哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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非日常へのチャンネル

 コルト──その銃は古いハンターたちの間で長くとして語られていた。かつて創立者によって生み出されたハンターの切札。その銃に殺せない者は5つだけ。ルシファーから産み落とされた特別な悪魔である『地獄の王子』、古来より信仰の対象にもなっている『異教の神』もたった一発の弾丸で葬ることができる。決して吸血鬼退治で役目を終える武器ではない。

 

 ハンターにはこの世で最も意味のある銃。そして俺の家族にとっても黄色い目の悪魔……全ての始まりである因縁の敵を倒す切札になった。同時に地獄の門を開ける鍵であり、アザゼルにコルトが渡ったことが最終戦争へ繋がるシナリオの始まりとなる。

 

 コルトSAA──本来の名前は『平和の象徴』──

 

 

 

 

 

 わけが分からない。それが頭に唯一浮かんだ感情だった。一瞬、神崎が日本刀を振りかざした途端、その身体が反転するように後ろへ弾き飛ばされた。姿もなければ音もない。まるで見えない力が働いたかのように神崎の奇襲が阻まれた、地面に投げ出されるような衝撃とセットで。

 

(……何が起きた?)

 

 息詰まる沈黙。見えない銃弾に近づけないでいた俺を囮に神崎はカナの背後を奪った。ホールドオープンしたガバメントと引き替えに抜いた小太刀はカナの背後を捉えた──俺にはそう見えた。だが闘技場に転がっているのは仕掛けた神崎と小太刀の方だ。そんな馬鹿なと思う反面、カナはまだ一度も地面に手を触れていない。

 

(カナのカウンター……?)

 

 髪を揺らして振り返っただけでSランクの小太刀を返り討ちにする災厄を果たしてカウンターの範疇に留めて良いのか。神崎が双剣双銃の二つ名で通っているのは、卓越した銃の腕とそれに等しい剣技を併せ持っているからだ。双剣双銃の斬擊は背後を捉えられてどうにかなるものじゃない。

 

 俺は背筋に冷ややかなものを感じながらカナの実力を低く見積もっていた自分を呪った。手に負えない相手だと分かっていたが怪物──いや、それ以上だ。

 

「キリ、貴方はお兄さんによく似てる。飄々としていても中身は激情家。外を見繕っても内側にある本質は変えられない」

 

「人のことを心理分析するより、自分のことを語ってくれ」

 

「それは聞く意味のない問いかけ。貴方たちはいつも自分たちで答えを探し、道を決めてきた。貴方は──航路を持つ者、自分で道を切り開いて進める子」

 

「Wanhedaよりは良い名前だ。けど、自分で答えを探したかったわけじゃない、誰も教えてくれなくて、導いてくれなかった。それだけさ。切り開く力なんて持ってない。諦め悪くサイコロを振ってきただけ、いつも出たとこ勝負」

 

 作戦なんてない、でもなんとかしてきた。天界が閉じたときも最終戦争もリヴァイアが地上に放たれたときだってなんとかしてきた。神はいない、ひねくれた大天使たちも頼れない、頼れるのは家族だけ。それでもなんとかするしかない、目を逸らしたところで厄介ごとは向こうから近づいてくる。

 

 ルビーのナイフと天使の剣の双剣、復帰した神崎は即興で俺のトーラスに武装を変えて援護に回る。打ち合わせや立案はない、各々が踏んだ場数と経験に物を言わせた咄嗟の状況判断。賭けや綱渡りに近い連携も全てはカナの不意を突くのが目的だった。普通に立ち回って時間の稼げる相手じゃない、共に武器を振るった俺の記憶が警告を鳴らして止まなかった。

 

 残弾を撃ち尽くすつもりのトーラスの援護射撃はカナを目前にして軌道が逸れる。即興の銃器に対しての神崎の適応力は流石だった。だが、それでもカナの魔技には届かない。キンジがランドマークタワーで行った銃弾撃ち、それを連続して行った。一発も撃ち漏らさずに。背筋に冷たいものが走る、カナの銃の腕は元Sランクだったキンジと同等、それ以上なのは疑う余地もなかった。

 

 武偵同士の戦いで銃は一撃必殺の武器にならない、だが彼女の前ではそれ以下の武器に成り下がる。殺傷圏内に踏み込んだ刹那、悪魔と天使の相対する刀剣は、背を向けたカナの前に宙を舞った。視界に小さな光が生まれ、見えない弾丸を右肩に浴びながら防弾ガラスの衝立の近くまで後退する。

