「知ってるわ。そういう幽霊話は全部作り話だって」
「分かってないなぁ。この話にはちゃんとした確証があるの。次の日新聞にも出たんだよ。だから──」
「1940年の新聞でしょ」
「そう」
「信頼できるわね」
「でしょ?」
理子は早速というか、神崎を弄びに走る。温泉宿を舞台にした幽霊話。要は怪談を始めたが神崎も日が明るい間に怯むほどではなかった。
「ええ、魂胆は分かってる。乗らないわよ」
「魂胆って?」
「ここは温泉宿、あんたの言ってる話と同じ舞台。ってことで怪談で仕込んであたしのことをビビらせようって考えでしょ? 無理、あたしの心臓鋼だから」
雷にビビる鋼の心臓だけどな。
「別に昔話をしただけで」
「あたしの心臓鋼だから」
神崎、残念だが見栄を張ってるのが丸分かりだぞ。長い廊下を通して、襖を引くと奥には見事な和室が広がっていた。各々に反応を見せるがみんな好感触だな、俺も同感。埃っぽいモーテルよりずっと良いよ。各々で鞄を下ろし、インパラと別れてから歩きっぱなしの俺も畳に胡座をかいた。
部屋の外ではハイマキがレキから貰ったご飯にありついている。武偵犬に転職してもハイマキは狼、畳に上がらせるわけにはいかないしな。そもそも狼が泊まれる旅館なんて他にあるのか?
「女将さんと綴先生って古くからの知り合いなんですよね?」
綺麗な手つきでお茶を汲んでくれる女将さんは、手を止めずに理子に答える。
「昔、一緒に仕事をした仲でね。今でも連絡を取り合う仲なんですよ?」
先生のメル友か。この宿を紹介してくれたのもその繋がりなのかな。
「先生と組めるなら、あの機敏な動きも納得です。普通は背後に立った途端、グロックに頭をやられる」
「貴方のお話も聞いてますよ。綴が教え子を愛弟子とまで言うのは珍しいですから」
「師には遠く及ばない愛弟子ですよ」
誉められたことで先生も御満悦の様子だ。まあ、尋問の技術は先生に遠く及ばない。性格や人格はどうあれ、先生の尋問の腕前は日本で五指に入る。対して、俺が本当に専門とするのは──人間じゃない連中への尋問だ。
「女将はこう見えて腕利きの武偵だったんだ。しかし腕は鈍ってないみたいだな?」
「鉄火場はご無沙汰だけどね」
「どうして武偵を辞めたんですか?」
「あの実力なら第一線を退く必要もなさそうだが……」
窓の景色を眺めていた神崎が振り返って、ジャンヌも追って質問を投げた。
「元々、先祖代々温泉が好きな家系だったんですよ。言うなれば家庭の問題かしら」
「ご先祖は、世直しするじいさんを影から支えるくノ一だっけか?」
「ええ、他にもお供がいたみたいだけど」
「家庭の事情で温泉宿ですか……」
「これはこれで楽しいんですよ?」
後悔はない、女将さんはそんな顔を向けてくる。悪い癖だな、家庭の事情と言われると自分を重ねそうになる。
「自慢の温泉だからのんびり味わってくださいね」
「ちなみに女将は還暦だ。口説くなよ、愛弟子ぃ?」
……先生、注意するのは二回目だぞ。目を丸くして皆が驚愕に叫んだ。分かるよ、この女将さんは還暦には見えないよな。先生も若く見えるが女将さんはそれ以上だ。女性は本当に謎めいてるよな。
◇
温泉宿の楽しみは温泉だけにあらず。浴衣のまま楽しめるスポーツ、温泉と来れば卓球は外せない。金田一少年が唯一得意なスポーツ、その舞台に俺はキンジと武藤を誘った。研修が始まるのは明日からだ。今日は体を休めるのが仕事、ついでに気分転換もだな。
まずは台から距離を取る。後衛で弾を拾うことに特化した防御の戦術で俺はキンジに先制をかけた。巷で言われるカット主戦型、野球で言えばアンダースローに例えるべきか。左手から宙へ水平に弾を投げ、右斜め下から玉の下を斬るようにラケットをスイングする。
左回転のサイドスピンのかかった球はネットを越え、キンジのバック側でワンバウンド。解説するとセルロイド製の球は恐ろしく回転に過敏だ。腕と肩を使い、手首を効かせて投げれば簡単にスライダーやシュートが投げれる。武偵高の卓球部は練習そっちのけでピン球で野球やってるし……グローブなしで。
