「ヘンリー、ドアの鍵をかけ忘れたようね。まじないも得意じゃないでしょう?」
その悪魔と出会ったのは、かつて親父を捨てて失踪したと思ってた祖父──ヘンリー・ウィンチェスターがモーテルのクローゼットに時空を超えてタイムスリップしてきたときのこと。
一昔前の映画に出てきそうな生真面目なスーツと現れたのは、賢人として超常現象を探索記録追いかけていた俺たちの爺さん。
必死の形相でタイムスリップしてきたのは、とある悪魔から賢人たちの全財産とも言える大切な『鍵』を守るため。
悪魔から逃げる為に時空を超えるなんて今思うと実に我が家の人間らしい無茶苦茶なやり方だが………そうまでしないと振り切れないと、爺さんは分かってたんだろう。
「嘘だろ………」
「女の扱いがなってないわぁ………」
背中から悪魔を殺せるルビーのナイフを一突きしても
それだけで、その悪魔が普通の悪魔じゃないのは明らかだった。
時代を飛び越えてまで逃げた爺さんを追いかけ、執念深く、そして行く先々で血を撒き散らしながら陰湿に這い寄ったそいつは──アバドン。
かつてルシファーが選抜し、最初の殺人者カインによって鍛えられた『地獄の騎士』の一人。
白い瞳を持った原初の悪魔リリス、黄色い目の四人の地獄の王子たちに次ぐファースト・ジェネレーション──最古の悪魔。
◇
「御誂え向きだな、昔を思い出す」
人工浮島の端、アバドンが送ってきた座標にあったのは閉鎖した小さな工場だった。
人の手から離れてどれくらい経ったかは分からないが周囲に人の気配もなく、家すらない。
もう使われていない施設がまとめて捨てられているような雰囲気は、かなめと初めて出会った品川のジオフロントーージオ品川に近い。深夜のこの時間に進んで寄りたいエリアではないな。
停車したインパラのシートから見る限り、その風貌には皮肉なことに近視感がある。アバドンと最初にぶつかったのもこれとよく似た工場だったな、あのときも来なきゃサムの首を飛ばすって脅し付きだった。
強大な力を持ちながらアバドンという悪魔は真正面からの戦いを好まない。
卑劣で姑息な手をどれだけ使おうと相手を蹂躙できればそれが勝者だとそういうスタンスの悪魔だ。あの女はある意味結果しか見ない現実主義者。
頭の働く悪党が手段を選ばなくなったら、それは単純に腕っぷしが強いのより数倍めんどくさい。
「‥‥‥‥」
9mmの頭にナイフで『悪魔封じ』を刻み、出来上がった特注の銃弾を一通りの角度から見てチェックした後XDの薬室に放り込む。
地獄の王子のなかでも明らかに力が飛び抜けていたラミエルには何発撃ち込んでも効果はなかったが、アバドンには効力を発揮してヘンリーの爺さんに撃ち込まれたときは身動きができない置物になった。
悪魔封じの弾丸──殺すことはできなくてもこいつを頭にぶち込めれば元始の剣がなくてもアバドンを制圧できる。
できるだけヤツに近づいてこいつを暴君の頭にぶち込む。ヘンリーの爺さんが命懸けでやったように。
アバドンは殺意と暴力の塊、中身はアラステアに匹敵する最低の悪魔だが──その厄介さ身を以て体験してる。対抗する術がなきゃ即死だ。
今俺の持ち得る最高のタクティクスとありったけの武器を使い潰すつもりでかかる、それしかない。
手を抜けば、俺の内臓が抉られちまう。
あの暴君を前にそんな生易しい死に方ができればむしろラッキーだがな。十回俺の首を跳ねても足りないくらいの恨みは間違いなく買っちまってる。
(………それはお互い様か。爺ちゃんと皆殺しにされた賢人たち、そんで目を血まみれにされたギャビンの恨みを晴らしてやろう)
ギャビン、ほんの少しだったがお前と遊んだ時間は結構楽しかったよ。
大切な人の為に死ぬと分かっててお前は過去に戻った。ロウィーナも、ああは言ってたがクラウリーもお前のことはきっと誇りに思ってる。いい息子だって思ってるよ。
