哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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死が分かつまで

 

 

『ああ、本当だ。異世界レクテイアから返ってきた魔女連隊の創設メンバー、連中のレジェンド『ラプンツェル大佐』は魔女連隊を辞めて第二の人生はそっちで花屋をやるってさ、見た目は中学生らしいけどな』

 

『第二次大戦から生きてるんだろ? 普通は中学生じゃなくてお祖母ちゃんだ』

 

『アーロン、見た目と年齢がつりあってないヤツなんて大勢いる。特に俺たちの世界では別に珍しくもなんともない、むしろそこいらにウロウロしてる』

 

『だね。それで、魔女連隊は知ってる? 一瞬とはいえ、舞い戻ってきたボスの首を君らがふっとばしたことを』

 

 携帯電話のむこうから聞こえてくる言葉だが椅子から腰が浮きそうになった。

 そこでスムーズに続いて会話に待ったをかける、俺から。

 原因は言わずもがな、ディーンが言いふらしてる例のアレだ。

 

『⋯⋯⋯そのダークなたとえはやめてくれ。今の魔女連隊は大佐がいた時代と違って信奉者の集まりってよりもはぐれものの魔女が徒党を組んだ傭兵集団だ。かつて掲げられたイデオロギーに命を投げる殉教者みたいなのはもう一人もいない。残ってるのは大義より目先の欲求に溺れるステレオタイプの魔女だけ。トゥーレやスタイン一族に比べたら全然まともだよ、できれば二度と会いたくないけど』

 

 カツェみたいな典型的なアウトローな女と謎にソリが合うキンジと違って、俺は上役のイヴィリタを含めてあの舞台とはうまくやれる気がしない。

 

 あっちもいつスティンガーを撃ち込んでやろうかって眼で俺を見てくるだろうよ。いや、カツェの場合はそもそも殺傷力満点の自前のウォーターカッターがあったか。

 

『君の話を聞いてるとまるでグレた魔女たちの不良グループみたいだよ』

 

『まさに。だが厄介なのは傍迷惑な嘘や違法なダウンロードではしゃいでる小悪党じゃなくてマシンガンや戦車をぶっ放すようなお祭り好きな連中ってことさ。稼いだポケットマネーで戦車を買ったんだと。魔女の考えることは謎だ』

 

『⋯⋯⋯待った、そこストップ。ガレージに戦車を抱えてるのか? 全然マトモじゃない』

 

『でも連中ほど倫理観はイカれてない。それだけでまだマトモだよ、スタイン一族はその5倍は頭のネジがヤラレてた』

 

 魔女連隊は確かにやばいがトゥーレとスタイン一家はそれ以上に愚かでやばい連中の集まり。特に後者はマジモンのモンスターだ。

 呪われしものを所有していた、スタイン一族。いろんな意味で奴等は終わってる。頭もそれ以外も。

 

『てことで色々と騒ぎ立てて悪かったな、けど元気そうでよかったよ』

 

『いいよ、僕らの周りはいつ賑やかだ。でも頼めるなら謝罪よりアイデアをくれないかな。母さんの怒りを鎮める方法を探してる』

 

 

 ふと、少し参ったような声色が差し込まれる。

 額に手を当てているような。

 

 

『まだ内戦中なのか?』

 

『勝手に大学を中退したわけだからね、それも理由は言ってない。たまに全部打ち明けたくなるけどね。でもじいちゃんのやり残したことだ、後悔はない』

  

 ⋯⋯⋯そっか。

 お爺さんはトゥーレと戦い続け、最後は連中の重大な秘密を掴んだあとに命を落とした。

 

『ああ、きっと誇りに思ってるよ。お爺さんはヒーローだ、お前と同じだな』

 

 老齢になろうと最後の瞬間まで戦い続けたんだ、誰にでもできることじゃない。それまでの日常を捨て、覚悟を決めた今のお前と一緒で。

 

『キリ、口説きの腕が高級ワイン並みに熟成してきたんじゃない?』

 

『ああ、そりゃまた美しい褒め方だな。誰かにパクられる前にゴーレムに頼んでメモしたほうがいい』

 

『君もパクっていいよ。バーじゃ重宝するだろうから。じゃあまた、良き一日を』

 

『君とゴーレムも』

 

 

 いい日と悪い日。ハンターの人生では一体どっちのほうが多いんだろう。後者か?

