哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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やがて if
最後の戦線


 

 

 

 昔、広い世界に自分がたった一人、取り残される映画を見たことがある。

 人間も、鳥も、虫も、他には何もいない。どこを見渡しても息をしているのは自分だけ。空っぽになった地球に自分が一人だけ生きている、そんな映画。

 

 画面を見ながら思ったよ。

 もし、自分がテレビの向こうに吸い込まれたらなんてことを考えてゾッとしたことがある。

 

 そう考えれば、現実はまだマシだ。

 話し相手になってくれる兄弟と、ルシファーの息子がまだこの世界には残っていてくれるんだからな。

 

 

 

「ここって精神世界か? だとしたらなんだか不気味だ」

 

「現実逃避はよせ。残念なことにここは現実、神がおかしくなっちまったあとの悲惨な現実さ」

 

 レバノンのアジト、嫌なディーンの言葉が頭の奥の奥まで響いていく。

 知ってるよ、これは現実だ。認めたくない映画みたいな状況でもこれは現実。

 

 みんな消された。

 そう、みんなだ。人間、獣人、悪魔、天使、みんながリセットボタンを押されちまったみたいにこの世界から姿を消した。売れない作家に化けてた、神の一声でな。

 

 テレビをつけても画面には何も映らない。

 あのLAですら物音一つしない脱け殻の街と化してるはずだ。この地上にはもう俺たち以外、誰も残されてないんだから。

 

「なあ、仮に僕らの選択が間違えだとしたら、いったいどこから間違えてたと思う?」

 

「サム、間違えてるのは俺たちじゃない。あのスーツを着たブリキ人形のほうだ。もしあいつの筋書きに従ってジャックを撃ち殺してたら、俺たち全員一生後悔してるところだ。ディーンだけじゃない、俺たちみんな後悔で頭がやられてる。あれで正解だった」

 

「ああ、キリが正しい。これは野郎の書く物語じゃねぇ、俺たちの人生だ。たとえジャックを殺してそれでお袋が戻ってきたとしても、お袋はそんなの絶対に喜ばない」

 

 そうだな。母さんは喜ばないし、あそこで神の機嫌をとったとしても延命治療だ。上から土をいくら被せても、いつか必ず刃が突き出してた。

 

 いつか必ず、自分の満足できない展開を目の前にして今回みたいに動いてた。遅いか早いの違いだけだ。

 

 みんなが消えた世界で、兄弟揃ってテーブルに座りながらしらけた顔してる。お行儀よく座ってるのはジャックだけ、テーブルに同じ様に乱暴に置かれてる電話もいまでは無用の産物だ。

 

 他のハンターからSOSが来ることもないし、そもそも俺たち以外の人間はこの世界には残ってない。

 

「おい……こいつはどういう──」

 

「ディーン、おい、鳴ってるぞ!」

 

 真っ先に口を動かした俺だけじゃない。

 サムと、ディーン自身も目を見開く。俺たちの誰もが驚いた。

 他の生命が奪われたはずの世界で、ディーンの携帯がけたましく懐メロを流したから。

 

『ディーン……戻ってきた。怪我してるんだ、入れてくれ……』

 

 ディーンの携帯のスピーカーからその声が聞けた途端、何も考えずに俺たちは基地の扉を開ける為に走った。

 

 キャスが帰ってきた。

 虚無に死の騎士(デス)と飲まれたはずのキャスが。

 最低なことしか舞い込んでこなかったこの戦いで、初めて幸運が舞い込んだ気分だった。

 

 

 

 

「──元気だった?」

 

 

 

 

 ディーンがその扉を開ける瞬間までは。

 

「くそッ……!」

 

 ああ、最低だよ。最低だ。

 招かざられる顔に、ディーンが一度開いた扉をおもいっきり叩きつける。

 

「酷いなァ、友達にそりゃないだろう?」

 

 だが、もう遅い。

 招かざれる客はもう上がり込んでしまった。

 ……せこい手使いやがる、魔王がなりすましか。

 

