哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

51 / 158
開幕

「普通じゃない」

 

「何がだ?」

 

「自分の子供に色金を撃ち込んだことが、だ」

 

 首都高に昇る景色は真夜、それは異界の扉が開く数日前の記憶だ。あいつが運転するインパラに乗った最後の記憶。修学旅行が終わり、星枷神社でアリアに撃ち込れた緋弾の存在が明らかになったあとの出来事。

 

「親ってやつはいつだって頭ごなしで同じことしか言わない。言うとおりにしろ、仕方がなかったを繰り返す。シャーロックが──お前らの学校の校長がやったことは普通じゃない。彼が何を見据えていたかは何一つ分かんねえが同意はできねえよ」

 

 窓の外には濃い闇が下りていた。心なしか語ったキリの顔は鬱っぽかった。色金の情報の出本がルシファーであるならば、魔王の暇潰しで語られた話に好意的な印象を抱いていないのは察しがついた。色金──意思を持った生きている金属。感情を宿した金属。そしてシャーロック・ホームズの研究対象。

 

「お前の言葉を否定するつもりはないがシャーロックはイ・ウーの長でもある。彼が無意味なことをする人間だと思うか?」

 

「さあな。俺の知ってるシャーロック・ホームズは世界で唯一のコンサルタント探偵で高機能社会不適合者、仕事と結婚してる男だ。正直、お前らのボスの考えは俺には分からん。分かるのは神崎が金属生命体の器になる可能性が生まれたってことだ、批判するには十分すぎる」

 

 変わらぬ言い回しでキリはそう吐き捨てる。インパラは十字交差点にさしかかり、赤信号にゆっくりと停車する。いつの間にか外には小雨が降っており、窓から見える景色を歪ませていた。

 

 『器』──他の存在が人間の体を通して活動するときにその表現は使われる。つまり入れ物、他の生命体に体を支配された人間の総称。ハンターの間では天使や悪魔に意識を奪われた人間のことをそう呼んでいる。

 

「お前がルシファーからどこまで色金について聞いたかは知らないが、アリアの緋々色金には『殻金』と呼ばれる鍵がかけられている。お前たちハンターが悪魔に憑依されないように悪魔避けを彫るのと同じだ。殻金が被せられている限りはアリアは緋々色金の器になることはない」

 

「七枚あるって言われてる安全装置か?」

 

 無言で頷くと、信号が青になり車が発進する。窓ガラスの向こう、遠くにそびえる夜のビルは航空誘導灯がいくつか赤くビルを縁取っている。珍しくクラシックロックの響かない車内は妙に空気が重たく感じる。態度が軽い上に気分屋、どちらかと言えば銃を撃ってからその後のことを決めるタイプ、しかし軽薄と思えば損得なしの感情的な行動にも走る。先ほどの会話を含めて、やはり一番上の兄に大きな影響を受けているらしい。

 

「ジャンヌ、悪魔避けの弱点を知ってるか?」

 

 ふと、キリがカーブで車体を振りながら、

 

「インクで描いた紙は何枚用意したところで水を浴びれば一発で駄目になる。スプリンクラーが作動すれば必死に描いたまじないもインクが溶けておじゃんだ。悪魔避けも同じ、皮膚に彫ったところで焼かれたり、抉られたりして形を失ったら効果はなくなる。マッチ一つで悪魔避けは剥がせるんだよ、どこにでも穴はある」

 

「それは遠回しに殻金が信用ならないと言っているぞ? あれはかつて緋々色金を取り抑えた星枷の巫女たちが編み出した秘術。針金一本の気軽さで外せる錠前ではないと思うが?」

 

「だが、錠前と鍵はセットだ。地獄に繋がる本当なら鍵なんて必要のない地獄の門(デビルズゲート)やルシファーを閉じ込める檻ですら、なんでも殺せるコルトや騎士の指輪って鍵が存在した。殻を外す鍵がないとはどうしても思えないんだよ、この手の問題が近くまでやってくると最後には必ず悪い方に傾いてきたからな」

 

