哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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新年初投稿





Daydream―File.3

 

 

 

 

 ジャンヌ・ダルク生誕の地、ドンレミ。

 初めて訪れたジャンヌの家系のルーツともいえる歴史ある村は……いまや黄金色の鷲や虎、犬が至るところを駆け回り銃声が途切れなく響いている混沌と化していた。

 

 

 

 

「笑えねぇ、街の中を動物が暴走だって? ジュマンジじゃあるまいし……!」

 

 観光地に相応しくない危険な喧騒で満ちた通りを獣から逃げるようにして、俺も駆ける。

 

 背後を追ってくるパトラの砂金の使い魔は、空からは鷲。地上からは虎、犬とレパートリーがいつものごとく豊富だ。

 姿形が悪趣味な金色であることを除けば、その造形も鳴き声まで本物と区別がつかない。

 

 もちろんそれは、獲物を獲るために発達した鋭利な牙や爪も本物同様に再現されてる。焼け石に水とも言える数にXDの引き金を引き、一匹二匹と悪あがきのような速度で追跡の手を削る。

 群れを相手にするならサブマシンガンの支援くらい欲しいところだぜ。

 

 

「ウィンチェスターが逃げの一手とはらしくないのう。ほれ、手札を見せい」

 

「こっちのはとっくに見せてるよッ! このインチキ王様野郎!」

 

 金一さんとくっついてからというもの世界征服の野望はどこに行ったのやら、現実世界ではいまやご両親にも挨拶を終わらせて完全に遠山家の女になっちまった砂礫の魔女だ。  

 

 問答無用の罵倒を飛ばすのもずいぶんと久しぶりで変な懐かしすら感じる。

 姿を隠し、声だけを響かせてくるパトラからは、散弾と呼んでも差し支えない砂金の弾丸が背後上空から飛来。地面、建物区別なく黄金の弾丸はめり込み、罰当たりにも聖女さまの故郷を穴だらけにしていく。

 

 弾丸の雨は強襲科でも味わうがそこに猛獣の群れから追われるのが加わるんだ。手土産を持たずに死神に会いに行った気分だぜ……!

 

 

「こいつで、どうだ!」

 

 9mmの銃はコンビニの数程あるが、信用できるカスタムラインといえばトーラスと、スプリングフィールドXDの他にない。

 撃ち尽くした弾倉をそのままリリース、交代に捩じ込んだのは──小さなナパームとたとえられる赤い弾頭が目印の武偵弾、財布に穴が空きそうな弾倉1本分だ。

 

 XDの引き金を絞るのと同時に視界は赤一色に染まり、9mmサイズの弾から飛び出した熱気は後ろを追いかけてきた使い魔たちを派手に巻き込み、瞬く間に赤色の中深くに飲み込んじまう。

 

 

「………っ!」

 

 相変わらずすげえ威力。

 キンジが小さな太陽や小型のナパームっていうのも頷ける。ジャンヌ・ダルクの故郷で派手に炎を撒き散らす、罰当たりなことこの上ないな。

 

 足を止め、弾を残したXDの用心金に指をやりつつ背後に広がった業火を見やる。

 便利な盾があるとはいえ、本来パトラは使い魔を走らせて自分は後方に構える後衛タイプ。迂闊にこっちの射線までは踏み込まないか。

 

 まあ、それならいい。そのままジッとしていてほしいもんだ。

 突然出てきた相手がビッグネーム揃いで忘れそうになるが、本来の目的はジャンヌを見つけてこの夢から叩き起こすこと。主戦派の精鋭と好き好んで戦う理由なんて一ミリもない。

 

 が、俺にはなくてもあっちは別。

 燃え広がった炎の壁を貫き、俺のすぐ真横を太い一つの線となった蒼白の槍が通り抜ける。

 

(ちくしょうめ……! 火の海を貫きやがった)

 

 前触れもなく飛び出してきた殺意の塊に肌を焼くような熱気を前にして背中が冷たくなる。

 視界が不明瞭なおかげか、水の槍が外れたのは運が良かった。カツェの超能力による水の槍、進路になった地面には刃で裂いたような派手な跡が残ってる。 

 

 ‥‥‥目視で狙いをつけるにしてもこの切れ味、捉えれば人の肉なんて簡単に真っ二つだろうよ。

 防災訓練みたいなちゃちな銃と違って、超能力の方は一発でも致命傷になりかねないな。魔力のタンクはパトラほどじゃないんだろうが、水を操れるってのは考えてる以上に‥‥‥ヤバそうだ。

 

 パトラ、カツェ。

 そして得体の知れない魔女と風を操る超能力者と弓兵のハイブリッド。

 状況を整理すればするほど、頭の中でネガティブな言葉が騒ぐ。

 

 

(‥‥‥一人で代表戦士を二人請け負うのはやっぱハードワークだったか)

 

 

