哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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残してたことをやりきりました。
分岐のend扱いです





魂眠る場所探して

 

 

 

 台風一過。台風が過ぎたあとには晴天が待つというが、ルシファーという台風が過ぎても神というそれ以上のハリケーンがまだ控えてる。

 

 暗雲過ぎ去らず、ジャンヌがやばい状況を知ったときによく言ってた。

 できれば知恵を貸してほしいよ、理子にも夾竹桃にもワトソンにも助けて欲しい。

 神崎、レキ、キンジ、星枷──力を貸して欲しい相手を挙げればキリがない。

 

 手を伸ばしても繋げない。

 こういう状況に置かれると再認識するよ。どれだけ腕利きの味方に恵まれていたかって。研鑽派三人組の軽口もバスカビールの弾丸が乱れ飛ぶあの空気も、何もかもが恋しい。

 

「無茶苦茶だよな。今まで色んな無茶苦茶なことをやってきたけど、今回は今までやってきた馬鹿げたことの集大成だ。金属生命体とリニアの上で戦ったのなんて比じゃない」

 

 無茶苦茶だ。冷静に考えれば考えるほどこの状況はイカれてる、アマラと神を同時に相手取るようなもんだ。

 ミカエルとルシファー、二人の大天使と敵対し続けた最終戦争よりもっと酷い。

 

 宇宙やら星やら別次元やらを造り出してる相手に、地に足つけないと生きられない人間が喧嘩しようとしてるんだ。

 アナエルも言ってた、蟻と戦車のほうがまだマシな対戦カードだってな。そこは優しい嘘の一つくらい欲しかったよ。

 

 状況が悪ければ悪いほど口は回る。目の前のふざけた現実を逃避するみたいに、俺の口は自己嫌悪したくなるレベルで動いた。

 

「アジア最強とか世界最強とかさ、テレビ番組じゃ色々な称号を聞いてきたけど俺たちが挑もうとしてるのは──」

 

「この惑星で一番上にいる生命体をなんとかしようとしてる。宇宙最強、いや惑星最強か。どっちにしてもとんでもない」

 

「ゾッとする、あっちが勝手に墓穴を掘るようにシャベルでも用意する?」

 

「土もならすか、掘りやすいように」

 

 そりゃ名案、是非とも墓穴を掘って欲しいね。

 ディーンとテーブルの上に腰掛け、なんていうか。馬鹿げてる会話をしてる、この世界をテレビのチャンネルにたとえるなら明日放送が終了しそうな状況で。

 

「──ハリーポッターの世界で『ウォーリーを探せ』をやってる気分になる。アダムがそう言ってた、考えても答えが見つからないときに」

 

 ふと、会話に混ざってきた来客に向けて、ディーンが首を回す。ミカエルだ。

 

「気分は大丈夫か?」

 

「ああ、少し疲れた。この何世紀ルシファーとは戦ってなかったから」

 

 さっきの広間を何個にも切り分けたような広さの俺の部屋に歩いてきたミカエルは、トップガンのポスターを張り付けた壁に背をすえる。

 

「父はルシファーを送った。ヤツが帰らなければ何かあったと気付くだろう」

 

「ああ、姿を現すほど馬鹿じゃない」

 

 ビールの栓を開けながらディーンはミカエルの言葉に付け加えた。

 

 姿をくらますのが神の得意技。イコライザーなんて不良品みたいな武器を奪うのですら、虚無の底からリリスまで寄越して躍起になってた。

 

 自分に傷をつけられるってだけの相打ち前提の銃にあそこまで拘るような神様だ。

 自分の死が書かれた本がこっちにあって、奪いに来たルシファーが戻らないとなったらちょっとやそっとじゃ足は動かない。

 

「いるか? トラピストビール、一年に213ケースしか作られないレア物」

 

「なんだよ、ベルギーに友だちがいたのか? 終わったらもらうよ。さすがに今回はジョーも許してくれる、お疲れ様ってな」

 

 そんなレア物、どこに隠してたんだか。

 無意識に腕を組んだところで、ふとミカエルが呟いた。

 

「本はまだこちらにある。あれを使えばいい」

 

「どういう意味だ?」

 

「父はあの本の存在を恐れ、ルシファーまで呼び戻した。私は父に裏切り者と思われているが、ルシファーの代わりにあの本を奪ったと呼び掛ければ──父は必ず現れる」

 

 それはつまり、本を餌に神を呼び出す?

 

「呼び出したところで、いまの父の力は強大を越えて無慈悲だ。仮に私がディーンの器に入ったとしても、正面からの戦いでは見込みはない」

 

 こっちの考えてることが透けて見えるのかよ。

 だが、ミカエルが『剣』込みでも勝てる見込みがないか。はっきりととんでもないこと言ってくれるよ。 

 

「ミカエルが本気を出しても敵わない。そうなると、力の差は絶望的だ。その差をなんとかできる突破口を見つけるしかない」

 

 果たしてそんな抜け道があるのかどうか。

 けど、見つけるしかない。神の首に刃物を届かせる抜け道を見つけるしかないんだ。でないと俺たちも仲良く消し炭、いつかは現状に飽きた神が本気になる。

 

「話がある、少しいいか?」

 

 分厚くてデカい、まるで物騒な英和辞典みたいな騎士の本を抱えてサムが部屋に入ってくる。

 いいニュースか悪いニュースか、その顔じゃ分からないな。

 

「サミーちゃん、どうかいいニュースをお願い」

 

「四方から槍が迫ってきてる状況で、いいニュースが舞い込んだためしがあったか?」

 

「ないね。だが、何事にも最初はある。その大事そうに抱えてる本はどう、なんとかなりそう?」

 

 なんとかなってくれないと困る。悲しいことにその本にすがりつくしか今は道がないんだ。

 祈るように聞いた俺に、ピエロが大嫌いな兄は答えを濁すように「さて、どうだろう」と勿体ぶった。

 

 良かった。潔くかぶりを振られるよりはずっと心臓に優しい。

 

 

 

 

 

 外に広がっている空は、これ以上ないと思えるほど澄んだ快晴だった。

 

 鳥、虫、空を漂う生き物は何一匹存在せず、ヘリも飛行機も飛び立つことない、誰にも荒らされることのない青い空が頭上には広がっている。

 

 深い森を切り分けるように野道をインパラが進み、右も左も木々に挟まれた景色がひたすら流れる。

 インパラの走る音以外は何も聞こえない。不気味なくらい静かになってしまった世界は物寂しいというより不気味って言葉が勝る。まさに空っぽだ。

 

「父が天界を去ってから、すべての預言者と天使たちに指示を出した。神は分け隔てなく愛情を注ぐ、そうやって父が信仰されるように務めた。それが残された私の役目だと信じていた」

 

 後ろには広い湖、前には深い森。

 足元には柔らかな砂が広がり、木々の群れから抜けて視界が開けた場所で、まじないのための道具がサムによって△を描く形で並べられた3つのボウルの中に集められていく。

 

