哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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帰ってきた雪平視点です。



日常編
夾竹桃は運転したい


「ですから、この男と仕事をし始めて……4ヶ月でしたか?」

 

「5ヶ月」

 

「……これです、まさにこの茶々入れなんです。人を皮肉るのが生き甲斐みたいな男、お陰様で存分に学びました」

 

「訂正しただけだ」

 

「それで、5ヶ月でしたか?」

 

「いや5ヶ月と2週間と2日。正確には」

 

「──終わった?」

 

 不機嫌な横目と一緒に言葉が投げられる。しばらく腕を組んでいると、煙草を咥えたまま先生が半眼を作る。教務科、武偵高三大危険地帯の一つに数えられる尋問科の綴先生の部屋はいつもと変わらず、煙草と酒の匂いで満ちていた。またの名をアルコールとニコチン。

 

「愛弟子ぃー、お友だちが質問してるぞぉー」

 

「……いつ?」

 

「いま自分が喋っていいか聞いただろ。表情見てみな、蠍がご立腹だぞぉー」

 

 眉をしかめて、部屋にいるもう一人の来訪者を見てみる。隣の夾竹桃は何も言わずに腕を組んでるだけだった。5ヶ月と二週間と2日、一緒にいた時間はともあれその中身は濃密と言っても足りないことの連続、それなりに彼女のことを分かったつもりではいる。そんな俺からすると、その顔は言われてみるとご立腹に見えなくもないが……

 

「あの……先生どっちの味方なんです?」

 

「あたしは中立だよ、中立。司法取引の身には変わりないんだ、お前には分からない大人の事情がたーくさんあるんだぞぉー?」

 

 その一つがこのカウンセリングっぽい三者面談ってわけか。放課後、久しぶりに先生から直々に電話の呼び出しが来たと思ったら、部屋の前で夾竹桃が待ってて驚いたぜ。どうやら最初から三者面談のつもりで俺は呼び出しを受けたらしい、ダンボールと画材セットを届けに行ったのが懐かしいよ。すっかり監視と仲介役だ、教務科公認の。

 

「忙しいあたしが時間を作ってるんだ。そこは察するのが礼儀ってやつだろ。んで、実際のところはどうなの?」

 

「それはたまに意見が合わないってことはありますよ。でもそんなのはどこにでもある。そうでしょ、先生?」

 

「待って。意義あり。たまにってなにかしら、たまにって。ほとんど合わない」

 

「じゃあ例えば?」

 

「例えば、絶対私に運転させてくれない」

 

「そんなことで怒ってんの? お前も前に言ってただろ、インパラを運転できるのは俺の家族だけだって。それに運転してくれてありがたいと思わない? 思いませんか先生?」

 

 俺は同意を求めるように綴先生に視線をやった。案の定、頬杖を突いたままの先生は無言で灰皿に煙草の灰を落とす。そこには既に捨てられた煙草が六本、今のが七本目。それも吸いきった先生はテーブルに置いてあるボックスから新たな一本を抜いて咥えると、改めてジッポーで火をつける。

 

「愛弟子ぃ、あたしは中立って言ったろぉー。親離れしないといつまで経っても大人になれないぞ。えーっと……まあ、いいか。反論あるなら言うだけ言ってみな、聞いてやるから」

 

「ありますよ。俺、こいつの運転手ですから」

 

「お馬鹿、冗談も休み休み言いなさい。あの運転で運転手は無理、マルセイユを爆走してるタクシーより酷い」

 

「じゃあなに? 俺より運転が上手いって?」

 

「ええ、自信がある。仮に地雷が埋まってる泥道とかなら貴方のほうが上だろうけど、でもここなら、舗装された日本の道なら絶対に私のほうが上手なの。それにたまには私も運転したい」

 

 これでも家庭の事情で運転歴はそれなりに長いんだが……つか、泥道の地雷源を走るって例えはもっと他にあっただろ。多少は危ない橋を渡ることに慣れているにしても地雷源を正面突破する勇気は俺にはない、装甲車でもごめんだ。それと言いたいことは他にもある。

 

「待った。たまには運転してるだろ」

 

 ──たまには私も運転したい、そう言った夾竹桃の方を見ながら言ってやると、お隣に座っている蠍はあろうことか苦い顔で俺を睨んできた。

 

「……貴方ねえ、私と先生の目を見てそれが言える?」

 

「言える、運転したことはない? そんなことはないだろ」

 

「してるわよ一人の時。貴方がいないときにしてるわよ、ええ」

 

「ほら、してる。じゃあ言うよ、なんで俺がお前を助手席に乗せたいか」

 

