哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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峰理子

 

 

 ひび割れた壁のモーテルで、いつもは空っぽの頭で息をしている自分が、そのときばかりは真顔で言った気がする。二番目の兄は白塗りのピエロが嫌いだし、勉強と野菜が大好きで高いところも飛行機だって平気だ。一番目の兄はピエロはへっちゃらな上に、野菜も勉強も嫌いで飛行機に乗るとパニックを起こす。

 

 何もかも正反対だ、とそう言った気がする。不思議そうに、たぶん少しだけ不安そうに。

 

 兄弟なのに、と聞いたので、兄弟だからだ、と一番目の兄は答えてくれた。兄弟だからこそお互いの欠点を庇い合えるように、互いに助け合って生きていけるように、亡き母が知恵を絞ってくれたのだ、と。

 

 得意気に言える顔が、少し羨ましくて、そんな答えは予想していなかったから呆気に取られてしまい、誤魔かすようにコーラの瓶を呷った。

 

 自分が二人の欠点と長所を同時に持ってしまったのは、二人の兄が仲違いしたとき、そのどちらの味方にも、どちらの敵にもなれるようになのかもしれない、家族の喧嘩を仲裁する為に。そう思うと、なぜか少し、おかしかった。

 

 

 

 

 濃密な殺気を向けられ、今度こそ原型を留めていない眼で眼前の巨体と視線を結ぶ。殺気を溜め込んだ黄金の瞳が、ほんの微かに細められた。

 

「──どいつもこいつも手を出したがらねえわけだ。首こそ繋がっちゃいるが頭がやられてる」

 

「いいや、お互い様だ。頭のなかがネズミのアパートになってるのはな」

 

「初めて見るぜ、雪平。口から泡を吹いた狂犬に自分からなろうとしてるは馬鹿はよォ」

 

 場違いにも指を鳴らした次の瞬間、ブラドから嗚咽が漏れた。ワラキアの魔笛──ブラドがそう呼んでいた空気砲は不発に終わり、僅かに膨らみかけた腹部が元に戻る。慢心している言動とは裏腹に、効果の見込める技で不意を狙っていたのだろう。現に狂った声量から放たれる咆哮は凶悪極まる飛び道具だが、燃料となる空気を溜め込む予備動作は派手だ。

 

 好き放題に浴びせてくれた殺気のお返しに、俺は悪魔の血と一緒に得た念動力で、空気を溜め込もうとしたブラドの腹を殴ってやった──ルシファーのように指パッチンで相手を塵や煙に変えることはできないが、深呼吸してる相手を悶絶させることはできる。先手を阻まれ、逆に不意の一撃を浴びせられたことで、黄金の瞳からはこれ以上ない怒りが滲み出ていた。そして、心底不機嫌そうな声で、

 

「……ふざけた()()がまだあるって面だな。今度は何だ、他のお友達でも呼んでくるか?」

 

 大木のような足音が一歩前へ、鏡合わせのように俺もヘリポートの地を蹴る。化物との連戦で鉛のように重かった足も血を飲むまでの話。スキットルを放り投げ、主から離れて転がっていた聖剣をインスタントの超能力で素手になった手に引き寄せる──

 

「ちょっと借りるぜ、聖女さま」

 

 首どころか体が両断されそうな勢いで振り払われた棍棒は、一時的に水増しされている反射神経と身体能力に物を言わせて掻い潜る。指を鍔に添えることも、鯉口を切ることも、牽制や威嚇と呼べる行為は皆無。とうに外気に触れているデュラルンダルの刃を、膨れ上がった体へ飛び掛かるようにして一閃。悪趣味な目玉模様の一つを斜めに引き裂いた。

 

 新たな傷が生まれた刹那、数秒の早すぎる治癒が始まるが魔臓を狙えばやはり足は止まる。一度は全部の魔臓を狙われたことで警戒心はこれ以上ない、一つでも傷つけば無意識に足が止まるようになってるんだろう。俺たちをぐちゃぐちゃにしたい気持ちはあれど、万一にも魔臓を潰されて敗北したくない気持ちが、あの化物に慎重な行動を踏ませている。

 

 誰だってそうだ。憎い相手は殴りたい、だが危険な橋は渡りたくない。人間も吸血鬼も。

 

「──死ね」

 

「いたしません」

 

 再度、凶器が振り払われる。異常な程はっきりと見えるその軌道から、体を倒して安全圏に。頭上に響いた空気を切り裂く音を尻目に、一度斬りつけた脇にある魔蔵に真横から一閃。計二度のカウンターを与えて、触れると即死のふざけた間合いの外まで下がる。

 

