哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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蜂蜜色の別離

「よぉ、初めまして、だな。雪平」

 

 ランドマークタワーの屋上には怪物がいた。異常に発達した筋肉、白い入れ墨のような線と目玉模様、その姿はジャンヌが書いてくれた絵によく似てる。巨大な人食い鬼、ハンターの物差しで測ればそんなところだ。毛むくじゃらの前腕、鎌のようになった鋭い爪はもはや牙と呼んでも差し支えない。一目見た感想を述べるなら──体全体が凶器となった巨大な人食い鬼。

 

 破れたスーツの残骸が辺りに散らばっているところを見ると、あの女の言葉は正しかったみたいだな。あのスーツはどう見ても眼前の化物が着れるようなサイズじゃない。歓迎ムードの挨拶を受けて、俺は傍らにいる魔女に視線をやる。

 

「もう引き返せないぞ、眠った虎を起こしちまった」

 

「ああ、まだ手始めだ」

 

 銀氷の魔女は表情を変えずにそう言い放つ。眼前にそびえている化物。こいつが小夜鳴の変身した姿──無限罪のブラドの第二形態。

 

「おぅジャンヌも連れて来たか。この組み合わせはパリで初代アルセーヌ・リュパンとやったとき以来だな。お前が来るのは驚きだがウィンチェスターのガキに感化されたか?」

 

「水も無しに砂漠を渡ろうとする馬鹿の姿を、見に来ただけだ。一族の私怨もないと言えば嘘になる」

 

 ジャンヌはかぶりを振った。双子のジャンヌダルクが初代リュパンと共にブラドと戦い、引き分けた話を俺はジャンヌから聞いている。ジャンヌの手には寸を詰めて幅広の鎧貫剣に造り替えられた聖剣デュランダルがあるが、その話によれば魔臓を聖剣で突いても奴は殺せなかったとか──強力な武器を使っても四つの魔臓を壊さないと奴は倒せない。

 

「知ってるぜ、雪平。てめえの手にはコルトはねえんだよなァ。あの武器だけは警戒するつもりだったがその必要もなくなった。てめえを干物にすりゃアルファの弔いにもなるだろ」

 

「やってみろ、こっちも()()()には因縁があるんでな。そのネズミのアパートになってる頭をぶっ叩いてやれば少しは気が晴れる」

 

「態度のデカさは噂どおりだな。てめえには聞きたいことがあってよ。お前──『煉獄』から帰ってきたらしいじゃねえか。どこかの能無しが流した噂だろうが、キャンベルとウィンチェスターの話は全てが控えめに語られてきた。てめえを串刺しにする前に、小夜鳴が聞いておきたいみてえでな?」

 

 ──煉獄、忌々しい単語に喉が詰まった。そこは死んだ怪物が行く世界、人間にとっての天国や地獄。天使と悪魔にとっての虚無の世界の役割を担う場所。

 

 煉獄について語られている書物は少くないが信憑性の高い資料はもっと少ない。煉獄のことを知りえるのは一度死んだ怪物だけだからな。言えることは煉獄は『世界』ではなく『監獄』であること。死んだ怪物が行きつく世界というのは後付けでしない、煉獄の本当の役割は()()の隔離。

 

「……キリ?」

 

「煉獄は生と死だけが支配する純粋な場所だ。あるのは怪物に殺されるか、怪物を殺すかの二つだけ。それ以外に語れることはねえよ」

 

 神崎には答えず、俺は一方的に話を切った。

 

「小夜鳴先生に伝えろ。煉獄にだけは興味を持たない方がいい。お前も俺たちもまとめて奴等に食い尽くされる」

 

「にわかに信じられねえが帰ってきたのは本当らしいな。こいつぁ、悪くない拾い物だ。よく帰ってきたな、雪平。祝福してやろうか?」

 

「笑わせんなメルマック星人。お前の祝福なんざ迷惑千万だ」

 

 だが、これで負けられない理由がまた一つ増えたな。退路がまた一ヶ所焼かれた気分だぜ。ヘリポートの陰には理子とキンジが、そしてブラドの前には神崎が二挺のガバメントの銃口を向けている。随分とわざとらしい威嚇の姿勢、ブラドの敵意を理子から自分に向けてやがったな。やるじゃねえか、ヴェロニカ・マーズ。

 

「神崎、まだやれるか」

 

「無理って言ったら?」

 

「お前は言わねえよ」

 

「……だったら聞かない。来るのが遅かったわね、パーティーは始まってるわよ」

 

「招待状をなくしてさ。だが増援は連れてきたんだ、チャラにしてくれよ」

 

「信用できるんでしょうね?」

 

「友だちが崖の上から落ちるのをほっとく女じゃねえよ、保証する」

 

 俺のショルダーホルスターにはジャンヌから臨時で借りたcz100がある。三挺の拳銃と聖剣が一本、魔臓を壊すための数は足りてる。勝敗の鍵は最後の一つを見つけるだけだ。ジャンヌが構えをとるのと同時に、袖から天使の剣を滑らせる。神崎はジャンヌに目配せし──

