哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

50 / 157
一秒すらなかった光景

 この場に集まっているのは各地の機関、組織から選ばれた大使。各々に思惑は違えど、穏やかな表情、優しい表情を浮かべる者は一人として見当たらない。皆が冷たい表情。やはり優しさのない、人間味のない表情を浮かべる者ばかりだ。例外は私と遠山に気づくなり、ウィンクと共に手を振ってきたカナくらいだろう。その彼女もいまはパトラの隣で、隙のない姿勢を維持している。

 

 突如、点灯したライトが暴いた魑魅魍魎の景色に遠山もただの会合ではないと悟ったのだろう。悪趣味なパーティーと切って捨てられる景色ではない、警戒を解いていないのは賢明な判断と言える。この場にいる者は味方にもなれば、敵にもなるのだからな。 魔女、獣人、集まった者には統一感の欠片もない。人種……いや生物としての枠すら異なる。だが共通するのは──この場にいる全員が悪魔に魂を売った掛け値なしの化物だということか。

 

「初顔の者もいるので、序言しておこう。かつての我々は諸国の闇に自分達を秘しつつ、各々の武術・知略を伝承し──求める物を巡り、奪い合ってきた」

 

 火種はイ・ウーの隆盛と共に鎮火し、牽制され、図らずしも睨み合う形で秩序は保たれてきた。互いが互いを牽制することで良くも悪くも一触即発のラインが各々で維持される。危険なラインだが砲火が開くことはなかった。今までは──と私は言葉を続ける。

 

「だが……イ・ウーの崩壊と共に、今また、砲火を開こうとしている。知ってのとおり、圧力が臨界状態になったとき、戦争はたった一発の銃弾で始まる。そして一度始まったが最後、終結するまでには夥しい血が流される」

 

「イヤね、それが戦争でしょ? 私は大好きよ。いい血が飲み放題になるし、闘争を欲するのは生きる者なら誰もが持ち得る当然の欲求。そうでしょう、ジャンヌ?」

 

 くすくす、と笑い声がする。黒を基調とした退廃的なゴシック&ロリータのドレスでシックに着飾り、黒いエナメルのピンヒールを鳴らした金髪の吸血鬼──ヒルダからだった。黒いフリル付きの日傘がくるりと手元で踊っている。

 

「シャーロックの薨去と共にイ・ウーが崩壊し、我々が再び乱戦に陥るのは他ならぬ教授によって推理されていたことよ。私たちは尊い平和を望まない、そして血の流れない結末もありえない。平和なんて撒き散らした血の上に成り立っているのでしょう?」

 

 穏やかな口調でありながら、ヒルダのその言葉はこの場にいる全員の戦意を逆撫でするようだった。落ち着いた態度は上辺だけ、唇の奥で隠されている牙を微かに覗かせる様がどこまでも好戦的に思える。が、好戦的なのは彼女に限った話ではない。彼女と同じく開戦に賛同する魔女が声を上げた。顔に覚えがある。イ・ウーのOB。

 

「おゥよ待ちに待った戦争だ。こっちはデュッセルドルフでバチカンに使い魔をやられてるんでなァ。こんな絶好のチャンス、逃がせるかってんだッ!」

 

 小柄な体を、髪と同じ色の真っ黒なベルベットのローブに包み、使い魔である大きなカラスを肩に乗せているのは『厄水の魔女』と呼ばれる主戦派のOB。水を使役する超能力者、右目を隠している臙脂色の眼帯に描かれた印を見ればその正体は初対面である遠山ですら検討がつくだろう。

 

 『魔女連隊』の名前で知られている超能力者の部隊、彼女はそこに籍を置いてる。

 

 カツェ=グラッセーー厄水の魔女。眼帯の印は魔女連隊とドイツ軍を繋ぐ証であり、変わらぬ忠誠の印。煽り上手なキリに言わせればつまるところ魔女連隊はクリスタルスカルを求めた成れの果てと言ったところか。赤いマニキュアをした指を口にあてがい、ヒルダがうっすらと笑う。

 

「そうね、今我々が持てる唯一の戦争。大事に使わないと。私もお前たち(バチカン)には私怨があるし」

 

