哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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苦いコーヒー

 

 

 夕刻の茜色に染まった空でカラスが鳴いていた。

 定位置である部屋の二段ベッドで寝込んでいると、西日のまぶしさがカーテンの隙間から射し込む。覇気のない瞳で目覚まし時計をさがそうとするが感触はない、溜め息がこぼれた。

 

「……忘れてた。時計ぶっ壊れたままだ」

 

 皺だらけの制服で冷蔵庫まで辿り着き、中身を物色する。着替えずにベッドに直行したんだっけか。

 先生の講義であくびして……グロックが脳天とキスしたまでは覚えてるんだが……やべえな記憶がとんでやがる。

 

(欠伸で記憶がふっとぶ学校か、いかれてるな)

 

 苦笑いで重たい右手は額を抑えた。冷たい銃口が触れた場所は……喜ばしいことに穴はできてない。

 先生がご立腹なら今頃風穴が空いてるな。今朝はどうやら機嫌が良かったみたいだ。お、コーラがある、キンジの買い置きかな。あとで100円渡せば大丈夫だろ。

 

 冷えきった缶を持ち、俺は久しぶりにひとりきりのテーブルについた。騒がしかった今朝の一幕が嘘のように閑散としている。

 神崎の騒ぎで忘れそうになったけどさ、キンジが武偵を辞めたら毎日この静けさが訪れるんだよな。兄貴達にモーテルで置き去りにされたときもキツかったが負けず劣らずだ。

 

 けど、キンジが武偵を辞めることを止めるつもりはねえし、俺には止められない。

 俺は、それを止めちゃいけないんだ。普通に生きたいって願いを、最後に決めるのはあいつ自身だからな。

 

 夕暮れの射し込んだ窓に何気なく目をやる。カラスも鳴いて巣に帰る時間、そろそろキンジも帰宅を考える時間だ。何のクエストで油を売ってやがるんだかなあ。

 

 ルームメイトが帰ってくるまでにとプルタブをひねろうとし……誰かがドアのロックを解除した。

 

「……」

 

 プルタブに置いた手と反対の手は開きっぱなしの鞄からダガーナイフをとりあげた。炭酸の抜けていないコーラは最初の目眩ましとして使う。

 息を殺し耳を澄ませる、探偵科寮特有の長い廊下を伝う足音の大きさ、歩幅が、ああ違う──キンジじゃない。

 

 第一、ここは生徒が頻繁に訪ねるような部屋じゃない。悲しいが呼び鈴を鳴らすのも大抵が星枷一人だけだ、相手の見当がつかない。ロックを解除できる最低限の技術がある相手、もしくはキーを偽造でもされたか?

 

 廊下と区切られた壁に背を預けて、いつでもタブを捻れるように俺は指を当てる。

 

 近づく足音、まだ、まだ遠い──、炭酸で視界を潰して一気に制圧する、ギリギリまで待て──まだ、まだ──今だ!

 

 

 廊下に出ると同時にタブを捻る。神崎に向けて、

 

 

「か、神崎……?」

 

 相手を認識した刹那、コーラを持った腕が跳ね上げられる。高く舞い上がったしなやかな右足が軸足を変えて、左足の回し蹴りに綺麗に繋げられた。

 間近で見せられる継ぎ目のない動きに、相手の存在も忘れて視線は呪縛されていた。

 

 迫る足が顎をすれすれで擦過する。もし、後ろに飛んでいたのがコンマ一秒遅れていたら、今度はグロックじゃなく床とキスしてたな。

 打ちあげられたコーラが神崎の背後に落ち、廊下にけたましい音を立てた。

 

 冷や汗半分の俺が先んじてナイフを下げる。説得できるかコレ。

 

「へえ、よけるのね」

 

「当たったらやべえだろ。あんた、噂じゃあ熊を素手で撃破したって聞いてるぜ。あくまで噂だけどさ、あれってマジなのか?」

 

 鼻を鳴らして、神崎はおどけてみせる。仕草がマジっぽい。笑えねぇ……

 

「悪ぃ、先に謝らないとな。上がってくれお客様」

 

「いい機会だわ。あんたの力量を特別に測ってあげる」

 

「いや、答えになってねえだろ! どういう流れだよ!」

 

「これが答えよ。構えなさいバカっ!」

 