アミューズメント施設や旅館にありがちなラケットは、最低限の数本のラケットを不特定多数で兼用するので、ラバーが剥がれていたり擦れているのがほとんど。だが驚くことに、かげろうの宿から借しだしているラケットは違う。回転をかけやすい裏ソフトラバーに恥じない横回転。
バック側でバウンドした球がフォア側……キンジから 見て右方の台のエッジ近くまで抉るように刺さった。
「……上等だ。遊びでも本気になってやる」
理由は分からないがキンジも乗り気になったな。おもしろくなってきた、遊びは全力でないとな。
「キンジ、いまお前が持てる全力でかかってきな。俺が真っ向から粉砕するぜ」
キンジから投げられた球を受け取り、軽く台に左手でバウンドさせる。小気味良く跳ねるピン球の音が心地良い。
「さあ、闇のゲームの始まりだぜぇ!」
「子供かよ」
「黙れ、武藤! 俺だってお前らと遊びたいんだよ。ムカつくぜテメェら! 俺そっちのけで不知火と三人でカードゲームなんかしやがって! なんで俺も誘ってくれねぇんだ! 俺もお前たちとゲームがしたかったんだよ!」
いくぜ、俺のターン。
再び、水平に上げた玉がゆっくりと落ちてくる。
球の左下を擦るようにラケットを斜め左にスイング。今度はキンジから見て左側、バック側の着地地点からさらに左へバウンドする逆の横回転。台上処理のお手並み拝見だな。キンジの浮いたレシーブをバックハンドでミドル気味に叩き込んで二点目、三点目を奪う。このまま目に見えるアドバンテージを稼ぎたいがさてさて……
「き、きんじ……ね、ねぇ、理子知らないかしら……?」
神崎、その前に浴衣がはだけすぎだ。鎖骨のラインなんて丸見えで……
「見つからないなら俺と一緒に探そうか、お姫様?」
刹那、玉足が一気に加速して俺の頬を擦過した。 な、何事だ……?
「ここからが本当の戦いだ。決闘(デュエル)再開と行こうじゃないか?」
な、なんだなんだ、なんだってんだよ? こ、こいつ……本当にあのキンジなのか? この自信に溢れた好戦的な目、いやさっきとはまるで違う。これはブラドやハイジャックで理子と戦ったときの──
「もう一人のキンジ。名もなき天然たらし」
「……反応に困るんだが」
「どこまでも楽しませてくれる。キンジ、お前のターンだ。さっさとド──サーブを出せ」
「焦るなよ、まだ試合は始まったばかりだぜ?」
「おもしろい。どんな攻撃も返してあげよう!」
「キリもキンジもテンション高いわね!?」
油断なく膝を曲げ、構えをとる。距離はやや中陣、ドライブでぶち抜くのは得意でもないが様子見の距離。カウントは【3ー1】のキンジのサーブからの再開。いやらしい下回転に台上処理を余儀なくされるが──ツッツキで下回転のまま返球。台にしがみつくような距離から後ろに後退すると、派手な上回転のループドライブが台を跳ねてきた。
(……少しの回転はぶち抜きやがるな。上等だ)
真っ向からループドライブをフォアカット。球の真下を擦るようにして下回転をかけたまま相手へ返球。カットで粘り、キンジのミスを誘って点を稼ぐ。本来の戦術に支点を置くがキンジは関係なしに打ちこんできやがる。全力で回転をかけてるつもりだが、羨ましくなる打球感の良さだな。
「白熱してんなぁ」
「あんた審判なの?」
「形だけ」
ギャラリーが一人増えたな。パイプ椅子に座って神崎も観戦ムードだ。下回転に混ぜて、横回転、ナックルカットでキンジを揺さぶる。台から離れて球を拾い、相手が自爆するまで粘る。時には球を打ち込むことも勿論だが大切なのは自分の卓球を貫くこと。自分の技術を信じる。
結果的に三点のビハインドはキンジに取り返された。ドライブを囮に台上処理、時には台から離れた後衛からカットすら飛んでくる。俺が台から離れてプレイする戦型とすれば、キンジには前衛も後衛も関係ない──どの距離からも戦えるオールラウンダー。卓球まで器用なのかよ、お前は。
「ネット前から大きく跳ねるカット、いやらしい横回転にナックルカット。キリも陰湿な戦いを好むわね。3セット先取なら足に来そうだわ。泥沼の戦いよ」
「だが、こいつは1ゲーム先取の試合だぜ? 体力が切れて大の字に寝転ぶことはねえよ」
