哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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残り2話


Wish You Luck(夾竹桃)

 

 

 

 

 

 

 神は天使や人間を作るずっと前に怪物を作った、リヴァイアサンだ。

 

 だが、連中の備えた食欲は神の創造物を食い殺すほどに凄まじく、その危険性から他ならぬ神によって隔離された。

 自分で作っといて自分で隔離だなんて身勝手に思えなくもないが、実際リヴァイアに触れたから俺には分かる。神は正しかった。

 

 煉獄は死んだ怪物の向かう墓場じゃない。

 リヴァイアサンという天使やアルファ種すら食い殺す化物を隔離しておく為に作り出された、牢獄だ。

 

 

 

「理屈はわかる。煉獄に眠る何百万という魂はたしかに強大だ。それだけあればお前の言う通り太陽も作れる。現に今のお前は爆弾同然、不安定で、不細工なエネルギーの塊。いまに破裂寸前のな」

 

 

 気づいた時に腹から一部がなくなってる──

 誇張ではなく、そんな悍ましい表現があまりにしっくりと来る速度で飛んでくる拳と、鏡合わせにしてやるように俺も出せるだけの膂力を引っ張り出した拳の乱打。

 

 そこそこ名のある有名な異教の神でさえ避けることもできず、腹から背中にかけて簡単に腕が貫通するルシファーの膂力、打撃はまさに凶器だが⋯⋯

 それと真っ向から至近距離でやりあえてるのは、やはり腹に溜め込んだ燃料が付け焼き刃に飲む悪魔の血とは一線を画してることを教えてくれる。

 

 ちゃちなものから化物エンジンに積み替えたというべきか、煉獄の魂をあるだけ詰め込んだ結果普段とは拳も蹴りも出力が明らかに違う。

 一介の天使の一人だったキャスが指を鳴らすだけで、末端とはいえ大天使のラファエルをバラバラにしちまったんだ。単なるパワーアップなわけないか。

 

 

 ルビーのナイフが空を切り、間近でグレたミカエルの代名詞だった大天使お得意のプラズマ弾が青白く閃光を放って体に衝撃。

 

 痺れるような痛みと一緒にノックバック。ルビーのナイフがこぼれて地を滑り、魔王との間にほぼ意味のない距離を生む。離れてようが飛び道具のデパートだからな、あいつも。

 

 

「だが、賢い一手とは言えないよなぁ」

 

 と、わざとらしく手を鳴らしたところでルシファーの瞳が裏返るように深紅に染まる。

 

「──イカれてる。もう一度言うが賢くもない。お前は起死回生の切札のつもりだろうが煉獄の魂と一緒に大量のリヴァイアサンもその腹に食らい込んだ。私が何かするまでもなくいずれお前の薄皮を破って外に出てくるぞ、地上のご馳走こんにちは〜ってな」

 

「おもしれぇ、ウケたよ。今日でそのユーモアも聞けなくなると思うと残念だ」

 

「ああ。お前のその外だけ立派に深刻ぶった顔と出来損ないの中身を見るのも今日が最後だ。連中の食欲は父が煉獄という世界一つ作って押し込むほど抑えがきかなかった、たった70億程度の人間で満足すると思うか? 一旦手錠が外れたらリヴァイアサンは地上のすべてを貪り尽くす、誰が刑務所の扉を開けた? なんでも鎌を突っ込んでくる死神ビリーか? いいや、お前だ。私がジャックに言ったことを忘れたのか、正義を行って裏目に出たら元も子もない」

 

 

 大層な演説だ。

 お見事だよ。お前がやってきたことを存分に思い知ってる俺でさえ、思わず耳を傾けてしまう。

 

 救いようのない冷酷な化物、なのに恐ろしく身近で親近感すら湧きそうになる。

 それがルシファー、言葉の一つ一つが恐ろしく自然に距離感を埋め、善と悪の境界を歪めてくる。堕落させる。ただ絶対的な力を持った悪意の塊とは言い切れない。

 

 ルシファーの意味は、光をもたらす者。

 俺に言わせればこの世でもっとも悍ましく、光に満ちた化物。

 

 

