『まなーの分からぬ者ばかり。何の用ぢゃ、極東の愚民ども』
『チェックインだ』
『敵が迫ってるわ。ジャンヌは先手を打たれた、大きなものが深く、静かに忍び寄ってる』
『ご忠告ありがとう。後払いの貧相なワインを楽しみに待ってる』
『これも狩りだよ、雪平くん。世界の命運を、左右してる』
『──初めまして。この国ではそう言うのでしょう?』
『それでも事実だ。俺はされる側からする側に変わった。アラステアの話に乗ったんだよ』
『パトラはイ・ウーの厄介者なのだ。ロウィーナ・マクラウドはお前たちと関わり、随分角が落ちたと聞いている』
『……お前の言ったとおりだよ。兄弟と戦うのが怖かった』
『……退けない、のよッ。今回だけは……ッ!』
『男のプライドって厄介だよね』
『──貴方も好きねえ』
『ないって言うのか? 自惚れは大したものだが肝心なところが抜けている。欠陥品とはいえ、俺にも『カインの血』が流れてるんだぞ?』
『気品の欠けた怪物。だから──煉獄に閉ざされた』
『──やってみなきゃわかんねえだろ!』
『じゃあ──取引に意義を唱えようかしら』
──空から女の子が降ってくると思うか?
「空から天使が降ってくる世の中だからなぁ」
海にやんわり浮かんだ救命ボート、金一さんを抱えるパトラの隣に横たわりながら、俺は空から下降してくる二人のルームメイトを仰いだ。どこまでも想像の斜め上を行く男だな、お前ってやつは。
「どうして、俺を?」
「お前がYes.と言う可能性もないとは言えなかった。ディーンを見ればよく分かる。お前たちは家族のことになると、この世の誰より躍起になる」
「……そうですね。俺はあの女を、いつのまにか家族と思っていた。何度も死線を潜り抜けた仲です。俺もキンジもあいつの為に死ねる。他に言いようがない。でも誓って大天使の器になるつもりはなかった」
横たわったまま、首だけを出血の落ち着いた金一さんへと向ける。サソリの尾(スコルピオ)と命名された鎌によって俺はパトラの戦いに乱入したカナに意識を飛ばされた。大天使の器になる可能性を危惧されて。俺は金一さんの治療に専念していたパトラと、険悪な空気で睨み合った。
「……遠山家の一番の武器は武力より、そっちかもしれませんね。パトラを懐柔するなんて」
「俺に、お前の兄のような器用な真似はできん」
「ご謙遜を。貴方を嫌いになる女はいませんよ」
俺は、ゆるくかぶりを振る。
「今だから言いますが、ルシファーはしっかり檻の中に戻しました。地上に出れる大天使はもう一体もいませんよ。あれはブラフです。聖書のメインキャストの知名度を利用した一回きりのカード、予想とは斜め上の結果を招きましたが神崎が無事に戻ってきました。終わり良ければ今は満足です」
「お前らしくない考えだな」
「ええ、終わり良ければそれで良し。そんなのは公安のルールです。でも仲間は生きてる。それで良しとします。今までのことを考えると、良すぎるくらいの終わりですよ」
ブラフをかけられたことでパトラが無言の圧力を飛ばしてくるが、救命ボートで船の続きをするつもりはないらしい。そこまで頭の回らない王様じゃない。戦うことより金一さんを助けることに頭が向いてる、俺から仕掛ける意味もない。星枷もイロカネアヤメを取り戻し、救命ボートは休戦ムード一辺倒だ。この足場で戦えばみんな海に真っ逆さまだしな。
「切」
「はい?」
「見ない間にディーンに似てきたな」
俺は目を丸めて視線を空へ逃がした。
「……複雑なところを突きますね。それって嫌味ですか?」
「どう受け取るかはお前次第だ」
「じゃあ褒め言葉として頂きます。でもディーンよりは歌には自信がありますよ。理子やジャンヌには負けますが」
あと、そうですね。カナと金一さんの繋がりについては口を閉ざすことにしておきます。口は、災いのもとと言うからな。なぜ……女装して戦っていたのかも理由があるんだろ、たぶん。今の俺には、それを聞く勇気も余裕もなかった。この人に助けられたことは、間違いないからな。
