「結婚の準備は特攻任務より悲惨って聞くぞ、やることが山のように積まれて波状攻撃みたいにトラブルが押し寄せるって」
「結婚だよ? 人生にとっての一大イベント、それだけの覚悟が必要ってこと。誰を呼ぶか、ゲストはどうするか、何の曲を流すか、ドレスはどうするか、波状攻撃に飲まれて沈むくらいの覚悟じゃ足りないってことじゃん。覚悟を問われるんだよ、愛する人の為にどこまでやれるか、お分かり?」
夾竹桃を一足先にホテルへと送り届け、後部から助手席に乗り換えた理子はポッキーを口にくわえ、やや舌足らずながらそう続けた。
お菓子が切れたから、とコンビニにも寄ってあとは帰るだけだっていうのに理子からの「少しドライブしない?」と珍しい誘いに、そう、ちょっと変な感じがして回り道をしてる。
「一理あるか。特にドレスはどうするか、人生の大きなイベントだもんな。なにを纏うかも大切か」
「そそ、そうだよキリくん。本土だとパンツスタイルのドレスも結構人気って聞くよー? スタイリッシュであれはあれでいいものだよね。あーでもでもー理子なら縦フリルは捨てがたいかも、うーん……」
「大丈夫だよ、理子。着たい服を着たいときに着て褒めてくれる甲斐性のある男を探せばいい。お前ならきっと引く手数多だし、いい人に巡り合う」
いや、もう巡り合ってるかも。
理子とは、それなりの長い付き合いだ。
武偵殺しと分かったあとも、その前も、変わらずに色々と話せる仲でいてくれてる。いや、ブラドのことが分かったあとは少し、妙な関係かもな。
「ありがと、珍しくストレートな励ましでちょい感動。ま、話は色々と逸れちゃったけど理子が思うに、結婚っていうのは愛する人に日々幸せを感じさせることだと思うんだよね」
似てるのか、似てないのか。
黒でも白でもないグレー、だから武偵殺しのことで一時の軋轢ができたとしても俺は、色々と気になってたのかもしれない。理子がふらりと俺の前に、思い出したように現れたのもまた同様に。
理子の過去は誰かに理解できるものじゃないし、されていいもんじゃない。されるべきじゃない。それは理子だけの生きてきた証で、その価値は理子にしか分からない。
けど、思うことがある。
あの日、スタール墓地でルシファーと檻に落ちた俺には、アダムとサムが、あの地獄の檻のなかでも兄弟がいた。
でも理子はたった一人で檻のなかにいた。俺よりもずっと幼く、親の愛情を求めて甘えたくて仕方ない時期に。そしてたった一人で暗い檻から抜け出した。
俺とは違って自分の力でな。だから思うんだよ、それは単純に盗みや双銃、徒手格闘の技術が飛び抜けてることなんかよりずっとすごいことだってな。
「お前ならきっとできる、与えられる。式やるときはちゃんと呼べ、ジャンヌもな」
ああ。悲惨な過去の比べ合い、張り合い、マウントの取り合いほど価値のないものはない。
それは俺たちが誰より知ってる。かぶりを振って、今やってきた温かい言葉に意識を戻す。
「………もしかしてガソリン代の代わりに励ましの言葉をくれたのか? 峰理子渾身の甘く優しい言葉?」
「けど、その前に会話術は学んどけ。今のお前にはまったく無縁だからな、会話術。女とドライブするときは必須だろうが。ずっと音楽で誤魔化すつもりか?」
「失敬な、会話術なら自信あるぞ」
「よく言うよ」
「最近MDに入れた曲は?」
「古いな、2010年じゃ絶滅危惧種だぞ」
「会話のきっかけだ」
「なるほどね、第一歩?」
「………ああ、そうだよ。実はウォームアップ中」
「精進するんだね」
ゆるゆる理子とシリアスな尖った理子、二人の理子が今夜は行ったり来たりで──なんていうか、マインドシャッフル?
軽快に回っていたテープも止まり、車内に響くのはインパラのエンジンサウンドと少し降ってきた雨粒の小さな音。
………雨か。降るなんて聞いてなかったんだけどな。
「あーあー、理子って晴れ女なのに。やだなぁ、降ってきちゃったよ。おてんこさまのご加護が切れちゃったのかなぁ」
「覚えてる。合宿のときに言ってたな。あのときはジャンヌがいて、それにすごい霧だった」
「映画みたいな霧。内側には怪物でも潜んでるじゃないかって本気で考えちゃいそうな不気味なヤツだったよねー。いつどこで、何が襲いかかってくるか分からない。案外危険はすぐ隣にあってすごく厄介」
「ガキの頃、クローゼットのなかに何かいるかもって言ったら親父は銃をくれたよ。正直に言うと、いつ背中に化物が飛びかかってくるのか怖くて、仰向けでしか寝れなくなった。エンド・オブ・デイズと同じで本物の悪魔には鉛玉なんて効果ないのにな」
ワイパーが雨粒を弾き、しばらくぶりに会話が途切れて、隣を見ると理子がドアに体を預けるように外を見ていた。
少し億劫げに、さっきまでの饒舌が反転したような静まりが幼い顔を妙に大人びてみせる。
「アドバイスだ。手放すなよ?」
理子………?
