哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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熱波に煽られて

 がやがやと話声が聞こえ、熱気に包まれているのを肌が感じる。インパラのトランクを開く猶予もないまま実習中の強襲科に尋問科の俺は躊躇わず殴り込んだ。神崎の実力は身を持って味わってる。だが電話を通じて耳にした理子の声色が不安を煽った。

 

 峰理子は器用が服を着たような女だが、あのトリックスターはこの手のことでは人を欺いたりはしない。神崎と理子の決着はまだ決してない、ブラドとの戦いも彼女は心の奥で神崎へ借りを作ったと感じてる。一族の因縁だったホームズの末裔に──借りがある。

 

 一族のことになると理子はどこまでも誇り高くあろうとする。俺より付き合いの長いジャンヌもそう言ってた。神崎に借りを作ったままにはしない、理子はこの場面で嘘や偽りを見せる女じゃないんだ──非常に忌々しいことに。

 

「先生! 蘭豹先生はいるんだろ!」

 

 強襲科の第一体育館は体育館の名を借りた闘技場だ。防弾ガラスで区切られる闘技場の中心、楕円形のフィールドの前に、両手の指では数えられない生徒が集まっていた。強襲科で人だかりができる理由なんて限られてる。防弾ガラスの衝立から届く銃声は誰かが戦っていることを暗示していた。衝立の上にいた先生は長刀を背負った背中をくるりと反転させて俺を見下す。

 

「喚くな、雪平。節穴の目で水差しよって、なんや言うてみ?」

 

 ……手で揺らしてる瓢箪の中身は、酒だ。軽く出来上がってやがる。

 

「先生、神崎は──」

 

 群がる生徒を押し退け、衝立に飛び付くと、俺は言葉を失った。

 

「おいで、神崎・H・アリア。もうちょっと──あなたを、見せてごらん」

 

 片膝をついた神崎とそれを見下ろす女性が闘技場にいた。C装備を着てるわけでもなく、非殺傷性の弾を使ってるわけでもない。防弾制服と実弾を使った実戦、二人がやってるのは闘技場の名前どおりの戦いだ。

 

 砂が撒かれた闘技場で膝をついた神崎、制服に傷らしい傷を残していない相手。防弾ガラスの衝立越しに戦いの経過が手に取るように伝わってくる。一騎当千のSランク武偵が苦戦を余儀なくされる相手、理子が言う上役が神崎を見下ろしている女性なのは疑いようがない。ああ、信じられなくて言葉を失っちまった。

 

(……カナ。日本であんたの顔が見れるとは思わなかった。ちくしょうめ、理子が焦るわけだぜ。とんだ化物が入り込みやがった……)

 

 出会ったのは何年も前のことだ。だが、一度彼女の美貌を目の当たりにしたことがある男なら決して彼女を忘れたりしない。本物の天使よりもずっと美しい美貌は昔と変わってないよ。あんたが理子やジャンヌの上役であることが信じられない、だが理子が嘘を吐くのも信じられない。呈の良い言い訳が何も思いつかねえ……

 

「蘭豹先生、先生の授業方針に口を出すつもりはないが、神崎にもしものことがあったら口の煩い欧州は黙ってない」

 

「あァ?」

 

「この試合、先生の権限で中止してくれ。神崎とあの女に話がある」

 

「雪平、お前があの女に気があろうが神崎に話があろうがどうでもええことや。一度しか言わん、ガキ共に混じって観戦しとけ。お前の出る幕やない」

 

 その名の通り、蘭豹は豹のような目で俺を睨む。一度しか言わない、と念を押した蘭豹先生は瓢箪の酒をぐいっと飲み直した。

 

 蘭豹先生は魑魅魍魎の武偵校の教師陣の中で綴先生と肩を並べて危険とされる人だ。香港を皮切りに各地の武偵校を追い出された経歴が危険度を語ってる。強襲科が明日なき学科と言われる由縁には少なからず先生が担当教諭であることも影響してる。

 

 だが先生は先生で強襲科には不可欠な人だ。尋問科の講師が綴先生以外に考えられないように強襲科の講師は蘭豹先生以外に考えられない。俺はゆるくかぶりを振った。

 

 先生の観察眼や勘の鋭さは俺よりずっと優れてる。目の前の景色を見極める力は、俺の比じゃない。

 

