哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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修学旅行編
水投げ


「ドク、本気でやるんですか。その手術」

 

 患者もこない、締め切られた診療所のテーブルで麻雀卓を囲んだ夏休み終わりの某日。流れてきたドラ牌を手元に抱え、サンワンを河に切る。使い古された自動卓に座る男は自分一人、他は女性のアンバランスな卓。季節はまだ暖かい、窓の向こうには燦々とした晴れ模様が広がっていた。

 

「やるよー。もうカンファレンスで話はつけてきたし」

 

 呑気に返事をした下家の女性が、中途半端に高い天井に伸びをする。普段は武偵病院に勤務し、俺も何度か世話になっているドクターだ。イ・ウー絡みで何度も病院から無断で脱走を謀ったり、救急退院に踏み切ったときに俺を担当していた……例のドクである。

 

「いつもの一方的なやり口だけどねぇ。横行結腸癌と直腸癌の多発性大腸癌。既に肝転移も始まってる。それポン」

 

 ……特急券。安い手で親を流すつもり満々だな。それとも抱えてる手が良くないのか。ポン、つまり鳴いて同じ牌を揃えた対面の麻酔科医に俺は手牌を指で弄りながら聞き返す。

 

「先生、肝転移って言いましたよね? 広がってるのはリンパ節だけじゃなくて?」

 

「ステージⅣ。誰でも切れる手術じゃないから、すんなり通ったの。あんたお抱えのドクは腕だけはピカ一だし」

 

「なにそれ? 性格は難ありってことー?」

 

 先生の発言に我先にドクが食い付いた。このドクは外科以外にも医療技術への造詣が深く、救護科からも人気の高いドクなのだが……救護科の非常勤講師も兼ねた対面の先生が言ったとおりの人物。

 

 要は実力は突出してる代わりに性格に難あり。優れた技術を持った人間が優れた人格者であるとは限らない。最も性格に難があるからといって悪人であるとも限らない。ドクに救われた患者を俺は大勢知ってる。何より俺も命を繋いで貰ったひとりだ。

 

「しかし、救護科でも衛生科でもない生徒を休日呼び出しますか?」

 

「だから、言ってるじゃん。あんたも衛生学部来なって」

 

「先生の誘いでもお断りします。綴先生になに言われるか分かりませんよ。それに尋問科がなんやかんやで俺の居場所ですから。神崎、飛ばされた方がハンバーガーの奢りでどうだ?」

 

「あんたも義理難いわよね。二人とも飛ばされなかったときは割り勘よ」

 

 危ない牌をさらっと切り、神崎が椅子に深く腰かける。ドクに一人面子を用意するように言われて、俺が誘ったのが現在進行形でレキ、キンジと仲違い中の神崎だ。屋上でのレキとキンジの口付けを目撃したのが険悪な修羅場の始まり。星枷のようにストレートに行動が読めないだけ、ずっと険悪な修羅場が今も繰り広げられている。

 

 星枷との修羅場は良くも悪くも表面に浮き彫りになる。水面下で広がる修羅場よりずっとマイルドだ。目に見えない争い、表面には浮き彫りにならない争いが一番恐ろしい。猫のように忍び寄って気が付いたら大変なことになってる。

 

「ねえ、あんたのルームメイト。ほんとに浮気しちゃったわけ?」

 

「失言ですよ、ドク。学生に浮気も何もあったもんじゃありません。俺にもルームメイトが何を考えてるのかは分かりませんが」

 

 好奇心旺盛の学生にありがちな質問。それをドクから聞かれるのは妙な気分になる。河に視線を外し、次から次に河に牌が流れる。ツモれるのも残り数巡、この局は長引くな。特急券目当てで鳴いた先生には残念な展開か。

 

「何も考えてないわよ。バカキンジはいっつもバカだからバカキンジなの。そんなことより、あんた救護科にも顔が効いたのね。驚いたわ」

 

「親父が元海兵隊なのは知ってるだろ、その縁で退役したハンドラーや衛生兵の人たちとも知り合いに。色々教えてもらったんだ。本当にやばいときは、黒胡椒を凝固剤に使えとかね。色々あって何度か矢常呂先生やドクとも一緒に仕事して、今でもこうして縁が繋がってる」

 

 衛生科の矢常呂イリン先生、最近は顔を合わせる機会も少なくなったけど天才的な技術を持った人だって記憶はある。解毒から外科的切除、銃弾の摘出なんて矢常呂先生が持っている技術の一端でしかない。一緒に仕事ができたことを光栄に思ってる。