「手放すなって、何を?」
「知らないことこそが創作意欲を生む、そんなこと言ってる女に芸術より恋を選ばせた。手放すなよ、離れてもやるな。お前ら他のことは好き勝手するくせに色恋沙汰だとルールまみれになるからな」
ぶっきらぼうに、しかし芯の通った言葉に思わず運転中なのに正面から視線を隣に切りそうになる。
理子は理子、無法者の理子も学校でおバカやってる理子もどちらも等しく峰理子だ。だが、キンジが昔こうも言ってた。理子の本来の本質は、裏の、乱暴ながらも大人びた、誇り高い女性だと。
雨音を弾くように走り、濡れた信号機が赤色を照らし、V8がアイドリング、どちらともなく目が合った。
「それが歩く恋愛百科事典のアドバイスか?」
「とぼけんな、イーサン・ハント。うんざりするラブロマンスと倦怠期の夫婦喧嘩が終わったのは最近のお前らを見てれば分かる。キンジもアリアもそっち系は鈍すぎて気付いてないっぽいけどな」
少し勝ち気になった瞳は、お前の手札なんて見抜いてるとでも言いたげで。薄暗闇でも明るく存在を失わない金髪と澄んだ瞳は──ああ、お前はお前で本当に美人だよな。
「理子、実はちょっと迷ってる。ここまで来て、本土に戻るつもりで全部片付けようとしてたのに、あいつに引き止められて……恥を晒してでもこっちに残るのもいいかもしれないって思ってる。メアリー母さんもたまに帰ってこればそれでいいなんて言うからさ、実は困ってる」
どうするべきか、って。
虚無が伝えてきたルシファーの件、たとえそれが片付いたとしてもそれでレールが途切れて終わるわけじゃない。
また少ししたら、いつものバカでかいトラブルがまた本土の大地に飛び込んでくる。バンカーにいる馬鹿な兄貴2人とトレンチコートの天使とその息子のもとに。
「でも俺は、もう武偵高で十分楽しい時間を満喫しちまったからこれ以上は、一人だけ楽しい時間を貰っていいのかとも思ってる。近頃は特に、お前が睨んじまった通りに楽しいからさ。昔なら簡単に割り切れたのかもしれないけど今は、夾竹桃のことも今の楽しい日常も、お前やバスカービル、みんなと過ごせる時間に執着を感じてる。手放したくないともものすごく思ってる、ハンターは何かを失った人間がその空白を埋めたくてなる仕事だ。だからみんな、この仕事で出会った人はどこかに傷を抱えて、みんな壊れてた」
何言ってんだ、俺は。
理子がいつもより大人っぽくて、思わず話したくなる心強さと純粋さが見えて、吐くべきところじゃないところまで言っちまった。
「壊れてるのが普通なのかもね。そうじゃないと耐えられないよ、ハンターなんて。失うものが得るものより多すぎる仕事なんだから」
素っ気ないと思うほど、理子は端的に信号が変わっちまう前に即答してきた。紙パックのいちご牛乳が乱暴に音を鳴らし、最後にはストローをまるで煙草のように見立てて銜えた理子は、
「あたしとお前は結構似てる。ま、いいことか悪いことかは別としてね」
「理子。そいつは多分似てるか似てないか、微妙なグレーゾーンだ。確かに俺もお前も、お互い似たような嫌な過去は持ってるが立場が違ったら俺はお前のようには振る舞えない」
「それはお互い様、お前の真似なんてできないし、勘違いすんな。別に傷口を舐め合いたいんじゃない。ブラドにヒルダ、この一年駆け足で厄介な過去にケリはつけてきたけど、だとしても過去は消せない。頭に焼き付いた記憶のページはまだクッキリと残ってる、あくまで忌まわしい過去と向き合い方を変えただけなんだって最近気付いてさ」
「……過去のことになると饒舌になるのは確かに、俺たち似てるのかもな。俺も全部、憶えてるよ。死んでいったみんなのことも、ルシファーの檻にいたときのことも。できれば忘れたいのも、忘れちゃいけないのも全部憶えてる」
そう、全部だ。
ルシファーのことも、結局あいつは俺たちが最初に解き放ってしまった最初の過ち。黄色い目が母さんを殺したのも、コルトをぬすんで地獄の門を開いたのも、すべてはルシファーを解き放つ為だった。