 

 けど俺は武偵とのダブルワークだ。それなら武偵はどうなんだ?

 使い込んだ銃のように画面は傷だらけ、黒い塗装も剥がれが目立つ携帯電話を折りたたみテーブルへ。

 

 

 

 ニューオーリンズから舞い戻ったLAのお高いホテルの天井を椅子のまま仰ぐと、視界に影が差し込んだ。

 

 目には毒な端正な顔。その手には瓶コーラが二人分。差し出された一つに手を伸ばす。冷たっ。

 

「ありがとう」

 

「電話? 誰と話してたの?」

 

「ドイツの友達。ゴーレムと一緒にトゥーレの残党とやりあってる彼。前に話したよな、アーロンだ。58年頃の賢人と同盟関係にあった組織の跡継ぎ、俺たちと同じで役目を引き継いだ」

 

「ユダヤの旗手、覚えてるわ。戒律を破って豚肉を食べたエピソードは5回は聞いた」

 

 一足先に、手袋をしていない白い手で夾竹桃は炭酸に手を付けた。⋯⋯⋯覚えてるのそこかよ、確かにインパクトはあるパートだな。

 隣の椅子にそのまま腰を下ろした夾竹桃と、そのままどちとらともなく鏡合わせに動いた手と、からんと瓶と瓶はぶつかって心地よく音を立てた。

 

「ルーファスも、あの安息王子も日曜日なのに普通に車を運転してた。戒律なのか心得なのか、ちょっと怪しくなるよ。でもルーファスと同じで彼もタフだった。数年前まではただの大学生だったのに今じゃ協会は彼と彼が受け継いだゴーレムのせいでグチャグチャにされてる、いい気味」

 

「世界征服を企むネクロマンサーの組織が彼のおかげで抑えられてる。けれど、道行く誰もそんなこと知らないで、誰も気付くことなく生活してる。貴方と同じね。影に生き、影に消えるーー大切な人と知らない他の誰かのフェンスに囲まれた小さな言い合いができる日常を守るために」

 

 綺麗な瞳が向けられて、その毒から逃げるように数秒呪縛された視線を目の前の透明な瓶へ落とす。

 

「損な人生だと思うか?」 

 

 言ってどうなるものでも、なにか聞いてどうなるものでもないのに自然と言葉が漏れる。朝の会話にしてはたぶんそぐわない、楽しいタイプのもんではないのだろう。

 

「損な人生だから私がコルトを奪いに馳せ参じた。だから私は貴方の損な人生に感謝してる、出会いをくれたことに

 

 だけど律儀に彼女は答えをくれる。

 律儀なのだ、いつだって夾竹桃は。

 

「⋯⋯⋯お可愛い答えで」

 

「あら、ご所望はユソウボクみたいなお堅い答えだった?」

 

「まさか、世界で最も堅い木だぞ。戦争中プロペラピンの素材に使われて絶滅しかけた」

 

「植物に詳しいのね」

 

「専門分野のお前には遠く及ばないよ。広く浅く、とりあえず無知より付け焼き刃にしておきたい性分だったのかな」

 

 気休めでも、浅くても何かしら触れておきたい性分だったのかな。引き出しを作る、っていうか。

 炭酸で喉を塞いでる合間、少し考えてみる。

 

「それはどうかしら」

 

 だが、それも数秒足らず。なんというかお決まりの言葉で得意気な顔がこっちを向いていた。とりあえず炭酸を飲み込んで、続く言葉を待ってみる。

 

「専門職より万能型を目指すなんて雪平切らしくない。尖って尖りまくりのピーキーでピーキーなのが雪平切、万能型には程遠いでしょうに」 

 

「辛口な専門分析をどうも。俺だけかもな。出会ったその日に毒を盛ってきた女を好きになるなんて」

 

 いつも通り、ノーガードの殴り合い。

 一年経とうと結局、俺たちは昨日と同じことをやってる。そこにとっても、安心する。 

 

 夾竹桃はどうか知らないけど今でもこうやって、一緒にリクライニングチェアでくつろいでるなら満更でもないんだろ。

 不意に目が合うと、その瞳は挑発的に猫のように歪む。異名は蠍なのにな。

  

