哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

164 / 196
最後に待つ者(ルシファー)

 

 

「………っふぁ、さみぃ。なんで冬の朝ってこんなにさみぃんだろうな」

 

「四季に文句を言ったところで仕方ないでしょ。冬はいい面だってある」

 

「たとえば?」

 

「冬ソンは名曲揃い」

 

「それは言えてる。いい曲たくさんあるよな」

 

 冬はいい曲が勢揃い、それは言えてる。ミリオン級のモンスターが次から次に控えてるからな。

 

 

「おはよう、雪平」

 

「おはよ、お嬢様」

 

 愛しの67年、シボレー・インパラのフロントベンチシート、そして後部はキンジですら足先伸ばして寝転がれる広さで、上に被さってる体温と重みに嫌でも意識は覚醒していき、口角が緩む。

 制服の背中に手を回し、右手を行き場ない虚空に挙げると指先は吸い寄せられるように被さっているその背中から、綺麗な黒髪の先へ向いた。

 

「頭を撫でるの、好きね」

 

「綺麗な髪してるお前が悪い」

 

「今日の朝食は?」

 

「……さあ、どうしよっか」  

 

 胸元から覗き込むように下から顔を寄せてくる夾竹桃に髪を梳かしながらぼかしてみる。指が全然引っかからねえな、夾竹桃の髪。どうなってんだか。

 

「そうね。まずはコーヒーから」

 

「コナ・コーヒー?」

 

「あなたの淹れたコナ・コーヒー」

 

「………コンビニは駄目だな。帰るか」

 

「けどそういうのは、もう少しゆっくりしてから」

 

 そうだな、というかいくら軽いからってお前が上にいたら起きようにも起きられない。

 結局、髪を梳かしていた手はそのままにインパラのルーフをぼーっと見つめる。

 不思議なことに今この瞬間は、怪物や危険で敷き詰められてるはずのこの世界がとても平和に思える。そう、嘘みたいに。

 

 

「ねぇ、雪平」

 

 平和ボケしてると言われても否定できない。

 ぼーっと見上げている視界の外から声がして「なんだ?」と声だけ返してみる。すっ、と視界から消えていた顔が今度は膝立ちの高さで割り込んできた。

 

「この寒さのせいかもしれないけど、気付いたことが3つあるの」

 

「へぇ、どんな?」

 

「インパラが家だってこと、あなたもウィンチェスター兄弟だってこと。それとーーアンナはサヨナラの前にいい思い出を作れた」

 

「……それって実は遠回しなレビュー?」

 

「斬新な返しだけど、答えは黙秘する」

 

 年齢よりもずっと幼い顔で、少し拗ねたように目が明後日を向いた。ああ、はいはい。

 またクッション係ね。すげえ眺めで名残惜しくないわかじゃないがまた頭撫でときますよ、先生。

 

「サヨナラって意味ではそうかも。そのあとの彼女はターミネーター並みの暗殺者になっちまったしな。でも実はインパラはディーンのお家芸じゃないんだ。ほら、サムも」

 

 もう一人の兄の名前が出た途端、胸元にある彼女の目は丸くなってやがて首が意外そうに傾げられた。そりゃ言ってないよな。

 

「いつ?」

 

「アマラを追ってる途中、ナックゼアってグールとヴァンパイアの両方の特性を持ってる怪物と出くわしたときに。ダイナーの聞き込みで」

 

「菜食好きが内側はそうでもないか。ーーグールとヴァンパイア、つまりグーパイアね」

 

「………ディーンと同じネーミングセンスとはね。驚きだ。死体を食うタイプと生きた人間の心臓や血を餌にするタイプの2種類いて、ある意味幸せなヤツだったよ。仲間を増やして軍隊を作れば、アマラと戦えるって思ってたんだから。彼女の前じゃ一個大隊揃えたところで一時間経たずに皆殺しだ」

 

 アマラ、創造主である神の姉。

 かつて神とその近親である四人の大天使が、総力を結集してかろうじて封じ込めることができた地球が造られるずっと前から存在した原初の闇。

 肩書きからはやばさが振り切ってるが今はスパやらギャンブルやら、地上で新しい体験をするのに夢中でただのツーリストみたいになってる。

 