 

「……見えたぜ、髪の中だな。目玉の親父でも居候してんのか?」

 

 カナは微笑んだまま答えない。あの美しい髪に冒涜とも取れる俺の発言には返ってくるのも野次馬からの罵倒だけだった。目当ての女からは何も引き出せていない、会話への誘いすら乗ってくれないか。

 

「……平和の象徴(ピースメーカー)。あたし、には……分かる……今ので、確信が持てたわ。コルト……あんたの好きな西部劇の、骨董品みたいな古銃よ……皮肉だけど──」

 

「俺は西部劇は好きじゃねえんだ。フェニックスに灰にされるのは勘弁なんだよ。悪魔だっているしな」

 

「その眼で見てきたような言い草ね。貴方が口にすると冗談ではなくなるわ」

 

「ユーモアは忘れないようにしてるんだ。苦しみを乗り切れる」

 

 カナは一転、微笑みからかぶりを振る。ジャンヌも同じことを口走りそうだな。理子の秘策が待ち遠しいがカナが時間稼ぎの会話に乗ってくれるわけないか。女神のような笑みから振るわれるのは鬼神のような力。カナの力は星枷やジャンヌに代表する超能力とは異なる。人間が本来持っている力の極限……いや、超能力とは違った方向で人間の枠を外れた力だ。今の俺にはカインの刻印を刻んで身体能力はようやく互角、第一級の呪いのリスクを背負っても同じ土俵にしか立てない。

 

 カナ──彼女はアメリカで一緒に狩りをした仲間だった。過ごした時間は短いが彼女のことはアメリカを去っても忘れられなかった。動物の心臓しか食らわない狼男や血液パックの血で飢えをしのぐヴェータラを彼女は退治することなく見逃した。

 

 一つの景色に縛られず、広い視野を持った穏健な狩人であり、どの州に行っても人から尊敬と注目の眼差しを集める女性。イ・ウーにいることが信じられない、何か特別な理由があると思い込みたいよ。あんたは神と一緒で何も語ってくれないけどな。

 

「カナ、やめろ!」

 

 防弾ガラスの扉を越えて、キンジが闘技場に転がり込んできた。象殺しを構える蘭豹が外からキンジに向けて叫んでいる。これで三人、頭数は増えたが軸足に力を入れようとして俺は違和感に気づく。

 

 カナを呼ぶキンジの声は見知った相手を呼ぶときの声だった。俺はカナの名前をこの戦いの中で何度か口にしている。キンジや蘭豹が名前を覚えたとしても不思議じゃないがキンジがカナを呼ぶ声は特別な相手を呼ぶ声色だった。初めて会った女を呼ぶ声でも表情でもない。先生から培った尋問科としての勘が違和感を募らせた。

 

「……キンジ?」

 

 カナが一瞬キンジを見た隙に──神崎が俺の予備弾倉を引ったくり、遊底を引いた。目敏い女だよ、尊敬してやるぜ。俺もジョーの形見のナイフを軽くなった右手に構える。が、安全装置の外れたベレッタはあろうことか俺たちに向けられた。

 

「切、アリア、ここまでだ。これ以上続ける意味はないだろ」

 

「へえ、頭数が増えたと思ったら仲裁に来たんだな。俺は大歓迎だが睨み合ってるモスラとゴジラを先になんとかしろ」

 

「……どきなさい、キンジ。あたしには意味があるの。銃口を下げなさい、あんたも巻き込むわ」

 

 神崎は手負いでもカナへの敵意を保ったままだ。カナにベレッタを向けても闘技場に満ちた緊張感が切れることはない。カナも神崎も武器を下ろす気配はなかった。

 

「どきなさい、キンジ。貴方のような素人は動きが不規則な分、事故が起きやすい。危ないわ」

 

 カナもキンジを遠ざけるべく、一歩足を踏み出した。

 

「危なかしい弟を心配する姉みたいだな」

 

「心配なのは貴方も一緒。重荷を下ろす時間が貴方には足りてない。ナイフを向けるべき相手は私たちではないハズだけど?」

 

「今は武偵だからな。守備範囲が増えたんだよ。昔に比べてな」

 

