東京都港区台場7丁目、学園島の南端・20区──
キンジの新居であるワンルームマンションは驚きの家賃の安さに対し、近くに海があるせいで洗濯物が乾きにくく、南向きなのに日当たり悪いというカナ、ジーサード、かなめが招かれて早々にディスりまくった物件だ。
先入観はもたず、だが警戒はするように──
蘭豹先生の教えを頭に置いて部屋の敷居をまたいだ俺とワトソンだったのだが、いつもながら遠山キンジという男は俺たちの予想を軽く越えてきた。
「………」
「ゆ、ゆきひら大丈夫かい? 一応checkするよ!? き、気絶してないよね!?」
「気絶? 胸を撃たれたときでも心拍数は50あったのよ。テーザーガン受けたって倒れないわ」
「お馬鹿、お前は俺をなんだったと思ってるんだ。ヒルダじゃねえんだぞ!」
「ね? 言ったでしょ?」
心配するワトソンと相変わらず容赦のない神崎に後ろ頭を軽く掻きながら、少し離れそうになった意識を現実に戻す。
世の中にはまだまだ不思議が尽きねえが、こいつは一体どういうことだ。
「………キンチ」
ぎゅ、とキンジの服の裾を掴み、恐る恐るこっちを見ている金髪の少女は、かなでよりもさらに幼い。
5、6歳ぐらい、そのくらいの子が小さな武偵高の制服を着てる。
クレアやジョーのようなややくすんだ色のブロンドとは違ったどちらかと言えば理子のような眩い金髪のミディアム、陶磁器のような白い肌と重なって成長すれば美人になることが約束されているような幼女がさっきからずっとキンジに寄り添っていた。
神崎からの………通話の流れを考えればこの子が神崎とキンジの子供、娘になるんだが……案の定、表面だけの単純な問題じゃなさそうだぞこいつは。
「……ふぇ」
「おい、切! ちなが怖がってるだろ! その顔をなんとかしろ!」
「………顔をなんとかしろって……おまえ。そんな無茶な………」
泣き顔になってしまった幼女──どうやら『ちな』って言うらしい。
………こりゃかなり入れ込んでるな、どこで攫って来たんだ? なんて聞こうものなら本気で飛び掛かってきそうだぜ。腕組みしてこっちを睨んでるカメリアの眼のライオンもオマケで。
「怖い怖い。そう、殺気立つな。子供は親が思ってる以上に親の機嫌を伺ってるもんだ、お前らがひりついてたらこの子も怖がるぞ?」
「怖がられてたのはどう見ても君だと思うけどね」
「いいよ、ワトソンくんちゃんアシストは。先に自己紹介をやり直そう。──はじめまして、俺はゆきひらって言うんだ」
「?」
「ああ、ゆきひらでもパパのお友だちでもなんでも好きに呼んでくれ。恐竜のおじさんでもいいぞ、恐竜好き? ドラゴンみたいですっごくかっこいい」
「ほえ………」
「お名前は?」
「ちな………ゆきひあ?」
少しの間、膝を落として視線を合わせた俺にぽかーんとした視線があったものの、手を伸ばしても届かないこの子のセーフティゾーンから投げかけた言葉にはちゃんと反応があった。
自分を、そして俺を交互に指で刺して、どうやら安全と判断されたらしく目から警戒の色が消える。
初対面、特に幼い子を相手にグイグイはいけないからな。まず考えるのは怖いかどうか、安心できる相手かどうか。仲良くなるのはそこから。
「ちな、はじめまして。お目々がすっごく綺麗で驚いちゃった。もうちょっとそっち行ってもいい?」
「ゆきひあのも! おめめキレイ、みどり!」
「おっ、と……ありがと。はは、ぺたぺた?」
「あいあとおなじ、ほうせきみたいー!」
とてとて、なんて漫画なら擬音が付け足されそうな足音を鳴らして駆け寄ったちなは、ぺたぺたと俺の顔をひんやりとした手で触り始め、ちなも神崎の緋色の瞳に負けない宝石のような青の双眸をばっちりと開いて覗いてくる。
ふと、静かになっていたキンジ、神崎、ワトソンに視線を………向けれない、ぺたぺたされてらぁ。
「………あんた、なれてるわね」
「お前らより多少長生きだからね。このくらいの子と遊んだり一緒にいたこともあるだけ。いよっし、ちなちゃん。ゆきひあさんはちょーっとキンチに話があるんだけどいいかな?」
「キンチと? キンチとゆきひあはなかよし?」
「もちろん、キンチとゆきひあはお友だちだからね。ねえ、ちなちゃん。あっちのピンクの髪の──」
「あいあ?」