「試してみる? 異常な状況下で結ばれた男女は長続きしないそうよ」

 

 極限状態で結ばれた恋は長続きしない。

 懐かしの爆弾乗っけたバスジャックのときに武藤とも話してた話題が、まさかここで浮上するとは。

 

 

「じゃあ、いっそのこと目標でも立ててみるか? いつまで続けられるか」

 

「そうねぇ⋯⋯⋯ーー死が分かつまで?」

 

 ⋯⋯⋯

 首をかしげて、下から挑発的な双眸が覗いてくる。

 死が分かつまで、ね⋯⋯⋯

 

 

「死の騎士がやってくるまで、か。だったらそれまで仲良くやろう、夾竹桃。いいときも悪いときも」

 

「いかなる時も」

 

「いかなる時も」

 

「死が分かつまで、私たちは仲良くやる。ここに誓うわ、できる限りだけど」

 

「ああ、できる限りで。昨日よりも明日を信じて今日もなんとか生きていこう、二人で仲良く」

 

 なんだろう、勢いで言ったけど。

 そう、なんか今のは⋯⋯⋯お互い退けなくなって至近距離でやりあったような、そんな気がする。

 勢い⋯⋯⋯勢い、かな。

 

「世界の終わりが定期的にやってくる世の中だけど」

 

「もう慣れたよ。一つの行動で全てが決まるわけじゃない。人生は選択の連続の結果だ。だから俺は、これが損な人生だとしても後悔していない。敷かれたレールと回し車を回すだけの人生だとしてもジョーに、クレアに、そしてお前にーーたくさんの大切な人に出会えた」

 

 いや、勢いで言ったとしても嘘はない。

 正直者とは縁遠いけど、嘘はない。

 

「だから俺も、お前と出会えた損な人生に感謝してる。嘘偽りなく、わりと毎日楽しいし」

 

 そう、近頃は特に。

 

「ふっ」

 

「なんだよ、おかしなところあったか?」

 

「いいえ、驚いただけ。知らないうちに口説きの腕が上がってることに」

 

「そっか、それさっきも言われた」

 

 西海岸気分がまだ抜けてないのかも。

 LAではみんなストレートに言うのが流行ってるみたいだからな。

 

 しかし、本当に、ああ本当に⋯⋯俺もお前も西海岸の熱気にやられてんのかもなぁ。

 

 思い出すのはさっきの言葉。

 いいときも悪いときも、いかなるときも、死が分かつまで仲良くなんとやらって。

 

 そんなのはまるでーー

 

 

「サミュエルの爺さんが裏切る前に言ってた。人生で唯一の保証はいつか終わること」

 

「残念だけど今のは教科書の格言に採用されない。ダークすぎて没」

 

「ああ、だよな。実は俺もそう思ってた。なんか代わりにくれる? 感動的な言葉、今週一番感動できるやつ」

 

「いきなり難題を振るのね、今に始まったことじゃないけど」

 

「できるだろ、なかなかお利口な夾竹桃先生なら。お手並み拝見だね」

 

 「ん⋯⋯⋯」と、一度声を漏らして合間を作ると夾竹桃は座ったまま、白い天井を仰いだ。つられて俺も真上に視線を向けるが隙を突いたように明瞭な声が耳に入って来る。

 

「私たち、出会ってからあれこれ二人で経験したでしょ。ドラゴン相手に狩りをしたり、幽霊に追われて橋から飛び降りたり、異世界にも行ったし、間違ってカップルセラピーも受けた」

 

「最後の以外普通じゃないよな。たった一年ちょっとってのが信じられないボリュームだ」

 

「そうよね、一年にしてはお互い相手のことをよく知ってる。知ることができた。それで⋯⋯⋯そう、そうなんだけど⋯⋯難しいわね⋯⋯⋯」

 

 珍しく、それは珍しく言い淀んだ彼女に思わず目を開いてしまう。なんというかそれは、すごくレアだったから。

 

「いいよ、ゆっくりで。無茶なフリをやった俺が言うのもなんだが」

 

「ありがとう。素直に言うと日本を経つときは、あやふやだったの。私が本当に望んでること。貴方に帰ってほしくない、来年もずっと日本にいればいいーーそれしか考えられなかった」

 

