哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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双剣双銃

 宣戦会議から数日が経過した。玉藻が張った結界の影響もあり、ヒルダを初めとした眷属の襲撃は未だに訪れていない。玉藻が不眠不休で広げている鬼払結界は鬼にとって中性子線の雨が降り注いでるような領域。既に、学園島、空き地島、台場、品川、豊洲から東京ウォルトランド辺りまでの湾岸地帯は結界が機能している。即席だから1年しか保てない強度らしいが、強固なシェルターとして機能することには何も変わらない。

 

 そもそも日光すら嫌うようなヒルダが大量の中性子線を浴びるような空間に足を踏み入れるとは思えない。東京はそもそも、ローマ、香港に次ぐ退魔性の強い都市だ。元より吸血鬼には居心地の良い場所ではない。山手線と中央線が鋼鉄の陰陽太極図を描いているから、その円内であらゆる魔物が弱まるのは有名な話だ。米国でも鉄道を使って巨大な悪魔封じを描き、地獄の門に近づく悪魔を遠ざけていた話は噂として流れている。……まあ、そんなことはどうでも善いのだが。

 

「あ……あー、ジャンヌ? 分かってるとは思うんだが、俺は別に好きで覗いたわけじゃなくてだな。剣を納めてく嬉しいんだが──とにかく話し合おう。平和的に」

 

 私は何も答えない。無言で、淡々と、距離を詰める。交渉の余地はない。

 

「良い部屋だな……あ、ああ、とても良い部屋だ。センスが良い」

 

「……この部屋を見た者はいない。ここは私だけの秘密の花園だったのだ。理子にも、秘密にしていた私だけの理想郷だったのに……!」

 

「り、理想郷は人に見られたくらいで崩れないだろ!?」

 

「黙れ! 結局は一人きりの理想郷なのだ! だから、安心できていたものを……お前に見つかってしまった。もうあの安らぎの時間には二度と辿り着けない……今となっては崩落した理想郷なのだ……!」

 

「わ、分かった! 誰にも言わん! お前の理想郷を壊したりしないから、剣を置いてくれ! ハウスハプニング! これはハウスハプニングだ!」

 

「……ハウスハプニング?」

 

「そうだ、ハウスハプニング」

 

 わなわなと震える私に遠山は必死の視線を向けていた。始まりは数分前に遡る。変装食堂で『ウェイトレス』のカードを引き当てたまでは良かった。一枚目の『フードファイター』という職業も自然とチェンジの権利を使うための良い隠れ蓑になってくれた。我ながら自分のカードを引き当てる力に流石だと誉めてやりたいが、良いことが続けば悪いこともやってくる。

 

 まるで神がバランスを取るように、ワトソンのことで中空知に案内されるままにやってきた遠山に私の理想郷は見られてしまった。桃子や理子にも内緒にしていたのに……おしまいだ。震えて力の入らない腕が必死に遠山に取り押さえられる。

 

「お前の家なんだから……! どんなハプニングがあっても仕方ないってこと、そういうこと!」

 

「ハプニングだと?」

 

「そうだ、電話だってたまたま聞こえちゃうだろ!」

 

 間近で抗議するような遠山に、とりあえず私は最後まで耳を傾けることにする。

 

「中空知の電話が?」

 

「そうだ、たまたま聞こえることもある。でもわざとじゃない。ハプニングだ」

 

「まぁ、盗み聞きはしてない」

 

「そのとおり」

 

「私の部屋だし?」

 

「プライバシーの侵害ってことにはならない。不慮の事故だ。今のこの状況と同じ。幸運もあれば不幸もある。こんなときはハワイではこう言うんだ。ポーマイカイ──GOOD LUCK。俺は帰る」

 

「誰が逃がすか」

 

 何を一人で綺麗に幕を引こうとしているのか、油断も隙もない。そもそもお前は私の同居人ではなく、単なる来客だ。ドアに踵を返そうとする遠山をデュランダルで制する。

 

「お前は英語もろくにできないのに、どうしてハワイの言葉は分かるんだ?」

 

「ホノルル好きのルームメイトがいたからな。それに英語もギリギリなんとか話せるんだ、訂正しろ。バカにしやがって」

 