「どういう理由よ。知りたいわね」

 

 日常茶飯事のノーガードの応酬にふと先生の顔を見ると、俺たちとテーブルを挟んで革張りのソファーに座っている先生は据わった目で煙草を灰皿に押し付けていた。仮にも呼び出したのは先生の筈なんだが、それを指摘できる勇気は持ち合わせていない。見たくもないZ級映画を早送りなしで最後まで見せられているような表情──と言えば先生がどれだけ危ない顔なのかは御馬鹿の武藤にだって伝わるはずだ。既に退路はないけど。

 

「運転しないと酔うんだ」

 

「はい、笑った。打ち明けたらこれよ。バカバカしい、貴方は妙なところで仕切り屋になる。本当に変なところで自分が先行したがるわね、骨の髄まで偏屈に出来てる。いまのは真っ赤な嘘、誓ってもいい」

 

 夾竹桃が唇を閉じたところで、俺は横目を飛ばし、

 

「──終わった?」

 

「ええ、終わった」

 

「そう。だそうです先生。どうぞ続きを、ところで俺ってそこまで偏屈ですか?」

 

「いちいちあたしに振るなよ、めんどくさい。そうだなぁー、墓石に『愛すべき偏屈男──雪平切、ここに眠る──』くらいは書かれるんじゃない?」

 

 怪訝な顔で訪ねると、先生は心底どうでも良さそうな声で答えをくれた。

 

「いいえ、『愛すべき偏屈男──雪平切、ここに眠る──しかし、遺体の全部は見つからず』かしら。正確には」

 

「お前普通じゃないな」

 

「良い意味で普通じゃない?」

 

「いや、悪い意味で。すごい悪い意味だ、そこ分かれ。近頃は目に見えて立ち振舞いがずぶとくなってきたな。おめでとう、鑑識科で一人悪党を挙げるとすればお前だ」

 

 勝手に人の墓石に粗末な文字を掘ってくれたとんでもない女に祝いの言葉をやる。綴先生が右手で自分の頭を抑えた。

 

「お前らには、道徳の本でもくれてやるべきかぁ?」

 

「この男はほとんど何も読みません。シリアルの箱の裏くらい」

 

「体験派なんで。良き考古学者になるには図書館から脱出すること、インディアナ・ジョーンズもそう言ってる」

 

「お前さぁ、彼女と喧嘩でもした? いや、あたしの勘なんだけどさ」

 

「まさか、俺は先生の愛弟子ですよ? ペニーワイズの写真をバッグに入れられたくらいでステアーを乱射したりすると思います?」

 

「装備科からサイレンサー付きのTMP買ったって聞いてるんだけど」

 

「とにかく、喧嘩なんてランチの店を決めるときくらい。何の問題もありません、彼女は学校生活にも器用に馴染んでる。ええ、ほんとびっくりするくらい……レインボーブリッジを閉鎖した女とは思えないね」

 

「お陰さまで」

 

 ほら、ずぶとい。どこ吹くバキクロスだ。

 

「墓石を立てたところで、貴方は一週間もすれば自分で墓を暴くんだから問題ない」

 

「棺桶から自力で目覚めるって? いや、あり得ないだろ?」

 

「素直にずっと死んでるままの男じゃないことは知ってる。一般人はそうかもしれないけど、だとしたら貴方は一般人じゃない」

 

 虚を突かれて一瞬言葉を失う。

 

「……それはありがとう」

 

 それはもしかすると誉め言葉ではないのか、と思ったら素直に礼を言っていた。俺には視線すら向けず、肘掛けに頬杖を突いたまま尚も言葉は続く。

 

「考えても見なさい、貴方は何度命のストックがあっても足りない状況に幾度となく出くわしてる。非現実的な規模の物を含めてよ。なのにいまでも何食わぬ顔をして武偵をやってる、私の隣で皮肉を言いながら五体満足でね。普通の人間はそんなことしない」

 

 家庭の事情、そう言ってやるのは簡単だが大体のことがそれで片付いてしまうのが複雑だった。ワトソンは俺をギャンブラーと言った、いつも出たとこ勝負でサイコロを振って生きてきた。その運もいつかは尽きる。

 

「墓石に何を書こうが意味なんてないの。獣に皮膚を裂かれようが心臓に刃物を突き立てられようが、我が物顔で墓地から這い出てくるのが雪平切って男。貴方の葬式に出るなんて真っ平」

 

 アクセルを全開にして崖から落ちるのもいいと思ってた。早死に死ぬ家系だ、でも今では悔しいことに未練を感じてる。

 

