哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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人工天才編
同族嫌悪


「──腕、邪魔だね?」

 

 反射的に後ろに跳躍すると、風切り音と共に俺がいた箇所に凄まじい速度の斬撃が走る。いつのまにか開いていた距離を0にして、プロクテクターを纏った少女がいた。ジーフォースは不機嫌にも思える困り顔をした。

 

「動かないでよ。首、先に落とされたい?」

 

 背筋に寒いものが走り、冷や汗がしたたる。とても冗談と思える声色ではなかった。首を見逃してくれるから、と代わりに腕を落とされては苦笑いもできない。

 

 刀と呼ぶにはあまりに機械的なデザイン、改めて切り結んだことで疑う余地がなくなった。奴が振るっている刀は本土の先端科学兵装──異常な科学によって生み出された超能力と対極に位置する新兵器。おそらく、体を保護しているプロテクターや赤いヴァイザーも同種。

 

「そう、あたしはお前たちハンターの専門外。相性最悪の天敵なんだよ」

 

 人間相手は専門外、こちらを見透かしたような言葉が敢えなく飛んでくる。眼前の連中は、異様な身体能力はあれ根本的には普通の人間、あくまで超常的な力は武装によって付随された副産物に過ぎない。パトラやヒルダのような存在自体がグレーゾーンの連中とは違う。

 

 弱点となる文献も有効なまじないも何もない。相手は人間、俺たちと同じ人間だ。虚勢でもいいから首を振りたくなる。正解だ、一番の難敵は人間。狩るのは怪物であって、俺たちは人間相手の殺人者じゃない。

 

 躊躇いなく脇を抉るような振り払いを剣で流すと、皮肉にも同じタイミングで足が動く。互いに脇腹を蹴りが抉り、そのままノックバック……にも見えたが結果は一方的に俺が下がったのみ。臓器を揺らすつもりで放った蹴りは、マッドブラックのプロテクターから内側になんらダメージが通っていない。

 

 ……当たり前か、先端科学兵装なら防弾制服と同じとはいかない。優れた科学は魔法と見分けがつかないと言うが、今日その意味を身を持って味わうことになりそうだ。

 

「天敵だって何人も相手にしてきた。どれも望んだ戦いじゃなかったが」

 

「知ってる。お前のことは聞いてるよ。間違ったときに間違った場所にいる間違った男」

 

「逆張りが好きでね。家庭の事情が色々あったせいで歪んで育ちまったのさ」

 

「子供の頃に見た映画のヒーローに憧れて、今でも自分をランボーだと勘違いしてるおめでたい男ってことだろ。それともバットマンか何かのつもり?」

 

「悪いがアメコミには興味ない。それにバットマンならもっと別に適任がいるよ。本当のところはイーサン・ハントとデッカード・ショウに憧れてた。どっちにも共通点があるしな」

 

「どっちも手段は選ばないところ?」

 

「最後はいつも生身と銃で戦うところだよッ!」

 

 観客席の床を蹴りつけて疾駆、速度を乗せた互いの剣が接触し、派手に音を鳴らす。日本刀と遜色ない刃渡りの先端科学兵装の刀に比べ、天使の剣は名前とは裏腹の短刀だ。リーチの差を読み違えれば、本当に腕が飛ぶ。

 

 ジーサードが極東戦役の正式な参加を決めた段階でこの小競り合いは戦争と化した。これが戦争なら、俺の首や腕が飛ぼうが是非もなしか。首より先に腕を狙ってくれるだけ、優しいものだ。

 

 再度、打ち合わされる剣戟音。鍔迫り合いと同時にヴァイザーに隠れている冷たい瞳と視線が重なる。それも一瞬、示し合わせたようなタイミングでお互い背後へ跳躍。間合いの外に出る。

 

 月下の下、ジーフォースは刀を地面と水平に構え、静かに顔の高さまで持ち上げる。ジャンヌ、星枷のどちらとも違った奇妙且つ独特な構えで、

 

「サード、やっぱりコイツをほっとくのは危険だよ。腐った海の匂いがする。何もかも台無しにして、誰の得にもならない凄惨な結果だけを残していく人間の匂い」

 

 没我の声とは、とても呼べない感情剥き出しの声色で席のジーサードを見やる。が、依然としてサードは手元の本から視線を離さず、何も口にしない。

 

「言い得て妙だ、誉めてやる。確かに望んだ結末を迎えられたことは稀だ。大体が凄惨なクランクアップで幕を引いてる。だが、泥を撒き散らしてるのはお互い様じゃないか?」

 

「どういう意味だ」

 

 鋭利な刃のように歪められた瞳に、かまわず俺は続けて言ってやる。

 

「お前からは俺と同じ匂いがする。俺が腐った海の匂いを撒いてるなら、お前も同類だ。望まない結末を運んで何もかも台無しにするのはお前も一緒だろ?」

 

