哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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本土でファイナルシーズンの撮影再開が決まりましたね。吹き替えのレンタルは来年ってところでしょう。ハワイも完結したし、今年は分かれになる作品ばっかりだなぁ……スパナチュの料理本が本土で出版されたらしいので真剣に購入を考えてるこの頃。


ヴァンパイアダイアリーズ

 どれだけ走っただろう。見渡す限り続いている木々に方向感覚はとうに失せて久しい。いや、そもそも土地勘も何もない世界に方向感覚が失せたところで大した問題にはならない。

 

 どこに行こうがあるのは人の手が混入していない自然の大地、空はいついかなるときでも色のない白黒の空間を広げている。空も、右も左も、広がっているのは色のない白黒の景色。

 

「撒いたか?」

 

「だと良いけど……いや。駄目だ、撒いてない……来たぞ、ディーン……! リヴァイアだ!」

 

 神経が張り詰め、胃が逆流しそうになる。闇──そうとしか言い様のない黒い塊が空から大地に降り注ぐ。眼前に落ちたスライムと呼ぶには邪悪すぎるその軟体はすぐに人としての形を取る。あくまで仮初めの、本性を隠すための仮面。降り注ぐ塊は数を増し、瞬く間に六体の怪物に周囲を取り囲まれた。見た目は人間、そんなものは何の安心にもなりはしない。

 

「右だ! キリ!」

 

 何も言わず、手に持った鉈を踏み込みと同時に首めがけて振るう。目の前と背後から同時にざくっと切れ目から物が落ちる音がする。遅れて体が倒れる音、鮮血の代わりになくなった場所からは黒くねばった液体が大地を汚していた。これで何体目だ──そんなの覚えてない。頭が真っ白になり、ただ食われたくない一心で人の形をした者に鉈を振るう。

 

「ディーン! キャスとベニーも走れッ! 止まるなっいけいけッ!」

 

 復讐、欲望、宗教、どれでもない。ただ死にたくない純粋な気持ちで命を奪い合う。次の一瞬を生きるために俺もディーンも武器を振るった。何度もリヴァイアの首を落とし、吸血鬼の首を落とし、人食い鬼の首を落とす。屍の山を築いて、ただ生きることだけを考えて来る日も来る日も怪物を殺しては生き延びる。

 

「ベニーどこだ! 出口はどこなんだぁ! ディーン!」

 

「右からレイス! 振り切れねえぞ──!」

 

 他には何もない、生と死だけが支配する純粋な世界。それが──煉獄。死んだ怪物が送り込まれるとされる世界。最初で最後の、吸血鬼の親友ができた世界。

 

 

 

 

 

 

「雪平、雪平──起きているのよね? 起きているのでしょう?」

 

 断言して違わない声。聞き慣れない声はすぐには分からなかったが半開きでも分かる明るい金髪が見えて、声の主を教えてくれた。助手席から半身を乗り出しているのはゴスロリに身を固めた金髪の吸血鬼。思い当たるのは一人しかない。

 

「起きてるよ、ヒルダ。ちょっとうたた寝してただけ」

 

「寝てるじゃない」

 

「嫌な夢に誘われたのかな、最悪の夢だった。背が縮む夢より怖い、まさに悪夢。とりあえず俺ならエナジードリンクは控えるね、声デカすぎ」

 

「愚か者、むしろ眠いくらいだわ」

 

 ヒルダ──インパラの運転席にいた俺を起こしてくれたのは紫電の魔女の異名を持つ吸血鬼。一学期に雁首揃えて拘置所にぶちこんだ無限罪ブラドの娘、ルーマニア産の吸血鬼だ。空は日差しのない曇り空だが、まだ彼女が好む時間には少し早いこともあって緊張感のない欠伸を右の助手席で噛み殺している。

 

「でも起こしてくれてありがとう。なんか変化あった?」

 

「いいえ、何も」

 

「まだコーラがいりそうだな。後で買ってくる」

 

 まだ冷めきっていない意識に鞭を奮って、今の状況について思い出す。車内にいるのはヒルダ、師団に鞍替えしたばかりの吸血鬼で切っても切れない因縁で結ばれているはずの相手。極東戦役において、一時的な同盟関係を結ぶことにはなったが所詮はハンターと吸血鬼の関係、一緒にドライブするほど親しくはなかったが目的が合致すれば話は別。