 金色の目で修道女を見ながら、ヒルダが告げた。

 

「ヒルダ……一度首を落としてやったのに、まだ飽きたりないのですね。惨めにも生を拾いましたか」

 

「首を落としたぐらいで竜悴公姫(ドラキユリア)が死ぬとでも?相変わらずバチカンはおめでたいわね。小汚ないUKの賢人と一緒だわ。お父様が話して下さった何百年も昔の様子と、何も変わらない。アメリカの賢人は……ちょっとは楽しめそうだけどね」

 

 ──正確には賢人たちの血筋の生き残り。ヒルダの期待に当てられているのは彼等の役目を引き継ぐことが許された存在。案の定、カジノでの好戦でヒルダに目をつけられていたな。ウィンチェスターはヒルダにとって祖先の仇、キリの場合はそこに父親の仇も加えられる。敬愛する父と祖先の仇、種族の誇りを重んじる彼女に目をつけられないのが無理な話か。それこそ掘り下げれば祖先を産み落とした母親(イヴ)の仇でもある。

 

「吸血鬼でも恩義は感じるのですね。餌にならずに済んだ礼はしましたか?」

 

「口の減らない女。飢えた魔物(リヴァイアサン)にとって命ある者は全て等しく餌でしかない。人間なんて餌の筆頭、お前たちは自分の種の脅威を排除したに過ぎない。その恩着せがましい態度、私嫌いよ」

 

 ハンターが怪物から恨みを買うのは当然だが、あの一族が振り撒いてきた泥は規模が違う。疫病神、大罪人、死の騎士の友人、獣人界でのウィンチェスターは散々な評価で通っている。良くも悪くも彼等は話題に事欠かないな。事実、私も地下倉庫の雪平切との戦いは苦い記憶として脳裏に刻まれている。聖油の火を味わう機会は後にも先にもあれだけだろう。そうでなければ困る。

 

 挑発とも受け取れるヒルダの言葉。名指しされたバチカンの使者を見ると、修道女は仇敵の吸血鬼と厄水の魔女に蔑んだ視線を向けている。もう一度首を落としてやる──そう言わんばかりの殺気に満ちた視線。好戦的なのはヒルダだけではないらしい。

 

「お前たち魔性の者に平和を説くのは魚に詩を朗読するようなもの。他に和平を望む者はこの場にいないのですか?」

 

 今宵は宣戦会議、あくまでも表明の場。ここに集っているのは戦闘力に優れたものではなく、大使としての役回りに適した者たち。にも関わらず、好戦的な空気を咎めるものは誰一人いない。不愉快な視線を修道女へ送るヒルダも率先して火種を撒きかねない、カツェも同様。そうなれば修道女も背負う大剣を抜くことを躊躇わない、ここは一瞬で地獄に変わる。

 

「和平を結ぶのは非現実的でしょう」

 

 そう言ったのは諸葛静幻。修学旅行Iで列車を乗っ取ったココたちが所属する藍幇の大使。張り付けたような笑顔で両腕が広げられる。

 

「元々我々には入り組んだ因縁がある。イ・ウーが崩壊し、長きに渡る休戦は破られました。恒久的な平和など蜃気楼にも等しき夢でしょう。我々は戦いを避けられない、我々はそういう風にできているのです。逆らえはしない」

 

 イ・ウーはテーブルに置かれたナイフ。そのナイフを抜いて味方につければ拮抗した戦は一気に傾く。イ・ウーが特定の組織と同盟を結ばなかったことで結果的にテーブルを挟んで睨みあいだけが続いていた。だが、そのナイフも遠山によって破壊された。

 

 結果、ナイフが置かれる前の闘争の場に我々は戻ることになる。冷静に淡々と諸葛が続ける言葉は何も間違っていない。諸葛への静かな沈黙が彼の言葉を肯定している。そう、我々はそういう風にできているのだ。

 

「では、古の作法に則り、まず三つの協定を復唱する」

 

 86年前の宣戦会議に使われたのはフランス語だったそうだが、今回は私が日本語に翻訳した。その為、この場にいる大使も日本語を一定のレベル理解できる前提で選ばれている。イ・ウーでは英語と日本語が主流言語とされ、カツェが大使に選ばれた理由の一つはそれだろう。以下、私は翻訳した協定を復唱した。

