哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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選ばれなかった未来

 鮮烈に頭に焼き付いて離れない匂い、そして混ぜ合わされた生地の焼ける心地よい音。丸く空けられた窪みの上で交わった生地は華麗に転がり、くるりくるりと何度も翻されていく。ふっくらと膨らんだ生地は注がれたときの姿からはとても考えられないほどに、人の欲を逆撫でしてくる。千枚通しで経木舟皿に乗せられていくその行程に辿り着くまでまるで目が離せなかった。

 

 理子がソースを振りかけ、甘い香りが微香をくすぐったところで俺はようやく我に返る。

 

「理子」

 

「なに?」

 

 まんまるな眼で理子が首を傾げる。

 

「俺たち、夾竹桃の部屋までやってきて何してるんだ?」

 

「見れば分かるじゃん。理子が京都で買ってきたお土産をお披露目してるんだよー。たい焼きと最後まで迷ったんだけどね。迷ったときは、自分の心に従え。やりたいことはやれるときにやっちゃおう!」

 

 理子の間延びした声がやけに部屋に響く。観葉植物だらけの部屋にこの音と匂いは全くベストマッチしていない。異様な光景だった。丸いテーブルをイ・ウーの残党たちと囲みながら、目を輝かせて一番状況を楽しんでいる理子がせっせと経木舟皿に焼き上がりを盛り付ける。

 

「キリくんも無事に生きて戻ってきたんだし、お祝いしないとね。よく生きてたよねぇ、キリくんが生きてるって聞いた途端、ツァオツァオの顔真っ青になってたらしいよ?」

 

「守銭奴の彼女にはなんとも皮肉な話だ。この男は首を跳ねて死体を大地の深くに埋めても、明日には古びた懐メロをかけながら平気な顔をしてインパラに乗り回す男だ。無駄な努力だったな」

 

 ……聖女様、今に始まったことじゃないが、今回は本格的に俺を亡者扱いしてないか。首を飛ばされたら人間は死ぬだろ。

 

「キリくんって命が9つあるのかもねぇ。ほら猫みたいに」

 

「ゾンビでしょ?」

 

 誰がゾンビだ誰が。視線で夾竹桃に抗議するが彼女はいつもどおり。どこ吹く風だった。

 

「これで主戦派にまた一つ恨みを作った。すっかりこちら側に収まったな?」

 

 俺のゾンビ扱いにも意義を唱えず、平然とジャンヌが話を振ってくる。死体が独りでに這い出るなんてホラー以外の何でもねえよ。俺は苦笑いしてやると、夾竹桃から渡された缶コーラのプルタブを捻る。

 

「夜道には気を付けるよ。お前らとズブズブの関係なのは認めるけどさ。つか、なんだよこの缶コーラ。俺、初めて飲むんだけど?」

 

「売ってたのよ、ドラッグストアで。シュワッと弾ける炭酸コーラ」

 

 赤と青、横半分に色を分割したようなパッケージデザインはどことなく炭酸っぽい。中央にある色の境目にはエッジの効いた書体でSparkling(スパークリング)と描かれてる。シュワッと弾ける炭酸コーラか。

 

「長くないか? その商品名」

 

 夾竹桃はきょとんとして、顎に手をやった。

 

「Carbonated water?」

 

「それだと炭酸水だろ……」

 

 真面目に悩んでいた夾竹桃の顔を見た途端、すっかり毒気を抜かれちまった。なぜか緑のオフショルダーを着て作業する理子も一段落を終えて椅子に座り直す。この三人は何を着ても映えるよなぁ。理子なんて特に衣服のこだわりが強いから着こなすのがやたら上手い。

 

 クラスの男連中が目で追いかけてやまないわけだよ。可愛い女の子が可愛い服を来て歩いたら目立つのは当たり前のことだ。当の本人はキンジ以外に目移りする様子はなさそうだけどな、理子はそういうところでジャンヌと似てる。悪役サイドを自称するわりに妙なところで純粋だ。甘いソースの匂いで思考が現実に引き戻される。理子は心底楽しそうに青海苔を振りかけると──

 

「くふふ。ソース! 青海苔! これこそ最高にベストマッチな組み合わせ! どうどう夾ちゃん? 理子の芸術的な盛り付けは?」

 

「ええ、鬼がかってるわよ」

 

「おい、夾竹桃……そんなこと言ったら──」

 

「でしょでしょ! すごいでしょ! 最高でしょ! 天才でしょ────!!」

 