 去年、かなめと空港で一騒動あったときも頼んだら普通に付いてきてくれたしな。あのときの心強さ、頼もしさと言ったら今でも忘れられない。

 とまぁ、そういうわけでもアマラは夾竹桃ともほんの少しだが縁があったりする。かなめとの無茶苦茶な戦いからもう一年近くってのも実感ないけどな。

 

「何してるのかしら、彼女。この地上の、美しいものを観て回りたいって言ってたけど」

 

「楽しんでるんじゃないか? 観て、感じて、触れてみて、自由の身をきっとエンジョイしてる。なんというか、俺たちみたいに?」

 

「私たちが自由だと思う?」

 

「今この瞬間だけ見るならな」

 

「楽観的ね。でも、なぜか今日のあなたの言葉って説得力がある」

 

「じゃ、いつもって言ってもらえるよう頑張るよ」

 

「言えるのを楽しみに待ってるわ。のんびりと気長にね。貴方のお兄さんとカスティエルの上司の彼女と違って、私とあなたのはお別れの最後の思い出にーーじゃなかったわけだし?」

 

  

 知ってるか?

 蠍ってのは大きいやつほど危険が少ない。小さいやつほど猛毒を秘めていて危険だ。見た目は華奢でもその内側には凶悪無比な毒が潜んでる、そりゃもう危険なのがね。

 

「運転するか?」

 

「譲るわ、でも選曲はする」

 

「了解。じゃ、コーヒーを飲みにいくか。あと」

 

「ラムネでしょ、コーラも。昨日冷蔵庫を見たけどちゃんと残ってたわ」

 

「じゃ、寄り道なしで」

 

 とりあえずグータッチしてから俺たちは前のベンチシートに体を投げ出すように預ける。はぁ、インパラのシートは最高。世の中、変化に溢れていてもいつまで経ってもこれは変わらない。

 キーを預ければちゃんと答えてくれるBabyーー67年シボレー・インパラのエンジンの声。

 

「クリスマスーー」

 

「ん?」

 

「いいえ、電飾でごった返してるイルミネーションでも見に行かないかと思って」

 

「いいねぇ、一緒に散歩するか」

 

「あなたの首が落ちてなかったらね。大事にしなきゃ駄目よ、本当なら命は一つがルール。たとえルールを破るのがウィンチェスターのお家芸だとしてもね」

 

 ああ、それまではーー

 それまで、墓穴に入らないように頑張るよ。毎回墓地から這い出るのは気が滅入るしな。

 

「良かった。死にたくないって理由がおかげでまた一つ増えた、コミケと打ち上げ以外に」

 

 できれば、

 そう、できればーー来年も、そのまた先も、楽しく過ごしたいかな、お前と。残りの時間がある限り。

 

「それと俺も昨日と今朝で気付いたことがある、言ってもいいか」

 

「是非に聞きたいわね」

 

「お前、舌から毒を自由に分泌できるって言ってたよな。体内で飼ってる毒を好きに分泌できる、中毒になるかもって」

 

 酸っぱいものを思い浮かべるのと甘いものを思い浮かべるのとでは、成分の異なる唾液が出るように意図的に毒や薬の下を作れるーーそれが隣でのほほんとしてる毒の専門家。

 

「そう、結局は何が言いたいかって言うと……」

 

「ぶち上がった末に私の舌で中毒になった」

 

 

 そう言われると、すごく情けなく聞こえるのは俺だけかな。だからとりあえず、

 

 

「愛してる」

 

 

「ものすごく、愛してる」

 

 

 誤魔化すように、本音を言っておく。

 やり返されたけど。

 

◇ 

 

 

 アバドンの最悪のコールから数日。

 俺が日本に戻ってきてからあっという間に時間は流れて、もう12月は中旬。帰ってきてから一気にめくった部屋の日捲りカレンダーもすっかり薄くなって残りは僅か。

 