「今は違うのか? 俺は結構そこまで想ってもらえるのは嬉しかったんだけど」

 

「ええ、残念だけど少し変わったわ。というか本質に気付けた、私はーー」

 

 何を望むんだろう。

 正直、そう思われてしまえばずっと、ずっと日本にいてもいいかもしれないって思うほどに、俺も離れがたくなってる。

 もう決めたことを、今になって曲げるなんて最低な、愚かなことをしてでも一緒にいたいって思えるくらい。俺は⋯⋯

 

「いいよ、ちゃんと聞いてる」

 

「忘れっぽいから少し心配。忘れたらナイリクタイパンの毒よ」

 

「大丈夫、ちゃんと覚えとく。そこまで言い淀んでるお前もレアだから。それにナイリクタイパンの毒は死ぬほど怖い」

 

「外国人はみんな、オーストラリアの野生動物を怖がるわよね」

 

「それはどんな動物かによる」

 

「どんな生き物かに?」

 

「ああ、ナイリクタイパンとガラガラヘビは駄目」

 

「だったら蠍は?」

 

「大きいのなら考える、でも小さいのはちょっと考えるかな」

 

「毒が強いから?」

 

「それはまあ、そうなのかな。なんかお前の隣で小さい蠍が苦手って言うのはすごく悩ましい」

 

「弱いところを刺しちゃった?」

 

「うん。グッサリと」

 

 そうやってやんわりと、俺は誤魔化すように笑ってしまう。

 キンジがときたま素直になって甘える神崎のことを『武偵でも辞めて声優にでもなっちまえ』って言ってたけど、俺も今同じことを考えてる。

 

 きっと人生経験も豊富で、色んなことを体験して山程の引き出しを持ってる夾竹桃はいい役者に、いい表現者になるだろうにさ。

 

「さっきの続き、聞いてもいいか? 本当に望んでることって何だったんだ?」

 

 

 何が飛び出しても驚かない。

 でも俺はお前から色んなものを貰って、だからできるならお前の望むものをあげたいとか、そんなこと思ってて。

 

 恐ろしく、後片付けをしたあとみたいに頭のなかは空っぽだった。ただこれから、次に聞くことになる言葉以外は何もいらないってばかりに頭のなかはクリアで落ち着いてた。

 

 

 

 

「ーー普通になりたい。貴方にとっての普通に」

 

 

 そんなのただのハリボテだったのにな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「⋯⋯⋯夾竹桃?」

 

 

 まっすぐに向けられた紫の瞳に、一瞬でクリアだった頭はグチャグチャにされた。

 だから俺は、その淀みのない瞳にも馬鹿みたいな顔で驚いてしまって。何も言えなかった。 

 

 

「貴方がずっと望んで、けどいつしか割り切って諦めてしまった普通の人生よ。仕事をして、帰ったら夕食を作って、テレビを見て、そんな誰もがしてる普通の日常」

 

 淀みのない瞳、凛とした声。

 それに何よりこういう場面で嘘を言うような女じゃないって知ってる。だからこれは、全部真実で嘘偽りないクリアな言葉だって分かる。

 

「回し車の人生、敷かれたレール、非日常が常に貴方の背中にまとわりついてしまうならーー私は、貴方にとっての普通でありたい」

 

 でもそれが、本当にお前の望みだって言うのなら俺は、なんて返せばいいんだろう。

 望むものをあげたい、そんな独りよがりな考えをしてた俺はどう答えればいいんだ。

 

 ありえないほど、ありえないほど悪党が向いてないだろうがお馬鹿⋯⋯⋯

 

「⋯⋯⋯抽象的ね。あ、そうだ。あと2分待ってくれたら言葉をまとめてーー」

 

「待て、おい待てッ! もういい。夾竹桃、十分伝わってる。十分すぎる、分かってるから! それ以上言わせたら俺はホントに駄目なヤツになる」

 

 自己嫌悪で耐えられなくて声を上げる。

 気付けば椅子から立ち上がって制止をかけてた。

 座ってる夾竹桃の前に膝をつく、視界は変わって俺が見上げるような形になった。なんというか馬鹿げてる体勢になって。

 

 けどまだ理性がかろうじて機能してたらしい、

 これ以上言わせてたら間違いなく俺はこの先で、絶対に後悔する。

 

