哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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前に進んで今

 なにかを叩く音が遠くから聞こえた。うっすらと目を開ける。ぼんやりと霞む視界に最初に映ったのは汚い天井だった。目をこすり、首を巡らせて部屋の中を見渡す。自分一人しかいなかった。部屋がひどく静まりかえっている。

 

 窓を見ると、雨滴で景色がゆがんでいる。先程のぱらぱらという音の正体だった。目蓋が重く痙攣して、気持ち悪い。最悪の寝起きだ。

 

「キンジ、飯……」

 

 声に出したところで、部屋には自分一人しかいないことを思い出した。時計を引き寄せて時刻を見ると午前の11時。昼前まで寝ていたことになる。休みにしても体たらくだ。胃が空腹を訴えるが料理を作る気にはなれなかった。今朝はキンジの当番だが、ルームメイトの朝食が今日は用意されていなかった。そう言えば神崎と二週間潜入任務で出かけたんだった。

 

 霞む視界で冷蔵庫まで歩いていき、ペットボトルのコーラに口をつけて飲み干す。炭酸で喉を焼かれるような痛みに首を振りそうになるが意識は覚醒したらしい。買い置きのパンを袋から出してやけくそにかぶりつく。咀嚼して喉に流し込むだけ、味気ないとすら感じない。小麦を腹に詰めるだけ、神崎に食事を説いていた癖に、自分がこのざまだ。

 

 どうにか浴室まで歩き、寝起きの体を水を浴びる。シャワーを頭から浴びて眠っていた体が覚めると、体はほぐれて少し軽くなった。左胸に描いた五芒星の悪魔避けが鏡に映り、俺は重くなった茶色の前髪を上げた。悪魔避け──意味は言葉通り、憑依、干渉されなくなる。同じ形を象った御守りでも代用できるが、首から掲げるのと体に刻むのとでは利便性が違いすぎる。敵に憑依されて仲間同士で殺し会うのは御免だ。催眠術にも気休め程度の力を発揮するらしいしな。

 

 浴室から出るとハンバーガーを欲する程度には食欲は回復していた。風呂は心の洗濯、案外間違いでもないらしい。ハンガーにかけられた制服に袖を通し、ソファーで一息つこうとした矢先に玄関のチャイムが押される。覗き穴から相手を覗こうとして……俺は尻餅をついた。

 

(ば、化け物ぉー!)

 

 黒くゴツゴツした頭にギザギザの牙と触手みたいなのがついた怪物、いや邪神だ。正体不明の邪神が穴からこっちを覗いていたのだ。

 

「キリ、いるのだろう。私だ、良いものをやろうと思ってな」

 

「Exorcizamus te, omnis immundus spiritus omnis satanica potestas, omnis incur……」

 

「悪魔払い──? し、失礼なっ!お前もこの絵を邪神扱いするのか!」

 

 ドアの外で誰か叫んでる。おい、この声……ジャンヌじゃねえかよ。ドアを開いてみるが案の定、氷の魔女がお怒りだった。頬赤らめてなにやってんだよ。

 

「あー、悪ぃ。絵ってそれが?」

 

「お前はブラドの姿を知らないだろう。情報をやろうと思ってな、私が書いた。無料でいい」

 

「そうか、いや悪いな……とりあえず入ってくれ。連中の会話なら部屋でやろう」

 

 一人になった大部屋にジャンヌを招くが、画伯は今にでもイラストを受け取れ、と腕を突きだしてくる。

 

「礼はいらん。この絵はよく書けている、名残惜しいがお前にくれてやろう」

 

 自信作を見せびらかしたかったんだな。覗き穴に突き付けやがって、大変な目に逢ったぜ。まあいい、この画力でイラストを書こうとした勇気は勲章ものだよ。楽しんでイラストを書くことは悪いことじゃねえしな。

 

「ああ、今度はお前が好きに書いた絵を見せてくれ。ジュースくらいは奢るよ、先生」

 

「ほう、サインもつけてやろう。私の直筆だ」

 

 ……サインだけ達筆なんだろうな。絵は制服のポケットで持ち運ぶか。一応、情報だし。俺は簡単なインスタントコーヒーを淹れて、テーブルに置いてやる。来客に出すのは神崎以来だな。菓子の買い置きは……ねえな、貧乏な遠山宅だ安心したよ。

 

「で、朝からイラストを届けに来た訳じゃねえだろ。そろそろ聞かせろよ。用があるんだろ?」

 

 ジャンヌは億劫げにかぶりを振った。

 

「いや、お前と話がしたかったのでな」

 

「それは予想してなかった」

 

「だろうな、間抜けな顔をしているぞ?」

 

「悪かったな、こんな顔を作った神に文句言え」

 

 地下倉庫の戦いからまだ日は浅い。昏い眼差しで凶器をぶつけあった相手とは思えねえな。テーブルについたジャンヌはコーヒーを一口、不思議そうにカップを持ち上げる動作は出会ったときの神崎そっくりだ。お前もインスタントコーヒー知らないのか?