「私より先に死んだら毒殺するわよ?」

 

 執着を感じてるよ、あらゆる物が大切だ。今年になって手放したくない物が増えすぎた。

 

「金をかき集めて、建て売り住宅に隠居させてやるよ」

 

 欲しいものは逃げていく、今あるものを守るので精一杯。だから、今あるものを手元に置いとくだけのために必死に戦ってやるよ。

 

「……お前らさぁ、毎日そんな感じ?」

 

 しばらく口を閉ざしていた先生が肘掛けの上に肘を突き顎を乗せると、呆れた表情でこっちを見てくる。ノーガードの本音を隠さない応酬はいまに始まったことじゃないが、俺たちが顔を見合わせたところで先生はさらに溜め息をついた。

 

「いやいいよ、答えなくて。今ので大体分かったから。で、愛弟子はすっかりイ・ウー研鑽派と友人になっちゃったわけだ」

 

「はい。あー……でも、研鑽派残党はただの友人じゃない。腐れ縁です」

 

「……そっちの彼女。その表情はなに?」

 

「いえ、別に。いま初めて、意見が合ったから」

 

 ──ああ、お友達ですから?

 

 

 

 

 

 

 

 月日は経ち、10月も半ばに入っていた。ミカエルとルシファーを地獄の檻に引きずり込み、最終戦争を回避したこの世界においても未だ地球温暖化は深刻な問題で、南極に住むペンギン絶滅への危惧が今朝のニュースでも大いに取り上げられていた。たまたま神崎の色金のことで部屋まで来ていたヒルダに話を振ると、『白と黒ならパンダのほうがマシ──』などと血も涙もない答えが返ってきたわけだが、案外本当に世界が滅亡するときっていうのは外からの外敵要因での終わりではなく、今まで人がやってきたことへの痛いしっぺ返しを受けることなのかもしれない。

 

 インパラを喜んで乗り回している俺にディープ・エコロジーの気質などあるわけもないが、ヒルダとは違ってパンダよりペンギン派の俺には頭に残るニュースだった。ツンドラの永久凍土とメタンガスの話よりもペンギンの棲み家が失なわれている、とストレート言われたほうが遥かに分かりやすい。俺はテーブルの席に着きながら、今年はクーラーとストーブの消し忘れに注意することを朝から誓うのだった。

 

「冗談だよな?」

 

「いや、本当だ」

 

「常日頃、局所的に食べ物に妙なこだわりを見せるのに人生で一度もマラサダをコーヒーに浸して食べたことがないのか?」

 

 俺が困惑した表情で頭を左右に振ると、手元に置かれているコーヒーのカップを指で示す。

 

「別に普通だろ。そんなにおかしいか?」

 

「おかしいというより意外というか、悲しいというか。考えてみろ、今は通販でコナコーヒーが買える時代だぞ。100%純粋ってわけじゃないがインスタントもまだまだ捨てたもんじゃない。いいか、マラサダの甘さとこのコーヒーの苦味、コーヒー好きでこれを楽しまないのは悲劇だ」

 

「そんなに美味いのか?」

 

 疑ってるんだな。文明の進化は目覚ましい、今やハワイ以外でも立派なコナコーヒーの味が楽しめるんだからな。ブルーマウンテン、キリマンジャロと並ぶ世界三大コーヒーの一つ、これがマラサダの甘さと合わないわけがない。マラサダはポルトガルの代表的な菓子だがコナコーヒーと肩を並べるハワイの名物と言っていい。

 

 ハワイに移住してきたポルトガル人が他の郷土料理共々、彼等にその作り方を教えたことが始まりだな。ドーナツ、揚げパンに似た甘さと柔らかな生地が歯に過剰な暴力を与えてくる。俺は中皿に並べたマサラダの内の一つを手にとると、まだ温かいコーヒーカップに持っていく。このハワイの名物二つの組み合わせははっきり言うと、

 

「病み付きになるかもって美味さだ。見てろよ」

 

 キンジも、俺の視線を追ってマラサダの向かったコーヒーカップを見る。手順は非常に簡単、マラサダをコーヒーに浸して、口に入れたら回すんだ。たったこれだけ、病み付きになるかもって美味さを味わえる。

 

「分かった。やってみるよ、いいか?」

 

 口に物を入れたまま話すわけにもいかず、代わりに首を縦に振ってやる。やはり食い物に関してはどこまでも貪欲な男だ、神崎はまず星枷を見習ってキンジの胃袋を掴むところから始めるべきじゃないか。またキッチンが燃えて小火騒ぎになるのは勘弁だけど。

