──星伽の京都分社、その本殿は杉の生い茂る小山の上に在る。周囲は入口の鳥居以外、全方向が漆喰の塀で武家屋敷のように防御された特異な地形に成り立すっていた。分社自体がまるで堅牢な砦だ。深夜、星枷からの電話を受け取り、俺はタクシーで分社へと駆けつけたーーレキが重症を負った、そう聞かされたのは、取り替え子の狩りが終わったあとのことだ。
「雪平様、お待ちしておりました」
鳥居の下、赤い和鎧を着込み和弓を携えていた少女から声がかかる。どこか星枷会長の面影を感じるが、顔立ちは会長よりも幼さを感じさせる。ここは星枷の分社、巫女の装いから見ても会長の姉妹か。星枷とウィンチェスターには盟約が交わされているが、俺が星枷の地を踏むのがこれが初めて。星枷の人間で面識があるのも会長一人、名前を呼ばれた少女ともこれが初対面だ。
星枷との取り決めが行われたのはアメリカに賢人が存在していた時代。それは暴君(アバドン)がカインの粛清に怯えることなく暴れていたような時代の話だ。クラウリーはまだ普通のセールスマン、ザガリアも出世街道を逸れることなく歩んでいた時代。遥か昔のこと。
やがて賢人の組織は消滅、星枷との親交も途絶えたまま現在に至る。俺が海を渡り、武偵高で会長と出会ったのも今に思えば奇縁なのかもしれないな。鳥居をくぐり、張り詰めた空気に包まれている分社の中を見渡す。
「まるで要塞だな。君は星枷会長の?」
「風雪です。どうぞ奥へ。皆がお待ちです」
手身近に告げると、風雪は社の下で防衛の任に戻る。小さな後ろ姿を見送り、俺は風雪に言われたまま鳥居を奥に進んだ。経験上、弓が本当に恐ろしいのは夜だ。弓はサイレントな飛び道具。静かに、そして恐ろしい速度で凶器が飛来する。暗闇の中で弓兵に狙われると思うと背筋がゾッとするよ。
弓が狙いを定める最中で、長い石段を駆け上がるのは容易じゃない。防衛に向いた地形、そして自衛の能力を有した巫女、考えるだけ考えて俺はかぶりを振った。こんな要塞に攻め入りたいとは思えないな。歩みを進めていると、
「雪平くん。こっちに」
鶯張りの廊下に星枷が立っていた。星枷の分社はいくつもある建物が屋根つきの渡り廊下で繋がっている。その建物の一角にある和室に俺は通された。以前、綴先生から聞いたことがあるが星枷は徹底した男子禁制の神社。招き入れられるのはキンジや『遠山』の家の人間だけらしい。星枷神社とアメリカの賢人が盟約を結んだのは遥か昔の話、正直言うと俺がすんなり迎え入れられたことにまだ驚いてる。星枷が厳格で、掟に厳しいことは言うまでもない。
「レキは?」
「運び込まれたときは出血がかなり酷かったの。体温も冷たくて危険な状態。でも腕の良いお医者様が手当てに当たってくれてるから、きっと大丈夫」
「そっか。それなら安心だ」
張り詰めていた緊張が少し和らぐ。この広い建物のどれかに医療用の施設があるらしい。まだレキとキンジが狙われているにしろ、下手な警備に守られた病院より星枷の分社は安全だ。畳に腰を下ろし、同じく正座した星枷と対面することになる。キンジは別の部屋か……
「また狩りを?」
「ああ。取り替え子、子供に化けて母親から骨髄を吸いとる怪物。過去に一度退治したことがある。お前から電話を受けたとき、ヘアスプレーとライターで退治し終えたところだった。問題が終われば次の問題。いつも通りだな」
「……妙だね。取り替え子なんて滅多に見ない化生。それに雪平くんはジンも退治したよね?」
「パトラと戦った少し前だ。至って普通のジンだよ」
「でもジンは日本に生息する怪物じゃないの。取り替え子も日本ではもう何年も目撃されてない怪物だよ」
徐々に星枷の顔付きが険しくなる。どうやら、今回は俺が星枷に面倒事を持ち込んだらしい。
「何か嫌な予感がする。水面下で妙な何かが進んでいくような感じ……」