 ……まだ武偵になる前から狂った人間とは、無縁じゃなかったけどな。人間も立派な怪物だよ。

 

「カナ、切とも知り合いなら充分だろ……! あんたが銃を向ける相手は、正しいのかよ……!」

 

「キンジ……貴方、変わったのね。正しいのか、貴方がそんなことを聞いてくるなんて」

 

 淋しさ、だけじゃねえな。カナがキンジを見る眼は淋しさと他の感情が混じってる。俺が考えているよりも深く、絡み合った関係。ベレッタを彼女に照準する手が震える程度にはな……

 

「こ、こらぁー! 何をやってるんですか!」

 

 緊迫した空気を壊したのは小柄な婦警の声だった。おそらく湾岸署から駆けつけたらしい婦警が、生徒たちをかき分けるようにして強襲科に入ってきていた。熱気を飛ばして観戦していた生徒も婦警の登場に顔色を変えてやがる。理子が通報したんだな──助かったよ。さすが峰理子、期待を裏切らない女、敵に回したくない女だよ。

 

「逮捕します! この場の全員、緊急逮捕します!」

 

 つか、あの婦警……どっかで見た気がするんだよな。いや、誰かに似てるだけか?

 

「あなたたちも解散しなさい!」

 

 甲高く叫びながら、走ってくる婦警とは別に一人──

 

「用は済んだの?」

 

 闘技場に転がっている天使の剣とルビーのナイフを回収しながら、魔宮の蠍が歩いてきた。

 

「重役出勤だな、夾竹桃。寄り道してたのか?」

 

「貴方の腰が軽すぎるのよ。私がいても勝ち目はなかったわ」

 

「敵に回らないだけ感謝しとくよ」

 

 二本の刀剣を受けとると、カナが先程まで放っていた闘気が薄れている。戦闘を続行する意思はないらしい。婦警の介入で張り詰めてた空気が変わったな。緊張感のないカナのアクビが良い証拠だ。夾竹桃も鞘とも呼べる手袋に手を触れることはないだろうさ。水入りムードで不機嫌になった蘭豹の殺気に生徒たちが慌てて散るが、強烈な殺気は矛先を変えて駆けつけた婦警に向かった。

 

「ケッ。サムい芝居で水差しやがって。あとで教務科に来いや──峰理子」

 

 ……なるほどなぁ。ちくしょうめ、金槌で頭を殴られたような気分だよ。先生に睨まれて婦警は理子の声で笑いだした。悪魔や天使よりずっと頭が回るよ、婦警さん。俺は額を抑えて闘技場の天井を仰いだ。

 

「誉めてあげれば?」

 

「いちご牛乳を奢ってやりたい気分」

 

「貴方には一番似合わない飲み物ね。ちびっ子ギャングにはコーラがお似合い」

 

「そのネーミングセンスは魔王級だよ。ロックスターの真似してる魔王級だ」

 

 カナがキンジの横を通り過ぎ、闘技場から去ったことで俺も左手に待機させていた天使の剣を袖に戻した。理子の奇策がなかったらカナは止められなかった。俺は踵を返したカナの背中を黙って見送る。イ・ウーは天才同士が集い、力を研磨する場所。あんたは充分強いだろ、これだけ強いのにどうしてイ・ウーにいるんだよ……

 

「アリア……!」

 

 膝を折った神崎が地面に倒れる寸前、キンジが前から神崎を抱える。

 

「切、手を貸せ! 救護科まで運ぶぞ!」

 

「分かった、聞きたいことは後回しだ。夾竹桃!」

 

「後から話すわ。さっさと肩でも貸してあげれば?」

 

 夾竹桃は理子と一緒に踵を返して歩いて行った。一転して闘技場には水を打ったような静けさが走る。

 

「強襲科を抜けてからホンマに昼行灯になりよったなぁ、遠山」

 

 蘭豹が長いポニーテールを揺らし、かぶりを振った。

 

「先生の教育は気が緩む暇がない。鉄火場を離れて勉強三昧、妥当でしょう?」

 

 地獄の王が大好きな気取った軽口を返し、俺は神崎を抱えるキンジに手を貸す。腕を組んだ先生が俺にガンをたれた。

 

「お前は腑抜けた面になりよったなぁ。40点や──つまらん立ち回りで時間だけ盗みよる。最初から峰理子と口裏合わせとったな?」

 

