「CIAの副長官にコネがあるモリアーティ教授のお客様にアポなし突撃か、楽しくなってきた。俺たちにもいないかな、グレンジャー副局長やハンリー長官みたいな正しく心強い後ろ盾」
「無理ね。言ってみればアウトローのアベンジャーズだもの、私たち。いっそのことモロッコにでも飛んじゃう?」
「それもいいかもな。何かあっても送還されない国に」
「アナエルは嫌がるでしょうね」
「逃亡生活、ブランド物を買い漁るのとは無縁の暮らしだ。アナの場合はよくて3日、不満が爆発するだろうな」
やばくなったら一緒に高飛び、プランBとしてはそこそこマシかも。モリアーティー教授が絡んでるならこの先どんな混沌とした未来が待っててもおかしくなくない。
ロウィーナが突き止めてくれたリービアーザンのいるホテルはカリブロのビーチにほぼ面したような海沿いにある。
数年前、ロックスターに取り憑いたルシファーとやりあったのもLA──のとき、シークレットライブに向かうときの足取りは重いなんてもんじゃなかったが、今の俺の足取りもあのときとなかなかいい勝負してる。
(さすがにルシファーよりは話の分かる相手だろうけど。あれと比べたら誰でもそうか)
あれこそ神が作り出した最古の殺人マシーンだ。
ウィンチェスター兄弟とカスティエルの満場一致でな。
「聞いてもいいかな、大将」
「なんだよ、アーサー王。あらたまって」
「私の記憶によれば、君はアナエルのことを天使たちの物欲を丸々引き受けた欲深いブランドオタクと言っていた。それがいつから『アナ』なんて親しみのある名前で呼ぶようになったんだ?」
「彼女の買い物を手伝ってドライブしたときに。ミカエルとディーンの行方を捜してるときに色々あったんだよ。緋緋神の件で世話になっちまったし、出会ったときよりはたしかに仲良くなれてるかもな。一緒にバスケや野球の試合も見に行けたかも」
ドライブ中に横から天使の剣をぶっ刺されない程度には仲良くなれてる。最初の火花を紐で結んでた頃に比べたらすごい進歩だ。
マルベリーシルクのコートを埃だらけにしてやろうかって言ってた頃からほんと、変わったよ。
「俺の方からもいいか。そのDCの連邦捜査官みたいなスーツはなんとかならなかったのか? LAでは黒いTシャツとビーチサンダルが正装」
「ははっ、こんな言葉を知ってるかな。良い着こなしは良い態度を生む」
「姑息な手を。偉大な人だ、そこを突かれたら反論できん」
「婦人服もいいわよ」と、歩きながら夾竹桃も加わってくる。お前は防弾制服と黒セーラーの印象が強すぎるけどな。
強すぎるからたまに見れる私服が新鮮で、凶器みたいに似合って見えるんだが。
「いいかしら。ところで作戦は? なんであれバケーションに来てるところをアポなしで飛び込んで領地拡大を狙う相手に釘を刺す。歓迎されるとは思えない」
「まあな、それは織り込み済み。いつも通り、うまいこといい方向に舵を戻す。クラーケンに捕まらないように」
「あなたの舵取りはどうにも不安が残る、航海士に期待しておく。沈まないようにね」
と、ロウィーナのシャドウが目立つ瞳は俺を通り過ぎて夾竹桃に‥‥‥航海士?