 ブラドの第二形態がそうであるように、悪魔の血でドーピングした俺の動きもさっきまでとは1ランク上の場所にある。気を抜けば、自分とは違った別の何かに意識を奪われそうになる感覚。恩恵とリスクを同時に持たらしてくる連中の血を強引に黙らせ、のたうち暴れまわるそれに鞭を振るって使役する。 

 

 スキットルの血の量から測るに、この恩恵を受けていられるのも数分そこいら。悪魔の元カノ(ルビー)から定期的に血を吸うことで自分の体に馴染ませていた兄とは違い、その場限りの最後の手段として血を飲んでいるだけの俺は、そこまでこの栄養剤と相性の良い関係にはなっていない。ましてやさっき飲み干したのはあの胡散臭い悪魔(ベルフェゴール)の血なんだからな。吐けるものなら吐きたい気分だ。

 

 少なくともこれが今の俺に切ることのできた最後で最強のカード。制限時間内に魔臓を警戒するブラドの動きを完全に止めて、背後の三人に目玉模様を撃たせる──それができれば勝ち、できなければ負ける。

 

「キリ、骨は拾ってやらないわよ!」

 

「頑張れの一言もないわけ?」

 

「応援なんて、無理矢理言わせても意味ないでしょ」

 

 実に神崎らしい言葉に、デュランダルの柄を握り直す。夜のヘリポートで聞こえるのはブラドの地響きにも似た足音のみ。餌はくれてやった、後は()()の機嫌次第か。自嘲めいた笑みと共に、下卑た笑いを浮かべるブラドに疾駆。他の一切を考えず、ジャンヌの聖剣を眼前の怪物に振るう。

 

 真正面から愚直に斬りかかるのは俺のみ。しかし、一度魔臓を狙われてしまったブラドにしてみれば、後方に控えている三人の存在を無視することもできない。一対一で切り結ぶより、今の状況はずっと勝ち目がある。双眸を怒らせ、振るわれる腕を改めて避ける。カウンターで振るったエストックに裂かれた腕の切り口から、派手に白煙が上がった。

 

「Fii Bucuros、ちっとは驚いたがそれまでか?」

 

「ちッ……!」

 

 ──早い。回避できない一撃にデュランダルとむしられたアンテナがぶつかり、ふざけた衝撃が頭から足の先まで駆け抜けた。

 

 トラックに跳ねられたような勢いで後ろに飛ばされ、視界が上下左右に目まぐるしく入れ替わるが体で暴れて止まないふざけた血が、こんな状況でも曲芸染みた着地を可能にしてくれた。

 

 ……なるほど、非常時以外に服用していない俺でもこの有り様だ。道理でリリスもアラステアも一蹴できたわけだよ。冷蔵庫に入れときたいとは思わねえけどな。後ろにふっ飛ばされたことで、すぐ背後には神崎やキンジがいる。そして、

 

「今のお前にデカいブーストがかかってんのは認めるよ。あたしとやったときの比じゃない」 

 

 二人より少しばかり前に出ていた理子が、横目を飛ばしてきた。

 

「安心しろ、非常手段だ。たぶん次はない」

 

 乱れそうな呼吸を整え、そう口にする。

 

「でもさっきの調子で夜明けまで引き延ばそうとしてるなら無駄だ。魔臓をどうにかしないと、紫外線もブラドには有毒にならない」

 

 苦々しく、本当は認めたくない声で理子はそう言う。こちらを窺うように足を止めているブラドを冷ややかに一瞥し、俺は理子に向けてゆるくかぶりを振った。

 

「餌は撒いた。もう少しだけ、そこで二人と肉薄しててくれ。足だけじゃない、完全にブラドの動きを止めてやる。あれだけ一族の因縁にこだわってたお前が神崎と手を結んだんだ、俺も気に入らない手の1つや2つは使ってやる。だから、お前は魔臓をぶち抜くことだけ考えてくれ、俺のルームメイトと一緒に」

 

 それに、

 

「あいつらのことはよく知ってる。吸血鬼の友達がいるからな。お膳立ては俺に任せてろ。化物を倒して、人を救う。それが我が家の仕事だ」

 

 ああ、家出した罪悪感を晴らすとするさ。ダブルワークだろうが、海を渡ろうが、結局はまだハンターでいるんだからな。地下倉庫では、星枷とキンジと神崎の三人に最後は丸投げだった。だから今夜は最後まで働いてやる。後味の悪い結末は本土で飽きるほど見てきた、今夜はまともな結末にしてやる。

 

「いつだってそうだ。どいつもこいつも自分から率先して酷い目に会いにくる」

 

「俺たちは酷い目にしか会ってねえんだよ」

 

 再開された足音に俺と理子の視線が同じ方向を向く。

 

「4世、頭数だけは揃えたみてえだが所詮は欠陥品の寄せ集めだ。ガキ共、まだこの俺に勝てると思うか?」

 