「元々はお前が招いたことだ。男なら責任を……いや、私も毒気を抜かれた気分だ。遠山、他言はしないのだな? 約束できるか?」

 

「誰かに話したところで何の得にもならん。お前の嫌がる姿を見ても寝覚めが悪くなるだけだ。悪かったな、その……理想郷を暴いちまって」

 

 ……一応の謝罪か。とりあえず、私はデュランダルの刃を下げる。

 

「他言すれば冷凍グラタンだ、いいな?」

 

「約束する。というか、人間はグラタンにはなれん。それは氷像だ」

 

「なら氷像にする」

 

 溜め息を突いた遠山をソファーに座らせ、私は待たせている間に制服へと着替える。

 

「待たせたな」

 

 鏡には仏頂面の顔があるが、私は構わずに待たせていた遠山にコーヒーを淹れる。

 

「言っておくが、私は自分でも分かっているからな。ああいった服は、私のような女には似合わないという事が」

 

「そうなのか?」

 

「お、お前という奴は……ッ!」

 

 聞き返してきた遠山を恨めしげに睨む。淡白なのか、それとも自分に素直だけなのか。遠山はカップを持ち上げながら、視線を向けてくる。

 

「俺は理子みたいに詳しく無いが、好きな服着ればいいんじゃないか? 悪いことやってるわけじゃないんだろ? 別に、皆の前で胸を張ってやれとかそんなこと言うつもりねえよ。切のファッションセンスは酷いもんだったし、それに比べたらどうだ? 似合ってるだろ、さっきの服。違うか?」

 

「……いない者の悪口は言いたくはないが」

 

「違う。あれは個性だ。誉めてるんだ」

 

「そうなのか?」

 

 半ば、理解できないが。遠山は強引にも本題を切り出してきた。極東戦役、アリアに緋弾の状況を話すべきか否か、そして──目下で動きを見せているワトソンのことだ。遠山がコーヒーを飲み終えた時……タイミング良く私の携帯が鳴った。中空知の名前、どこまでもタイミングが良い。

 

「誰からだ?」

 

「中空知だ」

 

「中空知って。中空知は隣の部屋にいるだろ」

 

「……少し待て。遠山、お前はこの部屋に残れ。お前を見ていると中空知は本領を発揮できなくなる。彼女とのやりとりにはこの携帯を使え、中空知にはワトソンを盗聴させてある。奴は動いたらしいぞ」

 

 目の色を変えた遠山に電話を渡し、私は音響機材に囲まれた部屋にいる中空知の横でインカムを取る。ワトソンの背後にはリバティー・メイソンの組織がある。あれは柔らかな顔をしているが二つ名持ちの曲者だ。二つ名は『西欧忍者』と呼ばれ、組織からは有能な諜報員として勲章も受けている。私は、そういう姑息な活動をするやつは嫌いだ。

 

 中空知が両手で操作するイコライザーを見ていると、アリアとワトソンに動きがあった。場所はホテルのレストランだが個室、二人きりで話している。流れてくる会話は口説くワトソン、黙るアリアと言ったものだがレストランを出たところで中空知からアリアの歩き方に変化の通達が入った。千鳥足……レストランを出たところで突然な変化か。会話による精神的な疲労、もしくは一人芝打たれたか?

 

 ふと、遠山の様子が気になって私はイコライザーから視線を外した。アリアが口説かれる様子をリアルタイムで聞いていたのだ、男女の逢い引きを盗聴した程度で武偵が揺らぐべきではないが念のために遠山の様子を伺い……私は眉をひそめた。

 

「遠山?」

 

 HSSの可能性を危惧しなかったわけではない。その可能性はあるつもりで私も盗聴を許した。だが、私が目撃した遠山の瞳は、私が知っているHSSの遠山よりも遥かに鋭い。普段のHSSが理知的な狩人と呼ぶなら、目の前にいる遠山は牙を剥き出しにした獰猛な獣だ。纏っている気配そのものが荒々しい……

 

「ジャンヌ、少し外出したくなった。悪いがこの携帯は借りていくぞ。中空知には引き続き、通信で状況を伝えさせ続けろ」

 

 そう言うと、ベレッタとDEの弾倉をこの場で確かめている。外出先は言うまでもない。

 