 ……ただでさえはしゃいでる理子が止まらなくなる。警笛を鳴らしたときには遅かったな。予感的中だ、この怪盗やたらノリノリだぞ。

 

「キリ、一つ聞きたいのだが?」

 

「あ、鰹節ならそっちに──」

 

「これは……何という食べ物なのだ?」

 

 思わず、鰹節の入った容器を引き寄せようとした手が止まる。俺と夾竹桃の視線が同じタイミングでジャンヌへと重なった。質問は投げたものの彼女の妙なプライドを逆撫でしまったのか、ジャンヌは羞恥を振り払うように声を張り上げた。

 

「し、仕方ないだろ! 私はこの国の生まれではない! お前のように人生食べ物を中心に回ってはいないのだ!」

 

「……なんでさ。別に食べ物を中心に回ってねえよ」

 

 ジャンヌの中での俺はいったいどんな認識されてんだろ。別に知らない食い物があってもいいじゃねえか、ロコモコを知らない日本人だって探せばいくらでもいるぞ。肩をすくめていると……自分の知らない謎の食べ物をアイスブルーの瞳で注視するジャンヌに理子が喉を鳴らしていく。なんとも悪役っぽい笑い声だな、見事なまでに嵌まり役だよ、満点をくれてやる。

 

「くふふっ、理子が教えてあげよう」

 

 心底楽しそうに理子は腕を組み、整った瞳を言葉を添えてジャンヌにぶつけた。

 

「これは──たこ焼きだぁぁぁぁぁ!!」

 

「TA☆KO☆YA☆KI──!?」

 

 理子の心の叫びとも言うべき熱意に気押されたのか。ジャンヌの発音はカタコトになった。夾竹桃は上手く咳払いで隠しているがうっすらと口元が歪んでいる。理子が京都でたこ焼きのプレートを買ったって聞いたときは大した驚ろきもなかったが、峰理子さんはそんなにたこ焼き好きだったか?

 

「美味しいよ? この味を一度知ったらエイリアンだって胃袋掴まれちゃうよぉ? 人間側に寝返っちゃうよぉ?」

 

「本当か。それは凶悪な食べ物だ」

 

 ジャンヌが興味津々で爪楊枝を持ち上げる。聖女様は変なところで純粋だからな。

 

「キリくんも異世界に行くときはたこ焼き器持っていきなよ! 現地民と交流できるスペシャルツール! これがあれば大安心!」

 

「たこ焼きでエイリアンを笑顔に? そりゃできるといいけど、普通の人間は異世界なんて行かない。だから、残念だけどたこ焼き器を持っていく機会はないんだ。悪いな?」

 

 異世界の『青空』の下でたこ焼きを焼く? 流石にどう人生が転がってもそれはないだろ。

 

「お前なら行きそうなものだが……うむ、それにしてもこの食べ物は美味だな。いいソースを使っている」

 

 たこ焼きをお気に召された聖女様がとんでもないことを口にするので、俺はかぶりを振ってたこ焼きを口に放り込む。確かに美味い、ソースと青海苔のベストマッチも頷ける。

 

「俺はこの現実が好きなんだ。異世界生活なんてごめんだね」

 

「とっくに日常の現実から隔離されてる生活でしょ。それとコーヒーどうも。お礼が言えて良かったわ。消化不良は嫌いだから」

 

「気にするな。遅くなったがかげろうの宿での礼だ」

 

「そう、今度はペン先でも頼もうかしら。18金の」

 

「……考えとくよ。夾竹桃先生」

 

「楽しみに待ってるわ」

 

 静かに彼女が寄せたグラスに、俺は缶を寄せて打ちならした。キレの良い炭酸の余韻に浸っていると、隣でべちゃ、という音がした。音の方向に首をやると爪楊枝を持ったまま夾竹桃が固まっている。彼女の視線は、爪楊枝から落下して中身の露出したたこやきを恨めしそうに睨んでいた。

 

「……」

 

 夾竹桃はあっさり落下したたこやきを見捨て、二個目を持ち上げようと爪楊枝を刺した。目を離した刹那、べちゃ、と数秒前に聞いた音が聞こえてくる。あれだ、豆腐を箸から落としたときのあの音だ。神崎も絹ごし豆腐でよくやってたな──案の定というか落下現場には二人目の犠牲者が出ている。一人目の犠牲者から僅か数秒たらずだ。べちゃ、と三度目の正直という言葉が頭に浮かぶが努めて意識しないように缶の残りを喉にやる。四回目でもう限界だった。

