『何の為の封印だ?』
『ドアに取り付けた鍵だと思ってくれ』
『最後のドアが開いたら……?』
『………ルシファーが自由になる』
『人間が神を崇めるように悪魔どもが祀り上げた魔王だろ? そんなもんいない』
『これさ、キャスとクラウリーのアジト。そこで儀式をやる』
『ウィンチェスター兄弟が子守役ってのが気に食わない。しかも息子を匿えきれなかった、息子は今! 天使と悪魔から狙われてるんだぞ!』
『二人はジャックに最上の教育を施した』
『教育だと!? 愚かな人間の分際でジャックを導くことができるかッ!』
『多くの魂を抱え込んだからそんなふうになったと思っているようだなぁ。だが原因は他にある。お前は煉獄の魂よりもずぅーっと古いものを飲み込んでしまったんだぁ』
『なあ、弟なんだぞ? 惑星ができた頃からの、付き合いだ。あんたは変われないし、人を愛せない。下僕にして恐怖で支配するしか能が、無いんだ!』
『いいえ、三重の裏切り。最後はあんたたちについて計画どおり悪党をたおした』
『悪いか? この世の終わり、名前が悪いな。天使対悪魔、ヘビー級の……タイトルマッチ。いやもうちょっと、規模が大きい』
『我らの父ではない、私の父だ。神によって監禁された』
『扉を開いたの。ついにあの方が出てくる、自由の身になるのよ……』
『やっとルシファーに会えた。かわいい甥っ子。……こんな器に入ったの?』
『ニックのことね、じき燃え尽きて使えなくなる。問題はサムよ、器になったら取り返しがつかない』
『燃料ね。魂は原子炉と同じ燃料なの。たくさん集めたら太陽が作れる、地獄の王がほおっておくわけないーー煉獄は手つかずの油田』
「おはよう、夾竹桃」
「⋯⋯知ってる天井ね」
「だろうな。武偵病院だ、何度か来てる」
「⋯⋯今日って何日?」
「16日の真昼。教会で無茶苦茶やってからだいたい半日くらいかな。ドクの見立てよりずっと早起きだよ」
翌朝、というかもう昼だが。
「じゃあちょっと手を握ってみてくれ。俺なら毒の方は大丈夫だから。ほら、左手から」
「⋯⋯握れてる?」
「ああ、大丈夫。右手の方も。ああ、しっかり握れてる。大丈夫だ。サーベルタイガーとても喧嘩できるさ」
「⋯⋯そう、デロリアンがいるわね」
「大丈夫、デロリアンはないけどキャスがいる」
あのあと緊急で転がり込んだ武偵病院のベッドで夾竹桃は目を覚ました。気怠げに天井を少し仰ぎ見たあと、首だけが窓際で椅子にかけてる俺の方へ向いた。
ゆったりと動いた手は首、頬、そして血を流していた目の下にも順番に触れていき、
「思ったより傷が少ないわね。カスティエル?」
起きたばかりなのに冴えてるな。
「恩寵をフルに回してくれて、ここに転がり込んだときには応急手当どころじゃなかったって。俺もねじ曲がった手首が戻ったし、ジャンヌはもう元気になって今回の──ま、ちょっと後処理をやってくれてる、あの遺体からして猟奇殺人とかそこらへんになりそうだけど」
「厄介な仕事を押しつけてしまったわ」
「だな、もうレモンティーと服を奢らされた。今度遊びに行くとき見せてくれるって」
意識ははっきりしてる。
本来は本土にいるはずのキャスの名前が出たってことは記憶の混濁もなさそうだ。安心した。
「⋯⋯ルシファー、嘘偽りなく言うけど。また会うとは思ってなかった」
「俺もだよ、ようやく終わったと思ってた。ミカエルも片付けてこれでやっと終わったと思ったのにまた逆戻り。まるでタチの悪いすごろくだ。進んだと思ったらまた戻される」
「あり得ることなの? 自分からもう一度ルシファーに身を捧げるなんて凶行と言ってもまだ足りない」
「さあな、ただ現実としてニックはルシファーを虚無から呼び戻し自由を与えた。妻子を殺して人生を無茶苦茶にしたルシファーにな。それだけ分かってれば十分だ」
ルシファーはどれどけ血を浴びても、殺戮を繰り返しても満足しない。最終戦争という目的も無くし、息子への興味も失せ、ただ殺しを楽しむモンスターになった。
