」
これから先のこと、それはサード・エンゲージ?
それか今探してるレクティアの神について?
いや、そのどちらでもないと直感的に夾竹桃の顔を見るとそんな気がした。
「先のことってどんな?」
「先のことよ。日本に帰ったあとのこと、冬コミの出展のこと、卒業式が終わってあなたが日本を離れたあとのこと」
「それはまた、色々考えちまったな」
「ええ、年末にはまだあなたがいる。冬の祭典を楽しんだときにはまだ一緒にいられる。けどそのあとは‥‥‥行き着く暇なく冬は過ぎて、春が来る」
春が来る、そして卒業式。
3年の俺や神崎、バスカービルのメンバーやジャンヌにワトソンーーみんな卒業する。
神崎やワトソンが英国に戻るかはともかく俺は、本土に戻るつもりでいた。卒業式、それがタイミング的にも一番相応しいとそう思ってたから。
「引き留め作戦か?」
「失敬ね、そこまで面倒くさい女に見える?」
「いや、そういうわけじゃ」
「いくら好きでも、大切に思っていても、その人にまとわりついて生活を無茶苦茶にしたり道を塞いでしまうのは愛情でも何でもないーーディーン・ウィンチェスターのこの言葉はハンターって仕事や生き方をとてもよく表してる」
ああ、それは確かにディーンの言葉だ。
ハンターなんて仕事をやってなければ持てた家庭、一緒になれた女性と子に向けた言葉。どうしてお前が知ってるんだか。
「最後にあなたがどの道を選んでもそれがきっと正しい道になる、だから引き留め作戦はなし。今を楽しむことにした、いつかやってくる終わりに怯えたり悩むより今の一瞬を輝かせることにね」
「今この瞬間を輝かせるって?」
「ええ、その通り。今こうやって過ごしてる一瞬一瞬、この楽しく眩い瞬間を感じている限り、別れの悲しみは訪れない。瞬間は永遠に変わる、いつでもあなたといられるってこと」
眩い瞬間、それは確かに眩い微笑みだった。
それはとても悪人には、体に猛毒を抱えてるなんて思えない綺麗な笑みだった。ふいうちに笑顔を持ってくる女は心臓に悪い、美人なら特に。
理子も言ってたな。
どれだけ短い時間でも短い命でも、その一瞬が最高に充実したものなら──その瞬間は永遠になる、って。
金一さんも昔言ってた、好機の一瞬は無為な一生にも勝る。大切なのは時間、長さじゃなくてその中身。
どれだけ過ごせたかじゃなくどう過ごせたか、そういうことなのかな。
「‥‥‥いつでも一緒にか、それは‥‥‥駄目だ、こんな調子じゃいつまで経ってもフォークを取れない。膝の上でパイがずっと休憩してる」
「ま、それはそれとして」
「ああ、それはそれとして」
いい加減、両膝に乗せたままにしてるトレイのパイに意識を戻そう。あんまり蔑ろにしてやるのもこのフェスに失礼だ。夾竹桃も意図を察したらしく、横長のトレイに乗せられた一つに手を伸ばした。
「さ、食べよう。今はまずパイを食べる、難しいとこは山程待ってるがこんなときこそ体が資本、美味いものを食べて維持しとかないと」
「そうね、食べれば元気になる」
「ああ、その通り。フォークを持って、どれにする?」
「私はこれで」
「じゃあ俺は遠慮なくそのチーズの」
夾竹桃は理子や神崎も好きそうなホイップクリーム激乗せのキーライムパイ。それもそれで美味そうなんだよな、あとからもう一回貰いにいこっかな。
まあ、先にこのチーズとハムで胃袋にジャブを打ってからにしよう。あっちでドリンクサーバー見つけんだよなぁ。さ、西海岸から長旅してきた成果は、
「夾竹桃。それも美味かったらさ、あとから俺もーー」
食べに行こうと思って、るん、だけど‥‥‥
おかしい、夾竹桃に横目を向けたはずが視界が真っ白だ。何かが顔に張り付いてる。フェイスハガー? いいや違う、指を当てると何かが剥がれる、クリームだ。
なんで顔にクリームが?