「リヴァイアサンが節操なし? そんなことは言われなくても分かってんだよ。今はあのイヴが煉獄のトップだ、女王様が俺に力を貸すように釘を差した。神が隔離した悍ましいモンスターも同じ煉獄の中じゃ女王様に頭があがらない。そのへっぽこぶりに感謝しなくちゃな」

 

「少しの間さ。地上はリヴァイアサンにとって食い放題飲み放題の巨大なパーティー会場。目と鼻の先に楽園が広がってるんだぞ? ママの許しを得てないからってお前の薄皮のなかでおとなしくしてるような連中じゃない」

 

「だったらまた考えるさ。お前の首をクーリングオフしたあとに」

 

「やってみろ。殺しがライフワークだ、腹の中身をまとめて抉ってやる」

 

「玉座の間に黒のペンキを撒き散らす気か? それもいいかもな。コリント式とドリス式の石柱をごちゃ混ぜにしつらえるなんてありえない」

 

 再び、全身全霊で疾駆。

 近かろうが遠かろうが、どんな距離でも俺に対しての攻撃手段なんてルシファーは山程抱えてる。引き出しの数では大敗してる、だったら飛び道具の投げ合いよりもまだ近距離戦でガチンコの方がマシ。

 

 たとえルシファーが、服の下に大天使の剣を潜ませていたとしてもな。

 

 

「──ふッ!」

 

 

 煉獄からサルベージした大量の魂と一緒にくっついてきた忌まわしきリヴァイアサンたちのバックアップを受け、人間の出せる速度重さを逸脱した左の後ろ回し蹴りを仕掛けながらルシファーの前にふたたび躍り出る。

 

 冷たい顔のルシファーが半歩ギリギリの間合いで避け、その顔面へ左打ちで継ぎ目なしに追撃。二段構えで用意した拳を一気に振り抜くと岩盤を叩いた衝撃が拳から腕を縫って頭を駆け抜ける。

 

 

「大した事ないなぁあぁぁぁああッ!」

 

 顔面への一発に一瞬体が揺れるも間近でもろにくらった怒りを秘めた絶叫に鼓膜がやられそうになる。

 軽い音響兵器のような振動の波に攻勢に出ようとした一歩を外され、お返しとばかりに恩寵を圧縮したような蒼白の光球がふざけた速度で俺の額を弾いた。

 

「⋯⋯ちぃッ⋯!」

 

 いつもの俺なら今のをもらった時点で首から上が吹っ飛んでた。

 それでも数歩後ろに退かされるのは避けられず、どう見ても転移したとしか思えない速さで目の前にいたルシファーの拳が──避ける、できるかそんなもん。

 

 アッパー気味に下から這い上がる拳が、完全に顎へ入った。

 視界がぐちゃぐちゃに暴れ、頭が後ろに横に、よろめく体と右に左とたたらを踏む。

 

「お前らはいつでもそうだ。私がチームの助けになろうとしてもいつも敵みたいに邪険にする、サムを生き返らせたしマナーのなってないお前たちの母さんもミカエルの兵隊どもから守ってやったんだぞ? もっと私をリスペクトしろぉ!」

 

「ぐ⋯⋯っ⋯あた、まが⋯ぁ⋯ぁ⋯───かざあなぁっ!!」

 

「⋯⋯⋯!?」

 

 たたらを踏み、よろめいた体がルシファーの視界の右側に入った刹那、中腰の体で隠していた左腕を跳ね上げるようにして下から顎を掌底で叩き上げた。

 

 だましうち、どこをどう切り取ってもそれだ。

 ルシファーを相手に正々堂々なんて舐めた真似をするほど俺も身の程知らずの馬鹿じゃない。

 完全に虚を突いてぶち込んだカウンターにルシファーが数歩後退る。

 

 

「どうした、自慢のインチキ格闘術は!」

 

 

 けっ、手加減抜きの一撃を顎に決めてやったっての数歩下がらせるだけか。

 自分でも分かるほどイカれた膂力だ。そこいらの獣人ならバラバラにしてやれたんだろうがもはや頑丈なんてもんじゃねえな。

 

 相手は最高位の天使、正真正銘の天界が誇る最終兵器だ。

 これだけ魂を食らっても、大天使を相手に徒手格闘じゃどう工夫しても嫌がらせにしかなんねぇか。

 