自分の欲を満たしたいが為にルシファーはすべてを壊す。あれは玉座を狙うアバドンや敵対する種を焼き払うガイデロニケとは比べ物にならない悪意の塊だ。
「ヤツをこのまま野放しにしといたら、砦と扉の対立もエンゲージも、大移動の受け入れも拒否もへったくれもない。必ず無茶苦茶になる」
⋯⋯駄目だな。
出る言葉の全部がダークで悲観的すぎる。寝起きの病人に聞かせる言葉じゃない。
「悪い。起きてすぐにする話じゃなかった」
「いいえ、どういう状況か聞きたかったし。喋らなかったらあとから問い詰めてた、結果は変わらない」
「そっか。あ、先生呼んでくるよ。軽い検査だけしたらきっとすぐに退院できる、心配しなくても年末はきっと祭典を楽しめる」
やんわりと笑ってくれて、それに逃げるように丸椅子を部屋の隅へ戻す。病人が目覚めたのにドクを呼んでないなんてありえないからな。
「雪平」
「ん?」
「ありがとう。目覚めた時に傍にいてくれて」
⋯⋯そうやってまっすぐにお礼を言われると、返しに困るんだけどな。真面目な状況になるとすごく大人っぽくなるの、かなりずるい。
その顔で、真面目に大人っぽいこと言うと誰だって理性がくたばる。
「礼なんていい。何もなくてよかった。何か口にしたくなったら言って、何でも買ってくるーーじゃあ、あとで」
前髪をそっと掻き分けて、少しだけ見えた額に口を落とす。また、あとでな。
「今のもう一回やって」
「やんないよ、恥ずかしい。また今度な」
綺麗に掃除された部屋、一つしかないそのベッドに軽く手を振ってから部屋をあとにする。
あ、でもキンジやディーンならやったかな。金一さんもパトラならやったかも。
キンゾー? キンゾーは、どうかな。ああ見えて根は真面目なやつだからかな、キンゾーは。
「桃子は?」
「無事だ。いつものように元気なもんだよ」
待合室にいたキャスの隣に座ると、なんか急に力が抜けた。ルシファーの念動力で折られた手首もキャスのおかげで見た目も中身も元通り、可動域の障害もなく携帯も弄れる。
突然現れて窮地を救ってくれた。
今回に限っては、疑いようもなくヒーローだったよキャス。
「ジャンヌが橈骨動脈が触れないって言ったときは焦ったけどな。お前が来てくれて本当に助かった。一生分の恩ができたよキャス、もうかなり溜まってる気がするけど」
「恩があるのは私もだ。ジャックやクレア、挙げてしまえば終わりがない」
お互い様か。
たしかにお互い助け合って、お互いヘマを山程やらかしてきたよな俺たち。
「色々あったよなぁ。一緒にクレアを迎えに施設に行ったのが随分と昔に思える。あの頃は、全身毛を逆立てる猫みたいだった。保安官やアレックスと出会って随分とクレアも変わった、いい意味でね。クレアは間違いなくいい子に育ったよ」
一息ついて、安心したのもあるんだろう。それに久しぶりに長年の友人と電話じゃなく、こうやって顔を合わせたのもあるのかもしれない。
本当に色々あった。
目を閉じてわざわざ思い出そうとしなくても、すぐに頭に浮かんでくる。威嚇する猫みたいなクレア、それにアレックスやピシュタコの絡んだドナとの初めての出会い。
ルシファーを檻に落として、そこからまた地上に引き上げてもらって、ルシファーとミカエルの一騎打ちをなんとかしたあとのことだけでも、100ページ程度じゃとても纏めれない。
「君が道を示してくれたおかげだ。クレアがハンターになることを止めず、一番大変な時期に一緒にいてくれた」
「あのときは、狩りをすることがクレアにとって唯一縋れるものだったろうから。俺には、ハンターなんてやめておけなんて言えなかった。復讐だって一時くらいは心の支えになる、一時凌ぎにはな。でも所詮は一時、今のクレアがあるのはスーフォールズの、いい家族に恵まれたから。他に言いようがない」