 肩を落とした俺へ神崎が鉄砲玉のように突っ込んできた。無理矢理すぎるぜ、ホントにやるのかよ。狭い廊下で刀は取り回しができない。が、このちびっ子の徒手格闘を前にして武器云々のハンデもあるか。

 

 悪態をついて一瞬思考回路の沈黙が起きる。神崎の実力を理解していてもバカな俺は、やがてダガーナイフを廊下へと捨てた。

 フェア精神なんざ持ち合わせない。だが、運の悪いことに近づいてくる神崎の唇が三日月を描いたのが見える、見えてしまった。そいつは卑怯だ、その表情は卑怯すぎる。

 

「余裕ね」

 

「いいや、実のところアンフェアは好きだぜ。あんたは?」

 

「アンフェアにはアンフェアよ」

 

「ありがとよ。最高のお返しだ」

 

 伸び始める神崎の右膝に俺は左足の裏でブロック。勢いに乗る膝が延びきる前に足裏で押さえ込む。

 

「鳩尾貰うぞ……!」

 

「お馬鹿。見え透いてるわよ!」

 

 顎に掌打でカウンターを狙うが逆に捕まれて手首が絞められた。小さな細腕の右手一本、軽んじた結果ギシッと関節が本来立てないはずの音を奏でる。

 

 こいつ……どういう握力して、んだよッッ……ッ! 骨が軋んでやがるぞ……!

 

 焦りながら残された手で、やむなしに人差し指と中指の二本抜き手を作る。突きだした指を、緋色の瞳を目掛けることで神崎を後退させるが、綺麗に指先から遠ざかった神崎は……まだやる気だな。

 

 時々『ガンチラ』武藤命名のスカートからホルスターが覗く現象が起きるが、ご自慢のガバは抜くつもりはなさそうだ。

 徒手格闘に自信があるんだな、噂通りの腕前だよ二つ名持ちめ。

 

「今のがご自慢のバリツかよ。体験したくなかったぜ、ちくしょうめ」

 

「ふーん、初体験ってワケね。いいわ、サービスしてあげる。あたしが使えるのは関節技だけじゃないの、お喋りしないことね。舌噛むわよ」

 

 神崎は一瞬で間合いを詰めると、側頭部を狙った回し蹴りを繰り出してくる。会話の不意をついた絶好のタイミング。

 だが、今度は俺が受け流し、カウンターの拳打が決まった。ようやく一撃かよ、ふらついた神崎の頭に真上から右肘を振り下ろすが胸に衝撃──息が詰まる感覚を覚えた。

 

 すくいあげるような掌打に背中が折れる。動きを予測していたように二度目の回し蹴りが、横から首を拐おうと振り上げられていた。

 鋭い蹴り、じゃねえな。ギロチンだよ、こんなの貰ったら首折れるぞ……ッ!

 

 恐ろしい威力に、咄嗟にブロックした腕ごと壁に思いきり叩きつけられる。

 これがただの蹴りなんて冗談じゃない……完全に鈍器で殴られる衝撃だ。体型と膂力、積んでるエンジンと馬力がまるで見合ってない。

 

「……近所のテコンドー道場にでも通いつめたのか?」

 

 投げの姿勢に持ち込もとうするが、バリツというのは想像以上に多彩な戦闘術だ。抜き手、投げ、関節技、隙を見て投げたカードが全部さばかれていく。駄目だな、こうなったら切札を切るしかない。

 

 真後ろに飛んで徒手格闘のレンジから離脱。神崎は詰めてこない、好都合だ。絞められた手首を軽く振って調子を確かめると俺はかぶりをふる、そして両手を高く掲げた。

 

 やがて、警戒を解いていない神崎が眉をひそめる。

 

「なんのつもり?」

 

「いわゆるホールドアップってやつ?」

 

 

 

 

 

「いつ鍵を?」

 

「あたしは武偵よ」

 

 勝手にカードーキーを偽造した神崎は……ソファーをぶんどり頭を傾けてこっちを見てる。実に堂々とした意思表示に肩の力が抜けた。

 

「キンジと一緒じゃねえのかよ?」

 

「逃げたわ」

 

「やるじゃないかキンジ、ちょっと見直した。いいか、今度からは呼鈴鳴らせ。門限まではちゃんと歓迎してやるよ」

 