「怪物に異変が起きるときは決まって何かの原因がある。イヴ──全ての怪物の産みの親が煉獄から出てきたときもそうだった。レイス、ジン、日本にいるはずのない連中が突然湧いて出たように現れてる。この地上か、それとも煉獄か、何か騒ぎでも起きたのかもな」
「最近、世界中であらゆる超能力が弱まり、成功率が下がる原因不明の現象が起きてるの。日本以外、雪平くんの国にいる魔女たちも気づいてると思う」
「星枷でも分からない現象か。そのことと怪物の異変が関係してるなら、また面倒なことが舞い込んできそうな流れだな。神の姉さんが解き放たれた次は……異世界の扉でも開いちまうのかな?」
天国、地獄、煉獄と来れば残るのは異世界ぐらい。これには流石の星枷も苦笑いだった。同感だ、異世界なんてあるとは思わないし、その扉を誰が開けるんだよ。俺はくだらない妄想を忘れるようにかぶりを振る。問題は他にもある。夾竹桃が話していた宣戦会議、イ・ウーの残党や路上で襲ってきたコンバットブーツの女。ローレンスに戻る前にやることは尽きないな。
「失礼します。遠山様の準備が済みましたのでご連絡に」
不意に奥の襖が開くと、風雪よりもさらに幼い巫女が廊下に正座していた。少女はおかっぱ頭を深々と星枷に下げている。傍らに置かれていたイロカネアヤメを帯刀すると、星枷が先んじて立ち上がった。
「場所を移してもいいかな? キンちゃん、レキさんを背負ったまま山を降りたみたいで、かなり疲弊してるの。雪平くんも……」
「一緒に警護するよ。キンジとは一悶着あったままだが仕方ない。帰ってきたらゴミ出し当番1ヶ月だ」
「ありがとう」
鶯張りの廊下を伝い、俺たちは障子一枚を挟んだ和室の前に腰を据える。既に和室では疲弊したキンジが寝息を立てていた。イロアカネアヤメを帯刀した星枷の隣で俺もルビーのナイフを静かに懐から抜く。
「風雪はあんたの?」
「うん、会うのは初めてだよね。風雪は、海外の教会や寺院との外交を担当する巫女なの。本当なら雪平くんとの関わるのも風雪の役目なんだけど……」
「気にしてないよ。盟約はあっても賢人の組織はとっくに潰れてる。ヘンリーのじいさんは海を越えて、星枷と盟約を結んだけど……色々あって老けるまえに死んじまった。跡を継がせるはずの親父に賢人としての知識を与えないまま悪魔に……皮肉にも残された親父も普通の人生は過ごさず、賢人が軽視していたハンターになっちまった。星枷との交流もこっちが一方的に断絶させたようなもんだよ」
俺に言わせれば、ウィンチェスターなんてみんながみんな早死にするだけの家系だ。
「お前と会えたのは不思議な縁。地下倉庫でお前が言ったとおりだよ、『今は一介のハンターと一介の超偵』の間柄だ。今度からは同級生として優等生を頼らせて貰うさ。まだこの国でやることも残ってるしな」
「いつか、戻っちゃうんだね。雪平くんも」
「ルシファーの子供をなんとかしてもそれで終わりじゃない。きっと次の問題がやってくる。いつものパターンさ。何年も繰り返してるんだ、どれだけ頭が悪くても学ぶ。普通の生活には戻れない。ハンターを辞めることも俺には無理だ。やることを全部片付けたら休暇を卒業してローレンスに戻るよ」
普通の生活、ハンターなら誰もが一度は考えることだ。引退して普通の暮らしをしたい。怪物や幽霊とも関わらず、銃を無闇に振り回すこともない、平凡な普通の人並みの暮らし。でもそれは叶わない。殆んどのハンターは引退する前に死んでいく。兄弟揃って同じ願いを抱えて、けど誰も叶えられなかった。もし叶えていたらインパラには乗ってない。普通になれず、なれないと分かって普通の生活を手放した。諦めた。
「離れるには未練が増えちまったけどな」
「淋しくなるね。雪平くんがいなくなったら」
「これ以上未練を増やすのは止めてくれ。何も今すぐに帰るってわけじゃないんだ。金田一少年も読んでる途中だしな?」