「クレアにとってスーフォールズは大切な故郷だ。君にとってこの国がそうであるように」
まっすぐな瞳でそう言うキャスは何にも意図してなかったんだろうけど、綺麗にカウンターを入れられた気分。見事に当たってる。
「⋯⋯さよならするには名残惜しい縁が増えすぎちまってさ。拠り所が出来ちまったっていうか、俺が帰るべき家は基地とインパラだけだと思ってたんだが」
そう、そこしかないと思ってた。
どれだけレールを外れても、知らず知らずに修正されて最後には元の道へ戻ってる。その繰り返し、それが俺たちの人生だった。
「キリ、故郷というのは⋯⋯いや、家というのは単なる場所ではない」
「⋯⋯それって、どういう?」
「家というのは、ただ帰るべき場所を示すのではなく気持ちの拠り所だ。愛する者の笑顔、笑い声、育んできた信頼、そして友情、思いがけずに築くことができた友情。そういう気持ちに心のなかに家を築けば、家は単なる場所ではなくなる」
どういう言葉を返そうか悩んだ挙句、自然と何もない間ができあがった。
綺麗事とはいえず、抽象的ともいえない不思議な感覚だった。
それはたぶん、本来天使にはあるはずのなかった自由意志というものに触れたキャスが、ここまで歩いてきた道のりで得た答えなんだろう。
「家は目に見えるものじゃなくて
「いずれ私も、メグや多くの同志たちのように君たち兄弟のもとを去る」
「おい、そんなこと言うなって。冗談にしても悲しすぎる。俺はもう、家族を失うのはごめんだ。そんなこと言うなってお馬鹿、ブラックジョークにもならん」
「キリ、どんな者にでも別れは来る、いつか、突然に⋯⋯それは私やディーン、君やサムにもだ。私で慣れておけとは言わない。だが⋯⋯だがそれは永遠の別れではない」
「⋯⋯会えるのか。別れても」
「ああ。心に寄り添える存在になれば、気持ちになれば、そうすれば心のなかでいつでも会える。目を閉じればきっと、君にも見えるはずだ。君に手を振る、大切な人の姿が」
「⋯⋯エレンは背中を蹴飛ばしに来そうだけどな。バカタレ、マジで天使っぽいこと言いやがって。導かれた気分だよ、天界一のポンコツに」
「おい、ポンコツって⋯⋯ルシファーみたいなことを言うんじゃない」
忘れないよ、俺の記憶のページにはもうお前とジャックの名前は派手に焼き付いてる。
この先どんな無茶苦茶なことがあっても、俺は地獄から二回も引っ張り上げてくれたお前のことを忘れない。一緒に世界の破滅と何度もやり合った家族のことは、絶対に忘れない。
最初はロボットみたいに無機質だったのに、今は随分と感情豊かな顔で噛み付いてくる天使さまに、ああ、その不機嫌な顔って無茶苦茶笑える。
「なんだ?」
「いや、メタトロンが言ってのを思い出して。小動物的な愛嬌があるってさ。なんだろう、マンチカンというかトイプードルみたいな?」
「メタトロン。ヤツの言うことは大抵信用ならない」
「大抵か。最初に比べたら随分とマシになったな」
「? だとすれば君は⋯⋯」
「いや、いいから。たとえなくていいから!」
ったく、結構やばい状況だってのになんでだろう。
毒気が抜かれる。ルシファーの復活、なのに妙に落ち着いてる。いや、ずっとそうだったのかな。
やばい状況に追い込まれて、それでもサム、ディーンとキャスとたまにクラウリー、みんなで血を撒き散らして、嘆いて、なんとかして、
「なあ、キャス。俺は奇跡なんてそこまで信じないけど、でも何千何万といる天使のなかでお前がディーンと俺を引っ張り上げてパニックルームまで会いに来てくれた。これって奇跡みたいだ」
「いきなりナイフで刺される出会いだった」
「うん、感動的って言うにはだいぶ無理がある。無茶苦茶だったな。ホントに、無茶苦茶で、でも今となっては懐かしい」
「聞いてもいいか?」
なにさ、この期に及んであらたまって。
「いいぜ、なんでも聞いてくれコンスタンティン」
