「なあレキ、ずっと前から言おうと思ったんだけどさ。お前って本当にいいやつだな。俺泣きそうだよ」
「大袈裟です」
「入院して3日。医者とナースを除いたら部屋に来てくれたのはお前だけ、泣きたくもなるさ」
「綴先生も訪ねられたのでは?」
「先生なら部屋に入るなり笑うだけ笑って、パチンコ本置いて出ていったよ」
手元の雑誌をレキに渡してみるが身動きはない。いらねえよな、俺だっていらねえよ。
自力で呼んだ救援が間に合って、俺は解毒処置と武偵病院で入院が決まった。神崎が退院する前日に入院が決まる嫌な偶然だ、VIPルームじゃねえけどな。
暇な入院生活も3日が過ぎた頃、初めてレキがお見舞いに来てくれた。先生のあれをカウントしなけりゃレキが最初の一人。もう一度言っとく、俺泣きそう。
「なあ、神崎の様子は?」
「イギリスに帰国が決まったそうです。今夜7時のチャーター便かと」
「そっか」
俺は気持ちをなだめるようにかぶりを振った。
もう会えないと決まったわけじゃないさ。今回の一件で俺もイ・ウーと関わっちまった。どこかでまた目的が交わることもあるはずだ。
……って携帯は電源を切ったはずじゃ、誰だよ、キンジからのメール──?
◇
「前にも言ったがもう一度言ってやる。アホは今まで大勢見てるがお前はその中でも王様だな」
「へぇ、どこまでアホに見える?」
「ジョーズを金魚鉢にいれて飼ってるくらいだよ!」
初めて神崎が部屋に押し掛けてきたときと同じやりとりだが、いるのは都内を走るインパラの車中だ。
メーターの針がほぼ右に傾いて動かず、窓の外に広がる陽光のない景色をぐんぐん追い抜いていく。見えてきやがったぜ羽田空港……!
「舌噛んでも自己責任だぞ! こっちはドクを押し切って急遽退院の身だからな! しばらく病院には行きたくねえ!」
「頼りになる味方とインパラのシートが恋しくてね。アリアの為に今は協力してほしい」
「アリアの為に──ねえ。こっちのお前が絡むと碌なことにならねえな。いつもいきなり出てきやがって。その姿は武偵殺しをぶちこむまで持ちそうか?」
「持ってあと……3分だな」
「最高、聞かなきゃよかったよ。遺言があったら、どうぞ」
嫌味を飛ばしてやるがやるしかない。
もう病院を抜けてきたからな。退路は既に火の海だ。
「お前の推論が正しいなら空で直接対決か?」
「バイク、自動車、船。大きくなっていた乗り物が一度小さくなった。俺のチャリ・ジャックはリセット、新たな標的のスタートだったんだ。そして次が先日のバス・ジャック。武偵殺しは兄さんを仕留めたのと同じ三件目で──アリアを仕留める気だ。このハイジャックで」
「わざわざSランク武偵を標的にする必要あるかねえ……バカでアホでマヌケな考えだ。もしくはとんでもない人違いか」
「どっちにしても会えばハッキリする。奴は乗ってるぞ、あの便に」
確かに。
本人に聞いてやるのが一番早い。前を行く車をかたっぱしから追い抜き、忙しなくハンドルを切る。
「退院して早々に空の旅、忙しい日だな」
「悪は休まない、こっちも」
「ああ、神崎にだけ休みをくれてやる道理はない。ついたぜ、時間がねえぞ走れ!」
空港のチェックインを武偵手帳についた徽章で通り抜け、金属探知機もパスして足を動かす。
人混みをぬいて、また抜いて、二人でハッチを閉じつつある機体に飛び込んだ。駆け込みで機内に転がった俺たちの背後で、入口が閉ざされた。
「──武偵だ! 離陸を中止しろっ」
「お、お客様!? 失礼ですが、ど、どういう……」
「説明しているヒマはない! とにかく、この飛行機を止めるんだ!」
目を丸くしているフライトアテンダントに、キンジは鬼の形相で武偵徽章を突きつけている。
さっきまでの冷静な空気はどこ行きやがった。本当に3分しか持たなかったな。嫌な仕事だぜ、どっちがハイジャック犯なんだか分からねえ。
「待て、キンジ。俺から話す。いきなりで悪いんだけど機長に伝えてくれ、緊急事態なんだ。馬鹿な要望だよな、俺たちもそう思ってる。けどあんたが動かなかったら手遅れだ、頼む」
アテンダントはビビりまくった顔で頷き、2階へと駆けていった。
信用には信用を──難しい話だな……ついでに手遅れだ、滑走路に入りやがった。もう止められねえぞ。
「バ、バッカヤロウ……!」
「どっからも根回しがないんだ。信じてもらうのも一苦労の仕事だな、FBIやテキサス・レンジャーと違ってさ」
震えたアテンダントが戻ってきたが機長に進言して怒鳴られたらしい。