 

「いいわ、文句は言ってられない。連携は期待しないで」

 

「ほう、アリア。初対面より好印象だぞ?」

 

 そう言ったジャンヌの重心は左へ傾いている、左に駆けるつもりだな。つまり、俺が行くのは右だ。

 

「血統書付きの犬が2匹加わっただけだ。ジャンヌダルク、初代リュパンとやったのはエッフェル塔だったな。ガキ共とやるにはお誂え向きの場所だ。まァ……どいつも期待外れだろうがな」

 

 狂暴な目が、黄金色の輝きを放って俺たちを睨む。

 

「あたし達が期待外れかどうかは──捕まってから決めなさい」

 

「オレを、ぶちこむだと? このオレを、てめえらが檻に入れようってか? 人間と吸血鬼は餌と捕食者の関係だ。餌でしかないお前たちがオレを捕まえるときたか」

 

 ブラドは腹を揺らす。目の前で銀色の髪が靡いた。

 

「お誂え向きの場所と言ったな、ブラド。同感だ、ここならば、地上を凍てつかせる憂いもない!」

 

 その言葉が契機となり、ジャンヌがブラドの左側、俺は右側に散開してブラドを挟み込む。膨れ上がった下半身は人の比じゃねえな、歩く度に地響きが鳴ってやがる。あの巨体で踏みつけられでもしたら中も外もおしまいだな。

 

 ジャンヌの振るう剣が左足を斬り、一方で俺は右足を天使の剣で刺したが──太い。おぞましいジャンヌの太刀筋でも太い足は切断できず、傷口も煙が上がると何もなかったように塞がりやがった。太い腕が鎌のように前から迫り、俺は天使の剣を引き抜きながら背後に飛び退いた。何もない場所を通過したブラドの腕は睨んだとおりの凶器、これだと一撃で致命傷だ。

 

 それに比べて、俺とジャンヌの武器はブラドに何らダメージは与えていない。神崎の二丁拳銃から飛び出す大口径の弾も傷口から煙が上がり、次の瞬間には排出されてやがる。だが目玉模様の部位だけは別だ、傷は治ってるが流血の跡ができてやがる。例の魔臓だな、見える場所には三つあるが残りの一つは分からねえな。

 

「ガキ共、この程度で俺を逮捕できると思ってんのか?」

 

「焦るなよ、まだ戦いは始まったばかりだぜ」

 

「ラピュセルの枷!」

 

 刹那、ジャンヌの投げたナイフがブラドの足を穿つ。地下倉庫でキンジが受けた足を凍らせて動きを止める技だ。ジャンヌ、つくづく敵に回したくないと内心思うよ。今回はヤタガンの代わりに俺の貸したルビーのナイフから冷気が左足に広がっている。

 

「……おッ!?」

 

 楔となったナイフに縫い付けられた左足が、ブラドの巨体を静止させた。そして追い打ちをかけるべく、天使の剣で掌を切った俺は垂れる血で床に図形を描いていく。

 

「どこまでが、この程度だ?」

 

 足を捕らえられ、束縛されたブラドの視界を図形から放たれた閃光が焼いていく。図らずもジャンヌとの連係技にブラドは雄叫びにも似た悲鳴を上げた。

 

 日光ではないにしろ、激しい閃光はお気に召さなかったらしい。例の女には効果がなかったがブラドには十分すぎる足止めの効果。普通の吸血鬼なら、この隙に首を切り落として全部片付くが奴には魔臓がある。

 

 だが、殺せない相手には殺す以外のやり口もある。リヴァイサン──正真正銘の不死の怪物を相手にした経験が、妙に俺の心を落ち着かせていた。ヘリポートの縁に後退すると、ベレッタを抜いたキンジが合流する。身に纏う空気で分かるよ、どうやらなってるな例のきざったらしモードだ。

 

「遅かったな、遠山。私は逃げろと忠告したはずだが?」

 

「俺のご主人様は背を向けることを許してはくれなくてね。でも君が来てくれたことは驚いた。理由は聞かないけど、俺たちは千の味方を得たことになる」

 

「言ってくれる。お前も愉快な男だな、物事を掻き回すことが好きらしい」

 

 キンジとジャンヌのやりとりは貴重だ。横から眺めるのは悪くなったが──そんな時間はないらしい。止まっていた地響きが再開された。重苦しい殺気が地響きと共にゆっくり近づいてくる。

 

「……あんたの超能力、自力じゃ溶けないんじゃなかった?」

 

「三代前の双子のジャンヌ・ダルクは初代リュパンの力を借りることで奴と引き分けた。凍らせるだけで勝てる相手ならば優しいものだ。化物で済む話なのだからな。すぐにやってくるぞ」

 

「そうでもないわ。どうも気分が変わったみたいよ」

 

 動きを取り戻したブラドは携帯電話用の基地局アンテナに手をかけていた。俺たちには目もくれず、肥大化した腕でアンテナをむしってやがる。

 

「お次はなんだ?」

 

「良いニュースじゃないだろうさ。ジャンヌ、今は非常時だね。君から貰った情報をアリアと共有する。構わないかい?」

 