「キリにとって、幸せとは何だ? 幸せとは、手に入れるものなのか? 与えたり、与えられるものなのか?」
「⋯⋯哲学的なのが来たなぁ。俺よりずっと長生きしてんだから聞くのと答えるの逆じゃないか?」
苦々しく答えるも、
そこまで真剣な顔されると、濁せないな。幸せか、幸せ、俺にとっての、俺にとっての、幸せか⋯⋯
「難しいな⋯⋯あー、そう、だな⋯⋯幸せってのは与えたり、与えられたりするものなのかな、それはきっと色々な幸せの形があって、正解なんてあるのか分かんないけど」
駄目だな、これじゃ答えになってない。
悪い癖だ、本音を誤魔化してそれっぽい答えを並べて場を流すのは。さすがに、目の前の腐れ縁にそれはしたくない。
「幸せってのは、
「いや、十分だ。十分に答えはもらった、ありがとうキリ。君と桃子、ジャックと四人で絵を描いたあの時間は、私にとって永遠の、最高の思い出だ」
「⋯⋯あんまり湿っぽいこと言うなって。でも俺も楽しかった、すごく。ふぅ、これからもジャックにもっと色んな経験させてやりなよ? 野球観に行ったりとか、一緒に遊んだりなんでもいい、ジャックはまだ子供だ。なんでも吸収する、いいこともそうじゃないことも。だから拠り所に、支えになってやってこれからも。ケリーもきっとキャスがそうしてくれるのを望んでる」
「彼女の願いに、私は応えられるかどうか」
「もう応えてるよ、半分くらいは」
頑張れよ。最近のキンジを見てホントにそう思うけど、父親は大変だ。
軽く背中を伸ばしながら、腰を浮かす。⋯⋯さって、ジャンヌもそろそろ終わったかな。
「行くのか?」
「聖女さまに声かけにね。恩寵が戻るまではこっちに?」
「長居はできない、ルシファーのことがある。私はあとで天使のラジオを探ってみる」
「うん、頼んだ。あ、でもガイデロニケのことは聞いてる?」
ガイデロニケ、その不気味な名前を口にしてもキャスの顔はそこまで変わらなかった。
「アナエルから話は聞いた、近々こちらにやってくると」
ああ、どうりで。
アナはいまや地上に滞在してる数少ない天使、キャスと繋がりが濃いのも当たり前か。同郷のよしみ。
「実はキンジに娘ができて、あー、血の繋がりはないんだクレアと保安官みたいな感じ。その子がガイデロニケの血統ぽくってね。ガイデロニケが血統を道標にするなら絡むのは避けられない、もし余裕ができたら神社の時みたいにウチのルームメイトに力を貸してやってくれ」
退学したから元だけど、そこはいい。
「分かった」と、短いながら嬉しい返事が来るのに時間は掛からなかった。
「ありがと、助かる」
⋯⋯ああ、本当に安心した。
「それじゃあね、ピザ男。これからもディーンと仲良くやりなよ?」
アナはどう言ってんだっけ。
そう、これだ。お休み、天使さま──
◇
「──おい、カンザス生まれのイーサン・ハント。宅急便だ」
凛とした、それでいて尖った不思議な響きがする声色が背後から殴りつけてくる。実際、不思議なヤツだよ。峰理子って女は。
「早かったな」
「デキる人間が好きなんだよ、あたしはな。だからそうあろうとしてる。ヒルダが在庫を抱えてた、あたしのと合わせて頼まれたもんは全部ここに」
「助かる。お前は間違いなく、デキる女だ。一緒にいてくれて首が繋がったことは一度や二度じゃない。いつも頼りにしてた」
「んなこと言っても無料にはしないからな。ボランティアとタダ働きは金持ちの道楽ってのが八神和麻の教えだ」
病院の通路、振り返った先にいた理子はそう言うと黒の小さなバッグを矢継ぎ早に押し付けてきた。
「俺もあの風術師は嫌いじゃない」
ただ一点求められた才能がないばかりに一族を追い出され、順風満帆とはいえない過去を背負いながらそれでも這い上がり、最強となってしまった術師。
理子も、何か思うところがあるんだろう。さっきからずっと裏理子モードだし。
バッグを受け取ると、鋭かった瞳がほんの少し緩やかに変わる。