 俺は文句を言われる前に間に合わせのインスタントコーヒーを差し出してやる。

 

「間に合わせだがどうぞ」

 

 ソファーに目配せすると視線がぶつかる。初めて神崎が押し掛けてきた日、こいつは押し掛けて一番に『エスプレッソ・ルンゴ・ドッピオ』とコーヒーをオーダーしやがった。当然だが我が家にルームサービスはないし、不運にもここは貧乏で有名な遠山宅。

 

 エスプレッソなんてねえし、普段インスタントしか飲まないキンジには呪文めいた言葉、意味不明な命令に聞こえただろうさ。堂々とインスタントを差し出したキンジの勇気にも感服するがな。

 先日、一度インスタントの味を体験した神崎は一口カップに口を付けて、顔をしかめる。

 

「変な味……」

 

「庶民の味だよ。イギリス貴族の舌には多分あわねえけどさ」

 

 弁明を聞いて、神崎がカップを離す。

 

「あたしのことを調べたわね?」

 

「噂を聞いた程度さ、デトロイトでな。有名人は国外にまで噂が伝わってる。あんたとあんたの師匠……Sランクのアンジェリカ・スターは特に有名だった」

 

「……まあね。噂には事欠かない人だったわ」

 

 自身も師匠である『アンジェリカ・スター』と同じ、つまりSランク武偵の神崎は、少し驚いた顔でカップを持ち上げる。

 

「あたしも噂に聞いてるわ。腕利きの獣人ハンターが密かにアメリカから日本に渡ったって話をね」

 

 神崎は強気な笑みを浮かべて一度言葉を切る。俺は黙って言葉を促す。詮索を始めたのは俺からだ。神崎がどこまで知っていたとして怒る道理はない。

 

「珍しい車だからすぐに分かったわ。67年製のシボレー・インパラに乗ったハンターの話はイギリスでも有名よ?」

 

「……UKの連中とは一悶着あったからな。俺のインパラは日本に来てから、ある人に譲って貰ったんだ。本土で乗ってたのは別モン。まだ家族が乗ってるよ」

 

「4ドアのインパラなんてよく見つけたわね」

 

「古い車を大切にするのはアメリカだけじゃないってことさ。頼むから走行距離は聞くなよ?」

 

「バカ。張り合ってどうするのよ」

 

「だな、野暮だった。今度はもっと旨いコーヒーをご馳走するよ」

 

「精進なさい」

 

 コーヒーを嗜む貴族の前で、俺は凹んだコーラのタブを開けた。

 

「あんたは何しに日本に?」

 

「武偵殺しを逮捕するためよ」

 

「だったら協力するよ。俺も同じ意見だ、今回の真犯人は別にいる。もっと頭のキレる奴がな」

 

 キレの良い炭酸が喉を刺激する。コーラをテーブルに置いたところで神崎と瞳が交差した。

 

「あたしには別の、やらなきゃいけないことがあるの。武偵殺しは絶対に捕まえるわ。どんな手段を使っても」

 

 真剣味を帯びた声で緋色の瞳がぶつかる。出会ってから色々な神崎の表情を見てきたが、今見せている表情が神崎の本質だな。

 " 逮捕 "の一言には例えようのない重みを感じる。そして、その表情に見覚えもあった。

 

「家族の問題か?」

 

 ぶつかった視線を夕焼けへと逸らし、浮かんだ言葉を口にした。

 声は返ってこない。沈む夕焼けに部屋の陰影がぐにゃりと形を変えていく。

 

「個人的な考えだが家族の話は熱くなるよな、それに真剣になる。話せない理由があるなら無理には聞かねえよ」

 

「あんたが日本に来た理由は?」

 

「人生はままならん。挫折する意気地無し、俺だ。いつもどこかのバカに邪魔されるからな。普通の生活がしたくて日本に来た、そんなところだ」

 

「変な解答してくれるわね。いつもそんな言い回しやってるの?」

 

「複雑な家庭環境で育った成れの果て。俺の家の日常会話ではこれが普通なんだよ」

 

 そして、キンジが帰るまで俺達の会話は止まる。俺が神崎からパーティーに誘われたのは数日経ってからのことだった。

 

 




『人生はままならん。挫折する意気地無し』s10,10、メタトロン──
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