「既に私はブラドに刃を向けた。勝算がなければ、私が作る。可能である全ての方法を用いてな。アリア、遠山には伝えたがブラドには治癒力を司る器官が4つ、体のどこかに存在してる」

 

「……なによ、それ。その器官があいつの治癒の正体ってわけ?」

 

「ああ、器官には外側からでも分かるように目玉模様が描かれてる。そいつを同時に全部潰せば勝ちだ。奴は治癒力を失う」

 

 ジャンヌの説明を手短に補足すると、神崎は険しい表情でかぶりを振る。

 

「……とんでもないわね。心臓が4つあるようなものじゃない」

 

「悪いニュースってわけじゃない。魔臓は奴の体のどこか、デマオンみたいに宇宙に浮いてるわけじゃない。それを壊せば通常の武器でも十分なダメージが与えられる。バリアを剥がせば中は脆いもんさ。インデペンデンス・デイみたいにな」

 

「それなら今日が理子にとっての独立記念日になるわね」

 

「それ、悪くない言い回しだ。俄然やる気が出てきたな。ロキシーで独立記念日万歳と行くか」

 

 左右の肩と右脇の3つは分かる。残りの魔臓を探し出せるかどうかの勝負だ。最後の場所は過去に一度奴を見たことがあるジャンヌでも分からない。一ヶ所だけ目玉模様が消えているとは思えねえ、すると最後の魔臓は……普通では見つからない場所にあるのか。

 

「最後の魔臓は戦いながら探すしかないな。同時攻撃する時は──アリアがあの両肩の目をやってくれ。俺とキリ、ジャンヌの三人で脇腹と第4の目をなんとかする」

 

「……分かったわ。でもあたし、実はもう銃弾に余裕がないの。だから同時攻撃の時は『撃て』って言って。それまで、弾は節約するわ」

 

 弾切れ、か。神崎のガバメントはキンジのベレッタとの互換性がない。この中じゃ大口径を使うのは神崎だけだしな。使用者以外に.45ACPなんて持ち合わせてねえ。だがそこはSランク、神崎は背中から日本刀を2本抜いて武器を切り替えた。

 

「……人間を串刺しにするのは久しぶりだが、串はコイツでいいだろう。ガキ共、作戦は立ったか?」

 

 その場にはいなかった第三者の声で会話は打ち切られた。下劣な笑いを浮かべるブラドに全員の視線が集まると、その手に握られた物に戦慄が走った。口から刃物のような牙を見せるブラドの手には……へし折られたアンテナが金棒のごとく握られている。野郎、無茶苦茶しやがるぜ。とんでもない方法で武器を確保しやがった。

 

 串に見立てられたアンテナの重量感は考えるまでもねえな。あんなモノを振り回されれば、下手な建物や車なんて数分と持たず破壊される。種も仕掛けもねえ、力の塊みたいな武器だ。そして力の塊みたいな凶器を操れるブラドの腕力も人間を殺傷させるには十分すぎる。だがそいつがどうした、地獄の猟犬に体を引き裂かれるわけでも魔王と同じ檻に入れられるわけでもない。怯むにはまだ足りねえよ。

 

「作戦ならあるぜ、諦めないって作戦だ。大天使や悪魔の親玉、神の姉さんとだって戦える最強の作戦だよ」

 

「雪平、ウィンチェスターが厄介事を解決してきたのは認めてやる。だがその厄介事の半分を招いたのはお前たち自身とも聞く。てめえで撒いた種を枯らしては新しい種を撒く。自分で死を媒介してる自覚はねえのか?」

 

「──あるよ。考えたら止まらない。問題が解決したらまた別の問題がやってくる。いや、問題を解決する方法が次の問題を引き寄せる鍵になってる。どれだけ戦っても最後には血を見る、死の騎士の指輪なんて持ってねえのによ」

 

 ああ、お察しの有り様だよ。だが──

 

「だが、俺はハンターだ。怪物が関わってるなら傍観者じゃいられない。どこまで逃げても最後には戦うことを選ぶ。そういう『役』を演じる運命みたいだからな」

 

「遠回しな発言と意味深な発言を混ぜてるだけだ。聞くに耐えねェ」

 

 どすっ、とアンテナが落ち、屋上に地響きを立てる。

 

「ホームズ四世。雪平とリュパン四世に付いたのは間違いだったな。出来損ないは出来損ないを好むと言うがおめぇもホームズの推理力がまるっきり遺伝していないと聞いたぞ。物事を引っ掻き回す才能はともかく、肝心な部分が抜け落ちてるのは致命的だな。人間は遺伝子で決まる。優秀な遺伝子を持たない人間は──すぐ限界を迎えるからな。お前らの血は交配用として使ってやら」

 

「何度も何度も遺伝子とばかり、他の言葉を知らないのか?」

 

 遮ったのはジャンヌだった。

 