 しかし、あのクエスって魔女。早々にパトラに俺を任せて、俺とは逆方向に駆けた夾竹桃を追ったが‥‥あれはおそらく、魔女であり、獣人(ライカン)

 

 緋緋神に首を飛ばされ、虚無から這い上がってからというものの‥‥‥俺は怪物や獣人の匂いや気配、連中が備えてる人ならざる人外特有の存在感に対してこれまで以上に鼻が利くようになった節がある。

 

 はたしてそれが俺の気の毒な勘違いなのか、それともメグの姿を借りたあの虚無からのギフトなのかは分からねえが胡蝶の魔女──あの長身ロングヘアーの姿が第1形態だとするなら──あれは──

 

 

「──そういや、そういう相性だったな‥‥‥!」

 

 

 割いていた思考を切り、残った炸裂弾をふたたび撒いて眼の前に火の海を広げる。

 鎮火にはまだ程遠い火の中を飛び抜けてきたパトラの使い魔たちをもう一度燃え広がる紅蓮の中に沈めたのを確認し、俺は悠長にも止めていた足を走らせた。

 

 ──超能力には相性がある。パトラの砂、ヒルダの雷、星枷の火、カツェの水、ジャンヌの氷と無数に存在している超能力にはそれぞれ有利と不利の関係性がある。

 

 パトラの砂はジャンヌの操る氷には不利だが、星枷の炎には、強い。

 ピラミッドという無尽蔵に魔力を供給できるバッテリーがあったとはいえ、アンベリール号で星枷がパトラに攻めあぐねていた原因の一つがそれだ。

 パトラの魔力によって生まれたあの使い魔たちは洩れなく熱に耐性を持ってやがる。

 

 とはいってもこの熱気、サーカスの火の輪くぐりなんてレベルじゃねえんだぞ‥‥‥

 

 

「けっ、ずっと目隠ししたままヤルつもりかぁ? んなのつまんねえじゃねえかーっ!」

 

 

 火の奥からカツェの不機嫌な声が飛んでくる。姿は見えないが安心できるほどの距離も稼げてない、か。

 そして、一匹また一匹と炎のなかをくぐり抜けて虎や犬も次いでやってきた。最初は身に纏わりついていた炎もやがて勢いをなくし、とうとう沈火していきやがったぞ‥‥‥!

 

 ったく‥‥‥犬に追い回されるのは夢でも現実でもやっぱり大嫌いだ。見えるのも見えないのも! 

 

 一足先に殺傷圏内に真上から踏み込んでこようとする鷲の大群を走る片手間に交換した9mmパラで撃ち落とすと、血の代わりに通っていた砂金が虚空を舞っていく。

 こうなると、パトラの魔力が尽きるまで耐久レースに持ち込むか‥‥‥いや、ないな。相手は世界最高レベルの魔女、極めて最悪な作戦だ。

 

 

「あ‥‥‥!? このクソ忙しいときに──」

 

 

 空、地上の両方から迫ってくる使い魔にセンサーを張りながらの逃走。そんなキャパシティもギリギリの状況で、無視できない光景が飛び込んでくる。

 

 前方、俺の頭上5メートルほどの位置に巨大な黒い球体ができていた。いや、球体と呼ぶには少し歪さがあるし、その不気味極まる姿にやられた頭が少し冷えれば‥‥‥その正体に気付くのには苦労しない。

 

 

 ────蝶だ。

 無数の黒い蝶が、灯りに群がるように一箇所に集まって形を作ってる‥‥‥な、なんつー数だ、百匹どころじゃとても足りないぞ。

 退屈な自治会の会議から帰ってきたらキッチンが大洪水になってたとき並の衝撃だ。昆虫学者じゃなくても分かる、普通じゃない。蝶、つまりこれは、

 

 モーゼの杖と同じ、常識の外からの力で作られた光景。

 

 

「──ウィンチェスター、一度話してみたいと思っていたの。マザーとアルファたちを殺した精鋭、天使がお友達ってあの噂は本当なの?」

 

 

 胡蝶の魔女クエス。

 集まった蝶のすぐ後ろ、建物に挾まれてほぼ直線に続いている通路を正面から塞ぐような形でその魔女は現れた。 

 通り名の通り、使い魔は『蝶』か。長身ロングヘアー、モデルと言われても謙遜のない綺麗なボディラインを見せつけてくれる体からは、安心とは程遠い危険で嫌な匂いがこれでもかと漂ってくる。

 

 背後から猛獣と魔女が迫ってくるにしてもあの真下を通り抜けての正面突破は──

ヤバそうだ。見るからに罠を張ってますって匂いがしてる。

 

 地雷原なのは分かってる、とは言っても横はいかにもな西洋住宅が続いて家に飛び込めばそこまで、その先の進路はない。

 選べる進路は──ちっ、結局正面突破と反転して獣の群れに飛び込むかの嫌な2つしかないか。

 