 

「どうだ?」

 

「ああ、美味いよ」

 

 二つ返事、ゆるい表情が返ってくる。

 

「だから言っただろ?」

 

「最高だな、安いし」

 

 ああ、手のつけられる贅沢ってやつ──

 

「って、おい待て、ちょっとちょっとなにやってる。それはダメだ、二回浸したか?」

 

「あ、ああ。浸した」

 

「仕方ない、やり方を知らないならな。二回浸すのは厳禁」

 

「二度漬けは厳禁なのか?」

 

 恐れ知らずのルームメイトに俺は指を立てながら忠告を始める。

 

「二回浸したらコーヒーとマラサダの割合がおかしくなる。浸しすぎのリスクが発生する。どういうリスクかって言うと──巣潜りだよ」

 

「巣潜り?」

 

「巣潜りしたくないだろ」

 

「嫌だな、それは嫌だ」

 

 言い淀むことなくキンジはかぶりを振った。何もソースの二度漬けが駄目なんて理由じゃない。

 

「二回浸すとマラサダが千切れて、カップの底に沈む可能性がある。で、最後にコーヒーを飲み干すときに底にべちゃっとくっついてるのを発見すると、はっきり言うけど……べっちょりマラサダ、これは最悪」

 

「それは最悪。分かった、覚えとく。もしかして経験者か?」

 

「先人の知恵は大事にしろ。コーラにマラサダを漬けるのもあれは駄目だ。言葉にはできない喪失感に襲われる」

 

 果たして俺はコーラを飲みたかったのか、マラサダを食べたかったのか。口にした途端、そんな疑問を抱くこと間違いなし。あの口触り……おとなしく分けて食えば良かったのに、バカなことをしたもんだ。コーヒーみたいな色してるからイケると思ったんだがな。

 

「……まぁ、炭酸とは合わないだろうな。それは分かる」

 

「よく言うから、暮らしより見栄が大事」

 

「諺か?」

 

「俺の。本音を言うと、いったい誰がこんなことを考えたのか。でもこれを考えたやつは奇才、それに絶対コーヒー好きだったな。マラサダを浸すのに完璧なサイズだ、円周のサイズぴったり、どんなコーヒーカップにも浸せる。失敗はなし」

 

 一分の隙もないとはこのことだな。甘さと苦味、それぞれの個性が上手いことぶつかり合って昇華してる。ハワイに行かずともこの味が楽しめるんだ、良い時代になったもんだよな。

 

「随分と詳しいんだな?」

 

「どこもかしもコーラを置いているとは限らない。その場にあるもので餓えは満たさないと」

 

 マラサダとコーヒーを堪能し、休日の安らかな朝を満喫する俺とキンジ。神崎は間宮と、星枷も佐々木と用があるとかで二人のいない我が家は恐ろしいほど静かだ。嵐の前の静けさ、逆に不気味だな。俺はテーブルの隅に追いやられていた塩キャラメルの袋を開け、キンジとの間に滑らせるようにして置いた。神崎が興味本意で箱買いした物だが、そこまで口に合うわけでもなかったらしく棚にはまだまだ未開封の袋が溢れている。

 

「なにやってるんだ?」

 

「見りゃ分かるだろ、勉強だよ。今日はアリアも白雪もいないから集中できる」

 

 ああ、集中を遮る銃声がないもんな。大口径や機関銃なんかのでかいやつ。教本をテーブルに広げたキンジはキャラメルの紙包みを破りながら、器用に目だけで問題文を追っている。開いてるのは英語の教本だな。

 

「はいはい、アクセントが違うものを選べと?」

 

「こんなのアリアなら悩むまでもないんだろうな」

 

「神崎はお手本みたいなクイーンズ・イングリッシュを喋るがアメリカでの活動経験もある。その言語を使って生活してたら明るいのは当然だ。七年も住めばバカでも分かる」

 

「……お前、アメリカで育ったんだよな?」

 

「何かと忘れられるが育ちはカンザス州のローレンス。緊急番号も911で教わってる。ちなみにその答え、2じゃなくて3だな。さっきの表情から見るに勘で選んだみたいだが」

 

 すると、まだページの問題が半分残っているにも関わらず、キンジはわざわざ答えを確認し始めた。そういうのは最低でも1ページ単位で確認するものじゃないのか?