武藤と神崎の場外からの解説をよそに打ち合いは激しさを増した。だが隠し持っていやがったのか、キンジが返球した球が台に触れると、斜め左にバウンドして俺のラケットから逃げていく。ちくしょうめ、飛び道具まで持ってやがった。苦笑いしそうなシュートドライブだな……
「カウントは【7ー7】で並んだわね」
神崎がスコアを口で教えてくる。軽く息を吐き、俺は柄を指で回転させる。裏表でラバーが違えば便利な技術なのだが、生憎と俺が借りているのは両面とも裏ソフト。気持ちを落ち着かせてるだけ。カット用のラケットは普通のラケットに比べて、球を捉えやすいように一回り大きく出来ている。要は専用のラケットなのだが、こんなものが置いてあるのに負けるのは……悔しいな。
「もう一人のキンジ。いや、キンジに宿る天然たらしの魂」
「そのネタ、どこまで引っ張るんだ?」
「うるせえ。バカなこと言って遊ぶのが温泉卓球なんだよ。大門先生と城之内先生を見ろ、楽しそうだ」
「……医者は大変な仕事なんだよ。フリーランスだとしてもね」
神経を削る接戦の高揚感は堪らないが、これだけじゃまだ物足りない。もう一人のキンジを倒して、勝利の余韻に浸らせてもらうぜ。狭い台で繰り広げられる決して派手とは言えない闘い、だが俺は負けたくない。そうだ俺は誤魔化していた。温泉卓球とは楽しむもの、楽しく遊べれば勝ち負けは関係ない……と。だが俺は飢えている、渇いている、勝利に……! キンジ、お前の懐にある勝利を奪い取ってでも俺は……!
「勝つのは俺だ! 消えろ、敗者は!」
「ねえ武藤、あれも映画の台詞?」
「似たようなもんだ、バカの一つ覚え」
武藤と神崎の珍しいやりとりが契機になる。小賢しいラケットの振り上げと振り下ろしを混ぜたフェイント。終盤に来て別方向のサーブで攻めてきたか。キンジめ、姑息な手を……!なんつー回転だ。気を抜いたらネットも越えなくなる。
「キリ、このドベ! 雑なレシーブしない! 見てるのもつまんないのよ!」
「うるせえ。なんで俺に気持ちよく卓球させねぇんだ。むかつくぜ! 俺のレシーブをことごとく拒否りやがって!」
「勝負だからに決まってるじゃない。あんた、理子と同じくらいはしゃいでるわね……」
「遊びになるとはしゃぐんだよ、あいつ。なんかあるのかねえ」
「仲良いなぁ、おい!」
審判武藤とギャラリー神崎と普段は見かけない妙な組み合わせに俺も饒舌になる。浴衣が着崩れようが些細なことだ。多少強引な二歩動を無視したフットワークで球を拾い、エッジ狙いで姑息に立ち回るが、キンジのバックハンドを捌けずにカウントは【10ー9】を迎える。互いにラケットはシェイクハンド、キンジがバックが苦手なんて憶測はとっくに消えてる。さて、デュースにどうやって持ち込んでやるか……
「切、俺も悪ノリしていいか?」
「無礼講だ。言ってみろ」
「──ファイナルターン!」
「ぜってえ許さねえ!」
「許可は取っただろ!!」
「黙れ、俺だって言いたかったんだよ! なにがTHEだかっこつけやがって!」
「言ってねえよ!」
「──永久に眠れ、フォーエバー!」
バックカットでドライブを返し、キンジを逆方向に揺さぶる。だが、キンジも器用なフットワークでフォアハンドの返球も充分可能。悪魔のように曲がりやがるシュートドライブを飛び付いて拾うが、舞い上がった球はネットを越えると大きくバウンドした。その場は凌いだがチャンスボールをやるようなもんだ。キンジがラケットごと腕を真上にスマッシュの動作に入る。
俺は飛び付いて球を拾ったことで片膝を突いた不安定な姿勢でいる。必死に姿勢をニュートラルに戻すがふざけた速度のスマッシュが台を跳ねる。二歩動をガン無視でジャンプしてラケットを差し出すレシーブ。一目で分かる悪い見本のような打ち返しは、運良くピンポン球を捉えた。
ゆるやかに舞い上がる球はネットを越え、台の右端へと下降する。エッジに触れるか否か。そのまま外へ落ちるか。世界が恐ろしく静かに思えた。
◇
「いい試合だったわね」
「2ポイント差でもキンジに勝てなかった。こんなんじゃ満足できねえぜ」
あれから神崎を連れ、三人で理子を探してから部屋に戻ったのだが……
「ねえ、ジャンヌ知らない? 理子、ジャンヌを探して中を歩き回ってたんだよね」