 

「……でも本当に見たのか、虫の頭をした蝿みたいな怪物なんて俺は初耳だぞ?」

 

「そうでしょうね。お前たち人間より、私の方がよっぽどこちらの世界に通じてる。マスカはシフターやセイレーンたちに比べて文献にもあまり取り上げられていない種族。お前が知らなくても無理もないわ」

 

「へぇ、確かに初めて聞いた。そのマスカってのは吸血鬼となにか因縁が?」

 

「別に。マスカは蝿と人間の混合種、醜くて汚らわしい虫けらと誇り高き私たちは住んでいる場所が違うの。因縁なんて生まれるわけがないでしょう、高貴な私──目先で悪趣味な巣作りをされるのが耐えられないだけ」

 

 自尊心の高さを見せつけてくれながら、目的の相手について軽く語ってくれた。マスカ──要は蝿人間。普段はひっそりと忍ぶように存在している種だが稀に手のつけられない個体が生まれることがあるらしい。ヒルダの話だと伴侶からあぶれた個体は生きた人間を使って巣を作り、繁殖活動の為に人を拐う。笑えねえ、おぞましい。

 

 話を聞いただけでも背中に戦慄が走る。化物の巣作りに利用されるなんて悪夢の一言では片付けられない。一瞬言葉にならない光景が頭をよぎるとかぶりを振って思考を打ち消す。まるで地獄だ。事実ならヒルダと協力する云々を抜きにしても見過ごせる案件じゃないな。最初はヒルダから持ちかけられた話だが、今の話で俺自身も見過ごせない話になった。

 

 すっかり目覚めた意識と目でフロントガラス越しに外のバス亭を睨むが、眠る前から感じていた疑問が不意に脳裏へ呼び起こされる。そして聞ける相手は言わずもがな隣の吸血鬼だけ──

 

「ひとつ聞いてもいいか?」

 

「改まって何かしら、気持ち悪い」 

 

「マスカって要するに蝿と人間のキメラだろ。だったら、こんなところ狩場に選ばないんじゃないのか。だって害虫駆除業者の前だぞ?」

 

 俺はガラス越しに見えている建物を指差し、同時に無視できない疑問をヒルダに振ってやる。バス亭の他に見えているのはそれなりの面積を使って建てられている害虫駆除の建物だった。それはつまり虫専門のハンターが集まっている場所だ。当然ながら蝿も然り。

 

 どうしてこんな場所……殺人現場をわざわざ仕事場に選ぶようなもんだ。賃貸が安いだの現実問題で考えられるメリットは一切ない。謎だ。考えるだけで頭が痛くなってくる。

 

 俺が思考に耽る一方、進展しない景色に堪えかねたヒルダはと言えば……呑気にハンドスピナーで遊び始める始末。というか、その蝙蝠の形してるハンドスピナーどっから出したんだよ……鞄もポケットもないのに。

 

「私を疑うなんて失礼しちゃうわね。あのバス亭が狩場になってるのは事実よ。その証拠に黒い粘液がベンチに残ってた」

 

「黒くてどろどろした物ならリヴァイアサンって可能性は?」

 

「ないわね、連中は特別。仮にリヴァイアサンならもっと危機感を煽られてる、連中の足跡なら私が本能的に気付いてるはずよ。リヴァイアサンはそれだけ特別な種、私が足跡を間違えることはないわ。それに殆どはお前たちが煉獄に返したのでしょう?」

 

「ああ、そのはず。流石に悲観的になりすぎたかな。きっとさっきの夢のせいだ」

 

「夢? 連中の餌になる夢でも見たのなら、詳しく聞かせなさいな?」

 

 不意にハンドスピナーを回していた赤いマニキュアの塗られた指が止まる。新しい玩具を見つけたと言わんばかりの好奇の視線が隣から突き刺さった。人の不幸はなんとやらか、そこは人間も吸血鬼も変わらないな。

 

「餌にはなってない。さっきお前に起こされるまで煉獄にいたときの夢を見てたんだ。リヴァイアや吸血鬼の首をひたすら切り落として、ひたすら逃げ回ってるときの夢。小夜泣先生が知りたがってた煉獄の夢だよ」

 

