「右に同じだよ」
下駄を鳴らし、凛とした声にジャンヌが殺気立つ。振り返ると巫女装束の白雪が朱色の鞘を抜き捨てながら歩いてきた。研磨された刀身はこの世の金属とは思えないほどに青白く澄んでいる。
「星枷?」
俺は半信半疑に返していた。さっきとはまるで違う。気迫と強い意思を感じる。近づくだけでジャンヌが殺気立つだけの重圧を浴びせやがった。
「やらせて雪平くん、ここから先は私がやるよ」
下駄の音が近づき、星枷は凛とした表情で告げる。艶やかな黒髪には、強すぎる魔力を抑える枷として括りつけられているはずの白い布がない──本気でやるつもりだ。
「ジャンヌ、あなたは私が星枷を裏切れないと思ってる。でも、自由とは自己責任。本当に大切なのは掟じゃない、大切な人の命、支えられる存在なんだよ?」
サークルの火は消えることなく檻としてジャンヌを囲んでいる。ジャンヌは無言で眼を細めただけだった。サークルの中心部で大剣を床に突いており、その柄の上に両手を重ねて、足を開き気味に立っている。来る者は拒まず、星枷を待ち構えるように沈黙している。
「いいんだな?」
「ウィンチェスターと星枷が盟約を結んでいたのは過去のことだよ。今は一介のハンターと一介の超偵」
防刃繊維の白小袖を振り、白雪はカッと下駄を打ちならし飛び上がった。ジャンヌの待ち構える炎のサークルの中に──
ウィンチェスターと星枷は一世代前の時代に盟約を結んでいる。俺のじいさん、ヘンリー・ウィンチェスターは生前に超常現象を研究する組織に属していた。超常現象の芽を刈り取るハンターとは逆の立場、例えるなら観測者だ。星の数ほどある研究対象の中には星枷が監視していた金属も含まれている。
星枷の巫女は武装巫女だ。神が作り出したこの世界に迷い込んだイレギュラー──色金を監視する者。彼女達自身が緋緋色金への抑止力。
「星枷の巫女は武装巫女。ジャンヌ、そいつは原石なんかじゃないんだよ。とっくに実力は研磨されてる。ロウィーナやパトラに近い──G17の焔の魔女だ」
無言だったジャンヌがかぶりを振った。
「──ブラフだ。G17など、この世に数人しかいない」
「あなたも感じるハズだよ。高位の超能力者なら理解してるハズ」
「だとしてもだ。お前は籠から飛び立つことはできない」
「言ったよね。いつも近くで、支えてくれる存在が本当に大切な物。籠の鳥、それでも構わないよ」
ああ、飛んでやれ。籠を開けなくても構わねえ。籠の中に大切な物があるならその籠ごと飛んでやれ。
「飛べよ、星枷。その翼が腐ってねえなら、大事な籠ごと全部かついで飛んでやれ」
頭上に掲げたイロカネアヤメが緋色に燃え盛る。炎のサークルと焔の魔女、ジャンヌには不運にも悪条件が重なることになる。超能力には相性が存在する。氷の超能力は砂礫の超能力には強いが火には弱い。戦況は星枷に追い風を立てた。イロカネアヤメを通して迸る熱気は、サークルから離れているのに肌を焼くように熱い。至近距離のジャンヌには笑い事じゃねえな。
「砂には強いんだけどね。そういうこともあるかー」
……神崎、キンジ、何してやがる。
「どうやって入った?」
「理子は泥棒ですから──堂々とゲートから、声をかけるのは忘れたかな?」
その声はごく気さくに──そう、彼女はいつだって気さくなのだ──まるでここにいるのは当たり前だと言わんばかり。背中に感じていたワルサーの重みはすぐに離れていく。騎士に紛れて泥棒まで入ってやがったか。ちくしょうめ、武偵高のセキュリティーもまるでザルだぜ。
「……何の用だ。ジャンヌダルクの援軍なら悪いが足止めするぞ?」
「あたしは戦いに来たわけじゃない。欲しいのは首から上だけだ。暇してるグリム一族の頭を借りに来た。要は相談だよ」
「あの一族とは縁も所縁もない。相談に来たなら御自慢のワルサーを下ろせよワンヘダ。俺は丸腰なんでな、フェアじゃねえだろ」
「世の中は往々にしてアンフェアな物。雪平、お前が一番分かってるだろ」
そう言い、理子がワルサーを下ろしていくのが感じられる。
「雪平、キリ、ウィンチェスター。ちまちま呼び方を変えやがって、忙しいやつだよ」
「お前も口が減らない男だよ。ワンヘダはお前だろ。抜き差しならない状況になってるけど、これでも戦う?」
「アンフェアにはアンフェアを。ハイジャックの決着を付ける気は?」
「ないよ」