ジョーやエレン、ケビン、チャーリー、ルーファス、パメラにアイリーン、犠牲になったみんなのことは絶対に忘れちゃいけない過去だ。
けど、俺が地獄の檻にいた記憶もまた、忘れちゃいけない過ちの記憶なのかもって思うことがある。そもそも忘れようとして忘れられる甘い記憶じゃないが──
「過去は消せない、向き合い方を変えるだけ。そうだな、その通りだ。きっとそれ以上の落としどころはない」
「そう、消せないし、変えられない。だから過去ってのはどこまでも厄介なんだよ。あたしの過去は誰にも理解できないし、理解してほしいとは思わない。あの忌まわしい過去は、それを薙ぎ払ったあたしだけのものだ。でもお前がルシファーを道連れに檻へ飛び込んだ話を聞いて思ったんだよ、お前になら──少しくらい理解されてもいいかもしれないってな」
過去があり、今があり、そして未来に繋がってる。
俺も理子も、無意味じゃないというには厳しすぎる過去を抱えてるが──それでも過去は消せないって、どうやってもひっくり返せないことは理解してる。
ああ、俺たちやっぱり少し似てたのかもな。お前がそう思ってくれる程度には。
「こういう時にどう言えばいいのか。ただ俺は、ルシファーの檻からもアラステアの懐からも家族の手で引っ張り上げられた身だ。だから、たった一人でここまでやってきたお前は、弱くない。嘘じゃない、凄いやつだよお前は」
「ふん、無理して持ち上げんな。ルシファーとブラドなんてピストルとナパームを比べるようなもんだ。あたしもお前も大層な理屈や悟りを開いたわけじゃないだろ? 倒れそうでおかしくなりそうなのを思いっきり無理してるだけ、そうするって決めてどうにかやれてるだけ、不安定な足場になんとかね」
今夜の理子は大人っぽくて、今日の彼女の言葉はやっぱり大人っぽい。多少抽象的だが。
「人は変えられない、自分が相手を受け入れるかどうか」
「ニーバーの祈りか?」
「過去もそう。変えられないものを受け入れる心の静けさを与え給え」
「そして変えられるものを変える勇気と、それを見分ける賢さを」
ふっ、そんなのあったか?
お前のオリジナルだろう。
「じゃあお前は賢いわけだ」
「違いがわかるってことさ、あたしはお前よりも器用だから。ま、今夜は少し、ほんの少し、らしくないこと言ったよ。やっぱ忘れていい」
「安心しろ、聞いてるのは俺だけだ。ここはインパラのなか、安心して密談もできる。略してあんみつ」
「年取ったらうまくなるんだよね、って、ふざけてんのかーっ! 夜になんてこと言うんだよ!」
「尖ってる裏理子モードかと思ったがそうでもないな。今日のお前はどっちにしてもゆるゆるだ」
飯テロには程遠いだろ。
そのポッキーで我慢してろ、ああ──でも、
「久々にゆっくり話せてよかったよ、理子。来年もまたよろしくな?」
「はっ、早すぎだマヌケ。お前も今回は夾竹桃の設営を手伝うんだろ? 覚悟しとけ、あいつのはなかなかの鉄火場だ」
それはよかった。
最後の最後で、楽しみがまた増えた。
「苦労のあとには幸せが待ってる」
「ああ、打ち上げが楽しみってことか」
「うん、まあ………そうかな。ねえ、キリくん。あの写真もう一回見てもいい?」
………
「ああ、俺には大層な理屈や悟りはなかったがその写真がある意味、俺の支えだったのかもしれない。だから捨てられなかった」
そう、理子の手にある──サムもディーンもボビーも、あの夜生き残ったみんなが暖炉にくべて、俺だけがただ1枚捨てられなかった──ジョーとエレン、そしてキャスとボビーと、サムとディーン、みんなで撮った唯一の写真。
ルシファーを止めに行く前の、これが最後だとそのつもりの夜に撮った、大切な1枚。
「キリくん」
「ん?」
「理子も。キリくんの家族に、なれたかな」
「そうじゃなかったらなに?」
「そっか。ううん、ちょっと寝るね、ついたら起こして」
「ああ、いい夢を。たとえ離れても、世界の裏側にお前が泥棒に行っても、お前とは俺は家族だ。ずっとな」
どうかこれからも、お前によき明日がありますように。
おやすみ、理子。