 閉めたドアを嘲笑うようにいつの間にかドアから伸びた階段よりもさらに奥、広間のテーブルの前でルシファーは両手を広げる。

 

 ルシファー、堕ちた大天使。説明不要の、俺たちを何度もボロ雑巾にしてくれた怨敵だ。

 

「やあ久しぶり、みんな元気だった?」

 

「おまえは友達じゃない……!」

 

「分かった、なら正直に答えろ。私だと言ったら入れなかっただろ?」

 

 肩を落とし、否定したサムにうんざりと答える。

 あれだけのことがあってもあまりに馴れ馴れしくルシファーは距離を詰めてくる。悪びれるという言葉がどこまでも無縁なヤツだ。

 

 きっと俺が言わなくても誰かが口にする。

 この場の誰もが思っている疑問を俺が真っ先に口にしてやった。

 

「ルシファー、なんでまたネズミみたいに這い出してきたんだ。腹を一突きされて死んだハズだろうが……」

 

「ああー、そうなんだけどね。父がついに暴走して人間を殺しまくったろ? そのあとで虚無が私を追い出した。消えた死の騎士の本を見つけて神を殺せとかいう命令だ。命令されるのは、嫌いなのはよく知ってるだろう?」

 

 「長い付き合いだからな」と、俺たちには傍迷惑でしかない言葉が挟まれる。

 ルシファーがおとなしく与えられた仕事をこなすような優等生じゃないことは、聖書とかいうバカ売れのベストセラーを読んだことのある人間なら誰だって知ってる。

 

 こいつは自分の心だけに忠実。自分の思うがまま、決めるままに悪意を振り撒く。制御できるヤツなんていない。

 

「しかし、虚無と喧嘩するのはなんとしても避けたい、特にいまはな。ほらジャックに……粉々にされてムカついて死の騎士を殺したくらいだからーーとにかく退屈しないよ」

 

「「「……」」」

 

「過去は水に流して、仲良くやろう! またチームを組もうじゃないか!」

 

 ルシファー。神から最初に刻印を与えられ、堕落し天界を追放された大天使。心の底から殺戮を愛し、命が消える瞬間を楽しんでいる生粋の殺戮者。

 地獄の檻で何度も俺の体を切り刻み、サイコロステーキみたいに何度も皮膚を裁断してくれた最低最悪の相手だ。

 

 だが、あれだけのことがあってもルシファーの声、身振り手振りの振るまいには、馬鹿げたことに未だに親近感を持ちそうになる。

 

 本当に邪悪で恐ろしいヤツほど、傍目にはそうは見えない。

 あれは要は擬態なんだ。あまりに精緻な。

 バーで会ったらうっかり友達になってしまいそうですらある。そのことが何よりも恐ろしい。

 

「……それだけは絶対にない。3POのフリしてても邪悪な中身が透けて見えてるぜ」

 

「同感だ。手を組んでも最後にはこっちの手首が食いちぎられる、お前の計画も提案も最後は必ずトラブルを招くんだよ。ジャックの喉を裂いたの忘れたか? 面の皮が厚いにも限度があるんだよ、バカかおまえは!」

 

 だが、皮肉なことに長い付き合いだ。

 ディーンもサムもルシファーのことはよく知ってる。C3POみたいなお調子者に見えても、中身はシスの皇帝も霞んじまうほどにドス黒い。

 

 敵意しか宿っていない俺とディーンの視線を浴び、ルシファーはまたもうんざりとした顔で、

 

「あー、キリ、それにディーン。真っ先に噛みつくのがお前たちの仕事なのは分かってる。喧嘩を売るわけじゃないがお前たちには、殺せない。考えてもみろ、虚無が私をひきずりだした。ウィンチェスターじゃ手に負えないからさ、だろう?」

 

「まるで自分ならなんとかなるって言い草だな。いまのヤツはアマラを飲み込んでる、手に負えないのはおまえだって同じだろうが。指パッチンひとつで灰にされかねない、虚無に無茶を叩きつけられたなざまあみろ」

 

「もちろん、アマラを取り込んだことははっきり言って──マズイ。その気になればこんな汚れた空気も土も綺麗さっぱりリセット、また一から簡単に作り直せるだけの力を手にいれた。ディーンがナンパに失敗したせいでな」