「ジャンヌ? 見てないわよ?」
浴衣姿の神崎が見渡すと、星枷とレキも首を振る。男性陣はさっきまで卓球に夢中だった。キンジは同じく首を横に振る。ジャンヌの行方など知るよしもない。だが、ジャンヌが一人でいなくなるのは珍しいな。ジャンヌは真面目な子だ。宿を離れるにしても同期の理子には一声ぐらいかけそうなものだが……
「雪平さん?」
「嫌な予感がしてきた。ジャンヌを探してくる」
俺が立ち上がったのと同時に部屋の空気が凍てついた。庭先の方から武藤の絶叫が部屋まで届いたのだ。
「切!」
「ああ、今の悲鳴は普通じゃないよな」
「あんたの悪い予感が当たったわね!」
いつもは勘が見事的中するといい気分なんだけど、今日はきつい。武藤がどんなバカでも理由もなしに出せる悲鳴じゃなかった。廊下を走り、先に飛び出したキンジが腰を抜かした武藤に駆け寄った。
「どうした、武藤!」
「あ……あ、あれ……!」
先に追い付いていたキンジの目は、ありえない者を見たような目だった。頭の中で警笛が鳴りやまず、ようやくキンジに追い付いて──俺は鋭く息を飲んだ。
晴れた日差しの下に二体の人形の影がぬっと直立しているのが見える。一体は人形、そしてもう一体はーー人形に偽装されたジャンヌそのものだった。アイスブルーの瞳は濁り、焦点を定めていない瞳が異様な状況をより恐ろしいものに変えている。
「……悪戯ってレベルじゃないな」
幸い、ジャンヌは意識を失っていただけだった。俺たちが差し向けた視線で意識が戻り、事態が分からずにいるのか首を傾げている。一転、笑いを誘うジャンヌの格好に理子のみならず神崎まで笑いこけている。キンジも武藤の横に座って溜め息を吐いていた。先生と女将さんは危険がないことを見届け、さっさと屋敷の中に戻っていった。本当に危険がないのか……
俺は顎に手をやる。悪戯にしても悪趣味、そして不意を突いたとしてもジャンヌにここまでのことをできる奴は限られる。ジャンヌは最下層に位置してはいたが元々は超人の集まりであるイ・ウーの構成員だ。意識を奪うことも一筋縄ではいかない。俺が感じていた疑心はジャンヌの意識が目覚めても拭えなかった。人里離れた場所に高級ホテルが突然現れたときのような違和感。
だが──答えは予期せずやってくる。まだ冬は遠い季節、神崎が吐いた息が白く濁った。
「……寒っ、急に冷えてきたわね」
「ジャンヌも見つかったし、冷える前に戻ろっか。キーくん、理子は先に部屋に帰ってるね」
……冬にもなってないのに。息が急に白くなって、温度が下がった。
「レキ、少しいいか?」
「……嫌な風を感じます。すぐ近くに」
「ありがとう。質問の手間が省けたよ。この旅館に来てから妙なことはなかったか。例えば……今みたいに息が白くなったり、温度が急に下がる。電球や蛍光灯、機械の電源が勝手に点いたり消えたりしたことは?」
「はい、ジャンヌさんを見つけてから。体感ですが温度が急激に下がりました。後者の現象については知りませんがハイマキも何かを警戒している」
動物が持ってる野生の勘は人間より鋭い。自然界で生き抜く為の必要不可欠な能力だからな。ああ、ハイマキが何を警戒しているのかは俺にも予想がついたよ。合宿にも持ってきていたハンターお決まりの機械の電源を入れると、赤いランプが点滅するのと同時に激しく唸りを上げた。
「ラジオですか?」
「ああ、壊れたラジオに見えるだろ。たまにWALKMANにも間違われるけどね。電波が悪いのかな。ああ、最悪だ……鳴りっぱなし」
「電波に問題があるのでしょうか」
「大問題だな。ああ、かなり……やばい……」
俺はぽんっとハイマキの頭に手を置いた。お前の悪い予感は当たったな、宿には先客がいたらしい。
「マシュマロマンの逆襲かな」
「マシュマロマンですか?」
ああ──ゴーストバスターズ。鳴りやまないEMF探知機を握り、俺はハイマキが見つめる一点を睨みつけた。
▽
「つまり、私を襲ったのは幽霊なのか?」
「だな、お前を見つけた庭先がコールドスポットになってた。レキにも確認済みだ。それで庭を試しにEMFで調べてみたら──」
「反応したわけか」
「鳴りまくり」