「婦警に化けるとは思いませんでしたよ。でも信頼できる奴です。あいつは普通じゃない」

 

「ケッ、お前が言うと意味が違ってくるわ。今度自由履修に来い、もっと上手い時間の稼ぎ方を教えてやらんでもないしな──はよ、神崎運べや」

 

 キンジが神崎を抱え、救護科へ一目散に走る。強襲科の生徒にすれ違ったが……手を貸してくれる奴はいないらしい。神崎のプライドを尊重して手を出さないのかもしれねえがな。

 

「先生はカナに殺気がないのを見抜いてた。だから手を出さなかったんだよ。荒っぽいが神崎とカナの戦いを他の生徒の教育に利用したんだ。神崎とあそこまで立ち回れる生徒は指で数える程度だからな」

 

「だからって止めるべきだろ!」

 

「武偵には4条がある。いくら友達や仲間でも訓練や授業で傷ついて、その度に手を差し伸べてたらキリがない。自立なんて気が遠くなる話だ。まぁ、あれは完全に違法だけどよ」

 

「……だから乱入したのか?」

 

「お前と一緒だよ。神崎には借りがある。選ぶ権利があったから俺は乱入したんだ。いつもどおり、選ぶ権利があるなら俺は戦う方を選ぶ」

 

 勝ち目のない戦いは馴れてる。相手がカナなのは想像もしてなかったけどな。夾竹桃とは会話の席を後で約束したがキンジにも聞きたいことがある。それはキンジも同じだ。俺たちは鏡合わせの疑問を抱えてる──襲撃してきたカナとの関係。お前とカナはどんな関係なんだよ?

 

「ゆ、雪平さん!?」

 

「安藤。救護科か衛生科の生徒呼んで」

 

「今は武偵病院で実習ですよ! 誰もいませんって!」

 

「じゃあ俺とキンジでやる。小救護室借りるよ」

 

 俺は驚いている知り合いの女子生徒との会話を手短に済ませ、小救護室の扉を叩いた。本当に物音も人の気配もないな。見渡す限り、部屋には誰一人いない。俺が薬品棚を見聞する間にキンジが神崎をベッドに座らせる。倒れたときは意識を失っていた神崎だが無人の救護室に入ったときには意識を取り戻していた。回復の早さも人並み以上だな。

 

「……どうして止めたのよ?」

 

 震える声に振り向くと、神崎は体育座りで顔を伏せていた。

 

「止めるもなにも、もう勝負はついてただろ」

 

「ちがう! あんたがジャマしなければ、いくらでも勝つ手はあったんだもん! キリの増援だって本当は必要なかった! カナは……あたしが一人で勝たないと意味ないの!」

 

 神崎はヒステリックなアニメ声で叫んだ。だが、その顔を上げはしない。本当は誰よりも神崎が理解してる、カナには俺と夾竹桃が力を貸したくらいでは太刀打ちできない。

 

「自分をごまかすな。兄さ……カナとお前の力量差は、誰の目にも明らかだった」

 

「──力量差があっても! 勝たなきゃいけなかったのよ!」

 

 ──いや、まさかな。こんなときに俺は理子が空の上で語った言葉を思い出していた。

 

 

 

『あのね、イ・ウーには──お兄さんも、いるよ?』

 

 

 

 俺はこれでも尋問科だ。口からこぼれ落ちた重要な言葉を聞き流したりしない、先生からの教えは染み付いてる。キンジは『兄さん』ではなく『カナ』と言い直した。キンジがカナを呼んだときの特別な感情の混じった声、そして理子の上役としてイ・ウーに所属する立場、キンジが見せた『銃弾撃ち』の上位互換とも呼べる技術。非日常で生きてきたせいで浮かんだありえない推測が頭をよぎる。

 

 ありえない、だがありえないことだらけの日常で俺は生きてきた。童話に語り継がれるセイレーンは女ではなく実際は男、北欧神話に語られている悪戯好きの神は天界を去った強大な大天使だった。予想や常識を裏切られる体験を何度もしてきた。ありえない推測を──俺は頭から切り捨てられない。

 

「あれはカナ! 理子がこのあいだ紅鳴館に行く時に化けた、あんたの……昔の知り合いで……あの時あんたが一目見ただけで動揺した女! そいつがいきなり強襲科に現れて、あたしに決闘を挑んできた。逃げるワケにも、負けるワケにもいかなかったの! あたしだけの力で勝たないといけなかったのよ! それを──」