「解せんな。私が素直に首を縦に振ると思うのか?」

 

「悪いな、無理矢理にでも振らせる」

 

 怒りに凝った声で即答される。

 

「ほう、あまりに短絡的すぎて止める方法も思い付かなかった。まるで獣だな、何にでも噛みつくカミツキガメのようだぞ?」

 

 だが、そこまで人の心の分からない私ではない。私は中空知に繋いだままの携帯を遠山の胸元へ押し付けるように差し出した。そしてまだ鋭い瞳を解いていない遠山に半眼を作る。

 

「お前はワトソンの策略で武藤の手助けを得られない。ワトソンを自転車で追うつもりか?」

 

 私はうっすらと笑い、遠山に見せつけるように手元で鍵を揺らしてやる。

 

「ついてこい、遠山。ドライブに行くとしよう」

 

 

 

 

 

 

 ──ポルシェ911カレラ・カブリオレ。案の定、ワトソンの移動手段は自転車では張り合えない物だった。心の底から言ってやりたい、私がいて良かっただろう、とな。

 

「中空知が盗聴したナビゲーションの音声によると、目的地は墨田区のここだ」

 

 都高速汐留JCTにて、音声逸失。中空知の援護は消えたが既に十分すぎる活躍をしてくれた。お陰でワトソンの居場所が掴めたのだからな。BMW・K1200R──車輌科から借りた黒のネイキッド・バイクに遠山を乗せて私たちが辿り着いたのは建築途中のスカイツリー、その建設現場だった。

 

 時刻は22時を過ぎ、頭上を仰げば夜の帳が一面に降りている。近くを遠山と別れて捜索していると、建設現場からはあまり離れていない駐車場に目立つポルシェが停められていた。浮世離れした高級車、日本の大衆車に溶け込むには無理があったな。あっさりと見つかったポルシェのマフラーを探り、遠山は目を細める。

 

「停車してから15分ってところだな」

 

「逃げる先があるとすれば──遠山」

 

 呼びながら、金網の向こうにある砂をタクティカルライトの灯りで照らす。やや前屈みで伺った視界には……武偵高指定の靴の、足跡がある。足跡はひとつ、目視の確認になるがサイズからするとワトソンのものだろう。

 

「アリアは薬を盛られて眠ってる。眠るアリアを抱えて歩いたんだな、ワトソンは」

 

「こんなところに、なぜ、アリアを連れ込む?」

 

「俺には分からん。だが、好ましくない理由ってのは断言できる。絶対にな」

 

「同感だ」

 

 私と遠山は7割方完成していると言われているスカイツリーを仰ぎ見る。夜の暗闇に突き立つスカイツリーは……流石に高いな。聳える摩天楼は見上げれば首を痛めそうになる高さだ。

 

「地獄が口をあけてるな」

 

「地獄すらまともに見えるかもしれないぞ?」

 

「なるようになるさ。アリアを取り返して、ワトソンの狙いも全部白状させてやる」

 

「素直に話すと思うか?」

 

「普通ならな。でもあれを使えば、切のルール」

 

 唐突なキリの名前に私は眉をひそめる。

 

「どういう意味だ?」

 

「ルールなんて、知るかボケ」

 

 そう言うと、金網をよじ登った遠山は柵を越えて建設現場に足を踏み入れる。追いかけるように私もデュランダルを携えて柵を越えた。スカイツリーの支柱は全て軽く螺旋状に並び立っている。

 

 深夜の建設現場に人の気配はなく、鉄板を踏む足音が鮮明に耳を刺激する。やがて作業用のエレベーターの前に辿り着いたが、これを起動することは私たちの追跡が知られることとほぼ同意義。

 

 解除キーを差し込めば最後、この先で起きることは私にも想像がつかない。分かっているのは敵地に土足で足を踏み入れるということ。作動用の鍵穴に近づけられた遠山の解除キーに今一度視線を向ける。

 

「遠山、準備はいいか?」

 

 私は問う。無意味な問いかけを。こんな答え、聞かずとも分かっているのだがな。そう、返ってくるのは思っていたとおりの答えだった。

 

「できてるよ」

 