そう言いつつ、俺は肩をすくめた。EMFとは幽霊の発している特殊な磁場に反応する探知機の名称で、レキが間違えたラジオの正体。幽霊や悪霊、ポルターガイストなんかを退治するときの必需品だ。
ディーンと俺の共同製作の末、互いの趣味が反映されて壊れたWALKMANみたいなデザインになっている。レキが間違えるのも仕方ない。記念すべき最初のお披露目では身内も間違えたからな。
幽霊に襲われたなんて馬鹿げた話だが、その馬鹿な話にかぶりを振る者はここにはいない。ここにいるのは妙にハンターや悪魔の事情に精通するジャンヌ、そして日本の超常現象の第一人者とも言える星枷の武装巫女。非日常の出来事には馴れてる二人だ。
俺は合宿に来ているメンバーの中で──早い話が狩りやS研方面の話に強い二人の魔女だけを呼んで、今回の騒動について宿泊部屋とは別室で話し合ってるところだ。
「日本で幽霊が関わってる事件は実はあんまり多くないの」
「日本は遺体を火葬するからな」
「うん、でも幽霊が出るってことは遺体が何かの理由で火葬されていない。発見されてないってこと」
「もしくは燃やしてない物がある。髪の毛や亡くなった人のDNAがくっついてる物があると幽霊はこの世に残れるからな。生前、大切に愛用していた日用品一つで幽霊は活動できる。フラスコや義手の鉤爪でも」
俺たちがやるべきことは遺体に塩をかけて燃やす、もしくは幽霊が取り付いてる物を燃やし、この世との繋がりを断つ。ハンターが幽霊を退治する手順はその二つに分けられる。幽霊自身がこの世の未練を断ち、自分から消えることもないわけじゃないが……それは珍しい、かなり特殊な例だ。机を囲んで正面にいる星枷が重々しくかぶりを振り、会話の舵を取る。
「この霊はまだ悪霊になってない。生前の自分の意識を保ってる。この霊が本当の悪い悪霊なら──」
「悪戯じゃ済まない。怒りに心を支配されて、人に殺意を持って襲いかかる。だが、経験から言うと普通の霊は武藤やジャンヌに仕掛けたドッキリ紛いの悪戯なんてしない。そして」
星枷の言葉を遮り、俺は続けた。
「どんな霊もいつかは悪霊に変わる」
「雪平くんの言うとおり。それはどんなに良い人も例外じゃないの。一緒に過ごした家族や大切な人も迷わず襲うようになる。ずっとこの世に留まり続ければ悪霊になるのは避けられない」
「この霊も例外じゃない。早いか遅いかの問題だよ、いつかはメジャーデビューする。霊がこの宿の何かに取り憑いているとして、もし宿が買収されたり取り壊されることになったら?」
「怒り狂うだろうな」
ジャンヌの答えが正解だ。家が売られたり、壊されることになると幽霊は活発になる。でなくても悪霊になるのは時間の問題だ。今は悪戯でもいつか殺人に変わる、必ずな。
「それで、どうする?」
「狩りをする。俺たちでこの幽霊を退治するんだ。犠牲者が出る前に」
魔女と武装巫女、机を囲んでいる二人に目配せする。ジャンヌは一瞬、碧眼を丸くするがやれやれ、と言いたげに額に手をやった。星枷は言うに及ばず、どこからともなくレンチを用意して準備万端だ。鉄は幽霊を遠ざける最も身近で効果のある武器だからな。そんなヤル気満々の星枷をジャンヌは横目で見やり、
「人生は分からない。ウィンチェスターに狩りに誘われる日が来ようとは……」
「すっかりズブズブの関係だな、おめでとう。ブラドとの戦いでは仲良く力を合わせただろ、今は人手が足りない。力を貸してくれ、聖女様?」
「私は便利屋ではないのだが……この霊には先手を受けた。個人的な怨みでなら手伝おう」
「決まりだな。俺たちのチームは天然ボケの氷結の魔女と生徒会長か疑わしき武装巫女、最後に悪魔の血のジャンキーになりかけのハンター。理由はどうあれ、俺たちで宿に住み着いた幽霊を退治する。要は──」
「ゴーストバスターズか?」
ジャンヌ、冴えてるよ。つか、天然ボケは認めるんだな。それとも否定するのが面倒になったのか。何にせよ非日常トリオの誕生だ。俺は一つ頷いて──
「夾竹桃に頼んで、過去にこの宿で不審な死や事件がなかったか調べて貰った。かなり文句を言われたからお土産は奮発する、いいな?」
