哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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狩りの女神(後)

 

 

 レバノン、賢人の施設内にて──プロメテウス、そして彼の妻と子供の前にその存在は確かに表れた。

 ギリシャ神話の主神、その雷で大地を焼き払った天空の神が……

 

「この子にかけた呪いを解くだけでいい。とっとと終わらせよう」

 

 杭を手元にちらつかせ、ディーンが本題を切り出す。

 が、呼び出されたゼウスの瞳は俺たちを捉えていない。

 奴の眼孔が捉えているのは──

 

「そこにいるのはプロメテウスじゃないか。小ざっぱりしたな、ずっと探していたんだぞ?」

 

「お前のやり方は目に余る、呪いを解くんだ」

 

 怨敵であるプロメテウスだけ。

 どこの誰とも分からない俺たちに対しては、まるで興味を持っていない。

 外側だけ見れば単なる不敵な微笑み、だが中身はギリシャの主神だ……目の前には果てしない年月の間恨み続けている憎悪の対象がいる。

 オマケに……今いるのはプロメテウスだけじゃない。

 そのことに気付いたゼウスは、変わらぬトーンで、しかし歪んだ口角のまま続ける。

 

「私をわざわざ呼び出すとは──それはお前の息子だな、呪いを受け継いだ」

 

 言葉に乗せてやってくる言い様のない威圧感にヘンリーは反射的に息子の肩を抱き寄せた。

 

「面白くなってきた」

 

 言葉の一言一言に宿る例えようのない重苦しさがある……まるでアラステアだ、ただ会話を聞いているだけなのにゾッとする。

 記憶の根底を探っても、これ以上の上はないと思える『最悪の悪魔』と目の前の存在からは同じ匂いがした。

 

「どうする? おとなしく呪いを解くか、それとも荒っぽい手で行くか?」

 

 落ち着いた声色で問いながらも、ディーンはゼウスの前で尖った杭の先端をわざとらしく指でなぞっていく。

 嫌悪すべきことだがディーンは俺やメグと同じく……いや、俺たち以上にアラステアの教えを一番色濃く受け継いでいる。

 

 ……反吐が出る、だが確かにディーン・ウィンチェスターはアラステアのお気に入りだった。

 相手がなんであれ、その気になればディーンは誰からでも情報を引き出せる、忌まわしき地獄の権力者から直々に教え込まれたやり方で。

 

「荒っぽいやり方で喋らせるのが得意なようだ。どこかでお勉強でもしたか?」

 

「地獄さ」

 

「ユーモアのセンスは上々だ。よく聞け、アイドル志望の坊や。足元の罠を消してくれないことには呪いを解きたくても解けない。お前たちが罠を解けば、私も呪いを解こう」

 

 変わらぬ落ち着いた口調で、ゼウスは足元に仕掛けられた赤いペイントをゆったりと見下ろす。

 

「信じるとバカを見るぞ」

 

 あからさまな取引に俺も口を挟む。

 見るからに尊大なこの神様が約束を守る保証はどこにもない。

 今まで、異教の神ってやつを山程見てきたからこそ分かる。こいつは老若男女、見境なしに殺意を振り撒けるやつだ。

 

 そもそも、今までに出会った異教の神に一人としてまともなやつはいなかった。

 足元の拘束具が外れたら最後、ゼウスを縛り付けるものはない。こいつはここにいる全員を殺しにかかるーー躊躇いなく皆殺しだ。

 

「取引はしない」

 

 冷たくディーンが吐き捨てると、ゼウスの口元が不気味に歪んでいく。

 

「3つ数える」

 

「後悔するぞ?」

 

「1つ、2つ」

 

「なんならここで殺してやろうか」

 

「やってみろ、子供は一生苦しい思いをするんだぞ?」

 

 互いに怯むことなく、ディーンとゼウスの冷たい視線が結びつく。

 俺たちだけではどうやっても呪いを解くことはできない、当然のようにゼウスもそこを見透かして突いてくる。

 重苦しい静寂が数秒、数十秒……やがて、ディーンが踵を返す。

 