 

「アリア、知っておけ。世の中には、お前より強い武偵なんかゴマンといるんだ」

 

「だめよ! だめなの! あたしは、あたしは強くなきゃいけないの! いくら差戻審になったって……ママはまだ拘留されてる! 1審の終身刑だって消えてない! あたしが、あたしが強くなきゃ……ママを……助け……られ……ない……!」

 

 俺はコールドスプレーをベッドの脇に置き、小救護室の扉をこじ開けた。

 

「ど、どこ行くつもりだよ!?」

 

「俺はお前たちのルームメイトでパートナーじゃないからな。カウンセリングは無理だ。ここは席を空けるよ。なあ、神崎──」

 

 半分開いた扉の前で振り返り、俯いている神崎に一方通行の視線を向ける。

 

「俺は母親から逃げた。まぁ、色んな意味でな。家族が傷つくのを見たくなかった。兄貴たちの大切な母さんが悲しむところを見せたくなかったんだよ。言い訳にもならねえけどな。たった一人で母親を救うために日本に乗り込んできたお前は……無鉄砲だが弱者じゃねえよ」

 

「待ちなさい! あんたが日本に来た理由って──」

 

「俺は教務科で蘭豹先生と話をしてくる。話が終わったらキンジの部屋に戻ってくるよ。それまで暫しの別れだ──Ciao」

 

 母さんは親父を助けるために黄色い目と契約した。自分の命以上に親父を愛していたんだ。俺は親父が起こした過ち、母さんに悲しい顔はしてほしくなかった。愛した人の過ちがしがみつく人生なんて真っ平だ。母さんの悲しみはサムやディーンにも伝染するからな。パートナーでもないルームメイトの俺は──ひらひらと右手を振りながら、救護科の廊下を歩いた。

 

 

 

 

 教務科の訪問は、理子と擦れ違いになったようだ。蘭豹先生が名前のとおり、豹のような目で待っていたのだがこうして命があるだけ幸運と思うべきだな。教務科の戸を叩いて、ドクの世話にもならずに済むのは純粋に朗報だった。

 

 イ・ウーとの戦いの連続で病院からの逃亡が常習的になっちまったからな。それにキャスが肋骨に掘った天使避けがレントゲンに写って、それを見たドクは椅子から転んで頭を打ったらしい。現在進行形で俺を逆恨みしてる。肋骨に意味不明な文字が刻まれてるくらい普通だろ、とどのつまり家庭の事情。

 

 無事に教務科で先生との用事を済まし、俺は緋色に燃える夕空の下で部屋に帰宅した。トランクを抱えた神崎と……入れ代わる形で。黙って擦れ違おうとしても足は勝手に止まっちまった。

 

「授業も残ってないのにどこ行くんだよ?」

 

「……もうみんな、何もかも……ほんとに、なくしちゃったよ……キリ……あたし、何も、残ってない……残ってない……よ。イヤだよキンジ……みたいなヤツ……絶対……いない。もう、見つかりっこない……よ」

 

 小さな川のように流れる涙を手の甲で必死に拭う神崎は、そんなことを呟いていた。泣いてる女にかけれる言葉を俺は知らない。俺はキンジじゃないんだ、今の神崎にしてやれることなんて何もない。

 

「二番目の携帯が繋がる。何かあったら電話しろ」

 

「……カナは……キンジの何なのよ……あんたもカナと……」

 

「一時期、本土で彼女と一緒に狩りをしてた。それだけだ」

 

 答えるが、神崎は不愉快そうにかぶりを振るだけだった。次に振り返ったときには神崎の姿は玄関から消えていた。俺はポケットに手を突っ込んで、長い廊下を居間に向かう。話題の中心に立っている女性がふらりと俺の肩を流れていく。

 

「……どうして神崎を試したんだ。キンジのパートナーがそんなに気になったのか?」

 

「シラ書42章19節──主は過去と未来を告げ知らせ、隠されたものの形跡を明るみに出される」

 

 旧約聖書──神が作ったバカ売れのベストセラーか。ここだけの話、神は休暇を取ってる。釣りでもしてるよ。俺はかぶりを振り、カナと同じように書物の一節を口ずさむ。

 