「話はジャンヌから聞いてる。夾ちゃんは?」
「無事だ、心配ない」
「ジャンヌもそう言ってた、タフだね。お前らよく似てる」
褒め言葉と思っとくよ。
邪魔にならないように端に寄って、見慣れた理子の横顔に自然と表情が緩む。ハイジャックのときは真剣にやり合った、でもまたこうやって話をしてる。不思議な感じ、今さらだけどな。
「そっちはなにかあったか? 重大事件やらなんやら」
「そこまでかな。カップルのケンカ? 交差点の手前で同僚に車でぶつかった」
「愛は感じられないな」
「愛のムチ?」
「交差点の前でか?」
「あっぶないよねぇ。アリアのUターン並みかな」
「神崎のはUじゃない。あれはト音記号だ」
「だね。普段スリルがなくても、アリアの運転でアドレナリンが二倍出せちゃうよ」
くふふっ、と、いつものように理子は笑う。
ひまわりのような陽光をいっぱいに浴びたような横顔で、笑ってくれる。
「ちなちゃんの保育園でさ、誕生会があるんだって」
「へぇ」
「それでね。雪ちゃんやアリアもこれから忙しくなって集まれなくなっちゃうから、その前にバスカービルのみんなでちなちゃんの誕パやろーって。でねでね、キーくんがキリくんと夾ちゃんも一緒にやろーって」
「ああ、それはきっと喜ぶよ。夾竹桃もちなのことはすごく気に入ってたし俺も──」
「だから行き先を変えろ、今すぐ」
冷たい声で、理子の顔が目の前に寄る。
逸らすことも許されない刃の瞳が一瞬で目の前にあった。
「それはどういう⋯⋯?」
「ざけんな、これから見舞の品を買いに行く顔じゃねえだろ。その瞳がどういうもんかは知ってる。お前は誰よりも、他の誰よりもあたしに似てた。わかんないと思うか? あたしはデキる女なんだ」
⋯⋯だな。
峰理子は賢く、誇り高くて、すごい女だ。胸倉に寄ってくる手をほどいて、小さく笑うことしかできなくて。
「だから、そんなに欲しいならあたしがお前の頭を撃ち抜いてやる。⋯⋯頼むよ、キリ。本の中だけで十分だ、もういいだろ⋯⋯十分尽くしたよ、お前は。誰も、文句言わないよ⋯⋯言う奴はあたしが撃ち抜く、頼むよ⋯⋯行くなって」
⋯⋯お馬鹿、病院でそんな顔されたらみんな心配しちまう。
理子、お前はやっぱり優しすぎる。どれだけ自分が悪党だって言い張っても、本来の色は消し切れない。
「お前にそんな顔させれたのは、俺の人生でも数少ない誇れるかも。でも理子、別にそうじゃないんだ」
まっすぐに、どうしようもなく崩れてしまいそうな、赤くなった理子の瞳に、呪縛されそうなその目に向けて、
「ルシファーは俺たちが檻から出した最初の罪だ。黄色い目も、親父が消えた最初の始まりも最後にはあいつに繋がる。だからケリをつけないといけない。あの癇癪持ちに台無しにされちまうにはこの世界はまだ上等すぎる」
それに、お前や神崎、キンジを見てると思うんだ。
全部の人間がそうじゃない、悪魔や怪物より下劣で悍ましい人間だって結構いる。けど、ガブが言ったようになかには純粋で美しい人間だっている。
ルシファーの気分一つで殺戮されていいほど、まだ俺たちは落ちぶれちゃいない。
「⋯⋯⋯行くのか」
「ああ」
「どうしてもか?」
「ああ、どうしてもだ」
どうしても、そんな駄々を捏ねるような言葉で理子は手を退いてくれる。
「面倒な血統だな、ウィンチェスターってのは」
「死にに行くわけじゃない、確かめに行くんだ。ずっと探してた俺の、魂の眠る場所ってやつを」
人にはそれぞれ魂の帰るべき場所がある、それはもちろんお前とジャンヌにも。
そして、俺と理子は結んだ視線を切る。
話すのはここまでだと、どちらからともなく背を向ける。ああ、でも最後に、
「あぁ、最後に一つだけ。理子は待ってるからね。ジャンヌと一緒に式の『招待状』が届くのをずっと待ってるから」
なんて、和やかな言葉を残して廊下を伝う足音は消えていく。
峰理子の声は消えていく。