「──始めようか」

 

 決裂だ。

 荒っぽいやり方になりそうだな。

 俺、サム、プロメテウスはディーンを倣い、順に足を部屋の出口側へと向け歩いていく。

 あの女──アルテミスの姿は見えない。神出鬼没な狩猟の神も結界まみれのこの施設までは忍び込めなかったか。仮にも賢人の隠れ家だしな。

 

「息子を助けたければ私を開放しろ」

 

 背筋に嫌なものを感じ、衝動的に振り返った先の光景に俺は目を見開いた。

 未だ息子を抱き寄せたまま立ち尽くしていたヘイリーが、何かに駆られたようにゼウスに向かって駆け出していた。

 

「待って……!」

 

「ヘイリー! やめろッ──!!」

 

 焦燥感に満ちた彼女の叫びに、慌てて振り向いたディーンが怒号を放ったが遅かった。

 俺たちではなく、ゼウスの言葉を信じた彼女は足元に描いた赤いペイントの円を靴で擦り、切れ目を作ってしまった。

 正しい形を成さない魔除けには何の効力もない、あれはもう……ゼウスを縛る鎖からタダの落書きに成り下がった。

 

「息子を助けてっ!」

 

「バカかお前はッー! さっさと離れろ!」

 

 怒りを込めて俺も叫ぶが、彼女への怒りはすぐに消え失せた。

 小さな足音を鳴らし、ゼウスが赤い円の外へと出てしまった──紺のスーツの上に青白い電流を走らせる異様な姿で、

 

「……虫けらどもめ」

 

 ……呪いを解くのに使うセリフじゃないのは確かだな、ちくしょうめ。

 

「来るぞっ……!」

 

 プロメテウスが叫んだ刹那、ゼウスが振り上げた右足の踵を床に叩き付けた。

 青白い電流が床を這うように俺たちに迫り、青白い光が視界で弾けた次の瞬間には、激しい突風を叩きつけられたような衝撃が体を舞い上げた。

 

 横に広がっていた俺たち四人が、一度に体を掬い上げられては床に叩きつけられて警戒の姿勢を拐われる。

 なんとか頭から落ちるのは回避したが……あの神様、カリと同じく飛び道具持ちかよ……

 

「荒っぽい手でいくとしよう」

 

 ……結局、最後はこういう流れか。

 今日も今日とて、俺たちは人じゃないものに刃を向ける、今までどおりに。

 ああ──今回もいつも通りだよ、エレン。

 

 

 

 

「その子を渡せ、頼むよ」

 

 落ち着いた、しかし隠しきれない不気味さを帯びた声色でゼウスはヘイリーに右の掌を差し出した。

 

 子供を渡せーー至って単純なそのジェスチャーが呪いを解くためじゃないことは、さすがのヘイリーも悟ったらしい。

 焦りに満ちた顔が久方ぶりに俺たちを見るがその焦りを作ったのはゼウスの言葉を鵜呑みにしたあんた自身だよ。

 相手は異教の神、それもギリシャ神話のメインキャストであの『オリュンポス十二神』に名を連ねる一柱。

 ページの片隅にひっそりと名前が載ってるようなろくに認知もされていない神たちとはワケが違う……

 

「渡したくないならそれでいい。引き渡すか、奪われるか、過程の違いだ」

 

 ……だろうな。ゼウスがその気になれば、ヘイリーを黒焦げにした上で簡単に奪い取れる。

 胸騒ぎが止まらない状況の最中、二人の兄が一瞬だがアイコンタクトでやり取りするのがかろうじて見えた。

 

 意味は分かってる、手元にまだ残っている杭をどうにかして打ち込む、それしかないってことはな。

 怨敵の子供とお楽しみの前に、俺たちのお片付けってところか、上等だ。

 

「おい、オリュンポスの神様。プロメテウスは昔から女の趣味が悪かったのか?」

 