 ──解除キーが鍵穴に押し込まれる。金網を扉代わりにしている不安定なエレベーターが作動すると、まだ建設途中のスカイタワーを上昇していく。高さが高さだけあり、エレベーターを何回かに渡って乗り継ぎながら上へと向かう。

 

「ブラドと戦ったランドマークタワーも大概だがこれは比較にならないな。俺とアリアが飛行機で飛んだ高度より、ずっと高い」

 

「夜景を楽しむ余裕があれば良いが、そうもいかないようだ」

 

 視界が暗さに慣れたころ、既に『350m』という数字が書かれた第一展望台にまで昇ってきていた。未完成の展望台は、剥き出しのコンクリートでまだ足元を固めただけの状態。話に聞いていたレキの部屋を彷彿とさせる光景だった。

 

 しかし、その奥行きは広く、殺風景なまでに広々とした空間がそこには広がっている。カラスの鳴き声と吹き抜ける風の音が聞こえるだけで展望台は不気味に静まり返っていた。平常心の手綱を離すようなものでもないが不気味だな。カラスの群れか。

 

「ワトソンには15分の猶予があった。それだけあればアリアを隠すことも罠を張ることも苦労しない」

 

「……分かってるさ。貴族様は随分と回りくどいやり方をしてくれたからな。闇に隠れて、正面からの戦いは徹底的に避ける。賢いやり方じゃねぇか、ワトソン。臆病者の手本みたいなやり方だぜ?」

 

 わざと、挑発するように遠山は展望台を見渡す。見え透いた挑発、古典的だが今回は効果があったようだ。一転して、展望台の空気全体が張り詰める。食いついたな……

 

「……何をしにきた?」

 

 声は左前方から聞こえた。視線で辿ると、機材の影にうっすらと人影が見える。展望台の隅には幾つかの機材が不規則に置かれているがそれを隠れ蓑に使ったか。

 

「嫌がらせってところか、俺も根に持つタイプなんでな。返してもらいにきたぜ、色々とな」

 

「アリアは渡さない。トオヤマ、いまなら退路は塞がないでおいてやる。一度しか言わない、死にたくないならそこの魔女を連れてーー帰れ」

 

「そうもいかねえんだよ、アリアも俺も同じチームのメンバーだ。リーダーが逃げるわけにはいかねえからな」

 

「愚かだな、それは賢い選択じゃない。愚かな選択だ」

 

 暗がりの声に遠山の顔付きが変わる。自虐的なうっすらとした笑みに。

 

「ああ、愚かだよ。アリアと出会う前の俺なら自分からこんな厄介事に突っ込んだりしなかっただろうな。兄さんのことで何もかもどうでも良くなってた俺には選ぶことのなかった選択肢だ。だけどな、今は違う。見過ごせるかよ、こんなふざけた展開」

 

「トオヤマ、先に言っておくがイギリスでは武偵に自衛のための殺人が認められている。そしてボクは、治外法権を認められた王室付き武偵でもある。つまり、キミを日本で殺害しても、罪に問われる事は無い」

 

「だったら仕留めてみろ。古今東西、安い脅しを仕掛けたやつが勝った試しはねえんだ。お前はどっちを選ぶ、見てみぬフリをして黙示録に巻き込まれないように祈るか、それとも誇らしく乗り込んでこの世界を破滅から救うか。俺とジャンヌは後者だぜ?」

 

 売り言葉に買い言葉か。とても和平を結ぶのは不可能だな。ベレッタのスライドがトドメにコッキングされる。

 

「ジャンヌ、アリアを頼む。外の足跡は一つだけだったが──」

 

「他にも協力者がいるように思えてならない。奇遇だな、私も同じことを考えていたところだ。作りかけの高い塔、そして真夜中。後ろ向きな思考が外れていると祈っておけ」

 

 決定打はない。推測や勘の域を出なかったが、二人して同じ考えに至ったのは偶然と割り切れない。この一連の騒動、ワトソンやリバティ・メイソンだけで済む話とはどうにも思えない。周到に下準備に励んでから事に及ぶような慎重なワトソンが、一人だけで全てを片付けようとするだろうか。どうにも解せない。

 

「助力は?」

 

「小細工なしで正面からやる。負けても言い訳できないようにな」

 