「雪平くん! あ、あそこ!」
「ああ、しぶとい連中だ。簡単にはくたばらない、いつだって」
見上げた空には、きらめく太陽が、銀の針のように輝いていた。そして、ゆっくりと着水した神崎とキンジに星枷が食い入るように視線を投げる。
「でもアリアって‥‥‥」
「そうだな、どっかの蠍と一緒で泳げないよ。浮き輪でも投げてやろう」
とりあえず──お帰り。騒がしいルームメイトのお二人さん。
◇
「キリくんの番って知ってるよね?」
「知ってる」
「だったらいいけど、10分くらい経ってるから一応」
「分かってる。考えてるんだ」
「そう」
「いいか?」
「うん、全然。どうぞ?」
……どうすっかな。テーブルに並んだ透明の駒を一瞥して、俺は腕を組んだ。頭を捻ってルークの駒を持ち上げるが最後の決心がつかない。
犯罪組織イ・ウーを巻き込んだ騒動は一旦終息を迎えた。流れ者の集まりだったイ・ウーは、纏め役であった教授を失って事実上の解散。残党の間でパイプは繋がっているが、あちこちに巨大な影響力を及ぼしていたイ・ウーという組織は、たしかに壊滅した。イ・ウーの巨大な力は各地の武装組織へ抑止力として働いていた。ダムが決壊したことで起こるのは洪水だ、知り合いの警部に指摘されたとおりになったが、後のことはこれから考えるさ。
晴れて神崎が戻り、理子と夾竹桃の怪我も回復。二人が眼帯を嵌めた姿を見ることはなくなった。部屋の片隅でソファーに横になっているジャンヌの傍らにも支えにしていた松葉杖はない。バスに轢かれたってのにこの短い時間で足を完治させるのは流石は聖女様だな。呆れと感嘆、妙な評価を送ってやり、俺は夾竹桃が取ったホテルを不意に見渡す。相変わらず、部屋は観葉植物だらけの魔境となっていた。この部屋、いつかシマネキ草が混ざっていても不思議じゃないな。いや、そうじゃない。それよりどこに駒を指すかだ。
「変われば変わるものね。すっかり私の部屋に入り浸りよ、貴方?」
「綺麗なホテルに憧れてたんだ。いつも埃っぽいモーテルに泊まるのがお約束でさ。つか、前より植物増えてないか?」
何食わぬ顔で部屋の主、つまり夾竹桃はジャンヌに対面する椅子に腰を下ろした。放し飼いにされた蝶がその頭上をひらりと舞っている。
「ガーデニングが趣味なの」
「それは初耳。答えであって答えじゃない気がするのは俺だけか?」
「あまり難解な言い回しを使うのはやめなさい。馬鹿に見えるわよ」
「冷たいお返しをどうも」
「キリくん、まだぁ~?」
「煽るなよ。1分足らずで前言撤回しやがって。理性が蒸発してるわけであるまいし」
「私からひとつアドバイスをくれてやろう。女性を待たせる男は嫌われる、覚えておけ」
「それは一理あるわね。女性を待たせる男は嫌われる」
聖女様に続き、夾竹桃まで煽りに参戦。容赦のない連携攻撃に肩の力が一気に抜けた。とんだ盤外戦術だ、仲良いなお前ら。だが俺には通用しない、俺の心臓鋼だから。
「ああ、覚えとく。男を待たせる女も嫌われるってことだな。よし、こうなったら斜め一直線の必殺技で……」
「それはカプモンでしょ? これ、チェスだから。ルールを守れないキリくんには運命の罰ゲームね」
「お前が言うと笑えねえよ。分かった分かった。これで、どうだ?」
ルークをそのまま動かすと、既に手を決めていたとばかりに理子は駒を揺らした。
「チェックメイト」
「……嘘だ」
「ほんと」
いや、チェックなら分かるけどチェックメイトなんてことあるわけねえよ。見てろよ、王様をこうやって、ここをこうして──
「お前らが急かすからだぞ!」
「フッ、私の責任というわけか」
……なんで誇らしげに笑ってる? 全然誉めてないからな? 誉める要素ないんだぞ?