 起き上がり様に、少なからず本音を混ぜた言葉を差し向ける。

 プロメテウス──忌むべき相手をささやかながら罵倒する言葉に、狙い通りゼウスの頭が俺に向いた。

 よし、こっちだ、お互いに目を見て会話しようぜ。

 

「ああ、自分は違うと言いたのか。女の趣味がいいと」

 

「いいや、羨ましいんだよ。理想が低くて」

 

 言葉が切れ直前に、視界の片隅を鋭利な杭が過ぎ去った。

 文字通り、会話に水を差すディーンから不意の一撃だった。かつてはリヴァイアサンのボスもふいうちで仕留めた兄だ、文句のないタイミングだった。

 

 が、ディーンが不意を狙った投擲した杭は、ゼウスに胸元に吸い込まれるように加速し、あわや触れるかどうかの距離でぴたりと静止した。

 運動エネルギーが別の何かに阻まれるように奪われ、やがて刃先から床に転がり落ちた。

 

「お次はなん──くそッ」

 

「サム! キリっ! ちくしょうめ……!」

 

 プロメテウスを除き、まるで邪魔なギャラリーを掃除するように背中から俺たちは柱に体を押し付けられた。

 見えないワイヤーに柱と体を巻き付けられたように体はいくら力を込めても前にも横にも進まない。

 異教の神お決まりの念動力……だが、ゼウスが力を使った様子はない。だとしたら消去法で仕掛けたのは……

 

「もう会ってるよな、娘のアルテミスだ」

 

 黒のライダースーツを着込んだ女がいつの間にか視界に入り込んでいた。

 前髪を切り揃え、艶やかな茶髪を腰まで伸ばした彼女のことは鮮明に覚えてる──

 ──アルテミス、以前にモーテルで俺とシェーン……プロメテウスの寝込みを襲ってきた狩りの女神、ゼウスの娘……手のつけられない神がもう一体増えやがった。

 

「この子はプロメテウスの子供だ。毎日死ぬという呪いを受け継いでいる。だが、この子にまでそんな酷い運命を与えようとは思わなかった、いたいけな少年にな」

 

 アルテミスに、この場にいる全員に説くようにゼウスは語る。

 " 子供 "という単語を聞いて、アルテミスの半眼が一瞬プロメテウスに向いたが口は閉ざされたままだった。

 

「いい証明になったよ、楽しみは最後までとっておく方がいいと言うだろう?」

 

 場の空気が静まり、アルテミスの足音だけが広い地下に響く。

 

「どういう意味……わ、分からない……」

 

「プロメテウスは、この子が死んだところを既に見ているか?」

 

 人ですらないその存在を目の前にして、ヘイリーはただ無言で首を縦に振る。

 

「プロメテウスの反応は? この子の死を見て悲しんだか?」

 

 悲壮に満ちた顔で頷いたのを確認し──『よろしい』と、ゼウスが指を鳴らす。

 たったそれだけの動作で、プロメテウスの膝が崩れ落ち、見えない力に首を絞められているかのように苦しげな嗚咽が漏れていく。

 

「千の子供が一斉に死ぬ絶えていくのを想像してみろ。そのときこそ、初めてお前は私の痛みを理解するのだ。しかし、千人の子供を殺すわけにはいかん。さすれば──」

 

「……! ……っ!」

 

 歪んだ瞳が向かうのは当然──呪いを受け継いだ怨敵の子供。

 ……ゼウスはプロメテウスの前で、この子を虐殺するつもりだ。

 

「一人がその役目を請け負うしかない。お前にはとっておきの役目を与えてやる」

 

「……やめてッ!」

 

 ヘンリーが声を荒げると、今一度ゼウスが指を鳴らしてヘンリーの声を奪った。

 相手の声を奪い、無理矢理黙らせるルシファーやクラウリーも使っていた技……首に手を当てるなどヘイリーが何をしても声は一切外には出ない。

 これで邪魔な音は聞こえなくなった、存分にお楽しみに至れるってわけか。

 