 

 

「‥‥‥礼儀知らずのお友達ね」

 

 

 

 刹那、耳をつんざく音と共に紫色の、あまりに毒々しい色の煙が前触れなく、ドンレミの空に咲いた。クエスが集めた蝶の団体をピンポイントで飲み込んで包むような、明らかに作為的な位置で。

 

 

「割って入るわよ、胡蝶の魔女」 

 

 

 

 殺傷圏内にはまだ遠い俺とクエスとの間に、両脇に続いていた建物の屋根から赤いバイクに跨がった夾竹桃がスタントマンさながらの姿で降ってきた。

 

 アクション映画にかぶれたような派手な登場はタイヤを痛めつけながらも車体を損壊させることなく着地を成功させる。

 その背中に俺も考えるより先にタンデム。思考を手放し、飛び乗った。

 

 

「遅かったな、証明写真でも取ってたか?」

 

「その台詞、真っ先に言うと思ってた。()()()以来の乗跨戦よ、覚悟は?」

 

「常に。聖女さまを待たせちゃ悪い」

 

 スライドを絞ったXDを左手に、右手で振り落とされないように黒セーラー服の腰にしがみつく。

 乗跨戦では必然的に前が操縦を、攻撃役が後ろになる。配役はバルサザールの軍隊とやりあった前回と同じ。

 ミニガンなんて危ないペットを飼いならしてるわりに夾竹桃は銃火器類を基本好まないからな。

 

 しかし、即席で調達したにしては『いい子』をひっかけてくる。尊敬するぜ。

 夾竹桃が引き連れてきたのは、日本生まれでありながら本土でも広く愛された80年代の日本最高のモータサイクル──GPZ900R。

 

 またの名を『ニンジャ』。

 最高速度は200を飛び越える、水冷式の並列4気筒エンジンを積んだこの世でもっとも滑走路とフライトジャケットが似合うバイク──

 

 

「獣の腹に飛び込む。援護なさい、水兵!」

 

「Hoo-yah! 管制塔すれすれを抜けてやれ!」

 

 

 進路は正面、虚を突かれて罠を台無しにされた胡蝶の魔女の喉元。

 夾竹桃がクラッチを繋ぐと、コンパクトな車体からは考えられない力強い唸りを上げて視認性のいいツインメーターが針を振る。

 

 

 

「仲のよろしいこと。勇敢だけど、それだと出たとこ勝負。賽の目次第でただの蛮勇よ?」

 

 既に待ち構えていた直線上の位置から怪しい笑みだけを浮かべてクエスは不動。動かない。 

 言葉にしなくとも仕掛けてこいって言ってるのが丸わかりだ。無防備なのは形だけ、迎撃の手札をまだ持ってやがるな。

 

 乗跨戦は加速度と制動性能が物をいう。

 だが、一番決め手になるのはエンジンや性能じゃない。レースと一緒だ、誰がハンドルを握るかで勝負は決まる。

 

 建物からの着地をこなしたばかりのタイヤが忙しく駆動し、夾竹桃はギアを上げて加速。

 あからさまに誘いをかけている魔女の喉元から進路を変えない、清々しいぜ。これより上のない正面突破だ、気に入った。

 

「知らないようね。サイコロを振って分の悪い賭けをなんとか手負いの勝利にもっていくのがウィンチェスターのやり方だって」

 

 嬉しくないことに、その通り。

 クレスの頭上、毒煙から晴れて新たに集まろうとしていた黒蝶の中心を法化銀弾を撃ち込んで今一度わるだくみを邪魔してやる。

 マジックショーじゃないんだ、手品を見られなくても残念な気持ちにはならない。それに、もう一度あの一癖ありそうな顔を見て確信した。あれは──

 

「夾竹桃──あの女、たぶん『心喰らい』だ。親父の手帳で見たことがある、第2態があるぞ!」

 

 法化銀弾がまばゆい光を弾くのと並行し、俺は記憶のなかの親父の手帳の1ページを捲りながら叫ぶ。

 

「‥‥‥楽しくないニュースをありがとう。いいニュースは?」

 

「セットじゃないときもある」

 

 心喰らい、名前のごとく感情を餌として奪い、摂取することで力とする種族。個体ごとに餌になる感情は違うが、大抵は第2態以上への変身を備えてる強力なモンスターだ。

 親父の手帳にもシフターや人食い鬼ほど細かな詳細は書かれてなかったが、だからこそ底が知れない不気味さがある。

 

 蝶の群れは、未だに空に小さな点を無数に浮かばせるほどの数が残ってる。

 そして背中を追いかけてくる虎や鷲も健在、無視できずにXDの残弾を背後にも撃たされる。弾数には利のある9mm口径、こうなるとやっぱ手数の多さは心強い。

 悲しいのは、それ以上に連中の使役する使い魔の数が普通じゃないってことだが。

 