「文句を言いながらも力を貸すのだ。お前は彼女に気に入られている」
「……だと嬉しいんだがな」
俺はジャンヌへかぶりを振った。だが、お土産に悩まされることになったが、夾竹桃は俺よりずっと調べものが上手だ。受けた仕事は手を抜かずに答えてくれるし、あいつの律儀なところは俺も大好きだよ。ファーストコンタクトがどうあれ、今ではあの女に信頼を置いてる。でなきゃ狩りのことで電話したりしない。
「話を戻すぞ。パソコンは使えなかったが夾竹桃に調べて貰った情報と、女将さんにこの村と宿の歴史について聞き込みをしてきた。どのホテルにも流血騒ぎはあるというが、かげろうの宿も例外じゃなかった」
古いホテルやモーテルに流血騒ぎは付き物。かつて幽霊が住み着いていたホテルの支配人がそう語っていた。どんなホテルにも暗い話の一つや二つはある、公にすれば客は逃げるから知られていないだけ。
「動くのが早い。流石だね」
「勉強そっちのけで狩りの知識を仕込まれたからな。このかげろうの宿は1900年代から続いて。建てられる前にビルやアパートが立っていたわけでも刑務所が隣にあったわけでもない」
「推理を立てるなら、この宿で悲惨な死を遂げた霊が何かの理由で戻ってきたのかな。今まで静かだった霊が思わぬ理由で活発になるのはよくあることだけど」
さすがに星枷は詳しいな。ファイリングや調べものなら俺より手際が良いかもしれない。まあ、次に組むときがあれば分かるさ。今はこの幽霊の正体について話すのが先だ。
「ああ、会社の経営難や建物の取り壊し、霊が盛る理由は千差万別だ。人間と同じで霊にも色んな奴がいるからな。だが、ここ数十年で不審な事件は一件しかなかった。俺と夾竹桃が集めた情報を信じるならな?」
「愚問だな、他に信じられる相手もいない」
「右に同じだよ。その不審な事件って?」
「この宿で母親と子供が亡くなってる。子供は高遠英治、母親は高遠さくら。この宿に暮らしていたが英治がある日、大女将を剃刀で襲った。大女将はそこで殺されてる。話によれば彼が使った髭剃は頭の皮を根こそぎ削ぎ落とせる代物だったらしい、子供の玩具なんかじゃない凶器だよ」
実際、女将の遺体は頭皮ごと頭の毛髪が剥ぎ取られていたらしい。俺が言ってもどうにもならないがむごい話だ。行き場のない母親の気持ちは想像もつかない。ジャンヌが形の良い眉をゆらす。
「……犠牲者は女将だけか?」
「いや、英治は大女将を殺して、母親であるさくらも殺してる。そのあとに自分も自殺した。まだ13歳の若さでな」
「年齢は関係ない。これは白雪に話したことだが私とアリアはこの宿で子供の影を目撃している。色白の少年で年齢は13歳に見えなくもない。今に思えばその霊だった可能性は充分にある」
ジャンヌと神崎の目撃証言が追加、宿に取り憑いた霊の正体はこれで確信が持てたな。ジャンヌの言うとおり人間は怪物だ。怪物に年齢は関係ない、牙が生えたときから怪物は怪物だ。そこに年齢は関与しない。研磨されずとも牙は牙だ。
「この宿に出るってことは宿にある何かに取り憑いてるね」
「星枷の言うとおりだ。高遠親子も大女将も遺体は火葬されて村には墓地もあった。まだ燃やしてない物が宿のどこかにある」
俺は机に、女将さんと夾竹桃から聞いた情報を纏め、ファイリングした物を広げる。手に取った星枷は目を丸めて、
「これ、雪平くんが一人で……?」
「ああ。ファイリングや調べ物が得意な女がいて、彼女に張り合いたくて腕を磨いた。いや……すごいって言われたかったのかな。ガキのお約束さ。初恋の女に誉められたかった、それだけ」
俺がそう言うと、星枷は何も言わなかった。たぶん、星枷は察してくれたんだ。俺たちが誰かを好きになったら、どんなことになるか。明るい最後なんて用意されてない、それは俺や兄貴も同じだ。初恋も笑い合える結末じゃないことを星枷は感じ取ったんだろう。
星枷とウィンチェスターは古い付き合いだ。そして俺と彼女もどこか似てる。もがいても抜け出せない血や家庭の事情、それを引っくるめて、受け入れて、怪物と縁のある非日常のレールを走ってる。彼女は姉、俺は弟で家族の中での立ち位置は違うけどな。
それに我が家は神を敬わない。