「ガブリエルは姿を消し、ルシファーは地獄の檻に堕とされた。天界に残ったのは私とラファエルだけ、誇りがあった。父の為に尽くしてきたことへの誇りが」

 

 △を描いたボウルの中心には死の騎士の本。こいつがまじないを発動させる一番の鍵。

 携帯瓶に詰められた材料が次から次、矢継ぎ早にボウルのなかにぶちまけられる。

 

「何世紀も尽くした父に刃を向ける。いままで自分がやってきたことを台無しにしちまうんだ、抵抗はあって当然だ。人間だって何十年も追いかけてた夢を諦めるのにはそれなりの決断がいる、あんたの場合は半世紀、お察しするよ」

 

 そう言うと、材料のかき集められたボウルの上でディーンがマッチに火を灯す。

 

「けど、きっとガブがいたら俺たちに力を貸してくれたと思う。あんたほど付き合いは長くないけど、彼に器を貸した。だからそうだと思う、ガブならあんたと同じことをしたと思う」

 

「まさか緋緋色金と争うとはな。緋緋色金、色金に宿る意思。彼女は母の元に帰れたのか?」

 

「ああ、友達が宇宙まで見送りしに行った」

 

 神崎がキンジとロケットに乗ってひとっとび。あんなデート浮世離れすぎて、俺はごめんだ。

 転がっていたのをそのまま拝借した死の騎士の鎌を肩に担ぎなおす。こいつなら火傷くらいは負わせられるかな。

 

「そうか、いいニュースが聞けてよかった」

 

 柔らかな笑みでミカエルがそう告げた途端、火を灯したマッチはボウルのなかに引火。

 ボウルの中で赤く燃え広がった3つの炎から青白い柱が立ち、頭上高く天へと突き抜ける。

 

 なんとも目立つまじないだ。空にそびえる柱が3本、呆れるくらい存在を主張してやがる。目印にはちょうどいい。

 

「ちっ……!」

 

 順調に突き立っていた3本の光の柱が唐突に揺れ始め、本を三方向から囲っていたボウルがまとめて弾け飛ぶ。

 虚空に混ざっていた青い光も消え、まじないの唐突な変化に重たい空気が流れる。

 

「どうなった、成功か?」

 

 重たい空気のなかディーンが言葉を発した次の瞬間、全員の視線がひとつに集まった。

 無視できない、無視することの許されない異様な存在感に視線ごと意識そのものが引き寄せられる。

 

 

 

「──結末は至難の業。物語の最初なら猿でも絞り出せるが結末なんて書けない。なんとか辻褄を合わせて終わりたいがどこかで必ず綻びはできるし、ファンはケチをつける」

 

 安心しな、無事に招けたよ。ただ残念なことに殺すことはできなかったみたいだ。そういう意味では、このまじないは失敗だな。

 

「父上」

 

「息子よ。よくやった、教えてくれたおかげだ。この場所、まじないのことも」

 

 刹那、ミカエルを除いた俺、サム、ディーン、ジャックの体が宙を舞った。お決まりのPK、いやこいつの場合はPKかどうかも怪しい……!

 

 ミカエルが神に本のことを囁けば、必ずヤツはやってくる。当たってたな、神が自分から足を運んだ。

 アマラを取り込み、破壊と創造の両方のパワーがチャックの中に潜んでる。言葉でたとえる以上に、やばい。分かっていたがこんなの、化物や怪物の言葉じゃ足りないぞ……

 

 俺たちが地面に伏せる傍ら、ミカエルが神に向けて数歩、近づくように前に出る。

 

「父上、お話があります。今一度……考え直して欲しい。私はこの地上で、この目で実際に見て感じた。貴方の創ったものは──本当に美しい」

 

 嘘偽りのない声色、そしてミカエルのその言葉はかつて人間や地上を壊し、荒らしたあとのアマラがかけたものと、よく似てる。

 

 相手は数世紀ミカエルが尽くしてきた父親。

 ガブやルシファーと違い、ただ父の言いつけと天使としての使命を果たしてきたミカエルにとって、ヤツは文字通りすべて。

 

 正直、もしここで向こう側についても仕方ないと……思ってたよ。謝る、ちゃんと説得しようとしてくれて、消えちまったみんなに変わって感謝する。

 

「たとえ失敗し、倒れても、人間は自分の力で道を切り開く。子供が崩れたつみきを何度も建て直そうとするように、人は前向きに、生まれ変われる。父上、貴方もご存知のはずです」

 

「飽きた玩具のように見捨てるのは無責任。もう少しこの世界に希望を持てということかな? もっとより良き世界に生まれ変わるその日まで、待つべきだと?」

 

 神の蓄えた顎髭に指が触れる。

 まるで悩むように、そして、

 

「そういうことなら仕方ない。より良き世界へ、か。いいタイトルだ。傑作になる」

 

「傑作……? 父上、それはどういう──」

 

「逃げろミカエル!! いますぐ下がれッ!」

 

「……父上?」

 

 異変に気付いたディーンが張り裂けんだときには、ミカエルの両目からあふれて垂れ落ちた血が足下に毒々しい花を咲かせていた。

 

 違う。ミカエルの言葉はチャックには届いてない。最初から聞く耳なんて……こいつは持ってないッ! 

 

「死の騎士の鎌、かっこいいよな。手にした武器が世界観を表す。ビリーは苦手だった、なんでもかんでも鎌を突っ込んでくる。前任者のほうがいい、ジャンクフードが好きな変態。君の場合はそうだな、ダイエット中にチョコを食べる矛盾した男ってところか」

 

 常軌を逸した威圧感だ。

 ……ただ敵意を飛ばされただけで精神攻撃系の超能力を浴びた気分になる。

 

 ミカエルの両目からの出血は止まらず、ついに膝が地に落ちる。まずい──

 

「もう遅い。ウィンチェスターの側についた、到底許されない」

 

 疾駆しようとした俺の足が縫い付けられたようにそこから動かない。それどころか、死の騎士の鎌が掌から音もなく消え失せる。ちくしょうめ……なんでもありかよ。

 

 もたついている間にミカエルの頭部、アダムの顔の皮膚が剥がれるように中から青白い光が一本、二本と吹き出していく。

 おいおい、冗談だろ……仮にも何世紀も自分に尽くしてくれた息子だぞ。正気か……?