‥‥‥んなこと決まってる、やられた。
バラエティー番組じゃねえんだぞ。
「こういうの一度やってみたかったの。けどこんなに上手くいくとは‥‥‥」
「食糧不足で困ってる国もあるっていうのに、勿体ないだろ‥‥‥うまっ」
鼻から頬、張り付いたクリームをプラフォークで拭うと‥‥‥甘い。でも美味い。隣で笑ってる女には勿体ない味だ。顔で受けたからにはクリームもパイも貰うからな。
「ふふっ、お陰で元気になった」
「なんで俺がトリカブトの毒を覚えてたか教えてやろうか。あとの症状がお前の手料理みたいだったからだ」
理子やジャンヌからあるだけの軽蔑を貰いそうな発言で反撃し、俺はパイにフォークを突き立てた。おい、そこのお坊ちゃんお嬢ちゃん、こっち見てバカ笑いするんじゃない!
◇
「んで、お前は臨時で協力してくれる凄腕の武偵ってことでいいのか? キンゾーの会社のことは伏せるぞ、気軽なお友だちじゃねえからな」
「風魔陽菜から聞いてるわ、子飼いの超能力者の姉妹をけしかけられたそうよ。セコンまで行けるって」
「さすがに色々人材抱えてんなぁ」
冬のオハイオはそれなりに、というか普通に寒い。
防弾制服と黒のカーディガンにさらに上から黒のコートで細身に重ね着した夾竹桃を隣に置き、俺はイエローテープが張られたドアの前にいる、綴先生くらいかな。
警察組織で見るなら全然若い女性警官にこれまで何度やったかもう覚えてない手つきでIDを振って見せる。
「ーーFBIのディークス。無線で聞いたんだけど猟奇殺人だって?」
「近頃の連邦捜査官は家宅捜索にも熱心なのね」
「ああ、何だってするよ。近頃は人事も手一杯だね、なんでも押しつけられる」
どうやら自分も思い当たる節があるといった顔で、彼女の瞳はゆっくりと俺の隣に傾いた。
「そっちの子は?」
「いつもの相棒が不在で臨時協力してもらってる武偵。えっと専門はたしか‥‥‥」
「鑑識と薬学」
「そう、鑑識と薬学」
本当のことを言ってるとはいえ、全く動じてないなこの毒使い。堂々たるもんだ。
やがて制帽を浅く動かし、俺と夾竹桃を交互に見やったあと、
「今日は捜査官の集会でもあるの? 二回も訪ねてくるなんて」
二回?
怪訝な女性警官の顔に俺も思わず眉をひそめると、見覚えのあるシルエットが二つ‥‥‥こっちに歩いてきた。長身で見覚えのある顔、すごく見覚えがある。
なるほどね、とマバタキ信号をご丁寧にくれた夾竹桃に俺も平静を装って応対する。見知った顔だよな、すごく見知った顔で逆に戸惑いそうだ。
「シンガー捜査官とクリプキー捜査官。こちらディークス捜査官とーー」
「ああ、知ってる。前にも会ったよな? 何度か一緒に仕事をした」
ああ、やった。
つか何度もやってる。向こうも内心きっとそう思ってる。
「久しぶり、シンガーと、クリプキー捜査官ですね。久しぶり。相変わらずガリバーみたいだ」
パイフェス、好きそうだとは思ったけど。まさかそれを目当てに来たんじゃねえだろうな、いや決め打ちの理由の一つかも。あり得る、この男なら。
「被害者の一人は喉を裂かれて血が抜かれてた猟奇殺人みたいよ」
「ひでぇ、まるでホラー映画の冒頭みたいだ」
それより酷いよ、ディーン。じゃなかった、えっとシンガー捜査官だっけ?
「ああ、刑事さん。お構いなく、持ち場に戻ってください、ああ、ありがとう」
さて、これでとりあえず四人になって、現場からも少し離れて周りに人は居ない。会話は聞かれない。
「なにやってんの?」
「なにやってるの?」
「なんでここにいるんだよ?」
「なんでここに?」
俺、夾竹桃の発した言葉に、
ディーン、サムの言葉が追いかけるように続く。
スーツと昔のロックスターの偽名、いつもの狩りモードのウィンチェスター兄弟とたまたま、このだだっ広い本土でたまたま遭遇した?
つまり、信じられないことに俺たちは、
全員を代弁するように夾竹桃はこれまで我慢していた煙管を手元でゆっくりと回す。なんか悟った顔してますけど。
「もしかしてだけど、同じ事件を追いかけてた?」
なんとも言えない空気が静かに流れる。
これはつまり、いつもの、
「サム、援軍が来た」
「ああ、心強いよ。すごく驚いてるけど朗報だ」
一緒に狩りをやる流れ‥‥‥?