 俺にとっては悪夢であり、同時に吸血鬼の仲間と出会えた場所でもある。今となっては、あそこでさまよった時間はリヴァイアサンを外に出したことへの罰だったと思えてくる。神に幽閉されていた化物を外に出したことへの罰、責任だ。一体どれだけ贖罪を負えば俺も兄貴もキャスも済むんだって話になるが。

 

「行った身からすると良い場所とは言えない。でもお前たちにとっては住みやすい世界かも」

 

「意味深な口振りね、思い出話でも聞かせて貰えるのかしら。煉獄──それなりに興味をそそられる話ではあるわね」

 

「煉獄は血なまぐさい最低の世界だ。常に怪物に囲まれ、休みなくずっと戦ってた。ただそれしかない単純な世界、何のしがらみもない。この世界に戻ってきて色んな争いや戦いを目にして、なぜかあの世界がとても純粋に感じたよ」

 

「ハンターと怪物、狩る側と抗う側に戻って正々堂々殺し合う。それはこの世界だって同じ。今日のお前は妙に女々しいことを言うけれど、何を言ってもお前の過去は変わらないし、生き方なんて簡単には変えられない」

 

「分かってる。都合良く記憶喪失にでもならない限り、生き方なんて簡単には変えられない。俺たちみたいなのは特に」

 

 面倒に巻き込まれては、半死半生になるまで戦って、問題を片付けての繰り返し。よたつく足取りで、なんとか地面を踏んで、いつも血を失った肌でインパラにシートに突っ伏す。まあ、振り返っても心が踊る冒険譚ではなかったな。

 

「白いフェンスに囲まれた家、好きな人と家庭を作って、同じ痛みを分かち合う。そんなことが出来たらって思ってたけど、駄目だな。俺には縁のない暮らしだ、今さら生き方は変えられない」

 

 さすがにそれは弁護のしようがない。助手席では再び、ハンドスピナーを取ったヒルダが小首を揺らしてくる。

 

「日本に帰らず、留まることもできたはず。どうして戻ってきたの?」

 

「神崎のことが解決してないだろ。ほったらかしにはできねえよ。あとは……なんだろうな。こっちが第二の故郷になってるっていうか」

 

 歯切れの悪い返しをしたせいでヒルダは無言で目を使って続きを促してくる。仮にも最近まで敵対していた獣人とは思えないな。この緊張感のなさ、再会したばかりのジャンヌや夾竹桃を思い出す。

 

「ずっとアメリカの端から端を行ったり来たりだったけど、あいつらのお陰でこの……日本に居場所ができた。途中で問題を投げて消えるには、一緒の時間を過ごしすぎた。神崎もキンジも俺にとっては家族みたいなもんだ。家族は捨てられない──それがウィンチェスター」

 

 家族は捨てられない。そこに血の因果がなかったとしてもあの二人は家族だ、ほっとけない。それにどのみち卒業したらアメリカに戻るつもりだった。迷いはない。でも本音を言えば武偵高で卒業式を……迎えたい。できることならちゃんとクランクアップを迎えてこの国とは別れたいんだよ、未練のないようにな。

 

「身内で自己犠牲を繰り返してきた連中に家族扱いされるなんてね。遠山も嬉しくはないでしょうね。いい気味だわ」

 

「お前、知らないのか。遠山キンジは死なない男なんだ。そんなこと気にしたりしねぇよ」

 

 ……いや、実際はたぶん気にする。ルームメイトの経験から言うとかなり気にするだろうな。要するに早死にする家系に仲間入りするわけだし。それなりに良い台詞を吐いたつもりがヒルダの指摘で怪しくなった。揚げ足を取られてコンクリートの床にひっくり返った気分だ。

 

 人生ってのは分からないな。ずっと怪物を狩って生きてきたのに海を越えた先の国で、怪物と同じ車に乗って、今まさに一緒に怪物を狩ろうとしてる。自分でも訳が分からねえよ。でもヒルダを隣に置いて、ここまで安心していられるのは煉獄で一緒に戦ってくれた吸血鬼の友人の影響だな。良くも悪くも吸血鬼に対する見方は、ベニーと出会う前と後で変わったよ。

 

「なぁ、ヒルダ。お前、自分がもしも吸血鬼じゃなかったらとか考えたことないか?」

 

「唐突につまらないことを聞くわね。私は私、夜の一族。それ以外の私を私とは認めないわ」

 