「その言葉、そっくりあんたに返してやるわ。ママの冤罪、99年分はあんたの罪。ブラド──懺悔の用意はできてるんでしょうね……!」

 

 真っ先に跳ね返ったのは神崎の声だった。足元が2つ、後ろからやってくる。

 

「ゲァバババハハハ! 俺に懺悔ときたか!」

 

「そうよ。ママに罪を着せたことも、理子にした仕打ちも、あたしをガキ呼ばわりしたことも、全部懺悔させてやるから!」

 

「付き合うよ、アリア。人間は弱くない、それを教えてやろう」

 

 どうやら言うまでもないらしい。俺もキンジも神崎も、考えは同じだ。勝つ気でいる。

 

「最初はどうでも良かった。ママの冤罪さえ晴らせれば、それが何より優先すべきことだって。でも今は違う、あたしは武偵で、あんたが理子にした仕打ちは見逃せるものじゃない。たとえあの子がリュパン家の人間でも」

 

 残されたチャンスは恐らく一度、御世辞にも太いとは言えない勝ち目、それでも勝つ気でいる自分たち。その、あまりの愚かさにそびえ立つ吸血鬼は笑う。それでも、

 

「この国に来て、あたしも少し学んだ。一つのことに凝り固まると周りのものが見えなくなる。あたしが見ている景色の他にも、違う世界があるってことを。教えてやるわ、ブラド。あたしたちはあんたが思ってるような弱い人間でも、欠陥品の集まりでもない──勝つのはあたしたちよ」

 

 そう、自信たっぷりに、名探偵の孫は床を足で踏み鳴らす。

 

「ああ、この戦いで証明してやろう。整然とした遺伝子の屁理屈より、不恰好でも、理子が努力し積み重ねた時間の方が遥かに真実だとな」

 

 我が物顔で空に浮かぶ黒雲の下、神崎を追いかけるようにキンジの叫びが響いたのち、今度こそ決着をつけるべくブラドの巨体が動いた。

 

「──?」

 

 不意に何かの遠吠えが夜を震わせ、ブラドの足が止まった。細く、悲しげにさえ聞こえる遠吠えは、階段から這い上がるようにして耳を串刺しにした。

 

「……こんなときに、例の犬っころかよ」

 

 苦々しく、理子が舌を鳴らす。一方、ブラドは醜悪に歪んだ笑みを作る。

 

「頭数の利もこれで消える、終いだ。ガキ共、串刺しか餌になるか。これで選択肢ができたなァ」

 

 両手に小太刀を構えた神崎が、階段に向かい反転する。やがて唸り声に足音が混じり始めた。ああ、確かに、終りの合図だ。

 

「いるなら、さっさと姿を見せなさいよ! 一体どこに──」

 

「待て、アリア。もういる、もういるんだ……」

 

「は? こんなときにバカなこと言わないで。キンジ、あんたの眼は節穴? 一体どこに……何にも見えないじゃない」

 

 かたん、と神崎の足元に転がっていたガバメントの空薬莢が、独りでに跳ねた。声を殺した神崎の下、床に散乱していた空薬莢が何かに踏まれていくように、不自然に動いていく。しかし、そこには何もいない。みんなには()()()()()()

 

「何よこれ……何かいる…」

 

「撃つなよ、二人とも。宥め方は知らない。二回も殺されるのはごめんだからな」

 

「キリ……?」

 

 感嘆するよ、キンジ。ギアが入ったときのお前は本当に鋭い。長話の間に、間に合うかどうかは微妙なラインだった。だが、どうやら今夜の食事は不味かったらしい。あるいは餌やりの時間を忘れたか、どっちにしても連中の怠慢は好都合だ。

 

 白銀の毛並みも、影すら見せないブラドのペット。しかし、ヘリポートには獣の吠える声が響いて止まない。そんな矛盾した状況の最中、ブラドに向けて言ってやる。最悪で、本当に気に入らない手を取らされたことへの、畏敬と感嘆とこんちくしょうを込めて。

 

「俺にもペットがいるんだ、今できた」

 

 グルゥゥと何もない両脇から()()は吠える。

 

「てめえ、何を呼びやがった……!」

 

「犬、大好きだろ?」

 

 そう、それは目には見えない驚異。一度匂いを嗅いだ人間は地の果てまで追いかける連中御用達のペット。かつて俺の五体を爪と牙でぐちゃぐちゃにしてくれた怨敵を従え、俺は今一度深く息を吸い込む。

 

 相手は無限に傷が回復する化物、遠慮はいらない──好きにやれ。

 

「血祭りだぁあああッ!」

 

 号令と同時に、俺が招いた地獄の猟犬たちが一斉に遠吠えを上げて、ブラドに駆けた。

 