「そう、あいあともゆきひあは大切なお友だちなんだ」
あ、ちょっと腕組んで感動してるな貴族さま。
変に意地っ張るのがなくなって初対面より好印象だぞ。
「ゆきひあ。キンチがパパで、あいあがママなの?」
………
非常に、非常に難しい質問この上ない。
今改めて、間近でこの子を見て………なんとなくだが事の経緯は見えてきた。ブロンドに隠れてぼぼ見えないがこの子の頭に、角がある。
それは小さな、これから成長していくであろう生え始めのような小さな角だ。だが俺にはその、まるで襖絵の龍に描かれるようなそれに心当たりがある。
青糖の双眸、そして長さこそ違うが眩いブロンドにも同じく覚えがある。
「ちな、家族は築きあげていくものだ。そうだな………親っていうのは安心感をくれる人だ。キンチと一緒にいて楽しいか?」
こく、と小さく顔が動く。そっか。
「ああ、キンチとあいあはちなのことを大切な娘だって思ってる。ほら、あの顔見てみな」
小さな背中に手を置いて、こっち、こっちと神崎とキンジの両方に視線を向けさせてやる。
ワトソンがくすりと小さく笑みをこぼして、赤面する神崎にかぶりを振って逃げ場を押さえていく。
キンジと、ましてや神崎とは血の繋がりがないのは一目見てしまえば分かる。だが血の繋がりがあるから家族になれるわけじゃない、家族は築きあげていくもの。
いつまで経とうと忘れない、メアリー母さんが教えてくれた一番大切なことだ。
「親子ってのは気持ちで繋がるんだ。だから、これから好きなだけ二人に甘えてみな。きっと二人と過ごす毎日がとっても楽しいだろうからさ」
◇
「ケッチが言ってた。君には光と影、二つのマインドがある。一つの器に二つの心、思わず感心する真面目な君とだらけたバックパッカーみたいな喋り方をする君だ」
「相変わらず気取ってる。もっと分かりやすく言えよ、落差が激しいって」
「急降下も度が過ぎると落差の一言じゃ言えないときもあるの。あんたがそれよ」
はいはい、呆れた顔も美人なんだからズルいよな。
神崎もワトソンも、英国貴族ってのは恐ろしい。
「仲いいなぁ、お前ら。ご先祖様が仲良しだったのも頷けるよ」
「………ねえ、ユキヒラ。君は、カインと会ったときどうだったんだ? 彼は、君のご先祖様だろ? どんな感じだったの?」
実はインドで、かのシャーロック・ホームズのパートナーでもある──伝説的な軍医であるご先祖様と対面したらしいワトソンは、その少し女性に寄りかかった中性的な顔で首を傾げてくる。
「あれは隠居してるただの養蜂家だよ。出会ったとき? シブい爺さんだなってくらいだよ。次に会ったときは呪いで頭がおかしくなっててマトモな話はそんなにできなかったかな」
思い出すとそれはすこし心残りかもな。
一度は愛する人と出会い、そして自分のせいで愛する人を失ったのはカインも俺たちと同じ。愛する人の為に呪いに抗ってまで殺しをやめて、だが殺すことをやめたせいでアバドンに大切な人の命を奪われた。
他人事には思えないくらい、似てる。
カインとの二度目の対面、それはクラウリーとキャスを含めた総戦力で人を殺しまくる彼を止めようとした複雑な記憶。
刻印が宿主をディーンに変えても、既に呪いに蝕まれたカインの頭はもう手遅れだった。時すでに遅し、嫌な言葉だよな。
「でも普通は、ご先祖様と話ができることなんてない。奇跡だ。幸運に思わないと、俺が言えた立場じゃないが」
「そうだね、君のアドバイスもたまには──
「たまに冴えるんだよ」
動き疲れたちなを寝かせて、俺とワトソンは一応カーペットが敷かれた床に神崎とキンジとまるで2on2の鏡合わせのように対面で座る。
お洒落なソファーなんて便利なものはない。家具や日用品もここには最低限しかないからな。
「にしてもキンジ。相変わらず物がなさすぎだろ。前に来たときよりはマシだが修行僧より少しマシってレベルだ」
「片付いてるって言え」
「物がないだけだろ。これじゃまるでG・カレン捜査官の部屋だ」
「それは今日まで、これからはちなの為にあたしもお金を出すことにするわ。残念ながらあたしには育児のスキルがないし、経済面でくらいしサポートできないしね。けど育児は一人でやるものじゃないわ、キンジはあたしがサポートする。だからキンジ、アンタもあたしの足りないところをサポートしてちなの為に。それがパートナーよ」