 

「珍しく狼狽えてるわね⋯⋯」

 

「聞け、聞いてくれ。分かってる、分かってるから次は俺に言わせてくれ」

 

「⋯⋯⋯かまわないけど」

 

 

 普通の暮らしか。

 たしかに普通の生活も日常も、俺たちがずっと憧れてた。親父が失踪してすべてが始まったあの夜よりも、ずっと前から憧れてた。

 

 

「たしかに望んでた。普通の暮らしも普通になることにも憧れてた。だけど普通ってなんだ?」

 

 まっすぐに、油断すれば吸い込まれそうな紫の瞳を今度は俺が見上げるように覗き込む。 

 

「なあ、夾竹桃。俺たちの考える普通ってのは、他の人が思うような普通とは違う。理解されないかも。だけどそれでも構わない、分かっていればいいのは俺たちだけだ。お前が望まなくてもずっと前からそうなってる。一緒にご飯を食べて、テレビを見て、話をして、もうとっくに君は俺の拠り所で、帰りたいって思える大切な場所になってくれてる」

 

 淡い紫、アメジストのような瞳がゆっくりと大きく、脈打つように開かれる。

 

「人生は短い、俺たちみたいな生き方をしてるのは特にな。それに俺は落ちた首を何度も贔屓してもらってる、いつツケが回ってくるかは⋯⋯⋯分からない。でも俺は」

 

 俺も望んでたことの本質が違ってた。

 望んでたのは普通の暮らし、だけどそうであってそうじゃない。

 

「でも俺は、できることならそのときまでお前と一緒に過ごしたい。いつか終わりが来るそのときまで、俺は残りの時間を君と過ごしていきたい」

 

「⋯⋯⋯、⋯⋯⋯、⋯⋯⋯」

 

「きょ、夾竹桃⋯⋯⋯? な、なんで頭抱えてそんなに唸ってんの? だ、大丈夫か? 水か? 水飲むか?」

 

「いいえ、結構。実に結構。雪平切、やっぱり貴方は忘れっぽい。さっき言ったわよ、私たちの縁は死が分かつまで」

 

「⋯⋯だな。そういや、さっき誓ったんだった」

 

 やられた、これはうっかりだ。

 一瞬、頭を抱えてコメディチックに唸ってたのにすぐにいつものクールな夾竹桃に戻ってる。やっぱいい役者になるよ、きっとお前は。

 

 椅子に戻ろうと膝を伸ばそうとして、

 

「待って。けどそれなら、卒業してからも日本にいるってことになるんじゃない?」

 

 

 ⋯⋯⋯えっ?

 

 

「ああ、確かに。そこまで考えてなかった」

 

「やっぱり留年したら? もしクラスメイトになっても歓迎するわよ?」

 

 と、椅子からふかふかのソファーに浮気した夾竹桃は目配せして⋯⋯⋯隣に来いって? それならご一緒しますが。

 

「駄目だって、武偵高には留年したときの馬鹿げてるルールがあったろ。他の生徒に正体がバレちゃいけないってのが」

 

「とぼけちゃって。UNDERCOVERは得意でしょ、ずっとやってるんだから」

 

「褒めてくれてありがとう。そうなったらラストイカで一緒に慰め会でもやろう」

 

 飲みかけの瓶を持って隣に座る。

 さっきよりも間近で見える、吐息も触れそうな距離で見えるその横顔は、いつも通り無駄に美人だ。2人分で少し重たくなったソファー、足を組んで何も映ってないテレビをぼーっと眺める。

 

「ナストイカで慰め会?」 

 

「あれは消化にいいからな」

 

「ウォッカに味をつけただけでしょ。どこの世界にナストイカで慰め会をやる高校生がいるのよ、やっぱり貴方はクセがある」

 

「そんな返しができるお前も十分クセがある、ピーキーだよ。だから俺たち、相性が良かったのかもな。ギリギリで噛み合ってなかった歯車がなんか最近、ようやく噛み合ったって感じがする」

 

「本当に? 最近の貴方が素直で、可愛げがあるのは確かにそうね」

 

「ん⋯⋯⋯あ、いや、やっぱり違うな。デタラメ言った」

 