「カリが招待状を送らなかったわけだ。この世の終わりそっちのけで自分の私怨を晴らすのに奔走してたわけか、大した神様だな」

 

「……なんだと?」

 

 子供の頬に手をかけた刹那、俺の煽りに反応してゼウスの体が反転する。

 

「おっと、それともロキみたいに手違いで招待状が届かなかったのかなぁー?」

 

 とりあえず、長話で時間を稼ぎながら次の手を考えるしかない。もしくはこの状況を変えてくれる何らかの幸運が舞い込むのを期待するかだ。

 

「北欧とインドの連中は、確かにどいつも自分の力を過信した挙げ句に返り討ちにされたお間抜け連中だった。だが少なくともこの世界が滅ぶのを食い止めようとする意思を持ってた。ところがあんたはどうだ? 最終戦争はそっちのけ、恨みを晴らすために今も躍起になってる。世界が大変なときにオリュンポスの神様は一体どこで何をやってたんだよ」

 

「神々の集いか、たかが天使二人の小競り合いに大袈裟な。これは恨みなどと軽い言葉で表せることではない、これは我々の総意なのだ、世界を統べる機会を奪われたオリュンポスの神々のな」

 

「自分の方から火を奪っておいて、随分と虫のいい。屁理屈をこねて自分を納得させるか。さすが神様、なんでも無理が通る」

 

「悪いがもうお腹いっぱいだ、久しぶりの無駄話も楽しかった──アルテミス」

 

 半ば一方的に会話は打ち切られ、心の中が一気にクールダウンする。

 まだ自由の許されている首から上を使って二人の兄の様子を窺うが……駄目だな、頭が3つ、どれも解決策が浮かんでない。

 

「煽ってどうする、もっと引き伸ばせ」

 

「無茶言うな、頭使うのはそっちの担当だろ。俺とディーンは暴力担当」

 

「キングギドラが賢いとは限らない。頭が3つあるのになんてザマだ」

 

 ……そのジョーク、こんな状況以外で聞いてたら笑えたかもね。

 ゴジラが大好きなディーンらしいジョークを尻目に、アルテミスの編み上げブーツの足音がゆっくりと耳元に近づいてくる。

 

「……お次はなんだ?」

 

 どうせろくでもない展開だろうけど。

 

 

 

 

 

 

 前回は暗がりで分からなかったが、アルテミスの素顔は……女神というだけあって、とても整った顔をしていた。

 とはいえ、ただ端整な顔立ちの女優やモデルとは違い、その全身から溢れているのは人外特有の危険で怪しい匂い。

 人ではない、枠の外にいる異教の神だから、こんな危うげな空気や表情を纏うことができるのだろうか。

 バーにでも紛れ込めば、火遊びが好きな男からひっきりなしに声がかかかることだろう。

 

「二人とも、この女が誰だか覚えてるか?」

 

 そんな彼女に背中を奪われ、俺たちはゼウスを呼び出したガレージから遠ざかるように基地の通路を歩かされていた。

 不機嫌なサムの言葉に『どうでもいい』と不機嫌なディーンの言葉がやたら鮮明に響き渡る。

 

「僕たちハンターの神さ。アルテミスという狩りの女神。ハンターがゴルゴンやミノタウロスを退治するとき彼女に祈って勇気を貰うんだけど、もう崇める価値はない」

 

「一応聞いとく。なんでさ、お兄さま」

 

「神の威厳を失った」

 

 次の瞬間、体が壁に吸い寄せられるように独りでに動き、壁と顔との距離が0になった。

 三人揃って右頬が壁に食い込んでいるバカみたいな光景に心底嘆きたくなる、無茶苦茶痛い。

 

「失ってはいない」

 

「……サムっ、そんな口聞いていいのか。神だぜ神だぜっ……」

 

「……さっき貰った言葉を返すぞ。煽ってどうする煽って」

 

 巻き込まれた形の俺とディーンが、恨みを込めて吐き捨てる。

 だが、どうやら優等生の兄は何かしら突破口を掴んだらしい、あれはそういうときの顔だ、でかしたガリバー。

 