お前はきっと天国にいるんだろう。アヌビスはあの畜生のオシリスの身内だがそこまで馬鹿な裁定はしない、きっとお前をそっちに迎えてる。
クラウリーは虚無に、俺もロウィーナもそっちには行けそうにないがどうかお前には、安らぎが訪れてることを願ってる。
爺さんたちの遺恨を晴らすついでにお前の仕返しもしてやっから天国からエールでもおくってくれ。歌でも歌ってな。
「行くか」
ちなが褒めてくれた目は、どうか奪われずに済ませたいもんだね。片目だけだがミカエルに一回焼かれてるし、もうジャンヌも夾竹桃も、神崎の曇った顔も一通り見た。あんなにバツの悪いもんはないぜ。
息を殺して、できれば気付かれずに這い寄って奇襲の一本でもしたいところだが重たい扉はそんな俺を嘲笑うようにキィーと遠慮知らずな音を撒き散らす。やってくれるぜ。
XDは懐に、両手は丸腰でも装うような無手のまま薄暗さに包まれた工場のなかを歩いていく。
一度悪魔封じを撃ち込まれて俺たちにやりたい放題されたからアバドンは銃を見れば間違いなく警戒をする。
ブラドが4つの銃が揃うのを恐れ嫌がったのと一緒だ。ほぼ不死みたいなものだからこそ自分を無効化する限定的な一手にはより警戒心が働いちまう。
事実、軍の防弾チョッキをシャツの下に仕込んで対策するほどアバドンはこの弾を嫌がった。
狙うなら頭、一発でいい。絶対に当てられるタイミングであいつの頭を撃ち抜く。もはや武偵の発想じゃねえけどな。
「たすけて! あ…ぁ………おねがいします、だれかたすけて!」
薄闇から聞こえた悲鳴にハッとして頭を振ると、大きな計器のような装置を背にして少女がひとり、ぐったりと手足を床に垂らしていた。
「おいっ、無事か!」
「あ、あ………お願い! たすけて! なにがなんだか分からないの! 黒い煙が見えたらそしたら変な女が……お願いなんてもいいからたすけて! あの女普通じゃないっ!! 普通じゃないんだってッ!」
暗闇に怯えた半狂乱の悲鳴が木霊し、徐々に慣れてきた視界で声の方向を足早に辿ると、いた。セットされていたであろ髪はボロボロに崩れ、喉を揺すり、目を腫らした少女が薄暗闇に投げ出されている。
凄惨なことこの上ないがまだ息はしてる。
背中に冷たいものを感じながら、周囲の気配に全神経を注ぎつつ一歩ずつ歩み寄る。
「落ち着け。それ、赤毛の女か? 尊大な喋り方した東欧系の美人で」
「そう、女王みたいな感じだった。たすけて、体うごかないの……おねがい運んで、まだ死にたくない」
「大丈夫、俺は武偵だ。とりあえずここを出よう、よし立てるか」
「は、はい‥‥‥」
まだ幼い、クリシーほどだろうか。本当はこんな時間にこんな場所にいちゃ問題の年齢だ。
計器に背中を預けたまま、少女がだらんと床に垂らしていた左手をゆっくりと持ち上げたところで俺はその手を取り、
「────仕掛けが凝り過ぎたな」
反対の手で引き抜いたルビーのナイフを土手っ腹に突き刺した。
「あ、あ゛ッ゛……!?」
少女の瞳が大きく凝縮し、口があんぐりと開き、三つの場所からくすんだオレンジの光が一度、二度、三度と繰り返し明滅する。
明らかに異様なその光景は、体のなかに潜んだ悪魔に手傷を負わせた証。まるで血を吐くように小さな口からあふれたオレンジの光が小さく、大きく揺れる。
「大した事ァねえよ、てめえの小細工なんざ」
左手で突き刺したクルド族のナイフを傷口から引き抜くのと同時に、右手は既にXDの引き金に指がかかる。乾いた銃声と共に、決して外さない至近距離から悪魔封じの弾丸が額を穿ち、頭を揺らした。
空薬莢が跳ね、僅かに浮いた体は背中を背後の機器に打ち付けて嫌な音を立てる。
「‥‥‥」