 同類──この状況下ではこれ以上ない中傷としてその言葉は受け取られたはず。刹那、無言のジーフォースから明確な殺意が飛ばされた。これで多少は溜飲が下がるってものだ。

 

「自分が嫌悪する相手と同類に扱われる気分はどうだ?」

 

「サード、あいつ斬る。絶対斬るから」

 

 鎌首をもたげるように蛍光ブルーの刃がこちらに向く。柄を握る両手は後ろに大きく引き、右脇を大きく開いた独特の構えは先端科学兵装の防御を無視する刃ありきの物だろう。教科書や訓練で学ぶような白兵戦の定石は、彼女の武装の前では意味がない。

 

 重苦しい殺気が重なり、一瞬鎌を掲げた死神の姿を眼前の女に幻視する。息をすることにも躊躇を感じる重苦しさがあたりに満ち、感情を抜いた彼女の冷たい瞳と視線が交差する。引き金に指がかかったまま静止しているような圧迫感、それも長くは続かない。

 

Viva Neue Enge(先端科学兵装万歳)

 

By the power vested in me,I now pronounce you(与えられた権限により宣言する)

 

 どちらが切り出したわけでもなく、皮肉にも同類という言葉を裏付けるように、俺たちは同じ国の言語を綴る。

 

sword beats guns(剣は銃より強し……!)

 

knife and wife(ナイフと結ばれろ)

 

 それが開戦の契機となった。体を低くした猛烈な速度で疾駆してくるジーフォースの速度の凄まじさは、比較対象として脳裏に神崎の姿が浮かんだ時点で明らかだった。鏡合わせのように、同じく地を蹴っていた俺とジーフォースとの距離が異常な速さで縮む。

 

 彼女の刀が異常な科学によって生み出された近未来の刃であるなら、こちらは人間が生まれる以前から存在している原初の刃。過去と未来、科学と超能力、人が生み出した刀と人でない者が生み出した刀ーー対極に位置する刃が再度の接触、普通ではない材質同士がぶつかったことで奇妙な異音がシアターに響いた。

 

 お互いがお互いに嫌悪と怒りを乗せた刃が耳障りな唾競り合いの音を立てる。俺の眼前で蛍光ブルーの刃が躍り、ジーフォースの嫌悪に歪んだ顔も、息が触れるほどの距離にあった。ウィンチェスターに剣術の教えはない、大手を振って堂々と白兵戦を挑める相手はむしろ限られてる。

 

 だが、望まない近接戦闘になっているのはジーフォースもおそらく同じ。彼女の構えは先端科学兵装の相手の防御を無視できる切れ味があって成立する特殊な構えだ。先端科学兵装と秀でた身体能力を駆使し、相手を攻勢に出さないまま防御を無視した攻撃で押し切る──それが彼女の本来の立ち回り。

 

「──面倒だね、それ」

 

 本来、一撃で武器を両断するはずの刃を何度も受け止められ、切り結ばれているのは彼女の望む展開ではないだろう。端的に呟かれた言葉がそれを裏付ける。逆を返せばこれが人外御用達の武器ではなく、普通のナイフや日本刀なら既に俺は沈んでいた。特異な武器の恩恵をフルに使って立ち回る、皮肉なことにその点も『同類』だ。

 

 奇襲と呼ぶに相応しいタイミングで裏拳が飛び、触れる寸前に首だけの動きでなんとかそれを回避する。カウンターで刺突を放つも剣の刃はマッドブラックの鎧に阻まれ、またしてもダメージは通らない。憎らしいが武器はまだしも、防具の差は明白だな。半眼で振るわれた刃をいなした俺に対し、奴の口元はうっすらと笑みを描いていく。

 

「でもあたしとお前じゃ乗せてるエンジンが違う。お前の武器であたしの首は刈れないよ、コンスタンティン?」

 

「面白いこと言う女だな、その言い回しのセンスは誉めてやる。ウケたよ」

 

 壁を蹴るようにプロテクターを蹴りつけ、そのまま振り下ろされる刃を後退して回避。凶刃が眼前を通りすぎる。

 

「だが、良いことを教えといてやる。どんなエンジンかは関係ない、誰がハンドルを握るかで勝負は決まる。せいぜいそのご自慢の刀を大事に抱えるんだな、明日の夕焼けを拝む頃には俺が原宿で質屋に入れてやる」

 

「あっはは、おもしろいっ。ここまで来ると嫌いになれないねぇ」

 

「それともう一つ。俺をコンスタンティンと呼んだがそれは半分間違いだ。ジョン・コンスタンティンみたいに悪魔や天使と戦う仕事はしてきたが今の俺は──愛犬と車を奪われたジョン・ウィックと思え」