「もしやり直しを求めるのならば、それは過去ではなく今からだろう。やり残したことがあるのならば。それは過去に戻ってやり直すのではなく、この瞬間から、成し得なかった願いを、築いていかなければならない。理子に才能が受け継がれていないのであれば、彼女が培ってきた努力は、決して間違えではない。理子は既に答えを得ているのだから」

 

「ジャンヌ、リュパン4世に肩入れしてどうなる。平穏に嫌気が差したか?」

 

「平穏は欲しい、だが友人は捨てられない。分からぬかブラド。そんなものより、私は理子の自由が欲しいと言ったのだ」

 

 なんだよ、理子。頼れる理解者がここにいるじゃねえか。ああちくしょう、ちくしょうめ、いい女だ。いい女だぜ──ジャンヌ・ダルク。ここまで言われると俺が怯むわけにはいかない。いかなくなった。

 

「早死にする理想主義だ。ホームズ4世、てめえも犬……友人の自由とやらを望むのか?」

 

「あたしは理子の友人じゃないし、思ったこともないわ。理子はママの敵よ。けど、あたしが理子と一緒にいる理由は三つある」

 

 そして神崎も語りだす。

 

「一つ、あたしも理子もやるべきことがある。二つ、そのために倒すべき共通の敵がいる。三つ、だからあたし達は自分たちの意思で手を組んで一緒にいる。それを友人と呼ぶのなら好きに呼べばいいわ」

 

「欠陥品同士が手を組んだだけだろう?」

 

「発想のまずしいあんたには分からないでしょうね。先天的な遺伝だけで人の価値は決まらない。教えてあげるわ、邪悪な意思が自己正当化の道をたどる時、それがどんなに愚かな未来に続いているのかを」

 

 揺れねえな神崎。お前の意思は。無限罪のブラド、串を持った姿はそこに存在するだけで凄まじい威圧感を放ち、歩く度に地が揺れる。だが、俺たちの考えは満場一致、退路の選択肢はない。闇の中に佇立する怪物が、黄金色の目を細める。

 

「お喋りは終わりだ。遠山、率いてんのはてめえだな。覚悟はできたか?」

 

 分かってるよ。どうせいつもみたいに、きざったらしく答えるんだろ。そしてお前はなんとかしちまうんだろうな。なんとかするんだよ、遠山キンジって奴は。

 

「理子、死は避けられない。人はいつか死ぬ」

 

 三点バーストのベレッタM92FS。平賀さんに改造された拳銃が静かに構えられる。

 

「俺も死ぬし、切も死ぬ」

 

 死は等しくやってくる。神でさえ、最後は死の騎士に迎えられる。

 

「みんないつか死ぬ」

 

 ヘリポートの隅にいる理子へ向けて、キンジは言い放った。

 

「──だが今日じゃない」

 

 ぴきっ、と何かが砕け散った。それは雪の結晶だった。ランドマークタワーの屋上に猛烈な冷気が舞う。その寒気が夜の肌寒さのせいじゃないのは皆知ってる。それはかつて地下倉庫で見せた銀氷の魔女の切札。

 

「痛いのをぶっ食らわしてやれ! ぶちこめ、聖女様!」

 

 長話で力を蓄える時間は十分あった。聖剣に蓄えられた青白い光は、瞬く間に奔流となってブラドに向かい、地を這っていく。

 

「──『オルレアンの氷花!』」

 

 光る氷の結晶の渦が、蒼い砲弾となってブラドを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ランドマークタワーの屋上は巨大な氷の花が咲いたように広く凍結している。オルレアンの氷花──ゾッとする威力だよ。大木みたいなブラドの体を丸ごと飲み込みやがった。人を氷像に変えるくらいはわけねえよな。

 

「……どうするのよ、手錠嵌まらないわよ?」

 

「けど、このまま氷像を引き渡すわけにもいかねえだろ。ジャバ・ザ・ハットじゃあるまいし」

 

 串に見立てられたアンテナごと、ブラドは氷像に変えられ沈黙している。ラピュセルの枷と呼ばれた最初の一撃は足を止める程度だったが、今度は全身と周囲の床まで凍結が広がってる。完全なる沈黙、眼前にはあるのはまるで氷の牢獄だ。

 

 だが、俺たちの誰もが心のどこかで警戒を緩めてはいなかった。攻撃を放ったジャンヌ自身が言ったことだ。『凍らせるだけで勝てる相手じゃない』と……一転、氷像に亀裂が走り、皹が広がっていく。

 

「──!」

 

 ブラドを閉ざしていた氷の檻は倒壊し、嵐のような咆哮が耳を殴り付けた。服が、髪が、揺れていく。風じゃなく、音による振動で。怒り狂った雄牛のごとき雄叫びに俺たちは武器を落として両耳を塞いだ。心臓が跳ね、暴れる眼球を瞼で必死におさえこむ。全身の骨が異様な音を立てながら鳴る。体が沸騰し、何かが全身を這い回るような悪寒。内蔵を掻き回されてるみたいだ……

 

「──ガキ共。ワラキアの魔笛を聞いた気分はどうだ?」

 