 

 睨みながら噛みついてやると、アマラの名前こそ苦い顔で口にするもだらけた喋り方自体は変わらなかった。

 虚無の癇癪を貰えば、自分の首が落ちるというわりにやけに落ち着いてる。

 

「まあ、最後まで聞け。別にお約束のしくじりを笑いに来たわけじゃない。お前たちが反発するのは予想してた。だから誠意の印に、連れてきたよ。じゃじゃーん」

 

 まるで忘年会でやるマジックショー。

 そんな締まりのない掛け声と一緒にルシファーは合図のように指を鳴らした。

 

 すると、それまで何もなかった虚空から、猿轡と腕を体と鎖でがんじがらめに縛られた女性がずっとさっきからそこにいたかのような不自然さで姿を晒した。

 

 こんなときにサプライズも何もない。

 ルシファーのやることにはいつも困惑させられるが虚無から這い出してきた今回も例外じゃないらしい。

 

「誰だ?」

 

 案の定、ディーンが発した一言は俺たちの総意だった。

 知らない女だ。いやそれ以前に、人間も動物もまとめて消されて残ってないはずなのにどこから連れてきた。

 

「彼女はベティ。ベティ、挨拶しろ」

 

「──────!」

 

 当たり前だが猿轡で言葉は分からない。

 だが、ルシファーと仲良しじゃないことは分かった。

 無論、不満や怒りを垂れ流したところでルシファーにはどこ吹く風だ。優しさも倫理観もこいつにはない。

 

「私に挨拶してどうする。ははっ、すまんなぁ。ああ、ちなみにベティは、『死神』だ」

 

 ……死神か。神は天使も悪魔も怪物もまとめてこの世界から葬った。死神も例外じゃない、この女はルシファーが虚無から一緒に引っ張って来たんだろう。

 けど、どうして誰とも分からない死神を拉致って来るんだ。ますます意味が分からなくなる。

 

 死神をよこして、そこに何の意味がある?

 気取ったサプライズの反応がよろしくない俺たちに向けて、ルシファーは静かにに人差し指を立てた。

 

「まだ分かってないんだな。ベティは()()だ。死神なんだよ」

 

「ああそれは分かってる、だから?」

 

「いいか、見てろよぉ?」

 

 苛立ちといかけたサムへ不気味に微笑んだ次の刹那、ルシファーは天使の剣を彼女の胸元深くぶっ刺した。

 

「「「──────!?」」」」

 

 ベティとそう呼ばれた彼女の両目と口の奥から蒼白い光が吹き出し、首が天を向く。

 天使の剣に刺されたら天使も悪魔も、死神だって死ぬ。真っ赤になった刃が傷口から抜かれ、こときれた体が床に倒れ、音を立てた。

 

 あまりに一瞬の出来事は、命が目の前で消えたことへの実感すらわかない。

 

「ひでぇ、何しやがるんだ」

 

 やがて、ディーンが困惑の眼が魔王を射る。

 ルシファーはにやついていた、目論見が成功したような顔で、にやついている。

 

 ……なんだ、自分で運んできた死神を俺たちの目の前で殺して、それに何の意味がある。

 

 頭を冷やして、もう一度整理する。さっきしつこく繰り返したようにこの女は死神。

 そう、死神だ。死神が──死んだ?

 

「……これが死の騎士の()()()()()死神ってことか。ビリーの後釜」

 

「ピンポーン、キリに20ポイント。さぁ、あとは少し待つだけ。そうすれば……」

 

 死神の世界にはルールがある。

 死神とは言っても大きな枠組みで見れば、連中も天使。犬か狼の違いだ。天使と同じで、連中には古くから決められているルールがある。

 

 ボスである『死の騎士』が死んだとき、次に死んだ死神が立場と役割を引き継ぐ……

 前の死の騎士であるビリーは、ついさっき虚無に飲み込まれて死んだばかりだ。

 

 

 ──床で息絶えていたはずの首が、ゆるりと持ち上がる。

 