 私は力なく笑うと視線を窓の外へやる。キリの自虐的な言葉を悲観的の一言で片付けるにはそちら側の事情を知りすぎている。考えすぎだ──その言葉を返せればどこまで気が楽だったか。

 

「ならばお前が止めればいい。最後には必ず悪い方へ傾くが同時に最後には問題を解決してきたことも事実。相手が神だからと言ってスケールの大きさに畏縮することもないだろう、お前の物差しで測ればな?」

 

 私が知る限り、現実と神話を含めてdarknessを越える規模の存在はこの世界にはいない。万物の神よりも上の存在、創世記以前に存在した最も古きモノの片側、神の姉。彼女の復活で風呂敷は限界まで広げられた、アマラ()を相手にしたあとでは何が来ようと萎縮したりはしないだろう。たとえ色金の意思であろうと。

 

「そのつもりさ。でも俺にはネフィリムや他の問題も付いて回る。何かに追われるように自分を急き立てて、いつも燃料切れになるまで突っ走る日常だ。いつ死の騎士の迎えが来るか、二度目はたぶん善処してくれない。地獄か煉獄か、はたまた虚無の世界に飛ばされるか、検討もつかねえ」

 

「……また戻って来るのだろう?私には分かる、いや──違うな。そうでなくては困る」

 

「ありがとう。数え切れないほど間違いを起こした、頭から離れない。浴びるように酒を飲もうが何をやっても効果なし。紛らわしたりはできない、学んでるよ。精一杯償うしかない、どんなやり方でも」

 

「どんなやり方でも?」

 

「そう。俺の場合は赦してもらう方法を探すことかな。赦してくれそうな神は留守にしてるが。それでも探すさ。無かったことにはできない。ジャンヌ、いつか俺が崖から落ちたときにまだ色金の問題が残ってたらそのときは頼む。どうせ不幸なルームメイトが巻き込まれるのは目に見えてるしな」

 

 呆れる気持ちが半分、毒づいてこめかみを押さえる。

 

「……私は魔女だぞ? それに遠山とは地下倉庫での因縁がある。それでも私に頼むのか?」

 

「ロウィーナもお前と同じで魔女だ、最初は敵だった。メグだって同じさ。最初はあの手この手で首の奪い合い、語るにしては色々とありすぎたが最後は二人ともチームサムの一員だった」

 

「昨日の敵と協力するのも武偵の道」

 

「一度でも組んだことのある相手なら尚更だ。正直言ってこの手の話はお前と星枷が一番しやすい。けど、会長は星枷の立場上、色金が絡んだ話で私情で動くのは難しいはずだ。こっちの事情にも精通してる聖女様が一番頼りになるんだよ、頼りになることも分かってる。だから頼んでる」

 

 ──分からない。ハンターと魔女、それは忌むべき敵同士でしかない。なのに、私は無防備な姿をハンターに、それもあのウィンチェスターの人間に晒している。もし天使の剣を振るわれでもすれば傷の修復もできずに私の命は終わる、それは明白だ。なのに、どうだ。危機感すら覚えていない、呑気に会話を続けている。今に思えば私も毒されていたのだろうか、この男に。

 

 

 

 

 

「──雪平が不在なのは残念だったけど、まぁ……第一形態でも殻金を破れたのは嬉しい誤算だったわ。聞きたいことは色々あったのだけど、師団についてくれるなら近いうちに会えるでしょう。そうよね、ジャンヌ?」

 

 かつん、と誰もいない歩道にヒールの音が鳴る。透き通った鮮明な声色に名を呼ばれると金色の瞳と目が重なった。

 

「レキは違う子を追ったようね。私を追って来たら楽しく遊んであげたのに。あの子さっき、私の頭を撃ったし」

 

 額に指先を当て、ヒルダは銃に見立てた指で頭を撃ち抜くような仕草を作る。その顔はどこか楽しげにすら見えた。レキが穿った額には血も傷跡すら残っていない。

 

「錠前と鍵はセット。殻金を外す方法がないとは思わなかったが……まさかな」

 

