哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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陽の落ちるとき

 ワトソンと別れる形でサ店を出たときには外の景色も夕暮れが近かった。思っていたよりも店内の空気が心地よく、つい長居してしまった。マナーモードだった携帯を開くと、寮を出るときにキンジに送ったメールにも返信が来てる。どうやらキンジの方も用事は済ませたらしい、久しぶりに夕飯は三人一緒に囲めそうだ。正直言うと、少し楽しみではある。

 

「メール?」

 

「ああ、キンジから。用は済んだから帰ってくるって」

 

「そう。また現地で新しい子に手を出したんでしょうね。見え透いてるわ」

 

「ルームメイトとして否定してやりたいが」

 

「なきにしもあらず」

 

「そのとおり。お前の勘が当たってるかも」

 

 遠山キンジって男は息をするように女と仲良くなる。たとえ海を渡ったとしてもデートの相手には困らないだろうさ。あいつの性格上、自分から申し込むことはないだろうけどな。

 

 原宿駅の近くまで来たところで神崎の携帯が鳴る。隣を歩いていた俺も足を止めるが、聞こえてくる会話から察するに相手は間宮らしい。通話時間は一分にも満たず、携帯を切った神崎と視線が合う。

 

「厄介ごとか?」

 

「いいえ、厄介ごとってほどじゃないわ。夜には戻るから先にバカキンジと何か作っときなさい」

 

 そう言った神崎は返答も聞かず、まだ人気の失せていない駅の方へと走っていく。

 

「戦姉妹か……」

 

 すぐに小さなくなる背中を見て、俺は独りでに呟いていた。後輩に手を焼くってのは戦徒契約をほうってる俺には無縁のことだ。まあ、仮に俺にも手を焼いても良いと思える後輩ができたならそのときは贔屓しちまうのかもしれねえな──とても俺にはできると思えないが。

 

 

(……まだ夕暮れ。時間もあるし、少しぶらついてみるか)

 

 一人になった俺は携帯で時間を確認し、少しだけ考えてから駅に背を向けた。ここのところ、いつも以上に短いスパンで非日常の出来事が巡ってきたからな。たまには無意味に街を歩くような贅沢な時間があってもいいだろ。無意味な時間の浪費ほど贅沢なものはない。

 

 駅を離れてもしばらくは人気はなくならない。宛もなく足を伸ばしている俺も適当に四方の景色に目をやりながら、どこを目指すわけでもなく足を動かす。コンビニで立ち読みしたり、家電屋のゲームコーナーで新発売のゲームを眺めたり、何の目的もない普通の時間。そんな時間はいつも以上に早く過ぎる。

 

 ──そしてそんな帰り道のことだった。

 

「……へぇ。珍しい」

 

 すっかり人気の失せた夜道。寂れたコインパーキングに停められた車を見て、思わず俺は足を止めた。メルセデス・ベンツS600──ワトソンのポルシェ911と同じで大衆とは無縁の高級車がぽつんと停められている。こんなのテレビや雑誌以外で初めて見たぞ。

 

 お世辞にも新しいとは言えないパーキングエリアではあまりにその存在は浮いている。どっかの資産家の車だろうか。不意の遭遇に驚いていたせいで、このときの俺は周りへの注意が自分でも嘲笑えるほどに散漫になってた。

 

 いや、仮に平常時であっても結果は変わらなかっただろう。警戒しようと、万全の体勢を維持しようが結果は変わらなかった。──その女の接敵に気付ける人間が、この世の中にいるとは、俺は思えない──

 

「……ねぇ、あなた。何をやっているの?」

 

 耳元で、囁く声がした。とても心地良い笛のような声色が。

 

「──ッ──!」

 

 刹那、府抜けていた警戒心が一瞬で限界まで針を振る。忘れていたわけじゃない、だが出来れば二度と会いたくはなかった。皮肉の他ない、会いたい人間には会えず、望まない再会ほど簡単に叶ってしまう。足音もなく、気配もなくその女は振り返った先に立っていた。

 

「……お前、ブラドのときの……」

 

 無表情に俺を見つめ、小鳥のように首を傾げる女に神経が過剰なまでに張り詰める。忘れるわけがない、ブラドと交戦する前夜に出会った素性の分からない正体不明の女だ。肌を隠しているロングコートにブーツの組み合わせは前に会ったときと何も変わってない。鈍色の指輪も健在だ。

 

 ──ふいうちにもほどがあるッ……!