 

「新しい死の騎士の誕生だ」

 

 

 鎖は独りでに吹き飛び、白い猿轡はルシファーが鳴らした指のスナップ音を合図に消える。

 

 

「ほおら、いつの間にか死の騎士のスターターキットを持ってる。騎士の証である指輪、かっこいいよな。それと死の騎士に欠かせない大鎌、なかなかやるだろう?」

 

「渡して、持ってるんでしょ?」

 

 自慢げに語ったルシファーのあとに事務的な抑揚のない声が続いた。

 まるで何もなかったように彼女は平然とし、騎士の証とも言える鎌を手にし佇んでいる。とても腹を一突きされたとは思えない。

 

 鎌を持った右手を辿れば、俺とディーンも一日だけ嵌めた死の騎士の指輪もちゃんと薬指に。なんともよくできた引き継ぎシステムだ。

 主語の抜けた言葉に俺たちが黙っていると、ベティは辟易とした感じで口を開いた。

 

「本よ。あの本には神の死にかたが書いてある。でも死の騎士にしか読めない、だから本を渡してくれたらベティが読んであげる。ねぇ、三つも頭があるのに全部トロそう」

 

「ああ。父は出来損ないを好むからな」

 

 トップに就任早々、不遜な態度だな。ヒルダよりひどい。

 

「どうする?」

 

 サムからの目配せに俺もディーンもyes.で即答とは言えなかった。

 隣にいるのは他でもないルシファーだ。これまでのヤツの動向はそれだけで手を迷わせるには余りある。

 

 ルシファーからのギフトをおとなしく受け取れるほど、俺たちがヤツから受けた傷は浅くない。

 あのへらへらとした笑みの下に、とんでもなく醜悪でどす黒いものが渦巻いているのはもう嫌ってほど体験してるんだ。

 

「なにあれ、仲良く黙りこくって」

 

「親友ロマンスの第4段階ってところだな。仲良く深刻ぶった顔してるが名案なんて出てきやしない。弱ってれば刻印で閉じ込める作戦も通用したが、いまやアマラと一つになってパワーアップした父を閉ざせる檻はどこにもない。目論みを潰せる可能精はただひとつ、お分かりぃー?」

 

 頼れるのはあの本だけ。他に盤面をひっくり返せるようなカードは俺たちの手札にはない。 

 ルシファーの案に乗せられる、危険を自分から背中に背負うような選択にも、八方塞がりの手札ではもうすがるしかない。

 

 それが水もなく砂漠を突き進むような、危うい1枚だとしても。

 

 

 

 

 

 

「爆薬を大まかに分けるなら二つ。C4みたいなプラスチック爆薬。爆発の威力をコントロールしたい場合、ドアを壊したりするならプラスチック爆薬、安定していて輸送は用意、勝手に爆発したり粗相を働くこともない。だがビルを派手に破壊したとき、自己主張したいときはTNT。神の性格をたとえるならこっちだ」

 

 理子が昔披露してくれた爆弾になぞらえた性格診断。

 後者は規制の波に飲まれ、輸送も扱いもプラ爆と違って難しい。安定してないからな。まさに野郎の性格そのものだ。

 

 明日世界が白紙にされてもおかしくないイカれた状況に置かれている俺たち兄弟とジャック、そして空っぽになった教会で拾ったミカエル。そして成り立ての死の騎士とルシファー。

 これが神が没にしようとしてるこの世界に残された命。文字通り、神に抗えるーー最後の戦線。

  

 

 

 ルシファーと一緒に上がり込んできたベティとかいうビリーの後釜はお目当ての本を見つけるや俺たちを部屋から追い出し、一人でアジトの一室に閉じ籠っちまった。

 

 死の騎士にしか開けない特別な本。

 そこには神の死と、殺し方も書いてある。

 あのミカエルですら力任せには開けなかったいわく付きの本の解読に、彼女は一人で勤しんでいる。

 

 暇をもて余したルシファーがテーブルにトランプ・タワーを作ってるいまこの瞬間にも彼女は部屋で一人ページとにらめっこ。サボってなければな。

 