 

「ありえんだろ、ミカエル……ッ!」

 

「しくじったな……ここまでらしい。アダムに、会えれば伝えてくれ。楽しかった、と……」

 

 スッと風が凪いだような音が耳を抜ける。

 遅れて、派手な衝撃の波が体をさらい、何もない虚空に体が投げ出された。

 

 ミカエルの中にある恩寵が、天使のガソリンタンクが吹き飛んだことでの……衝撃だ。大天使だけに衝撃の規模も普通じゃない……

 

 イカれてる、ミカエルを殺しやがった。なのになんだあの顔は、何も堪えてない。あれは不要な部品を処分したくらいの……なんでもない顔だ。

 

 ミカエルは父を信じて話し合おうとした。こうなるリスクは覚悟の上で。

 だが現実はルシファーの言うとおりだった。これではっきりした。神に与えるべき愛はない。

 

 

「人間か、最大の失敗作だ。役立たずで失望させるばかり。あいつらはなんでも物を壊す、それに退屈だ」

 

 ダサい白のスーツを着込み、淡々とした声でチャックは歩いてくる。

 

「孤独な世界で、永遠に苛まれる兄弟。字面だけなら洒落てるんだが絵面となると、おえっ。見る気がしない。ショーは打ち切りだ」

 

 土まみれの服と一緒に体を起こす。案の定、兄弟全員砂やら土やらで酷い顔になってる。

 綺麗なスーツと、傷一つないチャックのしたり顔を見てたらおかしくなりそうだ。これまでの不満を込めて一発殴らないと気が済まねえ。

 

「いいさ、それなら最後に一発」

 

 ゆらゆらと立ち上がったサムがぎこちない動きから一発、突き出した拳がチャックの顎を先に捉えた。

 先制を奪われちまったな。まるで堪えてないって顔だが。いいさ。スッキリはする。ディーンと俺も、ぐらついた体で握り拳を作る。

 

「勝手に初めて勝手にクランクアップとは都合がいいじゃねえか」

 

「その図々しさ羨ましくねぇなぁ。神だろうと見習いたくないねぇ」

 

 俺は右、そしてディーンは左の二方向から回り込むように動き、したり顔にもう一発、二発殴るつもりで腕を振り上げる。

 

「はぁ、まあいいか。手を汚してやろう」

 

 ああ、そうさ。神ってわりに人間の文化に触れすぎてる。

 殴りあいをふっかければ、指を鳴らそうとした左手をほどいてチャックは乗ってきた。よしそれでいい、指パッチンだけは困るからな。

 

 あとはスタール墓地でやったのと同じ。

 化物との、アンフェアな殴りあいだ。

 

 前触れもなく、ディーンの呻き声があがる。首がねじ曲がるような衝撃に俺の足はもつれ、砂の上に殴り飛ばされた。

 

「ショーの最後にしては品がないが」

 

 ……アンフェアだ。ろくに訓練もしてねえだろうにこのふざけた威力、頭の中がミキサーみたいにグチャグチャだ。

 

 悪態をつき、また殴りにかかる。鳩尾を撃ち抜かれ、顎を下から打ち上げられてたたらを踏む。

 

「がああああああああ!」

 

 ディーンの右腕はあらぬ方向に曲げられ、サムは頭突きで頭を割られたように背中から倒れ込んだ。

 誰かが立ち上がればチャックの拳が飛び、足下に広がる砂の至るところで赤黒い花が咲く。

 

 たたらをふみそうな足で、チャックの顎に下から掌打を撃ち込む。体重移動も何もない、気力で撃ち抜いた一撃の直後、金属バットに殴られたような衝撃が顔を揺らした。

 

「……ぐッ!」

 

 ゆらいだところに腹にも蹴りが一発。

 臓器が内側で暴れ、咳き込んでくるものに耐えられずごぼ、と口から壮大に血をあふれる。

 

 ……最悪、なんですけど、どうしていつもこう、綱渡りみたい方法しか残ってないんだか……

 

「諦めろ」

 

「……おとといきやがれ、ヘボ作家……!」

 

 鉄板を殴り付けたように顔面を捉えた左手がしびれる。一発入れたぞ……はっ、ざまあみろ……

 

「ひどい顔だ。見るに堪えない」

 

「……ッ!?」

 

 ガードが間に合うわけない。ボロボロだった顔にもう一撃。歯が欠けた、鼻の骨もたぶん、やられてる。

 俺たち全員ひどい顔してる、特殊メイクしてるスタントマンみたいだ。立ち上がっては神に倒される、その繰り返し。

 

 おとなしく倒れなかったせいで俺はハイキックまでオマケにもらい、無事ノックアウト。血まみれでダウンまでできあがり。

 ……ったく、誰だよ、こんな無茶苦茶なこと考えたのは……まだか、まだ……まだなのか、ああそうだ、死んでから休めってんだろ、分かってるよ、やってやる。

 

「うぉ…っ!」

 

「……ぐふ……っ!」

 

 見るにたえない、そう言った野郎への嫌がらせのように俺たちは立ち上がり、掠りもしない攻撃を続けようとして殴り倒される。

 肌は切れ、髪の毛も血で濡れ、口のなかには血と倒れたときに飲んだ砂の味。

 

 サムもディーンも顔はガラスに突っ込んでみたいに血だらけ傷だらけ。ディーンに限ってはありゃ右腕は骨折だ、サムも足がやられて引きずるみたいに立ってる。

 俺も頭から砂をかぶるわ、右目は腫れ上がったみたいに視界を歪ませてるし、動こうとすれば肋の近くからバカみたいな痛みが走る。

 

「最終回にはみんな特別な展開を期待する、ふざけるんじゃないよまったく」

 

 物語の主人公にしちゃ絵面が酷すぎるよな。

 ああ、これは神の描く物語じゃない。俺たちの人生だ。戦地から帰還した軍人みたいにボロボロで、満身創痍。傷だらけで華なんてない。

 何度も立ち上がって、血だらけになって、地面に頭をぶつけてまた立ち上がる。神がうんざりするくらい挑んで、

 

「もういい、十分だって」

 

「……っ、は……はは……」

 

「はは、は……っ」

 

 そのとき、空気が変わる。

 ──ああ、やっとか、やっと。良かった、これ以上殴られると頭がおかしくなりそうだった。

 

 血まみれの顔で笑いだした二人にチャックは困惑を、俺は安堵の笑みで足をやられたサムの左肩を支える。俺だってもうボロボロだ、どこもかしこもすごく痛い。

 

 だが、もう終わった。ざまあみろ、もう終わりだ。 血まみれで俺も笑う、困惑した神様を笑ってやる。

 

「なんだ。何がおかしい?」

 

「何がおかしかって。お前の敗けだからさ」

 

 サムの言葉にチャックは理解が届かない。自分が敗北したと言われてもピンと来ない、アマラを飲み込んでただでさえ恐いもの知らずな頭に拍車がかかったんだからな。

 だが、ヤツも気配を感じて俺たちから視線を外して真後ろに持っていく。振り返った先でヤツを見ていた者は、それは白いジャケットを汚さずに綺麗に保っている、ジャック。

 

 ただの高校生みたいに幼く、あどけなさの残るその背景にあるのは、ルシファーが大統領に憑依していた折、恋人だった女性から産み落とされた天使と人間の子(ネフィリム)だ。

 

 

「ジャック。まさか相手をするつもりか、君が?」

 

 失笑を沿えて、ぱちん、と神が指を鳴らす。

 