 目測で数えられるのは8体、そのおぞましい姿をこの場で黙視できるのは悪魔の血を飲んだ俺だけ。ブラドが空気砲を放つ動作に入るが、体に空気を溜め込むよりも早く、猟犬たちが懐に入いり込んだ。殺傷圏内、奴には見えてはいないがな。

 

 犬とは名ばかり、その牙と爪がどれ程のものかは身を持って味わった俺が一番知ってる。相手はイ・ウーで二番目に強いとされる化物、正攻法で足止めできるなんて思ってない。いつもは逃げる側だが今夜限りはけしかける側だ。俺が下した命令に従い、一撃で皮膚を切り裂いて致命傷を与える不可視の爪と牙が、一斉にブラドの巨体へ襲い掛かった。

 

「う、ぐゥ……!?」

 

 ブラドの体のあちこちから白煙がある。けしかけた猟犬たちは膨れ上がったブラドの肉に噛みつき、あるいは爪を立てて各々に傷口を広げる。同時に魔臓を狙えなんて細かな命令はとてもできないが、地獄産の野良犬が噛みついてくれたお陰でブラドの動きが止まった。

 

 一度噛みついた獲物は、鉛弾でも撃ち込まれない限りは離そうとしないのが地獄の猟犬。この犬っころに疲れやスタミナの概念はない。ブラドに刻まれた傷口には爪、牙が刺さったままだ。そのせいで永遠と白煙が噴き出している。楔を打ち込まれたようにブラドの体は動かない。ざまあ見やがれ、これでがら空きだぜ。

 

「……無茶苦茶やるわね。目に見えない狼って、あんた……あれも後から説明しなさいよ!」

 

「知り合いのペットだ、応援に呼んだ。んなことより、もうちょっとで栄養剤が切れる。あれがペットでいてくれるのは今だけだ。キンジ、さっさとやれ!」

 

「ああ、味方でいてくれるなら何も言わない。頼もしい援軍だ。理子! アリア!」

 

 ここが好機。言われるまでもない、とキンジのベレッタと神崎のガバメントがブラドに向く。俺は猟犬を従わせるための血を押さえ付けるのが精一杯、これ以上の支援はやれない。とっておきがある、そう言っていた理子が真横を走り去る。

 

「──4世!」

 

 駆ける理子に──ブラドは叫び……おい、冗談だろ……力ずくで猟犬を振り払う気か……? 仮にもメグの愛犬に手足ごと噛みつかれてるんだぞッ!?

 

「キンジ、目だ! 奴の目を先に撃てっ!」

 

「駄目だ!」

 

「何でもいい、まだ一手足りない! あのクソ犬共が振り払われたら終わりだッ!」

 

 切羽詰まって声を荒げるがキンジも──ベレッタの残弾に余裕がない。弾薬のストックのない俺も、余裕のない頭を必死に探るがどう見ても薄まっていく超能力の気配に、策を練る余裕なんてない。

 

 認めたくないが猟犬と超能力なしであの化物は止められない──が、既に理子は覚悟を決めて、魔臓の隠れた舌を狙うように足を走らせている。これが最後の攻防、失敗すれば今度こそ弾薬は切れてブラドを倒す手段はなくなる。

 

「ゥ、ァアアアアァァァ!!」

 

 猟犬に噛みつかれて、それでも無事だった人間は見たことがない。ブラドは人間じゃない。手足はおろか胴体に噛みついた猟犬たちの体が、尋常じゃない力の前にゆっくりと揺れ始める。

 

 冗談じゃない、今の今までさんざん人の隣人を食い殺してきて、それが今さら吸血鬼一体押さえ付けられないなんて冗談じゃない。他に、あいつを縛れる何かがあれば──

 

 

 

「──あと一手あれば届くんだな?」

 

 

 

 

 刹那、強烈な冷気が背中を撫でた。体に澄み渡るようなその存在感に、この上なく口角が歪む。ああ、もう──敵わないなぁ。

 

「よくぞ、ここまで持ち込んだ。誉れにするがいい」

 

 渾身の力で、手元にある聖剣を後ろに放り投げる。ブラドの黄金の瞳が収縮し、俺の隣を銀色が駆けた。

 

「地に堕ちる時だ、ブラド」

 

 銀氷の魔女が投擲槍のような手つきで投げた聖剣が、ブラドの影に突き立つ。猟犬に噛みつかれても尚、暴れていたブラドの動きが凍ったように静止した。まるで放たれた聖剣に影と一緒に縫い付けられたように。

 

「人間が、俺を縛るだとっ……!」

 

「お前も理子を檻に縛り付けたのだろう? 世間ではこれを因果応報と言うそうだ」

 

「たかが地獄の猟犬に噛みつかれて、身動きができねえだけだろ。俺にしてみれば地獄の表面もかすってねえ、魔王とルームシェアしてみろ。世界が変わって見えるぞ?」

 