 

 ドク、先生、それに神崎。妙な面子で繰り広げられていた麻雀も二向聴から一気に手が進む。ドクはリーチだが神崎の打ち筋を見ると、現物や降りることは頭にないみたいだ。何食わぬ顔で危険牌をさらっと河に放流する。今ので何回目だよ。俺は、恐ろしいルームメイトに視線をやりながら牌をツモる。これは……

 

「キリ、さっさと切りなさいよ。早くあたしに回しなさい」

 

「悪いな、神崎。ツモ──四暗刻」

 

「ハァ!?」

 

 神崎の疑いの目を晴らすべく、持ってきた牌と手牌を指で晒す。とりあえず、ハンバーガーを奢ることはなさそうだな神崎。直撃は逃したがこれで引き離した、俺はごっそりと点棒を懐に引き寄せる。

 

 さて、これで運の流れはこっちに傾いたはずだ。今日はエレベーターやらキャタピラでイカサマ(強行突破)してくれる理子も夾竹桃もいない。この卓上のなんと平和で清々しいことか。あの玄人どもは遠慮を知らないからな。

 

「ドク、誘われたからには存分に()たせて貰うぜ。それと神崎、さっきからなんでタコス食ってんだよ」

 

「お腹空いたのよ、あんたも食べる?」

 

「食べる。俺にもくれ」

 

「ちょっとあんたたち、自動卓だからって牌は汚さないでよー?」

 

「俺も神崎もガン牌なんて洒落たことはやりませんよ。力業は抜き、運否天賦でいきましょう」

 

 ドク、先生との時間は恐ろしく早く過ぎてしまった。診療所を出て、インパラに神崎を乗せたときには外の景色は夜の帳が降りたあとだった。助手席に乗せた神崎が薄明かりで照らされる道路をぼんやりと見つめている。夏休みが終わり、新しい学校生活が始まる日。遂にキンジは部屋には戻らなかった。

 

 

 

 

 

 水投げ──それは武偵高に数ある風習の中でも頭一つ飛び抜けて人騒がせな行事。徒手格闘の縛りはあるが誰が誰に喧嘩をふっかけても許される日。年功序列の掟を破れる唯一の日でもある。言ってしまえば一年が三年に挑むことも許される。それが『水投げ』の日。普段以上に人工島が大荒れになる日。今年は特にーー荒れてる。人が混雑する時間でもないのに人工島の駅は、うっとおしくなる騒々しさだった。

 

「めんどくさいんだよ、やるなら早くやれば?」

 

 階段を上がり、目にしたのは知り合い三人と狼一匹の荒事。水投げの日では有り得ない銃剣と徒手格闘のやりとりに歩きながら水を差した。

 

「……キリくん?」

 

 始めに視線がぶつかったのは峰理子だった。イ・ウーで学んだであろう中国拳法の構えは、レキでなく僕のハイマキに向けられている。次に険しい顔付きのキンジと目が合った。向こうに話があっても止めるつもりがないなら、俺から話すことはない。右手の親指を首へ運び、無言で目線だけを向けてきたレキの前で横に引いた。

 

「この辺を一気に。そうすれば神崎も苦しまずに済む。お前に神崎が殺せるなら」

 

「おまえっ!自分が何言ってるか分かって──」

 

「死刑かもね。ごめんな、神崎?」

 

 キンジの言葉を遮り、俺はハイマキの隣を過ぎて、理子の背中で止まった。武偵はいかなる状況でも人を殺してはならない、人を殺せない。だが、いまの状況はその限りではない。予期しない言葉を囮として相手の不意を突く。レキが銃剣を神崎に突き付けている状況で、銃を抜くことに成功した俺は用心金に指を素早く添える。9mmの銃口はレキの頭を直線で捉え、辺りの空気が一段静まり返る。背後でハイマキが荒い唸り声をあげた。

 

「撃つのですか、雪平さん」

 

「撃つよ。いまのお前は本気で神崎を殺そうとしてる。だから撃つ。迷わずすぐに」

 

 他人事のように飄々と、いつもなら半笑いで済ませられる。喧嘩、嫉妬、誰にでもあることだ。だが、いまのレキは本気で神崎を殺そうとしてる。かつて共に仕事をこなした仲間を殺そうとしてる。うっすら見える瞳に迷いや躊躇いは感じられない。そこには、自分の意思すら見れない。

 

「キリ、余計な真似しないで!」

 