「いや、いいニュースがあったぞ。今回はウリエルもガドリエルもバルサザールもいない」

 

「たしかに朗報ね。塩にされる心配はないし、目を焼かれることもないから‥‥‥!」

 

 残弾3──弾切れ手前。

 残りの使い道は決まってる。

 銃口を向けるのは正面。ガースされちまいな、獣人界の魔女。

 

 

「──アディオス、あばずれ!」

 

 あと十数秒たらずで衝突するかの距離。

 完全に射程距離に収めた魔女の胸元へ3発、現実でないにしろ武偵としては褒められない場所に銀弾はすべて着弾。命中を知らせる閃光が今一度弾けた。

 

「‥‥‥それ、まさかとは思うけど決め台詞にするつもり?」

 

「だったら何だ?」

 

「別に。プレゼントしようと思っただけよ、余計なお世話がたくさん詰まった箱」

 

「それをみんな言うんじゃないのか。開けちゃいけないパンドラの箱って」

 

 蒼白の光に染まっていた視界がクリアになる。

 だが、無視できないことに獣人にとっては猛毒でしかない法化銀弾を3発も浴びたはずの体が、どこにも見当たらない。

 

 ヤツが立ち塞がっていた場所をギアを落としながら減速して過ぎ去り、背後をもう一度見やるが長身のドレス姿という目立って仕方のなかった魔女の姿をはやはりどこにもなかった。

 

「‥‥‥死体って消える?」

 

「消えない、動かない、喋らない。三大天司馬尚みたいにいきなりワープしたんじゃなかったら──やられたな。魔女お得意のデコイだ」

 

 そこら辺で適当に舞ってる黒蝶。

 どうせあれに魔力を練り込んで本体そっくりな人形を作り上げたんだろう。星枷が紙、パトラが砂でやるのと同じ要領で。

 進路は空いたが両手を挙げて素直に喜べるかと言われると微妙なところだ。結果的に手札を伏せたままクエスは姿を潜めた。まだ半分もヤツの手の内は見れてない。

 

 

「嫌な感じ。専門家に聞くけど、このまま村を抜けるとしたらそのあとはどうなるわけ?」

 

「これまでの経験からすると、場所が変わる。車に乗ってたらいきなりフェンス付きの家の中にいたり、病院のなかを歩いてたら墓地にいたり。ありとあらゆる場所に行ったり来たりが夢の中だ、ここを抜けたら武偵校か、もしかすると潜水艦かも」

 

「なんでも有り得るわけね」

 

「一つ一つ、可能性を潰していくしかない。ちょいと手間だがな。スピードアップだ夾竹桃、一旦この村を出よう。魔女軍団はきっと次の手を用意してる、これ以上即興でやりあうのはさすがにキツい」

 

「魔女軍団?」

 

「最初に言い始めたのは俺じゃなくてクラウリー。秀逸な呼び方だよな、シンプルで。おまけに悪意が混ざってる」

 

 復活したアマラを封じ込める為に天使、悪魔、魔女で同盟を組んだときの話だ。

 誰が一番最初にアマラに突撃して彼女の癇癪を受ける捨て駒になるか、自分の母親とそのお仲間に真っ先に先陣を切らせようとする容赦のなさは確かに地獄の王かもな。

 

 水温計を始め、調子の良さそうなエンジンは綺麗に赤い車体を加速。

 

 こんな状況じゃなきゃフランスの観光地と最高のバイクで二人乗りって幸せな組み合わせをもっと堪能できたんだけどなぁ、名残惜しい。

 

 ‥‥‥ん?

 

 

「ねえ、なにか聞こえない? バイクのエンジンじゃない、もっと大きな‥‥‥まずい!」  

 

「おい、夾竹桃! 二人乗りで急停止は────ふざけんなよ魔女軍団! あんなもんありか!?」

 

「逃げるわ、異議があるなら早めに言って」

 

「ないから車泥棒並みに飛ばせぇ!」

 

 車体を反転させ、ここまで駆け抜けてきた道を今度は全速力で戻る。

 突如として理不尽な現れた方をした白い柱は、あれはやばいな。まだ遠いのにこの殴りつけるような風は本土で何度か味わった。

 あれは突風だの強風だの、そんなちゃちなたとえじゃ通らない。災害だ。

 

 ロビンフッドの末裔‥‥‥風を操る凄腕の魔女とは聞いてたが‥‥‥あの女、警報級のサイクロンを自前で呼びやがったぞ‥‥‥

 

 

 

 

 

 

 

「一人で自然災害を引き起こせるとはな! さすが教授が選抜した生徒だ、普通じゃないぜッ!」

 

「あの子が本気になれば出せる風速は50どころじゃないわ、鉄塔や電信柱が折れ曲がる」

 

「クエスの罠が不発になっても竜巻で仕留める二段構え、連中も俺たちを軽視しなかったか。手を抜きゃいいのに」

 