「ジャンヌと夾ちゃんは惨めな勝負を終わらしてくれただけ。ほんとは6手前から終わってた」
「ああ、そう。6手前からね。ヒーローインタビューやろうか?」
「兵を操る術は理子の方が上手だったな」
「雪平、はっきり言うけど、貴方──弱いでしょ?」
「弱いわけってわけじゃないけど、理子が超強いから」
「……分かった。揃いも揃って傷口に塩を塗りつけるんだな。いいさ、かかってこい。トークバトルだ」
シャドーボクシングの姿勢を取った途端、理子は我先にいちご牛乳のパックを手に取った。理子め、ストローを口実に無言を貫く算段だな……
「二人とも、それと雪平も。真面目な話をするけれどイ・ウーが崩壊して、遅かれ早かれ『宣戦会議』が開かれるわよ?」
一転、真面目な声色で夾竹桃が切り出す。覚えのない単語には真っ先に俺が聞き返した。
「宣戦会議?」
理子とジャンヌの顔付きを見ればある程度の予想はできる。まあ、いちご牛乳を味わいながら聞ける話ではないらしい。パックをテーブルに置いた理子が続ける。
「キリくんも理子たちとずぶずぶの関係だし、どうせ話すなら早くても遅くても関係ないか。イ・ウーの組織力は他より頭一つ飛び抜けてる。戦ったなら分かるよね?」
「……まあな。イ・ウーは世界各地から集まった天才たちの巣窟。言うなれば犯罪者のオールスターだ。他のどの組織よりも大きな影響力を持ってる。司法組織が内密にしたいくらいに」
ジャンヌに目配せすると無言の頷きが返ってきた。
「イ・ウーの巨大すぎる力は他の組織を牽制し、闘争の抑止力になってきた。そして長らく続いてきた均衡がイ・ウーの崩壊で白紙に戻った。宣戦会議は、白紙になった均衡のバランスを取り戻すために行われる戦への表明、開戦の儀なのだ。各組織から代表を集め、師団、眷属の二つの組織に分かれて──」
「戦うわけか。覇権をかけて」
「簡単に言えば」
イ・ウーが壊滅、戦いの大局が終わったと思った矢先に次の問題が舞い込んでくる。俺は後ろ頭を掻いた。要はいつものパターンだな。問題が問題を呼ぶ。
「イ・ウーは一枚岩ではない。派閥の敵対関係は空中分解程度では変わらないのだ」
「分かりやすく言うと?」
「私たちが主戦派に私怨があるように、主戦派も我々に私怨がある。肩を並べて戦うことはまず有り得ないだろう」
「イ・ウーの亡霊とはまだ縁があるわけだ。教えてくれてありがとう、心構えはしとくよ。招待状が来たら教えてくれ」
突発的に開かれるより心構えができるだけ心臓には優しいよ。どちらに表明するにしても非日常が待ち構えてることだけは確実だな。
「理子も言ったが、いまやお前は私たちとずぶずぶの関係にある。友好関係にあると主戦派には認識されていると視るべきだ」
「そいつは光栄。主戦派が抱える私怨が俺にも飛び火するわけだ。歓迎会でも開いてくれる?」
「コーラくらいなら奢ってあげるわ」
「それ、最高。手を打つことにしましょう」
夾竹桃の手から目の前のテーブルに二リットルのペットボトルが置かれる。まだまだ手を結ぶことになりそうだな。我先に蓋を捻った理子に俺はうっすらと笑みを作った。これは序曲──神崎が俺たちの部屋に押し掛けてきたことで、新しく書き綴られられた物語のほんの序章に過ぎない。
「桃子、気になったのだがあの本棚にある小説は──」
「ああ、あれね。一部の熱狂的なマニアを抱えているファンタジー小説」
とりあえず、やることはいつも通りだ。目の前に降りかかる火の粉を一個ずつ対処する。まずは目の前で晒されそうな日記をどうにかするか。覚えてろよ、
◇
「屋上になにしに行くんです?」