 

「雪平」

 

 隣を見ると、たこ焼きは四個受け皿に墜落しており、彼女はといえば一つも口に運んだ形跡がない。夾竹桃はしばらく落下したたこ焼きを眺めたあと、ゆるゆると顔を上げて至極真面な表情を作った。

 

「このたこ焼き、私の口から逃げるようなの。まだ、内部のタコが生きている可能性が──」

 

「──ねぇよ!お前が爪楊枝から落としてるだけ!」

 

「私に比はないわ、この爪楊枝がいけないのよ。雪平、そっちのを貸しなさい」

 

「きょ、夾ちゃんも意外と熱くなるよね……」

 

 無口、無表情、冷たいのは外側だけの印象だよ。人の中身は親しくなるまで分からん。

 

「それに爪楊枝が上手に使えなくてもどうということはないわ。こんなものフォークで刺せばいいだけの話じゃない。フォークよ、フォークを持ってきて!」

 

 

 

 

 

 

 理子主催のたこ焼きパーティーが終わり、俺はインパラの給油を済ませてから探偵科の寮に続く帰路を歩いていた。ホテルに着いたときは夕暮れ前だったが、歩きながら見上げた空は真っ暗闇に包まれている。色のない空だ。

 

 楽しい一時は時間を忘れるとはよく言ったもんだよ。理子の突然の思い付きだったが悪くない時間だったな、修学旅行の影響で一年に在籍してる夾竹桃とは会うのも久々だったな。現在進行形で隣を歩いてるわけだが……

 

「なあ、神崎に話があるのは聞いたが、何も今日みたいな夜更けに訪ねなくてもいいだろ?」

 

「つまらない話なら日を改めるべきね。でもそうじゃないの、立ち会って話す必要がある話。それに貴方や彼女の場合は明日の予定は信用ならないでしょ。明日には違う世界に旅立ってるかもね?」

 

「笑えねえよ。でも思い立ったが吉日の方針はよく分かった。明日には暴走する電車の屋根から落ちてるかも」

 

「それは貴方くらいだけど」

 

 線路で目を覚ましたあと、あれやこれやで東京駅に戻ったときには長ったらしい事情聴取が待っていた。あれだけ派手なテロ行為、当然の処置か。キンジと神崎は俺を見るなり、ゾンビでも見たような反応をくれたがキンジもキンジでまた常識外れの技をやってみせたらしい。理子が言うには──素手で弾丸の軌道を逸らしてみせた。これをジョークや錯覚と笑えないのが遠山キンジの恐ろしいところだ。

 

(どんどん人間から離れていくな。あいつ、次は弾丸を素手で止めるんじゃないか?)

 

 あいつこそ、異世界に迷いこんでも戦っていけそうだよ。望んでないのにどんどん普通から離れていくルームメイトに少し同情してやる。あ、そういやレキと神崎は最後の最後で『キャスリング・ターン』を決めて、それが列車を取り返す決め手になったらしい。あれ以来、レキは行方を眩ませて所在を知る人間はいない。神崎との溝が埋まるか、それとも離れたままになるか、そこまで俺が関与はできないな。

 

 チーム申請の期限は迫るばかり。このチーム申請が厄介で生徒間で申請できない場合は教務科が定めたチームに強制的に振り分けられる。俺みたいにチーム申請の目処がついていない生徒への教務科なりの措置だ。ココとの戦いで実感したが一緒に組むならキンジや神崎、ジャンヌや理子と組みたい気持ちはある。相性やチーム内のバランスもあるが一緒に戦禍を乗り越えてきた関係は大きい。神崎や星枷はチームどうするんだろうな。

 

「悩み事?」

 

「チーム編成、まだ決まってないんだ。一人でゲンガーは作れないからなぁ。友達との友情が必要不可欠、目先の難題だ」

 

「いつも目先の難題を抱えてるわね。諦めて休む作戦はどう? 教務科に決めてもらえば?」

 

「お前が俺の立場なら休むか?」

 

「休まない、面倒な相手と組みたくないし」

 

「そういうこと、気があったな。期限までにポケモンの通信交換してくれる仲間でも探すよ。通信ケーブル振り回しながらさ」

 

「その話だけど、理子との対戦でゲンガーをじばくさせてなかった? にほんばれを使うだけ使わせて」

 

「……だいばくはつだよ。じばくじゃなくてだいばくはつ」

 

 ……自滅で自主退場するのは一緒だが威力が違う。おい見るな、そんな目で俺を見るな!