 聞きたくなかった声が屋上に広がる。尻餅をついた神崎、ジャンヌは膝をつき、俺とキンジはどうして立てているのか不思議でならない。鼓膜が破れていないことに驚きすら覚える。アンテナはなくなっているがそのプレッシャーは顕在だ。神崎には小さくないスタン効果、キンジも酷い冷や汗を掻いてやがる。何かあったのか、今のブラドの咆哮で。

 

「ど……ドラキュラが、吼えるなんて……聞いてないわよッ!」

 

「……吸血鬼として見ない方が懸命かもな。なんともお行儀が悪い、繊細さは瓦礫の底か」

 

 しこたま酒を飲んだ後みたいな視界の中で俺はジャンヌから借りたCZを抜いた。ディーンの歌とルシファーの目覚ましと良い勝負だ。

 

「あ、あんた……トーラスはどうしたのよ?」

 

「さっき休暇に出ちまってな。これが終わったら花束持って迎えにいくよ」

 

 ジャンヌの銃だ。俺に扱いきれるかは分からねえがやるしかねえ。どこに流れるかは分からねえがな。ハイジャックでやった付け焼き刃の一剣一銃にまたしても手を染める。染めるしかないが──

 

「立ち尽くすな。なんとかしろキンジ!」

 

「なにやってんのよキンジ! もう殺傷圏内よバカっ!」

 

 ちくしょうめ、ブラドの前で仁王立ちかよ。頭がおかしくなったのか。頭を捻り潰されるぞ。総毛立つ思いで叫ぶと、弾丸のように飛び出していた神崎がブラドの脇腹を貫いていた。刺さった刀を一本だけ抜き、残った刀を足場に再度跳躍すると胸に一太刀。流れるように攻撃を浴びせる。そのお陰で、動きの止まったブラドの右目への照準は容易だった。

 

「──ガン飛ばすんじゃねえ!」

 

 神崎に続き、ジャンヌから借りた銃で攻撃に出る。放たれた弾丸が黄金の目を捉えるや青白い閃光が眼孔から吹き出した。

 

「何をした……?」

 

「猫の手も借りたいときだったからな。下衆の手は貴重。知恵を借りたんだよ、聖女様。神の書記の知恵」

 

 眼孔を捉えたのは、かつてメタトロンが提案した天使の剣を溶かして作った特殊な弾丸。材料が材料だからな、威力は折り紙付きだ。魔臓の恩恵で不死身に近いブラドだが、やはり痛覚までは消せていない。眼孔を天使の剣で刺せば誰だって立ち止まる。照準越しに巨体を見据えると、ブラドは光の吹き出した目をごつい手で覆い隠し、雄叫びを上げている。

 

 ブラド、お前に言わせれば俺やアダムは欠陥品だ。兄貴と違って天の使いに祝福を受けて生まれた存在じゃない。お前の大好きな優良種の血統としては不完全、欠けてる。だが欠けていたからこそ、俺はこの地を踏むことになった。それだけは感謝してる。逃げたことで巡り会えた出会いがあった。お空の上から逃げた大天使が異教の神に惚れちまったみたいにな。

 

「……雪平ァァァァァ!」

 

「ああ、そうだよ。俺は雪平だ、人間に味方した大天使と同じ。家族から逃げてきた一介のハンター、てめえの言う欠陥品だよ」

 

 だから、これは同じ出来損ないの家族からだ。標的を俺に固定したブラドが怒号のごとき足音を鳴らす。俺も制服から透明の瓶を取りだし、ライターを捻った。瓶に栓をしていた赤い布にライターから火が燃え移る。

 

「おい」

 

「あァ?」

 

 片目を押さえるブラドを呼び、俺は全力で腕を振りかぶった。

 

「言いたいことを纏めてやる。お前などヤギの口と交わっていればいい──くらえ、ケツ野郎!」

 

 乾いた音と同時に瓶がブラドにぶつかる。次の瞬間、燃料が飛散し、ブラドの巨体に火の手が上がった。聖なるオイルを使った特注の火、天使の剣の弾と合わせて出血大サービスだ。かつてミカエルが音を上げた火は吸血鬼でも効果なしってわけにはいかない。貴重な聖油を使った火炎瓶は前進あるのみだったブラドの足を止めた。似合ってんぜゴーストライダー。

 

「……聖なるオイルの火炎瓶か。原始的な発想だが笑えないな。誰が考え付いた?」

 

「トレンチコートの似合う元神様だよ。すぐにクビになったけどな」

 

 まあ、ジャンヌにすりゃ悪夢のような武器だろう。だが感想を話し合うのはロキシーでやったほうが良さそうだ。足止めにはなれどトドメには届かない。

 

「ねえ、今のであいつの魔臓もなんとかならないの?」

 

「いいや、それは無理だ。俺の手元にはもうオイルがない、それに見てみろ──火が沈火していきやがる。あれも魔臓の恩恵だ、俺もここまでとは思ってなかったよ」

 

 燃え盛るブラドに焦点を合わせたまま、俺はかぶりを振る。浴びせた火は独りでに沈火し、ブラドの体が元の黒い夜に姿を見せていく。普通に考えりゃ火傷も治癒能力の範囲内だ。攻撃は当たるが手応えのないまま、手元のカードだけが消えていきやがる。