神崎もすっかりその気だな。
まあ、いい意味で今の神崎は人に『頼る』ということができる女だ。ちなにママって言われて上機嫌なのは否めないが一年前男子寮に上がり込んできたときのことを思うと、別人に見えるぜ英国貴族さま。
「………去年、この国にやってきたばかりのボクに今の光景を見せてあげたいね。アリアがこんなに変わるなんて思ってもいないよ」
「色々区切りがついたからだろ。去年は色々とありすぎたからな、みんな色んなことに区切りがついたんだろうよ。理子やジャンヌ、レキも星枷も、みんな色々と」
無論、それは俺とワトソンも。
沈黙が今さら苦しくなるような浅い付き合いじゃない、だがこの状況では一度話題が切れてしまえば望む必要もなく話題はあの子のことに傾く。
あとは誰が口火を切るか。
一瞬、部屋が静かになったあと天井を仰いだキンジの目が下りるようにして俺に傾いた。
「なあ、ちなのことなんだが実は………あの子はもうお前には一度会ってるんだ。信じられないかと思うがあの子は………その、だな………」
「ラスプーチナだな、バイクに乗ったロシア語を話してた魔女。かなり若返ってるが誰かに魔術でもかけられちまったか?」
んだよ、三人とも黙りやがって。
言葉を遮るように言うと、部屋の空気が見事に静まり返る。
御三方、俺がいつからインパラに乗ってハンターやってたと思うんだよ。
「見りゃ分かる。あの子の頭にはラスプーチナと同じ角が生えてたし、あの子からは獣人に近い人外特有の匂いがしてた。子供になってるのもなにかの魔術で体が昔に遡ったならあり得る話だ」
「………こっち系のことになるとあんたはホント、鋭いわね」
「俺もヘンゼルとグレーテルを攫った人食い魔女に魔術で体を子供にされたことがある。なんでもあり得るよ、ゴジラとモスラ以外は」
やはり意外そうな神崎に向けて、実体験ってのは何より信頼性があるからな。
「ヘンゼルとグレーテルってあの御伽話に出てくるヘンゼルとグレーテルか? あの話に出てくる魔女は最後は死んだはずじゃ………」
「キンジ、現実は小説より奇なり。世間に伝わってるあの話はかなりマイルドになってる。実際はヘンゼルは魔女と仲良くなってて逃げ出したグレーテルは二人に殺されてしまった。楽しい話じゃないからこれ以上の詳しいことは黙っとくぞ」
それはロウィーナを追いかけてきた人食い魔女と遭遇したときのことで、ディーンと俺は巻き込まれた女性と一緒に危うく奴等の食事になるところだった。
結局ロウィーナにたどり着くことはなかったが、あの悪食女が仮に見つけられたとして桁外れの才能を持ちながら常に研鑽を続けてるロウィーナみたいな化物に勝てるかどうかは怪しいもんだ。
「なんでもあり得る話さ。あり得ないのはゴジラとモスラだけ」
「君が生きてるってことはその魔女は……」
「因果応報、人を今夜のディナーにしようとしやがったからな。最後は自分の釜でこんがり、自分が調理されちまった笑えないよ。調理場の事故って本当に恐ろしい」
若干げんなりとした顔でワトソンはゆるゆるとかぶりを振り、俺もそれ以上は口にしない。
話を逸らしちまったがラスプーチナが魔術によって小さくなったことにはキンジも神崎も否定を挟まなかった。だとしたらまた別の疑問がやってくる。
「いいわ、キンジ。壮大に話が逸れちゃったけどあたしが聞く。キリ、あんたの見立ては大体そのとおりよ。ラスプーチナは魔術をかけられてこの姿に………ちなになった。魔術をかけたのは、あんたもレクテイアについてはもう知らない側じゃないから言うけど大物よ。レクテイアの海の神────リービアーザン」
「り、リヴァイアか………!?」
驚くのはキンジと神崎の娘だけかと思ってた俺は、今日2回目の爆弾に腰を浮かしそうになる。
確かにラスプーチナに魔術をかけられるとしたら強敵だ、だがそれがリヴァイア………こんなに早く名前を聞くとはどういう因果だ。
「その顔はもしかして一足先にバーで知り合ってるとかいわないよね?」
「いや、バーじゃないがつい最近のことさ。LAのホテルで彼女と会ってる。プールで軽くやりあってそのあと話を」
なるほど、リービアーザン………あの女ならラスプーチナにも魔術をかけられる。明らかに竜の魔女よりあの人魚は格上。納得だ。