「ひとつ聞いておこう。なぜそこまでアリアに固執する? 意地か? キミも男の意地とやらで自分の命を投げるのか?」

 

「意地があるかないかなんて知らねえよ。そんなもんどうでもいい。あいつは短気で、家事もろくにできなくて、何かあったらすぐに銃をぶっ放すような女でーーでも大切な家族や知らない誰かのために戦うことのできる、俺の大切なパートナーなんだよ」

 

 心の叫び、それ以上の理由はない。アリアが遠山をパートナーに選んだこと。ただの偶然か、あるいはそれは誰かに仕組まれたものだったのかもしれない。自分の力量と釣り合う相手、その条件を満たせば何も遠山でなくても良かったのかもしれない。たまたま遠山が列の先頭にいた、それだけのことかもしれない。

 

「──それに、よくもアリアに薬を盛ってくれたな。俺がそれを見過ごすほど甘く優しい人格をしているとでも思ったか?」

 

 だが、アリアは遠山と出会った。それが偶然でも作為的でも遠山は独歌唱のBGMとして歩いてきた。最後に残される結果が無惨だったとしてもその過程に一点の曇りもないのなら、それは決して、偽りになどなりはしないのだ。遠山、お前がアリアと造った関係は幻なんかじゃない。

 

「文化的話し合いは無意味のようだ。今日はキミの人生で最大の過ちを犯した日になる。もっと賢く生きるべきだったね、心の底から呆れるよ」

 

「お前だけは容赦しねえ。アリアのパートナーは二人もいらねえんだ」

 

 ベレッタのセレクターを切り替え、遠山とワトソンの視線が交差する。そこに話し合いの余地はない。

 

「──ご武運を」

 

 遠山と頷き合い、私は展望台を仮設のエレベーターへと駆け抜けた。

 

 

 峰理子、私は彼女が好きだ。イ・ウーで最も貪欲に力を求め、勤勉に学んでいたのが──峰・理子・リュパン4世だ。誰よりも有能な存在を目指し、自由のためにひた向きに努力する姿は見ていて胸が胸が空くほどだ。走るからにはゴールがないといけない。

 

 そのゴールは果てしなく、かつての私には終わりを与えてやることはできなかった。遠山が、ホームズが、ウィンチェスターが、自由への道を微かに照らしてくれたあの夜を私は忘れない。ブラドは討たれた、理子を縛りつける鎖はあと一対。彼女はその鎖を解きに来たのだろう。

 

 最後の一匹……行く手を阻んだ狼の意識をデュランダルを振るい、力任せに気絶させる。意識だけを奪うというのは、命を刈り取るよりも遥かに面倒な作業。屋上への道を塞いでいたオオカミの数は片手の指では足りず、追ってくるであろう遠山は横たわっている光景に目を丸めるに違いない。露払いはしてやった、あまり遅くなるなよ遠山。

 

(……理子)

 

 この数のオオカミが同じ場所にいるということは飼い主も一緒と見ていい。屋上への行く手を塞ぐように陣取っていたところから、アリアの居場所もワトソンの協力者の正体も既に割れたようなものだ。業務用のエレベーターは柱に『435m』と書かれたところまで続いており、そこからは鉄パイプと鉄板の簡素な階段だけが上へ繋がる道だった。

 

 この建物がまだ建築中の段階であることを再認識させられる。強風の度に軋んだ音が聞こえるのは心地の良いものではないな。冷たい夜風とコウモリの声を浴びながら、私は夜空の下へと繋がる最後の一段を踏んだ。

 

「私に内緒で何を楽しんでいるんだ、理子?」

 

 丸くコンクリートの床が広がった第二展望台。三叉槍を持ち上げるヒルダの前で、膝を突いている同僚に向けて私は言ってやる。

 

「……ジャンヌ?」

 

「数日前から連絡をよこさないと思えば」

 

 ヒルダの視線と一緒に肩越しで理子の瞳が丸められる。床に転がった多量の空薬莢、乱れた髪、コンクリートの床で汚したであろう顔は、既にヒルダと交戦していたことを鮮明に伝えてくる。ランドマークタワーでは5人で傷だらけの勝利だった。残された過去の因縁は自分一人で清算するつもりだったのだろう。私たちを頼ることなく。