「夾竹桃が航海士? スコットランド系のジョークかなんかか? 今のはデタラメだろ」
「いいえ、ホント」
「ああ、私の出番ね──Dying is the day worth living for──死ぬ日の為に我々は生きる」
「そもそもお前は海ダメだろ。川でさえ俺の首にしがみついてたのに」
「バカね、離してたら5秒で死んでたわ」
「いや、死んでないから」
「キリエル、人のすべてを知ったと思ってはダメ。それが身近な人間でもね」
「とてもいい言葉だわ。胸にジーンと来た」
意外な援護射撃を貰って感銘を受けたのか夾竹桃の目が演技臭いまでに大き開く。
年に数回真面目なことを言うロウィーナがここで出ちまったか、確かにその言葉は深い。
けど航海士も甲板長も世界で一番似合わない女だ、間違いない。
とにかくいつも通りだ。やばいときは即興でなんとかする。嘘か誠か、キンジによればレクテイアの神は核兵器に匹敵する力を持った化物みたいだしな。歩く原水なんて笑えもしない。
「しかし、君はもう少しサムを見習って4Kを心がけるべきかもしれないな」
「なんだよ、4Kって‥‥‥」
「この国の多くの刑務官たちが持つ心構えだ。きちんと計画、危険を回避。略して4K」
‥‥‥それは素晴らしき心構えで。
だが緻密にプランを組み立てても大天使級のモンスターは一息で台無しにしてくれる。
ふと今度は夾竹桃がその目をロウィーナへと向けた。さっきとは逆に。
「聞いても?」
「あら、なにかしら」
「神と取引して複数の命をもらう。彼のように力や恩恵を求めて取引する魔女や獣人も他にいるんじゃないかしら」
………なるほど。
確かに神というのも色々だ。チャックはリービアーザンが一番話が分かるって言ってたように会話が成立するやつ成立しないやつ、交渉の余地があるやつ、そうでないやつもいるだろう。
「たしかに魔女にもそれぞれ。たとえばあなたたちの知る串刺し公の娘はこの大移動に噛みついたらしいけど、そうでない魔女もいる。来るものを受け入れ、それを取り込んで力にしようとする野心家か破滅願望かそんな魔女もね」
「君はどっちなんだ、ロウィーナ。探究心と自分をより高みに導こうとする向上心」
「私も力を求めることは否定しない。まじないを探究するのも魔女にとっては当たり前のこと、ライフワークと言ってもいい。だけどぉ……」
踏みとどまるように、ロウィーナが赤いルージュを塗った唇を閉じる。そして、また何事もなかったかのように話し始めた。
「私もファーガスも、あなたたち兄弟もカスティエルでさえ真っ白な道を歩んできたとは言えない」
「色んな人を巻き込んじまった、もっといい終わり方にできたんじゃないかってことは山ほどあるし、救えたんじゃないかって人は………何人いるんだろ。今でも思い返す」
「でもあなたは大勢の命を救った、自分のできない白いフェンスに住んでる顔も知らない誰かのために今も首を賭け続けてる。私は違う──ひどいことをしてきた。自分に言い聞かせたわ、権力を得るためには仕方がないと」
赤いドレスを揺らし、まるで顔を見せないようにと俺たちの数歩先をロウィーナは歩き、太陽の下に細い背中を見せていく。
「でも一番強いはずの「神」と彼の「姉さん」が兄弟喧嘩で無駄に力を使ってるのを見た。あの二人でさえ、幸せになれないなら力を追い求めても………意味がないのを悟った」
………急に馬鹿馬鹿しくなったわけか。
アマラとチャックの迷惑極まりない兄弟喧嘩、あんなもん見たらそれまでの考えが変わるのも、俺は魔女じゃないがなんとなく分かる。
気の遠くなる年月を生き、息子も孫も失ってしまったロウィーナにとって幸せは──もう力を手に入れるとか、そういう話ではなくなっちまったんだろう。
「幸せとは、人によって変わるものだ。しかし、であれば私たちのような者にとっての幸せとは、どういうものなんだろうな」
呟いたケッチの言葉に、誰も適当な答えは言えなくて。まるで空にとけていく。
さあな。幸せってのは実のところ──ああ、どういうものなんだろうな。
「分からないから探し求める──誰もが
そのとき、俺が見た夾竹桃の顔は。
今までに見たなかで、一番優しい横顔だった。
それなりに一緒にいたつもりでいて、初めて見るそんな顔。
「人生はままならん」
それはなんともドラマチックだ。地獄の火に焼かれる数千倍は歓迎したいね。
◇
ロウィーナが先導してくれた場所。
高級ホテルって言うより、それは俺にとって縁のある壁がひび割れ埃っぽい安っぽいのモーテルに近かった。人口500万をゆうに超えるLAだが何も高級ホテルだけが跋扈してるわけじゃない。
むしろ俺みたいなハンターやバックパッカーはくたびれたモーテルの方が親近感が湧くだろう。
こっちも使い古されてるような材質や年季の入ったシミやら傷みを隠せていない床を踏んでロビーに………建物の中に入った途端、俺たちはすぐに足を止めた。
「嘘だろ‥‥‥」
勘弁してほしい、お決まりの言葉が踏み込んだ第一声としては最悪な形でこぼれる。
突然だがロキという神がいる。
北欧神話を語る上で欠かすことのできないトリックスター。『嘘』『裏切り』『欺き』の代名詞とも呼べる二枚舌の神だ。