 さも当たり前のようにヒルダは金髪を揺らし、かぶりを振る。

 

「どこまで行っても私は私でしかない。お前だってそうでしょう?」

 

「ああ。他の誰かになれたりしないし、過去をやり直せるわけでもない。でもお前とは違って、たまに思うことがあったんだよ。普通に暮らしってのが出来たらってさ。怪物とか塩とか、ショットガンとは無縁の……誰かを好きになって、普通に家庭を持って、普通に歳を重ねて死んでいく生活が出来たらってな。少なくとも普通の人間は何回も死んだり甦ったりしない」

 

 命は一度きり。行き着く先が天国だろうが地獄だろうがあるのは片道切符だ。何度も往復するなんて、それこそ普通じゃない。

 

「隣の芝生は青く見えるって言うけど、その通り。他人が羨ましくて、自分にはできない生活を送ってる奴が羨ましかった。どうして俺はこうならなかったんだろうってな。早い話が嫉妬しまくり、本当に悲惨だった」

 

「憐れね、返す言葉も失せてくるわ。今でも他人を羨んでいるの?」

 

「どうかな、考えることはある。人間、お前みたいに自分の存在にいつも自信を持っていられる奴ばっかりじゃない。誰かを羨ましく思うなんてきっとしょっちゅうやってる」

 

 だが、そうだな。俺に限って言うと──

 

「でも俺に限って言うと、ハンターにならなかったら今の生活はなかった。キンジや神崎とは出会わなかったし、コルトを奪いに来た夾竹桃とも会うこともなかった。今まで会った人たちは、俺がハンターだったから出来た出会いだ。それを否定してまで他の自分は求めないさ、もう子供とは言えないし」

 

 そこまで言って、俺は理子から貰ったサングラスを手に取った。

 

「非日常の生活ってのは逃げても向こうからやってくる。俺も逃げたが案外世界は狭い、必ず見つかる」

 

 アラスカに行こうがネバダに行こうが、たとえ海を渡っても絶対に見つかる。

 

「悪い、暇潰しにもならない話で。俺は寝る。進展があったら起こしてくれ」

 

「……今の話の流れでよく眠る気になれたわね。本気?」

 

「ああ、本気。俺、生まれたときから非常識らしいから。お前の同級生に言わせれば」

 

「ジャンヌが今まで斬らなかったのが不思議でならないわ」

 

「斬られかけたことは山程あるけど、息はしてる」

 

「死人にしては顔色が良い」

 

「死んでないからな、まだ棺桶で眠る時間じゃない。俺のベッドはここ。お休み、ヒルダ」

 

 起きたらコーラを買いにいかないと。見張りを任せた礼は缶コーヒーでちゃらにしてもらおう。容量の多い、ちょっと高いやつで。今度は悪夢じゃないことを祈るね。

 

 

 

 

 

 

「なぁ、言っちゃうけどさ。なんか無茶苦茶良い感じに進んでない?」

 

「何が進んでるか分からないから答えられない」

 

「部屋のリフォーム、大成功の予感がする。わざわざ来た甲斐があったよ、トントン拍子で進んでる。気分が良い」

 

 アメリカ、サウスダコタ州スーフォールズの一角。脚立に足を預け、インパクトドライバーを打ち込む傍らで不機嫌な返事をするのは目付きの鋭いブロンドの少女。部屋のリフォームで応援を求めてきたはずの張本人──クレアは仏頂面で腕を組んでいた。今まさにリフォームの作業をしている俺の傍らで……

 

 異世界から無事帰宅を果たした俺、兄二人、母さん、キャスとその息子+イギリスのブリキ人形ケッチ。今回もなんとか命を拾った俺は、無事に長い家出に伴って生まれた家族との確執も埋め、アメリカ本土から日本へ渡る手筈もあの手この手で整えた。異世界を経由してアメリカに渡ってる以上、飛行機で快適な空の旅とはいかないからな。

 

 本土を経つまでにはまだ数日の猶予があることもあって、諸事情で終末の世界からこっちに移住してきたハンターたちと狩りをしたり、ルシファーの息子と映画を見たりして過ごしていたがそれは昨日までの話。今はレバノンにある住居兼基地を離れ、古い友人ことミルズ保安官の住まいがあるサウスダコタ最大の都市、スーフォールズに来ている。ここもすっかり縁のある場所になっちまったな。