「父の自己主張が激しいのはいまに始まったことじゃない。聖書を読んだか? 中身は自分の宣伝と自慢ばっかり。いまどきの言葉ではこう言うんだ、そう、承認欲求のモンスター。しかし、いまでは自分を祭り上げてくれる天使も人間もまとめて消した」

 

「いまどきの言葉でいうとフォロワーの整理。数十億年この世界を見物してたわりに、随分あっさりと切り捨てくれるもんだな」

 

「自分のことをクリエイターだとかなんとか名乗る連中にはよくある話さ。出来上がってすぐは良かった、自信作に思える、最初の頃はな。だが時間が経つにつれて最初は自慢に思えた作品が、とんでもない駄作に見えてくる。私もアスモデウスを初めて作ったときは、それなりにうまくいったと思った。だが今となっては、トロくてプライドが高いだけのとんでもない駄作だ」

 

 死体に唾を吐くように、虚無で眠っている地獄の王子へルシファーの罵倒は続いた。

 アスモデウスは四人の王子の中で一番とろく、おまけに性格も小物くさい。そしてきわめつけに四人の王子の中でただ一人、ルシファーに牙を向けた悪魔。罵詈雑言を受けるのも仕方ないか。

 

 対抗馬のクラウリーがいなくなったタイミングで玉座を狙うように現れたり、ルシファーが不調と分かるや態度がデカくなったり、俺から見てもあいつの動向はたしかに小物だ。

 

「教会のシスターたちはみんな口を揃えて言ってた『神は皆のことを考えてる』って。けど実際はどうだ、神は瓶でアリを飼ってるガキだ。何も考えちゃいない」

 

 ルシファーほどストレートじゃないが俺の口からもここにはいない神に、遠回しな罵倒がこぼれる。

 俺だって出会ってすぐのときは、ポルノビデオの俳優みたいな見た目をしてたあのときは、ヤツのことも嫌いじゃなかった。

 

 少なくともリリスのいるモーテルに一緒に乗り込んだときには敵意なんて持たなかった。

 ファンとの交流会で、剃刀を持ったクソガキ幽霊兄弟を退治したときは、あの髭面親父のこともベンチに控えてるチームメイトだと思ってたさ。

 

 あのときの俺にいまの状況を話しても、たぶん信じやしない。友人だったさ、あの頃はな。

 

 そして、あの頃とはもう違う。

 戻りたくても、戻れやしない。

 

「ルシファー、虚無はなんでよりによってお前を引っ張り出したんだろうな。お使いにはどう考えても一番不向きだ、大天使ならガブでもラファエルでも良かった」

 

「強大だからさ。私のほうが力も、父に対しての敵意もな。私以上の適役はいない」

 

 会話の傍らと黒と赤のトランプで積まれ続けていたタワーが四段目の頂点、一番上に乗る最後の一組が組まれようとしたとき、

 

「おやおやぁお出ましだな、しくじり大天使くんか」

 

 アダムの顔を険しく歪ませて、ミカエルが足早に俺のもとへ歩いてくる。

 

 ミカエルとルシファー、最終戦争のラストでスタール墓地にて殺し合おうとした2人が、このタイミングでいま改めてまた顔を揃えた。

 

 異世界からやってきたコピー品みたいなミカエルとルシファーの間には一悶着あったけど、こっちの世界の、かつてスタール墓地で相対したミカエルとこうして対面するのは嬉しいかどうかは別にして、ルシファーにとっても久しいはずだ。

 

 俺たちが、アマラの一件でルシファーを檻から出しちまったとき以来だからな。再会できた理由が父親が暴走したせいだというのがなんとも皮肉極まる。

 へらへらと笑う弟を指で差し、鋭い刃物みたいな瞳をミカエルは俺に向ける。

 

「こんなやつを本気で信用するのか……?」

 

「いいや、信用ってのは語弊がある。魔王さま、兄貴に何か言うことは?」

 

「ああ、ズルをした」

 