 となると、このまま仮に。仮にあのサイクロンから逃げ切れたとしても次の手がある。たとえばこの逃走を読んでどこからか砂金や水の弾丸が降ってくる、とか。

 悲観論で備えすぎるのも問題だが相手は一人を除いてあのイ・ウーの連中。強かさと抜け目のなさはイラッと来るレベルだ。学んでる。

 

 砂やらなんやら、そこら辺のものを巻きこんで進んでくる大竜巻は、ただでさえ重心移動やら安定感やらを難しくさせる二人乗りの騎乗には最悪の1手だ。

 車体が傾いて転倒したらそこまで、となると行き着く先は結局最後は賽の目次第の出たとこ勝負。

 

 

「そろそろ馬鹿げた提案が出てくる頃?」

 

「なんだ、ついにみらいよちまで覚えたのか?」

 

「これだけ長くいれば、なんとなく分かるから。あの竜巻が彼女たちの奥の手なら、やり方次第では戦意も削げる。雪平、あの竜巻なんとかできないの? もっと注文をつけるなら言い訳のできない正面から」

 

「お前、自分で目茶苦茶なこと言ってるって分かってるか?」

 

「ふーん、その返しは知ってる。できるのね、じゃあ乗った。ベットよ、馬鹿げた案に」

 

 タイヤを泣かせる、連続での切り返し。

 進路をもう一度反転させ、夾竹桃は無謀にも竜巻を威嚇するように正面から向き合った状態でエンジンを鳴かせる。

 白い柱は天高くそびえ、はっ、笑えねぇ。こんなの階級違いや異種格闘技戦どころの話じゃないぞ。

 

 

「好きだよ。お前もジャンヌ理子も、みんなイカれてる」

 

「イカれた隣人を持つとこうなるのよ」

 

 懐から引き抜いた小さな中身の透けているスキットルに収まっているのはガブが残した大天使の恩寵。

 S級の聖遺物を素材にすれば、俺の手札にはあの嵐をなんとかできそうなカードが1枚‥‥‥ある。 

 

 ‥‥‥似てるな、切札に切札をぶつけてなんとかしようとしてるこの状況、羽田空港でかなめと戦ったあのときと、よく似てる。

 

 優しい運転とはとても言えないドライブに付き合ってくれたGPZ900Rも、覚悟を決めてくれた雄雄しさで咆哮を立てると、ついに地中を抉って掘り進めているような白い柱に向けて走り出していく。

 

 F-14に並ぶアメリカ海軍最強のパイロットが跨がった相棒だ、バカをやるにしてはなんとも心強い。いい子を連れてきてくれたよ、真面目に。夢の中の世界や臨死体験してるとき、

 

 

「──おぉい! おかしくなったのか!? そんなつまんねー幕引き、あたしは許してねえぞウィンチェスターっ!」

 

 うすらと聞こえてくるカツェの叫びも、加速を重ねて暴風との距離が近づくに連れて聞こえなくなる。

 

 つまんねー幕引き? そいつは違うぜ、カツェ。

 きっとお前も気に入るよ。なんてたって、こいつはおまえらのお友達の『アーネンエルベ』が遠い昔に抱えてた代物だからな。

 

 

「知ってるか、夾竹桃! その昔、とある女賢人がアーネンエルベの幹部からとんでもないオカルトグッズを盗んだ!」

 

「貴方たちがナチスとインディ・ジョーンズなみに因縁があるのはもう知ってる!」

 

「その遺物は第二次世界大戦真っ只中にアメリカの潜水艦で本土に運ばれてる途中、攻撃を受けてそのまま潜水艦と大西洋の底に沈んだ。あれが3回目、いや4回目だったかなタイムスリップしたのは‥‥!」

 

 

 『契約の箱』──俺の手の中でスキットルと共に握られているその木のガラクタは、かなめとの戦いで切らされたヨシュアの角笛とは別種の‥‥‥()()()

 

 創世記に神が触れたとされ、神の力がそのまま宿っているとされる最上級のオカルトグッズ。もっとも肝心の神のパワーは使い切ったあと、俺の手元にあるのは正真正銘の抜け殻だ。

 

 だが緋緋との虚無に戻る直前、ガブはいいことを教えてくれた。

 ロキお得意のトリックだ、神のパワーを充電できないなら代用すればいい。とどのつまり、でっちあげだ。神に近くて似たようなエネルギーを流し込んでそれっぽく、それらしく稼働させる。

 

 

──────

 

 

 暗記していた呪文を記憶から掘り出し、言葉に乗せるのと連動してスキットルの中にあった青白い光が揺れだす。

 呪文は鍵、言葉通り鍵穴は回っては恩寵は煙のように独りでに抜け殻へと流れ込む。

 