 

「まあ、心が痛むけど勝つためなら仕方ない。勝つためにベストを尽くす、それがポケモンバトルだ。わざと手を抜いたら理子も怒るだろ? 違うか?」

 

「ええ、それは分かってる。私も貴方を見てポケモンバトルがなんたるかを学んだわ」

 

「そりゃ良かった」

 

「負けそうになったら電源を切るんでしょ?」

 

「──やってねえよ!」

 

 ……何食わぬ顔で、恐ろしいことを言いやがるな。冤罪じゃねえか。俺は肩を落としてかぶりを振る。

 

「呆れるというか懐かしいというか、ほんと振るまいがずぶとくなったな」

 

「気を使ってまで話したくないの。それとも淡白な返しがお好み?」

 

「ずぶといほうで」

 

 未解決の悩みを提げたまま、気付いたときには寮の標札が近くに見えていた。チーム申請のことはとりあえず脇に置き、俺は真っ暗闇のなか標札の横を通り過ぎた。この時間になると出歩いている人間もいないな。

 

(問題と言えば、星枷が出した占い……)

 

 不意に分社で告げられた占いが頭をよぎる。星枷が言っていた三つの存在──堕天使(ルシファー)総帥(ミカエル)、そして神。堕天使ルシファーと総帥は地獄の檻だ。ミカエルは長い監禁生活で頭がやられてるし、神は仲直りしたアマラ姉さんと旅行中で行方知れず。家族全員、会いたくて会える連中じゃない、会えるときは漏れなくトラブルとセットの連中だ。

 

 後ろには話題の宣戦会議が控えている。可能であるならロクでなし一家との再開は遠慮したいが──どうやらお決まりのパターンがやってきたようだ。俺よりも先に隣の腐れ縁が答えてくれた。

 

「お約束ね」

 

 寮の敷地を少し歩いたところで俺たちは足を止める。腕は頭で考えるよりも先に動き、ホルスターから既にタクティカルライト装着のトーラスを抜いていた。呆れを抑えられない夾竹桃から溜め息が聞こえてくる。

 

「問題が終われば次の問題がやってくる。いつものパターン?」

 

「正解、いつものパターンだよ。望んでないのに向こうから飛びこんでくる。最高だ」

 

「退屈しそうにないわね、貴方の近くにいると」

 

 皮肉めいた言葉を契機に頭が冷えていく。敷地内の片隅、真っ暗闇の空間に黄色い切れ目が生まれていた。ありえない光景だが何もない虚空に切り傷のような縦の線が走っている。真っ暗闇の敷地でその一ヶ所だけが不気味に発光していた。まるでゲームや映画にありがちな異世界に続く入口みたいだ。

 

「理子が異世界の話題を振った途端にこれ?」

 

「こんな状況で落ち着いてるお前も大概だよ」

 

「自分の眼で見たこと以外は鵜呑みにしないことにしてるの」

 

 爪先から頭頂に冷たいものが走る。俺は用心金に指をやり、ゆっくり切れ目の側まで進む。

 

「お次はなんだ?」

 

 切れ目の長さは俺やキンジの背丈と同程度。縦に伸びた長さに比べ、横幅はほとんどない。寮を出たときにはこんなものは浮かんでなかった。俺が離れていた数時間の間にできたってことか。何かの超能力って感じじゃなさそうだな。ぱっと見の印象はこっち側の現象……

 

 転がっていた石を裂け目に蹴り込むと、石は裂け目の中に吸い込まれて消える。透過しないってことは裂け目の奥に別の空間が広がってる可能性があるな。ナルニア国が出るか、煉獄が出るか。人の庭先に面倒なもんを作りやがったのはどこのどいつだ。

 

「行くの?」

 

「こっち側の問題にしか見えねえからな。とりあえず探りだけ入れてみる。見張り頼んだ。手が空いてたら聖女様にも連絡を頼む」

 

「はいはい。妙な連中だけは連れて帰らないで」

 

 ──覚えとくよ。俺は状況を確かめるべく隙間の中に足を踏み入れた。嫌な予感がする……天使のラジオからありったけの悲鳴が聞こえてくるような……とてつもなく嫌な予感がする。地上に闇(darkness)が解き放たれたときと同じ感覚。