「おかしな話だ。これだけの力があってなぜ7年も彼を見つけられなかった?」

 

「彼は隠れていた」

 

「君を誤魔化せるか? 狩りの女神がモンタナの山小屋を見つけられないとはね。──本当は探したくなかったんだろ」

 

 と思ったら、またしてもライオンの尾を踏んだらしく、さらに強くなった力で体が壁に押し付けられる。

 ……前言撤回、獣の尻尾を踏みながら歩くのやめてほしいんだが……

 

「……待て、サミー……このままだと壁に埋葬されちまう」

 

 ……笑えない、アナコンダやホオジロザメに食われるより酷い最後だよそれは。

 

「……彼の息子が死ぬんだぞ。殺される」

 

「心配ない、すぐに生き返る。お前は死ぬけどね」

 

 " 不死 "の存在を殺せると言われている彼女のナイフがサムの首もとをゆるやかになぞる。

 

「プロメテウスは君を愛してるって」

 

 ……えっ? 愛してる……?

 

「それは嘘」

 

「どうかな、彼がそう言った」

 

 突如として飛び出した言葉に頭の中が真っ白になるが、明らかに落ち着きを損ねたアルテミスの声色と、サムの首から離れたナイフが脳裏に引っ掛かりを残す。

 

「彼はちょくちょく山から抜け出した。君は父親の目を盗んで彼と逢い引きしてたんだろう?」

 

「彼が言うはずない。記憶を失ってる……」

 

「じゃあなんで僕が知ってる、君がギリシャの詩人家や歴史家に話したのか……?」

 

 ……アルテミスの言葉が止まる。

 この反応、マジでアルテミスはかつてのプロメテウスの恋人だったのか。

 当然、プロメテウスはそんな話を一言も俺たちにはしてない……こいつ、神様相手に話をでっち上げやがった……

 

「言えないよな、父親がもっとも恨んでる相手が恋人だなんてさ。君の父親はなんたってあのゼウスだ、ロミオとジュリエットだとかそんな次元の話じゃない。ゼウスはゾンビの新聞記事を見つけて君は嫌々恋人を捕まえに来たんだ」

 

 通路の壁を越えて、プロメテウスの痛ましい悲鳴がここまで響いてくる。

 モーテルでやけにあっさりと退いたのは、そういう理由か、望んで襲撃したわけじゃなかった。

 

「違うと思うなら僕たちを殺せ。彼の息子も放っておけばいい。また同じ悲劇がーー繰り返される」

 

「……」

 

 聞こえてくるのはプロメテウスの悲鳴だけ。

 父親が愛した男を殺そうとしてる、いやこれまではずっと殺してきた。

 ……凄惨な話だ。もし俺が同じ立場だったらと思うとゾッとする、いくら何でも酷すぎる。

 

 彼女はずっと傍にいて、ずっとそれを見てきたのか?  実の父親が愛した人を殺すのを?

 ありえない、なんだよそれは……頭がイカれるなんて、そんなもんじゃないだろ……

 

「繰り返させはしない」

 

 凛とした声が鳴り、壁に押し付けられていた五体が念動力から解放される。

 横目に見えたアルテミスは、既に元のガレージに向けて踵を返していた。

「無事か?」

 

「ああ、お陰様でな。色々言いたいことはあるけど、後にするよ」

 

 そう吐き捨てたディーンとは違い、俺は何も言わずアルテミスの背中に視線を呪縛されるだけだった。

 ……アルテミスはこれからゼウスを取り押さえにいく、愛する存在のために。

 けど、それは父親への裏切り、今まで立っていた居場所を彼女は失うことになる。

 

 分かってる、俺たちは彼女の恋心を今まさに利用したんだ。

 こんなこと考えたところで、心配な顔をしたところでどうにもならない。

 少なからず、彼女はゼウスの行為に迷いを抱いていた。神としても、プロメテウスを愛した女としても。

 ──そんなことを考えてる異教の神は、今まで一人も見たことがない。

 

