修学旅行Ⅰの後に、ウィンチェスター家お決まりのゴタゴタに巻き込まれた俺は武偵校から遠く離れた異世界で魔王と母親と遭難していたわけだが、時間という概念がある以上は俺がミカエルと追いかけこっこしてる間もルシファーに体を貸してる間にも武偵校では綴先生や蘭豹先生の授業が行われている。
一般の学校と比べて大いにズレてはいるが武偵校も学校は学校。無断欠席で単位も取らずに過ごせば必然的に待っているのは留年。つまり、神崎や理子には置き去りにされ、間宮たちと一緒に授業を受けることになる。最悪、一緒のクラスで学ぶことも無視できる推測ではなく、ハッキリ言って許容するのが無理な話だ。母さんやサムに何を言われるか。
武偵校に戻ってから真っ先に感じた不安は無断欠席を繰り返した果ての俺の立場。先生との再会は足取りが重いどころではなかったが、ジャンヌが教務科に上手くやってくれていたお陰で俺は長期の依頼で東京を出ていたことになっていた。こればかりはジャンヌの手腕には感謝せざるを得ないな。
(へぇ、流石に圧巻だな)
いつかのカジノで使ったネクタイを片手で弄り、俺は眼前のショーケースの中身に目を細める。教務科の機嫌を窺う意味でも、ここのところ俺は手当たり次第に依頼を受けまくって単位を稼いでいる。狩りでもないのに堅苦しい服装をしているのも受諾した依頼の為。『ピラミディオン台場』以来の警備の仕事で俺は休日の東京市内に出ていた。市内で行われる懐中時計の展示会、その警備と問題が起きた場合の対処が依頼の内容。
しかし、展示会だけあって飾られている懐中時計も見るからに美しい造りをした物ばかりだ。俺は時計にそこまで詳しいわけじゃないがアンティークの懐中時計となればそれなりの値がつく。俺以外にも警備の人間が置かれているがそれも当然だな、このショーケースの中身を全部流したら……盗みの動機には充分なる。カジノと同じく、今回はあくまで客を装っての警備、何も起きなければ時計を観賞して終わりだ。
現在、俺が首を巡らせているのはメインの展示会場となる大広間。一番の密集地帯には豪壮な大理石の石柱が林立し、磨き抜かれた床には奇天烈なモザイク画が描かれている。夾竹桃が寝泊まりに使ってるホテルも大理石の床で通路が作られていたが建築材としては本当に優秀な石なんだな、大理石って。
大広間だけを監視するわけにもいかず、適度な頃合いで俺は隣接している通路に足を運ぶ。しかし、スケルトンの懐中時計まであるとはなぁ。機能性を度外視しても惹き付けられるほどの造形美がここの展示物にはある。ほんの少しだが時計のコレクターってやつの気持ちが分かったような気がするよ。大枚を投げるところまでには行かないけどさ。
「雪平……?」
それは通路を歩いていたときのことだ。不意にこちらを見ていた少女と偶然にも視線があった。それは問題じゃない、視線が偶然ぶつかるなんてことはいくらでもある。俺が足を止めたのは俺の知らない少女が、俺を見ながら名前を呼んだことだ。
「どこかで会った?」
いや、答えは分かるーー会ってない。切り揃えられた銀髪の前髪、年齢はキンジや神崎と同じくらいか。長い後ろ髪はワンレングスに切り揃えられ、黒いリボンが左右に二つ。そして真っ先に視線を惹き付けられるのは左右で色の違う赤と青の瞳。ルビーとサファイアを思わせる宝石のような瞳が、白銀の髪と恐ろしいほどに調和している。
控えめに言って神崎やジャンヌと張り合えるレベルの美女。こんな子と出会ってたら、まず記憶に残ってる。オッドアイと銀髪、個々でも見かけない要素が揃ってるんだ、一度見れば忘れたりしない。だから、彼女が一方的に俺の名前を知っていたことに足を止めてしまった。武偵はタレントじゃないんだ、巷に名前なんて知られていない。知ってるのは犯罪と縁のある訳ありの連中。それと怪物、悪魔、天使のお約束の面々。
「怖い目付き」
「ごめん。君みたいな子に声をかけられたのは初めてだから、緊張しちゃって」
目を見れば人が分かるというが、この子の場合はそんな抽象的なもんに頼らなくても普通じゃないことが分かる。彼女から滲み出ている気配は、命を掛け金にするようなテーブルを抜けて来た者のそれだ。宝石と謙遜ない煌びやかなオッドアイの瞳、だがそれも醜悪な現実を直視してきた者が浮かべる冷たい瞳に見えてならない。
ただの美人なだけの白人、それだけで片付けるのが無理な話だ。あどけない外見と冷たい現実を見てきたような内面。内側と外がミスマッチの少女が不意に細い首下を揺らし、小首を傾げた。赤と青の瞳が綺麗な半眼を作る。
「警戒しなくてもいいよ。色んな武偵校であんたのことは有名だから。それだけ」