 

「すげえ、本当に合ってる」

 

「嫌味な野郎だ。疑ってたのかよ」

 

 塩キャラメルを口にいれ、視線を明後日に逃がす。棚にある袋を全部切らすまで何ヵ月かかるかね。

 

「それ、風魔に一袋貰ってもいいか?」

 

 視線を戻すと、キンジが棚にあるキャラメルの袋をボールペンで示していた。一応、神崎のポケットマネーで買ったことにはなってるが。

 

「大丈夫だろ、神崎はほとんど手をつけてないし。風魔も半分は間宮のアミカ・グループみたいなもんだしな」

 

 風魔陽菜はキンジの戦妹で諜報科のBランク武偵。このご時世で帯銃に火縄銃を選ぶのはこの学校でも彼女くらい、ござる口調も相まって典型的なステレオタイプの忍者を思わせる色々と有名な子だ。一年で諜報科のBランクをとるだけに優秀な武偵なんだが、どうにもキンジの近くにいる女だけあって風魔も少し癖がある。具体的には低くない確率で道端に空腹で倒れてたりするし。

 

「お前も戦徒をいい加減見つけろよ」

 

「何度も言ってるだろ。条件に合うやつがいたらどこの科でも結んでやるよ」

 

 なんだかんだ風魔の面倒を見ているキンジ、順調に間宮の実力をステップアップさせている神崎を見れば分かるが、口では何と言っていても契約を結べばそれなりの責任を背負うことになる。

 

「綴先生からも尋問科の一年を勧められたが丁重に断ったよ。今は極東戦役の真っ最中、優秀ってだけで選べない。戦徒に何かあって行動を縛られたんじゃ、戦役どころの話じゃないからな。いつかも言ったがお守りじゃなくて錘だよ」

 

 理子は一年で既に島を戦姉妹においてたがこのシステムは性格が目に見えて出る。相手を見極めることも重要だから無理して作らないに限る。一蹴したつもりでいたがキンジはまだ口を閉じない。

 

「なあ、戦役の枷になるのが問題なんだよな?」

 

「そうだ」

 

「じゃあ、極東戦役に絡んでる一年なら問題なくないか?」

 

 とんだ屁理屈だった。

 

「キンジ、ワトソンは二年だ。今になって魔宮の蠍を後輩扱いもありえない。極東戦役のメンバーで武偵校の一年で通りそうな奴がいたか?」

 

「……無理だな」

 

「今度は正解だ。隅から隅まで見渡してもいない。ココなんてもっての他だ。列車から紐なしのバンジージャンプをさせられたんだしな」

 

 追加のキャラメルの紙包みを開く。

 

「仮にだ。極東戦役に絡んでいて、実力も俺と拮抗できるような一年がいたら真剣に考えるよ。このキャラメルも袋ごとプレゼントしてやってもいい」

 

「キャラメル好きで極東戦役に絡む一年生が?」

 

「いるわけないさ。ほら、手が止まってるぞ。ペンを動かせ」

 

 しかし、この制度自体は後輩の育成に大きく貢献してる。神崎と間宮なんてその代表格だ。もし戦徒ができたら、俺も影響を受けることになるんだろうか。

 

「乾はどうなんだ?」

 

「あいつはまだ中等部だろ。それに警察との架橋生ってのがどうにも」

 

「FBIに追われてたもんな?」

 

「……やっぱりあの本は燃やすべきだ。自分だけ過去を知られるなんてアンフェアにも程がある」

 

 ジャンヌが説明を怠けて、例の書籍をそのまま渡した結果がこれだ。ヘンリクセン捜査官との鬼ごっこまでしっかり頭に入れてやがる。

 

「でも一つ疑問があるんだよな」

 

「俺が不愉快にならない質問ならどうぞ」

 

「以前、ずっと前に言ってた弟子のクレアってクレア・ノバックだろ?」

 

「そうだけど。クレアはクレアだ。アレックスは看護師で、クレアはクレア」

 

 クレア・ノバックは俺と同じで非日常に家族を奪われた女だ。今はスーフォルズで同じく非日常の境遇に置かれていたアレックスと、怪物と犯罪者の両方を取り締まる保安官のもとで一緒に暮らしている。正確には彼女がまだ駆け出しの頃に一緒に狩りをしてた関係。非日常に母親まで奪われたクレアに、自分だけ普通に生きろとは流石に言えなかったからな。

 

「で、クレアがどうした。電話番号を知りたいならやめとけ、アレックスと違って恋愛には無頓着だ。今のところは」

 

「あの本に書かれてるとき、つまりお前が出会ったときはまだ子供だったんだろ?」

 

「今みたいに目付きは鋭くなかったよ」

 

「でもお前は一緒に怪物退治をやってた。怪物退治を許せるくらいの年齢には成長してたってことになるよな?」

 

