哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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足りないものは?

 9月の第一週。チーム選定の最終調整である修学旅行Ⅰを間近に控えた日曜日。レキとの水投げから数日が経過したがキンジが帰宅することはなかった。粗末なソファーに寝転がり、携帯のメールボックスを開いてみたが届いていたのは平賀さんと理子からのメールだった。理子も平賀さんも絵文字をこれでもかと乱用してるからメールの文面はとても鮮やかな色をしてる。理子が絵文字を多用するのはいつものことだが平賀さんまで……ずっと眺め続けたら目がちかちかしそうだな。俺は寝転がったまま携帯を閉じ、近くにあったテーブルの上へ投げた。

 

 キンジからの着信や連絡のメールは携帯にもパソコンにも来ていない。今の関係を極限まで悪く言えば交流が断絶している。それがキンジの意思か、置かれた環境によるのかは分からない。だが、女絡みのトラブルは遠山キンジお決まりの展開だ。

 

 まあ、レキが絡んだトラブルは今回が初めて、彼女は恋愛と結び付くようなイメージを一般生徒からは抱かれていない。ミステリアスで得体の知れない狙撃科の天才、それが大多数の生徒がレキに抱いているイメージ。常日頃から噂に餓えている武偵高の女子たちには、格好の獲物としてキンジとレキの関係が広げられている。本当に暇な連中だよ。

 

「ねえ、誰かいるー?」

 

「俺しかいない」

 

「つまんないの。また一人で映画鑑賞?」

 

「映画を見るのが好きでね」

 

 触らぬ神に何とやら。バカキンジが帰らず、ちょっぴり不機嫌な神崎が対面するソファーに座り込んだ。俺の前で足を組み、怒りのボルテージはまだ冷めきらぬと言った様子。今回の騒動、神崎は友人とパートナーの両方から関係を断絶されたことになる。気持ちが落ち着かないのは当然と言えば当然か。神崎は騒動のど真ん中にいるわけだからな。

 

「キンジなら帰ってない。まだレキにべったりかもな?」

 

「消去法で考えなさい。それ以外に有り得ないでしょ」

 

「まあ、確かに。今頃は大人の嗜みでも満喫してんだろ。オペラ鑑賞に、読書とか?」

 

「オペラも見ないし、本も読まないわよ」

 

 「漫画以外は」と、神崎は刺々しく、言葉を付け加える。

 

「バカキンジのことはよーく知ってるわ、そのうち性格がバレて嫌われるから大丈夫、時間の問題よ。そんなことよりあんた何でもいいから食べれる物作りなさいよ。何かできるでしょ」

 

「いたしません。外でハンバーガーを食べてきたばかりだ。それに俺は映画を見るので忙しい。なぜ忙しいか、それは一人で映画鑑賞するのが趣味だから、分かるか?」

 

「理屈っぽいわね。あんたの趣味なんて知るわけないじゃない。で、何見てるのよ?」

 

 貴族らしからぬ庶民的な姿勢で、神崎は再生真っ只中のテレビを覗き込んだ。そして──

 

「……スペースバンパイア!?」

 

 大袈裟な反応だな、まるで有り得ない物でも見たような声だ。

 

「当たり」

 

「……た、タイムマシーンに乗ってる気分ね。趣味の悪くて小さくて狭いタイムマシーン」

 

「あのなぁ、この映画結構面白いんだ。俺の中では。わかるか、名作だよ。第五惑星と一緒」

 

「あんたは守備範囲広すぎよ!」

 

 神崎、さりげなく映画と一緒にソファーへの不満も吐きやがったな。貧乏な遠山宅には新しいソファーを買う余裕もないんだよ。高い家具は買ったそばから星枷とお前が駄目にするからな。刀剣や鉛玉で綿が部屋に飛び散り放題。いい加減学習するよ。

 

「ミストは分かるけど……うーん」

 

「静かに、名作は静かに楽しむ時間も必要だ。感動シーンは特に」

 

「──うっわ、これ酷いでしょ……」

 

 ファンシーな動物大好きの貴族様には、宇宙からやってきた吸血鬼は守備範囲外らしい。モノホンの吸血鬼と戦ったばかりだしな、好きなわけないか。

 

「ねえ、作らないならあたしが勝手にやるわよ?」

 

「やめろ、前の二の舞はごめんだ。レンジでオムレツ作ろうとして部屋がひでえことになった」

 

「換気したじゃない!」

 

「窓を開けても匂いはすぐになくならない。たんぱく質の塊みたいな匂いはもう嗅ぎたくないんだよ。バター入りのコーヒーでも飲むか?」

 