 

 

「絶対に死なない体が欲しくないか? 毎日死ぬことになるがすぐに目が覚めるから心配ない。嫌なことを少しの間忘れられる、お昼寝みたいなものだよ?」

 

「──父上、こんなことはもうやめて!」

 

 アルテミスと共に舞い戻ったガレージ、そこでは青白い電流を纏ったゼウスの両手がオリバーの首にかけられるところだった。

 周囲には倒れたプロメテウスと、立ち尽くすだけのヘイリー、懐に残っていたルビーのナイフをゼウスの能天を目掛けて投げ放つ。

 

「やめるだと? 今から始めるところじゃないか」

 

 首だけの動きで飛び付くナイフを交わし、その上でゼウスが首を傾ける。

 

「もう十分よ」

 

 静かに一言、父親に言い放ったアルテミスの手に構えられているのは、彼女の逸話を語る上では欠かすことのできない『弓』。

 それを向けるということは、父親に向けて明確に敵意を向けるということ。

 青白い電流を腕に走らせたまま、ゼウスの眼光がアルテミスと結び付く。

 

「忘れたのか、これは我々のためにやっているのだ。オリュンポスの神々の為に。こいつのせいで我々は世界を支配することができなくなってるんだぞ! こいつのせいで、我々は忘れさられてしまったんだ、こいつのせいで!」

 

 言葉に乗せて、惜しげなく憎悪が晒される。

 

「その親子を解放して。ここにいるみんなも」

 

「私はお前の父だ。私に逆らうことは許さん」

 

 それはどこか、親父を見ているようだった。

 父には従順なディーン、反抗的なサム。

 神には盲目だったミカエル、背を背け続けたルシファー。

 俺とガブリエルは、そのどちらとも言えなかった

 

「これ以上こんなことを続けるなら縁を切る」

 

 時には父に従順、時には足で泥をかけて反抗するどっちつかず、真正面から父に背くこともあった。

 そう、今のアルテミスのように。

 

「……父でも何でもない」

 

 目を見開いていたゼウスに、自らの意思を固めるようにアルテミスは言い放った。

 逸れることなく父親に向き続けた弓が、やがて神妙な顔付きに変化したゼウスの胸を目掛けてーー放たれた。

 

「……!」

 

「お前が死ぬ姿は何度見ても飽きない。お前の息子もあの山に連つれていってやる」

 

 視認できるはずのない速さで迫る弓を、ゼウスは指先に纏った電流をワイヤーのように使い、倒れていたプロメテウスの体を引き寄せて……盾に使いやがった。

 鏃がプロメテウスの体で止まって……後ろにいるゼウスまで届いてない……無茶苦茶やりやがる。

 

「ちぃッ!」

 

 凄惨すぎる回避方法にアルテミスの目が大きく開いて固まってる。

 アルテミスの武器は不死の存在を殺せる……だとしたら……考える前に右腕は天使の剣を抜き、両足は駆け出していた。

 杭がない……それならリヴァイア方式だ、殺せないなら首を切り落として動きを止める!

 

「アルテミス、援護し──」

 

 ぐしゅっ、と肉を潰す音が聞こえて俺の足は止まった。

 

「──がああああああッ!」

 

 喉を潰して絞り出したような悲鳴は他ならぬゼウスのものだった。

 プロメテウスは胸に埋まったアルテミスの矢を自分から体の奥深くにねじ込んだのだ。背中の先にいるゼウスの体に鏃が届くまで。

 

「……」

 

 衝動的に振り返った先には、信じたくない現実を目の当たりにしたような、アルテミスの顔があった。

 

 ゼウスの体の上を青白い稲妻が何本も走る、まるで血飛沫を撒き散らすように青白い光が、ゼウスの周りに咲いていった。

 口、両目、鼻……あらゆる場所から青白い光が吹き出し、その姿は天使が絶命するときの姿を想起させる。凄惨な悲鳴が止まったとき、プロメテウスとゼウスの体が同時に床へと倒れ伏した。

