哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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痛み分けの恋愛

 

 

 

 『死』というものを、初めてその意味を明確に感じたのは再会した親父が死んだときだった。

 

 病室のベッドで意識不明にまで陥った兄が何もなかったかのように目を覚まし、まるで入れ代わるようについさっきまで話をしていた親父が息を引き取った。

 それが文字通りの、悪魔と取引した命の交換であったことを知るのは遅くなかった。

 

 

 

 次にそれを感じたのは、俺にとって初めて出来たアッシュと呼ばれる友人の死。

 如何にもチャラついた外見と律儀な中身のアンバランスな男。ビリヤードは弱ったがポーカーは強かった、頭も呆れてしまうほどよく回った。

 

 何かの悪戯でもし情報科に彼がいたら──そんなことをたまに考えることがある。

 

 悪魔の大群に襲撃を受けて、彼と大勢のハンターが集まっていたバーは凄惨な焼け跡にされた。

 俺に自慢していた彼のダサイ腕時計だけが、焼け跡の中で形の残った唯一の物だった。

 

 

 

 ディーンが悪魔に魂を売った──皮肉にも、親父と同じ方法でサムの命を救った。

 カエルの子はカエル、誰かに相談するわけでもなく兄は取引に踏み切った。

 

 十年の支払い期限を一年に値切られた挙げ句に──今度はディーンが地獄の猟犬に殺された。

 ディーンが目の前で腹を割かれた。フローリングに赤い華が咲いた光景を今でも鮮明に憶えている。

 

 

 

 誰かが死ねば、別の誰かが命を支払っても自己犠牲で家族を救う。既にこのときには、そのお約束が出来上がっていた。

 

 ディーンが死んだ、親父とサムに続いて。

 だが、その悲しみに暮れる暇は俺にはなかった。それだけは感謝すべきかもしれない。俺は兄もろとも地獄に堕ちた。

 

 

 

 悪魔がいるなら天使もいる。

 天使についてサムが語る度に昔のディーンは鼻で笑った。

 

 怪物も悪魔だっているが天使はいない。

 その理由を聞いても、何十年と狩りをしているが会ったことがないから、と納得できるような否定したくなるような微妙な答えだった。

 

 その天使に地獄から引き上げられたのだから、世間ではこれを皮肉と言うのだろう。

 天使が善、悪魔が悪と言った世間一般のイメージは、俺の頭の中から完全に崩れ去った。

 

 

 

 味方と思っていた悪魔に裏切られたことで、正確には家族の確執が原因でルシファーを幽閉していた檻が開かれた。

 隠していた手札をオープンした天使、そして悪魔の両陣営と完全に敵対することになる。

 たった一人、同士に『出来損ない』と烙印を押されながらも人間に味方してくれたトレンチコートの天使を除いて。

 

 

 

 そしてあの日。黙示録の四騎士が完全に復活を果たしたあの日。彼女は死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは見ているだけでもゾッとする光景だったのを覚えている。テーブルに並べられた5杯のショットグラスが次から次に空になり、トン、トンとテーブルに小さな音を立ていく。

 

 中身は水でもなんでもなく、れっきとしたウィスキー。

 仮に自分が真似をすれば阿鼻叫喚な現場を作り上げれる自信はある。

 

 やや顔を赤くしながらも、特に問題はなさそうな様子で椅子に座り直したキャスに、ギャラリーだった俺とジョー、テーブルで対面していたエレンまでもが言葉を無くし、苦笑いしていた。

 

 本来は互いに一杯ずつ、どちらかが潰れるまでグラスを飲み干していくデスマッチだが、植木に水やりかって気軽さでテーブルに用意したウィスキーを全部流し込まれて、誰もそこには触れられない。

 

「……酔うってこんな気分なのか」

 

 そんなことは露知らず、初めての体験にただ感想を漏らしている天使に、苦笑いしていたジョーの口許が純粋な笑みに変わっていた。

 酒には滅法強い母親が、もしかすると負ける姿が見れるかもしれない。そんな期待がたぶんあったんだろう。

 

 天使が酔うかどうか、そもそも前提から怪しい勝負だったが始まってしまっては誰も止められない。

 張り合うように残ったウィスキーを飲み干したエレンに、俺はそう悟りながら炭酸水の瓶を呷った。

 

 飲んだくれのボビー・シンガーの家、酒のストックには困らない。長期戦になりそうだな。

 

「全然いける」

 

 こっちも簡単には沈みそうにない。

 バーを開いていた理由の1つが、酒に強いからという俺の説も当たらずしも遠からずではないだろうか。

 浴びるようにウィスキーでやり合う二人を、俺は外から炭酸水で、ジョーはビールでギャラリー気分。

 

 明日はルシファーとの決戦の日。

 今日はいわゆる決戦前夜に当たる。

 

 無敵のコルトが手元にあるとは言っても不安は完全には殺せない。

 喉を通る炭酸水が、いつも以上に変な後味を残す。ルシファーを倒して、それで全部が全部終わるわけじゃない。片付ける問題は山ほどある。

 

「眉間の皺は、らしくもなく考え事をしてるから?」

 

 ふと、ビールを空にしたらしいジョーと視線が合う。

 血筋なのか、彼女も酒には強い。いまは亡き、彼女の父親もきっと親父と浴びるように酒を飲んでいたんだろう。

 ジョーはまだ飲みかけの瓶を静かに揺らす。

 

「炭酸水だ。アルコールで頭空っぽにはなってない」

 

「何年か経って、再会したとき覚えてる? あのときも炭酸水だった」

 

「朝の10時だったしな」

 

「空港じゃお構いなしよ?」

 

「でも誰かさんのせいでビールは飲めなくなった。賭けに負けちまったからな」

 