振り返るのはやめておこう、色んな感情が流れ込んできて、きっと頭の中がグチャグチャになるだろうから。
行き先を変えろ、か⋯⋯
じゃ、少しだけ変えるか。寄り道。
「よ、体調はどう?」
「今日はここで泊まりだって」
「そっか。⋯⋯ああ、不満な顔してると思ったら消灯時間のことか。個室だからって深夜アニメをリアタイで見るなんて駄目だぞ、子供じゃないんだからな」
「驚いたわ、あなたに手を噛まれるなんて」
その表現もどうかと思うけどね。
だとしても、けれど、いつものように慇懃無礼、少しも誤魔化すことなく思った言葉をそのまま歯に絹着せない調子に、安心する自分がいる。
扉を開けて真っ先に飛び込んでくる彼女の横顔に、正直こういう気持ちになることは、もうないと思ってた。
ジョーが死んでから、家族として友人として誰かを愛することはできてもそういう感情は、もう縁がないって思ってた。
白いフェンス、ガレージ付きの家と同じ。ハンターって仕事をしてる限り、抱いちゃいけないって思ってた。
「どうかした? マンガの差し入れなら喜んで受け取るけど」
「少年雑誌読みがらマンガの差し入れをご希望とはねぇ。作家の鑑だな。んで、何読んでんの? 金田一少年の事件簿? FAIRYTAIL?」
「『CØDE:BREAKER』──」
「名作だ」
「そうね」
やんわりとそう言って、雑誌に向かっていた瞳が俺の方へ向けて揺れる。
「ホントのところ、戻ってきたのは?」
「どうせならもう少し話してから帰ろうかと。急に顔が見たくなってさ、たまにあるだろそういうの」
「このタイミングで?」
「このタイミングだから、かな。会いたくなったって言うかさ、お前に」
不思議そうに首が揺れる。
このタイミングだから尚更会いに来たかった。寄り道って言ったけど、理子に言われなくても、俺はこの部屋の扉を開けに来た。
自然と足が向かったと思う。
バビロンの売春婦を倒したあと、最後にディーンがリサの家を訪ねたように──理屈じゃなくて俺もそうしてた。
このタイミングだから、
会いたい人に会いに来た。それだけ。
夾竹桃、鈴木桃子って去年俺の首を落としに、コルトを盗みにやってきた女に、会いたくなってたったそれだけ。
「今日はゆるゆるモード? いつもよりふにゃふにゃで愛嬌がある」
「ふにゃふにゃ? お笑いだ、生まれてから初めて言われたぜ。ちゃんとノートに書いとこうかな。親父はそうだった、従軍経験のある兵士はなんでもかんでもすべて書き留める、歴史家みたいに」
「そして、記憶のページにも」
「無くさないようにな」
「座ったら? ずっと立ってお喋りするの?」
「いや、長居はしない。そしたらずっとここで喋ってたくなるからさ。帰るタイミングを見失わないようにしとく」
「明日には退院してるかもね。だとしたら、この部屋で話せるのは今が最後かも」
「それでいいさ。病院のベッドでいつまでもいられたらみんな困る。ジャンヌも理子も、もちろん俺も」
欲しいものは手に入らない、どうせ最後はひどい景色のなかで首が落ちるとそう思ってた。
できることは、エレンとジョーが繋いでくれた命を無意味な最後で終わらせないこと。犠牲になっていったみんなに、顔向けができないような最後にだけはしないこと。
そう、いつだって考えるのは『最後』のことばかりだった。
でも今は、この『一瞬』のことだけ考えていられる。夢みたいなこの一瞬の輝きに、夢中になっていられる。
「それなら、あなたが踵を返さないうちに済ませないと」
「? テレビのカード? 言ってくれたら買いに行くけど」
「雪平、茶化すのはよしなさい。こっちに来て、いいから」
言われるまま、ベッドのもとへ寄り添う。
やけに真面目な顔がそこにあって、見上げてくるのは凛とした静かで、それでいて優しい瞳で、
「あなたは、神には祈らないんでしょ」
「祈ってもどうにもならなかったからな。いつだって神がくれるのは救いじゃなくてテメェの身内のゴタゴタだった」