 

 追撃に抜いた3本のアルテミスのナイフは、そううまくは行かず見えない衝立にでも阻まれたように首を串刺しにする手前で四方へ弾かれる。

 

 アメンホテプの昊盾、咄嗟に脳裏にパトラの便利な盾とかなめ自慢のPファイバーの姿がよぎる。あれが視認不可で宙を漂ってると思え、ああゾッとするぜ。

 

 

「は、はははっ⋯⋯いいぞ。よし、今のは驚いた。信じる気持ちや心ってのは何も状況を変えない。勝つのはいつもたゆまず知略を巡らせた者だ。つまりはこの私のように」

 

 

 不気味、得体の知れなさを秘めた獣人や凶悪犯は山程見てきた。理解できないってのは何よりもストレートに感じる恐怖の一つだ。

 だが、不気味、得体の知れないなんて言葉で片付けられるほどルシファーは軽い存在じゃない。

 

 食欲で頭のなかが支配されているようなリヴァイアサンが体のなかで、血をこぼしたような瞳にまるで怯えるように暴れ狂う。

 情けない、洗剤をかけて退路を焼いてやろうか。

 ちっとは地上を荒らしまくったツケを払え。

 

 

「またお決まりの地獄の檻の脱獄自慢か。それとも戦争や災害を引き起こして、遠回しにミカエルと父の頭を悩ませた嫌がらせについて?」

 

「お前らはジャックにも私の悪評ばかり叩き込んだんだろうが全部まったくのデマだ。そう、フェイクニュース」

 

 フェイクニュース?

 こいつはお笑いだ。伝説的な有名人って自分から言ってるだけのことはある。

 

 

「全部が全部じゃない。現実問題いくつかはお前が堕落させたせいで起こった惨劇だ。たまたま出会った人間を堕落させ、アベルをダシにカインも地獄に引きずり込んだ」

 

「おぉ。代車とはいえ、私を頭のなかに入れたクセになんてトロさだ嘆きたいよ。お前は何も分かっちゃいない。私が檻に閉じ込められてる間も人間は愚かに争い、自分たちで堕落し続けてきた。その間に起きた災いに私は一切関与してない。いい加減みんな認めたらどうだ。人間は自分から破滅したがる生き物だってことをな──人間は完全じゃない。初めから堕落するようにできてる。父は人間に夢中になりすぎて欠点が見えなかった」

 

「なんでも親の責任か? 随分と虫のいい。屁理屈をこねて自分を納得させたか。さすが魔王様、何でも無理が通る」

 

「私が事実を言ったせいで父は私を閉じ込めた。自分の最高傑作にケチをつけたと思ったんだ。私の話を聞くとか、時間を置くとか、一切しないで即追放。まあそれも過去の話だ、神は飽きっぽい。だから地上は出来損ないを含めてあらゆるもので溢れてる、人間もいつかは父のお気に入りから外れ捨てられる。教会がいくらファンを増やしたところで父は気に留めない」

 

「既に神はこの世界を見放してるだろうが。それは今と何が違うってんだよ。甘い顔して助けになるって顔で近づいてくるがお前は救いをもらしてくれる神じゃない! そもそも神も神じゃねえッ! あの髭面は地上で起きる災害も悲劇もディザスター映画感覚で楽しんでやがる、最高傑作もお気に入りもとっくに太古の話だ、いつまでも俺が知らねえと思うなよッ!」

 

 

 前蹴り、掌底、ガロパンチ──

 捌かれ、避けられ、悍ましい音を撒き散らしながら魔王との削り合い。骨身削って何発も衝撃が体を矢のように貫き、何度も無防備にたたらを踏む。

 

 そこ──姿勢を屈み、上半身の一撃を外しながら低姿勢から足を蹴り上げる。いける、入った。

 

 

「──Rabo de Arraia」

 

 

 エイの一刺し。

 血と唾液を撒き散らしながら、痛み分け同然に叩きつけた最大火力の一枚がルシファーの体を今度こそ見てくれも派手に吹っ飛ばす。

 

 ルシファー、俺はもう色々とあとがない。

 いつも言ってるが退路は燃えてる、いや、もう燃えてるとも言えない、()()()()()()()