 

 すかさず、問答無用でトーラスを発砲。先に抜いた抜かれたも関係なしに引き金を引き絞ったが弾はその場で宙返りした女のロングコートを掠めただけだった。あのロングコートも編み上げのコンバットブーツも実践に秀でた防弾使用。肌を見せない徹底した姿は、9mmのトーラス一本でどうこうできる物じゃない。

 

 まして、この女の化物めいた力を一度目にした後では自動小銃ですら非力に見えてくる。女は俺からベンツに視線を変えると、また俺にゆっくり視線を戻す。その目からはほんの微かだが殺気が薄れていた。例えるなら1ランク殺意が穏やかになり、人間味が増している。分からないが何かやったのか……?

 

「私の車に、なにか用?」

 

 さっきよりもやや落ち着いた声色、先制で撃たれたことを何とも思ってもいない様子で首が傾げられた。私の車って……

 

「……このベンツ、あんたの車かよ」

 

 またとんでもないオーナーの車だったな……おとなしくスルーすりゃ良かった。

 

「珍しい車だからつい足を止めちまった。でも駄目だな。確かに良い車だが67年のインパラには負ける。ハワイを爆走するカマロにも」

 

「……私の車を、バカにしているの?」

 

 依然としてトーラスの用心金に指をかけたままの俺に向けて、眼前の彼女は……ぷく、とほっぺたを膨らませた。

 

「……は?」

 

 流石に銃口は向けたままだが、思わぬ反応に喉から間抜けな声が出る。待ってくれ、なんだよその反応は。もしかして車をバカにされて拗ねた……?

 

「もしかして怒ったか?」

 

 口にしてから激しい後悔に襲われる。相手は俺の腹に風穴を開けた女、アマランスの石がなかったらとっくに死神の世話になってたところだ。クールな女がたまに見せるそういう仕草には危ない魅力はあるが、眼前でスティンガーを向けられてるときにそんなこと満喫してる奴がどこにいる。

 

「メジャー級の殺気がなけりゃ休日どこでもナンパされ放題だろうに」

 

 本当に血迷った。この女に流されて、一瞬でも敵意を逸らすなんてのはジャングルで野生のゾウの頭を自分から撫でに行くようなもんだ。一時の愛嬌に釣られて自分から死地に足を踏み入れる、命知らずという他ない。限界まで警戒心のメーターを振って、持ってるものを全部ばら蒔いても眼前の女との力量の差はおそらく──

 

「死の前に来た、敵対した人間と──二度会うことは珍しい。少し、驚いています。死んだ人間には、会えないから」

 

 ゆらり、と女の腕が静かに上がる。刹那、脳裏に頭から血の華を咲かせる自分の姿を幻視する──

 

「くそ……ったれ!」

 

 背筋が凍てつき、その指先が狙いを定めるよりも早く、俺は全力で真横に向かって体を投げた。

 

「こっちは死んだ人間と会うのが仕事なんだよッ……!」

 

 背後からけたましい粉砕音が響く。振り向いている余裕はないが大体の予想はできた。女から飛ばされた見えない弾丸が背後にあった何かを抉ったのだろう。アスファルトでそのまま受け身を取り、そのまま彼女の射線から逃げることに全力を振る。細い腕が視界で揺れ動く度に脳が最大限の警笛を鳴らした。

 

 前回の襲撃から後になって気付いたが奴の指の力は異常だ。逃げ時間を稼ぐためにアマランスの石で見せた俺に瓜二つの幻覚、その変わり身が最後に見た景色は指先の力だけで防弾制服ごと腹を穿った異常な光景だった。幻影はナイフで刺せば煙となって消える程度の脆い物だが、たとえあれが防弾被服で人の皮膚だったとしても結果が変わるとは思えない。