「私もよ。私もあなたと同じ、これまで祈る神というものを持たなかった。いいえ、あったのかもしれないけどそれはとても昔のこと。ねぇ、切──」
瞼をおろし、思い返すように間を置いてから夾竹桃は続ける。
それは俺にとって──
「あなたにとって神は、ただ奪い⋯⋯壊す、残酷なものだった⋯⋯でも今、心から祈るわ。どうかすべての残酷な神が倒され、あなたの行く先に贖い以外の幸せな物語が置かれるように」
一生忘れられない言葉になった。
何があっても、何があっても俺は今日もらったこの言葉を絶対に忘れない。
「その為なら──何も惜しまず、あなたの剣とも盾ともなりましょう」
お前がくれたその祈りを、絶対に忘れない。
「⋯⋯こんなになってもお前は逞しいな」
ありがとう、夾竹桃。
本当にありがとう。
「お前は働きすぎだ、今日明日とは言わずしばらく気楽に寝てろ。ベッドの脇に靴下でも吊るしてな。ちょうど今はクリスマスだ、神はダメでもサンタならお望みの物語をプレゼントしてくれるかもよ?」
「期待しておく。クリスマスは毎年来るから、いつかは当たるでしょ」
「そうだな、宝くじよりは当たるかも。クリスマスは毎年来る、だから⋯⋯俺はその度にさっきの祈りの言葉を思い出すよ、これからもずっと」
お前がくれた祈りを、これからずっと。
「じゃ、本当に⋯⋯本当に、いつまでも居たいけどそろそろ行くよ。体に障ると悪い」
でもこれだけ、これだけは──
手を伸ばせばそこにある白い頬に手を当て、触れてくる吐息にかまわず顔を傾ける。さよならの言葉の代わりに。
「────ッ」
「───────」
数秒。たった数秒でもそのキスは、永遠に思える一瞬で。
触れた夾竹桃の温もりは、一生忘れそうもなくて。
潤んだ瞳が驚くように開いて、それでも首の後ろに回される彼女の腕に、体温に、渇いていたものが全部満たされる。
もういい。フェンス付きの家もガレージも普通の生活も必要ない。
欲しいものは手に入らない、今あるものを手元に置いておくだけで精一杯のハンターの人生。
それでも失いたくないものがただ一つ、手札に残ってる。
そこに、誰よりも大切に思える人が手を伸ばせば届く距離にいてくれる。
なあ、キャス。
つまりこういうことだろ、手に入れるとか与えたり与えられるものじゃなくて、
失いたくないものがすぐそこある。自分の首より大切と思える存在が近くにいてくれる、つまりそれが──
◇
十字路、クロスロード。
赤い瞳の十字路の悪魔と取引できる場所。本土でも日本でも、その特性は何も変わらない。
「あんまり契約や魂の回収って興味ないんだけど、なんか久々に十字路に呼び出された感じ。懐かしい? いやむず痒いって言うのかな」
一通り騒いだあと、サングラスで瞳を隠したベルフェゴールは指を鳴らす。
開けていた真夜中の視界が切り替わり、不気味な落雷の音と重苦しい悲鳴が木霊する、赤黒い灯りに照らされた地獄の一角に景色は変わる。
「ルシファーは玉座の間、クラウリーやアスモデウスが座ってたあの椅子と一緒にいる。場所、分かるよね?」
「ああ、ここでいい。悪かったな」
「別にいいよ、虚無に飛ばされるところを見逃してくれたから。なんというかあのあと世界が広がった、俺たちこれからはもっと仲良くやれると思ってたんだけど。いいよ、やりたいことはやったほうがいい」
「早く行け、ルシファーのファンクラブが騒がないうちに」
「そうする、また会えたら⋯⋯あ、あんたが生きてたらってことだけど」
「早く行けマヌケ。一回しか言わないが元気でな」
「オッケー、消える。一度言いたかったんだ、ご武運を」
長ったらしく喋ったあとベルフェゴールはいつものように姿を消した。ルビーのナイフを抜いて、それを契機に小細工も何もなく記憶を頼りに通路を駆け抜ける。
侵入に気付かれた刹那、XDを逆手で抜いてパラに加工した悪魔封じの銃弾をぶち込む。