 

 

「ッ⋯⋯!?」

 

「20のトリプルってところか。今のお前はこんなもんじゃ殺せないがな」

 

 

 視線が僅かに下がる。

 部屋に四散したはずの女神のナイフが3本、いつの間にか深々と俺の心臓の上を服越しに抉ってた。

 

 不死を殺せるアルテミスのナイフが肉を貫き、痛みとも熱とも言い表せない嫌悪感に目が見開く。しかしルシファーの素っ気ない言葉を裏付けるように臓器の真上に刃物が突き立とうとも俺から血は流れてない。

 

 ルシファーが突き出した右手を握り込み、念動力で食い込んだナイフが動き、螺子を回すように傷口を抉りながら食い込んでも──

 血の一滴も流れなくなった体で、最後まで引き連れてきたトーラス、XDの双銃で喉の真ん中に残弾無視の全火力を抜き放つ。

 

「無駄だ、コルトでも精々頭痛がやっと。撃った撃たれたの武偵同士の鉛の会話は私には通じない。ガブにトリックを教えたのは私だ、トークバトルがしたいならもっと頭を捻れ!」

 

 

 再び、掌サイズのプラズマの塊が今度は視界を埋める物量で迫ってくる。ヒルダの雷球、帯電効果はないがあれよりも遥かに素早く、ふざけたエネルギーの塊が弾幕を張ってる。

 

 ミカエルとヤッたときは一発ずつ撃ち込んでやがったがあれを収束とするならこれは拡散、威力を削って範囲と手数を広げてる。

 だったら、他の方法で対話してやる。肉に食い込んだナイフの一本に手をかけ、スーサイド。体の上で自分から走らせる。

 

 悪いな、アルテミス。

 いつか返そうと思って、結局ここまであんたのナイフを借りてきちまった。だからもう一勝負、悪いな。この最後の聖戦はあんたに祈る。

 

 

「死神は別だ。死人に口ありさ」

 

 

 斬り上げたことで布は裂かれ、あらかじめ仕込んでおいた《印》が銃口を晒すように外へ露呈する。

 かつてテッサが仕込んだ特Aの爆発物がな。アラステアへの恨み、親玉に返してやろうぜテッサ⋯⋯!

 

 

「旧約聖書の印か。ああ⋯⋯笑える。もはやここまで笑えるとは、尊敬するよ。自分の体を時限爆弾にして、まだ別の爆弾を用意してるとはなぁ」

 

 印を上書きされないようにナイフをすべて引っこ抜き、1本を逆手に構える。

 反対の無手で指を鳴らすと、それはいつも大天使がやる意趣返し。弾幕を張っていた光球がスワップ音を合図にして手品のように消え失せる。

 

 

「父がお前を手放さなかったのも分かる、笑えるよ。お前の頭は唯一無二だ。他の誰にもこんな真似、まだ笑える」

 

 綺麗に片付いた視界で額に手をかけて。

 薄ら笑いのルシファーはやがて楽しげに、楽しげに大天使の剣を右手に添えた。

 

「アトランティスが沈んだあとアスモデウスの代わりにお前を作ればよかった。愉快にやれただろうな、側近として。檻での相部屋とは違った私とお前で、一緒に楽しめた。ダゴンやリリスともそのだらけたトークで仲良くやれただろ」

 

「冗談だろ、地獄の王子なんざ悪趣味なカラコン嵌めたサイコパス集団の仲間入り? 自分からを首を落とすね、頭がやられる前に」

 

「お前はもうやられてる。大量の魂を飲み込んだその体で印を引っ剥がえせばどうなると思う? 首をテーブルに賭けて大好きな相打ちか?」

 

「悪いが等価交換や自己犠牲ってのは苦手でね。俺の相打ちはそのどちらも縁がない。俺が一方的にぶん殴る──昔からそれが俺の『相打ち』だ!」

 

 

 次の刹那、傷口同然の赤く掘った印に上からオレンジの光が走る。

 

 印から皮膚を焼き焦がすような音が走り、視界が光で埋め尽くされるまでたった数秒。 

 太陽の光とは無縁の地獄の下層で、すべてを飲み込み物騒な閃光は物音一つなく静かに解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 地獄の下層、玉座の間。