 

 人には視認できない金一さんの不可視の銃弾ですら、銃本来の発火煙と銃声だけは誤魔化せなかった。銃声も発火煙も存在しないこの女の見えない弾丸……仮にそれが超能力でも武器でもなく、キンジと同様に人が本来持っている力の極限だとするなら、

 

「分かったところで、回避できるかは、別ですよ?」

 

 俺の心を読んだように、抑揚のない言葉が返ってくる。相変わらず、焦るわけでも感嘆してくれるわけでもない変化の乏しい表情。だが、逆にその言葉で自信が持てたよ。

 

 あんたは指先に込めた異常な力で空気を弾いてる。見えない弾丸の正体は異常な力で弾かれた空気から生み出された衝撃波──だが、それが分かったところで攻略に直結するかは別問題。憎らしいが彼女が正しい、仕掛けが分かったところで回避できるかどうかは別だ。

 

「知らないよりはマシ。いや、知らなきゃ良かった」

 

 返答と同時に、必死の形相で仕上げた天使避けの図形に右手を押し付ける。一転、アスファルトの地面から放たれた閃光が夜の暗闇を裂いた。血の図形を使った目眩まし、普通なら数秒なりとも視界を奪えるはずだが眼前の女にその理屈が通用しないことは経験済みだ。たとえこのタイミングで弓のような無音の飛び道具を使ったとしても、この女は苦もなくそれを避けるのだろう。

 

 ゆえに、後退することに戸惑いはなかった。完全に人気の失せた国道、人払いのまじないがかけられているんじゃないかと錯覚しそうな場所に舞台は移る。人気はなく、あるのは不気味で殺風景な夜の暗闇ーー背中の向こうからゾッとする気配を感じつつ、無我夢中に足を動かす。このまま振りきれるか……いや、あの女に戦う意志がある限りは、おそらく逃走は叶わない。

 

「……パトカーいねえのか。用があるときは近くにいた試しがねえな、信号無視でもすりゃすぐ現れんのによ」

 

 胸と頭を殴るような焦りが、口を休ませようとしない。周囲の人気が失せていることすら、この女の差し金に思えてくる。仮にそうだとしたら本当に底が知れない……なんなんだ、この女は……

 

「違いますね。前に会ったときは、もっと人の、匂いが薄かった」

 

 編み上げブーツを鳴らして追ってくる女。見れば見るほどに人形のような端正な顔立ちに、ほんの微かな疑念の色が浮かんだ。

 

「パニックルームでデドッグスやったんだ。余計なもんが全部抜けたいせいかな?」

 

 指摘されたとおり、俺は本土で超能力を行使するために使ってきた燃料をまるごとデドックスした。今の俺には指パッチンでPkを起こすことも他人の血を使って電話をかける力もない。神崎からⅡ種と勝手に組分けされた超能力を、完全に失った状態だ。

 

 ジャンキーになる危険は失せた反面、超能力を失ったことで以前よりも弱くなったと言われては首を横には触れない。律儀に答えてやった代わりとして、今度は俺から問いを投げてやる。

 

「あんたこそ、どうして俺を狙うんだ? 恨みを買った覚えもなければ、あんたみたいな女に興味を持たれる男とも思えないんだが?」

 

「あなたは私の障害にはなりえない。興味を惹かれるまでに、過ぎない。あのときは迷いました。興味のまま、貴方を殺すべきかを」

 

「よく言うぜ。人の腹を食い破りがって」

 

「ですが、貴方は生きている」

 

「九死に一生だよ、二度と体験したくない」

 

 代わりに一度しか使えないオカルトグッズを切らされる嵌めになったし、逃げてる間ははっきり言って生きてる心地がしなかった。人気のない暗闇の公道で静かに視線が重なる。

 

 前回、そしてこの場でも本気を出して俺を殺そうとすれば決着は既についていた。殺意は確かにある、だが全力を持って俺を殺そうとする気配は感じられない、それがせめての救いか。余力を残してなお、こうもワンサイドゲームだとな。