 聖剣に縫い付けられ、猟犬に噛みつかれ、ついに身動きできなくなったブラドから苦心の叫びを絞り出した。これが俺たちの持ちうるカードを全てテーブルに投げつけた結果、ばら蒔ける物を全部ばら蒔いた結果だ。とりあえず、五体満足で息はしてる。

 

 俺とジャンヌによる二重の呪縛。パトラに呪われる前の最終形態のことは分からないが、いくらブラドでも今の姿のままでは二重の呪縛を自力で抜け出すのは不可能だろう。流石にこればかりはパトラに助けられたな。少なくとも俺が飲み込んだ血の効力が失せるまではブラドは棒立ちだ。

 

 お膳立ての終わった俺とジャンヌは、事の顛末を見届けるだけ。いくら同時に撃ち抜く制約があれ、動かない的を外すような三人じゃない。

 

「ブラドぉ!」

 

 手向けとばかりに神崎が叫ぶ。

 

「4世ィィッッッ!!」

 

 憎悪と怒りに満ちたブラドの目に見下ろされながら、理子が胸の谷間から超小型銃(デリンジャー)を抜く。これで、魔臓の数と銃が並んだ。

 

「そう呼べるのもこれで最後だよ、ブラド。あたしの名前は理子。お母様がくれた、祝福と一緒にくれた──最高の名前」

 

 やってやれ、理子。ずっと言いたかったことを言ってやれ。

 

「──La victoire est à moi(あたしの勝ちだ)

 

 祖国の言葉と共に、乾いた発砲音がーー夜に響いた。

 

 

 

 

 

「あれほど私はやめておけと忠告してやったのだがな。まさか地獄の猟犬まで……正気か?」

 

「一度でも俺が正気だったことがあるか?」

 

「自慢気に言うな、バカかお前は」

 

「知り合いの悪魔が飼ってた犬なんだよ。昔、その悪魔にちょっとだけ恩を売ってな、呼び出すまじないを教わった。とは言っても悪魔の血を飲んでるとき限定のまじないで、まさか俺も使うことになるとは思わなかった」

 

 自分でむしり取ったアンテナの下敷きになって倒れているブラド。それを見下ろしながら、俺とジャンヌは軽口を飛ばし合う。

 

 メグが残していた地獄の猟犬を呼び出すまじない、とうの本人も俺が血を服用するとは夢にも思ってもいなかっただろうさ。半分はからかうつもりで教えてくれたまじないを、今になって使うとはな。

 

 存分に活躍してくれたデュランダルを携えながら、ジャンヌは疲労を込めた吐息を夜に捨てる。

 

「相手が相手だ。形振り構っていられる相手でもないか」

 

「お陰で肌はボロボロ傷だらけ。なあ、アロエ持ってないか?」

 

 三人が撃ち抜いた魔臓はその機能を失った証として、これまでに溜め込んでいたと思われる血液を傷口から次々に放出し始めた。お陰で倒れているブラドの床は自分の血で真っ赤に染まり、ペンキを溢したような悲惨な光景が広がっている。背中には武器にしていたアンテナがのし掛かり、これも皮肉なことにブラドの苦手な十字に巨体と重なるような形で倒れていた。

 

 自分の体で、自分の苦手な十字を描くなんて皮肉が効いてるよ。さっきからボソボソとルーマニア語を呟いてるが、ビザを配達するのがやっとの俺には理解できなかった。いや、ちょっとだけ聞き取れるな。

 

 ……でもこれって、俺の記憶が正しいなら……ルーマニアの国歌だぞ。和訳だと──目覚めよ、ルーマニア人。

 

「……」

 

「どうした?」

 

「いや、なんでもない。あんなもの飲んだせいかな、ボーッとしてた」

 

 ブラドは再起不能だ、それは間違えない。なのに、言葉にならない寒気が背中を走り去った。いや、いつでも最悪の結末を考えるのは俺の悪い癖だな。俺たちは勝った、それが全部だ。

 

「ヘリが来たわよ。あれだけやったにしては遅い出勤だけど」

 

「朗報だ。俺たちだけでこいつを抱えて走るのは無理がある」

 

「まっ、あんたのbabyにも乗らないわね。レスキュー隊でも呼んでもらいましょう。自分で折ったアンテナなんだから。自業自得よ」

 

 神崎はブラドを一瞥し、ゆるく首を振った。確かに自業自得だか。このアンテナを折られたことで、被害を被る人たちもいるわけだし。まさか力ずくでむしり取られたとは露にも思ってないだろうけど。

 

「さっきの犬のこと、後で聞かせなさいよ? あんなの初めて見たわ」

 