「あら、私がシャーロックの研究を引き継いだことは貴方も知ってるはずよ?光栄に思いなさい。史上初よ。殻分裂を人類が目にするのはね?」

 

 口元にはさっきアリアから殻金を外した緋色の牙がちらついている。玉藻が驚愕していた反応を見ると、シャーロックの研究に彼女なりのアプローチを加えたのだろう。結果、色金の監視者である妖狐が狼狽えるまでのことをやってのけた。

 

 殻金は安全装置、魑魅魍魎の乱れる場に一人で乗り込んできたアリアはヒルダによって色金の安全装置を5枚まで外された。残りの2枚だけでは応急処置にしかならない、いずれーーアリアは器になる。

 

「アリアが来てしまったのは私のミスだ。彼女の身柄は今夜だけでも抑えておくべきだった」

 

「小煩い武偵娘(ブッキー)の子守なんて誰にも無理よ。人間は本能のままに生きるだけの醜い獣。あの子、私を逮捕したくて堪らないって顔だったもの。貴方が悔やむ必要はないわ。ねえジャンヌ、今となっては貴方もお父様の仇。ううん、ずっと前から一族の因縁があった。1888年、まだ下半分しかできていなかったエッフェル塔での戦いのときから」

 

 背筋に冷たいモノが走る。綺麗に伸ばされた自分の爪を見据えながら、ヒルダは言葉を続ける。

 

「三代前の双子のジャンヌ・ダルクが初代アルセーヌ・リュパンと組んで、三人組でお父様と戦いーー引き分けた。そして、四世は宿敵のホームズとそのパートナー、同僚の貴方は本来敵対するはずのハンターと手を組んだ。ウィンチェスターと手を組んだのはお父様にも想像の外の出来事でしょうね。私も驚いたわ、貴方はもっと慎重だと思っていたから」

 

「毒と薬は紙一重。私たちの傍には優れた毒使いがいるのでな」

 

「ええ、聞いているわよ。雪平は夾竹桃にも熱心らしいじゃない?ウィンチェスターは災厄の代名詞、あの殺人者(カイン)の刻印を受け継ぐことの許された血族。あれはほおっておけば勝手に開くパンドラの箱、果たして薬になるかしら?」

 

 問いかけと同時にヒールが鳴る。夜の濃い暗闇に、赤い唇の両端が釣り上がるのが見えた。

 

「饒舌な竜悴公姫の姿を見るのは珍しい。それほど気分が良いようだな?」

 

「お父様の仇は見れたし、思わぬギフトも手に入った。初めての進行役、私からも誉めてあげるわよジャンヌ?でも駄目ね、あの場では遊ぶだけのつもりだったのにーー愚かな武偵娘の為だけに私を追いかけてくるなんて……」

 

 刹那、ヒールからぐにゃりと歪んだ影の線が伸びてくる。躊躇わず、ヤタガンを影の上へと投擲した。一本で動きは愚鈍になり、二本目で完全に動きが止まる。

 

「アリアの為だけではない。遠山、バスカビールには借りがある。あそこは理子の居場所だ。この戦い、遠山を巻き込んだからには返すべきものは返す。ヒルダ、殻金を渡して貰うぞ?」

 

 相手は竜悴公姫、ブラドを除いた現存する吸血鬼の頂点。魔女と怪物の両面を持ち、恐ろしく頭の回る相手。油断はなく、剥き出しの敵意で威圧すると、彼女の金色の瞳が徐々に細められていく。

 

「いいわ……冷たい刃のような瞳。私、貴方の瞳は好きよ? 冷たいアイスブルーの瞳……あぁ、とっても、とっても素敵だわ。なんて冷たい瞳、まるで宝石のよう……」

 

 唄うような甘美な声で、ヒルダが両手を胸の前で合わせる。危険な甘さ、その表現が相応しい声に引き寄せられるようにして、ぞろぞろと足音が近づいてきた。濃い夜の中で四つん足のシルエットと、肉食獣にしては丸い瞳がヒルダの背後に見えた。

 