「?」

 

 そして、何も起きない。困惑した顔でチャックが何度も指が鳴らすがいつもみたいにジャックは消えなかった。

 

「……なぜだ、なぜ消えないっ!」

 

 さあな、答え合わせの前にお仕置きの時間だ。

 好き勝手にやった罪は重い。

 

 ジャックが右手を翳すと、チャックの顔の奥から今度はオレンジ色の光が吹き出し、周囲の大気が金切り声や悲鳴でも上げるかのように暴れていく。

 皮肉にもさっき神がミカエルにやったのと瓜二つ。顔がひび割れていくように内側から光の柱が次々と顔に突き立ち、本来顔からは漂うはずのない白煙が大気に熔けていく。

 

 いい加減気付くいただろうよ。

 もう自分のワンサイドゲームじゃないってな。

 

 顎が天を向くように上がっていき、両眼に橙色の光を走らせているジャックが腕を下げるのに合わせて、チャックの体も倒れ伏した。

 

 地についたんだ、神が。両手を突いた。

 一度は殺したジャックに、いまは逆に見下ろされてる。決着はついた。

 

「お……クリーニングがいらなくなった」

 

 驚いたディーンの顔は、数十分前の姿に巻き戻されたように傷が消えていた。

 傷だけじゃない。汚れていた服まで、砂を被る前のクリーニングをかけたような真新しい姿に戻ってる。治癒っていうより時間を逆行させたみたいだ。すげぇ、まさに『神』の技。

 

 首から頭にかけて走っていた橙色の光がジャックから失せると、真っ白だったスーツを小汚なくしたチャックも地に寝そべったまま、今度は足を引きずることもなく淡々と歩いてきた俺たちを見上げてくる。

 

「なんだ。何をした、これが終わりか? どういう結末なんだ、教えてくれ……!」

 

 ……

 

「自分で読め。好きなだけ」

 

 冷たく言い放ち、サムは拾いあげていた死の騎士の本を開いたままチャックの目の前に投げ捨てた。

 

 神の死にかたが記されているとされ、チャックがルシファーまで使って奪おうとした本。開かれたそのページに目を落とし、何枚もページを捲り、やがて理解できないといった顔がそこには残さる。

 

「……何も書いてない」

 

 そう、白紙だ。

 いくらページを捲っても死の騎士の本には何も書いてない。いや、()()ない。

 

「書いてある。死の騎士の本を読めるのは死の騎士だけ……」

 

 ハッとした、人間くさい困惑の瞳が吐き捨てたサムを射る。

 頭が追い付いてきたみたいだな、あのまじないも見てくれがいいだけのでっちあげだ。ロウィーナが残した本からそれっぽいのをサムが選んだ。

 

 

 

 

「本が開いても読めなきゃ意味がない。だが、お前を誘き寄せる餌には使える。いい子のミカエルから話をもらって、派手なまじないの一つでもしてやればお前は疑わずにやってくる。お前の嫌ってるビリーがジャックを『爆弾』に仕向けたのも役に立った」

 

 ディーンが告げる傍ら、答え合わせの終わった本を拾いあげて砂をはたく。

 

「ビリーがジャックを虚無で爆発させたあと、戻ったジャックはエネルギーを吸い込む吸引器になってた。行く先々でパワーを吸い込む、まさにエネルギーの吸引器。そんなジャックの前でミカエルとルシファーが派手にバトルをやった。もちろん、ジャックが吸い込んだ」

 

 何枚捲っても綺麗に真っ白。本当に何も書いてないな、この本。

 真っ白な魔本を見下ろしながら告げるが、チャックの顔に怒りや悔しさはない。

 

「おまけにお前はミカエルを殺し、ここで俺たちをぶん殴った。神のパワーを、放ちながらな。そしてジャックが全部吸収、無敵のパワーを手に入れた」

 

 ディーンが最後にそう締めると、ついにチャックが笑いだした。

 

「これだ。これだよ。素晴らしい、やはり私のお気に入りだ。他の世界の君たちとは違う、この世界の君たちだけが私の心を踊らせてくれた。先の見えない事態になるのは初めてだよ、まさか負けるなんて思いもしなかった」

 

 負けたとは思えない顔で、心底楽しげにチャックは語る。こいつは……自分が負けたことすら、物語の演出の一つに思ってるんだ。

 予想外の展開。思いもよらなかった展開が起きたことに、自分が敗北して俺たちに討たれようとしてるこの展開に酔いしれてる……

 

「当然だ。あれだけのことをしたんだからな。誰に殺される、サムか? あるいはディーン、究極の殺人鬼。キリでも悪くない、君に殺されるならまさに、本望だよ……!」

 

 目を輝かせるチャックに、恨み節も罵詈雑言も投げるつもりにはなれなかった。憐れみ、唖然、色んな感情の籠った顔で殺人と呼ばれたディーンは一言、

 

「悪いな、チャック」

 手を汚さずに踵を返した。

 

「悪いな」

 

 そしてサムもまた、俺もチャックから視線を切るように踵を返していく。

 

「待て……! どこに行くんだ、殺せ! まだ最後の役目が残ってるじゃないか!」

 

「勘違いしてる、俺は殺人鬼じゃない。サムも、キリもジャックもそうだ」

 

「駄目だ、殺せ。でないと結末にならない!」

 

 ここまで来ると、もう怒りはない。あれだけのことがあっても怒りを超えて、哀れだ。

 必死に訴えるチャックに振り向きながら、俺は同じく振り返ったジャックに横目を向ける。

 

「なあ、ジャック。吸いとった神の力は戻るのか?」

 

「もうこいつの力じゃない」

 

 ジャックの言葉を聞いて、一度頷いてから、サムはゆったりとした、感情を隠すような瞳でチャックの見上げるような視線を結ぶ。

 

「なら結末を教えてやる。──お前が見捨てた人間たちと同じだ。この先普通に歳をとり、老いていく。誰もお前を気にかけないし、思い出す、こともない」

 

 ああ、それでいい。

 無言で俺たちに、目を配ってきたサムに俺もジャックもディーンも何も言わない。

 

 この現実を物語と捉えて、悪役に徹した自分が死ぬことで理想の結末とする、筆を置こうってんならここで生き延びて結末を白紙にしてやるほうが、作家にとってはよっぽど酷だ。

 

 

「待て! 待ってくれ!」

 

 チャックの静止は虚空に消え、俺たちは各々インパラに乗り込んでいく。

 

 切に願うよ。

 この先、お前がミカエルやみんなにしたことを悔いながら、普通の人間と同じように老いて腐っていくことを。

 

「待て! 頼むから置いていくなッ、戻ってこい! 待ってくれぇええ!」

 

 V8エンジンが唸り、インパラのタイヤが砂を巻き上げ、チャックの声は遠ざかっていく。

 

 チャック、お前がいつか言ってた通りだ。

 結末なんて書けない、書けなくていい。すべては繋がっていくんだから。

 

