──死神。死を司る天使。
死神の話は世界中にある。呼び名も様々だ、色んなタイプがいる。スーツ姿の老人や青年、女の姿をしている天使もいる。
死神と出会うのは死ぬときだけ、例外はあるが生きている人間に彼等の姿を見ることは叶わない。
仮に死神とダイナーでメキシコ料理やハンバーガーを食べる人間がいたなら注意しろ。そいつは間違いなく普通のヤツじゃない。
「テッサと最後に会ったのはいつ?」
「メタトロンとカスティエルの一派が抗争してたときに。それが最後だ。カインの刻印を解くよりも少し前になる」
「貴方たちが天界の門を閉じたせいで行き場のない魂が溢れた。当時の天使のラジオは地獄だったわ。天界から堕ちた天使たちの嘆きが四六時中響いてた」
天使のラジオ、それは彼らが頭の中に備えている無線機の名称で人間には聞こえない周波数で彼らは情報をやりとりしている。
死神は人の魂を導くのが仕事、行き場のない魂が溢れて嘆きたくなるのは分かる。死神も大きな括りで見てしまえば天使、そして天使の大半は職務に忠実で働き者だ。
愚痴を聞いている気分で俺は真っ黒な大理石の通路を彼女を追いかけて進んだ。本当に大理石で造られてるのかは定かじゃないけどな。
ここは冥界、死神の職場で常識の外側にある場所。
来る前に言われたとおり、どうやら行き先は彼女の新しいボスの書斎らしい。
「テッサは行き場のない魂たちの叫びに苦しんでた。死神らしい」
「ああ、だから死ぬことを選んだ。死ねば魂の叫びも聞こえなくなる、無茶苦茶な方法だよ。だから最後にメタトロンを道連れに死ぬつもりだったんだ。彼女は自分の死に意味を作ろうとした」
彼女が自分の身に刻んだ自爆のまじないは寸前で止めることができた。
だが、それでもテッサは自分から元始の剣を胸に突き立て命を絶った。自分から死を選んだ。
たとえ死神でも、テッサとは浅くない付き合いで……彼女を止められなかったのは今でも心に引っ掛かってる。
クレアの母親の件と同じ、ずっと心残りだ。死神だろうと、テッサは俺にとって数少ない友人の一人だった。あんな最後、忘れようにも忘れられない。
「トラブルを引き起こしたことは謝罪するよ。テッサには謝れなかった」
「今になって謝られても困るんだけど?」
「しないよりはマシだよ。でも天界を締めたのはメタトロンの策略とナオミ──おたくのところの指揮官が暴走した結果だ。俺たちも騒動には絡んだが、それは仕方ない。望んでなくても磁石みたいに吸い寄せられて、気付いたらいつも厄介事の真っ只中にいる。お決まりのパターン」
「見苦しい言い訳。でもそれは知ってる。貴方は自分の生き方を心底嫌ってた。でも肝心なことを忘れてる──芸術は痛み、人生は苦しみ」
不意に彼女の歩みが止まる。
後ろを歩いていた俺も足を止めた。
直線に続いていた通路は何の予兆もなく広い空間に出ていた。
壁に取り囲まれている無法の本棚にはそれぞれ「W」の白い文字が刻まれ、棚の色と同じ黒いファイルが収納されている。
その「W」の文字が何を意味するのかは検討もつかないが、棚に収納されているファイルの量は異常だ。見上げるほどの高さまである棚がいくつもファイルで埋まってる。
「天国も地獄もすぐ近くにある。窓の向こうに、か」
さらに見渡せば本棚の他には、黒い机と椅子が一組置いてあった。彼女に視線をぶつけるが腕を組むだけで他に返答はない。これ以上の説明は不要か。
どうやら目的の書斎に到着したらしい。ここが──
「キリ・ウィンチェスターが冥界に来ました」
刹那、ジェシカと名乗った彼女は音もなく姿を消す。
本当に無音で消えるのが笑えない。死神が死の天使と呼ばれるのもよく分かるよ。言いたいことを言うだけ言って消える、キャスとそっくりだ。