……そこまで警戒の姿勢を取ったつもりはなかったんだがな。表情にも出したつもりはないし、あくまで気になった程度の認識を装ったつもりだ。透き通るような綺麗な声色とは裏腹に、内面を覗き見されたような妙な嫌悪感に襲われる。先生の鋭い観察眼とは別方向、全く異なる何かで中身を覗かれたような感覚。
「鋭すぎるのも敵を作る」
「? あんたは武偵高に通ってないのか?」
鋭いも何も今の会話を考えると、彼女が武偵、もしくは武偵病院や警察の関係者と見るのが自然。何か違和感のある忠告だった。まずいな、最終戦争帰りで警戒心が過剰に膨らんでる。全部が全部、悪い方向に進む前提で考えが動いてるぜ。
「詳しくは答えられない。仕事の最中だから、今は時間があるから私用だけど」
……ああ、潜入任務か。ウチの学校では見ない顔だが、名古屋って感じでもないな。他からの遠征かな。日本人離れした白人の顔つきだが神崎やワトソンの例があるし、海外からの学生がいても不思議じゃない。俺も海を渡って転がり込んだ口だしな。敵意らしい敵意も感じないし、俺は内側に隠していた警戒心も完全に引っ込める。
「私用って、時計を眺めに?」
「あたしが自由な時間をどう使おうと自由だからね」
「それはもっともだ」
「あんたはナンパ?」
「ナンパする気ならこんなところに来るわけないだろ、用事さ」
クールに見えて中身は神崎と同じタイプだな。初対面なのに物怖じしてない、夾竹桃を思い出す。
「ブレゲの時計も出るって聞いたから来たんだけど、今度落としに行こっかな。見てたら欲しくなっちゃったんだよね」
「ブレゲか、高級趣味だね。学生に買える時計じゃないだろ。軍資金は?」
「ちょっと心もとない」
どうやら彼女は時計のコレクターらしい。気の強い印象を受けるが素直に答えてくれたのは意外だ。もしかすると軽口を飛ばし合うのは嫌いじゃないのかもな。初対面でやる会話にしてはフランクだが、一方的に素性を知られているせいで俺への警戒が緩い。
「ブレゲは一生モノって言うしな」
時計には詳しくないがブレゲが値が張ることくらいは俺にも分かる。もしかすると、この子も神崎やワトソンみたいな資産家の家系だったりして。そこまで踏み込むつもりはないが、夾竹桃の漫画然り、ジャンヌのピアノ然り、好きなことに励む女性の姿には男は眼を奪われる。
彼女が自分のお金をどう使おうが彼女の自由、物に対する価値観は人によってそれぞれだ。時計のコレクターに会ったのは初めてだが、M82に大枚を渡すよりもブレゲに札束を使うほうがずっと女性らしいよ。
「ここで会ったのも何かの縁だ。ご武運を」
「ありがとう」
素っ気ない返答を貰って後腐れもなく、俺は仕事に戻ろうとする。思いの外、話すぎた気もするし、まずは人の一番集まってる大広間に戻るとするか。
「あ、そういや、良かったら名前だけ聞いてもいいか?」
「却下」
即答かよ、この女。
「自分だけ一方的に名前を知られてるのって心地よくないよな。さっき学んだよ」
「あたしは用心深いんだ。今の上司も今いる部下の中じゃ一番惜しいところまで追い詰めたこともあるんだからね」
「君の上司はよく知らないけど、要するに荒事も得意ってこと?」
「Yeah.」
お上手な英語で。綺麗にはぐらかされると無理に追求する気も失せた。それでも大広間に戻るのは一緒、そこまでは彼女もかぶりを振ることはなかったのでメイン会場まで一緒に戻ろうと踵を返して、俺はまたしても足を止めた。今度は隣の彼女も同じタイミングで。
「聞いたか?」
「広間の方ね、かなり近い」
「平和なクランクアップはなくなったな。お次はなんだ?」
連なった炸裂音に俺は小さく舌を鳴らす。俺と銀髪は広間と通路を繋いでいる扉の隙間から中を覗くと……案の定、床に伏せて頭を抑えるスタッフと来客の姿が見える。それとーー
「MP5、あれなら適当に撃っても当たるね」
「それは誇張しすぎだよ。下手な奴は下手だ」
無音声で呑気な彼女に答えを返す。最悪だ、黙視できるだけで五人。全員武装してやがる、抱えてるのはH&Kのドル箱だ。
「警備の依頼なら責任問題だね?」
「ぶっそうなこと言うな、なんとかするよ。手練れの上司を追い詰めるくらい強いんだろ、だったら広間の掃除をやるから手伝ってくれ」
「軍資金」
「……だから守銭奴の女は大嫌いだ。欲望の化身め」
「嫌いになるまで分かり合えたら大したもんだけどね」
口の回る女だ。嫌味ったらしく俺は溜め息をつく。展示会場の占拠、そしてこれが俺とーー今後、キンジを通じて嫌というほど絡むことになる愉快な集団の超能力担当第一人者との奇怪な出会い。
「で、名前はなんて呼べばいい?」
「アリス・アバーナシー」
「……こいつはヘビーだ。二挺拳銃で全員やっちゃってくれ」
ロシアの超心理学アカデミーの鬼才、旧KGBの暗殺者ロカとのファーストコンタクト。