 金色の凝った装飾で飾り付けられた如何にもな玉座が安置される地獄の支配者を祭り上げる部屋は、崩れた石柱やら割り砕かれた床が破片や粉塵を巻き上げて荒地のように無茶苦茶だった。

 

 一歩歩けば、嫌でも何かの破片を踏みつける散々な散らかり具合。まさに地獄の有様だ。

 でも先生と蘭豹先生の部屋は正直⋯⋯ふっ、掃除してもこれくらいだよなぁ。歩こうとしたらなんか踏んだり当たったりして、こんな感じ。

 

 

「昔よりはマシになったな」

 

「練習したんだ。非合理的な後輩に下手くそって言われたときからな」

 

 印の爆発により崩れて倒壊したビルのような破片だらけの足場で、刃物がぶつかり金切り音を上げる。

 異世界のミカエルに唯一効果のあったカイアから預かった槍を薙ぎ、大天使の剣と一緒に踏み込んできたルシファーを強引に下がらせる。

 

 空港でかなめに使った神の手──あんな反則級の武器を除いたら、旧約聖書の印を使った爆発は間違いなく俺の抱える最大火力だった。

 

 ルシファーが入り込んだニックの器には、たしかに傷はできてる。 

 異教の神まみれのホテルで見たときのように器にしてるニックの顔に焼けただれたような跡ができてるのは、少なからずさっきの一撃で器に無視できない損傷を与えたから。

 

 このままフルで力を使い続ければ、ルシファーの大きすぎる力に耐えられなくなったニックの器がまたくたびれる。ま、嫌がらせにはなるか⋯⋯

 

 

「⋯⋯てか。お前もミカエルもどうして人の眼をそんなに焼きたがるんだよ。半分塞がって迷惑極まりないんだけど」

 

「私が焼いたんじゃない、付け焼き刃にしてもユーモアのセンスは錆びついたな。お前もとっくに気付いてるだろ、容量オーバーだ。鏡をやろうか?」

 

「⋯⋯お心遣いどうも」

 

 欠けた右の視界から這い寄る殺気に即断、全意識を傾けて後ろへ飛び退く。 

 

 舞台でもステージじゃないんだ、眼帯なんて洒落たものはつけてない。

 だが視界の片側は切り取られたように欠け、確実に右目はやられてる。要因はルシファーじゃなく、未だに体のなかで暴れてやがるリヴァイアか。

 

 袖から抜いた天使の剣の鏡面に、鎖骨から幾重にも枝分かれした黒い線が首の上を血管のように走ってるのが見える。

 キャスがリヴァイアに取り憑かれたときの末期の姿に、たしかに似てる。完全にホラー映画やモンスタームービーの特殊メイクだ、ロカに見せられないのがちょっと勿体ない、ウケそうなんだけどな。

 

「⋯⋯っ、やっべ⋯⋯」

 

 折れるほどじゃない。しかし手首が拗じられ、カイアの槍が望まぬ形でリリース。

 飽きずにやはり瞬間移動同然の卑怯な現れ方で殺傷圏内に降りてきたルシファーとほぼゼロ距離で睨み合う。お遊び抜きの殺意にあふれた深紅の眼光、もう遊んじゃくれなさそうだ。

 

 

「────アンフェアなこって⋯⋯!」

 

 抜いていた天使の剣で、欠けた視界のなかで振るわれる大天使の剣を死に物狂いで捌く。

 

 そっちは一発で命脈を断ち切れる大天使の剣、こっちは何度ぶっ刺しても魔王を殺せそうにない刃。アンフェアにはアンフェアといきたいのにどうしようもねぇな⋯⋯

 

 

「ッ、ふ⋯⋯⋯ッ⋯⋯!!」

 

 魂を溜め込んだこの状態でも恐らく一撃で致命傷の突きとふざけた膂力の拳が視界で乱れる。けっ、その手数は反則だろうが⋯⋯

 攻勢に出た時の緋緋神も暴風のような無茶苦茶な攻めで押してきたが、まるで悪夢を再現されるように鳩尾に縫ったような前蹴りをもらう。

 