 

「まあ、ここは武偵高だ。魔女もハンターもない。世間話くらいは聞いてやるよ。それになんたって俺は暇だからな。暫くは同居人もいない」

 

「紅鳴館への潜入が始まったか。期間は二週間、理子から話は聞いているな?」

 

「バットシグナルも早めに出すように伝えておいた。コルトはないがトランクにはバルサザールの置き土産がある。なんとかするよ」

 

「バルサザール?」

 

「武器商人だ。かつては兵士だったが大規模な内戦に乗じて、保管庫から大量の武器を盗んで逃げた。武器と言うよりオカルトグッズだがブラドを足止めできるかもしれない」

 

 大半が使いきりの武器だが仮にもお空の上で保管されてた核兵器だ。足止めにはなる。

 

「理子に言われたよ。俺は苦しみを忘れるために人を救ってる、同情するってさ。どうしてみんな俺より俺のことを知ってるんだ。納得しちまったよ」

 

「懺悔なら聞いてやらないこともない。だがお前には無用だろう。私が聞いて、どうにかなるものでもない」

 

 宝石のようなアイスブルーの瞳が伏せられる。

 

「私が魔女であることを変えられないように、お前はお前の血を変えられない。海を渡り、武偵になろうと、変えられないことはお前が理解しているだろう?」

 

「……そうだな、変えられない。どこにいても俺は化物を狩ってる」

 

 人間は善悪表裏一体の存在だ。苦しみを忘れるために人を救ってる、それは忘却できない罪悪感に突き動かされているだけに過ぎない。人並みの生活がしたい、そう願って目を閉じたところで酸鼻極まる光景が、視界の続く限りどこまでも広がっている。普通の生活には程遠い。目を閉じた先に広がっていたのは人を救うなんて美名にそそのかされたハンターの末路だ。

 

「お前、言ってたよな。俺の心が死んでるってさ。実のところ──死にたくないんだよ、今は特にな」

 

 ああ、ちくしょう。俺は魔女に何を言ってやがる。

 

「狩りをやってると、死に向かって突き進むのがよく分かる。いつも……何かに追われるように自分を急き立てて、燃料切れになるまで突っ走る。こんな無茶やってたらいずれ死んじまう。アクセルを全開にして崖から落ちるのもいいと思ってた。早死に死ぬ家系だ、俺も例外じゃないんだって言い聞かせたよ」

 

「だが、今は?」

 

「ああ、悔しいことに未練を感じてる。やり残したことや別れたくない人がいる。今日、明日、明後日……1日でも一緒にいたい。執着を感じたよ、あらゆる物が大切だ。今までよりずっとな」

 

 キンジや神崎がいなくなって俺も気づいた。どうやら俺は俺が思っている以上にキンジや神崎と過ごした日々を気に入っていたらしい。

 

 そして、悔しいことに俺は夾竹桃やジャンヌと過ごした時間を楽しいとか、思ってる。命のやり取りをしたばかりの魔女にだっせえ弱味を暴露しちまった。自嘲めいて笑うと、神崎のカメリアの瞳に負けず劣らずの綺麗な瞳が不思議そうに丸くなる。

 

「どうして、私にそんなことを?」

 

「さあどうしてかな。多分、お前はこっちの事情に詳しいからだろ。それに……ハイジャックで飛行機から転落したとき俺は血を飲んじまった。いつジャンキーに戻るか分からねえが、ブラドは超能力なしで勝てそうもねえからな。話しておきたかったんだよ」

 

 刹那、ジャンヌはカップの持ち手へ伸ばしていた指を止めた。

 

「……飲んだのか?」

 

「飲まなきゃコンクリみたいな水面にぶつかって御陀仏だった」

 

「やめておけ。この国にパニックルームのような血抜きをできる場所はない。一度禁断症状が始まればお前は傾斜を転がり落ちるだけだ」

 

「言ったろ、エンジン全開にして突っ走ってる。いつかは崖から落ちる運命なんだよ。まあ俺の頭が狂ったとしてもさ、神崎には母親と一緒になってほしいんだよ。あいつの母さんはまだ生きてる。手が届きそうな場所にいるから辛いこともあるだろ?」

 

 この国にパニックルームのような血抜きのできる場所はない。ジャンヌの指摘は正しいさ。待っているのは奴等の血を求めるジャンキー生活だ。俺はかぶりを振った。

 

「ウィンチェスターもキャンベルも家族に振り回される家系だからな。母親のために海を渡った神崎には思うところがあるんだよ。俺は色んな意味で母親ってのから逃げたからなぁ」

 

「……」

 

 渋い表情をしたジャンヌは目を逸らした。ったく恐くなるよ。お前はどこまで知ってるのか。

 

「わりぃ、コーヒー入れ直す」

 