 

 第一項。いつ何時、誰が誰に挑戦する事も許される。戦いは決闘に準ずるものとするが、不意打ち、闇討ち、密偵、奇術の使用、侮辱は許される。

 

 第二項。際限無き殺戮を避けるため、決闘に値せぬ雑兵の戦用を禁ずる。これは第一項より優先される。

 

 第三項。戦いは主に『師団』と『眷属』の双方の連盟に分かれて行う。この往古の盟名は、歴代の烈士たちを敬う故、永代、改めぬものとする。

 

「それぞれの組織がどちらの連盟に属するかはこの場での宣言によって定めるが、黙秘・無所属も許される」

 

「宣言後の鞍替えは禁じられていない。但し、それに応じた扱いを受けることになる。間違いないかしら?」

 

「問題ない。続けて連盟の宣言を募るが……まず、私たちイ・ウー研鑽派残党は『師団』となる事を宣言させてもらう。バチカンの聖女・メーヤは『師団』。魔女連隊のカツェ=グラッセ、それと竜悴公姫・ヒルダは『眷属』。よもや鞍替えは無いな?」

 

 名指しした三人に再度確認を募る。最も答えは決まっているようなものだ。

 

「意義はありません。バチカンは元よりこの汚らわしい眷属共を伐つ『師団』。殲滅師団の始祖ですから。ああ、神様再び剣を取る私を御許しください」

 

「本当にバチカンはおめでたいわね。神はとうの昔にお前たちを見限ってる、旅行にでも行ってるわ。金のために奇跡を演じる天使もいる、祈りも信仰も役に立たないのがまだ分からないのね。ジャンヌ、私は生まれながらにして闇の眷族──眷族よ。バチカンには私怨もあるから丁度いいわ」

 

「ああ、あたしも眷族だ。メーヤと仲間になんてなれるかよ。鞍替えはねえ。端的に言ってやるぜ、あたしはお前たち(師団)の敵だ」

 

「同じく。玉藻、貴方もこちら側でしょう?」

 

 ヒルダは金色の瞳で遠山の隣にいる妖狐を見やる。私も同じく視線で追いかける。彼女は玉藻御前と呼ばれる日本の怪異の重鎮、妖狐の上位神であり本物の『神』に位置付けられる。正一位の彼女より上に立つのは日本では鳳くらいだろう。その少女の見た目に反し、何度も戦役に参加しているリピーター。経験で言えばこの場の誰よりも豊富なのは間違いない。

 

「すまんのうヒルダ。儂は『師団』じゃ。未だ仄聞のみじゃが、今日の星伽は基督教会と盟約があるそうじゃからの」

 

 かぶりを振った玉藻にヒルダは一瞬だけ目を丸めるが何も言うことはなかった。流石に切り替えが早い。玉藻御膳の宣言を皮切りに各位が二つの勢力に別れていく。イ・ウー主戦派を代表してパトラは眷族、カナ、そしてトレンチコートに身を隠したリバティ・メイソンの使者はリスクを承知で無所属を選択し、

 

「……LOOよ。お前がアメリカから来る事は知っていたが、私はお前をよく知らない」

 

「──LOO──LOO……」

 

 それは二足歩行の戦車、自立した歩く砲台と名付けるべき姿だった。人体とは逆関節の二本足はまだしも、左腕に携えられたバルカン砲は流石に無視できる物ではない。獣人とは異なった方向で人間離れした姿をしている。日本語はおろか言語を理解しているのかすら分からない。

 

「眷族と師団。これはそのどちらかを宣言する場だ。よって意思疎通の方法が分からないままであれば、どちらの連盟につくかは『黙秘』したものと見なすが──良いな?」  

 

「……LOO……」

 

 頷くように少しだけ姿勢が屈められる。これは肯定と見て良いだろう。意思疏通の難しい者を使者に選ぶということはそういうことだ。LOOを無所属に選定すると次に声を挙げたのは斧を携えた少女、これは簡単に見抜けるーー獣人だ。300Kgは下らない斧を片手で持つ桁外れの腕力、そして生花を差した髪から覗いている人体には決して有るはずのない二本のツノが証明している。