 俺の出る幕がない──つまり、俺が出るべき必要がない。カナと神崎との戦いでもしものことなど起きない──先生はそう判断したのだ。

 

「勝ち誇るのはまだ早いわよぉッ!」

 

 衝立の向こう側、視線が神崎に引き寄せられた。近距離からカナに向けられたガバメントの銃口が、逸れる。流れるような動きで神崎の手首を押し、銃口を逸らしたカナが一歩後ろに引いた。至近距離から45口径の銃、それも双銃で向けられたのに軽々いなしやがった。

 

 驚愕は終わらない。刹那、鞭で打たれたように神崎の足がふらつく。銃声が聞こえたがカナの手に銃は見えない。白く美しい手には何もない。見えない銃弾……背筋が冷たく戦慄を覚える。公道で襲ってきたあの指輪の女と同じ、目には見えない不可視の攻撃。身を持って味わった俺にはよく分かるよ。理解できない領域からの攻撃ほど不気味で厄介な物はない。

 

 神崎は闘志を失わず、カナに敵意を向けるがガバメントの凶弾がカナを掠めることはなかった。カナの見えない銃弾だけが神崎を一方的に攻めてやがる。TNK繊維は銃弾の貫通を防ぐが衝撃まで殺してくれない。呻き声が聞こえるのが証拠だ、防弾制服でも実弾を受ければ無傷では済まない。このまま撃たれ続けたら神崎が意識が手放す……

 

「遠山は強襲科を抜けてからホンマ昼行灯になりよったが、お前も腑抜けたもんやな。ウチに4条語らせるつもりか?」

 

 ──武偵は自立せよ。要請なき手出しは無用の事。解除キーに向かった指が蘭豹先生の声に震える。解除キーを使って闘技場の中に入ることはできる。だが、これはあくまで強襲科の授業だ。劣勢の神崎に力を貸せばギャラリー気分の生徒にはどう映るかな……確かなのは自立って言葉には程遠いってことだ。

 

 要請なき手出しは無用、神崎とも約束したなぁ。優しさや助け合いには形がある、正しいとは別物。あの貴族様は武偵の心構えには厳しい、偉大な先祖が全ての武偵の先駆けになったシャーロックホームズだからな。常に強くあろうとしてやがる。解除キーに向かった指が妙に重い、物理的な重さじゃない。俺の指が躊躇ってるだけだ。

 

「あたしが屈しない限り、あんたが勝ったわけじゃない!」

 

 緋色に染まったツインテールを揺らし、確固たる信念を秘めた神崎の叫びがドームに響く。実力の差は明白だ、闘技場で行われているのは一方的なワンサイドゲーム。余裕のカナと必死の神崎、カナはまだ手の内を完全には晒してない。手札には使えるカードをまだまだ残してる。見えない銃弾が支配する闘技場で形勢が揺らぐ気配はない。

 

 が、神崎に降参の考えはない。土と血に汚れ、血を流し、何度倒れても立ち上がる。神崎って女は弱さや諦めることと折り合うつもりがないんだ。諦めるって生き方を最初から放棄してやがる。諦めない人間の末路は二つしかない、最悪の結果を招くまで突っ走るか、本当に目的を叶えるか。

 

「揺れないのね。貴方の意思は」

 

「……退けない、のよッ。今回だけは……ッ!」

 

 神崎、どれだけ圧倒的なものに踏みにじられ絶望を味わったとしても、それでも戦い続けられるというのなら、俺はお前の強さを認めるよ。

 

 人の心は移り変わる。感情というモノが振り子のように常に変動するからだ。だからこそ、人はその変化を受け入れてきた。それが正しいことだと偽り、自分に言い聞かせてな。だからこそ言える。何者にも染まらず、屈することなく、ただ一つの目的の為に進める。

 

 

 

 お前は──本当に強い。

 

 

 

 

 

「悪いな神崎。約束破るぜ」

 

 俺は解除キーで防弾ガラスの扉を今度こそ開ける。横を流れていく先生が『象殺し』を向けるのと俺がルビーのナイフで掌を自傷するのは同時だった。斜線から逃れ、何度も繰り返し書き続けてきた図形を防弾ガラスに描く。天使相手に命懸けで描いてきた図形、先生の凶弾に撃たれるよりも完成した図形から閃光は先駆けて闘技場に放たれる。