 

「で、引き分けってことにしてこのまま別れないか?」

 

 言葉とは裏腹に渾身の9mmパラベラムを女に向かってばら撒く。残弾をすべて吐いたことでトーラスのスライドに自動でロックがかかった。拳銃交戦距離からの発砲は防弾被服の抜け穴である右手を狙うが、それも前回と同じく見えない弾丸の銃弾撃ちによって女に届くことなく弾かれた。

 

 ……たかだが弾倉一本に満たない弾丸で傷つけられるとは思ってない。だが、銃弾を銃弾で弾くのも充分な魔技なのに、空気の弾で銃弾を弾くなんてのは表す言葉が見つからない。こんな漫画みたいな技を使える人間は他を探してもキンジくらいのものだ。

 

 俺にも同じ技が使えれば……いや、着々と人間から離れているルームメイトならまだしも、俺にはとても真似できない。ない物ねだりはそれこそ無駄だ。両手は下げたまま、彼女は動かない。トーラスにも呆気なく弾の装填が終わり、スライドを引く。

 

「あなたでは、一滴たりとも血を流すことはできませんよ。私には」

 

「やってみないと分からねえさ。イ・ウーが解散したってのに、お前は宣戦会議に名乗りすら挙げてない。あんたのいる場所はイ・ウーなんて歯牙にもかけない場所ってことなのか」

 

「それは、あの方がもっともお嫌いな人物が募った組織。口走るものでは、ありませんよ?」

 

 以前に聞いたのとまったく同じ言葉。やはり当然の事実を語るように、女は言い切る。

 

「あなたの眼では、とても底まで、覗くことは叶いません。あなたに覗かれることは、教授も望んではいませんから」

 

 彼女との会話に何度も出てくる教授と呼ばれる人物、それが彼女のいる場所の頂点。シャーロックではない教授、そしてシャーロックを憎んでいる教授──まさかな。

 

 シャーロックが「世界で唯一のコンサルタント探偵」なら、彼は「世界で唯一のコンサルタント犯罪者」と呼ぶべきだろう。無いな、いくらなんでもドラマの観すぎだ。

 

「覗くことのできない場所、あなたには、手の届かない場所。それでも、あなたは、私を撃つのですか?」

 

 抑揚のない声で女は語る。手の届かない場所、個人の力ではどうにもならない存在……いつも通りだ。自分より遥かにデカいスケールの存在に喧嘩を売る、そんなのいつも通りだ。ずっとやってきた、選ぶまでもない。だから俺は言ってやる、解答を。

 

「撃つよ、迷わずすぐに」

 

 銃口と同時に向けた解答に……女が、切れ長の眼を僅かに見開いた。とくん、と瞳に宿っていた殺意が一段階小さくなる。

 

「……その、言葉。同じような言葉で銃を向けた人が、過去にいました。あなたには、あの刑事の面影があります。守るべき国に、混乱を招いたあの刑事に、あなたは似ている。世の不条理を、何より憎んでいた彼女に」

 

 そう言うと、どこか懐かしむような瞳で俺を見た。勿論、それが誰のことか知るよしもない。

 

「どこの誰かは知らないが。俺、カルマってやつは信じないんだよ。だって、善人でも悪い目に会う。悪党がストリップクラブみたいに札束を平気でばら蒔いてる。世の中ってのは往々にして不条理だ」

 

 学んでる、世の不条理ってやつには身を持って痛感させられてる。良い人が死んで、俺みたいなのが渋とく生きてる、皮肉だよ。

 

「この世の中にフェアなんてものは何もない」

 

 開口と同時に、既に彼女を見据えていた銃口が火花を散らす。一発目の弾丸が、彼女に迫りーー当たり前のように見えない弾丸の銃弾撃ちが、弾道をねじ曲げる。それは予測の範囲内、部の悪い賭けに望むのは慣れてる。

 

 狙いは変えず、二発目の発砲。そして見えない弾丸が彼女からも放たれる、俺には見えないがな。

 