 

「要は倒せないってこと?」

 

「一等航海士ギブスくんの言葉を借りれば、怒らせただけ。クラーケンをな」

 

 明るい火の手が消えたとき、ブラドの殺気はこれまで以上に濃密に膨らんでいた。黄金の瞳から憎悪が覗く。本気で怒らせちまったな。

 

「人間は犬、俺たちの餌だ。だが雪平、てめえが餌にならねえのはよく分かった。連携も何もありゃしねえ。てめえは好き放題に動いて、周りを引っ掻き回して煽る。味方にいても敵にいても不利益を撒き散らすだけだ」

 

「今頃気づいたのか。不利益を撒き散らして、泥を撒いて生きてきた。だからだよ、理子も夾竹桃も俺を" Wanheda "って呼ぶのはな」

 

 天使の弾丸は一発限りのカード。猛進するブラドの足に9mmパラベラムをあるだけ打ち込むが足は止まらない。弾倉をリリースすると同時にジャンヌと神崎が左右から斬りかかる。どこだ、どこにあるんだよ、魔臓はどこにある……?

 

「ガキ共。串刺しで済むとは思わねえことだ。いや、分かりやすく言ってやるか。血の一滴まで捧げな」

 

 徐々に戦況が崩れ始める。CZの残弾が僅かとなり、超能力を酷似したジャンヌの動きが鈍り始めた。キンジもベレッタで応戦するが命中精度も動きも例のモードに及ばない。俺たち全員が勘づいてる、この戦いは劣勢だ。

 

 振るわれた剛腕がデュランダルに激突する。肉を切らせ、傷から白煙を上げたままブラドは腕をスイングしやがった。食い込んだデュランダルごと、ジャンヌの体が背中からヘリポートに叩きつけられた……やりやがったな、それは人が鳴らしていい音じゃねえぞ……ッ!

 

「神崎、ジャンヌを救出だ! 急げっ!」

 

「分かってるわよッ!」

 

 残り少ない弾でブラドの両目を狙うが、ちくしょうめ。百発百中とはいかねえ、無駄な弾が流れていきやがる。ジャンヌはお前の主だろ、今は俺の言うことを聞いてくれ。

 

 俺とキンジの足元で排出された空薬莢がこれでもかと転がっていくが、標的を沈黙させるには足りない。神崎がジャンヌを抱えて離脱するが倒れたジャンヌは、戦える状態じゃなさそうだ……劣勢だってのに戦力が一人欠けやがった。冗談じゃない、致命傷だ。

 

「残りは三人だな。遠山、四人であの有り様なら勝負はついてる。選びな、引き裂かれるか、潰れるか。お前はどっちが好みだ?」

 

 ブラドが歩いてくる。濃密な殺気と明らかな戦闘の意思が見える。残ったカードで有効な手を探すには時間が足りない。裂けた口が視界いっぱいに開いたとき、ブラドの首に黄金が見えた……闇にも負けない明るい蜂蜜色が。

 

「──いつから四人だと、錯覚してたんだ?」

 

 俺は目を疑った。髪だ、ブラドの首に金色の髪が巻き付いてやがる。あれはハイジャックで理子が見せた髪を操る力だ。理子が、ブラドの背後を取りやがった……首に髪を巻き付けてブラドの背後にしがみついてやがる。

 

「──4世ッ!」

 

「ずっと待ってたこの時間を。アリア! キンジ! キリ!」

 

 ああ、分かってるぜ。俺たちは一瞬で理解できた。潜んでいた理子が姿を見せた意味。あいつは知ってるんだ、最後の場所を。神崎がガバメントを抜き、両手に二色の拳銃が収まる。これで拳銃は四丁、魔臓の数に追い付いた。

 

「あたしはお前みたいに笑えない。お前に檻に入れられたときから、心の底から自由を味わえたことも笑えたこともない」

 

 理子の髪の先端に何かが巻ついている。刻印の刻まれた刃物……あれはジャンヌに貸したルビーのナイフだ。

 

「勝負がついてるとか笑えない。ブラド、あたしはお前を倒さない限り──笑えないんだよ」

 

 理子の髪が動く。それが発砲の合図になった。神崎は両肩を、俺とキンジは脇腹の目玉模様を同じタイミングで撃ち抜いた。そして理子が操るルビーのナイフがブラドの……口を貫いた。

 

「理子……!?」

 

 動転するキンジの前に、くるりとルビーのナイフをほどいた理子が着地した。そうか、口じゃないんだな。ブラドの最後の魔臓の位置は口に隠れてる舌だ。悪魔や怪物の嫌うルビーのナイフを舌に突き刺すとはなぁ。理子、お前は顔に似合わず、本当にえげつけないことをする女だよ。

 

「ばぁーか!」

 

 皮肉を込めて舌を出した理子の後ろで、大木が沈むような音がする。実際、ブラドは大木だ。下敷きにされたら人なんて潰れちまう。前のめりに倒れたブラドに俺がかける言葉はあれしかない。