「言ったろ、友達のペットだよ。ピザが好きで少し過激な女のペット」

 

 はぁ……非常時とはいえ、よりにもよって地獄の猟犬を頼りにしちまうとはな。懺悔の用意が必要なのは俺の方か。苦い結末にはならなかったが自己嫌悪に陥りそうだ。

 

「んで、理子は?」

 

「キンジとお話中よ。あの子、初代リュパンを超えるだの超えないだのってこだわってたから、今はまだ気持ちの整理が追いついてないんじゃないかしら」

 

「ふ、宿敵であるブラドを討ち、目標である初代リュパンもなし得なかったことを果たした。これで多少は肩の荷も降りたことだろう」

 

「少なくとも気分は晴れただろうさ。ずっと努力してきたんだ、少しくらい休んでもあいつのご両親も文句は言わねえだろ」

 

「そうね。って言うか、あんたって親の話になるとマトモになるわね」

 

「家庭の事情」

 

 それに、あそこまで一途に母親を思えるのはそれはそれですごいことだと思ったんだよ。祝福と一緒に、母親がくれた名前か……

 

 サミュエルとディアンナ、メアリー・ウィンチェスターは亡き両親の名前を生まれてくる子供に付けた。彼女もまた、祝福と一緒にその名前を贈ったのかもしれない。

 

「似合わない顔だな」

 

「お構い無く」

 

「お前が静かなときは何かある」

 

「普段は喋りすぎか。ったく、夾竹桃みたいなこと言うなよ。ほんと、仲良くやれそうだ」

 

 どこまでも鋭いジャンヌに苦笑いする。一度は敵対した相手と肩を並べて戦う、本土にいた頃を思い出した。それが魔女なんだから尚更だ。正直に言うと、、、ついてきてくれてかなり安心しましたよ。今度ははっきりアイスブルーの瞳に目を合わせる。

 

「ジャンヌ、今夜は助かったよ──Hoo-yah」

 

 皮肉も冗談も抜きで、俺は言った。すると、ジャンヌは不思議そうな目でこっちを見てくる。

 

「それは海兵隊ではなく、海軍だろう?」

 

 ……そういうことか。そういや、親父が海兵隊ってことも聖女さまは知ってるんだよな。

 

「それは、そうなんだが……」

 

「海軍なのよ、マクギャレット少佐が」

 

「神崎?」

 

「なによ、トーマス・マグナムだった?」

 

「いや、少佐であってるんだけど……あってるんだけど、開いた口が塞がらないっていうか……」

 

 予想外の場所から狙撃され気分。

 

「誰だ?」

 

「軍人よ、元海軍の特殊部隊。二人ともアフガンに従軍してたはず、回数は知らないけど」

 

「海軍の特殊部隊……『Navy SEALs』か?」

 

「そっ、今はハワイの特別捜査班と私立探偵だったかしら」

 

「常夏の楽園か。国の為に尽くしたのなら、安らぎを求めるのもまた当然の自由だろう」

 

 おい、神崎。ジャンヌは元誘拐犯とは思えないレベルで真面目なんだぞ。この微妙な罪悪感、どうすればいいんだ。ハワイはハワイでもテレビ画面の中のハワイなんだぞ。

 

「思わぬ方向に舵が取られた気がするが?」

 

「……そうね。DVDでも貸してやりなさい」

 

「そういや、俺がやったヴェロニカマーズのDVDは結局見たのか?」

 

「すっかり忘れてたわ」

 

 ふと、思い出したことを聞いてみるが案の定だった。まあ、神崎は推理ドラマより動物番組の方が好きそうだ。平然と溢れてくる真実は、むしろ清々しく、俺も笑いそうになる。

 

「理子とキンジが良い感じになってるが止めに行かなくていいのか? あれって映画ならキスに行く場面だぞ?」

 

「……は、はぁ!? ちょっと、嘘でしょ!?」

 

 事実、少し離れた場所で良い感じの空気になっていたのだが指摘してやった刹那、神崎は躊躇いなしに横槍を挟みに行くのだった。どこまでも正面突破って言葉が似合う女だ。

 

「あの愚直さも今夜ばかりは頼りになったな。本人には言わんが」

 

「頼れる隣人か?」

 

「恐い隣人。キッチンに立たせたときは特にな」

 

 まだ晴れない曇り空を仰ぎながら、言ってやると──

 

「理子は、何といえばいいかのか。彼女はアヒルに似ているのだ。涼しい顔で進めてるように見えても、水面下では小さな足を必死にばたつかせていたりする」

 

「アヒルか。確かに、そうかもな」

 

 努力を他人に見せようとしない点では確かに言えてる。

 

「優しいんだな?」

 

「お前に言うのは間違いだったがな」

 

「でも聞いた」

 