 

「ハビ──眷族!」

 

 恐らくは自分の名前、そして所属する連盟。流暢には遠いが実に明確な意思表示。が、少女が眷族を選んだことは素直に喜べなかった。身の丈を越える大斧が降り下ろされた途端、島に地響きが鳴った。挑発、威嚇、そんなことは何も考えていない、ただ無邪気な表情でけたけたと少女は笑っている。微かに背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「遠山、次はお前だ」

 

「な、なんで俺に振るんだよ」

 

「お前はシャーロックを倒した張本人、この戦役の発端となった人間だ。ならば、聞き方を変えよう。問おう、お前たち『バスカビール』はどっちの敵になる?」

 

「……ま、待てッ。バスカービルって……あれは学校に提出した、ただの学生武偵のチームなんだぞ。何がどうなったらこんな訳の分からん戦争にエントリーする嵌めになるんだよ!」

 

「まだ分からないのか? この宣戦会議にはお前の一味……『バスカービル』のリーダーの連盟宣言が不可欠だ。お前はイ・ウーを壊滅させ、私たちを再び戦わせる口火を切ったのだからな。過程はどうあれ、お前がシャーロックを倒したことで始まった戦だ。この期に及んで、傍観者でいられるなどと本当に思えるか?」

 

 遠山は困惑し、狼狽えるが自分が騒動の発端になったことはこの場にいる全員に知られている。それを理解できないほど遠山も浅はかではない。自分を囲んでいる魑魅魍魎を一瞥してから私に視線を返す。オンとオフの差が本当に激しい男だ、その一点はルームメイトによく似ている。

 

「ど、どうしろってんだよ……こんな重大なこと俺の独断では決められないぞ。リーダーだって名前を貸してるだけの──」

 

「では生き残れそうな方につけ」

 

「……ありえん、ありえんだろ」

 

 遠山はこの戦いを招いた元凶。加担する連盟への宣言に一同の視線が集まるのは当然。無論、どこにも逃げ場はない。だが、助け船は意外なところからやってくる。

 

「そこまでにしなさいな。新人は皆、そう無様に慌てるのよねぇ。ジャンヌ、あんまりイジメちゃかわいそうよ。貴方も理子もその男とは親しいのでしょう?」

 

 予期せぬ静止がヒルダからかけられた。黒い日傘を回しながら、赤い唇が楽しげに動いていく。

 

「遠山、ジャンヌが説明してくれたでしょう。この戦いの口火を切ったのは他ならぬお前自身なの。サラエボを思い出しなさい、どこの誰かも分からない人間の一発の銃弾で戦争が始まった。お前がシャーロックを討ち倒したことがまさにそれよ、喜びなさいな遠山。お前が放った弾が──世界を変革させる弾になった」

 

 饒舌に、そして楽しげにヒルダはそう語る。むしろ遠山には感謝すらしているような声にさえ聞こえた。

 

「自分が招いた戦争、なのに傍観者でいたいなんて通らないでしょう。そんな理屈は通らない、お前には責任がある」

 

「……撃った弾丸を回収したところで引き金を引いた事実そのものは変わらない。俺がシャーロックに撃った9mmパラペラムが火薬庫に火を付けちまったってことか。くそッ、最悪だ」

 

 逃げ場がないと遠山も腹を決めたのだろう。沈鬱に顔が歪められた。

 

「悩む必要なんてないわ。お前たちの旗色は師団、それ以外にありえない。バスカビールとやらは理子も星枷の巫女も抱えているのでしょう?」

 

 ハイヒールが小さく音を立てる。理子はイ・ウー研鑽派残党の人間、そして星枷と玉藻御前が敵対することはありえない。私から見てもヒルダの言葉には一理ある。少なくともレキ、アリアを除いた他の二人の勢力は師団に身を置いているのだからな。それに──とヒルダは半眼を作り、

 

「お前は眷族の偉大なる古豪、ドラキュラ、ブラド。私のお父様の仇。眷族を宣言することは許されない」

 

「父親かよ。どうりでクリソツだぜ」

 

「──それでは、ウルスが『師団』に付く事を代理宣言させてもらいます」

 

 煮え切らない遠山に代わって頭上からレキの声がかかる。 

 