管制官からのお通知がなけりゃ機体も止められねえか。彼女には迷惑かけちまって悪いが人命第一だ。
「切、第二プランでいくぞ。このままやつを追いたてる」
「任せろ。飛行機の機内で犯人探しなら、前に一度体験済みだ」
「それは初めて聞いた」
「酒のつまみにもならねえ話。S研用語絡んでいいなら話すけど?」
「そっちは俺の管轄外だ」
「だよな、キャンプファイヤーでやるにはいい話だよ。でもここじゃマシュマロは焼けない。さっさと神崎を探して、この空の旅の終わらせる」
「ああ、与太話で盛り上がるのはそれからだ」
機体は上空に出てる、退路はないがそれは武偵殺しも同じ条件だ。
キンジの第二プラン……実際に陥る結果として濃厚だったのはこっちのプランだが、それは至ってシンプルだった。
機内で潜む武偵殺しを見つけて逮捕する。
俺とキンジ、神崎を合わせた三人の力を結束させてな。
ベルト着用サインが消え、俺たちは事情を話して神崎の個室に案内してもらう。
飛行機に個室、セレブにはついていけねえよ。俺が今まで泊まったどのモーテルよりも豪華な造りをしてる。高級ホテルって言われても驚かないし、みんな口を揃えて納得するだろうな。
まるでリゾート施設だ。飛行機の中にこんなもんが組める時代とはね、畏れ入る。そのスイートルームで、見つけたぜ貴族様。
「……キ、キンジ!? キリも一緒なの!?」
「くつろいでるとこ失礼するぜ。つか、すげえ部屋だな……いくらするんだよ」
「片道20万くらいだろ。さすがはリアル貴族様だな」
片道20万のフライトか、ゾッとするぜ。
まだ紅い目をまん丸に見開いた神崎は、ダブルベッドを見ながらのキンジの発言で我を取り戻し、俺とキンジを交互に睨んできた。
「──断りもなく部屋に押しかけてくるなんて、失礼よっ!」
「お前に、そのセリフを言う権利はないだろ」
「今回ばかりはキンジに同感、争ってる時間はない。キンジ、俺は機長に話をつけてくるから、戻ってくるまでに神崎に説明しとけ。分かってると思うが雁首揃えてかからねえと返り討ちだ、頼んだぞ?」
「……分かった。気を付けろよな」
「お互いにな」
キンジは神崎と二人になるのを躊躇ったがすぐ頷いてくれた。
神崎はまだ不機嫌な視線を向けてくるが話を聞けば落ち着いてくれることに期待するよ。俺はスイートルームを出て右袖に目配せする、セグウェイにやったときと同じでワンアクションで、剣を手におさめられるように仕込んでいるが気は抜けない。
魔宮の蠍は強かった。
過大評価するつもりはないし、他に強い連中も探せば見つかるだろう。
だが上を探れば見つかるだけの話さ、夾竹桃が弱いわけじゃない。
同じ構成員の武偵殺しだって拮抗した実力、もしかすると彼女より格上かもな、笑えねぇ。
「──お客様に、お詫び申し上げます。当機は台風による乱気流を迂回するため、到着が30分ほど遅れることなが予測されます──」
機内放送だ。
30分の遅れで解決すればいいけどな。俺は機内を警戒しながらコクピットを目指した。
さっきの失敗を踏まえ、説得の言葉を頭の中で暗唱したがそれは無駄になった。
コクピットの扉が開け放たれ、アテンダントの女性が何かを引きずりながら出てくる。俺の目はその手に引きずっていた物を凝視した。
動かない機長と副操縦士を投げ捨てたアテンダントは、俺を見つけるなり不気味に笑う。
「Attention Please.」
そんな挨拶を残して、放り投げられた缶が足元に転がってくる。
冗談じゃねえ、俺は一目散に逃げる。記憶にある、今のはガス缶が中身を散布させた音だ。
飛行機の中だから劇薬は散布できない?
ハイジャックなんて考える輩に、そんな理屈が通用すると思うか?
「おい、勘弁しろよ! また毒かっ!」
「──みんな部屋に戻れ! ドアを閉めろ!」
「急ぎなさいキリ! バカもっとはやく! このドベ!」
「お前は悪口言いたいだけだろ!」
全力で缶から遠ざかり、一ヶ所だけまだ開いていた神崎の私室に駆け込む。
ハッチの次は部屋のドア、お高い私室に転がった俺の背後で扉が閉まる。仰向けで見上げた視界に、神崎の顔が差し込んだ。
「マヌケな格好ね」
「運が悪かったってこと、生まれつき」
「呼吸はできてる。手足に痺れもないし、五感に影響もない。あのガスはフェイクだ、命拾いしたな」
キンジに言われて呼吸を確かめる──ああ、ちくしょうめ、空気がうまい。
「あそこ、見て」
神崎がベルト着用サインを視線で示した。ワケの分からない点滅と注意音、和文モールスだ。武偵殺しからのメッセージか。訳は……オイデ、オイデ……?