「一つアドバイスしてやるが、『ざまあ見ろ』という言葉はとても失礼だぞ?」

 

「言ってない」

 

「顔がそう言ってる。強いものは好きだ、それが身体でも心でもな」

 

 微かに口許を緩めて、ジャンヌは言った。俺が苦笑いする様を、得意気にアイスブルーの瞳が眺めてくる。なので俺もかぶりを振り、元に戻った自分の目を向けつつ聞いてやった。

 

「久しぶりにアクションが恋しかった?」

 

「いいや、私が欲しかったのはあれだ。あれが報酬」

 

 と、その目がどこに向いているのかは言うまでもなかった。理子の自由──確かに報酬は貰えたな。別に無料の依頼だったわけじゃないか。なーんだ、意外とロマンチストなんだな。

 

「なあ、やっぱりさ。お前って本当は優しいんだよ。優しいけど、誰かに指摘されるとつい反抗したくなる、魔女だから。分かるね?」

 

「アリアがお前のことをまだ撃ってないのが本当に驚きだ」

 

「撃たれかけたことは……もう何回もあるけど、キンジ共々。それと、これありがとう」

 

 差し出すのは残弾の切れたcz100。臨時で借りていたジャンヌの拳銃。それを受け取った顔は随分自慢げだ。

 

「お前も乗り換えるか?」

 

「考えとく。予備に一挺あれば心強いかもな」

 

 一夜限りだが、しっかり仕事を果たしてくれたパートナーに感謝していると、腕組みした神崎が無言でこちらに視線を振った。俺もジャンヌに横目を向け、

 

「『おいで』って聞こえた」

 

「ああ、私も聞こえた」

 

「ん、ちょっと待てよ。理子はブラドを倒したことで、初代リュパンを超えたんだよな?」

 

「彼が成し得なかったことを理子は成し遂げたのだ。当然だろう」

 

「ってことは、お前も三代前のジャンヌ・ダルクの双子を超えたってことか?」

 

 ジャンヌは一瞬だけ目を大きくするが、すぐ何事もなかったように歩き出した。だな、聞くのが野暮だった。

 

Follow me(ついて来い).ウィンチェスター。私たちもヒーローインタビューと行こう」

 

「ご機嫌な様子で何よりだよ。功労賞で俺にも何かやってこねえかな」

 

「お前は何が欲しいんだ?」

 

 ……えっ?

 

「……もしかして、御褒美くれる?」

 

「それなりに気分が良いのでな。言ってみろ」

 

「冷えたコーラってのは?」

 

「安い出費だ」

 

 それ一番聞きたかった言葉だ。変なもん飲んだせいで、いつもの5倍は美味く感じそう。予期してなかった報酬に足取りも軽くなった。

 

「終わったな、理子」

 

「うん、終わった」

 

 と、柔らかな声で理子は答える。空には神奈川県警と思われるヘリが、こっちに向かっているのが見えた。さて、ブラックボックスを突いたお咎めはどうなるか。

 

「で、理子。あんた、これからどうするの。逃げようってんなら捕まえるわよ。邪魔するならジャンヌごと、ママのことは何があろうと証言させてやるんだから」

 

 一転、勝ち気な態度で神崎が問う。母親の裁判での証言、それが理子が神崎に持ちかけた今回の報酬。ガバが弾切れとはいえ、無下にするなら力ずくも辞さない態度だな。手負いの神崎に睨まれた理子は、首もとに垂らした青い十字架を一瞥してから、

 

「──やめだ。リスクが見合わない」

 

 溜め息混じりにそう言った。

 

「理子?」

 

 最初に名前を呼んだキンジ、そして神崎を順に見据えた理子が、改めて言葉を続けた。

 

「した約束は守るって話。証言してやるよ、オルメス。お前にあたしが捕まえられるとは思えないけど、あんなプレデターみたいな野良犬に追いかけられるのはあたしもゴメンだ」

 

 最後に不愉快そうな顔で、理子が俺を睨んでくる。あんなぶっそうなペットは二度と使役できないし、したくもないのだが──理子が自分から証言してくれるって言ってるんだし、何も言わないでおく。元々、理子は理子で律儀というか、誇り高いところがあるし、今になって約束を無下にしてたとも思えないが。

 

「追いかけられた経験から言うと、確かに生きた心地はしなかった。もういいよ、クソ犬どもの話は。餌を貰いにもう家に帰ってる。てことで、これでめでたしか?」

 

「ブラドを倒して、みんな生きてる。とりあえずはそれで十分じゃないか?」

 

「そうね。あんな化物が相手だったんだし、良すぎるくらいの幕切れかもね。あたしをガキ呼ばわりして、何がアリアよ。勝手に薔薇の名前なんかに使って……何かおかしいと思ってたのよね」

 

 ……薔薇?