異教の神のなかでも特に力を持ってるロキは、安っぽいモーテルの部屋を自分好みの五つ星ホテルのスイートルームに変えるのがお決まりだった。
そう、恐ろしいことにロキは空間を自分好みの箱庭のように作り替えることができた。
外から見ればあちこちガタが来てそうなオンボロモーテル。数歩前までは床が悲鳴を上げてるみたいに軋んで、築何年だって言葉を抑えるのに必死だったってのに‥‥‥
「手の込んだトリックか‥‥‥これじゃあビバヒルのお嬢様御用達ホテルだぜ」
本の表紙と同じで外見だけじゃ分からない。にしてもこれは異様すぎる。改築、改装もやむなしって外観と踏み入った中の光景が違いすぎる。
見下ろすような大きなシャンデリア、白を基調として作られたエントランスロビー。敷き詰めたような大理石の床と高い天井が出迎えてくれる。
ボロ建築のモーテルなんてものじゃない、完全にラグジュアリーホテルの受付だ。
それに外から見たのと、中の広がってる空間の広さが明らかに伴ってない。完全に別空間だ。
そして一緒に入ったはずの夾竹桃、ロウィーナ、ケッチの姿がいつの間にか消えてる。間違いなく一緒に入ったはずなのに声も姿もない、これもロキの泊まってるモーテルに押し入ったときと同じだ。一緒にいたのに気が付いたらみんなバラバラになってる。
‥‥‥高級ホテルが不気味な洋館に見えてくるぜ。
人の気配はない、当然のように本来はスタッフが置かれているはずのカウンターも無人。完全にもぬけの殻。
が、まるで机に落書きするような気軽さで大理石に模様が刻まれていた。見覚えがある、まるでネタバレを食らった気分だ、ハッキリとしたぜ。
「──オルドー・マレフィカルム。魔女だな」
ゴシック系とかゴスロリとか、そっち系のマークとも受け取れそうだが実際には魔女が体に刻む。同じ模様を首に刻んでる魔女を何人か見た。
どうやらリヴィアーザンには早速魔女のファンができたらしいな。このホテルがまじないの小細工だとしたら腕利きだ。ルビーの師匠のアスタなんとかが生きてたら喜んでスカウトしに来ただろうに。
生憎とあの女もリリスもヤツの調理係も、今やみんな揃って仲良く虚無でお休み中だが。
さてこれで相手の陣営に魔女がいるってのほぼ確定しちまったわけだが‥‥‥
こっちは強力な魔女の助っ人を開始早々になくしちまった。踏み込んでいきなり串刺しの落とし穴にハメられた気分だ。ボビーの言葉を借りるよ、ちくしょうめ。
(‥‥‥‥対魔女用の弾丸は俺もケッチも持ってる。仲間とはぐれて死地に残されるのはある意味いつも通りの連中だし、俺も好きに動くか)
そもそも一人で行動が常だったロウィーナ、ケッチも孤立無援で天使の軍隊のど真ん中に置き去りにされたばっかだし、夾竹桃も我が家と関わるようになってからこういう楽しくない状況とも鉢合わせてる。
孤立してんのは俺も同じだ、心配するならあの連中よりも自分の心配しよ。
殺そうとしてもあの三人は簡単にくたばらない。
ケッチは母さんに心臓を撃たれ、ロウィーナはルシファーに首を折られて黒焦げにされ、夾竹桃は先端科学兵装の刃に切られたが──全員あの有り様だ、死人には程遠い。
「フロントさん、先行くぜ」
もぬけの殻の受付に言葉を残し、先を進む。
空調のせいか、それともこの空間自体がそういものなのかフロアは全体的に涼しく、西海岸の冬にしてはむしろ冷たいくらいの温度が保たれてる。
もぬけの殻だけに静か──そう思っていた矢先のことだ。なにか、なにか音が聞こえてくる。
音、音だ──弦鳴楽器、弦を揺らす音。店内の有線とかスピーカーを通したりそんなタイプじゃない。奏者がその手で紡ぎ、音を伝える完全な生の旋律。
‥‥‥綺麗だ。
聞いたこともないし、どんなジャンルかも分からねえがあまりに、綺麗で、ずっと聴いていたくなるほど敵地と忘れてしまいそうなほどに心が澄んで、落ち着いてしまう。
俺もギターとベースには少し触れてるがあるがおそらくこれはハープ、だな。過去にルビーが披露してくれたでっかいグランドハープほど音域は広くない。
もう一回り小さい、狭い音域で構成されてる。
かといって、音域の狭さなど気にならないのはひとえにこの奏者の腕だ。数オクターブ分の表現の狭さなど帳消しにして余りある、腕だ。
ハープの奏法なんて学びもしてないが生の旋律でこんな‥‥‥耳から頭の奥にまで音が届いてくる。
どこかの伝統音楽、か? 雑に音をそれっぽく並べたとは到底思えない。
時折くぐもるような音の変化、どういう奏法をしてんのは分らねえが、これは音楽としてちゃんと物語を持ってる。ハープの柔らかな音色を殺さず、一つの音楽として成り立ってる。
「こりゃジャンヌのピアノといい勝負だぜ‥‥‥」
到底聞こえていないであろう、見知らぬ誰かに今は素直に敬意を送る。送るしかない、これを聞かされたら。
ジャンヌのピアノも音響機器を使ってないとは思えない音を聞かせてくれる──正直に言えば俺は‥‥‥‥ジャンヌの奏でるピアノに張り合える相手がいるとは思わなかった。
はっ、理子やヒルダあたりに「危機感が削られてる」って言われても言い返せねえな。
音響機器を通していないとは思えない、くっきりと明瞭とした旋律は‥‥‥転調、した?