 ⋯⋯今のは、入った。

 そろそろ天秤が傾いてきたか。さて、そろそろ手札も切れてやばくなってきたが⋯⋯ま、努力はしたがさすがにルシファーか。

 ⋯⋯神の石板も引っ張り出して上乗せしとくんだったなぁ。できっこないが、ここまでやられたらそう思う。

 

 

「一応言っとくが詰みだ。努力は認めるがもう創意工夫でどうにかの域を越えてる」

 

 残った左目もノイズがかかるように滲みはじめ、目を拭った手に血とは別の、黒く淀んだ液体がべたつき付着する。

 

 

「⋯⋯キャスは数日保たせたがやっぱ同じようにはいかねえか」

 

 ふぅ⋯⋯詰み、か。

 無理、不可能、絶対にできないは人間の可能性を狭めるよくない言葉だったよな、神崎。こんなときにまで思い出すなんて、お前はなんというかホントにすごいヤツだった。

 

 だからリヴァイアサンなんかに手を付けた。

 もう考えられる手が他になかったからな、キャスや本土のみんなに知られるのが本当に怖かったが。

 

 

「なあ、価値はあったか? このだらけた世界にお前がそこまで賭けてやる価値は、本当にあったか?」

 

「⋯⋯さぁ、言うほどだらけてんのかこの世界」

 

 赤い瞳から、人の眼の色を取り戻したルシファーが首を傾げてくる。いつもの身ぶり手ぶり、大袈裟に。

 

「幸せで正しい世の中に見えるか? 大勢死んだよな、ジョーやチャーリー、数学小僧のケビン。大勢が毎回恒例の世界の危機ってやつの前に死んで行った。こう言っちゃ悪いが父が作ったこの出来損ないの世界に、そこまでする価値はあったか? 現実逃避の依存症ばかり溢れてる世の中に」

 

「⋯⋯救いようがない連中もいるが少なくとも俺が日本で出会った人たちは、悪党と呼ぶには無理があるいいヤツばっかだった。少なくとも俺やお前よりは立派だったよ」

 

「哀れに思うよ。自分たちで道を選んできたと思ってるだろうが、結局お前たちは父に翻弄され続けて用意された道を走っただけ。選んだように見えて全部錯覚だ。結局は迷路のねずみ、右か左かを選ぶだけで迷路からは出れやしない」

 

 どこか皮肉るように、まるで自分とミカエルがそうであったようにどこか自虐的に影を潜ませた顔でルシファーは吐き捨てる。

 

「ただ手元にあるものをゆっくりこぼしていくだけの道のりだ。今のお前に、何が残ってるんだ?」

 

 

 違う。そうじゃない。

 んなことは、もう問題じゃないんだよ魔王様。

 

 

「悪いな。俺にとって重要なのはそんなところじゃない、袋小路も回し車の人生もどうでもいい。幸せで正しい世の中かなんて俺には分からない。けど、そんな世の中を守るためにみんな命を賭けてきた」

 

 これだけは迷いなく言える。

 片方だけ残った目で、精一杯哀れみに応えてやる。

 

 嘘も、偽りもなく。

 

 

「この世界は俺の大切な家族が命を賭けて繋いできた世界だ。ジョーは死んじまった、でもあいつが命を賭けて救った世界はまだここにある。俺の手から本当の意味で大事なものがこぼれるとしたら、それはこの世界が無茶苦茶になって滅んだ時、初めて失うんだ」

 

 

 俺たちと一緒に戦ってくれたみんなが、誰もがすべてを賭けて立ち向かってくれた。

 

 だから俺も今日恐れずルシファーの前に立つことができた。俺の記憶のページには、天使も悪魔も、人間も怪物もみんなの生き様が焼きついてる。

 

 手元にあるものをただこぼすだけがハンターの人生だとしても、俺は──

 

 

 

「────俺はまだ、何も失ってない」

 

 

 

 明瞭に告げたその一言で、()()はやってきた。

 

 

 ルシファー、俺が信じてるのはレールや迷路を作ってくれる神じゃない。

 本当に信じるべきは──自分は自分で救えるかもしれないと、そう思わせてくれる()()だ。

 不確かな地面でも立とうと思えるだけの理由をくれるモノだ。それさえあればどうとでもなる。

 