 

「yippee- ki-yay。ざまあみろ」

 

 神崎が理子に駆け寄ろうとしたとき、強烈な稲光が鳴った。神崎がまた尻餅ついてやがった。そういや、神崎は雷が苦手なんだっけか。ハイジャックは台風と出くわしたが今夜は雷か。理子は悪天候と何か縁があるのかもな。倒れたブラドにキンジが肩をすくめる。

 

「アリア、どうすんだ?」

 

「どうするもないわ。暇な増援がやってくるのを待ちましょう。こんなの人力で運べないわ。派手に騒いじゃったし、誰かが通報するでしょ」

 

「騒音被害や小火で済まねえだろうな。ロキシーでコーラを飲めるのは何日先になることやら」

 

 腫れ物には触れたくない連中も夜明けがくるまでには重い腰を上げるだろうさ。まあ、今度は俺がジャンヌを連れて病院に走る番だな。ブラドに性質が近い怪物と俺は過去に出会ってる。小夜鳴が興味を抱いていた煉獄は本来その怪物を幽閉する檻のことだ。神が彼等に付けた名前は──リヴァイアサン。だが名前と違って嫉妬には無縁の連中だ。頭の中にあるのは食うことだけ。無尽蔵の食欲であらゆる生き物を食い散らかす、人間や同じ怪物さえもだ。

 

 人間よりも遥かに古く、厄介な生き物。奴等は不死に近い。寿命はなく、手足を切り落としてもすぐにくっついて再生する。俺たちは首を切り落とし、殺すのではなく体の自由を奪うことで奴を処理した。動かなければ生き物を食うこともできない。そしてリヴァイアサンを倒せる武器は一回限りの消耗品だった。だから兄貴は武器のダミーを作って二段構えの策を立てた。失敗を見せつけ、相手が勝ち誇ったところで勝負に出る。理子と同じだ、不意を突いた。

 

 魔臓の破壊に一度でも失敗すりゃ、ブラドは警戒を強める。そうなったらチャンスはなかった。奴の魔笛の攻略の糸口なんざ、俺たちにはなかったからな。

 

「なあ、理子。魔臓って結局何だったんだ?」

 

「魔臓は人間にはない小さな内臓だよ。吸血鬼の無限回復力は魔臓で支えられてる。壊されると伝承に伝わってる吸血鬼の弱点が全部復活して、ブラドは日光の下を歩けなくなる。銀は猛毒に変わるし、ニンニクには強力なアレルギーを起こす」

 

「夜明けが来たら蒸し焼きってことね」

 

 ……弱点。例えられない寒気がして、俺は倒れたブラドに視線をやった。ブラドは吸血行為で自分の弱点を克服した。アルファや旧来の吸血鬼にはない日光や銀への耐性を血で獲得したんだ。

 

 

 なら、どうして血が流れていない?

 

 

 弱点を補っている要因がどうしてブラドの体から外に出てこない?

 

「……違う」

 

 体が痺れ、瞳が裂けんばかりに見開かれる。この感覚を俺は覚えている、とんでもない勘違いをしたとき──ルシファーの頭にコルトを撃ち込んで勝ちを確信したときと同じ感覚。一瞬、体が浮いたことで俺は悟る。戦いは終わってなかった。

 

 下卑た笑い声とほぼ同時に視界が真っ逆さまに逆転する。右横腹が切り取られたんじゃないかと思った。

 

「Fii Bucuros……ガキなりに創意工夫は認めてやろう」

 

 ……化物め。魔臓は全部潰れたんじゃねえのかよ。自分でもどうして受身を取れたのか分からない。あの女との連戦でオーバーワークなのは分かってたが天使の剣で突っ込むには足が言うことを聞かねえぞ。

 

「四世、お外の景色は十分堪能しただろ。放し飼いの時間は終わりだ。てめえが集めた犬は串刺しにして、死体はお前の檻に投げこんでやる。遠山の死体でも見れば外に出ようとする気も無くすだろ?」

 

 ……駄目だ。理子の目が戦意をやられてる。伸びる腕が理子を捕らえようとして、キンジが飛び込みやがった。いや、それよりもあいつが手にかけてやがるのは……

 

「窮鼠を猫を噛む。ブラド、人間を刺激すると何をするか分からないんだぜ?」

 

 理子を抱えて背中を見せたキンジが、その置き土産をブラドに投げつけた。それは理子が前からお気に入りと言っていた懐中時計だった。どうして時計をブラドに投げたのか。俺は夾竹桃から懐中時計の仕掛けを前以て聞いていた。音響は減音してるがそれは理子特注の偽装閃光弾。空間を焦がすような閃光を至近距離で浴びたブラドは、獲物を捉えていた視界を失った。

 

 間一髪のエスケープ。俺たちは横並びで武器を構えるが、仕切り直しとはいかない。武器も体力も取り返しがつかないところまで消費してる。確認するまでもなく劣勢だ。聞きたくもない地響きのような足音を再び耳が捉える。

 