 組み立てたタワーを指で押し、自分でテーブルに倒したルシファーは……ふざけた野郎だ、トランプがバラバラになってない。

 まるで凍りついたようにカード同士がそれぞれくっついて、テーブルに倒されてるのにトランプは積み上げられたままでタワーの形は崩れてなかった。

 

 イカサマで組んだ塔をルシファーは一度見下ろしてから、我慢できないと言った顔で溜め息をつく。

 

「ミカエル、もういいだろう。お前の気持ちも分かる、あれだけ父に尽くしたのに貰ったのは私と同じ、出来損ないの息子というレッテルだ」

 

「あれは正義のためにやっただけだ。父の愛を得るためではない」

 

「うん、正しい判断だ。父には与えるべき愛がない。息子たちはおろか人間も愛してない。今なら分かるだろう?」

 

「その緊張感のないだらけたサーファーみたいな喋り方はどうにかなんねえのか」

 

「口を挟むな、キリル。お前ほどじゃない。まあ父に愛がないことくらい、私の助言なんてなくても酔っぱらいでも分かる。なぜ父に与える愛がないかについては色んな理由があるが」

 

「いい理由はない。いまさら神の精神分析をやったところでどうにもならねぇよ。アマラは広間で鳩に餌をやってる婆さんに心を動かされたが、ヤツが同じシチュエーションでそうなるとは思えない」

 

 何度もこのレバノンの基地で化物相手に頭を悩ませてきた。どの戦いも最後だって言って、最後じゃなかった。

 

 シャツを血まみれにしてなんとか生きて帰ってきたら、また次の火種が燃え移ってる。その繰り返し。

 

 駄目だ、もう疲れた。死んでから眠れ。

 何度、頭の中で繰り返したか分かんねえよ。

 けどもし、これが本当に最後の戦いなら──

 

「まだ解読に手こずってる」

 

 サムと一列になって歩いてきたディーンのブーツがまじないの描かれた木目調の床をギシリと鳴らす。

 音が虚しく響いた刹那、まるでタイミングを待っていたようにベティが俺たちの集まったテーブルの反対側に本を胸元に添えて現れた。

 

 音もなくふらっと現れるのにももう慣れた。

 どうやら仕事が済んだらしい、さっきまでの仏頂面が得意気に笑ってる。

 

 ミカエルが開こうとしてもまったく開こうとする気配のなかった本がベティの手の中で二つに開いてる。

 

「終わったわ。本を開いて読んでみた」

 

「それで?」

 

「お待ちかねのことが書いてあった。神の最後について」

 

「……それは本当のことなんだろうな?」

 

「当たり前でしょ、死の騎士なのよ」

 

「まだ成り立てだろうが」

 

 1と1で問答していた新人死の騎士とサムのやり取りにディーンも釘を刺すように加わった。

 

 ──いずれは、神も連れていく。俺たちが初めて出会ったあの騎士の言葉がふらりと脳裏を通りすぎる。

 

 あの本に神の『死』の結末が本当に記されているとしたら、それは俺たちにとって神の首へ刃を届かせることができる最初で最後の一手。

 

 目に、足に、手に、自然と力が入る。

 眼を伏せるように、メディの瞼が下がっていき本のページへと完全に視線は固定された。

 

「しかと見よ。最後に、この世の最初を『造りし者』が終わる」

 

 

 神の最後。

 初めて死の騎士と出会い、食事をしたあのダイナーでの光景が、やはり頭の中で記憶のページから再生され流れていく。

 生を与えられたものにはいつか死が訪れる。

 それは神でさえ例外じゃない。

 

 

「かくしてその終わりは────」

 

 

 

「すばらしい」

 

 

 

 核心に触れようとしたまさにそのとき、割り込んだのはルシファーが指を鳴らした音だった。

 淡々と続こうとした声が止まり、メディの首から上にかけての動きが固まったように止まる。

 

「……?」

 

 いや、実際固まったのだ。雪のように白かった肌が鉱石のような重苦しい色に、何の前触れもなく変わり果てる。

 驚く暇もなく、変色した顔は砂のような細かな粉となって首から下、腰から足まで、さっきまで淡々と唇を動かしていた彼女の体そのものが、砂のように崩れ、人の形を失う。

 

 意味が分からない。

 死んだ……? 死の騎士が?