「──?」

 

 一瞬、彼女が眉を寄せたように見えて──直後、視界が紅蓮の海に包まれる。女の眼前、弾丸同士がぶつかった地点から目を灼かんばかりに激しい赤色が輝き渡った。

 

 紅蓮、まさしくその表現に尽きる光景。暗がりの公道を一瞬で眩く照らし出したのは、一発一発が必殺の武器と言われる武偵弾。希少かつ高価なことで知られているがそれも納得の性能だな。銃弾撃ちでの接触を引き金に巻き起こった爆風は、背後にいた女を確実に飲み込んだ。

 

 人気の失せた公道は、一転して地獄絵図のような黒煙が立ち昇っている。防弾被服を踏まえて、戦闘不能に追いやるには余りある一撃。くたばるとは思ってないが致命傷は免れないはず……

 

「──イメル・ノチゥ」

 

 故に、黒煙から飛び出てきた女を化物と断じるのに躊躇はなかった。RPGまがいの爆風にコートこそ傷ついているが、何をどうやったのか異常なまでの存在感と殺意は顕在。刃と何ら変わらない指先が異常な速度で迫る。

 

 指先が目指すのは十中八九で俺の心臓。咄嗟に平賀さん製のワンタッチで展開できるポリカーボネイトの防盾をかざすが指先の接触と同時に、呆気なく盾は半壊した。冗談のように盾は抉り飛ばされ、カウンターで至近距離から放った銃撃も嘘のような反応速度で弾道の外に逃げられる。

 

「言ったはずです。一滴たりとも、血を流すことはできない。あなたでは」

 

 俺は半壊した盾を蹴り飛ばし、開いた視界になけなしの残弾をばら蒔いてやる。当たり前のように弾丸を生身で避ける曲芸を見せつけられるが、ここまで来たら自動式拳銃の一挺でどうにかなる相手だと思える方がどうかしてる。弾切れの銃を投げ捨て、ルビーのナイフを抜こうとして──右腕の手首が捕まれた。やられた、この女がその気になれば腕ごと千切れ飛ぶ。

 

「……」

 

 が、予想とは違って、いつまで経っても女は動こうとしない。水晶の瞳は俺の腕に固定され、冷ややかな彼女の眉が持ち上がる。

 

「前とは、匂いが違いました。あなたは……」

 

「……おい、ッ!」

 

 捻り上げられた腕から袖が下がり落ちる。納得が言った顔で、しかし、ありえない物を見た顔で彼女は首を揺らしてくる。

 

「……本気ですか?」

 

 それを凝視しながら、女は再度問いを投げてくる。

 

「誰だって火傷することはあるだろ」

 

「バカなことをしましたね。匂いが変わった、本当の理由が分かりました」

 

 左手で振り払った天使の剣は空を切り、コートの女は背後に下がる。なんとか右腕は離れずに済んだ。だが、もう一方については知らぬ存ぜぬは無理だ。最後の、本当に最後のカードをピーピングされちまった。

 

「あんたが思ってるよりもリスク管理は上手でね」

 

「教授が私を向けた意味が分かったわ。あなた、壊れてる」

 

 瞳から完全に殺意の消えた女がかぶりを振る。言葉にも人間らしさが戻ってるな。以前油断ならないが、とりあえず戦闘姿勢は解いたらしい。キンジほどの変化じゃないがさっきまでの彼女とは危険度合は随分と変わった。

 

「マトモじゃないあんたに言われてもな。説得力には欠ける」

 

「あなたよりは生きてる。でも自分で自分を呪った人間を見たのは初めて」

 

 一転、親しみやすい口調で女は半眼を作る。あっちは戦闘モード、こっちが本来の姿みたいだな。

 

「自慢じゃないが息をしてる時間だけで言えば、俺はあんたの倍は生きてるよ。まあ、高校生なんだけどさ」

 

「よく回る口。私は敵対した人間と三度も会ったことはない。だから、三度も会いたいと思った人間はあなたが初めてよ」

 

 ……なに?