「闇雲に逃亡したわけではないようだな……」

 

「どうせ玉藻が結界を張るだろうから、地理の下調べは必要でしょう?」

 

 小首を揺らしたヒルダの傍らにはいつのまにか狼の群れができていた。食物連鎖の頂点に立つ陸生種の最終捕食者の一対の瞳が私を睨んでいる。

 

「ブラドの飼い犬か」

 

「放し飼いよ。躾は行き届いているけどね?」

 

 生態ピラミッドの頂点に位置する個体は一般的に数が少ないと言われているが、もし食物連鎖のトップに立つような個体が群れを形成した場合、その脅威は言うまでもない。この白銀の毛並みを逆立たせる捕食者たちは日本の道路に平気で出没するような動物ではない、囚われの身であるブラドの飼い犬たちで間違いないだろう。ブラドの手下は世界あちこちに出没し、それぞれが直感頼みの迎撃をすることで知られている。

 

 言うなれば個々で機能するユニット。それが各地に配備されている状態。それをヒルダが個から群れへ使役方法を変えたのだろう。ヒルダは主人の娘、狼への躾が行き届くのは当たり前か。浅かったな……無作為の逃亡に思えて狼たちの包囲網に招かれた。ハンデをやれる相手ではないというのに……

 

「本当は雪平に仕掛けるつもりで招いたんだけどねえ。ウィンチェスターに猟犬を仕掛けるなんて面白いとは思わない?」

 

「どうだろうか、あれはこの世界の犬には驚かないぞ」

 

「……残念だわ、貴方が言うならそうなんでしょうね。雪平から荒い喘鳴を聞くには地獄の猟犬じゃないと駄目」

 

 心底、残念な様子でヒルダが呟く。デュランダルを構えたまま私は眉をしかめた。

 

「妙に入れ込むのだな、仇なのだろう?」

 

「ええ、そうよ。お父様の仇と祖先の仇。パトラの頼みで遊んだときは満足できなかった。だから、この戦争は絶好の機会。アルファは静かに暮らすことを望んでいたようだけど、私はーー」

 

 緋色の牙が、はっきりと口元に覗いた。

 

「違う違う違う違う。高貴な私、パーティーは好きよ。退屈は毒、普通の日常はつまらない。そうでしょう?」

 

「そうだな、普通の日常は……私たちには望めないことだ。望めることならキリはインパラに乗っていない。私や理子も今とは違った日々を過ごせていたはずだ。だが、私たちはここにいる」

 

「そう、そこが貴方たちのいるべき世界。前の雪平とは遊びだった。でも今度は遊びじゃない。魔の共食いは美味なモノと、お父様が仰っていたわ。あの男なら私の食卓に並ぶだけの価値がある、ウィンチェスターとの因縁もこの戦争で果たすとしましょう」

 

 ーーくすっ。ヒルダが自らの口元へ指を寄せて笑う。海を渡ろうがどこに行こうが怪物に執着される運命なのだな、雪平切という男は。どこかで聞いているか、喜ぶがいい。吸血鬼からのデートの誘いだぞ?

 

「ヒルダ、水を差すようで悪いがお前のお目当ては……ここにはいない」

 

「あら、今夜は構わないわ。私、今夜はそれなりに満足しているもの」

 

「いや、そうではないのだ。かつて同じ場所で学んだ級友として言おう。雪平切はこの国にはいない、正確に言うとこの世界にはいない」

 

「は?」

 

 一転、この場には似つかわしくないヒルダの声が聞こえた。

 

「ジャンヌ、貴方が冗談を言うとは思わないのだけど。一応聞いておくわ。あの男、どこにいるのかしら……?」

 

「異世界だ。少し前から留守にしている」

 

「……」

 

 金色の瞳が開かれ、ヒルダの小首が揺れる。やがて、低い狼たちの鳴き声と同時に竜悴公姫の笑い声が響いた。

 

「おほほ、ほーっほほほほ!あぁっ、そう、そうだったわね!そう、異世界に……異世界にいるのね!あぁっ、愉快だわ!楽しいわ!どこまで今日はサプライズに満ちているのかしら!」