 大天使のエネルギー源である恩寵を神の手に流し込んでぶっ放す。神の手が銃、そして弾が恩寵だ。

 でっちあげ、紛い物とはいえ神のエネルギーの代わりができるのはさすがは神の近親である大天使さまってことかな。

 

 

「見なよ、眷属。これがノアの洪水で消滅したとされてる神が触れた遺物──」

 

 

 神の手だ。

 ああ、なんて捻りのない名前。もっと他になかったのかねえ。メタトロンならボロ雑巾みたいにこき下ろしてただろうよ。

 

 

「‥‥‥この、おばかッ‥‥‥!」

 

 異変と同時に、ただでさえ車体の姿勢を保つのに精一杯な運転手から怨嗟じみた声が飛んでくる。腕のいいドライバーに命を委ねる、まさにワイルド・スピード。

 

 それは目の前の視界そのものがオレンジに染まって見えるほどの圧倒的な熱源と光の噴流。白い柱に向けて木片のガラクタを突き出す滑稽な姿もこうなってはバカにはできない。

 

 結果は悲惨だったが、元々あのルシファーが宇宙レベルで理不尽な力をもったアマラに対する切札として選んだオカルトグッズ。

 もう一度言うぜカツェ。つまんねー幕引きになんてならない。地上に降りてくるだけで東海岸全域を停電にして嵐を起こすような連中の燃料だ、風速50、60の竜巻の一つや二つは───消し飛ばせる

 

 

「馬鹿をやるしか生き残れないときもある。孫子の兵法だ。左も安全、右も、でも真ん中はグシャだ」

 

「それは孫氏じゃなくて‥‥‥ベストキッド!」

 

 まるでディザスター映画、眼の前の景色は自然災害に超常現象のオプションが加わったこの世の終わりみたいな光景が広がってる。地獄絵図がこんなに相応しい景色もないぜ、こいつは。

 

 額を焼かれ、髪をなびかせ、しかし真紅のバイクは正面の進路を一本槍に貫いていく。

 いいニュースと悪いニュースはセット、だからいいこともあった。自殺行為の進路を突き進んだ、だから背後を見てみろ。もうなにも追いかけてきてない。

 

 熱と光を吐き切ったガラクタを手から落とす。

 背後に敵影無し。正面? 潔く綺麗に進路は空いてる。苛烈な風と熱量は揃って姿を消し、穏やかな風とクリアな視界があとには残っただけ。

 

 とどのつまり、ルーレットはおれたちの勝ちだ。

 

「いい関係を続けるには何が大事?」

 

「寝る前に仲直り。テレビで心理カウンセラーが言ってた、相手の荒削りな魅力の中にあるダイヤをなんとかして見つけろって。そうするとどうなるか」

 

「どうなるの、聞きたいわね」

 

「独り身のわびしい部屋に帰らなくて済むんだと。手厳しいよなぁ、離婚したらトイレットペーパーまで持ってかれる時代だぜ。悲しいよ」

 

 戦線離脱、何の迷いもなく俺たちは魔女の気配の残るその場を加速を落とさぬまま抜いていく。

 

 非常時の切札1枚と犠牲に逃走。後ろにあった気配も完全に離れていく。なんとかなったが、これが現実だったらうまくいったかどうかは怪しいもんだな。

 神の手が現実でもうまく動いてくれるか、できれば使わない人生を過ごしたいもんだ。天使の核兵器なんてな。

 

 悔しいがメタトロンの言葉も一理ある、人生はままならん。

 

 

 

 

 

 

「ネバダの砂漠でキンジはジーサードと機関車でハリケーンに突っ込んだ。そして俺とお前は、今日バイクでハリケーンに突っ込んだ」

 

「ディザスター映画は当分見なくていいわね。あの暴風域を通り抜けたあとで楽しめる気がしない」

 

「はらはらドキドキはしないだろうな。解説しなきゃいけない怪談話と一緒、恐くもなんともない」

 

 

 颱風のセーラが巻き起こした人為的なハリケーンからなんとか逃げ延びたのもつかの間、肝心の問題は何ひとつ解決に進んでいないことを思い知らされる。

 

 ドンレミを抜けるべくバイクを走らせていたら途端にこれだ。

 視界が暗転し、不気味な浮遊感に見舞われて落ち着いたと思ったら見覚えのない場所に突っ立ってる。夢の中の世界だと珍しくもない、さっきいた場所からいきなり別の場所に飛ばされるのはな。

 

「とはいえ、あのバイクに別れを言えなかったのは心残りだがな。最高の活躍をしてくれた。いいチョイスだったよ、さすがに今回は褒める」

 

「よしなさい、もっと言って」

 

 ‥‥‥なんともノリのいい暗殺者もいたもんだ。 

 しかし、3階から4階はあるな。それなりの高さの洋館が左右の壁をぴったりくっつけて並んでる。ドンレミよりもずっと『街』特有の空気感が漂ってるがパリって感じじゃねえな。