 

「愛弟子ぃー、作業進んでるか?」

 

「うるさい、言われなくても進んでるから。それとなに今の呼び方」

 

「俺の師匠の真似、自分で言うのも何だが結構似てるんだぞ?」

 

 祝いの場でやったら大盛り上がりだ。みんなのたうち回るぞ。

 

「本人にやったら?」

 

「死にたくないから嫌だ。まだやりたいことがあるんだ。だがな、それよりも得意なことを今日また見つけた。テレビのリフォーム番組にだって出られるレベルだ。ほら、家のリフォームを紹介するやつ」

 

「ああいう番組苦手、大嫌い」

 

「大嫌い、だろうな。ハッピーなもの嫌いだから。昔からそうだ」

 

「言わせてもらうけど、何か変なもの食べたんじゃない? 変なもの嗅いじゃったとか? ああ、それ、絶対にそれ。頭がハイになってる」

 

 打ち込んだ板に壁紙を張り付けながら、脚立から見下ろすクレアは依然として仏頂面だった。

 

「お前いま楽しくないのか? これいけるよ、生まれ変わったらリフォーム業目指すのはどう?」

 

「……私に聞かないで。来世より今に生きてるから」

 

「ふーん、そっか。だったら目の前の仕事さっさとやって」

 

 そのテーブル、20分前と同じ形してる。組み立て式のテーブルと睨みあって20分だ。どうやら結果はクレアの敗北、一方的なワンサイドゲームらしい。溜め息と同時にクレアは試行錯誤していたパーツを床に落とす。

 

「テーブル組み立てるのって構造工学の修士号とらないとできないわけ?」

 

「独学でやるからだ。説明書読んでそのとおりにやればいいんだ、簡単だろ。おい、無理にはめ込むなってクレア……!」

 

「何やってるかくらい分かってる、うるさい」

 

「反抗期かよ、クレアはいつも反抗期。自己流じゃ駄目だ、組み立て説明書を読んで──」

 

「ない」

 

 何故か堂々とした目でこっちを見上げてくる。あまりに堂々としていて俺が言葉に詰まった。落ち着け、どう考えてもクレアがおかしい。説明書がない?

 

「ないってどうして……普通一緒に入ってるだろ?」

 

「ゴミ箱」

 

「なに?」

 

「だから、ゴミ箱。ゴミ箱の中、私が捨てた」

 

「なんで組み立て説明書をゴミ箱に捨てるんだ、バカかお前は。アメリカで言うとは思わなかったな、バカかお前は?」

 

 ボランティアの身分で大活躍してやってるのになんで当事者のお前が置物になってるんだ。アメリカで使うとは思わなかったぞ、この言葉。しかも帰国する残り数日で。あまりの驚きで脚立から落ちそうだ。

 

「お前さぁ、自分が設計士でも大工でもなんでないのにどうして説明書なしで組み立てられると思ったわけ? 向こうは説明書を見てだな、ここをこうして作ってくださいって用意してくれてるわけ、それをお前はだね──」

 

「分かった分かってる。同じ事をねちねち……海外に行って変わったと思ったけど何も変わってない。たぶん、遺伝子単位であんたは嫌味を言うようにできてる。キリ・ウィンチェスターは嫌味を言わないと、生きて、いけないから!」

 

「ああ、わざわざ区切って分かりやすく教えてくれてありがとう。本当に俺のことよく分かってるな。さすが愛弟子、さすがクレア、良いこと言うよ。壁紙の張り付け終わりだ」

 

 良い仕上がり。話ながらも作業の手を止めない、本当にリフォーム番組出れるかもってレベルだ。クレアの倍は働いてるな、俺。

 

「説明書なんてなくてもテーブルくらい組み立てられる」

 

「そうか」

 

「何の説明よ。テーブルなんて繋ぎあわせるだけ。説明なんて要らないし」

 

 それができてないんだろ。テーブルを繋ぎあわせて組み立てられないから作業が進んでないんだよ。脚立から降りると、インパクトを片手に立ち尽くしている背中からなんとも言えない哀愁を感じる。

 

「しかし、おかしなやつだ。説明書を捨てるなんて、無防なことやるよ。そんな子供みたいなことやるなんてな。どうりで説明書見ないでゲームやりたがるわけだ。ドライバー貸せ、あとはやる」