 

「シェーン……?」

 

 震える声でディーンが人としての彼の名前を呼ぶが、応答はない。

 一瞬にしてガレージから音という音が消え、数秒前までの景色が嘘のように場は静まり返った。

 皆、足が縫い付けられたようにその場から動けずにいる、初めて足音を立てたのは、アルテミスだった。

 弓を床に置き、倒れた二人に駆け寄って膝を折る。

 

「……」

 

「アルテミス……」

 

 父親と愛した人が同時に倒れた、どんな言葉をかけていいか分からない俺に、アルテミスは何も言わずに二人の体を繋げている弓に手をかけ、ゆっくりと引き抜いた。

 血に濡れた鏃は青白く発光して、鏃の先をアルテミスが神妙な目付きで睨んだ。その光は察するに……不死身の存在を殺せるといわれる……彼女の力が働いたということなのだろう。

 

 ゼウスは……討てた、恐らくこれでオリバーにかけられた呪いは解けるーーいつもどおりだ。

 いつもどおり、犠牲を払って根本の問題だけを片付ける。今まで何度も繰り返してきたとおりのやり方だ。

 

「────」

 

 視線を傾ける。アルテミスは腹部に血だまりを作ったプロメテウス、そしてその下敷きとなった父親をただ見つめている。

 結果的に、自分の放った弓が命を奪うことになった父親と愛した人に視線は呪縛されたように動かない。

 ようやく彼女の手が動くと、無言のままヘイリー、そしてオリバーを一瞥したあとに、垂れ下がったプロメテウスの両手を胸元で組ませた。

 

 ……威厳を失った? どの口で俺たちは言ったんだ……なんだ、なにをした、この戦い──俺たちは、俺はいったい何ができたって言うんだ? 

 

 喉元から嗚咽が漏れる、アルテミスのお陰でゼウスの呪いは解けた、これで幼い子供を呪いを蝕むこともない、俺たちもこうして息をしてる。

 そして──アルテミスは父親と愛する人を同時に失った。 

 

「アルテミ……」

 

 礼の言葉、慰めの言葉、称賛の言葉、なにをかけるのが正しかったんだろう。

 何か伝えないと──そう思って名前を呼んだときには、アルテミスの姿はどこにもなかった。そしてゼウスの亡骸も。

 

 

 

 

 

 

 積み重ねられた木々の上へ、白布で覆われたシェーンの遺体が寝かせられた。

 周りは木々に囲まれ、黒い絨毯を敷いたような夜は恐ろしく静かだった。

 ディーンが起こしたジッポーの着火の音も少し離れて様子を見る俺のところまで、明瞭に聞こえてくる。

 

「安らかに眠って」

 

 ジッポーを灯したディーンの隣から、ヘイリーが小さく呟いた。

 ジッポーから着火した火が木を通い、やがて線を引くように燃え広がった火が、寝かせられた遺体を包んで火葬していく。

 これまで何度も繰り返してきた、ハンター式の葬儀の上げかただった。

 

 ディーンはヘイリーをサムはオリバーに気をかけるように二人の側から、眠りにつこうとする彼を見据えている。

 大切なものを失った被害者に寄り添う、そんな光景だ。正しい光景だ、二人家族を、大切な人を目の前で失った。

 けど、被害者は二人だけか? いや、違う。何より大きな犠牲を払ったのは……

 

「どこに行く?」

 

「アルテミスを探す。今なら呼んだら出てくるかもしれないからな。このまま何も言わずに別れたら自己嫌悪で頭がイカれちまう、イカれるわけにはいかない」

 

 ディーンにそう返し、ヘイリーの稀有なものでも見るような視線を断ちきるつもりで、俺はゆるくかぶりを振った。

 森の中は青臭い草の匂いと、土の匂いが混ざって酷く目を醒まさせてくれる、慌ただしい一日で溜まった疲労を一瞬だけ忘れさせてくれる気がした。

 夜の森林を一人で歩くなんて物好きにも程がある。自嘲しながら歩き続けていると、見上げるような巨樹に背を預けるようにしてーーアルテミスはいた。

 