 

 

 

 

 

 俺たちだけが取り残された世界。

 街に戻ると、そこには活気が戻っていた。

 

「すげぇや、やったなジャック!」

 

「大したもんだ、お坊っちゃま。夾竹桃に代わって俺が頭を撫でてやろう。よくやった我が友、今日のMVPは譲ってやる」

 

「ああ、これで完全に戻った。僕らの勝ちだ」

 

 道路を行き交う車。平然と横切っていく犬。仕事に終われるスーツ姿の青年、後ろを歩いているカップル、外まで騒ぐ声の聞こえるダイナー、周りのどこを見ても人の声と、命がある。

 

 そう、俺たちは勝ったんだ。何の目的もなく見渡した景色、そこには命がある。

 チャックが消し去った命がここにはある、それは俺たちがあの手この手で這いずり回って、取り返したもの。

 

「うん、気分がいい。Team Free Willはまたもや世界を救っちまった。ジャック、お前の勇姿は俺がちゃんと日本にも広めといてやるからな。獣人や魔女軍団からサインせがまれるかも、サイン練習しとけよ?」

 

 ジャックの肩を叩いて、横を通り過ぎ振り返って笑いかけると、兄二人は顔を下げて苦笑いついでにかぶりを振る。

 なんだよ、重苦しい戦いがようやく全部終わったんだ、二人だってあと数分もすれば反動で口が止まらなくなるよ、絶対。

 

「なあ、これからジャックが次の……なんて呼べばいい」

 

「なんだっていいだろう。俺たちを救ってくれたジャックだ、今日のMVP」

 

「そう、今日のMVP。それで……チャックはああなったけどアマラはどうなった?」

 

 チャックの中に取り込まれた、一つになっていたダークネス。俺が控えめに聞くと、ジャックは微笑んだまま胸に右手を当て、

 

「ここにいる、調和をとりながら」

 

 消えたわけじゃないのか。そりゃそうか、神とアマラは生と死や光と闇。お互いに存在していることで宇宙のバランスを保ってる。

 アマラが無事じゃなかったら、今頃また日蝕やら天変地異やらが始まってこんな穏やかな景色が広がってるはずない。でも良かった、アマラが無事なら正直それが聞けてホッとしてる。

 

 良かった。道中は荒れまくったが終わってみればこれ以上なく一件落着だ。

 アマラは生きてる、暫くは狩りや人助けは一休みして休暇を取るか。日本にもこれでやっと顔を出せる、先生にも会いに──

 

 

「……基地に、帰れるんだよね?」

 

 

 

 ────────

 

 

 

「そうさ、何言ってんだサム。ジャックは新たなトップに君臨した、何だって思いのままだ」

 

「そうだよ、何言ってんのさ。帰ったらみんなで基地を掃除するんだ、書斎も部屋も荒れ果てたのをほったらかしだ。祝杯にクレアや保安官、ドナテロやみんなを呼んでパーティーやろう、小綺麗にしとかないと」

 

「それいいな、決まりだ。ど派手にパーティーをやる、ビールもチキンもサムの大好きなサラダも食い放題。よし、基地を小綺麗にしよう。リクライニングチェアを買って、キリには新しいトップガンのポスター、ジャックにはなんと、プラズマテレビを買ってやる」

 

 おお、それはアガる御褒美だ。ビリーに引き裂かれちまったからな。.

 俺とディーンが意気揚々と先を歩いて、インパラに乗り込もうとしたとき、

 

「ディーン、キリ、僕は────基地には帰らない」

 

 ……

 

 ……

 

 

「どうして?」

 

「ある意味、そこにいるから」

 

「どこに?」

 

「至るところに」

 

 

 曖昧な答えに、問いかけたはずのディーンの顔は困惑だらけ。

 けど、なんとなく、曖昧にだけど、さっきからジャックが微笑んでた意味が……分かった気がする。

 

 分かってしまった。

 

 

 

「神に、なったのか? つまり、その……チャックの後釜というか、死の騎士みたいに役目を──」

 

「僕は僕。でも、そういうことになるかな」

 

 ジャックはそう言うと肩をすくめ、俺へとはにかんだ。

 サムは、いや、ディーンも俺もどこかで察してた。チャックのパワーを吸収した、そういうことだって。認めたくなかっただけ、家族が、どこかに行く気がして。

 

「また……会えるよな。たまにはさ、一緒にビール飲んだり──」

 

「いつでもいる。たとえば雨粒の一つ一つの中に、風が運ぶ塵の欠片にも僕がいる。石ころや砂や海の中にもね」

 

 言葉を遮るようにサムに帰ってきたその言葉に、俺とディーンは静かに息を呑み込んだ。

 

 だってそれは、遠回しに……いや、違う。そうじゃない。いつもジャックはいる、そう言ってるんだ。別れるわけじゃない、言葉を選べ。

 まだ生まれて十年もこの世界に生きてないジャックの目の前だ。俺が言葉を間違えてどうするんだよ、しっかりしろ……

 

「みんなを救ってやってくれ。大勢の人が、ジャックを頼りにして答えを求めてる」

 

「ディーン、答えは彼等の中にある。今日は無理でも、いつか気がつくよ。彼等は僕に祈る必要はないし、もちろん犠牲を払わなくてない。ただ僕が、既に彼等の『一部』だってことを信じてほしいんだ」

 

 街を何気なく通る人々、大人や子供、車や自転車、小さく吠えている犬。快晴の下、広がる景色を一瞥してからジャックは小さく頷いた。

 

「僕は表に出る気はない。チャックは自分を物語の中にいれた、それが間違いなんだ。三人を見ていて気付いたよ。それに母さん、キャスが教えてくれた。人は──」

 

「人は?」

 

 被せるように俺が首を揺らす。

 ジャックはいつものように柔らく微笑み、

 

「人は全力を尽くせば達成できる。そう、できると信じなきゃ」

 

 子供だった。出会ったときから体は整ってるだけ、外側が成長しただけの中身は右も左も分からない子供だった。

 たまに手を焼かせるし、暴走するときは暴走するし、思えば振り回された、それなりに。それなり以上に──

 

 

 

「僕も達成しに行く」

 

 背を向けたら、引き留められる自信がない。

 だから、いま言っとく。

 

「ジャック。キャスとケリー、お父さんとお母さんが見てたら、きっと……いまの姿を誇りに思うと思う。俺も誇りに思う、一緒に戦えて」

 

 本当は一緒に基地で映画をみたかった。

 チキンウィングを一緒にむさぼって、だらけながらテレビを見ていたかった。けど、いまの姿を誇りに思う。心から。

 

「僕にはキャスと、みんなが父親だった。君たちみんなが家族だ、これからも」

 

「ああ、そうだ。神だろうとネフィリムだろうと関係ない、ジャックは俺たちの家族。それ以外に言いようがない。最後まで一緒に戦い抜いた、かけがえのない戦友だ」

 