 

「鍵と門は惹かれ合う。最初に殺した者、今度は本当のあなたを殺すことにするわ。人を裁くものとして、私はあなたを殺す。殺人者となったあなたを」

 

「この場は見逃してくれるってか?」

 

「私いま少しは機嫌がいいの。今度は証を見せてちょうだい、最初の殺人者としての証。今のあなたを討つのは、簡単よ。でも折角巡り会えた縁を無下にするには、あなたに流れる血は少し勿体ない」

 

 夜風が肌を撫で、女の髪を揺らす。怪しげに唇を歪め、女は笑った。人間味のある、悪魔より悪魔らしい微笑みで。

 

「今度は剣を持ちなさい。少しは楽しめるかもしれないわよ?」

 

「おい、待てよ。水やりに異論はねえが二回も奇襲を許してやったんだぞ。名前ぐらい置いてけよ」

 

 いつか魔宮の蠍に向けて放った言葉を、背中を向けている女に送る。女は反転することなく肩越しに。

 

「次に会ったとき、あなたが生きていれば名乗りましょう。お休みなさい、雪平切」

 

 俺の名を呼び、女はそのまま暗闇のなかを歩いていく。それを俺は追えない、追ったところで振り切られるのは目に見えてる。悔しいが彼女のきまぐれで命を拾った。

 

「ああ、そうだった。私に二度も会えたギフトをあげるわ。私、あなたたちの小競り合いに興味はないから」

 

 忘れていたと、女は突然とこちらに振り返る。そして無造作に投げられた何かが、俺の足元に投げられた。見覚えのある拳銃だった。9mm口径、黒いハンマーレスの同じ拳銃が二挺、俺の足元に転がっている。俺は、恐る恐る手を伸ばす。

 

 違う、と願望に近い心の中の声が警鐘を鳴らす。生暖かい夜気が肌を撫で、警告を退けて銃を手に取る。ワルサー社のポリマーフレーム、全体的に小振りなストライカー方式。見覚えのありすぎる銃だった。理子の愛用しているワルサーと全く同じモデル。仔細に眺めてみると、使い込みを経たフレームやスライドの細かな傷は、紛れもなく理子が無茶をやったときにできた傷。

 

 ……理子の銃が出てきた。俺の首を刈ろうとした女の懐から?

 

「男に転んだ女は、破滅するものよ。他が見えなくなるから。見限るつもりがないなら急ぐことね。あなたの友達、全滅するわよ?」

 

 脳裏に戦慄が走ったとき、女の姿は今度こそ視界から失せていた。とても信頼できる相手じゃない、だが尋問科としての経験と二挺のワルサーが言葉の信憑性を裏付ける。結果、気付いたときには携帯を手に取っていた。

 

『はい、もしも──』

 

「蓮見! 理子の居場所を携帯から割り出してくれ! バスカビールが狙われた! もしかすると、神崎も星枷も襲撃を受けた可能性がある!」

 

『ちょっと待て。お前、いきなり──』

 

「いいから! GPSが駄目なら、発信記録から基地局を絞るだけでもいい! やり方は任せる! とにかく急いでくれ、大至急だ!」

 

『無茶苦茶言いうなよ……ああ、分かったさ! やるよやってやる! ちょっと待ってろ!』

 

 情報科の知り合いに携帯を繋いだまま、俺は四方を見渡し、タクシーの行方を探す。最悪だ、ロキシーで奇襲の危険性は上がったばかりだ。こんなことなら、おとなしくインパラを使えば良かった。

 

『ああ、くそ……やり方は任せるって簡単に言うんだよ、現場の人間は……マルチパスで言い訳できるならしてやりたいね。ああちくしょう……マジかよ』

 

「大丈夫だ、非常事態には非常手段って昔から相場が決まってる」

 

『よく言うよ。これで俺たち一緒に刑務所行きかもな。もしバレたら、いいやバレるね。あーあー、市民の敵を補助しちまったよ、最高』

 

 ああ、何をやったのかは知らんが仲良く共犯だ。

 