神か拳銃どちらかを選べと言われたら、俺は銃を選ぶ。それがウィンチェスター。
「兄貴が言ってた。俺たちは俺たちの本当に求める物を絶対に手に入れられない、実際俺たちは今ある物を手元に置いておくだけで精一杯。だけどそれでいいんだ。求める物が手に入らなくても傍にある物を失うよりずっとマシ。日本に来て、キンジやみんなと会って、そう思ったよ」
「欲のない男だな。世界はきまぐれだ。お前の見る世界が変わる日も来ないとは限らない。この世界を作った神はきまぐれなのだろう?」
……参ったな。資料に目を通しながら聞いていて良かったよ。ジャンヌの今の言葉はまるで……
「気まぐれだよ。つか今の言葉なんだが、もしかして慰めてくれてる?」
「そそそのようなことは、決して!」
途端にジャンヌはうろたえた声をだす。これが俺と二人ならかぶりを振って解決なのだが、今は部屋に星枷がいる。かつて退治した魔女とうろたえるうちに視線が合い、聖女様は気持ちを落ち着かせるように咳払いをした。くすり、と星枷が笑みを見せる。
「ジャンヌ、本当は優しい人だったんだね」
「な……っ……わ、私は魔女だっ。本当は怖いんだぞ。私は魔女、キリはハンターだ。それは今でも変わらない」
まっすぐな星枷の言葉にはジャンヌも皮肉な返しはできないらしい。ジャンヌも根が真面目だからな。逃げるような咳払いは二度目を迎える。
「だが、それはそれだ。お前が慰めてもらったと感じるなら、今度は私が助力を求めたときに力を振るえ。つまり──私に協力しろ。そのときが来ればな」
「聖女様に借りは作りたくないしな。さっきのはまあまあ嬉しかったよ」
「……バカか、お前は」
だから、それは俺の台詞。理子が神崎の前で『風穴風穴!』を連呼するようなものだ。神崎が星枷の前で『天誅!』なんて叫んだ日にはキンジは笑いこけるんだろうなぁ。台詞はどうあれ、日本刀を振りかぶって斬りかかる姿だけは簡単に浮かぶよ。
「そのときが来れば手を貸すよ。なんたって俺は暇だからな」
「今の言葉を忘れるなよ、ワンヘダ」
「善処するよ。お前も理子も夾竹桃もその呼び方が気に入ってるのはよーく分かった」
資料に目を通すが、やはり気になるのは凶器に使われた髭剃りだな。殺害に使った凶器に幽霊が取り憑いているのはよくあることだ。だが、どうにもおかしな匂いが……薄々とハンターとしての勘を刺激する。
この幽霊は頭の頭皮を髪ごと剥ぎ、親も殺したあとに自殺した子供だ。資料を読む限り、頭ん中の歯車が狂っているとしか言えない。だが、生前にそんな殺しをやらかした霊が、あんな悪戯みたいなことをするのが何か引っ掛かる。普通はテレビにはOAできないような惨劇の現場が広がるのが悪霊が関わった事件のお約束だ。生前、危険だった人間ほど現場の有り様は悲惨になる。ホラー映画やサスペンスドラマが怖くなくなるほどにな。
「星枷、なにか見落としてないか?」
「この子が取り憑いてるもの?」
「いや、もっと別のことだ。上手く言えないんだが……なにか見落としてる気がする。根本的な物を」
「ふむ、これを見ろ。彼の母親は絵を描くことが趣味だったようだ。この宿の玄関、受け付けにも見事な油絵が飾られていた。どうだ、私もこの狩りが終われば合宿の間に絵を一枚描こうと思うのだがーー」
「えっ、ジャンヌ絵を描くの?」
「うむ、得意分野だ」
資料を持ったままで星枷は驚いた声を出した。鼻を鳴らして得意気なジャンヌに俺は何も言えなくなる。星枷の絵はお世辞抜きで上手い。鉛筆一本で陰影を使って描いた絵は、作業時間数分でありながら俺やキンジが何週間かけても張り合えない美麗な絵だった。
ジャンヌは熱意こそあるが、現実は非情である。聖女様の描いた絵の素晴らしさは俺たち常人には理解できない。キンジに言わせれば『幼稚園のお絵かき』ととんでもない言葉が返ってくるだろうさ。まあ、芸術とはそんなものじゃないのかな。万人を満足させることは難しい、感性は人それぞれだからな。逆を言えば、感性が違うから芸術家や表現者という存在が成り立つ。