 はっ、最後にかっこいいところ持っていくんだ、ひどいよな。よこどりだよ。

 

 またな、は言わない。さよならも言わない。

 ジャックはいたるところに、いつもいる。別れじゃないんだ、これは別れじゃない。

 

 いつものように右手をぎこちなく挙げ、そしてジャックは背を向けて歩いていく。小さな背中はやがて見えなくなり、俺たちも無言のままインパラに乗り込む。

 

 そして、インパラは走る。

 レバノンの賢人のアジト、いつもの日常への帰路を。

 

 

 

 

 

「静かになった」

 

 広く、そして静かになった基地で、約束通り俺もビールを開けた。ジョーも今日だけは許してくれる。

 机に腰をおろし、ぽつりと呟いたサムの言葉がなんとも言えない哀愁をくれる。ついこないだまで、異世界のハンターたちで溢れかえっていた日常が、もう何十年前のことに思える。

 

 全部終わった。なのになんでかな、ここに戻ってくると実感がわかない。不思議な気分だ。

 

「献杯しよう、俺たちが失ったすべての人に」

 

 ああ、そうだね、献杯しよう。

 俺たちがなくし、これまでのすべてに。

 

「けど、これからはチャックじゃない。自分たちの描く物語で進んでいいんだよね」

 

「やっと敷かれてたレールが終わった。アンフェアな戦いはここまで」

 

「ああ、ようやく自由だ」

 

 各々に言いたいままに言葉を並べて、ビールを呷る。

 静かになった、三人しかいないこの基地で。

 

 

 

「だったら、旅をしないか? 物語の導くまま──家族で」

 

 

 シボレー・インパラ。

 ローレンスの中古車販売店で、若い海兵隊が衝動買いしたこの車は、世界が新たな時間を歩き始めた今日も、変わらずにエンジンを回してる。

 

 茜色に染まる空の下、果ての見えない道へ向けてディーンはハンドルを握る。

 ナイフで刻んだ三人分の文字、ファンを入れれば音を立てるレゴのブロック。母さんが、親父が愛したシボレー・インパラは今日も走る。

 

 運転席と助手席に兄を乗せ、横たわって後ろを陣取る俺を乗せて、走る。

 

 蔓草のように絡んでいたしがらみが消えたこの世界を。

 物語の導くまま── 魂の眠る場所を探して。

 

 

 

 

 

 

 

 

「信じられる? 話しかける口実に事故を装って盗んだ郵便物使うんだよ、ありえないって」

 

「好きな男を手にいれる為に涙ぐましい努力をする女はたくさんいる。まぁ、やり方としちゃたしかにグレーゾーンだな。でもこれは没収」

 

「わぁー! アタシのエナドリ返して! 返してよっ!」

 

 走り抜け、駆け抜けて、長いトンネルを抜けると、いつか安らぎがやってくる。

 そもそも安らぎってなんだって話だが、バチカンのシスターたちは口を揃えてそう言ってた。貴方にもいつか安らぎが訪れますように、とかなんたら。

 

「はぁ……アンナ。子供のうちからエナジードリンクのジャンキーなんて救いがなさすぎる、今週これで何本目だ? エナジードリンクじゃ安らぎは訪れないって言ったろ、ちゃんと見ろあの空き缶の山を! いったいなんだあの緑と黒の山は!」

 

「……半分は母さまのでしょ。2徹して追い込みかけてたときの、冤罪だよ。キリが売り子やらないなんていうからまだご機嫌斜めだし、この冷戦っていつまで続くの?」

 

「冷戦って⋯⋯」

 

 ヘイゼルグリーンの瞳をまんまるに開いて、俺よりずっと背の低いお嬢様は不平不満の顔を近づけてくる。後ろ頭を掻くまで時間はかからなかった。

 

 今朝も洗面所で長々と格闘してた黒髪は既に腰を超えて、少し重たそうにすら見える。

 誰かさんの影響で伸ばす伸ばすって言って聞かないからなぁ。子供は良くも悪くも影響を受けやすい。

 

「……全くお前は……どうしてこう、尖った言葉ばっかり覚えてくるのかなぁ。子供のうちは果物ジュースで我慢しとけ。初聖体に行ったら飲み放題なんだぞ、ぶどうジュース」

 

「キリは真面目すぎるんだよ。年の数にうるさすぎ。お爺さまだって年を誤魔化して軍人になったんでしょ?」

 

「また余計なこと吹き込まれて……姑息な言い訳ばっかうまくなるんだから」

 

 誰に聞いたんだそんなこと。

 たしかに誤魔化して入隊したとかなんとか言ってたな。ローレンスに帰還してすぐは、まだビールが飲めなかったって。

 

「カフェイン摂りすぎたら馬鹿やるの。馬鹿をやらないためにカフェインは摂りすぎちゃいけないの。俺ってそんなに真面目に見える?」

 

「昔学校にいたシスターといい勝負。よく定規で問題児の手を叩きまくってた。ばしばしばしばしばしー!」

 

「こら、人の膝をぺちぺちするな。ばしばしばしじゃないよまったく……」

 

 なんつー擬音だ。

 ……よし、アニメでもかけよう。アニメなら腐るほど録画も円盤も揃ってるしな。

 好奇心旺盛、おまけにませてる我が家のお嬢様に今日も今日とて手が額を抑えに行く。ばしばしばしじゃないよまったく……

 

「ほら、ソファーまで行くぞ。買ったばかりのバカでかいやつまで、アニメかけてやるから」

 

「やたっ。CANAANの続きがいいなー、キリも一緒に見よっ!」

 

「……褐色肌のかっこいいお姉さんがベレッタを撃ちまくるアニメか。中東は最高だよ、人は親切で道は分かりやすい」

 

 変身して、不思議な力で悪党と戦う女児向けのアニメってことはなかったな。

 褐色肌で後ろ姿のかっこいいお姉さんが殺し屋とスタイリッシュにドンパチするアニメだ。キンジとかなめも好きだった。

 

 俺はご丁寧に整理整頓された横長テレビの下の引き出しの中からお目当てを抜く。飾り気のないベレッタのカスタムラインがまたかっこいい。

 

「はーやーくー。ほら、はーやーくー」

 

「わーってるよ。それで、雪平さんちのアンナ先生? 母さまは俺が売り子を断ったせいでご機嫌斜めだって?」

 

「トドメをさしたって感じ。不満が溜まってたところにトドメの一発ってヤツ?」

 

 子役みたいに皮肉っぽく、綺麗に笑う。

 口から出てくる言葉が10歳からややかけ離れてる気がするが誰の影響なのかは置いといておこう。

 頬杖を突いた俺のことを差し置いて、テレビには派手なオープニングがかかり始めた。

 

「テレビで言ってたよ? 夫婦円満のコツは謝ることだって、謝ったら?」

 