「アルテミス、会えて良かった。まだ何も言えてなかったから。もしかしたら会えるかもと思ったけど、溜め込んだ運を使い切った気分」

 

「……話すことはない。森が私の居場所、父を失った今ここにしか私の居場所はない」

 

「……そうだな。俺も思うよ。親ってのは船の錨みたいなもので、拠り所であり居場所なんだって」

 

 投げられた言葉には心底同意しそうになる。

 親は船の錨みたいなもの、それが無くなると思うとーーできれば考えたくはない。

 

「俺たちが焚き付けて、ふざけた話だが貴方のお陰でプロメテウスの息子は……貴方が愛した人の息子は助かった。俺も手足が繋がってる、だからお礼を言いたくて」

 

「自分の父親に手をかけた愚か者に?」

 

「……愚か者じゃないだろ。今まで出会った中で、君みたいに人を救ってくれた異教の神なんていなかった」

 

「正しいことをしたと思う? 父を失った、愛した彼も……一度に居場所を失った。正しいことをしたから」

 

 鋭い瞳に喉が詰まる。

 俺たちにとっては敵、でも彼女にすればゼウスは愛する家族で父親だった。

 彼女は父親ではなく俺たち人間に味方してくれた、そしてその結果彼女は父を失った。

 正しいことをすれば、痛いしっぺ返しが待ってる。

 

 ──正しいことが報われるとは限らない、この世界はどこまでもアンフェアだ。

 

 暗がりで微かにしか見えないアルテミスの瞳は後悔のような、自己嫌悪のような、色んな感情が混ざりあった瞳をしている。

 その瞳には覚えがある、鏡の前で何度も見た。

 

「すまないアルテミス。多分俺には今の貴方に対して救いになれるような言葉をかけることはできない」

 

 アルテミスは何も言わず、かぶりを振った。

 

「俺も愛した人と親を同時に失った、今の貴方のように」

 

 一旦、言葉を切った俺と丸くなった彼女の瞳が結び付く。

 

「度々思うよ。あの日、ほんの少しでもどこかで違った選択を取ってたなら、まだ一緒にいられたんじゃないかって。二人のお陰で俺は今もこうして生きてる、命を救われた。正直、自分が救われる価値のある人間だったかどうか……嘆きたくなるけどさ。だけど、これが二人に救われた命だってことは忘れないようにしてる」

 

 一度目を伏せ、人に味方してくれた初めての神に向けて、

 

「アルテミス、貴方は神で俺は人間だ。果たして今の貴方の気持ちと比べていいものか分からないけど、これだけは覚えておいてほしい。貴方は愛する人が命を賭けて守ろうとしたモノを守ったんだ、あの子が生きているのは貴方のお陰だ。今でも貴方は間違いなく、尊厳のある神様だよ」

 

 彼は命を賭けて息子を守ろうとした、結果的に命を落としたけど一番守りたいものを守った。

 綺麗な最後とはとても言えない、いつもどおりの後味の悪い終わり方に他ない。

 

「どうしてそこまで言うの? 私が狩りの神で、お前がハンターだから……?」

 

「俺たちの首を跳ね飛ばすチャンスは何度もあった、けど貴方は最後までそうしなかった。怒りを煽ったウチの次男でさえ、五体満足でいる。父親に背を向けてまで俺たちに味方してくれた、感謝するのは当たり前だろ?」

 

 ここで、何も言わずに黙りを決めたらそれこそエレンに背中を蹴り飛ばされる。

 

「……なあ、俺は滅多に誰かに祈ったりしない。けど、もし本当にどうにもならないことがやってきたとき──君に祈るよ」

 

 多くのハンターがそうしてきたように。、

 貴方に勇気を貰えるように。

 

 

 

 







作者のなかで一番まともな異教の神なんじゃないかなと思ってます。


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