 クリスマスも待ち焦がれる暇なくやってくるだろうし、去年ロカがメールをくれたロシアのクリスマスでさえ一ヶ月を切ってる。

 

 ロシアではクリスマスが少し遅れて一月にやってくるのは結構ハンターの間で有名な話だ。

 異教徒の神たちはクリスマスやハロウィン、古くからの伝統行事に関わりを持ってる連中がそこそこいるからな。

 

 

「それで、ドナテロは無事なんだな」

 

「ああ。今は回復して、ベリーよりカリカリのチキンが食べたいと」

 

 不意に目についた部屋のカレンダーから始まった脳内の連想ゲームも一旦白紙にし、本土のキャスと繋がってる携帯をテーブルに置いてハンズフリーのボタンを押す。

 

 ドナテロ、なんでか彼が話題に挙がったときは大抵ひどい目に遭ってる。キャスの処置でなんとかなったが今回もまた病院のベッドで生死の境を彷徨っていたらしい。

 原因は言うまでもなく、ドナテロが神の声を聞ける『預言者』だから。そもそもここ数年の彼の身に起きた同情したくなるトラブルはほぼ預言者絡み。他人事みたいだが同情するよ、本当に。

 

「……いきなり脂っこいの大丈夫か?」

 

「いずれにしてもドナテロは回復し、退院した。相変わらず魂はないんだが」

 

「無事ならよかった」

 

「それよりも君は大丈夫か。アナエルから聞いた、アバドンが……にわかに信じがたいことだが」

 

「俺もゾッとしたよ。悍ましさならアラステアと同等かもしれんがアラステアとアバドンじゃ自力が違いすぎる」

 

 キンジが残していった綿の見えかけのL字ソファーに腰掛けて、缶コーラーのプルタブを捻る。

 炭酸の弾ける音に一時の間を預けて、ビーフジャーキーを炭酸で贅沢に流し込んだ。だが、

 

「だが、それより面倒なのは行方知れずになっちまったアバドンが残していった言葉だーー誰かがルシファーを外に出そうとしてる。大方、魔王とロクに話したこともない馬鹿なフォロワーの一人だ。冷戦と一緒さ、冷戦を冷戦を言えるのはあの頃を知らない人間だけ」

 

「熱意のある追いかけのようなものか。ルシファーのことを知ってる気でいても実際に知り合いとは限らない」

 

「ああそれだ。ルシファーを解き放とうとするのはルシファーのことを知らないやつだけ。解き放ったところで側近に置かれることはないし、恩も売れない。末路は一つ、機嫌損ねて殺される」

 

 それが器になった俺の見解。

 ルシファーを助けたところで、ルシファーが助けてくれるとは限らない。ルシファーが自分以外の為に生きようとしたのは、息子であるジャックが生まれる前から親であることを否定されるまでの間のみ。

 ジャックと完全に離別した以上、もうあいつが誰かの為に動くなんてことはありえないんだ。

 

 ガイデロニケの傍迷惑な登場だけでも頭が痛いってのによ。

 

「しかしそんなことがあり得るのか? ルシファーはミカエルの剣となったディーンによって虚無におくられた。神やアマラでさえ虚無には……」

 

「干渉できない。だがアバドンの言葉が嘘だとも思えない。けど何かも不気味なほど不透明だ。どうやって呼び戻す? 誰がルシファーを戻したがる? 何のために戻したいんだ?」

 

 考えれば、いくらでも疑問が出てくる。だが、そのどれもが不気味なほど不透明で冬の寒さとは別に考えるほど体が冷えていく。

 もし、もし仮に……

 

 

「ーーキリ、キリ………大丈夫か?」

 

 

「あっ……あ、ぁ………悪い。最近、色々と好調だったから急な落とし穴にハマったみたいで」

 

「そのことは私もディーンから聞いた。私と見たピザ男のドラマが役に立ったと」

 

「消せ消せ、今すぐ記憶から消せ。あんな過激派のアドバイスは朽ち果てた石ころほどの価値もない。あぁったく、ところでなんだけどキャスはアブラクサスって悪魔聞いたことない?」