未練がないわけじゃない。別れなんて何回体験しても馴れねえよ。ああ、絶対に。
「悪い、無駄話だったな」
「ううん、無駄じゃないよ」
かぶりを振り、星枷が空を仰いだ。真っ暗闇の帳が降りていた空から朝焼けがゆったりと顔を見せ始める。眩ゆい西日の光に目を奪われそうになるが、追手が乗り込んでくる気配は以前ないままだ。
「禁を破って星枷の本家に戻ったときにね。キンちゃんと一緒に雪平くんのことも占ったの」
「俺の?」
星枷は首を縦に振る。
「キンちゃんは──『狼と、鬼と、幽霊に会う』って出たの」
「狼(ハイマキ)、鬼(ブラド)、幽霊(カナ)か。見事に当たってるよ」
「ちょっと、普通じゃない結果だよね。でも普通の結果じゃないのは──雪平くんも一緒」
普通じゃない連中と出会うのはいつものことだ。呆れる準備なら出来てる。星枷と占いがよく当たることも今に知ったことじゃない。
「お前の占いだと俺は誰と出会うことになるんだ?」
星枷は目を細めるように夕焼けを見やる。
「『堕天使と、総帥と、神に会う』って」
俺はうっすらと笑うばかりだった。堕天使は聖書に出てくる有名なメインキャスト、総帥はたぶん……全ての天使を率いる大天使の長。そして最後に出てきた神は他の二人に繋がる者。異教の神や神話に描かれる神よりも先に、全てを作った万物の創造主──放任主義の売れない小説家。
「ロクでなし一家が勢揃い。お次はなんだ?」
「何度やっても結果は一緒なの。大きな力が働いているみたいに左右される」
「出てきた面子が普通には遠い連中だからな」
星枷には悪いがこの占いが外れてくれることを願ってるよ。願うだけ無駄かもしれないけど。
「鳥居、少し騒がしいね。何か来たのかな?」
「俺が行く。ちょっと離れるぞ」
廊下を離れ、靴を掃くと鳥居の下では風雪が何かを追い払おうと腕を振っていた。同時に石段からは低い唸り声が聞こえてくる。丸い瞳孔とイヌ科の鋭い鼻梁、白銀の体表は至るところが血で染まっている。風雪を腕で制し、俺は石段を一気に駆け降りた。
「ハイマキ……!」
「雪平様? その狼は……」
「レキの飼い犬だ。傷が深い!運びこむぞ!」
爪で裂かれたような傷、こいつは獣の爪跡か。体表も下肢も出血が酷い。ほっといたらショック症状までいくぞ。
◇
「ハイマキは無事だ。ちゃんと手当てを受けて、今はレキの隣で丸くなってるよ」
和室から起きてきたキンジ、レキの治療に当たっていたジャンヌと合流すると、俺たちは星枷の案内で膳殿という料亭のような建物に向かっていた。この膳殿も分社の中にあり、他の建物と一緒で鶯張りの廊下で繋がっている。巫女服の上からエプロンを着た星枷に案内され、膳殿に上がると既に桐の座椅子が用意されていた。星枷がキンジと対面するように席に着くと、ジャンヌはキンジの隣、俺は星枷の隣に置かれた椅子に着いた。
「お前も来ていたのか」
「星枷に呼び出されてな。レキとは別件で話があったんだよ」
ジャンヌと話している間に、廊下でも何度か擦れ違っていた小さな巫女が御膳や漆塗りの丸湯桶を運んでくる。丁重に差し出された膳に並べられているのは、鮃・サザエ・イカ素麺のお造り、鱧の落とし、イクラの寿司、湯葉の八幡巻き、京野菜のあんかけ、松茸の炭火焼、色ごはんに黒豆……
「ごめんねキンちゃん。これ、あり合わせなんだけど……栄養はちゃんと摂れると思うの。沢山食べて、元気になってね」
……これであり合わせなのかよ。和食料理屋の定食だぞ、こんなもん。それも良い値段がするレベルの。
「……ありがとう白雪、十分すぎるぐらいだ。それとまだ謝ってなかったが、悪かったな。いきなりケガ人を運び込むことになっちまって」
「ううん。いいの。いつでも頼ってください。どんなときでも私はキンちゃんの味方です」
「ああ、頼らせてもらうよ」
救護殿の方を見たキンジに俺は箸を手元に引きつつ、