思わぬ名前が飛び出たせいで表情筋が変なことになってる気がする。案外世界は狭いっていうがまさかここまでか。あの女………神出鬼没って言葉が似合いそうではあるがこんな登場ありかよ。
「あんた、リービアーザンと戦ったの? あいつはモリアーティー教授と取引したレクテイアの神の一柱、あたしとキンジもスエズで逮捕しようとしたけどかなりの化け物よ?」
「見事に一回殺されたよ。一死一生ってやつで一回死んで一回命を拾う感じでなんとか手錠を。神にしちゃ俗っぽくてプールサイドで少し話しをしてた。結局最後は瞬間移動で逃げられたけどな。ラスプーチナはクチの悪い守銭奴、大方何かやらかしてやばい曲でも演奏された?」
「色々ツッコミたいところはあるが最後のだけ答えとく、当たりだ。リービアーザンが曲を弾いた途端変化が始まった、なんと曲名は『時折りの逆さ箱』」
「時折り、逆さ、とどのつまり若返りの曲。洒落てるな、アンチエイジングで騒いでる連中には革命みたいな代物だ。ライブでもすれば札を握りしめた客であっという間にハコが埋まる」
「そんなお可愛いものじゃないわ。体を逆行させるにも限度があるの、ちなは途中で止められたからよかったけど。もし最後まで聴き続けてたら………」
普段はストレートに物怖じしないスタンスの神崎が苦い顔で言葉を詰まらせる。分かってる、いくら若返りたくても生まれる前には戻れるわけない、そういうことだ。
最後まで聴いてしまったオーディエンスには遠回しに『死』が訪れる。まだえげつけない魔曲がヤツのレパートリーには数多く潜んでるんだろうよ。
存在の大きさと浮き世離れしてる立場のわりに妙に親近感が湧いてしまう矛盾。そういう意味では、あの
………リヴァイアと違ってあいつとは楽しくトークなんてできるわけねえけどな。
「………それにしてももう誰もユキヒラが一回殺されてるってところは聞かないんだね。ゾンビ映画でもこんなに何回も殺されたりしないよ、君はゾンビか?」
「失礼なやつだね、医者のくせになんてこと言うんだよお前は。俺だってその逆玉出箱、若返りの曲を聴いてたらどうなってたか」
「リバティ・メイソンの調べだとラスプーチナは少なくとも100年以上ヨーロッパ各地で現金や多くの重要文化財を盗んでいる重罪人だ。窃盗の過程での傷害や余罪も数知れない。多くは時効になってるけど、今現在も国際指名手配されている案件もあって、NGOの討伐リストにも特級にカテゴライズされてる」
「ただの守銭奴じゃないとは思ってたが見事な経歴だな。本土でやってたら十中八九、間違いなくフローレンス行きだ」
「ボクは直接見てないけど、彼女は敵を作りそうなタイプなの?」
「何とも言えないがネット上なら炎上させるタイプかな。よく火が燃えそうな場所にガソリンをまいて過激にするタイプ」
ようするにウチのゴシップ好きの
人助けは腹が減るというが、真剣な休みどころのない話が続いたせいでまず神崎が空腹に悲鳴をあげた。
「キンジお腹減った、減った減った………」
「お前さっきから桃まん食ってただろ。おい切、エナジーバーかジャキーか、まあなんか持ってるだろ」
「ないよ、来るまでにワトソンから貰ったプロテインバーも食べちゃったし。ワトソンくんちゃん、在庫は?」
「在庫? ないよ。そもそもの話、来客に食べ物をねだるなんてナンセンスだろう」
なんとも真面目なご意見。ワトソン家は不動産売買も得意とする経営者の一族でもあるからな、来客とは真摯なお付き合いをか。
だが、ちょくちょく桃まん齧ってたくせに………燃費の悪さは健在か。
神崎がキンジに飯をねだる、去年は当たり前のように見られた光景も、キンジが男子寮を出ていてしまった今ではどこか懐かしく見える。
しかし、経済面での援助を約束してもらってキンジも今日限りはと、素直にインスタントコーヒーを俺たちに淹れてからおとなしくキッチンに立った。
いや、痺れを切らした神崎が自分で料理場に立つのが怖かったのもあるのかも。
かなえさんとのトレーニングで壊滅的だった家事は多少マシになってるって聞いたが焼き付いてしまった警戒心が未だに体を動かすのかもな。
ああ、口には出さないぞ。猛獣と素手で戦える神崎のドロップキックなんて一度体験したら十分だ。