 

「武偵憲章1条、仲間を信じ、仲間を助けよ。余計な気を使うな、私たちは仲間だろ?」

 

「……」

 

 私たち三人が武偵高に乗り込んだとき、お互いの目的には干渉しない方針だった。その結果、全員が敗北を味わい、今は司法取引の身に置かれている。だが、今の私はあのときと違い、一応武偵なのでな。お前が一人でヒルダと向き合うことを決めた覚悟を、台無しにしてでも助力させてもらうぞ。

 

「ジャンヌ、理子は善戦したわ。超能力の特性は見抜かれたし、その隠し持っていた散弾銃が機能していれば……少し危なかったかもしれないわねぇ」

 

 くいっ、とヒルダは床に散らばったヒマワリの花と破損したウィンチェスターを視線で示す。ヒルダの体のどこかには無尽蔵の治癒力を支えるための魔臓が存在している。あの散弾銃は魔臓を壊すために理子がチョイスした切札。散らばったヒマワリは散弾銃を悟らせないための偽装か、だがヒルダに通用しなかった。吸血鬼の瞳が刃物のように細められる。

 

「語るまでもないわね。勝敗は明白よ、貴方と遠山が増えたところで同じ。決着までの時間が延びるだけ。ここで命を投げるつもり?」

 

「──勘違いするな。私も遠山も死ぬためにここに来たんじゃない、後悔しない明日を迎えるためにここに来た」

 

「フフ、貴方らしくもない気取った台詞。でも歓迎するわよ、正直に言うとこれだけでお開きにするのは迷っていたの。だって、今日はとても良い夜だものねぇ」

 

「ラピュセルの枷!」

 

 真紅の唇が弧を描いたのと同時に、一本のヤタガンをヒルダの足元目掛けて投げつけた。冷気を宿したヤタガンが影を貫くよりもヒルダは先に背中の翼を広げた。元は同じ学校に席を置いていた相手、ヤタガンで影を縛る種は割れている。暗闇の空を経由して、ヒルダは背後へとヤタガンを回避した。

 

「種は割れていてよ? 放し飼いのペットたちも貴方を疲労させるくらいの仕事は果たしてくれたようね、顔色が優れないわよぉ?」

 

「……冷え症なのでな」

 

 手札を伏せるように私はそう返した。どこかのハンターの影響で軽口は以前よりも回るようになった、喜ばしくはないがな。背後に飛んだヒルダは、元は棺だったであろう残骸の前で笑みと共に佇んでいる。

 

「あの棺桶が変圧器だった。ヒルダは超能力に使うための電流を外部から盗んで、変圧器を通すことで操ってたんだよ。発生させられる電圧が低い割に、ヒルダは超高電圧の電流しか体に取り込めない。自力で体に貯めておける電流はせいぜい一回か二回ってとこ」

 

 背後に下がったヒルダと同じく、私の隣にまで後退していた理子が両手のワルサーの弾倉をリリースした。

 

「行使できるのが体内にストックした電流に限られてる以上、超能力を乱用することもできないし、影になって逃走することも簡単じゃない。お前はジムナーカス・アロワナから遺伝子をコピーして電流を操る術を身につけた。その力は先天性じゃない、穴があるのは必然」

 

「へぇ、学習しているのね。でもお前が語ったとおりなら私はまだ自力で電流を放てる。動けなくなったお前たちの首を跳ねるなんて造作もないことよ?」

 

 くす、と小さな笑みと軽く三叉槍を振る動作が入る。

 

「でも電流のストックは無限じゃなくなった。あたしは切札を失ったがお前も手札のカードを大きく削られた」

 

「痛み分けと言いたいのね。ええ、好きに思いなさいな。最後に笑うのは私。お前は首輪を嵌めて連れ帰り、ジャンヌからはその瞳を頂くことにするわ」

 

「だってさ。厄介なファンがついたな?」

 

 男口調を混ぜながらの問いかけ、遠山の言うところの裏理子か。

 

「私の瞳は私のものだ。誰にもやらん」

 

「同感。あたしは盲目のお前を黙って見ていられるほど人間が出来てないんだ。その要求、断じて許容できるかよ」

 