「また捨てられた。父はさっさと雲隠れ。アマラおばさんと一緒に。私の力を借りたくて上手いこと言っただけさ。言葉は偽れる、意味がない。実際意味があったことなんて一つもない──SUPER NATURAL13シーズン、ロックスターの器に入った魔王」

 

 正確には書籍になってない幻の一節だけどな。作者は姉と一緒に雲隠れ。釣りでもしてるよ。

 

「貴方は神に祈ることもしないのね」

 

「初めて死神に会ったとき、兄貴と心から祈ったさ。奇跡が起きるように」

 

「アリアは、危険な子。誰かが導いてあげないといけない子。その『誰か』がキンジであれば……わたしは、誇らしいのだけれど」

 

「神崎のパートナーはキンジだけ。キンジのパートナーは神崎だけ。神崎を導いてやれるのもパートナーだけだ」

 

 コインの裏表、そんな分かりやすいもんじゃないが神崎を導いてやれるとしたらそれはキンジだけだ。神崎の隣で肩を並べるのはあいつ以外に考えられない。

 

「──さっき、理子ちゃんには言っておいたんだけど。私、これから『寝る』わ。台場にホテルを取ってあるの。貴方も来る?」

 

「ディーンならインパラをぶっ飛ばしただろうね。でもキンジや夾竹桃に話がある。気持ちは嬉しいけどまた今度にするよ」

 

 数年振り、久しぶりに会ったのにいつも顔を合わせていたような親近感がある。一緒に狩りをした記憶はそれだけ濃密な時間として刻まれる。不意に俺はアクビをしたカナの表情に誘われて肩をすくめた。張り詰めた糸が切れたような感覚だ。

 

 俺たちと出会って不幸にならなかった人はいない。サムの言葉はあながち間違いでもないんだ。俺たちに関わった人で悪魔や天使や怪物に振り回されなかった人は一握り。最後は必ず血を見る。こんなこと思うのはどうかしてるがカナが生きていることに安心した自分がいる。

 

「台場にいるなら、また会えるんだな?」

 

「貴方は磁石。ジャンヌや理子ちゃんに言われたハズよ。私たちは貴方に引き寄せられる」

 

「ジャンヌや理子が来てくれるなら嬉しいね。人食い鬼やジン、レイスを引き寄せるよりずっとマシだ。あんた以外にも誰か来てるのか?」

 

「敵が迫ってるわ。ジャンヌは先手を打たれた、大きなものが深く、静かに忍び寄ってる」

 

 ……ジャンヌの足を折ったのはバスだが原因を作った虫はやっぱり使い魔か。虫、スカラベ、連想ゲームでも正体は言い当てられる。パトラ、お前を倒す理由がまた一つ増えたぜ。過去の因縁を含めて精算してやる。

 

「キンジはあんたの弟なのか?」

 

「血の繋がりは関係ない。大切なのは気持ちで繋がること。支え、支えられる関係で繋がることができれば家族になれる。貴方ならこの意味が分かるハズよ」

 

「ああ、分かるさ分かってる。血が繋がってるだけじゃ家族にはなれない──築きあげていくものだ。あんたはどちらの側にいるんだ? 神崎の敵か、それとも味方なのか?」

 

 カナは綺麗に編み込まれた三つ編みを揺らしただけで何も言わずに玄関から外に歩いて行った。大きなもの──それが果たしてパトラだけを意味した言葉なのかも俺には分からない。だが、あんたがイ・ウーの一員として神崎と敵対するなら俺はあの女につく。

 

 俺は一人でかぶりを振った。ああ、分かってる。連中に『Yes.』でも言わないと俺はカナに勝てない。俺のままだとカナには勝てないんだ、闘技場の戦いで身を持って味わった。カナと俺には埋められない差がある。工夫や作戦で埋められない差だ。だが、選ぶ権利があるなら俺は戦う方を選ぶ。逃げる選択は、もう選ばない。

 

「キンジ」

 

 部屋にはキンジがいた。苛立ちからベレッタの握把で、壁を殴っている。俺は足元に転がっていたももまんとウナギまんを拾い、テーブルの上に置いた。神崎はももまんしか買わない、玄関であいつが抱えていた紙袋のなかには自分のももまんとキンジにあげるウナギまんが両方入っていたんだろう。

 