 ソファーから体を起こすと、神崎が怪訝な顔でこっちを見ていた。

 

「待ちなさい。なんでコーヒーにバターなんて入れるのかしら?」

 

「結構うまいらしいぞ。お前はミルクは入れない派だったよな」

 

「……あんた、気は確か?」

 

「エネルギーの即補充、鍛える男の朝食。脳が活発に、正常な思考ができるらしいぞ。元海軍特殊部隊の少佐が愛飲してるんだ、間違いない」

 

「いえ、やめとくわ。心臓発作起こしそうだから。ここを卒業したら本土じゃなくてワイキキにでも行けば?」

 

 ……いつもより毒にキレがあるな。キンジのことで相当お冠のようだ。それでもガバメントに手が伸びないだけ落ち着いてるよ。抜くときは本当に躊躇なく抜くからな、この貴族様は。俺はリモコンで再生中の映画を一時停止、欠伸混じりにソファーを立ち上がる。

 

「親父も海兵隊だったからな、気が付いたらハワイで最強の男のファンになってた。でも仮に俺がSEALsを目指してたら、たぶんどこかで鐘を鳴らして脱落してたよ。鬼軍曹のブートキャンプはガキの頃にさんざんやったしな。これでもかってくらい堪能した」

 

「知ってる、あんたも父親に訓練された口でしょ。一緒に組んで分かったわ。あんたは尋問科のくせに立ち回りが兵士のそれよ」

 

 俺がテーブルに置いたリモコンを奪い去り、くるりと神崎はリモコンを回しながら前後の向きを変える。

 

「根底にある基礎は軍人、つまり海兵隊の父親から受けた教育が根付いてる。良い指導者に学んだのね?」

 

「……どうかな、指導者としては優秀。でも父親としては分からない。お前が言ったとおり、俺も兄貴も小さい頃から兵士のように育てられた。野球をやろうとしたらボウガンの使い方を教えられるような家。遊んで貰った記憶はない、だからお庭で仲良くキャッチボールとか少し憧れてたんだよ」

 

 馬鹿な話だよ。実際、親父の目の前に立ったらキャッチボールもバスケもできるはずない。気がついたときにはインパラに乗せられて狩りをしてるよ。でもアダムが親父と、野球の試合を見に行ったって聞いたときは──ほんの少しだけ羨ましかった。

 

「俺の家庭事情はここまで。なんか作るからオリジナルズでも見てろ。もしくはフルハウス」

 

「ほんと?」

 

「ああ、マカロニチーズのアレンジ料理でも作るよ。アメリカで作ってたやつ」

 

 湿っぽい話は打ちきり。過去は戻らないし、嘆いても変えられない。後悔や懺悔は時間があるときに適度にやるよ。今はルームメイトのご機嫌でも取るさ。キンジが誰とくっつこうが自由だが、俺も今回ばかりは神崎に味方するよ。恋愛について口を出すつもりはないがルームメイトとして多少の力や相談には乗ってやるさ。なんたって俺は暇だからな。

 

「アレンジ?」

 

「ああ、ケチャップを入れたり、たまにはツナやホットドッグも。マシュマロの粉を入れたことも。でも最終的には形になった。クレアとアレックスが食べれたんだから大丈夫だろ」

 

「聞かない名前ね。知り合い?」

 

「訳ありの友達。二人とも古い付き合いかな」

 

 特にクレアは……まだ彼女が幼いときに出会ってる。出会い方としては最悪だったけどな。 アレックスも今は丸くなったが最初はウニみたいに棘だらけ。彼女が看護師になるとは出会ったときは思ってもみなかった。

 

「訳ありじゃない友達なんているの?」

 

「いない、そこは聞くなよ。スタイリッシュな返しができないんだ」

 

 エプロンを取ると、神崎もデッキに新しいDVDを交換で挿入するところだった。スペース・バンパイアと交換で再生されるのは──

 

「何を見るんだ?」

 

「医療ドラマ。衛生科の間で流行ってるみたい、気になったからレンタルしたのよ」

 

「医療ドラマ?」

 

「日本のね。フリーランスの外科医が主役の──」

 

「神崎、やっぱりピザを頼もう。俺も見たい」

 

 エプロンを脱ぎ去り、俺はソファーに再び舞い戻る。白状するよ、一匹狼の女医のドラマは俺も見たい。前言撤回の埋め合わせは今度する、そもそも俺については腹は減ってなかったしな。身勝手な理由だが目を丸くしている神崎も納得したので結果オーライってやつだ。 強引に説得したわけだが……