 手負いの獣は髪を逆立たせる。両翼のように広がった金の髪はそのナイフの切っ先を迷わず、ヒルダに向けた。ホームズとは異なる、異種の双剣双銃。戦意を見せつけたところで、鋭い瞳がこちらに向き、

 

「言っとくけど、負けてないからな。あそこから逆転するところだったし」

 

「そういうことにしておいてやる」

 

 バラの散らばった棺桶の近く、鎖にツインテールごと縛られたアリアが横たわっている。ワトソンが薬を盛ったせいで意識はない。やはり睡眠薬か。

 

「──!」

 

 ──仕切り直し、そう言わんばかりに至近距離でワルサーの銃声が暗闇に轟く。異常な速度で吐き出された弾丸はヒルダの両翼を二発ずつ、抉りとるように穴を開けた。排莢された薬莢がコンクリートに小さな音を立てる。命中、しかし……

 

「せいぜい騒音程度の嫌がらせね」

 

 翼に開いた穴は煙を上げて塞がっていく。ブラドと戦った夜、何度も目にした光景。小さく、理子が舌を鳴らす。

 

「理子、私に策がある。援護しろ」

 

「……了解ッ!」

 

 コンクリートを蹴って、ヒルダに疾駆。真正面から一気に距離を詰める。愚直なまでに単純な一手にヒルダはほんの一瞬だが目を細めた。しかし、翼を狙った理子の援護に、うっとおしそうに表情を歪める。ダメージは蓄積されない、だが動きを阻害する程度の嫌がらせにはなる。動きを縛られたヒルダの首元へ殺傷圏内と同時に──デュランダルを振り払った。

 

 

『死なない怪物の対処法? 首だよ、首。リヴァイアサンは何やっても殺せなかったけど、首と胴体を離したら動きは止まった。だから、首を武器ですぱっと──ただし、これだけは気を付けろ。あまり長く首を置いとくといいことないぞ?』

 

 

 援護を味方につけた一撃は、鋼の悲鳴と共に上方に弾かれた。三叉槍がまるで読んでいたかのように首へと至る軌道を塞いでいたのだ。

 

「読めてるわよ。魔臓以外に私が狙われて一番困る場所、そこを警戒しておけば済む話。貴方が聡明で助かったわ」

 

 ばち、っと何かが暗闇で弾ける。脳が警笛を鳴らすが体の動きが間に合わない。90万ボルトの強力なスタンガンを喰らったかのように体に衝撃が走った。

 

「うッ──!」

 

 こ、これは……体に溜め込んでいた分の電流か。意識は保てている、電圧は意識を落とせるほど高くない。

 

「ジャンヌ……!下がれッ!」

 

 無茶を言ってくれる。全身の運動神経を痛めつけられた、命令しても体に力が入らない。まずい、槍が喉に──

 

la revedere(さようなら)

 

 背筋が冷たくなったとき、ふと、縄に縛られたアリアの姿が頭をよぎった。いつだったか遠山から聞いたことがある。アリアは、ツインテールごと縛られた時に限って縄抜けができる。

 

「何やってんのよ、あんたたち」

 

 喉を抉られると感じた次の瞬間、アニメ声と銃声が同時に夜を貫いた。腕、肩、足、計16箇所からヒルダの鮮血が目の前で舞う。穴が大きい、大口径だ。

 

「やっぱりエキストラには荷が重かったみたいね」

 

 聞こえてくる自信に満ちた声に自然と笑みができていた。休みなく再度の銃声。大口径がヒルダのドレスに穴を生み、たたらを踏ませる。ワトソン、意識を落とすだけで弾を抜かなかったのはまずかったな。

 

「……薬の効果が切れたか」

 

 横たわりながら私はぼやく。自意識過剰め、今回は礼を言ってやる。

 

「ほんと、主役みたいな登場でイラッとくる……遅いんだよ……アリア」

 

「選手交代。あんたを捕まえるハンターで、今夜の主役の登場よ、ヒルダ!」

 

 緋色の瞳がヒルダを肉薄し、もう一対の双剣双銃が理子の隣に並んだ。ああ、こうなってはしまっては手遅れだ。

 

「さあ、狩りを始めましょうか」

 

 双剣双銃は──止まらない。

 

 

 

 

 


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