「神崎は出ていったぞ」

 

「……知ってる」

 

「カナとそこで擦れ違った。数年振りに再会したと思ったら一日に二度も会うなんてな。思ってもみなかったよ」

 

「そうかよ……」

 

 ぶっきらぼうに言い、キンジはベレッタを戻す。

 

「神崎は泣いてたぞ、カナにお前を取られたってな。家族と比べられんのはあいつも酷だよなぁ」

 

 壁を殴る音がして、俺はポケットに両手を突っ込んだまま振り返る。キンジが壁を殴り付けたまま体を震わせていた。

 

「楽しいのかよ……人の家族を掻き回して!」

 

 俺は首を斜めに傾け、キンジの憎悪の視線と向き合う。

 

「悪戯好きのトリックスターと一緒にするな。お前が誰とパートナーを組もうが勝手だ、俺がどうこう言うつもりはねえよ。経験から言うが家族の話は熱くなるよな。今のお前は──触れられたくない兄弟の喧嘩に口出しされた末っ子のガキそっくりだ」

 

「お前に何が分かる……! 見抜いてるだろうから言ってやるがカナは家族だ! アリアは……自分から出ていった!魔剣のときみたいに、まるであのときの再現だ。俺に何ができる……? カナは格が違う。またアリアを狙われたら俺には止められない。カナは……」

 

 キンジは一瞬言い淀んだ。

 

「……いつも正しかった。でも再会したカナの考えは、俺には分からないんだよっ!」

 

 二度壁を殴り付け、キンジは歯を噛み締める。

 

「俺とカナ、俺と兄さんの関係は一言で言えるようなものじゃないんだ! どうしてイ・ウーにいるのかも分からない! アリアを狙った意味もさっぱり! ずっと話がしたかったのに分からないことだらけだ!」

 

「ああ、カナは格が違う。じゃあ、お前は神崎が崖から落ちるのを黙って見逃すか。お前に伸ばしてきた手をそっちのけで知らないふりができるのか?」

 

「……でも家族とは戦えない。兄さ、カナとは……戦いたくない。俺にはやれることなんてないんだよ……」

 

 ……やれることはない、か。俺は瞑目し、足元のゴミ箱を左足で蹴りとばした。

 

「お前はいつからそんな腑抜けになり下がったんだッ!」

 

 感情に任せ、牙を剥くような眼を向ける。

 

「家族のことが分からなくて悲しいか? 自分が思ってた姉でも兄とも違って絶望したか? やれることなんてないだと──甘ったれるんじゃない!」

 

 そう言い、俺はキンジに詰め寄った。

 

「じゃあ家族ってなんだ。いつも笑顔でアップルパイを焼いて、慰めてもらえるのが家族か? 言うことなすこと馬鹿みたいに頷いて隣にさえいてくれたら満足か? お前を苦しみのどん底に突き落とすから家族なんだぞ!」

 

「自分で家族から離れたお前に……何が分かるんだよ……! お前は俺に自分を重ねて自己嫌悪したいだけだろ! お前に何が分かるんだよ! 本当に恨むべきなのはお前の好きな神様や運命ってヤツだろ……!」

 

 キンジは憤怒の形相で言い返してくる。俺はテーブルに置いたインパラの鍵を拾い、背中を翻した。

 

「悲しいよ、これがテレビならいいのに。簡単に答えが出て、『じゃあねバイバイ』と言って終わり。だが現実なんだ。どの道が正しいのかなんて神も知りやしない。だが覚えとけ……」

 

 振り返り、室内に漏れ入ってくる夕日を背景に俺は続ける。覚えとけよ、キンジ。

 

「──神崎が出ていったのはカナとの確執や再会が原因なんじゃない! 勿論運命のせいでもなんでもない! まともに家族とぶつかることが怖くて逃げ出そうとしてる──お前の責任だ!」

 

 

 

 

 




トリックスターの回が人気なのはシリアスとコメディ要素を一時間で上手に纏めているところなんじゃないですかね。彼の登場エピソードはシーズン5を見終わってから見返すとまた違って見えます。よくよく考えるとウィンチェスター兄弟が最初に出会った天使は飴玉を舐めてる彼なんですよね。


『悲しいよ、これがテレビならいいのに。簡単に答えが出て、じゃあねバイバイと言って終わり』S5、8、ガブリエルーー

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