 行き場を失くした本だけが宙に制止し、やがて読み上げるはずだった本は独りでに──ルシファーの手に収まった。

 

 呪縛されて止まっていた思考が、そこでようやく追い付く。……仕組みやがった

  

「おっと、刃物は禁止」

 

 天使の剣を抜こうとした瞬間、体は派手に浮き上がり交通事故みたいなスピードで遠く後ろの壁に背中から叩きつけられた。

 

 超能力者お得意のPK(念力)

 だが、出力は獣人や超能力者の比じゃない。

 指先すら触れられていないのに、腹の一部を切り取られたようなふざけた激痛が走り、理不尽な嗚咽が漏れる。

 

 ──ちくしょうめ、ハメられた。

 

「キリ……!」

 

「またかよくそったれ!」

 

「よせ、汚い言葉も禁止」

 

 事態を察したサムとディーンより、ルシファーのほうが1ターン動くのが早い。

 使い込まれたニックの両目が鮮血に染まるように赤く変色する。それは色こそ異なるが、天使が力を解放するときの合図。

 

 手であしらうような、片手ひとつの何気ない仕草で浴びせられるふざけた出力のPKは、長身でガタイのいい大の男二人を見えない力場の鎖で柱に縫い付けた。

 

 くすぶっていた疑念と不安が一気に表面化、邪悪な魔王本来の姿が顔が出す。

 

 本はヤツの手元に収まり、自分から就任させた死の騎士は用済みとばかりに切り捨てた。一瞬で首から足下までバラバラ、彼女は何が起きたかも分かってない。惨いにもほどがある。

 

「よし、父が欲しかったものを手にいれた。お使いはこれにて終了ぉ~」

 

 ひらひらと、右手の指先を調子よく揺らす。

 そんな苛立つ仕草がどうでもよくなるほど面倒な言葉が耳に突き刺さった。

 俺だけじゃない。サムとディーン、ミカエルやジャックの全員の眼が嫌でも反応する。

 

 そして、そんな俺たちの反応を見て満足げにルシファーは語り出す。

 愉快で堪らないと言った、俺たちにとっては最高に不愉快な顔で。

 

「言わなかったか? そう、私を出したのは父だ。いまでは私が父のお気に入りでミカエルはなんだったかなぁー。あッははは、ミカエルはアホだって!」

 

 ミカエルの双眸がルシファーの血走った赤色を反転させたような蒼白に染まる。

 

「アホだって」

 

 戦闘体勢に入ったミカエルをなおもルシファーはだらしのない笑みで嘲笑う。

 あれだけ父親に罵詈雑言を吐いていたわりに優等生だったミカエルを差し置いて、お気に入りに返り咲けたのが嬉しくて堪らないらしい。

 

 結局、ルシファーはルシファー。息子ができようが最後まで邪悪で淀んだ中身は変わらない。

 

 けど良かった、下手に改心されるよりそっちのほうが後腐れなく首を落とせるからな……

 

(触れなば斬らん──)

 

 ルシファーの視線と意識がまとめてミカエルに向いているいましか猶予はない。正面から正攻法で首を落とすには無理がある。

 

 PKで吹っ飛ばされた体の痛みに無視を決め込み、手元に引き寄せた槍と疾駆。

 一瞬の躊躇もなかった。テーブルを迷わず足場に使い殺傷圏内。恩寵の隠れている首めがけ槍を突き放つ。

 

「私の槍をくすねたのか。手癖が悪いったらないな、キリル。恋大き少年時代の友達はスリとラジオのパーソナリティー」

 

「────っ!」

 

 完全に殺傷圏内を取った距離からルシファーの姿が消え、振るった矛が空を裂く。

 

「頭を下げろ」

 

 刹那、棒立ちを決め込んでいた大天使さまの声がかかり、喜んで首を下げる。

 恩寵と同じ色の光弾が頭上を過ぎ、本を抱えたルシファーを追撃する。

 