幼稚園のお絵かきは否定できないが、ジャンヌの絵を好きになる奴もいるかもしれない。何より本人が楽しんでるなら、俺は口を出さねえよ。その前に幽霊は退治しないとならねえけどな。星枷とジャンヌの新鮮なやりとりに水は差したくないが、相手が首を長くして待ってくれるとも限らない。俺は湯飲みに入った茶を飲み干し、資料に目を傾ける。
「小さな村だ。情報を集めるのも一苦労だが、取り憑いた物を探し当てるのも至難の技だぜ」
「塩のサークルで霊そのものを隔離するのはどうだ。霊は塩には近づけない。一度サークルで囲んでしまえば外には出られないのだろう?」
「取り憑いた物が見つからないときはそれも考えないといけない。だが、塩が雨や風で飛ばない場所や他の誰にも見つからない特殊な環境が必要だ。塩のサークルは霊に対しては強力な檻だが、他のあらゆる要因に対して脆すぎる。突風で舞い上がるだけで駄目になるしな」
ジャンヌの案は悪くない。退治できないなら檻に閉じ込める、過去に連続殺人鬼の幽霊と遭遇したときに俺も兄貴と同じ作戦を取ったことがある。だが、塩のサークルで霊を隔離するなら、地下深くに霊を閉じ込めた上で出入口をコンクリートで固めるくらいの措置は必要だ。嵐や雨で塩が流されると檻は簡単に決壊するし、誰かに踏み入られない必要もある。俺はゆるくかぶりを振る、残念なことに即興でこなせる作戦じゃない。
静けさの中、不意に星枷が庭先を見ていた。資料をひたむきに整理していた彼女が、訝しげな顔つきで誰もいない庭に視線を向けている。彼女に引っ張られ、俺が資料から目を離した途端、悲鳴はやってきた。
「──武藤!」
遠くからやってきたのはキンジの声だった。その声は見たくない物を見てしまったときに出る声だ。
「キンちゃん!」
まずレンチを持って星枷が飛び出した。不穏な空気が、すぐそこに沸いて出て、殺到してくるーーような重苦しさが宿を満たしている。
「ちくしょうめ。追うぞ、ジャンヌ!」
インパラのトランクから引っ張り出してきたショットガンを掴みとり、レンチを携えたジャンヌと星枷の後ろを追いかける。和かな宿とはかけ離れた重苦しい空気。廊下の角を曲がると、割れたガラスと傍らに気絶した武藤が仰向けに転がっていた。息はある、頭上を仰ぐと天井に嵌められていたガラスに大きな割れ目があった。天井からガラスを破って落下したのか……
「諜報科の自主トレーニングじゃないよな?」
「まさか。明日から研修が始まる。それに武藤は諜報科ではない」
「だよな」
直前の曲がり角で星枷の姿を見失った。俺は塩の弾を込めたお決まりのショットガンに目を向ける。刹那、耳の奥にまで反響するアニメ声が正面の障子を突き破って聞こえてきた。十中八九、神崎だな。
「雷でも落ちたか?」
「いや、燦々と晴れてるよ。快晴だ」
アイコンタクトでジャンヌが障子を開き、ソードオフしたショットガンを突きだしながら部屋に押し入る。油断なく銃口を向けたまま部屋を見渡し、俺の死角である背中を隠すようにしてジャンヌも踏み入ってくる。やや薄暗い部屋に人の気配はなく、灯りもついていない。
「S研にとってはこの上ない武偵研修になったな」
「ああ、同感。俺たちの中にS研は星枷しかいないけどな」
片手で取り出したEMF探知機はひっきりなしに騒いでいた。マグライトで部屋を照らし、ジャンヌは見えない敵を肉薄するように鋭い殺気を飛ばしている。
「待て。部屋を飛び出したときに気づいたが、携帯が圏外になってるぞ?」
「霊の仕業だな。その気になれば通話の妨害だってできる連中だ。よっぽど俺たちを帰らせたくないらしい」
率直に感想を述べてやると、同時に真正面の襖が開いた。誰の手を借りることなく、襖は独りでに、俺たちを招くように、次々と横にスライドして道が開かれていく。
「なかなかレアな光景だな」
「ああ、歓迎ムードみたいだ」
「本音を言うが、私は少しも嬉しくない」
「知ってるよ、俺も嬉しくない。さあ──お次はなんだ?」
退路はない。お決まりの台詞を吐いてから、俺はジャンヌに視線をやる。碧眼がややうんざりと歪み、モデルのように艷やかな唇でジャンヌは言った。
「こういう場合、映画だとロクなことにならない。マシュマロマンだけは遠慮したいがな」
「……門の神と鍵の神ならまだマシだよ」