そして彼女が消えた後に残されるのは俺と、さっきから不機嫌そうにこっちを見てる彼女の新しいボス。
いつからそこにいた……
いや、気配を消すだの感じないだの人間の理屈が通用する相手じゃない。考えるだけ無駄だ。
「キリ」
恐ろしく冷たい声で名前が呼ばれる。
その声だけで人間じゃないことが薄々と伝わってくるみたいだ。彼女は黒いフードを椅子にかけ、鎌を書斎の机から少し離れた場所の壁に立て掛ける。
「気を悪くしないで。これは貴方の側には置けないから」
「別に気にしてねえよ」
死の騎士の持つ鎌は、持ち主である騎士すら殺せるからな。自分を殺すことのできる道具に警戒するのはおかしなことじゃない。実際、彼女の前のボスはその鎌に殺されてるわけだしな。
俺は書斎の本棚にやっていた視線を招き入れてくれた彼女へと戻す。いつものごとく心臓は因縁の相手との再会を機に暴れてる。
ああ、いつものごとく仲好し円満の相手じゃない。訳ありだ。
「出世おめでとう、ビリー。良いオフィスだな。Fiveー0本部の取調室みたいだ」
ビリー、俺は久しく口にしていなかった知り合いの名前を呼んだ。暴れる心臓を黙らせ、できる限りの平静を装って言葉を選んでいく。
知り合ったのは、テッサより随分と後のことだ。
死神を束ねるボスは黙示録に記されている騎士の一体、『死の騎士』の称号を指輪と一緒に得ることになる。そして仮にボスが死んだときは、次に死んだ死神がボスになるルールになってる。
指輪と鎌、そして『死の騎士』の位がそのまま次に死んだ死神へ無条件に引き継がれるんだ。
たぶん、気の遠くなるような昔からそう決められてるんだろう。トップが消える度に醜い跡目争いが始まる地獄に比べりゃなかなかよくできたシステムだこと。
そして、皮肉にも彼女は俺たちと一悶着あった末に、キャスに後ろから天使の剣で一突きされたことで死神を束ねる死の騎士に昇進したわけだ。
ルシファーの檻ですら往き来することのできる存在に。ま、感謝してるかはさておいて。
「誰も訪ねて来ないのは一緒ね」
いや、残念ながら感謝してるって顔じゃないな。
「好きで冥界に来たい奴なんていないよ。ホノルルに行くわけじゃないんだ。ここには常夏のビーチも美味いココパフもない。俺に話があるから招いてくれたんだろ?」
「私たちがいる世界は様々に変わる。それは時にドラマチックな展開を見せる。だから、話したいと言ってるの」
……ドラマチックな展開か。生憎、俺の周囲は過激な展開ばっかり起きるけどな。いや、キンジと神崎の周りか。
「線路に俺の体が転がってた。そこにテッサの知り合いを名乗る女が現れた。じゃあ、俺は死んだのか」
「何度も生き返ってるのに、自分が死んだかどうかも分からないの?」
「それもそうだが。ふざけた速度で走る列車から突き落とされたんだ。腹の中の物もグチャグチャになってる」
「死因が知りたいの?」
「……いや、いい。じゃあ、蘇生できないんだな」
「それを決めるのは貴方」
一転、彼女を見る視線に力が入る。
おかしい、ビリーは俺や兄貴が何度も死んでは生き返ることを快く思っていなかった。
前の死の騎士は面白がって俺たちの動向を容認していたらしいが彼女は違う。一度死んだらそれで最後、死神としての姿勢を貫いていた。
頭の中で告げられた言葉がリピートされる。生きるかどうかを決めるのは俺……?
「分かった。まずは改めて昇進の件、おめでとう。お祝いしたいんだが友達が列車を乗っ取ったテロリストと戦ってるんだ。決めていいなら──」
「決めていいとは言ってない。出方次第ってこと。大切な家族から離れて、異界の地で貴方は何をしてるの? 教えて? 貴方は次に何と戦うつもり?」
俺の言葉はぶった切られ、返しに質問が投げられる。
どういうことだ、謎がまた別の謎を引き込んでくるみたいだ。死の騎士が……質問?