 

 以前、星枷がこんなことを言っていた。日本には『マヨイガ』と呼ばれる局地的な魔界がいたるところにあると。例えば烏天狗、奴は自分のマヨイガに美女や財宝を溜め込んで欲求を満たす。知らず知らずに、奴のマヨイガに足を踏み入れて被害に遭遇する例が実際にあるらしい。

 

 自分の巣や空間、領域を作成する怪物って意味では俺も何体か心当たりがある。だが、それはあくまでも米国での事情、海を渡った日本でも同じ道理が通るとは限らない。地面から浮いていた足が何かを踏みしめ、暗転した視界がクリアになる。一言で言えばそこは紛れもない『魔界』だった。

 

「……どうなってるんだ?」

 

 誰も聞いていないことすら忘れて言葉が出る。裂け目の中に広がっているのは荒廃した土地だった。灰色の大地がどこまでも広がり、木々や生き物は姿も気配すら感じられない。あるのは灰色、世界から色が消されたように緑の木々はどこにも見当たらない。鳥、獣、人、生き物の息遣いはどんなに耳を澄ましても聞こえず、不気味な突風と灰色の雲から光る赤い雷鳴のつんざく音だけが繰り返されている。

 

 ……まるで地獄だ。一面が灰色に覆われ、荒廃し、朽ちている。灰色の砂地、見渡しても建物は大小問わず一つも見つからない。代わりにあるのは、建造物から剥ぎ取られたように砂地に刺さっている鉄骨やコンクリートの残骸。近くまで行くと、所々に真っ黒なシミができている。乾いた血の跡に背筋が冷たくなった。危険を告げる警笛が頭をがむしゃらに叩いている。

 

 空を包んでいる異常な範囲の灰色の雲、そして異常な頻度で繰り返される。生物の息遣いすら聞こえない静寂。最低のテーマパークだ。まるで──

 

「──おいおいキャシー、頼むから不始末はよしてくれ。王様はいまとてつもなく機嫌が悪い。指をパッチン、みんなあの世行きだ」

 

 刹那、頭上から聞こえてくる軽快な男の声に頭を強く揺さぶられた。ありえない、この声の主は借りていた人間の器ごと天使の剣に一突きされている。死んだ天使や悪魔の眠る『虚無の世界』は神やアマラですら簡単には介入できない。

 

 なのに……俺の頭上、灰色の砂地が重なって作られている山場には死んだはずの天使(バルサザール)がお仲間を引き連れ、トーラスを握ったままの俺を見下ろしている。最悪だ、汚い空気で肺がおかしくなりそうだ、どうやら夢オチじゃないらしい。何にしてもようやく生き物と遭遇できたことに俺は肩をすくめる。

 

「よぉ、天使ども。御勤め御苦労様」

 

 にわかに信じられない光景にトーラスをホルスターに戻しながら、視線をぶつける。そこにいたのは長身の優男、かつてバルサザールが使っていた人間の器に瓜二つ。空気を読まない軽口も同じだ。だが、奴は俺のことを覚えているような気配がない。初対面にありがちな警戒心が剥き出しになってやがる。疑問が頭から消えず、暴れる心臓を乱暴に黙らせると、スッと彼が右手を挙げた。

 

「反乱分子かどうかは問題ない。見分けが付かないときはとりあえず片付けるに限る──やれ」

 

「おいおい、片付けるってなんだ?」

 

 左右に二人ずつ、指揮官と思われるバルサザールを挟む形で並んでいたお仲間に天使の剣が握られる。おい、まだまともに会話もしてないんだぞ……

 

「冗談だろ? 神の戦士が通り魔か? いったいどうなってんだこの世界は?」

 

 ──反乱分子。話の背景は分からないが、ようするに『疑わしきは罰せよ』ってことか。武器を構えた数は四人。全員、迷彩服で服装が統一されている……どいつもこいつも紛争地帯の武装勢力みたいな格好だ。

 

 俺の記憶にある天使はその大多数がスーツや礼服だった。あの無気力で怠惰なバルサザールが兵を率いているのも違和感がある。まるで安物のコピーだな。もう一度言ってやる、どうなってんだよこの世界は……

 

 

 




1.赤ん坊の癇癪で穴が開きました。

2.主人公は休暇(異世界旅行)に出掛けました。帰宅予定は不明です。

3.天使の軍隊に奇襲されました。


……今回、ようやく今後に繋がる話を動かせた気がします。

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