 

 この手の現象は初めてじゃないだけに、とりあえず場所のヒントになるものでもないかと看板や広告でも探そうとした刹那、

 

「──ブリュッセルね。フランス語圏内だけど、場所はパリよりも北」

 

「ベルギーか。魔女連隊から追われてるとき、ワトソンたちもキンジやジャンヌと避難したって。おたくの会計士もここでキンジがひっかけたらしいぞ?」

 

「節操のない男、貴方の胃袋といい勝負だわ。次から次に、際限がない」

 

「どうやって友好を深めたのか、詳しいところまでは聞いてないけどな。ベルギー、またもや初めて来る場所だ。こんな状況じゃなかったらもっと感動できたのかな、夢の中だけど」

 

 夾竹桃はまたしても初めてじゃないって口振りだが俺は当然のごとく初見。真新しさしかない。

 ベルギーの首都、美しく絢爛な街並みでも有名な場所だ。サムならもっと派手にはしゃいでたのかな、バーでも絵画の話でしょっちゅう盛り上がってたし。

 

 近代的というよりは、数世紀前の古い建物や街並みがいまの時代にそのまま混ざり込んだようなチャールストンみたいな印象を受ける。

 時代や年度にこだわらず美しいものを守り、受け入れて作られた景観。ジーサードが気持ちの良い口笛でも吹いちまちそうなお見事な景色だ。

 

 だから余計に残念に思う。

 景色を楽しんでる余裕なんてないってことが。

 外は晴れて、青空。なのに人は誰も歩いてない、なんともご都合的だよ。ダークな会話もし放題だ。

 

「状況整理の時間?」

 

「お先にどうぞ、先生」

 

「歩きながらで」

 

 石畳の道をバイクを失い、徒歩で並んで歩く。

 

「さっきのこと、会話のなかで極東戦役の件を持ちかけられたけど」

 

「夢の中だからな、なんでもありだ。魔女軍団が出てくるのはまだ序の口かもしれないぞ、もっと酷いのが出てくるかも」

 

「そうね、代表戦士はまだいる。私と貴方が最後まで刃を交えることなく終わった相手も」

 

 どこか含みのある言い方で、多分俺たちは同じことを考えてる。

 代表戦士の中で、戦わずに済んでよかったと思える連中が2人リストに残ってる。忘れるわけもない、欧州での戦いの均衡をたった2人で眷族に傾かせた化け物だ。

 その内の1人にキンジも一度強襲されてる、背中に異様な刀を2本背負った高校生ほどの東洋人。

 

 

「妖刕と魔剱。あれだけ騒がれたんだ、ちゃんと覚えてる」

 

「膠着状態だった欧州の戦況を傾かせた男女、どこの誰であれTier1の凄腕ね」

 

「師団の義勇兵になってくれりゃバチカンも苦労しないで済んだのかもなぁ」

 

「いい話には競争がつきもの、そういうものよ。妖刕はいつも黒装束で、魔剱は黒髪の美女だって。誇張されてると思う?」

 

「美女ってところか? 分かんないけど相手はかなりの凄腕だ、邪な気持ちで弛緩剤盛りにいったり、変に口説いたりするなよ。お前、悪女に弱いから」

 

「そんなお遊びができる相手じゃないでしょう。相手が美女なら貴方のほうが手を抜かないか心配、欲は常識に勝る」

 

 欲は常識に勝る、なんとも救いのない言葉だ。

 一瞬の欲望の開放は常識にも勝る、意外と芯を食ってるのがいやらしい。

 

 石畳の道は少し寂しい路地に折れ、いまでは珍しい洒落たガス燈が目に付いた。

 ブリュッセルに逃げ込んだ時、キンジやワトソンもこの道を通ったのかな。ジャンヌも。

 

 俺は欧州での戦いには出向かなかった、こんな形でみんなの歩いた跡を通ってるとしたら妙な気分だ。なんとも言えない。

 

「しかし、今回が初めてだな」

 

「?」

 

「ジャンヌのことさ。チャーリーがジンに囚われたときは夢に潜ってからすぐ出会った。ボビーのときも同じく。今回もすぐ見つかるかと思ってたんだ、だがどうにも出会える感じがしない。まいったな」

 

 しばらく歩いて景色は少し変わった。

 繁華街じゃないが色んな店が立ち並んでる。iOpera(オペラ)‥‥‥劇場もあるのか。

 

 舞台、舞台か。

 演劇なんてロクに見たことはなかったけど、仮に一番記憶に残ってる舞台って言ったらやっぱりアレなんだろうな。舞台というかミュージカルだったけど。

 

 ‥‥‥あれが一番か。

 ああ、ちくしょうめ。色んな意味で言葉に悩む。

 

 

「雪平?」

 