俺は油断なく理子を見ながらあたりに目をくばった。神崎やキンジの気配はない。が、イロカネアヤメとデュランダルの剣戟の音は激しさを増してやがる。俺が戦いに参戦するよりは理子を参戦させないことが重要だな。反転し、俺は前に会ったときと何ら変わらない制服姿の理子を──睨んだ。鏡合わせになるように理子も俺を睨む。
「今さら武偵高に何のようだ。この世の天国とやらに向かったんじゃなかったか?」
「そんな裏切り者を見るような目で見るな。別にお前の首を貰いに来たわけじゃない」
「どうだかな、前科がある。グレーゾーンだ」
「ついてきなよ、話せば潔白だって分かる。有罪だってわかるまでは潔白でしょ?」
不用心にも背中を翻した理子の後ろを、微かに躊躇うも俺は追いかけた。どれくらい経っただろうか。フロアを一つ登った結果、剣戟は聞こえず静寂の中で俺と理子は対面している。殺風景な倉庫、理子の瞳が冷たく細められる。
「幕が近い、あたしは過去と決着をつける。今日はその為の準備にやってきた」
「話は聞いてる。無限罪のブラドだな?」
先んじて言ってやるが、理子は驚くような素振りは見せなかった。
「だったらお前も聞いてるだろ。イ・ウーでは身内の決闘を禁じてない。あたしはイ・ウーで、お前の言ってるブラドと決闘した。あいつはあたしを檻に戻すためにルーマニアから追いかけて来たんだよ」
……異常な執着だ。経験から言えばブラドには理子を手元に置きたい理由があるんだ。それもかなり重要な大きな理由だ。俺たち、人間の観点から見れば十中八九、ろくでもない理由だろうけどな。
「戦ったなら姿を見たんだな?」
「見たよ。獣のような肌で雄牛みたいな筋肉をしてる二足の化物だった。お前らハンターが呼ぶところの獣人って種だと思う」
「そういうことか。いいだろう、頭を借してやるにしても話を聞いてからだ。投書箱に投げ入れるネタがあるなら早く言え」
「人間じゃないことは確かだ。あたしはあいつの皮膚を何度もナイフで切りつけて確かな手応えを感じた。ありったけの9mmパラベラム弾、ワルサーとUZIをフルパック。それでもブラドは、殺せなかった」
「……殺せなかった?」
聞き返してやると理子は皮肉に肩をすくめる。
「あたしはブラドの心臓に風穴を空けた。頭にだって何発も撃ち込んだよ。でも死ななかった。ブラドは倒れず、次の瞬間、傷がすぐに再生を始めたんだ。何発も何発も与えた弾が傷口から摘出されたし、弾痕も見えなくなった」
「大抵の生き物は頭か心臓をやられたら死ぬ」
「ブラドが核酸を基礎にしてセントラルドグマを示しながら、タンパク質をコードする生命体ならね。代謝能力を奪われ心臓と脈拍が止まって活動を辞める。でもブラドは普通じゃない、だからコルトを探した。なんでも殺せるコルトならブラドだって殺せる……」
コルト、因果な銃だよ。俺たちはあの銃を使って黄色い目を討った。そして理子は自由になるためにコルトを欲してる。だがあの銃はもう使えない。
「コルトは使えない。修復できねえんだよ。お前には打ち明けるがコルトの弾はどうにかなった。製造方法も知ってる。だが銃本体が使い物にならねえ。熔解してやがるんだ」
「……溶解って言ったか?」
「ああ、言った。銃が溶けるくらいの熱を浴びせられたんだ。分かるだろ、そいつもブラドと同じで人間じゃない。でも倒すことはできた。ブラドだって同じさ。何か倒す方法があるはずだ。作戦ならある、諦めないって作戦がな」
「……お前が乗り気なのは意外だったよ。交渉の材料が無駄になった」
「夾竹桃から頼まれちまったからな。頭痛の種を取り除いて欲しいってよ。だが、これだけははっきりしてる。無傷で勝つのは無理だぞ。痛みを伴う、バターナイフで腎臓を切り取るような酷い痛み」
「無傷で勝てる相手なら最初から頭痛の種になってない。あたしとお前は一応敵対してる関係なんだぞ、好き好んで相談するか」
「それは言えてる」
俺とのトークにリスクを背負うわけないよな。それは言えてる、流石にそれくらいは自覚できる。
「んで、ブラドをぶちこめば神崎の母親の刑期も軽くなるのか?」
「ブラドもアリアの母親に罪を着せた一人だ。事が納まればあたしも証言台に立ってやってもいい」
なるほどな、惜しみなく手札のカードを切ってきやがる。手札を使いきってでもブラドを討ちたいらしいな。理子は神崎の母親の仇だ、キンジの兄さんの仇でもある。この会話を見咎めても文句は言えないが……