 

「あ、鯛焼き……」

 

「美味そうに食うよな、この先生」

 

「ピザ、さっさと頼みなさいよ。お腹へった」

 

「だな、俺も手持ち無沙汰だ。ピザに映画見放題、折角の休みだし、面白いもの見ないとな」

 

 携帯の短縮ダイヤルに入っているお決まりのピザを頼む。しばらく経ってから訪ねてきたジャンヌも混ざり、妙な面子でピザとテレビに時間を費やした。血も銃声もなしの穏やかな鑑賞会が終わると、突発的な神崎のストレス解消の思いつきで俺たちは古びたバッティングセンターにやってきているのだが──

 

「……120kmだぞ」

 

 緑のネットで仕切られた隣の打席、溜まった鬱憤をバットに乗せるがごとく、神崎が飛来する直球を問答無用に打ち返している。地下倉庫ではジャンヌの投擲したヤタガンを小太刀で打ち返していたが相手がボールとなると微塵も容赦がない。ただの一球すら打席の背後のネットをボールが揺らすことはなかった。つか、いくら金属バットだからって、あんなに飛ぶか?

 

「せいっ!たぁーっ!」

 

 一方、ジャンヌはそもそも剣を振り回すような滅茶苦茶なスイングで球を捉えようとしているわけで、バットに触れた球は前ではなく頭上に微かに打ち上げられてはベース付近に転がっていく。神崎が2ベースヒットなら聖女様はキャッチャーフライだな……あれは球を打ち返すってより完全に切り裂こうとしてるスイングだ。

 

 まあ、娯楽施設だし、本人が楽しめればそれ以上はないんだが。要はどれだけダウンスイングや変わった打法で遊んでも文句は言われない。此処では振り子やろうが天秤やろうが自由だ。満月大根斬りだって許される、ベースの正面に立つのは非常に危ないが……

 

「ふっ!」

 

 バットを振り払いながら、俺はレキの言う『風』について考えを巡らせていた。レキに命令や警告を下しているような上位の存在。あやふやで抽象的。レキが天使のラジオや預言者のように風からメッセージを受け取っているとする。だが、そもそも風が何者で何のためにレキを使って神崎とキンジの仲を割いたのか。そこには、恋愛の言葉だけでは片付けられない理由がある気がする。

 

「風穴っ! どいつもこいつもまとめて風穴!」

 

 レキのことは嫌いじゃない。どこまでも律儀で凄腕の仕事人だと思っている。バスジャックでは正確無慈悲な凶弾に助けられたし、星枷の護衛、そしてカジノの警備でも協力して戦った仲だ。俺も神崎もこんな形で問題に直面するとは夏休みが終わるまでは考えてもいなかった。まさか聖女様とバッティングセンターに来るとも思わなかったけどな。このときの俺はまだ知らなかった、ジャンヌの性格を。

 

 

 

 

 

 

「……なんだお前たち、そのような目で見られると困る」

 

「負けず嫌いにも程がある。何枚硬貨を投入した?」

 

「誤算だったわ。まさかあんたがあそこまで勝負にこだわるなんて……」

 

 毎度お馴染みの飲食店『ロキシー』で、俺と神崎は目を泳がしているジャンヌに抗議の視線を揃えた。負けず嫌いなのは知ってたが、聖女様があそこまで勝負にこだわるのは俺も知らなかった。ストレス解消の目的で来たわけだが、長い勝負に付き合わされて想像以上に体力を持っていかれた気分だよ。幽霊退治でもないのに金属の塊をこんなに振り回す日が来るなんてなぁ……

 

「あたしはももまん丼。そっちは?」

 

「ポークグリルとベーコンにするよ。あとコーヒー。バターは抜きで」

 

「コーヒーにバター?」

 

「それについては食べながら語ろう。はい、メニュー表」

 

 一方的にメニュー表を首を傾げるジャンヌの前に差し出す。一応、他のテーブルを見渡すがレキもキンジの顔も見えない。時刻は午後の三時を回ったばかり、テーブルにはあちこちに空きがあった。

 

 ジャンヌがステーキを注文するとピッチャーの水をグラスに注ぎながら神崎が話を切り出す。修学旅行Ⅰは来週、9月14日から修学旅行という名目の、チーム編成の調整旅行が始まる。旅行先がどこであれ、駅弁に舌鼓を打ちながら、笑っていられる旅行にはなりそうもないな。

 

 

 

 




次回は京都に参ります。アリアは裁判、白雪は分社、レキとキンジは一緒に行動。主人公は誰と一緒に京都を回るのでしょうか。

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