「感謝祭まで冷戦しとくわけにもいかないか。来週は金一さんとパトラも来るって言ってたしなぁ……理子やヒルダはゲリラでやってくるし……アンナ、一緒に母さまの機嫌をとりにいくぞ。仲間になるならこれをやる」

 

 俺がなけなしのクラッカーを差し出すが、アンナは受け取らず人差し指と中指をハサミのように広げる。

 

「2枚よこせ」

 

「1枚しかない……」

 

 俺は10歳の子供と何をやってんだろ。

 いや、けどたしかにこれが、平和なのかな。

 平和。どこかで望んでた安らぎ。

 

 黒いレースワンピの脇に両手を通し、そっと華奢な体を目の前で抱き上げる。

 すると、今度はその綺麗な双眸は伺いを立てるようで、

 

 

「……怒っちゃった?」

 

「いいや、全然。子供は我が儘をいうのも仕事なの。まぁ、適度にな。学校のほうは?」

 

「そこそこだよ。うん、そこそこ」

 

「そこそこ楽しい?」

 

「うん」

 

 そっか。それなら良かった。

 膝の上に座らせてやると、胸元に小さな頭がもたれ掛かってきた。

 条件反射で手はその頭の上にいく。

  

「ねぇ、今日はみんなでご飯食べれる?」

 

 なんて聞かれると、毒気はどうあっても抜かれた。

 子供の癖にやたら綺麗な睫毛のラインは、誰かさんに似たのかな。

 

「今日帰ってくる予定だけど、一緒に空港まで迎えに行こうか。サプライズで」

 

「! アタシが運転する……!」

 

「いや、俺が捕まるって……まだ10歳だろ? お嬢様は助手席、ナビゲーション係だ。うわぁ……ひどいなあれ、電線に背中から絡まっちまったぞ。御愁傷様だ」

 

 そうと決まればお嬢様が動くのは早かった。

 子供はこうと決めたらいつだって一直線だ、動くのが早い。サムも昔はそれはそれは、そそっかしかった。

 

 銃声が乱れるテレビの電源を落とし、インパラの鍵をライターと一緒にテーブルから拾う。

 いまから向かえば、飛行機よりも先に空港まで行けるだろ、V8エンジンの見せ所だ。

 

 

「キリ、はっやくー!」

 

「慌てるな、さっきのクラッカーやるから」

 

 2ドアスポーツセダン、67年のシボレー・インパラは今日も陽気にエンジンを響かせる。

 老いを知らないな、最高の彼女だ。でもいつか、いつか俺も親父みたいにベイビーを譲るときが来るのかな。そう、いつかーーもしかしたら、

 

「シートベルトは? ──ジョアンナ・ベス・()()()()()()()()?」

 

「ちゃんとしてます。ジョディおばさんとドナおばさんの教え」

 

「よろしい。今日は好きな曲流していいぞ。ディーンのルールを破る」

 

「ふふん。セトリはアタシに任せといて」

 

 自信たっぷりの横顔が助手席で咲く。性格はジョーにもエレンにも似てないが、その自信に満ちた横顔はちょっと似てるかもな。

 ああ、ちょっとだけ似てる。

 

 ハンドルを派手に回し、タイヤを傾ける。

 ライトが灯り、何度も耳にしたエンジン音がゆっくりリズミカルに吠えていく。

 

 先のことを考えるのはやめだ。

 いまはただ、この子と一緒にインパラで走れる現実に感謝しよう。……売り子を断ったのはやっぱまずかったなぁ……まずったかなぁ。理子やジャンヌからも板挟みにされちまう未来が見える。

 

「まずはアタシの大好きなこの曲から──Livin' On A Prayer」

 

 最初から飛ばしていくねェ。いい選曲だ、どうやって繋いでいく?

 

 フッと笑った俺の傍ら、カセットテープの詰まった、使い古されたダンボールボックスを抱えたまま、アンナがテープを突っ込んだ。

 

「ねぇ、なんで母さまのお願い断っちゃったの? いつもイエスマンなのに」

 

「俺はイエスマンじゃない」

 

「本当のとこは? 母さまには内緒で」

 

 古き良き、アメリカのロックが響く最中、ここならいけると踏んだらしいアンナにーーああ、ちくしょうめ。赤信号だ。

 

 

「……設営するのが『スーパーナチュラル』の本だったからだよ。だっておかしいだろ、それは俺に頼んじゃダメなヤツだって。俺にとっちゃチャックの残したあの本は死の騎士の本なんだ、とってもヤバイって意味。分かるか?」

 

 よし、信号が変わった。走れ、ベイビー。

 V8エンジンが俺の心を落ち着かせてくれる。いまは君が俺の精神安定剤だ。案の定、アンナはあっちの肩を持った。

 

「……もういいじゃん。電子書籍もアニメだってあるんだからさぁ」

 

「いいや、よくない。俺はやらん、テコでもやらんぞ今回はな。大体だな、俺にも言いたいことはある。あいつはテレビ通販に毎年いくら使ってるんだ? 吊りトマト、栽培プランターにクリスタルの水やり機だ。ガラスが切れるナイフも買ったよな?」

 

「全部必需品って言ってたね。冷却枕も」

 

「この枕なら朝までぐっすり」

 

「熱い夏でもぐっすり眠れます。アタシも買ってもらおうっかなぁ。二曲目は──」

 

 ダンボールの中に手を突っ込み、そこでアンナは言葉を切った。いや、俺も……言葉がない。

 

 

 

「ねぇ、ここ……日本だよね?」

 

 

 舌足らずな声に困惑が混じる。

 ああ、そのはず。日本の道を、空港に向かって走ってたはずだ……なのに、あの標識は──

 

「海を渡っちゃったの……? さっきの、アメリカの標識だったよね? これ……マジ?」

 

「……俺はもう驚かないぞ、これくらいじゃ」

 

 嘘だ。頭が痛くなってきた。平和だ安らぎと言ってた傍からこの有り様だ。

 さっきまで流れていた街並みとは離れた、人気の失せた暗い道だ。アメリカの標識、暗がりでも目をこらせば俺たちのいるその場所は──

 

「キリ! ブレーキーっ! 人だよ人っ!」

 

「道路で集会やるなって学んでねえのか、あの学生どもはッ! ふざけんなっ、バカタレ!」

 

 ライトが道路にいた四人の男女を照らし、俺はおもいっきりブレーキを踏み込んだ。ボビーの言葉が相応しい、バカタレがっ……!

 

 タイヤが擦り減り、嫌なブレーキ音が暗闇に響く。冷たいものを背中に感じながら、祈るようにブレーキを踏んだ結果は……幸いにも、最低な景色を子供に見せることはなかった。

 

 目と鼻の先、嫌なたとえが浮かびそうな距離でインパラは無事に制止する。

 

「ったく、なんだってんだ……」

 

 ライトに照らされた男女2人ずつのペアは、全員ひやりとした顔で立ち尽くしてる。いや、後ろに保護者みたいなのもいるな、男の。

 

 フロントガラス越しに見えるのは後ろの保護者みたいな男を除いて、子供だ。

 大学生と言われても通る、上だとしても20を超えるかどうかってところだろう。

 

 全員日本人じゃない、微かに聞こえてくるのも英語だ。一人はカンザス訛り、他にもーー西海岸か?