「どうして、神崎を殺そうとしてるんだ?」

 

 細めた瞳は神崎でなくレキへ向ける。

 

「アリアさんはキンジさんと結ばれてはならない」

 

 その答えは理解に苦しむほど抽象的で、どこまでも曖昧な雲のような解答だった。何の変化もない彼女の表情は、それが当たり前であると後押ししているようだった。自分の意思ではない、もっと、絶対的な何かに従っているような口ぶり。用心金に添えた指を離さず、俺は続ける。

 

「キンジが誰と結ばれてもそれは自由。でもお前のやり方は憎しみの連鎖を生むだけ。お前が守ろうとしてるのは神崎を殺してまで守りたいもの?」

 

「……」

 

「答えてくれ」

 

 自分の考えを人に説くことは難しい。眼前の少女が相手ならば、それは魚に詩を教えるようなものだ。10秒、そして1分、2分……答えは返ってこない。それが虚しい試みであるのは薄々分かっていた。無病情のまま、レキは答えない。何を思っているのかも読めない。いつでもそうだ。レキの表情は、いつだってわかりやすい解説を拒んでいる。

 

「レキ……やめろ」

 

 キンジから制止の言葉を投げられ、レキはドラグノフを下ろした。神崎に視線を向けたまま、狙撃銃を一回しして肩に担ぎ直す。神崎に背後を向け、レキはいつもの無表情でキンジの元へ踵を返した。主人の言いつけを守った冷たい人形ーー汚い言葉が脳裏をよぎる。

 

「いいわ──キリ、退きましょう」

 

「アリア……!」

 

「何もないわ。あたしからあんたに話すことは何もない。理子、面倒に付き合わせたわね。あんたも退きなさい。水入りよ」

 

 ガバメントを抜かず、背中に背負った剣を抜くこともない。神崎はキンジに目もくれず、駅を真っ先に出て行った。強く吹き付けていた風に揺れる両髪もすぐに見えなくなる。理子がキンジと視線をぶつけるが、先に視線を外したのは理子だった。襟から伸びた白い首が何もない空を向く。

 

「誰にでも別れは訪れるよ。それはキーくんやアリアだって例外じゃない。キリくんと夾ちゃん、理子やジャンヌだって離ればなれになるときが来る。でも理子はロマンチストだから、こう思うんだよね。どれだけ短い時間でも短い命でも、その一瞬が最高に充実したものなら──その瞬間は永遠になるんだよ。未来永劫ね」

 

 一瞬の好機は、無為な一生に勝る。カナ、そして遠山金一を思わせる理子の発言。キンジは何も言わず、神崎の消えた方を見つめるばかりだった。張り叫んだところで彼女にはもう聞こえない。

 

「レキュの考えは理子には読めないし。ジャンヌとの約束があるから理子も帰るね。理子とキーくん、アリアとキリくんは決して交わることのない平行線──でも平行線は交わりこそしないけどいつも隣にある。でもアリアとキーくんは……?」

 

 謎かけのような問題を残して理子も消えた。残されたキンジは静かに拳を握っていた。

 

「……仮に俺とアリアがチームを組んだとして、それが何になる。そんなチーム、すぐバラバラになるんだ。あいつはロンドンに帰って、思い出の意味なんて……ナンセンスだろ」

 

「だから?」

 

「だからって……!」

 

「自分の思いと自分が実際にやってること、それが完全に一致する人間なんていないよ。でも、世の中やってみないと分からないことがありふれてる。答えの分からないアンフェアな世の中でも俺たちは自分の意思で、考えて動かないといけない」

 

 どうせ離れるなら繋がりなんて作らなくていい。それもひとつの答えなのだろう。出会わなければ別れの悲しみを味わうこともない。失ったときの喪失感も辛さも知らずに済む。だが、出会わなければ楽しい時間も喜びを感じることもできない。大抵の人間は失ったときに初めてその価値を実感する。世の中にはフェアなことなんて何もない、どこまでもこの世界はアンフェアに満ちてる。

 

「俺は神崎を追う。またあの女と会いたいから。まだ一緒に過ごす時間が欲しいから」

 

 踵を返して、俺もキンジとレキに背を向けた。理子とアリアが消えた方へ踏み出した瞬間、俺は二人と袂を分かつことになる。

 

「……価値はあるのかよ。失うことの分かってる思い出作りに」

 

 いまはそれでいい。理子が言った、瞬間は永遠になる。俺は神崎と過ごせる短い時間を無駄とは思わない。あいつが作ろうとしたチームを無意味とは思わない。

 