「レキを看たのってドクだろ?それなら心配ない。あの人は患者を選ばない。どんな難病や怪我でも、金持ちも貧乏人も、悪人だろうと誰だろうと救っちまう。だから失敗しない。保証するよ、俺が一番信頼する医者だ」
さっきジャンヌから聞いたが、星枷に呼ばれてレキを看たドクターは俺がいつも世話になってる例のドク。ジャンヌも汎欧州医療免許・看護助手資格を持っていて、彼女から見てもドクの処置は適切だったらしい。しばらくは安静にするのが絶対だが、とりあえず最悪の結果に怯えることはなくなった。視線をキンジから正面に戻すと、ジャンヌが十字を切って御膳を食べ始めるところだった。正座も箸の使い方も綺麗の一言。テーブルマナーが死んでるウチの家とは大違いだ。
「私からも感謝する。空腹は敵だ」
「ううん。ジャンヌの口に合えば良いんだけど。でも……どうしてキンちゃんとレキさんが狙われたの?」
「結局の所は、俺にも分からないんだ」
「どっちかが狙われて……もう片方も一緒に狙われたって事なのかな……? それとも両方が目的……だった?あれ……? 一緒に……一緒に……? あの……どうしてキンちゃんとレキさんが一緒にいたの?」
刹那、キンジの表情に暗雲が差した。星枷はレキとキンジの騒動をまだ知らない。知られていなかったんだ。だが、目ざとい女の勘が小さな綻びを探り当てちまった。取り繕う言葉をキンジが考えている最中にジャンヌが箸の動きを止めた。
地下倉庫の事件以降、妙な縁が災いして彼女とは一緒に狩りをするまでの関係になった。何かとこちらの事情に詳しいジャンヌには俺も気を許していた部分があるしな。そのお陰で生真面目なジャンヌの考えることがうっすらと俺には読めてしまった。火種を撒く気だぞ、この聖女様。
「遠山はレキと暮らしていたのだ。今月の頭から」
すっ、と横からジャンヌが爆弾を落として行った。ティッシュでも配るような気軽さで食卓に起爆剤が撒かれる。星枷の箸が止まったのもお約束だな。
「おいジャンヌっ」
「仕方がないだろう。こうして星伽も巻き込んでしまったのだ。情報は共有しなければ。キリ、お前からも何か言え」
「じゃあ要点だけ話せばいいんじゃないか?重要なところだけを話す。話を纏めるのは得意だろ?どうだ?」
「ふむ。では要点だけ話そう。遠山とレキは修学旅行中も一緒に行動し、同じ宿に泊まっていたのだ。狙撃を受けた宿の女主人によれば、2人で同じ風呂に入り、同じ布団で寝ていたらしい。そこを襲われたのだ。つまり、常に2人で行動していたため、2人まとめて襲われた。これでどうだ?」
「ああ、最高。これがテストで俺が教員なら満点をやるね。報告、連絡、相談、これ大事。問題解決?」
「してねえよ!」
「遠山、良いことを教えてやろう。たとえそれがどんなに残酷なものであろうと、真実ならば、人はそれを受け入れ、そこから先に進むことができる。しかし、偽りは人の心を硬直させ、やがて殺すだけなのだ」
流石は策士。爆弾を投下した挙げ句、もっともらしい言葉でキンジを黙らせた。前にやってたサスペンスドラマで似たような台詞を聞いた気もするけど、たぶん気のせいだろ。肝心の星枷は黒豆を箸で摘んだまま固まっている。ピクリともしない。
「分かりにくかったか? なら、絵に描いて示してやろうか」
「いや、絵はいい。絵はよせ。地獄絵図になる。そうじゃなくて──」
ぐしゃり、という音がキンジを静止させた。音が聞こえたのは俺の隣からだった。恐々と音の震源を確認、俺は無言で視線を戻した。……箸で黒豆が両断されてる。
「真実……真実はいつもひとつ。事実……既成事実……既成事実……さ、先を越されちゃったね……レキに。あは、あは……あ、あんまり目立たない子だったから油断してたね白雪──そうだね。油断してたね──でもあの子が伏兵だなんて気付かなかったね白雪──うん。レキは狙撃手だけに伏兵だったんだね──うまいこと言ってる場合じゃないよ白雪、そうだね──」