「私個人は『バスカービル』の一員ですが、同じ『師団』になるのですから問題はないでしょう。私が大使代理となる事は、既にウルスの許諾を得ています」

 

「そう、願ってもないわね。ジャンヌ、研鑽派も同じ師団になるのでしょう。その子の代理宣言に問題はあるかしら?」

 

 私はごくごく自然な動作でかぶりを振った。レキはウルスの代理であり、同時にバスカビールの一員。代理宣言に問題はない。ヒルダも静かに唇の両端を歪めた。

 

 必要不可欠だった遠山の参加宣言が終わり、この集いの役割も半分は果たされたと言える。ウルスへの私怨から藍幇は諸葛が眷属を宣言し、早くも残っているのは霧に隠れていた男を残すのみとなる。

 

「GⅢ──残すはお前のみだ」

 

「あ? バカバカしい。強ぇヤツが集まるかと思って来てみりゃ、何だこりゃ。要は使いっ走りの集いじゃねえか。どいつもこいつも取るに足らねェ、単なる時間の浪費だ。ムダ足だったぜ」

 

 苛ついたような目で私たちを見渡すと、フェイスペインティングが特徴的な男はつまらなさげに腕を組んだ。このまま帰ればどちらにもつかない、つまり無所属の扱いを受けることになる。ここに集う者がこの男の目当てでないことは認めよう。

 

 大使には好戦的ではない男、若い乙女を選ぶのが古くからの仕来たりだ。戦闘力で選定された面々でないことは否定しない。この魑魅魍魎の顔触れを前にして、とても誉められた立ち回りではないがな。これでは無所属のハンデと敵意を同時に買った形になる。

 

「このまま帰ればお前は無所属。少なくとも師団か眷属のどちらかに付いておけば、この場にいる半数は敵に回さずに済む」

 

「──笑わせるな。今日は、最近テメェらの周りに強そうなのが出てきてるみてぇだから様子見に来ただけだ。面子次第で俺もこのレースに参加するつもりだったがよ、パスさせてもらうぜ。賢人のジジイ共の子孫って奴にはちと興味があったがそいつも見当たらねえ」

 

 生憎、こことは別の異世界にいるのでなーーとは言えるはずもない。自分で苦笑いを浮かべそうになる。真に受けるのはヒルダと玉藻御前、協力して狩りの経験があるカナくらいか。

 

「ではお前の意向に従い、この戦役では無所属して扱う」

 

「決まりだ。お前らの命が掛け金じゃ話にならねえ。今度は俺を満足させる連中をつれて来い」

 

 そう言うと、壊れた蛍光灯のような音がして……GⅢの姿が透過していく。光学迷彩……出所は恐らくアメリカ産、最先端科学兵装だろう。米国の量子ステルスマント開発の噂は私の耳にも届いている。この場にはいないコーラ中毒者のファンは竜悴公姫だけではないらしい。

 

「……下賤な男。吠えつく子犬のようだわ。人間は無能ね、消えたければ霧や影になれば良いというのに」

 

 人影が消えた場所を一瞥し、ヒルダはくるりとフリルのあしらわれた日傘を回す。重たい空気を尻目に、ヒルダはなお言葉を重ねた。

 

「ねえ、ジャンヌ。あのハンターの姿が見えないけれど、あれは貴方や夾竹桃と同じ師団と見て良いわね。そこの新人と雪平はルームメイトだと聞くし」

 

「そいつは願ったり叶ったりだぜ。連中にはトゥーレの私怨があるからな。ユダヤのゴーレム野郎への土産には丁度いいってもんだ」

 

 ……トゥーレだと?