「く、ふっ、あははは………! ふーッ! たったこれだけぇ?」
心臓、頭を狙う訓練なんてされてない武偵が間近で少女の額に一発入れた。他の誰かが見れば、完全に頭のやられたイカれた行動だ。
イカれた行動だが──刹那、まるで答え合わせとばかりに少女の頭が、持ち上がる。
額を撃たれながら、ヒステリックな叫びを響かせながら、それはありえない光景だってのに驚きはちっともわいてこない。
見開いた少女の瞳は既に真っ黒に染まり、人とは思えない唇が裂けたような邪悪な微笑みで笑う。くつくつと刃物を立てられたとは思えない形相で、笑う。
「東洋顔の坊や、相変わらずねぇ。女の扱いがなってないわぁ」
少女の声色が記憶のページに焼き付けられた暴君の声に変わったとき、それはまるでガブやロキお得意のトリックのようにその顔がアバドンお馴染みの器のものに変わる。
やや赤みの入った茶髪を下ろした東欧系の美女が黒の革ジャンを綺麗に着こなしている光景は、もう少しマトモな状況で見れてたら俺だって笑みの一つは素直にこぼせてただろう。
だが、生憎と頭のなかを渦巻いてるものは混沌として、殺意たっぷりの俺の瞳は反射的に邪悪な笑みを睨みつける。
「地獄の騎士がこの期に及んでまだ女扱いを求めるとはなァ。カインにフラレた昔の傷がまだしつこく残ってやがるのか。同情するぜ?」
「とろいわねぇ。もう勝った気でいるなんて」
「なに?」
この状況でも慇懃無礼を崩さないのは流石だがもう勝利条件の一発はぶち込んでる。床に敷いた悪魔封じなら念動力で亀裂を入れて何とかなるだろうが体内に直接入り込んじまったらお手上げだ。
あとは煮るなり焼くなり、昔みたくリヴァイアサンみたいに首を落としちまえば殺せずとも動きは縛られる。
もう勝負は──
「………!?」
一瞬、用心金に添えた指をトリガーにかけるよりも早くその異変は訪れた。傷を抉り取るような嫌悪に満ちた音がして、次に赤く染まったアバドンの額の弾痕から空薬莢が押し出される。
第二態のブラドが見せた、独りでに撃ち込まれた弾が排出される異様な光景──っこの、女………こいつは一体どういうことだ……!
「驚いた? 嘘をついたの。リリスだってこのくらいはできる──そういうこと」
「嘘だろ……! ぐっ……!」
手を振り払われたの同時に体に衝撃。
質量を持った空気の壁にぶつかられたように僅か一瞬で俺の壁は背後の鉄の壁に背中からぶつかった。無茶苦茶しやがる。
「キリ、お前は必ず私の頭に魔法の弾を撃ち込む、かよわい私のね? それが分かってて何も備えをしてないと思ってた? 人間にしてはなかなかだけど女王の敵じゃない」
悪魔お得意の念動力……
チッ、やべえぞ、XDを落とした……だがそもそもこの出力のPKじゃ指先もほぼ動かねえ……刻印持ったディーンがなんとか外せたPKだしな。
笑えねぇ、たった1ターンの攻防で形勢が傾きやがった……
「けど、リスクは減らしておく」
悪趣味な笑みを浮かべ、ゆったりと歩いてくるアバドンの手が俺の懐からこぼれたXDを拾い上げる。ポリマー製のフレームが一瞬で赤く変色し、数秒足らずで原型が崩れて飴細工のように溶けてゆく。
かつてダゴンがコルトを溶かしたように。
こ、このアバズレ……やりやがったな。
「さて、これで忌まわしい弾を気にする必要もなくなった。それで、どこにいるの?」
「はぁ? 誰のことだよ、新しいパートナーか? 婚活バーでも行ってろ──ッッゥ!?」
「パートナー? 不死身の私一人で十分。そうじゃなくてクラウリーよ、あのボンクラはまた書斎に籠もっりきり? 面倒なのよねぇ、やることが多いのに横槍を入れられるのって。あの意地汚ないビジネスマンはそれが大好きだから困る」
アバドンが手首を捻ると、連動するように体の内側から激痛がせり上がっていく。