俺の称賛、感嘆を察したようなタイミングで。
まるで、招いてるみたいだな。いや、そうとしか思えない。ちゃんと目の前で感想を聞かせろってそう言ってるみたいだ。
さっきよりやや軽快になった足取りで、聞こえてくる音の道標を辿るように俺はホテルをなかに進んでいく。
先生いわく、いい建築家になれば初めて入る建物でも設計上の観点からサーバールームなんかの場所を地図無しで推理できるらしい。
俺は建築家じゃなくハンターだが俺が思うにチャックは海の神と呼び、ここは海を隣に置いた港町のサンペドロ。こんなホテルで出迎えてくれるとしたら──水に関係のある場所だと思わないか。
たとえばそう、ドラマの殺人現場や部屋から捜査官や警察が度々飛び降りるシーンがよくある、屋外のプライベートプール。
いや、今回は屋内だったか。快晴の空をガラス張りの天窓が遮った広々としたプールに
スイレン、極楽鳥花、ガーベラ、薔薇、カモミール──
幾多の花が漂い、まるで大きな浴槽となってしまったプールにただ一人。
ピンクと水色のツートーンカラーの髪を濡らし、色とりどりの花で飾られた水面に腰から上だけを覗かせ、その周りには赤と青の‥‥‥熱帯魚が、まるで腰周りを回るように花弁と共に泳いでる。
ぽろん、ぽろん‥‥‥と、ハープを奏でるその手、指先は水鳥のような水かきがついていて、まるで童話のなかの一コマのようなその光景はとても綺麗で、美しかった。
夾竹桃や理子、ジャンヌやワトソンならきっと俺以上に心も目も奪われていたはずだ。
絵本に夢中になる子供が一度は見てみたいと、夢見るようなそんな景色。
「‥‥‥‥」
とても褒められたものじゃないが、頭のなかの何もかもを忘れさせてくれるほどの、幻想的な景色だった。
ここが魔女の作ったプライベートプールだなんてことも忘れて、どこかの湖やほとりなんじゃないかって脳が勝手に勘違いを起こすほどに、きっと彼女自身も常識からかけ離れているから拍車をかけたんだろう。
その姿も、存在も。
側頭部に耳のようについた小さなヒレ、にやっ──と尖った歯を覗かせて悪戯に彼女は、俺の到着を待っていたかのように笑う。
ようやくか、まるでそう言いたげに笑みと指先が弦を撫でる。
そのとき僅かに覗いた腰から下には‥‥‥はっ、ついにここまで来たか。
嘘だろ、ありえない、冗談でしょ──と、かぶりを振りたくなる言葉が湧いて止まらない。
彼女の腰から下には人の肌がない、あるのは魚のような煌びやかな尾。上半身は人、下半身は魚──童話のワンシーンみたいとは言ったがマジの人魚だったとはなぁ‥‥‥
「クヴェリアス、イーリシァナ、フェリガナナス、ローロ──リービアーザン」
そして、自分から名乗ってくれた。
これで間違いようがない、目の前にいる彼女が俺たちの探し求めていた相手──レクテイアの神、海神リービアーザンだと。
ああ、ったく──俺もディーンもいないのはゴジラとモスラとは言ったけどよ。
まさかついに人魚とご対面か。
いや、サムの妖精のお友達サリーの、そのまたお友達に人魚の子もいたな。ガキの頃の俺にはサムと違って彼らが見えなかったから──一瞬忘れそうになったよ。
色んな感情が波のように一度に纏まって押し寄せ、とりあえずこう言っとく。いつものやつ。
「────お次はなんだ?」