一体、二体、貫いた先から動きを止める悪魔たちを抜き去り、ルビーのナイフで切りつけ怯ませ、遮っていた進路をただ進む。
阿鼻叫喚の罪人の悲鳴をバックに。
むせ返るような嫌な匂いと悲鳴に鼻腔と耳を刺激されながら、通路を走る。
何度も入口を閉じようとして、結局閉じることのできなかった世界──ルビーも元々は魔女で、死んでから悪魔になった。
魔女と地獄は切っても切れない。
仮に、仮に、そんな話はないだろうけどロウィーナがかつてのクラウリーのように地獄の王になったら少しはここもマシになるのかな。
少なくとも暴君のアバドンや小物のアスモデウスなんかよりはずっといい。
「じゃあな」
右にいけばリリスの部屋、そっちじゃない。
いつものように、これまで何度もやったようにルビーのナイフを腹に突き立て、オレンジの火花を口と目から弾くようにこぼしながら悪魔の亡骸が音を響かせて崩れ落ちる。
階段を渡り、降りて、そして、永遠のように続く段差をただ下に、地上より下にある世界をさらに下へ、降りて、そして最後にあるのは、
「来たか」
慇懃無礼、まるで最初から見通していたとばかりに来訪に玉座のルシファーは驚くこともなく、目の前で最後の護衛が崩れ去っても眉一つ動かない。
いや、実際分かってたんだろう。
長い間同じ檻にいて、器にまでなって、異世界も一緒に駆け回った。お互い、嬉しくないほどに中身を知ってる。
邪魔になるのはあらかた片付けた。
一歩前に出る。玉座をかけてかっこよく決闘とはいかない。気取ったものなんてない、生々しく、重たいものだけが充満してる。
「終わりにしようぜ、ルシファー。ガブもクラウリーもメグもみんな死んじまった。いい加減、俺たちも終わりにしよう」
「望み通りに」
ゆったりと、魔王が玉座から降りる。
冷たく、いつもの本心を守る取り繕ったような悪趣味な笑みの仮面もない素顔のまま、鋭く目が光る。
「面倒なハエにたかられてる自覚はあるか。コルトじゃ私は殺せない、父の力が宿った武器もない、ミカエルは入れた瞬間お前の体が朽ちる。だとしても、お前は頭がイカれてる。
「神の近親に刃向かうには、誰にだって縋るしかないじゃないか。女王様と意見が一致したんだ、殺しすぎなんだよルシファー。人間も怪物も」
「直に破裂する。リヴァイアサンがお前の薄皮一枚で隔離できるなら父は煉獄なんて作っちゃいない」
「お前を虚無に戻すまで、持てばいい」
「父を足蹴りする男が一体いつから殉教者になったんだ?」
意識すれば、体が焼けるように熱を持つ。
物理的に、体のなかに溜め込んだものが皮膚を食い破って外に出ようとする。シャツを内側から引き伸ばし、ゴムが伸びるように体の内側から外に必死に出ようと暴れてる。
おい、ちょっと黙れ。
この一戦は黙ってろってイヴとの約束だ。利害の一致だろうがマヌケ。もっともどのみち、てめえら外には出さねえがな。
「魂は、原子炉と同じ。たくさん集めれば太陽ができる。聖なるオイルじゃただの嫌がらせでも、煉獄の魂を総動員すればお前だって焼き尽くせる」
「戯言だ。ラファエルは殺せても、私はそうはいかない。証明してやる」
「望むところだね」
煉獄は手つかずの魂、数多の燃料を蓄えた広大な油田。ビリーが無理に起こした月食、そして理子とヒルダが用意してくれた材料で、煉獄の扉を開いた。
世界一つ分の魂が、今は俺の薄皮一枚の下に収まってる。さあ、もう指を鳴らして即死とはいかない。
ルシファーの瞳が紅く染まり、悍ましい凶眼と真っ向から視線を結ぶ。
そして幕は上がる、アンコールはない──これが最後。
「ルールは負けたほうが消える、それだけだ」
「来なよッ!」
これが正真正銘、最後の一戦。
煉獄の魂を取り込む、イカれた最後の刃物を振りかざして魔王に挑む──最後のアンフェアな神への嫌がらせだ。
残り3話予定です。
戦闘メイン回は次でラスト予定。