「……」

 

 まずいな、雲行きが怪しい。暗雲が立ち込めてる。

 

「お前、本当に俺と同い年か?」

 

「やっべ。キャラメル食い過ぎて、喉がサハラ砂漠だ。サ店に行ってくるぜ」

 

「……今時サ店はないだろ」

 

 失礼なへっぽこ探偵は無視だ無視。一人だろうが関係ない、サ店にいくぜ。

 

 

 

 

 

「鑑識科ってさ、張り込みとかもやるわけ?」

 

「人生、何があるか分からないでしょ。貴方が来るとも思わなかった」

 

「一人でサ店に行く勇気がなかったんで。バスカビールも武藤も用事で誘える相手がいなかったんだ。車変えた?」

 

「サ店が嫌ならロキシーに行けばいいでしょ。訳ありで車輌科から借りてるだけよ」

 

 そう言うと、魔宮の蠍はいつものオープンカーではなく、黒のSUVのハンドルに手を置いた。

 

「地雷でも踏んだか?」

 

「物理的な意味ならいいえ。でも比喩的な意味なら貴方は起爆しまくってくる」

 

「そうか、そりゃ悪かった。今度から足下に注意するよ。でも良い車だ、乗り心地も悪くない。この機に屋根なしから乗り換えたらどうだ」

 

「私はあれが気に入ってるのよ」

 

 へっぽこ探偵の勉強を邪魔しないように部屋を後にしたまでは良かったのだが、夕暮れまで一人でサ店に居座ると思うと気が退けてしまった。バスカビールはレキ、理子も含めて全員が用事に追われているらしく、武藤やジャンヌ、電話番号を交換したばかりのワトソンにも断られたので、カウンセリングで顔を合わせたばかりの夾竹桃と俺はまた今日もノーガードの応酬を繰り広げていた。

 

 実際は張り込みの依頼を受けている彼女の『暇なら来れば?』の一言に乗せられたわけだが、普段は屋根のない車を使っている夾竹桃がSUVの運転席に座っているのはそれはそれでレアな光景だった。鑑識科が張り込みをやるのもそれはそれで珍しいだが。

 

「ところで相手は誰なんだ?」

 

「教務科経由で流れてきたの。神崎アリアも別方向で駆り出されてる」

 

「神崎、間宮と教務課の依頼をやってたのか」

 

「強襲科らしい内容よ。私たちと違って」

 

 道路の隅から、張り付くように俺たちが監視しているのは二階建ての一軒家。築年数もあまり建っていない至って普通の住宅。問題があるのは住んでる住人か。

 

「密猟は一大ビジネスよ。今では大金が右から左に動く一大産業になってる。でも実際には規制のための手が足りてないのが現状」

 

 密猟か。俺も関わったことがない畑だな。

 

「例の大規模テロ以来、現場の手が足りていないって話は聞いたことがある。じゃあ、あそこに住んでるのはマーケットを仕切ってる支配人か?」

 

「それならもう少し警戒にも手を加えるわよ。危険度はもう少し下ってところかしら。あくまでも動きを見張るのが目的。本命は神崎アリアや他の人間が抑えに行ってる」

 

「なるほど、張り込みだな」

 

 腕を組み、ガラス越しに家を睨んでいると必然的にラジオもかけないSUVの車内は閑散とした空気になる。

 

「なにかあった?」

 

 不意に声をかけられて、俺はかぶりを振る。

 

「なにもない」

 

「嘘ね。何か悩んでるって顔。そうでしょ?」

 

「そんなに顔に出てたら、尋問科としての自信がなくなるだろ」

 

「なんなら後ろで寝て話してもいいわよ?寝た方が話しやすいなら、それとも座ったまま話す?」

 

 張り込みなのに俺が寝たら意味ないだろ。お前がいるから問題ないと言えば問題ないけど………喉元まで競り上がってくる疑問を堪えるがどうあっても彼女は引き下がらないつもりらしい。会話の鍔迫り合いは、徐々に俺が押し負けていく。

 

「どっちにしたって答えるまでしつこく聞くから」

 

 変なところで意地になるんだよな、この蠍。クールに見えるのは外側だけで人一倍感情豊かって言うか。退く気配は微塵もない、俺が白旗を上げるまで時間はかからなかった。

 

「分かったよ先生。隅から隅まで話します」

 

「話してみなさい」

 

「キンジが例の日記を読んで、俺の年齢について触れてきたんだよ」

 

「……年齢?」

 

 一転、夾竹桃は目を泳がせ始めた。さっきまでの前のめりな姿勢がどうなってんだ?