 

「聞いたことがある。かつてリリスの下にいたルシファーを強く信奉していた悪魔だ。ヤツがどうかしたのか?」

 

 リリスの部下、ベルフェゴールから聞いた話はどうやら嘘じゃなさそうだな。

 額を指で小突き、さっきとは一転して熱の入りそうな頭を黙らせる。そしてハンズフリーの携帯に向けて続けた。

 

「別の悪魔から名前を聞いたんだけど、ちょっと気になる話をね。アブラクサスはルシファーの命令で、もしサムが器にならなかったときの保険をかけにいったって」

 

 こっちの話は不透明に見えて、さっきと違って外から内側が透けて見える。

 アブラクサスって悪魔はルシファーの強烈な信者でサムがルシファーの器にならなかったときの保険として別の器を用意した。つまりーーニックだ。

 

 キャスからも同じ構図が見えてるように言葉が飛ぶ。

 

「……アブラクサスはニックの家族を殺し、彼がルシファーの器になるよう仕立てた? だが奴の姿はルシファーが檻に落ちる前から目にしていない。アブラクサスは既に死んで虚無にいるんじゃないか?」

 

「いや、待って。違う。アブラクサスはそもそも違うと思う。アブラクサスが死んでる、もしくは動けないくらいにやられてるってのそうだと思うけど、ルシファーを出そうとしてるのは……あいつじゃない」

 

 不透明だった箱が、ほんの少し見えてきたような気がする。いや、確実性はない。けど、武偵とのダブルワークで色んな犯罪者を先生と見てきた経験が嫌な可能性を考えさせる。

 スピーカーに向けて、嫌な考えを喋らせる。

 

「俺がルシファーの器になってた頃、ニックのことをルシファーは目を閉じて電話帳のなかから適当に選んだって言ってた。アブラクサスが多分、そういう適当な選び方をしやがったんだ。でも本当のところはどうなのかな」

 

「……ニックは偶然ではなく、意図的にルシファーの器として選ばれた?」

 

「キャスも分かるだろ。緋緋神が神崎を、ミカエルがディーン、サムがルシファー、そして俺はガブ。器にも相性の良し悪しはある。悲観的に考えすぎてるかもしれないけどニックのなかにはルシファーの負の衝動っていうか、あの破壊と殺戮の塊と惹かれ合う部分があったとすれば?」

 

 不透明な箱が透けていく。

 悲観論、悲観的すぎる推測と思っていたものが言葉にすると妙に現実味を帯びていく。

 

「ルシファーがニックの器に愛着を抱いたように、ニックも長い年月一緒にいたことでヤツを、ルシファーを……手放せなくなってたら? ルシファーと一緒にいることで味わってた何かを壊す、殺すことの感覚が忘れられなかったら?」

 

 画面に映っている通話時間は思っていたよりもずっと大きい数字を刻んでる。

 カーテンから僅かに見えていた夕暮れは、いつの間にか消えてもう夜の帳が降りるところだった。

 

「ごめん、キャス。少しでしゃばったかも。ニックは逮捕されてんだよね?」

 

「ああ。しかし、君の言葉は頭に入れておこう。もしまたルシファーが外に出れば厄介なことになる」

 

「いつでも厄介だよ、あいつが絡むことは。そうじゃなかった試しがないーーああ、ごめんキャス。そろそろ一度切るね。何かあったら電話して今回のこと。ジャックこととかクレアのことでもね。なんでも相談に乗る」

 

 

「分かった。ああ、キリ。気をつけてくれ」

 

「お互いにね、天使さま」

 

 

 ーーじゃまた。

 トレンチコートの天使さまとの電話を切り、チャイムが鳴った玄関のドアを開ける。見慣れた銀髪碧眼の知り合いが腕を組みながら待ち構えていた。

 

 ……堂々としてるね、ジャンヌ。佇まいが後ろに無数の兵士でも率いてる指揮官のそれだ。

 どっちが来客か分かんないよ。

 

 

「すまない、お邪魔だったか?」

 