 憎らしげに見つめてやると、桜色の唇が綺麗に弧を描いてしまう。

 無駄に美人──ただ美人と言うのが悔しくて、俺はいつも無駄という言葉を足してしまう。結局、その夜もそれは変わらなかった。

 

「チップはケチるのに、ポーカーでは勝負師になる。あれは矛盾してる」

 

「どのみち大枚を巻き上げたんだから別にいいだろ。お前に挑むのは止めろって、二人に何回釘を刺されたことか。いつも無視したけど」

 

 いつも無視して、バーに赴いて挑んでは懐が淋しくなり、アッシュが苦笑いでこっちを見る。そしてカウンターまで行って、エレンが何も言わずにコーラを出してくれる。そしてテーブルから戻ってきた彼女と、ただ話をする。

 

 そんな一連の流れがお約束だった。

 それは決して嫌な時間ではなく、武偵となった今でも、尊く、大切な記憶の一つ。

 

 当たり前だ。賭けであれ、負け続けたとしても好きな女性とゲームが出来た。

 話をして、一緒の時間を過ごすことができた。それが嫌な記憶になるわけがない。

 

「なあ、明日は決戦だろ。未練が残らないようにお互い言いたいことは吐き出さないか?」

 

「分かった。ビール取ってくる、二人分ね」

 

「二人分?」

 

「明日が最後になるかも。今夜だけは特別。炭酸水はそれで最後にして、盛り上がりに欠ける」

 

 卑怯なくらい似合う黒いシャツ姿で、彼女は冷蔵庫の元へ消えていく。

 

「あの子との決着はついたって?」

 

 その後ろ姿を目で追えば、エレンから声をかけられるのも当然だった。ガン見してたわけでもないのな。

 

「まあ、痛み分けってところ」

 

「濁さないで言って。そこは気になってる」

 

「……畏まりました。ジョーの思いは実らず、俺の思いは実らず。平等に傷を負って終わり。見抜いてるくせに、俺に言わせるとは意地悪なことで」

 

 エレンには弱い。

 多少は乱暴って言うか、気が強いってレベルじゃないけど、いつでもジョーのことを一番に考えてる。

 

 それに、俺たちのことも随分と気にかけてくれた。最後の最後まで。ただのハンター同士の仲間、その一言で片付けるには受けた恩が大きすぎる。

 

「子供はよく怪我をする。けど、その分治りも早い。何度も怪我をすれば、感じたくもない痛みってものを知る。それで、他人の痛みも理解できるようになるわ。最初は辛いけど、お前のそれは治る痛み。あの子を好きになったことは、無駄にはならない」

 

「……ウィスキー飲みながら慰められる日が来るとは思わなかった」

 

「大人は敬うものよ、でないと良い大人になれないわ」

 

「覚えとく」

 

 確かにショックはあった。

 けど、ジョーが大切な家族ってことには変わらず、別にディーンを恨むことにもならなかった。

 

 我ながら、そこはとても器用に気持ちを扱ったと思う。

 二人とも大切な家族、そこは揺るがなかった。残っていた最後のグラスを奪い、二人が何か言う前に俺は中身を飲み干す。

 

「……きっつ」

 

「ちょっとあんた何のつもり?」

 

「別に高校生じゃないんだし。ギャラリーは飽きた。一人エントリーだ」

 

 案の定、真っ先に白旗を振るのは俺になるわけだが離れた席にいるディーンの姿が見えず、ジョーが戻って来ないことに、少しだけ嬉しく思ったのは事実。

 

 これが最後の夜なら、きっとジョーが本当に話すべき相手は俺ではなく、ディーンだからな。

 粗末な木の椅子を壁際から持ってきて、挑戦者気分でテーブルに新しくくっつけて座ってやる。

 

「明日は命がけの戦いになる。それなら思いっきり食って、飲んで、楽しんどく」

 

「二日酔いで動けなくなったら承知しないわよ」

 

「自制心だけは忘れずに。それとも俺と飲むのは嫌だった?」

 

「からかうんじゃないわ。盛り上がるのはここから」

 

 そう言うとエレンは笑う。

 言葉は交わさず、そんな彼女とグラスをぶつけた。

 

 その時、おんぼろカメラを三脚にセットし終えたボビーから声がかかった。

 

「写真撮るぞ、馴染みの札付きどもそこに並べ」

 

「ねえ、ボビー。ホントに撮るの、みんな嫌がってる。あんたとキリを除いて」

 

「俺のビールを飲み干した罰だよ」

 

「それだと俺だけ変わり者みたいだ。冷蔵庫を荒らした罰が写真1枚なら軽いもんだろ、信仰薄きものたちよ。俺もふくめてな」

 

 ビールの空き便をそこらに散らかした罰。

 キャスを含め、今夜はみんながアルコールとお友達だった。年代物のカメラの前に一人、また一人と車椅子のボビーを中心にして集まっていく。

 

 エレン、ジョー、ボビーにキャス。

 そして二人の兄。体を寄せて並ぶ姿は家族写真のようで、いや、家族なんだ。俺は今でもそう思ってる。

 

「骨董品まで持ち出して。どうしてこんなこと思い付いたわけ?」

 

「こんなバカどもがいたって証を残したいんだ。明日は決戦の日になる」

 

 そんな夫婦の口喧嘩みたいな温度で会話するボビーとエレンが、実は本当に夫婦になった世界を追々体験することになるとは、このときはさすがに考えなかった。

 

 ──セルフでシャッターが切られる。

 それが最初で最後の家族写真。色褪せたようなクラシックなその写真が──最初で最後の、みんなで刻んだ写真になることを、このときの俺はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

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