 

「おーい、夾竹桃?」

 

「この話はここまで。依頼に集中するわよ」

 

「俺、まだ触りしか話してないんだけど?」

 

「貴方と遠山キンジは同級生、それでこの話は終わり、終わりよ。大体、貴方は地獄に30年いたんだから年齢なんてあってないようなものでしょ」

 

 なんつートンデモ理論だ。そっちで換算したら煉獄の時間もいれて大変なことになるだろ。

 

「対象に動きはないわね。何もないならそれに越したことはないけど。雪平、貴方は何が好き?」

 

「唐突だな。何って、いっぱいありすぎる」

 

「例えばよ、例えば何が好きなの?」

 

 強引に話題を変えやがったな。退く気配もなさそうなので俺は足を組み変えながら答えを考えてみる。好きなものか……

 

「──音楽。音楽だな、公に言える」

 

「またそうやって、誰でも好きでしょ。私だって音楽は嫌いじゃないし」

 

「ああ、違う違う。聴くほうじゃなくて演奏するほうだ」

 

「あら、演奏するの?」

 

 微かに驚きを含んだ言葉が返ってくる。

 

「アドシアードでバックバンドのベースをやってたのは聞いてたけど、それ以外で演奏どころか楽器持ってるところ見たことないわよ?」

 

「元々はベースの前にギターをやってた。それなりに時間を費やして、割りと良いところまで行ってたんだ」

 

「やめたの、どうして?」

 

「……さあな、色々あって辞めたんだ」

 

 両手を頭とシートの間にやり、俺はややシートを後ろに傾けた。正午間際だった時間もゆるやかに流れ、車内の時計も次第に数字を増やしていく。特に会話を交わすわけでもなく、夕暮れが差し掛かったところで夾竹桃の携帯が鳴った。

 

「本命を抑えたそうよ。撤収の時間ね」

 

 そう言うと、手馴れた動作で二つ折り携帯を閉じる。

 

「あれはほっといても大丈夫なのか?」

 

「後のことは教務科が警視庁と上手にやるでしょ。私たちには平凡な幕引きだけど、たまにはこんな日も悪くないわ」

 

 確かに。本音を言うと機関銃でも飛んでくると思ってたよ。珍しく平和的な終わりだ。西日が斜めから降り注ぐ夕刻の道路をSUVが帰路に向け、静かに走り出した。

 

 

「……」

 

「……」

 

 どうにもラジオをつけられない雰囲気。そこかしこにあるCDも知らないアニメのジャケット写真ばかり。唯一分かるのは『Blood on the EDGE』と書かれたものだけだった。確か前に理子が見てた深夜アニメの曲がそんな名前だったな。窓を見ると部活帰りの学生やボールを持った子供の一行が次々と流れていく。夕暮れは、家に帰る合図なんだろうな。

 

「子供の頃、酔い潰れた親父をエレンのバーまで迎えに行って、女性のハンターがカウンターでギターを演奏をしてたんだ。すごく良い演奏で、ジョーも露骨なくらい笑顔で聞いてて、それで狩りの合間にモーテルで練習するようになった」

 

 ポーカーとバカラでやりくりした金でなんとかギターを買って、親父の目を盗むように練習してた。最初は地獄画図みたいな腕前だったけど。

 

「ジョアンナに聞いてほしくて練習した?」

 

「ああ、カウンターで暇さえあればナイフを弄ってる彼女をどうにかして振り向かせたくてな。子供なりに頭を捻った結果だよ。それでいつ彼女に声をかけようか悩んで、でもその一線がなかなか踏み出せなくてな。気がついたときにはジョーの気持ちはディーンに流れてた」

 

 近くにあったCDケースを掲げながら、自嘲気味にうっすら笑みを作る。

 

「エレンのバーは悪魔の群れに荒地にされて、俺はディーン共々リリスの飼い犬に体を引き裂かれた。でも地獄から戻ってもジョーの気持ちは揺れなかった。思い人に妹としか見られていないと知っても彼女の気持ちは揺れず、俺も何も言えずにいて演奏の誘いもできないまま最期はジョーを見殺しにしちまった」

 

「それ以来、ギターは弾いてない」

 

「ああ、下心から始めたからな。で、ベースをやったのも情けなかった自分を誤魔化したかったから。たぶん、そうだ。俺は偏屈だし」

 

「それは言えてる」

 

 ったく、そこは否定してくれると思ったよ。ちょっと期待した。

 

「自分の心を晒け出すのは嫌?」

 