「いいや、お前はいつ来てくれても結構だよ。いつだって歓迎しますよ、聖女さま」

 

「ふ、そうだろう。今やお前とは盟友と言ってもいい仲だからな」

 

 ドアを開くと、まるで典型的な美人が見せる絵画みたいな笑みに呆れた声が出そうになる。いつもの言っとくか、一応。

 

「もう何度言ったか分かんないけど。ジャンヌって無駄に美人だよな」

 

 

 何度言ったか分からないお決まりのセリフに、ジャンヌもまた軽快な足取りで廊下を進みながら答えてくれる。

 

「もう何度返したか分からないが私も言っておく。バカか、お前はーー」

 

 気の強い双眸で振り返ったジャンヌに、俺はかぶりを振って、

 

「かもしれねえな。実を言うと親父が昔母さんに使ってたやつなんだ。無駄に美人だよな、ってお決まりのやつ」

 

「そうなのか? 初めて聞いたぞ、だがそれは………待て、母親というのは………」

 

「ああそれは、メアリー母さんじゃなくてエレンでもなくて、俺を産み落としてくれた方のね。こっちで警察官やってた俺の母親」

 

 ソファーにつこうとしてジャンヌの碧眼が強く収縮しながらこっちを見た。そこまで驚いてるのは俺としても予想外。

 

「意外だな」

 

「何が?」

 

「お前は、自分を産んだ母親の話はあまりしないだろう。恨みもしないが干渉もしない、そのスタンスを通してきた」

 

「そりゃまあ、俺もいい子供にはなれなかっただろうしな。エレンと親父のおかげで素行不良やグレる勇気もなかったけど」

 

 グレたとしてあの親父だぞ?

 次の日の訓練メニューが水増しされるだけだ、やってらんねえよ。ジョーに冷たい目を向けられるのも怖かったしな。

 

 

「ジャンヌ、どうして警察官なんてやってた母さんが海を渡ったと思う?」

 

「信念を通した。それまで積み上げてきたものを失うと分かりながら、彼女は正しいことをした」

 

「……えっ。なに、知ってたの?」

 

「許せ、勘繰るつもりはなかったのだ。だが私たちのような者には意図せず色々な情報が流れてくる。もっともその話については私や理子も断片的にしか知らない。分かっているのはお前の母が大きな闇を暴く為に体一つで海を渡ったということだけ。自分の身を切りつけて正しいことをする、お前と同じだな」

 

 ………ありがと。

 しかし、理子までご存知か。ま、俺も別に調べるつもりなんてなかったんだけどね。でもジャンヌの言う通りこの仕事をしてれば嫌でも色んな情報が流れてくる。

 

「だが、どうして私にその話を? いつものお前らしくないぞ、いつもならアメリカのアクション映画の話やもっと、そう、だらけた話で切り出すところだ」

 

「なんだろう、誰かに話しとききたかったのかな。お前になら別にいいかなって、そう思って。ほら、俺たち盟友だし?」

 

 さっき貰った言葉を混ぜて返すと、ジャンヌは綺麗に笑ってソファーに背を預けていく。

 嘘じゃない、お前は盟友で戦友だ。初めて地下倉庫でやりあったときからは考えられないけどな。

 

「やはりここは落ち着く」と天井を仰ぎながら、ソファーの真ん中に陣取った銀氷の魔女。

 空になったテーブルの缶をゴミ袋に投げ捨ててからその隣に俺も座る。まるでタイミングを見ていたように携帯が音を立てた。

 

 

「嫌なニュースか?」

 

「気になった事件があって頼んでたんだ。遺体は鋭利な刃物で一突き、けど熱に焦がされたような傷が残ってた。かなり綺麗な状態で焼き貫かれてる」

 

 傷に見覚えがあった。

 いや、忘れるわけない。クレアにハンターとして生きるこのを決定付けさせた忌々しい恥さらしだ。

 

「ひどい顔だな、因縁ありと見える」  

 

「傷に見覚えがある。ディーンはクレアとパターゴルフをやってるときに気付いた。グレゴリだ。高熱と独特な刃物の傷が連中の使う天使の剣と一致してる」

 