 

「なんで薔薇?」

 

「小夜鳴先生が品種改良した薔薇を庭に咲かせてたんだ。その名前がまだ決まってなくて」

 

 キンジが一転してご機嫌斜めになった神崎を目で示す。なるほど、キザなことで。

 

「あれも実験だったんでしょ。17種類のバラの長所を集めた優良種って自分で自慢してたし」

 

「17種類か、また随分とサラブレッドな」

 

「ふむ……潜入したのが私なら、その薔薇は私の名前になっていたということか」

 

 ジャンヌが真面目な顔して、変なことを言うのも慣れたもの。こんな気楽な言葉が飛び交ってる辺り、確かに平和な幕切れだ。

 

「喜んで譲ってあげるわ。別に、薔薇に自分の名前が付けられたからって……」

 

「俺は良い名前だと思うよ。あの薔薇にはぴったりの名前だ。アリア──君の目の色を盗んで作ったみたいに、とてもお似合いだよ」

 

「……あ、あんた、は、きゅうに、なに、を……っ…!」

 

 ……こほん。

 

「なあ、理子」

 

「なんだ?」

 

「おまえあれ、天然でやってると思う? もしくは女口説くぞーって意識してると思う?」

 

「今に始まったことじゃないだろ」

 

「そうなんだけど。なんか、すげー悪いやつだなぁとか思いながら見ててさぁ。騙されるなよ、ジャンヌ」

 

「誰に?」

 

「男だ。正確には悪い男。捉えどころなくて理解は困難、嘘のセーターで女をくるんで暖めはするが、いつかは首の回りがチクチクしてくるぞ」

 

 おい、何でお前も理子も俺を見る。あっちだあっち、あっちを見ろ。俺が自爆したみたいだろ。

 

「あ、あたしがあの薔薇なら……り、理子! あんたは青薔薇ね!」

 

 キンジの口説きから逃げるような勢いで、神崎は理子を指で差した。青い薔薇? 自然となんでも知っていそうな隣の魔女に目が行く。

 

「黄色じゃなくて?」

 

「青い薔薇は長らく、存在しないと言われ続けていたのだ。自然界には存在しない花。花言葉も存在しないという意味を含めて「不可能」とな」

 

「ええ、でも今では存在しない花じゃなくなったの。だから、その花言葉も変わった。「不可能」から「夢が叶う」に。それから──神の「祝福」にね?」

 

 穏やかにそう告げる神崎に、俺も納得した。今夜、理子は絶対に倒せない、不可能と思っていたブラドを倒した。ずっと不可能だと思っていたことを実現させたんだ、神崎が語った──青薔薇のように、不可能を書き換えた。

 

「ああ、それに理子も言っていただろう? 君の名前は理子のお母さまが「祝福」と一緒にくれた名前だってね」

 

「キンジ……」

 

 祝福──だめ押しの言葉に理子から小さな声が漏れる。

 

「切はいい台詞はいつだって悪役だって言ったけど、理子に悪役(ヒール)は向いてないよ。君は悪役でいるには優しすぎるし、似合わない。だって君の名前は──祝福と一緒に付けて貰った、最高の名前なんだから」

 

 ……ちなみにこれ、悪い男ね。かなり悪い。もう言葉にならないくらい。

 

「……甘いな、お前も、アリアも。礼は言わないよ?」

 

「そんなの期待してないわ。キンジは知らないけど、あたしは言いたいことを言っただけ。節操のないバカキンジは知らないけど」

 

 ギロっと、緋色の瞳でキンジを睨み付ける我が家の総大将──じゃなかった、居候。これもキンジなりの祝福なんだよ、たぶん。

 

「とにかく、俺たちは勝ったんだ。勝ち目の薄い戦いにこうしてみんなで勝った。明日がどうなるにしろ、今日はみんなで生き残った。人は全力を尽くせば達成できる、できると信じなきゃ」

 

「そうね、ケチなハンターの言う通りよ。『無理』『疲れた』『めんどくさい』は人間の持つ無限の可能性を押しとどめるよくない言葉。自分を信じなきゃね」

 

 ケチは余計だよケチは。

 

「さて、そろそろヘリもご到着だね。ゾンビもいないし、墜ちないでしょ」

 

 と、いつもの調子に戻った理子が伸びをする。そして、

 

「んじゃ、キリくん。いつものやって。あ、今日は理子でお願いね?」

 

 ひまわりのような笑顔に不意を突かれ、俺も苦笑する。背後で倒れているブラドを一瞥し、近づくヘリのローター音に逆らうように、俺はその言葉を贈った。

 

「──Book'em(ぶちこめ),理子」

 

 

 

 




『人は全力を尽くせば達成できる、できると信じなきゃ』S15、19、ジャック──

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