「今の言葉を忘れんなよ、世の中は往々にしてアンフェアだが不平等って奴はいつの時代も憎まれる」
「くふ、夾ちゃんが好きそうな言い回し。理子にも誇りがある、だから──した約束は守るよ」
その表情は卑怯だ。卑怯すぎる。理子の真剣な表情に俺はかぶりを振った。戦える状況じゃなくなったな。抜き差しならねえ状況だよ。
「話を戻すぜ。銃で殺せないのは分かった。他に分かることは?」
「ブラドには体に4つの目玉模様がある。数百年前、バチカンの騎士から付けられた傷が目玉模様に変化したって聞いてるよ。それがブラドの弱点、同時にその場所を攻撃すればあいつは治癒力を失う。イ・ウーのボスはそうやってブラドを倒した。魔臓──この名前に聞き覚えない?」
「……魔臓か。因果なもんだな。海を渡ってもやってることは化物退治だ」
めざとく理子が続きを促してくる。知ってるよ、そいつはある生き物だけが持ってる特殊な器官だ。
「ブラドは吸血鬼だな?」
「とても見えないけどね。多分当たってる」
「だが厄介だぞ。魔臓を持ってる吸血鬼は言わば変異種だ。通常の吸血鬼なら首を落とせば殺せるが奴等はそんなに単純じゃない」
「変異種? 吸血鬼を狩ったことが?」
「長いこと狩りをしてると色んな化物と縁が生まれる。日本には妖狐や古い化生たちが抑止力になって進行してねえが本土は吸血鬼の温床だ。アルファ・ヴァンパイアの根城なんだよ」
魔臓、理子が言い放った言葉で俺は確信を持った。ブラドは獣人、吸血鬼(ヴァンパイア)だ。普通の吸血鬼は人の姿を残して吸血鬼としての並外れた身体能力と牙を手にする。
だが理子の話に出てくるブラドの容姿は人の姿がどこかに行ってる。人とは異なる種族、そう言われた方が合点が行く。魔臓と呼ばれる器官を持った吸血鬼の話、俺も兄貴も信じてなかったけどな。笑えない土産話ができそうだ。
「アルファ──最初の、一番目か?」
いつもながら、本当にこの子は聡い。
「御名答。アルファは怪物の始祖、一番最初に生まれた怪物だ。種族の原点にして最も強力とされる個体」
「親玉か?」
「ああ、俺たち人間で言えばカインやアベルってところだがな。全ての化物を生み落とした怪物たちの母、俺たちはマザーやイヴって呼んでたがアルファ種はマザーに次ぐファーストジェネレーション。種のピラミッドに立つ頂点」
吸血鬼は群れを作り、ピラミッド形式で階級が別けられる怪物だ。したっぱ、群れのリーダー、そして頂点に位置するアルファは吸血鬼から父と呼ばれていた。蟻、蜂なんかの社会性昆虫に奴等は似てる。繁殖の方法はまるで違うが。
「この世界はいつから怪物であふれ返ってる?」
「神様がリヴァイアサンって食欲旺盛な怪物を作っちまったときからだよ」
「……それもお得意のジョークか?」
「知らぬが仏ってやつ」
理子は苦い顔でかぶりを振った。分かるよ、どこまでが嘘か真実か分からなくなるんだろ。俺も狩りのお陰でホラー映画が恐くなくなった。
「アルファヴァンパイアは怪物にしては柔軟なやつでな。長く生きてるのもあるんだが、種が滅亡することを一番恐れて繁栄を求めてやがった。話し合いの席くらいは用意できるやつだったよ。リヴァイア……ある怪物を狩るときに利害が一致して協力を結んだことがあってな。魔臓の話もそこで聞いた」
「お前の知り合いは怪物ばかりだな。今度夾ちゃんに想い出話でもしてやれ。あいつはその手の話が好きだ」
「よせよ、これ以上嫌われたくない。アルファは自分の子供……要は他の吸血鬼と超能力でやりとりできる。吸血鬼の深層意識にアルファの意識がリンクしてるんだと。だからアルファが近くにやってくると群れは活発に騒ぎ立つ。単身赴任の父親の帰宅に気づくんだ。パーティーのために大量の血液パックを用意しやがる、自家製でな」
理子は続けろと目で促してきた。俺は一息、間を置いてから話を続ける。
「だが例外がいた。一体だけアルファがリンクできない特殊な個体がいたんだ。その吸血鬼は一族を離れ、吸血鬼としての遺伝子を改良しながら生きてる。曰く、普通の吸血鬼と違って、清められた武器で首を跳ねても殺せない。倒すには体のどこかにある器官を壊すしかない」
「その吸血鬼がブラド、話にある器官が魔臓か」
「決闘したお前が一番知ってるだろ。小物とは根本的に違う」
かぶりを振った俺は返された言葉に耳を疑うことになる。
「でも、お前なら?」
『痛みを伴う、バターナイフで腎臓を切り取るような酷い痛み』S4、10、アンナ──