 残ったコーラを流し込んで、黙っときゃよかったかもって思った。見事に口にしちまったあとで。

 けど、めざとい夾竹桃が一度こぼれた言葉を拾わないわけもなくて。

 

「そう、どこから? 相性が良かったってところ?」

 

 案の定、聡明な彼女はそこを突いてくる。

 純粋に気になったって顔で、でも半分はたぶん懸念とかそう言うんだろう。一年いるんだ、それくらい分かる。

 

「リサもアイリーンもディーンとサムとは、最後はよくない別れ方だった。ちゃんと想いあってたのに引き裂かれたんだ、だから俺もそうなったらって怖かった。とんでもない見惚れだけどさ、もしお前に想いを伝えてもーー万一にうまくいってもそうなったらって思うとブレーキかかって」

 

「恋愛も家庭を持つこともどの仕事でも大変よ。軍人、警官、武偵、どんな仕事でもね。でも努力してでも守りたいと思う、だから人は自分以外の誰かを好きになれる」

 

 けれど悔しいことに、夾竹桃は嘲笑うことも下手な同情も憐れみもなく、淡々と思うことを言ってくる。

 悩ましいことに真正面からそう言われると俺も両手を挙げるしかない。素直に完敗だ。

 

「参った、なんか今日は随分と大人びて見える。メイクのせいかな、もしかしていつものと変えた?」

 

「メイクの講義が欲しいならファッションリーダーの怪盗に頼みなさいな。この一年で世界の裏側を覗いて、学んだのは明日神が人間にうんざりして洪水を起こしたとしてもおかしくないってこと。だけど明日で世界が終わるとしたら、最後の日に朝目覚めて隣にいてほしいと思うのはーー」

 

「ちょっと待て、待って。駄目だそれは、それは言うなら俺から言わないとーー」

 

「ーーゆや。遠山かなめがくれたぬいぐるみ」

 

「⋯⋯⋯マジか、とんでもないフェイントだな。さすがは我が自慢の戦妹、恐れ入ったよ」

 

 ああ、ホント。

 悔しいけど今ので肩の力が抜けた。ありがとう、かなめ。背中に蹴りを入れてくれて。ありがとう。

 

 

「? ⋯⋯⋯雪平?」

 

 退路なんていつもどおり焼かれてる。

 どうせ最後は一本道しかない、いつだってその一本を死に物狂いで駆けてきた。それが我が家のお約束。

 

 

「いや、なんつーか。どうしようもないってのを確信しちまったっていうかさ。夾竹桃ーー」

 

 

 ずっと言おうと思ってた。

 一本道から目をずっと背けてた、だけどもう退路はない。俺はもう背けたくない。 

 

 唖然とするような紫の目を近くで、手を伸ばせば触れられるくらいの距離で、ずっと一緒にくれた彼女にーーあるだけの意識を全部向ける。他には何も見えなくていい。

 

 ああ、だってズルいからな。

 今日のお前は本当に、卑怯だった。

 

 

「愛してる、心の底から」

 

 

 おかしいよな。夜でさえ、冷めることのないあのロサンゼルスが今だけはとても静かに思える。

 

 まっすぐに結んだ夾竹桃の双眸が大きく、細く伸びた眉が揺れてーー

 

「⋯⋯⋯ I love you so much(ものすごく 愛してる)

 

 

 ホントどうしようもない。退路はなく、ここまで来たらどうしようか。

 卒業したら真面目にどうしようか。

 

 

Till death do us part(死が分かつまで)

 

for better or worse(いいときも、悪いときも)

 

 

 頼れる玉藻さまにでも助言を貰おうか。

 油揚げでも捧げれば、きっと寛大な妖狐さまは助言をくださる。

 

 

「さて、楽しい旅も。そろそろ帰国の時間だな、最後にどっか寄ってくか。なんかアイデアは?」

 

「そうねぇ、お母さんとボビー・シンガーの新居は? 引っ越してからまだ挨拶には行ってないんでしょ?」

 

「いいけど、手土産がライトビールじゃなぁ⋯⋯⋯LAに毒されやがってって飲んだくれから小言が出てくるぞ?」

 

「ナストイカでも持っていけば? 貴方が一緒にシルニキかザペンカでも作れば文句は言わないわ。私も食べたいし」

 