 

 道路で立ち尽くしてるのには呆れる。

 だが、俺の苛立ちは別の方向へ向いていた。

 さっきの標識もある、俺たちがアメリカ本土にいるのは間違いない。

 

 だが、場所や景色は変わってるのに空は相変わらず真っ黒闇だ。おかしい、日本と本土には少なくとも半日以上の時差がある。アメリカに飛ばされただけなら夜はもう明けているはずだ。

 

 胸騒ぎと苛立ちが悟らせるのは、ただ違う場所に飛ばされたってわけじゃないな、これは。

 

「アンナ、ちょっとだけ話してくる。待ってろ」

 

「……キリ、あのクレア姉に似た女の人って……ありえないんだけど、あの人のこと写真で見たことあるよ?」

 

「アンナ?」

 

 翡翠石を押し込んだようなヘイゼルグリーンの瞳はありえないものでも映しているような様子だった。

 そして、遅れて俺にもアンナの言いたかったことを理解した。いや、遅すぎた。平和ボケしてたのか、なんで気付かなかった……

 

「メアリー、離れろ! 嫌な予感がする!」

 

「待って父さん! 話をしないと。きっと何か知ってる! ラタ、カルロスも落ち着いて!」

 

 クレアによく似た、すこしきつめのアイメイクと腰元まで伸びているブロンドの髪。

 伸びてるから気付かなかった……名前を聞くまでは。

 

 いや、そうなれば全部のことに理解がいった。パズルみたいに繋がっちまう。

 後ろの保護者も、隣のガタイの良さそうな青年も答えが割れちまった。ってことは、ここは多分1970年代のアメリカ本土、思ったよりもややこしい扉を開いちまったみたいだぞ……

 

 ちくしょうめ。髪の毛がまだ残ってるじゃねえか良かったな。俺は髪のないアンタとしか会ったことはなかった、不思議な気分だよ。

 

 何年ぶりにご対面だ、もう覚えてない。マザーがご乱心になったとき以来だ。

 色んな感情が混ざりあった心臓の鼓動を殴りつけるように黙らさせ、その一行の中で一人だけ歳の浮いたその男の名前を呼ぶ。

 

「──サミュエル。サミュエル・キャンベルだよな。同業者だ、悪いけど警戒すんのはやめてくれる? そっちの、多分兵役上がりの子、やたら殺気立ってる」

 

「殺気立ってない、驚いてるだけだ。勘違いさせたなら謝る、あの子は妹?」

 

 兵役上がりは否定しないか。

 サミュエルと一緒にいるってことに違和感はあるが間違いない、若い頃の親父だ。

 

 ジョン・ウィンチェスター。

 若かりし海兵隊。まさかまたこんな……出会えるとはな。言葉に詰まりそうだ。

 

 親父、母さん、サミュエル。まるで引き寄せられたみたいに縁のある人間が同じ場に勢揃いだ。

 チャックは、もういないはずなのにまだこんな展開に巻き込まれちまうとはな。キンジの口癖を借りるか、ありえんだろってヤツ。

 

「いいや、外れ。あの子はアンナ、ちょっとませてるウチのお嬢様」

 

「お嬢様? 姉ってことはないし、待って……嘘でしょ? つまり、その……その顔で親なの……!?」

 

「若すぎるって? ありがと、えっと……メアリーさん? 色々複雑な事情があって、話せば色々と長い」

 

 メアリー母さん……髪を切ってたときの印象が強くて分からなかった。クレアに瓜ふたつだ、こんなに似てたとはなぁ。

 

 

「なあ、悪い人じゃないんだよな?」

 

「カルロスだっけ? これでどう?」

 

 親父、母さん、あんまり仲の良くなかったサミュエルの爺さんまでは分かる。あとの二人は初めて、知らない顔だ。

 襟元を下げて、胸の悪魔避けを通行書代わりに見せると、今度こそ警戒の空気は消えていく。

 

「……それって悪魔避けのタトゥー? かなりイカしてる」

 

「我が家の義務教育。これで悪魔に取り憑かれちまうことはない」

 

「同業者なのは分かった。ねぇ、貴方たちは()()()()()と──父さん!」

 

 メアリー……母さんが叫んだ刹那、俺たちもワンテンポ遅れて異変に気付く。やられた、囲まれてるな。人の気配じゃない、イヴの子供たちだ。

 

「母さまとのご飯はちょっとの間お預けだね。でもすごいね、ホントにあの本みたいなこと起きちゃった」

 

 我慢できないって顔でアンナも助手席のドアを開いてやって来る。見ろよ、あの顔。

 

「喜ぶ場面じゃねえぞ、囲まれてる。つか、インパラの中に居ろって言ったろ?」

 

「手が足りなそうだったから」

 

「娘が有能すぎて泣きそうだよ」

 

「必要でしょ。ジョディおばさん直伝、ハワイ警察伝統のクラヴ・マガが」

 

 あーあ、ルビーのナイフを握っちゃった。

 子供に狩りをさせてる、母さんから痛い視線が突き刺さるぞ。間違いない。

 まぁ、師匠は腕利きの保安官二人とあのジャンヌダルクに怪盗リュパンだ。俺なら襲おうとは思わない。

 

 薄暗い道路を囲むように四方から、いつからそこに潜んでいたんだと言いたくなる数が顔を見せる。隠れるのが上手なのはいつの時代も同じか。

 

 親父も母さんもやる気だ、残りの二人も。

 サミュエルは言うまでもない、あの爺さんはいつだって誰より血気盛んだったよ。

 

「聞きたいことは色々あるけど、先にこいつらを片付けよ。のんびり話もできない」

 

「賛成、俺も聞きたいことがある。先に連中に風穴開けてから話そう。近くのダイナーにでも行って」

 

「じゃあ、先にこれだけは聞いておきたい。いきなり君たちの車が、さっきのはまるで、突然闇の中から現れたみたいだった。何者なんだ?」

 

 違う時代、違う世界からやってきたなんて素直には言えない。十中八九、ややこしくなる。

 手短に聞いてきた親父に、黒いレースワンピを闇にとかしながら舌足らずな声が響いた。

 

 

「アタシの名前は雪平アンナ。好きな曲はwinter fallとParadise Lost、嫌いなものは海と川と流れるプール」

 

 つい最近誰かさんと一緒に川に落ちて、俺が死にもの狂いで拾い上げたお嬢様は……怪物に囲まれているなかでも、淡々とそう名乗った。

 

 

「──仕事は怪物退治」

 

 

 最後のその名乗りは、俺がキンジに名乗ったのとちょっとだけ、似てる気がする。

 

 

 

 

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