「こ、こら白雪。現実に戻ってこい!」
「キンジ、お前の身辺からは何をどうやっても女性とのトラブルはなくならない。ここまで来ると呪いだな。一度大雨の日にありったけの貴金属を身にまとい、はしごに登って出初め式でもやるといい。落雷で少しはマシになるだろう」
「死ぬだろ!バカかお前は!」
……ほんとに落雷くらいで殺せるのかねえ。お前なら雷に打たれても街を平然と歩いてそうな気がするよ。
「言っておくが、俺はレキに狙撃拘禁されてたんだ。それで『リマ症候群』を引き起こすために、仕方なくだな……」
星枷を正気に戻すべく苦闘していると、助け舟は意外なところからやってきた。警護してくれていた風雪が襖を開き、そこに正座していた。キンジはチャンスとばかりに、風雪に話しかけると話の流れをうやむやにする。渡りに船とはこのことだな。空腹ムードの聖女さまと俺が箸を動かしていると、姉の横に正座して風雪が何か耳打ちしている。
「……やはり、璃璃の……間違いないのですね?」
正気を見失っていた星枷は、風雪が吹き込んだ言葉で我に帰ったという感じだ。
「ご、ゴメンねキンちゃん。私、ちょっとレキさんの所へ──失礼します。ごちそうさまでした」
璃璃──星枷が箸を置いたのはその言葉を聞いてからすぐだった。レキの容態が気になることもあり、早々に食事を済ませたキンジに俺とジャンヌも続く。
レキが寝ている救護殿へ引き返すと、先に着いていた星枷が風雪もいた。他にも警護に回ってない巫女たちが救護殿に集まっていた。風雪も星枷もレキを見下ろす表情は固い。
「……キンちゃん。少し、お話ししなきゃいけないことがあります。キンちゃんは聞きたがってなかったけど……許して下さい。雪平くんを呼んだのはそのためです」
「聞きたがってなかった……? 何の話だ」
「色金の事です」
──色金?
「ちょっと待て。どうして色金なんて代物の話が出てくる? あんた達の役目は知ってるが、キンジは関係ないだろ?」
「雪平くんはアリアから聞いてないんだね。イ・ウーで何があったのか。私は先月キンちゃんが入院してた時、アリアから聞いたの」
「──キンジ、何があった? 何でお前があの金属のことを知ってるんだ? イ・ウーで何があった?」
「深くは知らん。シャーロックがイ・ウーでアリアの体内に打ち込んだのがヒヒイロカネ──緋弾だ。シャーロックはそれを研究していて、自分でアリアを撃った」
「自分の子供に緋弾を撃ち込んだのか……?」
反論と否定はなかった。俺は堪らずかぶりを振る。
「どうかしてる。緋弾を撃ち込むなんて、『刻印』を渡すようなものだ。普通じゃない」
あの金属を打ち込まれるってことは──器の候補になるってことだ。下手をすれば色金に取り憑いた意思に狙われる。シャーロックがどこまで色金について知っていたかは分からない。だが、あんなものを撃ち込まれて平穏無事の生活を過ごせるわけがないんだ。どうかしてる。
「落ち着け。お前がそれでは話を切り出せないだろう?」
「……悪い。星枷、続けてくれ」
聖女様に言われて俺も我に帰る。
「うん、続けるね。キンちゃん、話せる限界はあるんだけど……私たち星伽の巫女は、色金の事を知っています。理解し辛い事かもしれないけど、色金は人の心と通じる金属なの。そして色金と通じることのできる心は、決まっているんです」
そう、人の心と通じる金属。そして通じる心には相性がある。誰でも良いわけじゃない。
「それは知ってる。シャーロックが言ってたが、ヒヒイロカネ──緋弾を覚醒させられる人格には、限りがあるんだろ。たしか、子供っぽくて、プライドの高い人格……」
「うん。でも、それは緋緋色金の場合で……色金には、いくつか種類があるの。その中の一つが……璃璃色金」