「最初に派遣された天使たち、まだ残っていたのか」

 

「天使自体がもはや絶滅危惧だがまだ一部のキューピットやグレゴリは地上に残ってる。天界が大変だろうと関係なし、本土でも日本でも奴等は変わらず今でも人を貪り食ってる。何が天使だ、笑わせるぜ」

 

 ガイデロニケ、ルシファー、忙しいことこの上ないがこいつもほっとけない。

 グレゴリ、本土にいたときはよりにもよってクレアの母親に手を出した。私怨ならおもいっきり入ってるぜこの狩りはーー

 

「分かった。キリ、それなら私も手を貸そう」

 

「えっ?」

 

「グレゴリには、彼等独自の天使のラジオが備わっていると聞く。地上にもっとも早く降りた先遣隊、だとすれば部隊の結束も強い。何も一人とは限らないだろう? 私の手を借りておけ、今なら無料だ」

 

 いつも以上にジャンヌが優しい。

 妙ってほどじゃないけど、いや、その援軍は非常に心強いけど。

 

「なんか食うか? 映画でも見ながら」

 

「では、今夜はパスタにしよう。ただしイカスミ以外ので」

 

 パスタね、了解。

 映画でも見てゆっくりしていけ、オルレアンの聖女さま。ただしラブ・アクチュアリー以外で。

 

 

 

 

 

 

「天使が教会を隠れ家にするってどう? あまり賢いとは思えないんだけど」

 

「連中の基準は賢いかどうかじゃない、それをどこまで正しいとおもってるかどうか。正しいと思えばバカでマヌケなことでも堂々とやるのが連中さ」

 

「地上のホテルが肌に合わなかったんだろう。開かない窓、使い回しのシーツ、クレジットカードのような部屋の鍵。皆が財布のカード収納部に空きがあるとは限らない」

 

「もし事実なら贅沢なやつ。俺だって豪華なホテルや立派な民泊で1週間ぐらいゆっくりしたい」

 

 夜の教会。

 それは、他には言い表せない独特の雰囲気に満ちていて忍び込んだのとは別に、息をするのも拒んでしまいそうな特別な重苦しさがあった。

 

 神の間、家というには神聖さよりも得体の知れないものでこの空間は満たされてる。そもそもアラステアと再会したり、ルシファーが外に出てきたり、教会ってのはあまりいい思い出がない。

 

 ジャンヌを先頭に、背中に俺、夾竹桃と続く即興の陣形でミサや礼拝用の大広間に押し入る。

 当たり前だが高い天井の下に人はおらず、他に気配があるかと言われたら後ろ暗い気配も感じない。

 

 人がいなくなった夜の教会。何の変哲もなく、視界に広がっているのはただそれだけの景色。ステンドグラス、チャペルチェア、正面の十字架、何一つおかしくない。

 

「あなたの腕は信じてる。恩寵を使った探索のまじないが不発じゃないとしたらこれはどういう状況?」

 

「……いい状況ではないな」

 

 

 昔、他のグレゴリからひったくった連中のガソリンタンクとも言うべき恩寵を使っての追跡、探索のまじないだ。言うなればこれは、タグを検索して追いかけたようなもの。

 個人的にはかなり手応えがあった。あんまりミスったと思えない。だとしたらこれは一体どういう状況なんだ……

 

 普通に考えれば追跡をしくった、あるいは振り切られた。だが、そんな妥当な考えこそ矛盾してるような異様な空気がなぜか俺は感じてしまう。

 確かなものは何もない、だが……とても、取り返しがつかない扉の前に立っているような気がする。

 

 頭上の鮮やかさも何もないステンドグラスを見上げた瞬間、不意にゾッとする何かが背中を撫でた。

 今まで生きてきたなかで味わった、負の感情が丸ごと背中に這い寄ってくるような悍ましい()()()ーー

 

「二人とも、ひとまず出よう。急ぐぞ」

 

「そうね、同感よ。嫌な予感がする」

 

 そっちはそっちで何かを察した夾竹桃が体を反転させようとする。

 行こうジャンヌ、ここで長居するのはまずい。

 

 

 

「手遅れだ」

 

 

 

 ………?