 

 カナの足止め、先生への目眩ましを兼ねた天使避けだったが前者は俺の考えが浅かった。左足に被弾、撃った相手はカナ以外にいない。神崎の膝を撃ち抜いて体勢を縛り、三つ編みを揺らした彼女と、視線が重なる。

 

「私に恩寵は宿ってないわ。変な使い方を覚えたのね、キリ。お兄さんから教えてもらったの?」

 

 間違いなく()()だ、アメリカ本土で出会った彼女に間違いない。人間離れした美貌と神崎すら寄せつけない鬼神のような力を併せ持った、記憶から消そうにも消せない存在の一人。

 

 イ・ウーに彼女がいるわけがない──呈の良い幻想を俺は今度こそ瓦礫の下に埋める。

 

「そいつは良かった。あんたは信心深いからな。Yes.と言ってたらどうしようかと思ったぜ」

 

 俺の記憶ではカナが主に振るっていたのは鎌だった。大型の鎌──竜の爪(カルカッサ)がどこにも見当たらない。この数年で武装を変えたのか?

 

「……雪平、アンフェアなんやお前のやり方は。後で教務科に来いや。手出ししたからには、下手な立ち回りは許さんで?」

 

 先生への返事には逆手に持ち直したルビーの剣で答える。教務科に行くのは滅入るが、明日の命よりまずは今日の命だ。

 

 相手はカナ。その強さは数年が経った今でも忘れられない。神崎を翻弄する相手に普通の立ち回りなんてできねえよ。剣と刻印でもない限りな。

 

「……あんた、どういうつもり?」

 

「頼まれたんだよ、お前の一番のファンから電話を貰ってな。対戦相手は雑魚じゃない、5つ星のマイスターだ。お前も気づいてるだろ」

 

「どうだっていい。これはあたしの絶対に引けない戦いよ。助力なんていらない、戻りなさい」

 

「別にお前に助力するわけじゃねえよ。俺は俺の家の教えに肩入れしてるだけだ。だがよ、お前がやられてんのを黙ってるのは流石に寝覚めが悪いんだよ」

 

 それに、あの酔っぱらいの修理工が居れば止めていただろうからな。理子、お前の計画通りに時間は稼ぐ。聡いお前のことだ、何か用意があることを期待するさ。幸運なことに野次馬から罵倒は聞こえねえからな。

 

「俺は自分からボランティアに励むような人間じゃないが、受けた恩をほったからしにする人間でもない。神崎──施されたら施し返す、恩返しだよ。俺は俺の自己満足の為に横槍を挟む、文句はないだろ?」

 

 哀れみや同情から味方してやるわけじゃない。あくまで利己的な理由であることを視線と一緒に振り撒く。神崎に、そして眼前にいるカナに向けて。

 

「まず銃を撃ち、後から考える。少し会わない間にディーンに似たのね」

 

「……あんたは誰に影響されたんだよ。聞きたいことは山程あるぜ」

 

 取り戻したトーラスを抜き、一剣一銃の構えでカナとの殺傷圏内に駆ける。五感を研ぎ澄まし、必要な感覚にだけ全神経を割り振る。

 

「……まあ、オビワン・ケノービみたいに助言をくれにきたってわけじゃなさそうだな」

 

 見えない銃弾──あの名前も分からない女からは銃声も聞こえなかったが、カナからは銃を発砲する音が残っていた。

 見えないだけで銃を使ってるのは俺たちと同じだ。それでも実力が同じとは言えねえけどな。

 

 先んじて神崎は動いていた。今は乱入した俺も含めて迎撃に必要な弾の数は増える。カナが弾を切らしたタイミングで勝負に出るつもりだな。

 

 銃は見えないが神崎はマズルフラッシュや銃声でカナの得物を推理したのかもしれない。

 カナを相手にそれをやるのは至難の技だが神崎なら有り得る。俺の頭の中で神崎がカナに放った言葉が甦る

 

 俺が屈しない限り、相手が勝ったわけじゃない、か……上等だ。手こずらせてやるか。

 

 

 

 

 




……天使避けの図形をいい加減、本来の用途で使いたいですね。完結までには大天使も登場させたいですね。

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