リリイロカネ──確かルシファーが話していた色金の一つ。他には確か──そう、ルルイロカネってやつがあるはずだ。覚えてるよ、ラファエルもルシファーもあの金属のことは快く思っていなかった。
「失礼ながら先ほど、お身体を検分させていただきましたが──レキ様は恐らく、郷里で璃璃色金のそばで永い時を過ごされたのでしょう。璃璃色金と心を通じる、いわば、かの地の巫女のような存在として」
「巫女……レキが?」
「おかしい話じゃないさ。緋緋色金が器になる心を選ぶように、璃璃色金も通じる心を選ぶ。璃璃色金は父が作った玩具の中身を嫌ってる──つまり、人の心を嫌っている色金だ。璃璃色金の影響を受けて過ごしていたなら、レキに感情の起伏が薄いのも頷ける」
風雪に変わり、俺がキンジの問いに答える。風雪は低く頷くと、傍らに置いていた桐の小箱から小さな巻物を取り出して、器用に広げていく。
「雪平様がおっしゃることは本当です。これは星伽神社に伝わる史書ですが──ここに、璃璃色金についての記述があります。先ほど雪平様が指摘されましたが『璃璃色金は穏やかにして、人の心を厭い、人心が災厄をもたらすとし、ウルスを威迫す』とあります」
璃璃色金に敬服せしウルスは、代々の姫に己の心を封じさせ、璃璃色金への心贄とした──風雪が続けた言葉を要約すればこうだ。自分の器にするために人の心を殺した。ガブやルシファーでさえユーモアはあったのにな。
「ですが雪平様。どこで璃璃色金についてお知りになられたのですか? 失礼ながら色金の研究はあなた方の専門外かと……」
「地獄の檻にはテレビもないんだ。一緒に過ごしてるとルームメイトから色んな話が聞ける」
意味を悟ると、風雪は顔を僅かに下げた。悪いな、後味の悪い答えで。
「……先程の言葉はだから『父』と言われたのですね」
「昔の話だよ。名前を聞くまで、璃璃色金のことも忘れてた。だが、ウルスってのは聞いたこともない」
「それはそうだろう。ウルス族はロシアとモンゴルの国境付近、バイカル湖南方の高原に隠れ住む少数民族だからな」
腕を組みしつつ聞いていたジャンヌが隣から口を挟んだ。どうやら心当たりがあるらしい。
「……知っているのですね。彼女たちの事を」
真剣な星枷の声色にアイスブルーの瞳が細められる。
「私は遠山に頼まれて、レキについて調べていたからな。実を言うと、確証は無かったが初めから心当たりはあった。イロカネを保有する者同士、イ・ウーとウルスは完全な無関係ではなかった。その弓と矢でアジアを席巻した、蒙古の帝王──チンギス=ハン。ウルス族はその戦闘技術を色濃く受け継いだ、彼の末裔の一族だな?」
俺が目を丸めていると、星枷は何も言わずにジャンヌを見据えている。否定する気配じゃない。
「かつてウルス族は優れた弓や長銃の腕を恐れられた、傭兵の民だった。レキにもその傾向は見て取れる。優れた狩人と言ってもいい。しかし、次第にその数を減らし……シャーロックがイロカネ絡みの交渉をしに訪れた時には、もう47人しか生き残りがいなかった。それも、その全員が女だったらしい」
俺の脳裏にはかつて取り逃がしたアマゾネスの一族がフラッシュバックした。彼女たちの部族も全員が女。男は新たな子供を作るときのみ必要とし、産まれた少女が交わった男を殺す。それが風習、一族に男が加わることは絶対にない。ちくしょうめ、未練のある狩りを思いだしちまった。
「ウルスには男が生まれない理由があるんじゃないのか? 特異体質を持った一族は珍しくないだろ?」
「ウルスは閉鎖的な民族だったからな。同族の血が濃くなりすぎて遺伝子に異常をきたし、女しか産まれなくなったのかもしれない」
目の前で交わされるキンジとジャンヌのやり取りに俺は目を伏せた。なるほど、だからレキはキンジに求婚を迫ったわけか。女しか生まれなくなった──一族の跡継ぎを残すために。
ああ、つまるところいつもの流れ。神崎とレキとの確執を作ったのもいつもの理由。本当に飽き飽きしちまうよ。結局、トラブルを引き寄せるのはいつだって"家庭の事情"だ。