「……誘ってやがる」
「上等よ、風穴あけてやるわ」
「ついでにインパラの修理費を巻き上げる。いこうぜ、1シーズンの締め括りだ。奴の顔に特大の足跡をつけてやる」
キンジの頭上のサインを睨みながらの一言に、俺と神崎が続く。
招待状をくれるなら、断る理由はない。雁首揃えて殴り込みだ。
◇
機内の1階は豪奢に飾り立てられたバーになっている。
ほんとに飛行機の中かよ、セレブご用達のプライベート空間だな。季節関係なしに年中モーテル通いだった俺には縁がない。
大がかりなシャンデリアの下、カウンターで一人の女が足を組んでいた。
他には誰もいない。ベレッタ、ガバメント、トーラス、三種の銃口が女を捉えるが俺もキンジも神崎も眉をよせた。フリルだらけの武偵高の制服。
原型はほとんど残ってねえが東京武偵高の制服だ。こいつは、どういうことだ……?
「今回も、キレイに引っかかってくたれやがりましたねえ」
「てめえ、何者だ?」
俺が二人の言葉も代弁してやる。女は特殊メイクを剥ぎ、素顔を見せた。
「──理子!?」
「Bonsoir」
くいっ、と優雅にカクテルを飲み、驚愕を上げたキンジにウィンクしたのは顔見知りの女だ。
なるほど……たいしたトリックだよ、近くにいたのに誰も気づけなかった。こうやって、俺たちのアホ面を眺めるのはさぞかし気分がいいだろうな。
「待ってたよ、キンジ。この時間を作るまで苦労したんだよ。最後まで頑張ってね。オルメスのパートナーとして。ここまでお膳立てしてやったんだ、お前も頑張れよオルメス?」
最初はキンジ、最後は神崎に向けて言葉を送った理子は、残った俺を冷たい瞳で睨んできた。
オルメスか、いよいよ分からねえな。
「お前もしぶとく関わるよね。腕の一本くらい斬っとくべきだったよ。お呼びじゃないのに何度も舞台に上がってくる」
「人の邪魔をするのが三度の飯より好きでね」
「不撓不屈の精神は認めてやる、馬鹿さ加減もな」
窓から入った稲光が理子を照らす。
いつもの明るく、快活な日向のような雰囲気は今の彼女にはない。
研がれた刃のような冷たい空気で全身を覆ってる。
「……武偵殺し。まさか身内にいるなんてね」
「たいしたもんだ。注意を逸らすのはダイハードの悪役並み」
俺たちの知っている峰理子とはまるで別人。偶然にも俺の考えを読んだようなタイミングで、言葉が紡がれた。
「理子・峰・リュパン4世──それが理子の本当の名前」
稲光が冷たい理子の表情を照らし出す。
渇いた笑いが抑えられなかった。
「……オルメス、リュパン。家族の確執と来て、今度は一族の確執かよ。理子、御先祖様の因縁つけるために乗り物拉致って大舞台を用意したってなら……」
「口をつつしめ!」
態度を豹変させた理子が獰猛な殺気を剥いた。
「家族の確執で誰かを巻き込んでるのはお前の方だろ。キンジぃー、気を付けな。そいつは爆弾なんて可愛いもんじゃないんだよー?」
理子の瞳は挑発的に語りかけてくる。
だが、所詮俺は招かざる客だ。あくまで本命は──神崎。
「4世、4世、4世さまぁー。どいつもこいつも、あたしを数字でしか見ない。でも今日で終わり、オルメス4世を倒せば理子は理子になれる。数字じゃない、理子は本当の理子になれる!」
いつもの理子じゃない。
いや、違うな。こっちが最初から彼女の本性だったのかもしれない。
俺たちの知っている明るい能天気な理子はあくまで外側、この場にいる理子こそが武偵高では見せることのなかった内側。
本当の姿のような気がする。それを晒したってことは──やはり、ここで終わらせるつもりだ。
「プロローグはおしまい、ここから先は理子の物語。100年前の対決と条件は同じ、ちゃんとパートナーも用意してやったんだ。舞台は整ったぞオルメス、自分の役を演じな!」
「勝手なことばっか……!」
「おや、パートナーが乗り気じゃないみたいだよぉ? キーくん、アリアの背中押してあげなよー。補助輪なしだと転んじゃうよ?」
理子は猫なで声でキンジを煽る。
やるな、裏と表の二つの表情を使い分けて感情を逆撫でしてやがる。
「キンジ、お兄さんのこと知りたいでしょ。いいこと教えてあげる。あなたのお兄さんは……今、理子の恋人なの」
「いいかげんにしろ!」
「真実が知りたいなら捕まえてごらん。さあ、お前にも戦う理由ができた。決着をつけよう──オルメス、遠山キンジ。これは理子が理子になるための戦い、今度も邪魔してみろよ──ウィンチェスター!」
『運が悪かったってこと、生まれつき』S10、20、クレア・ノバック──