 

 手の甲を頬にあて、耳に響くような高笑いが飛ぶ。血を溢したような赤い瞳には紛れのない喜びの色が見える。

 

「ほーっほほほほ!Fii Bucuros!(すばらしいわ)ジャンヌ、貴方からその話を聞けただけでも今夜は心地良いワインが飲めるというものよ。そう、どこにいても人間の本質は簡単には変わらない」

 

「随分と楽しそうだな?」

 

「ふふ、愉快よ。とっても愉快よ、ジャンヌ。異世界への渡航、新しいシーズンの始まりと言ったところかしら。私、あの書籍は最後まで読んでいないのだけど終着駅が楽しみねぇ。どうなるのかしら」

 

「さあな、これはまだ通過点。シーズン13の始まり、そんなところだろう。終わりは見えない」

 

「明るい結末はないでしょうね。あるわけがない。そんな結末が用意されてるわけないわ。あれは血で血を洗うことでしか問題を解決できない一族。さぞ凄惨なフィナーレが用意されているのでしょうね」

 

 愉悦、ヒルダの表情はその一言に尽きる。殺意や敵意すら失せたような強い感情。

 

「ヒルダ、お前は一体何を考えている?」

 

「……そうね、話を戻すけれど雪平は偉大なるお父様の仇。でも下品なリヴァイアサンを始末してくれた恩はある。darknessに世界が喰われかけたのを阻止したのもあの連中。UKのゴキブリたちに躊躇いはないけど、ウィンチェスターは少し違うの。アルファも彼等だけは特別視していたと聞くし」

 

 一転して、落ち着いた声でヒルダは言った。アルファ・ヴァンパイアはこの世に落とされた最初の吸血鬼。群れの長であり、最も強い個体。彼はウィンチェスターと妙な縁で繋がり、時には協力を結んだこともあったとキリから聞いている。ハンターと吸血鬼の協力関係など魔女とハンター以上に信じられない話だが、共通の敵を排除するため、要は目的が一緒なら話は別だ。

 

 人間も怪物も見境なしに食らうリヴァイアンは吸血鬼からも見限られたのだろう。神の創造物を食らい、作り手から見放された飢餓状態の怪物は同じ怪物からも見限られたか。

 

「けれど、簡単なことだったわ。雪平はこれまでどおり人に害を為す怪物を狩ればいい。私はこれまでどおり自分の感情に従って生きる。仇も恩も何も要らない、元の鞘に戻ればいい、本来在るべき姿に。吸血鬼とハンター、狩る側と抗う側堂々と戦う。簡単なことよ」

 

 皮肉なことに、ヒルダと同じ解釈をアルファに説いたハンターが既にいた。だが、このときの私はそのことを知らない。それを説いたのがアルファを討ったキリの兄であることもーー

 

「さて、つい興が乗ってしまったわ。嬉しいサプライズばかりで長話が過ぎたわね。頃合いよ」

 

 そう言うとーーどこからともなく、黒い網状の金属で覆われたムチを取り出して、陶磁器のような白い右手で振る。地面に叩きつけられた鞭が青白いスパークを放つと寄り添っていた狼たちが四方に散らばるようにして場を離れていく。そして私に視線を合わせるとうっすらと笑う。

 

「ーー貴方はずる賢いわね、ジャンヌ?」

 

 肩越しに背後を見たヒルダの視線の先には理子と桃子、散弾銃(ウィンチェスター)とワルサーで武装した研鑽派残党が二人。黒と金の髪を夜風に靡かせている。既に離脱を決めていたヒルダの体は胸部まで影に沈んでいた。切り替えが早い。

 

「長話で増援を誘うなんて、それもあの男を餌に使うなんて本当に冷たい子。愉快な子だわ。理子とも積もる話はあるけれど、私たちは敵同士。すぐに再会することになるでしょうし、飼い犬まで呼んだけど今夜はここまで。下品な匂いを身体中に漂わせて、付き合う気になれないわ」

 