『出た。雪平、ついさっき神崎さんが電話を使ってる。峰さんと星枷さんの場所は割れそうだ、待てよ──おい、二人とも同じ場所にいるぞ』

 

「どこだ?」

 

『品川のジオフロント。神崎さんの携帯もこの近くの基地局を経由してる』

 

 品川のジオフロント……『ジオ品川』か。あそこは土地柄の都合、見つかりにくく逃げやすいことで知られる無法者のテーマパークだ。アジアのあちこちから無法者が引っ越してきてるって噂になってる。あのだだっ広い地下都市か、いよいよ嫌な予感がしてきたぞ。

 

『7区のビルだ。座標は携帯に送った』

 

「蓮見──寿司1ヶ月俺の奢りだ」

 

 携帯を切り、公道を道なりに走っていると、都合よく近くにいたタクシーを捕まえられた。一旦、さっきの女のことを思考から削除。タクシーに飛び乗ると、ジオフロントまで運転手に場所を伝える。

 

 運転手は制服から俺の素性を知ると、少し嫌な表情を浮かべたがすぐにメーターを起動させる。面倒な客を乗せちまったことには同情するよ、運がお悪い。気持ちを落ち着かせるように軽口を頭のなかで繰り返す。

 

 民間のタクシーで第7区まで直接行くわけにも行かず、ジオ品川をある程度深部まで行ったところからは徒歩で向かう。さっき、なけなしの9mmを吐いちまったからな。飛び道具と言えそうな武器は、タクティカルナイフとルビーのナイフが一本ずつ……それも投擲して扱うことが前提だが。

 

 電光掲示板や明るいネオン、廃ビルや工事が途中で投げ出された地下道など、通り過ぎる景色はお世辞にも綺麗とは言えない。これを果たして夢の跡地と言っていいものか、走り抜けた先で目的のビルには辿り着いたが……玄関のドアが閉まってやがる、こんなときに閉館日か。が、頭上を見上げると二回にはテラス、考えは決まった。ハンター御用達のいつもの手だ、閉まってるなら忍び込む。

 

 

 

 

 体当たりするような勢いでフロアに駆け込み、内部を改めては階段を駆け上がる。そびえ立つ摩天楼を探ること階層は7階、非常口の誘導灯が重たい扉を照らしている。階段にかけられていた建物内の図を見ると、扉の奥は屋外劇場になっている。

 

 息を殺し、左手に天使の剣を携えつつ重たい扉を開くと……屋外劇場の客席は露天だった。唯一、舞台だけが屋根に覆われており、照明は消えているが代わりに周囲のネオン灯とビルの明かりが暗闇を心もとない程度に灯している。

 

 無防備にも俺は一度瞼を閉じた、ありえない。まだ暗闇に目が慣れていないだけだ、そうに決まってる。ありえない、信じてたまるか……

 

「あれ、お前はお呼びじゃないんだけどぉ」

 

 激情を飲み下す前にその声は聞こえてきた。初めて聞いた声じゃない。ロカと出会った時計の展示会で、奴等との別れ際に聞いたのと同じ声だ。

 

 激情に駆られる頭を最後の理性でおもいきり殴り付け、俺は声を辿るようにして首を振り向ける。さっきまでは無人だったはずの観客席に、今は確かに二人の人影があった。

 

「よし、いいか。一度しか言わないぞ」

 

「殺しちゃいねえよ」

 

「黙れ。おい、黙れ。いいか、こっちを見ろ。俺はまだ話してる。いいな、5秒以内にこの状況について答えてもらう、理由もだ。戦役絡みならそれでいい、お喋りしたいなら言ってみろ──あァ? 先に言っとくが、俺はいま相当穏やかに言ってる」

 

 眼下にいるマットブラックのプロテクターで装甲した男女と思わしき二人。考えるまでもない、一人はGⅢ、もう一人のプロテクターに刀らしき得物を納めている女も必然的に配下以外にありえない。ロカ、ツクモって獣人と同様に。

 