「いや、私は帰るとしよう。中空知にも話が残っている」

 

「そういや、同室か。どうなんだよ仲は?」

 

「上手くやっている、とだけ言っておこう。武偵は自分を隠すものだからな」

 

 椅子を立ったジャンヌへ「そうかよ」と返してやる。大した会話はできなかったな。玄関まで見送ろうとしてジャンヌは廊下で振り返っていたジャンヌと視線がぶつかる。

 

「忘れ物か?」

 

「そんなところだ」

 

 声が止まるとはこのことなんだろう。うっすらと笑った銀氷の魔女に俺の視線は呪縛されてしまった。超能力にかけられたように吸い込まれそうな碧眼から目を、離せなかった。

 

「キリ、私は人の人生の良し悪しに口を挟むつもりはない。だが一生が終わり、棺の蓋をした時には、お前のことは誉めてやってもいい」

 

 遠回しな賛辞に言葉もなく立ち尽くした。嘘を言わないジャンヌの性格からいって、今のは最大級の賛辞に聞こえる。

 

「その言葉は意外だ、意外だが喜ばしい。魔女に誉められるハンターか。まあ、棺に入って死ねるなら悪くねえかも」

 

「だが今ではない。お前には聖油のサークルに閉じ込められた恨みがあるが残念にも今はデュランダルがないのでな。這ってでも生きて返れ、お前が生き返るまで待つのは面倒だ」

 

「……バカかお前は。普通の人間は何回も死んだり生き返ったりしねえよ」

 

 人をゾンビみたいに言いやがって。俺は複雑な表情でジャンヌから視線を外す。開いたドアの隙間から日光が玄関に差し込んだ。

 

「砂礫の魔女とお前の超能力は相性が悪い。変な虫には近寄らないことだ。いいことないぞ?」

 

「……これは独り言だ。ブラドは──本調子ではない。パトラの呪いにかかっている。狩りをするなら呪いが解かれる前に奴を討つことだな」

 

 無意識に息を呑み込んだ。ジャンヌが描いた絵よりも先があるのか。

 

「解けないように祈っておけ。次のシーズンで会おう」

 

 

 

 

 

 キンジと神崎が紅鳴館で働く最終日の前夜。突風のなびいているヘリポートで俺は前髪を抑えていた。横浜駅に程近い横浜ランドマークタワー、俺が立っているのは高度296メートルにもなる高層ビルの屋上。ガイドによれば日本一高いとされる超高層ビルだ。みなとみらい21の中核をなすこのオフィスビルに、理子はアジトを置いている。

 

「待ち合わせ場所にしては殺風景極まりねえな」

 

「キリくんはほんっと、わかってないなぁー。ここから見える景色、悪くないんだよぉ?」

 

「……夜景を楽しむ仲じゃねえだろ」

 

 蜂蜜色の髪を風になびかせながら、いつもどおりの改造制服で理子はやってきた。ハイジャックで纏っていた好戦的な空気はどこにもない、この女の変貌にはいつも驚かされる。理子はその童顔で小首を傾げてきた。

 

「決行前夜に呼び出すなんて、ベタなイベントシーンだよねえ」

 

「お前にその気はねえだろ。泥棒作戦は進んでるのか?」

 

「種は撒いたし、あとは収穫するだけ。まあ、作業ゲーってほどでもないかな」

 

 明日で潜入任務は終わる。成功すれば理子はブラドに奪われた物を取り返せる。だが、それが根本的な解決になるとはやはり思えない。だからこそ、気付けば口に出ていた。

 

「本気で思ってるのか。神崎を倒せばブラドが手を退くと」

 

「あたしがサンタを信じるガキに見えるか?」

 

 口調が変わり、冷たい突風に蜂蜜色の髪が派手に煽られる。

 

「あのブラドがあたしとした約束を守るなんて思ってない。だからお前に声をかけたんだよ、随分と分の悪い賭けにBETした気もするけどね。コルトがなくてもお前と組めばブラドに勝てるかもしれないって思った。早死にする理想主義者の考えだけどね」

 

「理想も語れない人間よりはいいんじゃねえの」

 

 らしくない、滅多に見ることのない自虐的な理子に俺はかぶりを振る。

 

「自分の命賭けて勝負したんだろ。何もしねぇよりマシじゃねぇか」

 

 理子は目を丸めて曇り空を仰いだ。そして、

 

「実際クラシックだよお前は」

 

「どういう意味だ?」

 

「夾ちゃんに聞いてみな、あいつだって同じこと言うよ」

 

 伏せ見がちに視線を変えた理子に、俺も殺風景な曇り空を仰いだ。

 明日の空は荒れそうだ、嵐や豪雨なんかよりもっとひどいのがやってくる。そんな気がする。

 

 

 

 




以後、主人公が紅鳴館に呼ばれることはありませんでした。

『その言葉は意外だ、意外だが喜ばしい』s6,11、死の騎士──

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