 

「おい、トゥーレって──」

 

 遠山は少し驚いた表情をした。名前から察しがついたのだろう。こればかりは私も初耳だ。

 

「……あの協会だ。眼帯に描かれた印とトゥーレの名前でお前も察しがつくだろう?」

 

「嬉しくないことにな。冗談って空気じゃないのは分かるよ」

 

「お前のルームメイトはあちこちに泥を振り撒きながら歩いてきた人間だが……ドイツのネクロマンサーにまで恨みを買っていたか。この方面に限っては本当に話題には事欠かない男だな、尊敬してやる」

 

 ヒルダだけに限らず、バチカンに私怨のあるカツェに新たな戦いの理由が生まれてしまった。カツェの語るトゥーレ協会と魔女連隊は切っても切れない関係にある、組織としての根底にある物が一緒だからな。カツェの眼帯に描かれた赤い印、それが二つの組織を血より濃い鎖で繋いでいる。

 

 トゥーレの名前は私にとってもイレギュラーだった。こうなると斧を抱えた獣人、同じ米国のLOOとの因縁も怪しいものだ。あれは火のないところに煙を立たせ、ガソリンをまいて山火事にすることも厭わない男、私が思っている以上に泥を撒いていたことは認識できた。やはり色々な意味でキリの不在は苦労が増える、疫病神でも控えにいる方が遥かに便利で心強い。一呼吸置き、私は発言の発端であるヒルダと視線を結ぶ。

 

「──イ・ウー研鑽派残党はお前の目当ての男とは協力関係にある。この場で宣言が行われない以上はどちらにつくかは本人の意思次第だがな」

 

「十分よ。その口振りだと不在なのは貴方にとっても面白くない流れのようね。でも首はまだ落ちてないみたいだから安心したわ。高貴な私、誰かの抜け駆けを許すのは苦手。雪平との再会の祝杯はまた今度ね」

 

 うっすら笑うと真っ白な指のなかで傘が踊る。金色の瞳はどこまで見通しているのか。頭の良い吸血鬼は危険だ、そして頭の良い魔女。その両方の側面を持った彼女はこの戦役の大きな危険因子だ。アルファが討たれ、ブラドが投獄されたいま彼女が種の頂点と言っても否定できない。私は結んだ視線を解き、半ば脱線していた話を戻す。

 

「最後にこの闘争はーー宣戦会議の地域名を元に名付ける慣習に従い、『極東戦役』──FEWと呼ぶ事と定める。各位の参加に感謝と、武運の祈りを……」

 

「じゃあ、もういいのね?」

 

 午前0時の真夜中。生ぬるい風が私の肌を撫でていく。鼻孔をくすぐる強い潮と危険な匂い。低く押し殺した声でもう一度問う。

 

「──もう、か?」

 

「いいでしょ別に。もう始まったんだもの。ここはあまりいい舞台ではないわ。高度も低いし、天気もイマイチ。でも何も起こらず、退屈なまま閉会を迎えるなんて寂しいにもほどがある。なぜならね?」

 

 手元から離れた傘が超能力の応用で生み出された影の底の空間に沈み、ヒルダは芝居がかった調子で両手を広げた。

 

「血を見なかった宣戦会議なんか、過去、無かったというし……ねぇ?」

 

 それはほぼ現在進行形の話。そして、今宵の宣戦会議も過去と同じ一ページを刻む。顔色をなくす余裕はない、重苦しい空気の中で私は聖剣を掴み上げる。粗忽者めーー痺れを切らせたか。

 

「いい夜ではないわ。でも聞きたいことは聞けたから気分が良いの。だからちょっと遊んでいきましょうよ、聖女様?」

 

 それは開戦を告げる運命の夜。イ・ウーの崩壊と共に新たな時代の始まりを告げる夜。あの男が残した世界の些細な通過点。世界が問題を起こしたとき、必ず渦の最中にいた男が今はいない。

 

 ああ──ファーストコンタクトは最悪だった。海水に濡れた地下倉庫での出会いは長い時間の中で見れば一瞬の、おそらくは、一秒すらなかった光景。

 

 されど。その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。

 

「遠山、時間を稼ぐ。先に離脱しろ」

 

「お、おい、それはいくらお前でも──」

 

 煮えきれない遠山に私は言ってやる。いつものように。

 

「──バカかお前は。ヒルダやカツェとは積もる話がある、同窓会をするだけだ。それになんたって私は暇だからな?」

 

 ──アンフェアに。

 

 

 

 

 




セーラはブロッコリーを交渉材料にすると見事に揺れていましたが、砂金と血液パックも大量に用意してやれば合計三人ぐらい師団に引き込めないんですかね……AAのイ・ウー部費で買い物回はほんと好きです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。