「景色を眺めに。ずっと植物園の中にいたら、外の広い景色も見たくなるだろ」
「そんなもんですかね」
校舎の屋上へ続く階段を何気ない会話と一緒に上がっていく。癖ッ毛を跳ねさせた隣の女とは強襲科でカナと戦ったとき以来の会話になる。放課後まで校舎に残ってるあたり、暇な女だ。景色を眺めるために屋上にまで登ろうとする俺が言えた立場でもないが。
「安藤、キンジは本当に武偵辞めると思う?」
「いきなりですね」
「どう思う?」
「遠山くんが辞めたいと思ってるなら、辞めるんじゃないですか? 武偵って普通の職業じゃありませんから」
至って素っ気ない解答だった。本人の意思次第、無難で何より有り得る答えだ。俺も頷いて返す。
「俺もそう思う。でも普通の生活に戻るにはあちこちに敵意を向けすぎた気がして。ふと思っただけ」
「心配しなくても大丈夫ですよ。遠山くん、あれでも元Sランクの実力者だし。それに敵がいるって言っても雪平さんに比べれたら全然マシですって」
「バカかお前は。俺がいつ敵を作ったって?」
「そりゃ作りますよ。自分の性格を顧みてください。問題だらけです」
「どこが?」
「協力的じゃないとこ、思いやりがないとこ。妙に冷めたところ。その人を見下した態度」
指を向けるな、暇人。どれも当たってないだろ。
「あ……」
何かに驚いたときの声は隣でも下でもない。今、登っている上の階段から聞こえてきた。小さな声でも耳に残るアニメ声。
「見たくないものでも見たような顔してるぞ?」
「被害妄想もそこまでいくと笑い草ね。安藤、あかりが世話になったみたいね。あんたに礼を言ってたわ」
「間宮になにかやった?」
「徒手格闘を少し、見込みはありましたよ。神崎さんに似て優秀です。あ、じゃあ私は失礼しますね。雪平さんと話すのも飽きてたところでしたから」
……敬語で俺を馬鹿にすんのかよ。怒る気にもなれねえな。神崎とすれ違う前に安藤は踵を返して、階段を下って行った。暇人、いや考えていることが読めない女って言うべきかな。下っていく背中を見送り、俺は数段階段を上って神崎の隣に並んだ。
「屋上に何か用が?」
「……栄養ドリンク!」
地団駄を踏むようなテンパった神崎の態度に俺も眉を寄せる。屋上と栄養ドリンクがどうやっても結び付かなかった。無言の空気には、神崎が先に耐えられなくなって言葉を続ける。
「キ、キンジにさっきのモップがけ競争で負けたから、買ってこなきゃ……あんたも来なさい!どうせ暇なんでしょ!」
勢いで言い切り、神崎はさっさと階段を小走りで下り出した──いま、屋上に行くのを遠ざけたな。
「待てよ、神崎。自販機と購買は逃げねえぞ?」
足音はすぐに遠ざかり、踵を返して神崎の背中を追いかける。何の口実に栄養ドリンクを使ったのか、たぶん一緒に出てきた単語が絡んでる。つまり、キンジだ。結局、上っていた階段を下りきって、神崎に追い付いたのは自販機の前だった。夕暮れの陽光が自販機のLEDと混ざって、妙な雰囲気で中身が照らされている。
「遅い。手を抜いたわね」
「階段ダッシュで本気出してどうすんだよ?」
「あたしが前を歩いたの。ルームメイトなんだから、本気で追いかけてきなさいよ。ほら、御意は?」
「いたしません。俺、廊下は走らないので」
お目当ての栄養ドリンクの購入が終わった神崎と入れ替わりで俺も硬貨を流し、缶コーラのボタンを押した。ルームメイトねえ……居候から昇格だな。
「なあ神崎。あ、いや……やっぱり止めとく」
「言いかけて止めるのは女々しいわよ? ワンヘダらしくないわ」
「……お前までその呼び名使うのかよ」
俺をワンヘダと呼ぶのは、イ・ウー三人組限定だと思ってた。自販機から缶を取りだし、俺と神崎は来た道をそのまま戻る。