 睨む先にある女の、背や腰に備えている刀の類いからは、かつてUKの連中が使っていた過剰な科学で生み出された武器と同じ匂いがする。考えられるのはーー本土の先端科学兵装。ガブリエルの角笛やモーゼの杖とは対局に位置する、一線を飛び越えた異常な科学の産物。

 

「お前のはスルーしてやったのに、恩を仇で返すなんて非合理的だよ?」

 

 冒頭のただ単に不機嫌な声より、一段階低い声で女は背中から刀を抜いた。傍らの席に座っているジーサードは足を前の座席の背に乗せ、依然として何かの本を読みながら、

 

「フォース、本来の目的を忘れるな」

 

「だから、だよ。ウィンチェスターは危険因子、何を運んでくるか分からない。お兄ちゃんとの折角の時間を台無しにされるのは困るんだよ。だからさぁ──」

 

 半透明の赤いヴァイザーから殺意が放たれると同時に、蛍光ブルーの発光する刃がゆらりと持ち上がる。

 

「──お前はさっさと沈みなよ?」

 

 小首を傾げ、フォースと呼ばれた女が座席から跳躍。異常な速度で床を蹴り、迫り来る。が、そんなものは関係ない。振り払われる異常な速さの剣を、左手の天使の剣で流し、幾度の切り結びの終わりに再度距離を取る。

 

「へぇ、先端科学兵装と切り結んで無事なんだ。いい武器使ってるねぇ」

 

 一度の交差で、彼女の実力は分かった。異論はない、文句なしに凄腕だ。剣の扱いにかけては星枷やジャンヌと同格、もしくはそれ以上のレベルだろう。だから、なんだ。退く理由にはならない、壇上の上、血まみれで重ねられているバスカビールの四人をーー俺は見たんだ。見てしまった。

 

 これで怒りを噛み殺せるほど、俺は器用じゃない。あいつらと重ねた時間は、そんなに薄くない。不意に、未だ席から立つことのないジーサードが首を持ち上げる。

 

「喜べ。俺たちも、極東戦役──てめえらの遊びに付き合ってやる。今夜はその挨拶だ」

 

「遊びにもならなかったけどね。自分より強い者に逆らうのは非合理的。これはお兄ちゃんに会う前の露払い、下準備なんだよ」

 

「黙れ。もう一度しか言わない、黙れ」

 

 反射的に持ち上がった指が、うっすらと笑っている女を一直線に射る。

 

「俺はお前たちが何者だろうと、この世界の覇権がどうなろうと知ったことじゃない!」

 

 だが、だが──

 

「だが、認めない……俺は決して認めないぞ! 遊びと称して人の命を弄ぶ輩を、強者に抗うことが無意味と言ったその言葉も!」

 

「だったら、あたしを下して証明してみなよ。語るだけじゃ意味なんてない。人と人の間には支配と被支配の関係しか成り立たない、あんなザコの集まりとの関係を重んじてそれであたしに挑むっていうなら……やっぱり、お前は非合理的だよ」

 

 半透明のヴァイザーからでも分かる濁った瞳。まるで底のない暗い海のような瞳で彼女は吐いて捨てる。知ってる、それは吐き気を催すような現実を見てきた人間がする瞳だ。この女も理子と同じ、訳アリだ。だから、これ以上は言わない。ああ、語るだけじゃ意味はないからな。

 

「どっちがザコか思い知るがいい」

 

 言葉が契機となり、俺と女は同時に得物を振りかざす。科学と超常現象、人が作った剣と人以外に作られた剣を、眼前の相手に向ける。

 

「お前、白兵戦がホームグラウンドじゃないでしょ」

 

「だとしたら?」

 

「勝てないよ、お前じゃ」

 

「……戯れ言だ」

 

「じゃあ、試してあげるよ。お兄ちゃんが来るまで」

 

 

 

 

 

 

 これが、のちに東京武偵高で『遠山かなめ』と名乗る非合理的が口癖の後輩との──正真正銘のファースト・コンタクト。

 

 

 

 そしてこれが、後に幾度となく繰り広げられることになる栄光も矜持もない戦いの──記念すべき一回戦である。

 

 

 

 

 


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