「さあ。俺は失ってばかりだから」

 

 駅を出て、並んで歩いていた神崎と理子を見つけて、探偵と泥棒の帰路に無理矢理混ざる。すっ、と理子が差し出してくれた棒アイスを無言で受け取った。

 

「キリくんはどうして駅にいたの?」

 

「手を洗いに立ち寄っただけ。あとは酒飲みの勘」

 

「酒飲みの勘ねぇ」

 

「その勘で神崎が今何を言おうとしているか、当てて見せようか。お前は同い年じゃなかったのか、冗談を言うなら空気を読め、だろ?」

 

「大体はそれで正解」

 

 素っ気ない神崎の声が返ってくる。棒アイスを片手に携えて歩くことも、探偵と泥棒とハンターが並んで歩くことも奇妙な構図だった。

 

「あんた、本気でレキを撃つつもりだったわね」

 

「レキがお前を殺そうとしたら撃った。迷わずすぐに」

 

 キンジがレキを呼び止めなければ彼女は本気で急所に銃剣を突き出していた。迷わずに。

 

「修学旅行Ⅰが始まると騒がしくなっちゃうね」

 

「騒がしいのはいつものこと。武偵は静かな人生を送りたい人間がなる仕事じゃない」

 

「キリくんにしては珍しく真面目な意見だね。アリア、コーヒー買って帰るぅー?」

 

「いらない。飲みたい気分じゃないわ」

 

「そっか。理子もいまは歩きたい気分だよ」

 

「左に同じ」

 

 俺も飲みたい気分じゃないな。いまは歩きたい気分だよ。

 

「……あんたもキンジと仲違いになっちゃったわね。前みたいな関係に戻れないかも」

 

「戻る……もう無理だな。お前が覚悟を決めてレキと水投げをしたように、俺も色んなものを賭けてレキに銃を向けた。もうなにも残ってないよ」

 

 一瞬だけ瞼を閉じ、咥えた棒アイスを軽く租借する。

 

「理子の見解によると、今年の修学旅行Ⅰも荒れそうだね」

 

「荒れない修学旅行Ⅰなんてないよ。キンジやレキだって例外じゃない」

 

「キリくんもここぞってときには言い回しがストレートだよね。ずばって切り込んでくる。いつもは遠回しな皮肉で片付けるじゃん」

 

「うちの知り合いに限って、なんていう武偵がいると思う?」

 

 理子はかぶりを振った。修学旅行Ⅰはチーム編成を目前に控えた最後の調整期間。チーム自体は修学旅行学の後に申請する決まりだが、実際のところ、生徒間ではそのかなり前に朧気なチームの形が出来ている。神崎とキンジのように、ずっと組んで仕事をしてきた生徒はそのままチーム申請という次の段階に進むのが定石だった。

 

 チーム編成には生徒同士の相性もある。長く組んで仕事をしてきた生徒同時については、その片方を勝手に誰かがチームのメンバーとして登録してしまうことは、表沙汰にはされてないが暗黙の掟として敬遠されていた。レキがキンジと二人のチーム申請を出したのは、その掟に触れてしまった。いや、それは所詮掟だ。絶対的な制約ではない。だが、水投げのルールを無視したことよりも本気で神崎を殺そうとしたことには、黙っていられない。だから、俺は銃を抜いた。

 

 見て見ぬふりをしていれば、きっと色んなことが楽なんだろうさ。でも、誰かがうっとうしい正義感を持ち続けていなければ、世の中は悪くなっていくだけだ──顔も覚えていない母親の言葉が不意に頭の中をよこぎった。

 

「レキュのやり方、ちょっとアンフェアだよね。いつものレキらしくない。もっと上に誰かいるのかな?」

 

「知らないわよ、そんなこと。仮によ? 仮にレキに命令している存在がいるとしましょう。普通じゃないわ。レキも命令してる存在も普通じゃない」

 

「キリくんは誰だと思う?」

 

 そんなことを聞いてきた理子へ、俺は立てた人差しを空へ向けた。

 

「自分をフェア。つまり、自分のことを正しいと思ってる奴。そうだね──神様とか?」

 

 

 

 

 




修学旅行Ⅰ編は他の章より早く終わるかもしれません。シーズン15の終わりが徐々に近づいているのは嬉しい反面、悲しいですね。積み重ねてきた物語のフィナーレを見てみたい気持ちと、旅路が終わり、見れなくなることの寂しい気持ちが揺れている作者です。

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