「ミュージカルのこと話したっけ? 学生の演劇というか、スパナチュを題材にした学生の出し物に狩りが絡んで、無茶苦茶になった話」

 

「ああ、それなら少しだけ。監督が途中から主演を兼ねて、歌はよかった、その話よね?」  

 

「そう。最後の最後で『伝承』を歌うんだけど、小道具のインパラと母さんと親父、ボビー、アダムも出てくるんだ。みんなが横に並んで、変な話だけど現実味が、なかった。家族全員が揃うなんてウチの家系じゃありえない、誰かしらいつも欠けてるからな」

 

 全員でテーブルを囲むなんて夢のまた夢。

 叶うこともない。親父がいるときは母さんが、母さんがいるいまは親父がいない。バランスを取るようにウィンチェスターって家系は誰かしらが欠けてる。 

 

「母さんはいまでこそアマラが連れ戻したが、あのときは‥‥‥席から舞台を見てるときに思ったんだよ。残ってるのは俺とサムとディーン、それにキャスしかいなかった。でもキャスだっておかしくなったり居なくなったり、思ったんだよ。家族と思える仲間を、大切な人を作ってもまた俺たちは取りこぼす。その、繰り返しだってな‥‥‥」

 

 

 ふと、昔のことを思い出して感傷的になる。

 知ってる、誉められたことじゃないな。しかも時間に余裕のないこんなときに。

 真面目な顔の、黙って次の言葉を待ってくれてる夾竹桃には感謝するべきなのかな。変なところでいつも律儀な女だ、そこが嫌いになれない。

 

「それでもまだ俺は、お前やジャンヌ、理子やキンジと繋がりを求めちまった。悔しいことにもう大切な戦友で、家族だと思ってるよ俺は。だから今回も必死にやるさ、ジャンヌは絶対に連れ戻す。身内のストロベリーナイトなんて懲り懲りだからな」

 

 叩き起こしてやるよ、ジャンヌ。この世界を這いずり回ってでも見つけて叩き起こしてやる。まだお前の弾くピアノも聞いていたいしな。

 

「観光に来てるわけじゃないから手短に、手短に言うからよく聞いて」

 

「夾竹桃?」

 

「貴方は武偵になってもう浅くない。日々成長してる、だけど変わってないのは正しい道をいつも探ろうとする男だってこと。ハンターのときから、ずっといまでもそれをやってる。知らないフリをしても仕方なく厄介ごとにも結局頭を突っ込む」

 

 らしくないことを言ってる、そんな表情で嘆息を混ぜてから夾竹桃は首を軽く揺らした。

 柔らかい、悪党にしちゃ詐欺もいいところの明るい微笑みで。

 

「そこが貴方のいいところでもある。いつかは誰かを幸せにできるわ、きっとね」

 

「‥‥‥ありがとう」

 

 それはなんというか、温かい言葉だな。

 そうなってくれたら、俺も幸せだ。

 

「じゃ、改めて隣人を救いに行きますか。ヒルダが待つのに疲れて酔い潰れる前に」

 

「その前にあの子をどう探すかだけど、あの子の魔力を目印にどうにか探知できないわけ? 何かのまじないで」

 

「言っとくがまじないも魔術も万能じゃない。サバティエルの石みたいに願っただけで欲しいものが手元に舞い込むような都合のいい代物ものじゃないんだ」

 

「3回願えば真の力が解放される?」

 

「代わりに命は風前の灯火だけどな。近道を漁るよりもこうなったら地道にーーー」

 

 

 

 地道に行くしかない、嘆息混じりにそう続けるつもりだった体にノイズが差し込む。

 

 最初はほんの些細なノイズ、脳裏に刻まれた防衛本能が過剰に反応しただけと流したかったが、ノイズは次第にクリアになって聴き間違いのできない荒い喘鳴と無数の足音に変わる。

 

 聴き間違いじゃない、それを聴き間違いと楽観的に流せるようななだらかな道は歩いてきてない。

 ああ、ちくしょうめ。何も景色に変化はない、そしてこの心底はしたない唸り声と、荒い喘鳴は間違いない──

 

 ああ、なんでこんなところにまで──

 ──いつもいつもどうして‥‥‥ざけんじゃねえ。

 

 

 

「えっ‥‥‥?」

 

 

 隣で温かい言葉をくれたその手を取る、スライドを引いたXDの用心金に指をかける。

 足は既に走り出していた。

 

 冗談じゃない、夢の中だとか関係ない。

 駄目だ、それは駄目だ。それだけは、その結末だけは許容できない。

 

 あの繰り返しだけは、駄目だ。

 もしも、もしもまた失ったら俺は──

 

 

 

 

「──地獄の猟犬だ! 逃げるぞぉッッ!」

 

 

 

 瞬間、静かな石畳の道は地獄と化した。

 背後から這い寄るその足音は、あの日──大切な人の腸を食い破ったあのときと何も変わらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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