◇
「雪平様、少しよろしいですか?」
縁側に座って、雨宿りしているときだった。思えばそんな畏まった呼び方をされたことは一度もない。
「雪平でいい。別にウィンチェスターでも構わねえよ。まあ星枷の習わしが許さないのかも知れねえが」
縁側にやってきた風雪にそう言うと、俺は9mmの弾にナイフで小さな悪魔封じを刻む。昔、アバドンと戦う前に思い付いた携帯できる悪魔封じ。地獄の王子レベルの悪魔はともかく、地獄の騎士やそこいらの悪魔なら動きを完全に止められる。
「先の話、地獄にいたのは本当なのですね」
「不良物件もいいところだよ。テレビないし、景色は最悪。家賃がないこと以外メリットは何もない」
「彼等は知っているのですね、色金のことも」
「奴等、俺やあんた達のご先祖様よりも遥か昔に生まれてる。大天使は神の次に作られた原始の創造物だからな。ルシファーもラファエルも色金は嫌ってたよ」
大天使の名前にも真剣な表情。この子も星枷の巫女、事情通か。
「雪平様は行かれたことがあると聞きました。地獄だけでなく天国にも」
「自慢にもならねえよ」
「天国とは──どんな場所ですか?」
ナイフを下ろし、徐々に日差しを戻してきた空を仰ぐ。
「天国にはその人にとっての安らぎがある。なんて言うか一番大切な記憶が広がってる、そんな感じ」
「安らぎ……ですか」
「ああ。人によって色んな天国があって、みんなそれぞれ景色が違うんだ。でもきっと……良い場所なのかな。悪いな、曖昧な説明になって」
「こちらが私情で聞いたことです。どうか気になさらず」
それは助かる。俺にとっては縁のない場所だ。全部が終わって、おとなしく天国にご案内。そんな虫のいい話は有り得ない。入場のチケットはとっくの昔に断っちまった。
「いや、誰でもそれは気になるよ。誰にだって死はやってくる」
「雪平様がそれを言うのですか?」
くす、と初めて少女は笑みをこぼした。
「おかしいか?」
「いえ、申し訳ありません。貴方と御兄弟は死にすら抗って航路を切り開いてきた──そう聞いているものですから」
「噂は脚色される。俺も君と同じくらいのときから家庭の仕事は手伝ってたけど、君ほど仕事熱心かと言われると怪しいね。親父に育ててもらった手前、こんなこと言えた立場じゃないけど、普通の生活に憧れてた」
「ですが、今では立派なハンターです」
「ありがとう。年下から慰められてる情けないハンターだけどな。いや、君は大人びてるからセーフ、そういうことにしとくよ。あ、お礼にひとつアドバイス。外交を担当してるんだっけ?」
「はい、他国との外交は私の役割ですが……」
「言っとくけどハンターの彼氏は大変。あとUKの下手物連中に気をつけろ。奴等、生まれたときから非常識だから」
身振り手振りで語ってやると、一瞬の間を挟んでから苦い笑いと頷きが返ってくる。
「話に聞いたとおりの方ですね、雪平様は」
「俺の活躍する話?」
「残念ながら」
「じゃない方か。なるほど」
冗談めかした質問にも律儀に彼女は首を振ってくれた。姉と同じく、目を奪われるような艶やかな黒髪が眼前で揺れる。
「平時と緊急時ではあまりに人が変わると評判ですが、今日お話ししてよく分かりました」
「褒め言葉として貰っとくよ。正直なところ、後のことは俺にも分からない。さっきの話に戻るけど、神様だって小火を出すような世の中だ。誰にも先のことは分からない」
先のことがどうなるか分からない。
「キリ、私は間もなく京都を発つ。遠山のことは任せるぞ。
背中を向けて、そう残したジャンヌが去っていく。先のことは分からない。だが──ここは本当の天国よりずっと良い。
次回、電車ジャックに突入します。ようやくココを出せますね……
『言っとくけどハンターの彼氏は大変』S12、6、ジョディ・ミルズ──