「母親の裁判、どうなったのかって思ってさ」
神崎かなえさん、神崎がイ・ウーを追いかけていたのは彼女の無罪を証明するためだ。組織が空中分解を起こせば裁判にも進展があるハズ。そうでなければ意味がない。歩いたまま神崎の返答を横目で伺う。綺麗な緋色の瞳と一緒に返ってきたのは、微笑だった。
「下級裁隔意制度が適用されるから、早ければ9月中に高裁判決が出るわ。そこで無罪になって、さらに検察が上訴しなければ──ママは釈放されるの」
「そうか、良かったな。本当に良かった」
「うん、あんたにも世話になったわね。皮肉は抜きにして、あんたには色々と助けられたし、感謝してるわ」
嘘偽りのない声色に、たまらず俺は首を横に振った。
「気にするな、俺はハンターだ。半分は狩り、いつもの仕事をこなしただけだよ。それに期待してた気持ちもあった。どんな手を使っても母親を助けようとしてるお前と違って、俺は母親って存在から逃げてきた。まともに向き合いもせずに。だから……お前に手を貸せば後悔の気持ちも少しは楽になるかと思って」
半分は自分のため。俺は自分の中にある後悔や後味の悪い気持ちを払拭したかったんだ。母親を助けようとする神崎に手を貸して、母親から逃げた自分の過去からさらに逃げようとした。罪滅ぼし気分だ。だから──言わないとな。
「世話になったのは俺の方だよ。何があっても家族を助けようとするお前の姿が兄貴と重なって見えた。逃げてばかりじゃいられない、お前が改めて教えてくれたんだ。感謝してる──
階段に足をかけた途端、隣から笑い声がした。
「あんたにしては珍しく真面目な話。最後の一言がなければね?」
「笑うところかよ。感謝の言葉だ」
「またドラマに影響されたんでしょ。ここはホノルルでもオアフ島でもない。ワイキキでもね?」
「お詳しい。語学堪能な武偵は大好きだよ」
「あんたの皮肉が聞けなくなるのは残念」
……そっか。言えなくなるんだな。
「ママの無罪判決が出たらね。あんたなら言わなくても分かってるんでしょ?」
刹那、前を向いていた緋色の瞳が俺に向けられた。窓から差し込む夕焼けが比にならない綺麗な緋色の瞳。バスジャックの事件が終わって、武偵病院で見たときの瞳と何も変わらない。色々あったがお前の本質は、いつだって母親を救おうとする娘の姿だった。
「──帰るんだな。ロンドンに」
かぶりを振ってくれないか、そう期待しなかったかと言われると嘘になる。
「もう学校にも、あまり来ないかもしれない。キンジには話したけど、裁判で忙しくなるから……あんたとも会えなくなるかもね」
「母親のためだろう? 神崎、それは喜ぶべき忙しさだ。まだ裁判はこれからだぞ?」
駄目だな。もっと言うべきことはある。最後になる前に心残りは吐き出すべきだ。後になって後悔したくない。
「いや、正直に言うとさ。お前と離れるのは寂しいよ」
「……それ、本気?」
「本気だよ。たった数ヶ月だけど忘れられない濃い時間を一緒に過ごした。俺は、お前のこと仲間だと思ってる。仲はまぁ……良くなかったかもしれないけど。絆はあったと俺はだいぶ思ってる」
足を止めた神崎は、目を丸くしていた。頬を掻いて、俺は先に階段を登る。
「ジャンヌや理子には言うなよ。俺が『絆』なんて口にしたと知られた暁には一週間は笑いのネタにされる」
「なによそれ」
「協力的じゃないとこ、思いやりがないとこ。妙に冷めたところ。人を見下した態度。それが俺の性格らしい。絆とか言わないだろ?」
「まぁ、あんたには似合わないね」
即答だな、これが答えだ。素直な感想を口にしてくれるのが嬉しい。