 ……ヒルダ、理子と桃子が隠し持った法化銀弾の気配を嗅ぎわけたか。やや不機嫌に吐き捨てたヒルダを理子の憎悪の視線が射抜く。が、既にヒルダは手出しのできない状態。私が超能力の行使を急いでも彼女の逃走に軍配が上がる。何より四散したと思われていた猟犬たちが四方から牙を光らせている。逃走を許すなら良し、阻むなら全力で抗うと言わんばかりの様子だ。小さく、理子が舌を立てる。

 

「……逃げられたか」

 

 憎悪の対象を逃し、理子の複雑な声が届く。憎悪の対象であり、畏怖の対象。本当なら彼女とヒルダを対面させるべきではなかったのかもしれない。だが、それを決めるのは他ならぬ理子の意思。影の消えた地点を睨むと、張り巡らされていた狼たちの気配も四散していた。こちらに手負いはないが収穫もない。追跡戦としては逃走を許した私の敗けだ。結局、最後に残った結果はアリアから5枚の殻金を奪われた事実だけだ。

 

「一歩、足りなかったわね」

 

「いや、私一人で交戦に振り切るべきだった」

 

「そうでもないんじゃない?狼の群れを踏まえてジャンヌには不利な状況だった。逃がすよりもジャンヌを失ったほうが大きな痛手だよ。これで仮に次の襲撃が来てもジャンヌが迎撃に動けるわけだしね?」

 

 周囲を見やり、半眼を作ると理子は両手のワルサーを収める。

 

「決着の場が伸びただけだよ。早いか遅いかの違いだけ。次までにワンヘダが遭難から帰宅してくれると助かるんだけど」

 

 そこまで言うと、不意に桃子が笑う。

 

「夾ちゃん?」

 

「笑える話ね。異世界に置き去りになってるのに誰も雪平が死んだとは思ってない。敵である彼女すら再戦するつもりでいる」

 

「まぁ、キリくんはキーくんとは違うベクトルで殺せない男だからね」

 

「正確には殺しておけない男だ。いつも何かしらの手で戻ってくる。私たちには検討もつかない手を使ってな」

 

 再度、周囲の気配を探ってから警戒を解く。夜の闇もこれから徐々に晴れていく刻限、ヒルダが逃亡したのは活動できるリミットが迫っていたのも理由だ。日光が苦手なのは創作と同じ、朝の陽射しはヒルダにとって毒でしかない。聖剣を携えながら、私は主の入れ代わったインパラの後部へと座り込む。そして沈黙に怯えるように自然と口を開いていた。

 

「ヒルダ、カツェ、パトラ。姿は見えなかったがセーラも向こう側だ」

 

「主戦派にいたなら、敵側でしょうね。彼女には人や動物の寿命が見えるから、是非とも雪平を診断して欲しいところだけど」

 

 ハンドルに肘をついた桃子がエンジンの鍵を捻る。颱風のセーラ、主戦派の一員で森の狩人の末裔。生粋の傭兵気質で風を使役する魔女と同時に弓の名手。

 

「まずはキリくんが戻らないと占いようがないよ。大方の魔女はやっぱり向こう側に行っちゃってる。リサリサはちょっと分かんないけど」

 

「彼女はあくまで会計係だからな」

 

 窓の外を見やると、景色はいつもと何ら変わらない。だがそれは錯覚。昨日にはなかったことものが今日は存在している。そう、始まったのだ。ずっと先延ばしにされていた戦いがーー

 

「始まったね、戦いが。とっても大きな戦いが」

 

 続けられた理子の言葉には誰もかぶりを振れなかった。

 

 

 

 

 




ブラドの第三形態はパトラが呪ったお陰で見ることが叶いませんが再登場する機会があるなら見てみたいと思う作者です、投獄されてますが。何やら奥さんもいるような描写が原作でシャーロックからされてますが、かつてのアリアの先輩も含めて気になるキャラクターはまだまだ尽きない作品ですね。デアラや昔から知っている作品が完結するなかでまだ終わりの見えないアリア……まだまだ続いてほしいですね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。