「おまえの腕もとうとう錆び付いたな」

 

 が、呆れた声が聞こえたのは掌サイズの光弾が向かったのとは明後日の方向。槍と飛び道具、二段構えの攻撃が避けられた……

 

「それっ」

 

「うぁっ!」

 

 気の抜けた声で放たれたミカエルのものと瓜二つの弾は、彼の腹部を無慈悲に撃ち抜いた。くそっ、お手本みたいにカウンター決められやがって。

 

「ジャックー、どうしたい? 決断のときだ、敗けが決まったウィンチェスターを捨ててじいちゃんとパパのいる勝ち組に入るか」

 

 なんだ、パパのお気に入りに返り咲いてもまだジャックのことはご執心か。

 

「選択肢はないよな、戦う力はないんだから。そうだろう?」

 

 他ならぬ息子の力を奪って、ルシファーは異世界のミカエルの器をボロ雑巾にした。

 だがよりによって教会で腹をぶっ刺されてルシファーは虚無行き。

 

 無駄だよ、ルシファー。

 信用も信頼も積み重ねた果てにある。俺だって誉められた人間じゃない。けど俺から見てもあんたが積み重ねてきたものは、終わってる。

 

 それと、別に錆び付いてないかもよ──?

 

 

「分かってるぞ。後ろにいるんだろう?」

 

 言い淀んだジャックに背を向け、うんざりとした口調でルシファーは向き直る、背後にいるミカエルに。

 

「まだ兄弟喧嘩がしたいのか?」

 

「いいや、ケツ野郎」

 

 自分がスタール墓地で言われた言葉を贈り、ミカエルは大天使の剣をルシファーに突き刺した。

 

「……油断しすぎだ。お気に入りに戻って舞い上がりすぎたな、いつもはこっちが苛立ちくらい抜け目ないのによ」

 

 大天使にのみ許されたアンフェアな短刀が吸い込まれるようにルシファーの腹部へ沈む。

 コルトでも殺せない化け物だ。だが、ミカエルが振るう剣をもらえば、

 

「があああああああああああああっっ!!」

 

 さすがのルシファーでも耐えられない。

 目、口から弾けたオレンジの光は絶叫とともに出力を増し続け、最後に明るい閃光が弾けると跡形もなく、魔王は俺たちの前から姿を消した。

 

「みんな無事か?」

 

「まぁ、なんとか息はしてる」

 

「あんたのお陰でな」

 

「ああ、助かった」

 

 俺、ディーン、サムの順番に一息つくような声でミカエルに答える。

 ひどいものを見せられた、規模が小さくなったぷち最終戦争だ。ゾッとする。いやでも、息ができるならなんとかなるか。

 

「剣をありがとう」

 

 肝が冷えた俺たちに対し、ミカエルは抑揚のない声で怖いくらいに落ち着いてる。

 血に濡れた金色の刀身が照明からの光を浴び、怪しく煌めいている。

 

 大天使の剣、二度も同じ剣で葬られちまうとはな。

 いつものルシファーなら警戒してた、あの距離までミカエルを近づけて剣を警戒しないはずはない。

 

 ……一度は追放された父に戻され、頼られたのがあいつも嬉しかったのかもな。ミカエルを差し置いて、自分が父の傍にいられることへの喜びがルシファーの心をざわつかせた。

 父との再会がいつもの抜け目ないルシファーを変えちまった。それがいまの攻防に繋がったとしたら、つくづく皮肉だ。

 

 ジャックが生まれて、ミカエルの追撃を一緒にかわしてるときはもしかしたら──なんて、ありえるはずのないことも考えたこともあった。

 メグやクラウリーみたいにあいつも変わるかもしれないってな。けどルシファーはルシファーでしかない。

 

 最後まで悪意の塊だった。

 ルシファー、最後まで変わらなかったな。結局どんなときでも関係なしにおまえは自分のやりたいことを周りに不幸をばらまきながら好き放題にやった。

 

 ある意味、正直者だったよおまえは。

 虚無にも存分に噛みつけばいい、そして、存分に癇癪をもらってろ。

 

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