「死神のボスは何でも知ってるんじゃないか?」
「予測のできないこともある。だから、一つでもあると許せない。気になることはほっておけないの」
「……報酬は?」
「貴方の出方次第」
俺の出方次第で全部決まるわけか。
頭に思い浮かぶのははっきり言って、暴走特急の顛末。
これから俺が正直に打ち明けたところで生き返れる保証はない。
そもそも人の命には限りがある。何度も地獄を行ったり来たりで麻痺してるが──死んだ人間は生き返らない。俺たちはその法則をねじ曲げていただけだ。
俺は小さく息を吐いた。
人の魂も命もゴム毬じゃない──未練はある。だが、できないことを求めるよりできることを求めた方がいい。返答を待っている彼女に俺は言ってやる。
「神崎に撃ち込まれた緋弾を抜いてくれ。そうしたら何でも語ってやる」
ビリーは少し驚いた表情で眉をひそめる。
「神崎アリアに緋弾を撃ち込んだのは彼女の祖先。それには彼なりの考えがあった。部外者の貴方が勝手にそれを無いことにするつもり?」
「あれはカインの刻印だ。神の器になるだけじゃない、必ず色金絡みの戦渦に巻き込まれることになる。母親の冤罪を晴らして、そのままクランクアップはできないんだよ。新たな火種を生むことになる」
微かな沈黙、彼女がゆったりと足取りで棚の近くを歩き回る。
「随分、入れ込んでるわね? 赤い野兎に惚れでもした?」
「まさか、そんなんじゃない。俺がやれないことを神崎はやってる、ただそれだけのことだ。俺は母親から逃げて日本にやってきた、でも神崎は母親を救うためにやってきた。同じ国、同じ学校にな。だから……なんつーか、無視できなかったんだ」
同じようで、神崎と俺は違う。そこに至る理由が決定的に。
「日本で何してるのか聞いたな。言った通りだよ、母親から逃げてきた。サムやディーンの母さん、メアリー・ウィンチェスターのことで俺は日本に逃げてきた」
「
「ああ、弟の関係を取り戻してくれたディーンへの御礼として」
──メアリー・ウィンチェスター、親父が命を投げてまで愛した女性。ハンターの大家、キャンメル家の娘で黄色い目の悪魔に人生を狂わされた女性。
全てのシナリオは彼女が炎に包まれる夜から始まった。まだ赤ん坊のサムを連れて親父とディーンが家を出る、それが最悪のプロローグ。
「彼女が戻ってサムとディーンは本当に幸せそうだった。多少の擦れ違いはあったがようやく家族と再会できたんだ。あの火事で失った時間を少しは取り戻せるかもしれない、そう思ったよ」
「でも貴方は逃げた。海を渡ってまで」
「彼女は混乱してた。いきなり何十年も未来の世界に放り出されたら、息子はすっかり大人で愛する人はハンターとして死んでたんだ。そんな状況で、俺やアダムみたいな存在が傍に居続けたらどんなに強い女性でも……普通じゃなくなる」
「そんなことで人は狂わない」
「でも家族の時間は送れなくなる。彼女の中で親父は全てだった。言葉どおりさ、命を天秤に投げれる人間だった。そんな幸せな思い出を汚すわけにはいかない。幸せな思い出は綺麗なままでいい、違うか?」
ザガリアが言ってた。俺とアダムを作ったのは親父の罪だ。キャンメルとウィンチェスターの血を交える、それがミカエルとルシファーの器。サムとディーンが生まれることは最終戦争の外せないシナリオの行程だった。天使たちは必死に奔走して親父と彼女を交え、結果として二人の兄が生まれた。全てはミカエルのこだわった最終戦争のシナリオ。そしてそこにーー俺は必要ない。
「ニュージャージーでヴェターラの餌になりかけたところを親父に助けられた。乗り込んできた兄貴たちと一緒に。そのときは行き場のガキに同情して、兄貴たちと組ませるハンターが欲しいんだとばっかり思ってた。だが事実は違った。俺はアダムと一緒で親父が作った罪だったんだよ。それも親父が死んで何年も経ってから、ふらっとやってきた天使に教えられた」
「だから、逃げたわけ? 母親の思い出を汚したくないから逃げた。いいえ、汚したくないことを言い訳にして逃げてきた」
俺は首を縦に振ってやる。
「ああ、一度も母さんとは呼べてない。どんな状況でもただの一度も呼べなくて、ルシファーが作った子供もほったらかしにして、俺は日本に逃げてきた。だから、母親を救うためだけに一人で日本に乗り込んできた神崎のことは見過ごせない。俺は母親から逃げたがあいつは母親と向き合ってる」
「緋緋神が神崎アリアの意思を乗っ取ったとき、貴方はどうするつもり? 今の貴方に止められる? 彼女の器に宿った神を倒せる?」
話の主導権を奪うように死の騎士はかぶりを振った。