「来客の身分で酒の付け合わせまでつくんのか? それと俺、別にベラルーシで生まれて育ったわけじゃないんだぞ?」

 

 シルニキ、サペンカ、LAを探せばそっち系の料理もナストイカも一緒に出してくれる店はあるだろうが。

 

「作れないの?」

 

「いや、できるけど。昔ケビンの母さんが教えてくれたからできるけどさ。ま、なるようになるか。じゃあナストイカとシャトー・ディケムを貰いに行こう。お前が飲みたかった75年のやつな。よし、そうと決まったら夾竹桃。LAを出る前にビーチ見に行こう? サーフィンとかじゃなくてのんびりお散歩、そして酒を買いに行く」

 

「はぁ⋯⋯⋯一息で纏めすぎって言われたことない? それと、急に財布の紐が軽くなった」

 

「親父だって母さんに見せたくてインパラを衝動買いしたんだ。ウィンチェスターは好きな人には金を惜しまない家系だ」

 

「ありがとう。インパラは別の車を買いに行ったところをディーンがセールスかけたんじゃなかったかしら?」

 

「⋯⋯⋯お前は本当に我が家の事情に詳しいね。ま、母さんにはいつも興ざめの知らせしか持って行ってないから、いい土産を持ってきたらきっと喜ぶ。でもその前に、な?」

 

「はいはい、たまには貴方のリードに乗ってあげる。いつも付き合ってる気もするけど」

 

 ソファーから立ち上がろうとする彼女に、遮るように先を行って手を伸ばす。

 

「お手を拝借しても?」

 

「甲斐性なしが今日は大人びて見えるわよ」

 

「そりゃどうも。あんなこと言ったあとなら俺だって見栄張りたくなる」

 

「今日のことはいきなり階段を二段飛ばしで駆け上がってきた感じもするけどね。ギネス記録のレベル⋯⋯⋯あ、ちょっと」

 

「いいよ、なに気にしてんだか」

 

 関係ないって。

 毒のネイルが施された、手袋に隠された方の手も関係ないって手を伸ばして、そのままソファーからその体を胸元へ引き込む。軽すぎて驚いてるんですが。

 

「ご期待に添えてなによりだ。じゃ、散歩して奮発していい店でも行くか。ついでに服でも買っていく?」

 

 胸下からやや不機嫌な瞳が、いや、不機嫌っていうよりしてやられて不満な顔。

 悪いな、ふいうち、奇襲は我が家の伝統。

 

「ご一緒するわ。ここは本土アメリカ、90年代で止まってる貴方のファッションセンスに終止符を付けに行くまたとないチャンス」

 

「おー、笑えるねぇ。前にお前が勧めてくれたコートはいいもんだったが

 

「当然ね。デザイナーもメーカーも一流を選んだから」

 

「けど値段も恐ろしく高い。流行りの人気DJをパーティーに呼んだのかってレベルだ。分厚かった財布に穴が空いた、比喩的な意味でな」

 

「芸術と才能に値段は付けられないものなのよ。行きましょう、キリル。今日は昨日よりもいい日になりそう。⋯⋯⋯言ったかしら、私、舌からも毒を分泌できるの」

 

 ほぼ、抱きしめてるような体勢で見上げながら夾竹桃が、煌めくように濡れた舌を見せてくる。

 

「⋯⋯⋯参りました、いろんな意味で。ホント、お前ってすごい女だね。すごく魅力的な提案が頭をよぎったけどそれは、今度にする」

 

「ふぅん、それなら待ってるわ。そっちから手を引いてくれるのを」

 

「けどもうバカ高いコートはごめんだからな」

 

 できれば普通ので。

 お前の物差しで普通の服で。なんて考えてるこの時間も実は楽しいと思ってる辺り、今日の俺は浮かれてるみたいだ。

 

 

「ねえ、明日は今日よりもいい日になると思う? 」

 

 部屋を出ながらそんなこと言われて、浮かれているせいか妙に俺も足が速くなる。

 

 

「きっとそうなる。覚悟しとけ、もっと早く俺を捕まえとけばよかったって後悔させてやるからな」

 

「安心した。それはとても楽しみね」

 

 

 俺も初めてだよ、今まで生きて。

 こんなに、明日が楽しみに思えるのはさ。

 

 

 

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