「そうだな、お前が正しいよ。どこか歪んで育っちまった。俺はいつからか、感情を晒けだすことは弱さを見せることだと思うようになってる」

 

「それは分かってる。本当に心の底の部分までは誰だって易々と見せびらかしたりしない。でも貴方とは色々あったし、一緒に狩りをして。貴方の母親のことや私の司法取引のこと……だから、私には晒けだせるんじゃない?」

 

 慰めあれ毒であれ、この女は本音を言ってくれる。それを知ってるから狼狽えずに済んだ。燻る憎悪も怨嗟も彼女は否定しない。首を揺らしてくる彼女には、悔しいことに俺も色んなことを預けてる。

 

「そうだな。黒歴史はもう暴かれてるし」

 

「細かく知ってる」

 

「そのとおり、ほんと嘆きたいよ」

 

 なんとも言えないままの気持ちを、俺は自分の部屋まで持って帰るのだった。

 

 

 

 

 

 張り込みから数日が経過した放課後。太陽は眩く輝き、ヒルダの大嫌いな陽光が地上にはっきりと影を焼き付けている。風は穏やかに吹き、仰いだ蒼穹は胸がすくほどだが俺の足取りはそこまで軽快でもなかった。面倒極まりないと嘆くほどでもなかったが、先生のカウンセリングは素直に受けたいと思えるものでもない。

 

 昨夜、唐突に先生からメールが来たと思ったらカウンセリングの呼び出しだった。報告の機会を不定期にするのはどうなんだろ、俺は先生に従うだけでそこまで口添えするつもりは毛頭ないんだがな。

 

「悪い、待たせたな。どんな感じだ?」

 

 いつもの高級ホテルの駐車場まで行くと、既に夾竹桃は駐車スペースの一角で待ちぼうけの状態だった。待たせたことに謝罪から始めるがなんでギターケースを背負ってるんだ?

 

「寝覚めは悪くなかったわ。貴方にプレゼント」

 

「プレゼント?」

 

「そう。ほら、これ」

 

 そう言って、肩掛けていたギターケースを渡してくる。

 

「なんだ?」

 

「見れば分かるでしょ、雪霞狼よ」

 

「雪霞狼って……はいはい、笑えたよ」

 

 深夜アニメに出てくる対魔物用に改造された槍の名前だったな。普段はギターケースに入れられて、丁度こんな風に持ち運ばれてるシーンを見たことがある。でもいきなりプレゼントって……俺はプレゼントを貰うようなことしてないんだけどな。

 

 左隣でうっすらと笑っている夾竹桃をよそに、大きさが大きさなのでケースをトランクに入れる意味でも俺はインパラの後ろへ回った。閉じられた広いトランクの上で、渡されたセミハードのギターバッグを開いてみる。

 

「どう?」

 

「……夾竹桃、これ……」

 

「いいでしょ?」

 

 いや、お前……これ……

 

「いいって、これ……すごいな、本当か?」

 

「私が聞いてあげるから。弾けなかった曲、練習すればいいんじゃない?」

 

 裏返りそうな声をどうにか抑える、セミハードのケースには青いギターが納められていた。きめやかな青いアルダーのボディと、それに揃えるような美しい青色のヘッドは自然と目が惹き付けられる。気が付けば手に取ってその感触を確かめていた。いや、これ……本当に、すごいな……安くないぞ、こんなの。

 

「気に入った?」

 

「いや真面目に……こんなの、言葉もないよ。ありがとう」

 

「じゃあ、行きましょう。遅れると小言を聞かされる」

 

「ほんと。ありがとう。あ、待った」

 

 俺はギターケースを閉じ、トランクに入れると女子席のドアを開こうとした夾竹桃を呼び止めてからーー

 

「インパラ、お前が運転すれば?」

 

 制服のポケットから鍵を投げ渡すと、夾竹桃は目を丸めて受け取った鍵に視線をやる。だが、またすぐに助手席を回って、運転席のある左側に歩き始めた。

 

「ふーん。ええ、するわよ。久々に彼女と戯れる。突破口を開いたわね雪平」

 

「喜ぶなよ、ただし音楽の決定権は一曲ごとに交換だ。ダンボールボックスからテープを引き抜いて……夢見る少女じゃいられない、トラブルメイカー……どっちがいい?」

 

「お可愛い選曲だこと。出すわよ」

 

「ああ、ほんと」

 

 ──お可愛い奴め。本日の教訓。夾竹桃は運転が上手かった。

 

 

 

 

 




黒髪と赤い目はベストマッチだと思う。

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