「しつこいやつだ、食らいついたら離れないって顔。吸血鬼の映画はしばらく見ないで済みそうだな」

 

「それには同感。理子、あたしが何を言いたいのか分かるわね?」

 

「アリアの言いたいことは分かってるよ」

 

 十中八九、神崎が聞きたいのは魔臓のことだ。それについては俺やキンジだって聞きたい。魔臓への攻撃は成功したのにブラドは現在進行形で平然と活動してる。理子は俺たちに目配せして話を続けた。

 

「魔臓はよくできてる。一個でも残ってれば、他の三個をほんの一秒もかからず治せる。裏を返せば同時に魔臓を機能不全するには一秒……余裕があると思ってた」

 

「理子の見立てより魔臓の再生速度が早かったんだね」

 

「他には考えられない。あたしだって匙を投げてやりたいところだ」

 

「……ああ、そいつは同感。こいつはヘビーだ」

 

 理子には戦闘続行の意志が戻ってるが、一秒の誤差もなく4つの魔臓を機能不全にしないといけない。しかもブラドは一度弱点を狙われて警戒してる。

 

 理子が最後の魔臓の場所を知っていることも筒抜けになったんだ、それを踏まえて立ち回るのは間違いない。伏せていた手札は使い切った、さっきみたいな奇襲の一手はもう使えない……ヘビーだな。

 

「正面から立ち回っても勝機は見えないな」

 

「色男、今日は一段と変化が目まぐるしいな。どうやってオンとオフを分けてんだよ?」

 

「綺麗な華が二輪、変わらないと失礼だよ」

 

「悪いな、砂糖はいらないよ。エッグノッグ飲んで今夜はお休みだ。お前はその両手の華、絶対に離すんじゃねえぞ?」

 

「キリ! このドベ! こんなときに変なこと言わない!」

 

 誰がドベだよ、ちくしょうめ。

 

「神崎、弾はまだあるんだろ?」

 

「……あるわよ。最後に二発だけ隠してある」

 

「理子もあるよ、とっておきのが」

 

 キンジの相棒は言うまでもないな。平賀さんの恩恵を受けたベレッタが本当に勇ましく見える。

 

「こいつが最後の作戦会議だ。俺がブラドの動きを止める。その先はなんとかしてくれ。時間がねえから反論は聞かねえぞ」

 

 殺気立つブラドを見据え、俺は制服の内側からスキットルを取った。非常用に用意した最後の一本を。

 

「切、まだ切ってないカードがあるのか?」

 

「ああ、だが長くは足止めできねえ。捨て石になってやるから外すなよ?」

 

 スキットルの中身は血だ。俺の超能力を発動させるキッカケ。ジャンヌがダウンしてるのは悪いが好都合だよ。あいつはこっちの事情に詳しいからな。止められなくて済む──神崎たちの前に出るように先だってブラドとの距離を縮める。

 

「ブラド。お前もさあ、そろそろ楽になれよ。暇人」

 

 金色の瞳が不気味に弧を描いた。

 

「勝負を投げたか?」

 

「まさか、お前も知ってるだろ。いつだって勝ち目のない勝負を犠牲だらけの苦い勝利にまでもっていくのがウチのお家芸なんだよ。確かに俺たちは死ぬ、みんないつか死ぬ、だが──今日じゃない」

 

「ハッ──いくらでも頭を捻れ。その頭も砕いてやるがなァ!」

 

「サイズが小せえ服ばっか着てるから頭に血が回らねえんだよ。そっちこそ降参するなら今のうちだ、早く言わないと肺をひとつ叩き潰す──コンチネンタルホテルに逃げるなら今のうちだぞ?」

 

 こうなりゃ得意なことを存分にやってやる、狩りだ。微動だにしないブラドの前でスキットルを呷る。不味くて堪らないその災厄の血を嚥下した途端、目が焼けるように熱を持つ。まるで強膜に熱を吹き掛けられたように──

 

「あんたその目って……」

 

「化物を倒すには化物の力を借りればいい。5才の子供だって分かる、簡単な理屈だよ」

 

 変化はすぐに訪れ、肩越しに神崎へ俺は言葉を返す。そしてもう一度、一蹴するべき存在に視線をやった。変色しきったその瞳で──ブラドを射る。

 

「退路がない人間ほど、最後には凄まじい抵抗を見せる。それを教えてやるよ」

 

「まるで奈落の底の様な眼をしやがって、人の形をしているくせになんて様だ──お前、何に魂を売った?」

 

「決まってるだろ」

 

 俺は完全に色を失い、あり得るはずのない透明となった目のまま答える。

 

「──悪魔だよ」

 

 最初の悪魔──リリスと同じ透明の瞳で。

 




次回でブラド編解決です。本作では聖なるオイルと図形を多用しておりますが、お時間を頂き解説するとスーパーナチュラルにはコルトや天使の剣以外にも色々な道具が登場します。

中には相手を塩に変えたり、大量の虫を使役したり扱いに難しい物もありますが風呂敷が畳める範囲で登場させていきたいと思います。


『お前などヤギの口と交わっていればいい』S5、17、カスティエルーーー



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