体を内側からぶっ壊されてる感覚。……控えめに言ってこいつのPKは、やばい……首から上は何とか動くが首から下はまるで使い物にならねぇ。
「クラウリーはもういない。自分の命を代償にまじないを使っちまったからな」
「そう、死に様が見れなかったのは残念だけど椅子が空いてるなら好都合。手間が省けた」
「たしかに今の地獄は指導者がいない無法地帯だ。クラウリーがどいて空いた椅子を掠め取ったアスモデウスも短い天下だったしな」
「アスモデウス? ………あの地獄の王子? あいつが地獄の王だったと言うの? 誰があんな小物を支配者にすると決めたァァァァ!?」
眉を寄せたのも一瞬、怒りに瞳を開いてのヒステリックな叫びは、そのまま見えない衝撃の波となって空気を震わせ、床に散らばっていたものを巻き上げる。
笑えねぇ………叫び声がそのまま突風だ。
あの小物が自分が座れなかった椅子を掠め取ったのがよっぽど気に入らないらしい。
「ラミエルは玉座に興味はなかったからな。アザゼルとダゴンも死んでるし、対抗馬がいなくなって楽に天下が取れると思ってたんだろ。苦労なく高い地位が手に入るなら、体裁なんてあの小物は気にしない」
壁に縫い付けられたまま、かろうじて動く首でかぶりを振ってやる。
「空席になるまで逃げ腰だった小者が、地獄の支配者なんて笑わせる。王は戦う、王は征服する。女王はすべてを手に入れる。地獄は生まれ変わるわ、私が変える」
「どうかな。率直な意見は認めず、愚かなイエスマンの賛同しか受け付けないのがいい指導者とは思えねえけどな」
「優しいわね、でも女王は道を違えない。お前と違って。ーーねえ、どんな気分? 必死に話を長引かせてもお前に待ってるのは私に殺される未来だけ。私にやったみたいに手足をバラバラにして内臓を抉り出してやろうか、それとも先にその綺麗な目を抉ってから椅子に縛り付けて楽しむ? 懐かしいわよねぇ、あのときと違って今は簡単にお前の顔に手が届く」
けっ、まだ関係ない話でトークバトルしときたいところなのに物騒な話題に進路を戻しやがった。
物理的にも地に足がついてない状態で、俺は徐々に近づいてくる端正な邪悪な顔を待ってるだけ。やがて膂力とはつり合っていない白く、華奢な手が俺の喉下に伸び、指先が真っ直ぐにすーっと線を引くように下ろされる。
……笑えねぇ。
……その気なら今ので喉が裂かれてた。
が、不意に止まった指はそのまま俺の喉から引かれていく。
「でも残念、実を言うとお前の首をトロフィーにはできないのよね。本当に残念だけど虚無とはそういう取り決め。お前の首は持ち帰らない、とっても残念」
小さく笑い、猟奇的な台詞ともどかしさを隠すようにアバドンは腕を組んで首を斜めに倒した。
よかった、首の皮一枚で繋がったことよりもいい言葉が聞けた。やっぱりそうか。虚無の一声でアバドンはあの何もない世界から地上に這い出てきた。
地獄よりも酷いと言われるあの場所から制約付きでも抜け出せるならアバドンにしても願ってもない話だろうからな。
しかし、それはそれで疑問の尽きねえ話だ。
「なるほどね、随分と楽しませてくれそうな話じゃねえか。虚無がまたどうしてお前を放ったんだ」
「お前も取り決めをしたんでしょう? どうやって口説いたのか知らないけど随分とアレを夢中にさせたようね。伝言を預かってる」
地獄の騎士が伝令役とはね、そんなことができるのは確かに虚無みたいな化物くらいか。
十中八九、楽しい類じゃないそのメッセージに身動きの取れないまま俺は耳を澄ませる。そして、
「──誰かがルシファーを外に出そうとしてる。虚無は私に言ったわ、部屋はちゃんと準備してある。
最初から言い終わりまで終始余すことなくゾッとすると言葉が俺と暴君との間に、静まり返った暗闇に流れ落ちた。