 

「絶対に嫌。キリは信用できない。絶対に杜撰なことやるに決まってる」

 

「自分から手伝わせといてよくそんなこと……いいから貸せ!」

 

「あー! あー! 人の物を盗んだら泥棒!泥棒はジョディに通報しないと!」

 

「そんなこと言うキャラクターじゃねえだろ!俺はそんな子に育てた覚えはないぞ!」

 

「育てられてない! ハンバーガーの食べ過ぎで脳ミソ油になったんじゃない!?」

 

 誰が脳ミソ油だ、それなら俺より先にディーンの頭がやられてるね。それにハンバーガーの食い過ぎで頭が汚染されてるなら、またリヴァイアサンを討伐しに行かないといけなくなる。

 

 市販の食い物を丸ごと毒物に変える悪魔のようなやり口を思い出していると、ズボンに入れていた携帯が唐突に鳴った。相手は──

 

「サムからだ」

 

 薄々と用件を察しながら着信に出る。

 

『はい、NCIS』

 

『連邦捜査官の兄弟を持った覚えはないよ。アイオワで変な事件を見つけた。ビッグクリーク州立公園で噛み傷だらけの女性の死体が』

 

『狩りか?』

 

『警察は噛み傷から動物の仕業だと。でも遡って調べてみると……』

 

『ちょっと待った。クレアもいるからスピーカーに変える』

 

 ビッグクリーク州立公園ってことはポークシティか。傍らで話を聞いていたクレアがドライバーを床に置き、視線を飛ばしてくる。どうせ遠ざけても頭を突っ込むからな、時間の無駄だ。俺は話を共有するべく、携帯をスピーカーに変えた。

 

『遡って調べてみると、死体は出てないがこの州立公園で何人もの人が行方不明になってる。2006年には森林警備隊の男性、98年には密両者、他にも大勢』

 

「今回の被害者もその一人ってこと?」

 

『やあクレア。前のことは助かった。礼を言うよ』

 

「助ける助けられたはお互い様。失踪者はどれくらい?」

 

『43年まで遡ったら54人の失踪者が出てる』

 

「多すぎる、狩りだろうな。だが、ちょっと取り込み中で──」

 

 俺は携帯を持ったまま作業真っ最中の部屋を見渡す。自信作の壁はともかく、クレアをノックアウトしたテーブルやまだやってない作業が山程残ってる。アレックスとジョディは夜まで帰らず、代理はいない。どうしたものか、とクレアに視線を投げてみるが悩んでいたのは俺だけらしい。

 

「分かった。すぐキリと追いかける」

 

 そう言うと、彼女は勝ち気な笑みを投げかけてくる。仕方ないか。人にはそれぞれ仕事がある。アレックスは看護師、ジョディは保安官ーークレアはクレア。

 

「そういうこと。また後で」

 

 そのまま携帯を閉じる。見ろ、あの得意そうな顔。リフォームから狩りに変わった途端、水を得た魚だ。自分のフィールドに出かけられるのがよっぽど楽しいらしい。リフォームするのお前の部屋なんだけどね。

 

「ジョディになんて言い訳するかな。帰ったらお前がいなくなってること」

 

「伝言残すから大丈夫だって」

 

「伝言って、ライブ見に行ってくるとかだろ。小細工はすぐにバレるよ。保安官もアレックスもお前のことはよーく知ってる」

 

「じゃあなに? 寂しく一人でスリラー劇場見とけって?」 

 

 

「いいや。行こう、クレア。アイオワまで車なら6時間もあれば着く」

 

「言い訳は車の中で考える」

 

「賢いことで。つか、ペイシェンスは?」

 

「用事で出てる。だから、私も今から用事で出る」

 

 屁理屈が上手になったな、感動だよ。アイオワまでぶっ飛ばそう。魂無しバージョンのサミーちゃんの元愛車で。

 

「ねえ、さっき見たけど車変わった?」

 

「あのチャージャーは昔の兄貴の愛車。キャスが窓から転落してぶっ壊したのを修理したんだ。パワーはあるし、良い走りするんだこれが」

 

「大きいのが好きなんだ?」

 

「ああ、頼りになる。最高だ」

 

 まっ、金庫は引きずらないけどな?

 

 

 

 

 

 

 

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