 キャス、あの質問俺なりに答えを見つけた。

 支えになってくれて失いたくないもの。手放したくないと心から思えるもの。それを──『幸せ』って呼ぶんじゃないのかな。

 

 

「⋯⋯⋯⋯?」

 

 

 殺傷圏内の瀬戸際、すぐそこまで歩み寄っていたルシファーの足が異変を察して止まる。

 

 振り向いたルシファーの背後は既に、その身の丈を遥かに超える黒い噴流が口を開けるように広がっていた。

 何の光も火も、万に一つの明かりも通さない漆黒が口を開いていた。振り返ることなく、すべてを見通したルシファーの瞳がゆっくり収縮する。

 

 

「⋯⋯どうやって呼びだした。煉獄みたいなちっぽけなバリアで区切られてるわけじゃないぞ」

 

「刻印の影響で俺も虚無に落ちた。いつもみたいに取引したんだ、俺が幸せを見つけて求めてたものに手が届くまで外に出してくれるってな。だから見つけちまったら⋯⋯仮釈放はおしまいだ」

 

 無駄だ、すぐ後ろに虚無が張り付いてる。ましてやそれなりに恩寵を稼働させて直前まで俺とやり合ってたんだ。器の損傷が目に見えるような状態で虚無から逃げれるわけない。

 

 

「退路はないよ、ルシファー。俺もお前も迷路の鼠なんだろ? ここが行き止まりだ⋯⋯」

 

 

 

 瓦礫まみれになった玉座の間の四方から、景色を塗りつぶすように虚無の影が広がっていく。

 ルシファーの背後、俺の背後、そして真上から見下ろすように、床から這い寄るように左右から、近づいてくる。

 

 

「一方的にぶん殴るのがお前の相打ちなんだろ、この大嘘つきめ」

 

「神が作った究極の殺戮兵器を相手にするんだ。ポリシーの一つや二つねじ曲げて当然じゃねえか」

 

「これならリヴァイアサンを外に出すこともない。出来損ないの父の作品も守られる」

 

 

 いつもなら最後まで足掻き、叫ぶはずのルシファーは不思議なことにひどく落ち着いた顔で、何も言わなかった。

 何を考えてるのか、自分を捨てた神か、それとも切り捨てた息子のことか。俺には読めない。

 

 緩やかに這い寄った黒い泥が俺の足に、腕に、ルシファーにも同じように絡んでいく。

 痛みはない、嫌悪感も寒さも暑さも不思議なことにない。ああ、不思議なことに首に巻き付いてくる虚無の影も──悪くない。

  

 残っていた左目も、ついに視界の殆どが黒色に隠されていくなかで、ルシファーの瞳と、おそらくこれが最後と魔王と視線が重なる。

 

 

「キリ、お前はずる賢いな」

 

 

「あんたほどじゃない」

 

 

 

 意識はある。

 しかし完全に視界はブラックアウトし、体が一気に軽くなる。

 とはいえ、すぐに虚無が用意したVIPルームを拝むことになるだろうがな。

 

 

 夾竹桃。悪い、嘘をついた。

 コミケもイルミネーションもすごく行きたくて頑張ってみたんだけど、どうやら無理っぽい。リヴァイアサン入れてまで努力したんだ、大目に見てくれ。

 

 日本に来て、お前やジャンヌ、バスカビールのみんなが俺に居場所をくれた。

 レキや理子、星枷、キンジや神崎のみんなが俺にとって、もうひとつの家族だった。

 一緒に戦って、大勢の人を救った戦友だ。

 

 

 けど、心からこの世界で生きていたいと思えたのは……お前がいたからだ。

 死んで行った皆の上に立ってる命──顔向けできない終わり方だけはできないってそう思いながら生きてきたけど、最後の最後に生きたいって思える理由が増えた、お前のおかげでな。

 

 そう、だから俺にとって失いたくないものっていうのはお前と一緒に過ごす時間や過ごした記憶で──だから、俺はもうとっくに幸せだったんだ。

 ああ、不条理な世の中に笑ってやれるほど俺はもう満足だ。

 

 

 お休み、夾竹桃。

 楽しい時間をありがとう、明日が君にとっていい日でありますように。

 

 

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