「変わったわね。今の取引で生き返ることもできたのに──やらなかった」
「あんたがボスなら見込みはないからな」
「そんな弱気な台詞。テッサが焦がれたキリじゃない。何度死のうとあらゆる手を使って生き返る男じゃなかったっけ?」
不思議そうな面持ちはすぐにしらけた表情へ変わった。
「しぶといキリはいなくなったようね。今の貴方をディーンが見たらどう思うかしら?」
「……さあな」
「世界を救うために勝つと信じて戦う。犠牲を払って。それが私の愛したディーン、そしてテッサの焦がれたキリ」
言い切ると、彼女は再び背中を向けて棚の一角に歩いていく。
「すっかり変わった。今の貴方にはガブリエルも力を貸さない。緋々神が降りたとしても」
「そもそもガブはもういない」
不意に彼女が振り返り、視線をぶつけてくる。何かを窺っているような目だ。
「なんだ?」
「最後の地獄の王子、貴方はそれも投げ出した」
「ダゴンの言ってたアスモデウスか。何度も執拗に言ってたから覚えてるよ。四人の中で一番トロくて、一番の小物だ。他の三人も倒した、兄貴たちならどうとでもなる」
……なんか妙だったな、今のやりとり。アザゼル、ダゴン、ラミエルの三人の王子は倒した。地獄の王子で残るのはアスモデウスのみ。兄貴とキャスたちなら遅れは取らない。心配は野暮だ。
「やっぱり変わった。なんてことないって顔をしてるけど、心の中では諦めてる。どうにもならないと思ってる」
「……」
「あら、違った?」
全部見透かしてる、そう言われてるみたいだ。淡白を通り越して冷淡ですらある。地下倉庫でジャンヌと初めて会ったときみたいに。
「全部終わったら、戻るつもりだった。ルシファーの子供も地獄の王子もいくらだって相手してやる。でもそれで終わりじゃない。どんなに戦っても終わりなんてやってこない、また家族や仲間が欠けて、犠牲を払って問題を解決、その繰り返し。いつまで経っても終わりが見えない」
ここに来て、テッサのことを思い出して、ふと思ったんだよ。本当なら人の命は一度きり、代用は効かない。ここで死ぬなら、休暇を貰えるならそれもいいと思った。ビリーとの契約で刑務所を抜けたときだけじゃない、リリスの飼い犬に胸を裂かれたとき、スタール墓地でルシファーの檻に飛び込んだとき──俺は一度きりの命を何度も贔屓してもらってる。僅かな時間、瞼を下ろすと再びかぶりを振った。
「命乞いはしない。今日が死期ならそこまでだ。潔く死んでやるよ」
「本心で言ってる──死にたいのね?」
俺は何も言わなかった。肯定も否定もしない、どう思われようがどうでもいい。
「この棚にあるのは貴方のデータ。死に方が書いてある。かなり具体的に」
その手は棚に置かれた黒いファイルに触れている。
「心臓発作、感電死、墓地でグールに食い殺されるパターン、刃物に首を落とされるとか。いろんな死にかたが記されている」
見上げると、説明された棚だけでも数えきれないファイルが納められている。その全部が俺の死にかたについて記されたファイル。
「どれになるか。結末は──選び方次第」
「……どうだっていい。もう死んでるんだ」
沈痛げに続けると、彼女はつまらなさそうに肩をすくめていた。
「ところが、今日死んだとはどこにも記されてない」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。言葉に詰まっていた喉からやっとのことで声を絞り出す。
「……なんだと?」
「私も変わったの。昇進してからね。前よりずっと大きな視点で物事を見るようになった」
「物事?」
「貴方たちは何度もこの世界のルールを破り、バランスを壊してきた。砂上の楼閣を平気で踏みにじる。でも貴方にはやるべきことがある。サムとディーン、貴方のお兄さんと同じでね。成すべきことがある、今はそれしか言えない」
不明瞭の言葉が頭を行き交い、俺を置いてけぼりに彼女は続ける。
「信用して。人間に目をかけるのはよっぽどのことよ。札付きの兄弟に、楽しくはない」
「……だろうな。仲は良くなかった」
「でも貴方は使える。恐れを知らない男ね」
そう言い、彼女は右手に嵌めていた手袋を外した。その薬指には──黙示録の指輪が確かに嵌まっている。
「さあ、死にたいんだろうけど願いは聞けない。休暇はあげれない、生きるのよ」
疑問を脇に置いて、書斎の机の前に立った彼女と視線を結ぶ。
「じゃあ、一つだけ。神崎は──」
答えは聞けないまま、俺の視界はブラックアウトした。
残り数話でチーム編成の予定です。ヒルダが終わればいよいよ人工天才ですよ!夾ちゃんが表紙を飾った人工天才です!(AA)