「誰に言われたか知らないけど。あんたも嫌味はしつこく覚えるタイプね。やられたらやり返すを地で行くタイプ」
「甘いな。やられてなくてもやり返す、身に覚えのない奴にもやり返す。誰彼かまわず、ヤツあたりだよ」
「……ただの迷惑じゃない」
言うべきことは言った。素直に仲間と離れるのは寂しいよ。一緒に戦ってきた仲間でルームメイトだからな。もっと一緒にいたいし、遊びたい気持ちだってある。それでも神崎には家族のことを第一に動いてほしい。その為に今まで戦ってきたんだからな。
「あんたやキンジと出会ってから、まだたったの数ヶ月だなんて、信じられないわね。もっと、ずっと昔から──」
そこまで口にして、ふと歪められた口角と、一緒にかぶりが振られる。
「……ううん、やっぱりあっと言う間だった気もする。不思議ねえ。時間ってほんとにいつも同じ早さで流れてるのかしら」
「哲学的な問いだな」
「茶化さないの」
「茶化してないよ」
と、茶化すように言うと、緋色の瞳は、物言いたげに、甘く、こっちを睨んでくる。
神崎と初めて会ったとき、季節はまだ春も真っ只中だった。いま、四季は移り変わり、真夏だった8月の日付も最後の日を刻んでいる。母親という、心のどこかで燻り続けていたものと向きあうキッカケを彼女はくれた。
それは自分自身で感じれるほどの小さくない変化だが、果たして神崎の方はどうだろう。春、嵐のように俺たちの部屋に押し掛けてきたあの日から、どれくらい変わって、どれくらい変わらないのだろう。
地獄で数十年、煉国で数年、いま立っているのとは違う世界で多くの時間を過ごした自分に、他人と同じ時間の捉え方ができるとは思えない。ただ、自虐的にかぶりを振りつつ、それでも俺が言えることは、一緒に過ごした時間は、確かに存在しているということ。そして、これから先もずっと、共にいた時間が消えることはない。過去という記憶の中に、残り続ける。
「……まあ、いいわ。少なくとも、この国に来たことは後悔してないから。ねえ、あんたはどうするの?」
「そうだな、俺も戻るよ。今すぐにじゃないがいつかは──本土に戻るつもりだ。やり残したこともあるしな」
屋上に向かいながら、俺は何の意味もなく両手をポケットの内側に隠す。
「神様は無責任で、人間を放置したまま、家族旅行に出かけちまった。だから、お前と出会ったのは偶然とかそんなところ。でも母親から逃げた俺が、母親を助けようとしてるお前に出会えたことは……最高の皮肉で、最高に幸運だったと思う」
「……一人で成し遂げたことじゃないわ。今の状況があるのはみんなのお陰。あたしはラッキーだった。この国でキンジやあんたと出会えたのは本当に幸運だったわ。あんたと同じ──天下無敵の幸運よ」
……なんだよ、天下無敵の幸運って。ウサギの足と同じくらいオカルトっぽいよ。でも同じ気持ちだ。悪くない出会いが出来た。
「同じ気持ちだったのか。それはびっくりだな」
「案外、あんたとは気が合うのかもね。音楽の趣味以外は」
「それは言えてる。でも『Winter,again』は良い曲だ。保証する」
「たまには連絡を寄越しなさい。最高に、皮肉が効いたのを」
「ああ、メールするよ。なんたって──俺は暇だからな」
そして俺は屋上の扉を開けた。俺たちが、レキとキンジの口付けを目にするのは、それからわずか数秒後の出来事だった。
人工天才編が作者の中では一つの区切りと考えております。かなめとの絡みが、本編の最後ではありませんが……シーズン5の最後のように物語の大きな区切りとしたいと思います。次からは修学旅行編になります。年内に極東戦役まで進めたいですね。