 

 

「ーーーもう来てる。構えろ、それしかない」

 

 

 デュランダルを静かに構えたその姿を見て、踵を返そうとした俺と夾竹桃の足が止まる。

 焦燥に塗られたジャンヌの碧眼を辿ると、物言わぬマリア像が静かに()を流していた。

 

 白いその体に……両目から流れ落ちる赤色の液体が線を引いていく。……マリア像が、血の涙を流してる……聖母の像が、血の涙で、泣いてる………

 

 喉は渇き、あまりの悍ましい光景に足が動かなかった。

 知ってる、俺はこの身の毛のよだつ悍ましい光景を見たことがある……

 

 

「借りるわよ」

 

 

 手袋を外し、5色に分けられた毒の爪を露呈した上で夾竹桃は俺のコートの胸元に手を突っ込み、内側にあった天使の剣を冷たい顔のまま引き抜く。  

 血の雫がマリア像の足下を濡らし、床を赤色に染めるなかで俺もルビーのナイフの木製グリップを逆手に握る。

 

 逃げる?

 もしできたら、ジャンヌは引き止めたりしない。

 マリア像に足下に溜まった血が、やがて生き物のように明らかに違和感のある速度で、それはまるで燃料の敷かれた床を辿って意図的な炎の道が作られるように何もなかった教会の床に印を描いていく。

 

 

 マリア像の血涙で教会の床をキャンパスにして描かれていく不出来な血の図形、ジャンヌや夾竹桃は視線と表情から覚えがなさそうだ。

 俺もこんなのは見たことが……いや、違う。図形じゃない、これは天使のーー

 

 

 

「ーーーエノク語だ。とろいぞ、キリエル。ガブの講義を受けただろう?」

 

 

 刹那、黒い夜の帳が完全に降りた真夜中にも関わらず、教会の広間が真っ白に、光で包まれた。

 

 神々しく、陽光の暖かさもなく、人工的な無機質さも感じない不思議な光ーー何も知らなければ、何も知らなかったら……何も考えず、ただ魅了されてしまいそうな神聖さを感じる。

 

  

 だが、光が晴れたときそこにあったのは……壇上に背中を預けるようにしてグレゴリの天使の剣に貫かれた、血濡れの神父の遺体。そして、

 

 

「やあ、諸君。みんな元気だった? 実はちょっと充電中でね。ああ、ノックしなかったことは攻めてない。私もしなかったからな。お互い次に活かそう」

 

 

 あまりにフランクに、無邪気な子供のような笑みを浮かべて、神父の……虚無へ送られたであろうグレゴリの喉から虚空に溢れでた恩寵をそれは吸い上げてる。

 

 

「……ちくしょうめ」

 

 

 パチンと指が鳴ると、壮大な手品のように教会に備えられたあらゆる照明、蝋燭に明かりが灯る。

 一瞬にして暗闇から晴れた明るい教会で、亡骸となったグレゴリを背にして、ああーーあまりに粗悪な映画みたいだ。

 

 

「雪平、あれはお友だち? そう言ってくれると助かるんだけど」

 

 

 精一杯の、夾竹桃のブラックジョークになんとか精一杯かぶりを振る。

 

 

「いや、無理だろ。それは」

 

 

 光の差した神の家に、あまりに毒々しく紅く染まった双眸が煌めく。

 ああ、俺たちは友達じゃない。そうだろ、ニック。そうだよなーー

 

 

 

()()()()()……何回出てきたら気が済むんだよ。この暇人が」

 

 

 

 それは、俺たちが出してしまった最初にして最悪の罪。

 ルシファー、それは光をもたらす者という意味。

 

 教会、彼の父である神の膝元でルシファーは笑う。まるでそれは、果てしなく長かった旅路の、最後を報せにやってきたようにーー






残り数話で終わるので間違いないと思います、本作のメインヴィランはルシファーでした。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。