 

「なら、ここでエンドロールにしてあげるよ。ミスター・ウィック──!」

 

 刹那、言葉の終わりを合図にして弾丸のような速度で女は切り込んでくる。来いよ、遠慮はいらない。ルールは無用、ここはコンチネンタル・ホテルじゃないからな。俺も遠慮はしない。

 

 交戦したことでハッキリしたが、今の俺の手持ちの武器で彼女の防具を無力化するのは難しい。なんでも殺せるコルトが相手に被弾しなければ只の弾であるように、天使の剣も相手の体に触れなければ金物屋のナイフと何も変わらない。優れた教育を受けた者が優れた装備で身を固める、奴等は謂わばその頂点。

 

 大方、そのイカしてる真っ赤なヴァイザーも刀やプロテクターと同じで色んな機能を詰め込んだ科学の結晶ってところだろう。そう、色んな機能を詰め込んだ──

 

「──?」

 

 凶刃との距離が縮む最中、俺は左手に持っていた天使の剣を眼下に投げ捨てる。両手を自ら素手にしたことに多少の違和感は感じたようだが、ジーフォースは疾駆する速度を変えない。

 

 道を阻む障害はなく、ただ空いていた距離だけが詰められる。殺傷圏内の瀬戸際──ここだ。キャス、お前の手をまた借りるぞ。

 

「──フォーースッッッ! 暗視を切れえェェッ!」

 

「……ッ……!」

 

 今まで沈黙を決めていたジーサードが叫び、ジーフォースの足が止まる。反射的に歪んだ口元のまま、俺は自由になった両手で制服のシャツを力業で開いた。そこにあるのはルビーのナイフであらかじめ自分の肌に直接刻み込んだ天使避けのまじない、血をトリガーにする自前の閃光弾。

 

「斬り合うつもりだったのか?」

 

 そして左手を──ルビーのナイフで自分の肌に直接刻み込んだ天使避けの印に押し当てる。夜の闇を払うように、天使を払いのける青白い閃光が劇場内に四散した。

 

「……うあッ!」

 

 物理的にダメージを与えるわけじゃないが視界を焼くような閃光を間近で浴びたことでジーフォースには充分すぎるスタン効果。ヴァイザーの暗視機能がアダになったな、なんでも詰め込めばいいってもんじゃない。雑魚とハサミは使いようだ。自傷行為を持って生み出した微かな隙、一撃お見舞いするには十分すぎる。

 

「お前はガースされた」

 

 重い音を立てて掌底が彼女の顎を一撃する。プロテクターに覆われた体で唯一肌を見せている首から上への一撃。よろめいた体に躊躇いなく、俺は掌底で狙った場所へと追撃をかける。狙い過たず俺の放った蹴りが、今度こそジーフォースを背後にふっ飛ばした。

 

 ──どうだ。最初で最後、意識を飛ばすつもりで仕掛けた攻撃だ。急所へ二撃、それなりの手応えはあった。普通ならこれで決まったはず、普通なら……

 

「ちッ」

 

 素直な感嘆と苛立ちを込めて俺は舌を鳴らす。倒れていた体が動いたと思ったら、ジーフォースは何事もなかったかのように立ち上がる。驚くことに彼女は刀すら手放してはいなかった。

 

「ひゅうーー流石に保険は仕込んでたかあ。自分の体を使って魔術を仕込むなんて、無茶苦茶するねえ?」

 

 ヴァイザーを外し、キロリと冷ややかに瞳がこちらを見る。少し青みがかった深海色の瞳、綺麗に整った鼻筋と艶やかな唇。露になった彼女の素顔は、苛立つほどに綺麗と言わざる得ない。

 

 ジャンヌ然り、夾竹桃然り、相対する相手に限って美女が回ってくるのは呪いだろうか。そしてそういう女に限って手に余る強敵だ。今回も例外じゃない、さっきのは冗談抜きで手加減なしだった。流石に笑えないな。

 

「でもミスったね。今のが最初で最後だったのに。今のであたしの首を刈るべきだった」

 

「人を殺人鬼(マーダー)みたいに呼ぶんじゃねえ。一応これでも俺は武偵なんでな。9条破って師の顔を足で踏みつけるのは避けたいんだよ。お前とお前のボスも命までは手を出してないみたいだからな」

 

 壇上の凄惨な光景、そして未だに座ったまま動かないジーサードを横目で見る。

 

「モンスター専門のピーキーなヤツって聞いてたが人間相手にも最低限のもんは持ち合わせてるみてえだな。フォース、時間切れだ」

 

「えっ、もうおしまい?」

 

 停戦を促す言葉で、俺はジーフォースと同じタイミングで眉をひそめる。油断なく、床に捨てた天使の剣を蹴りあげて左手に納めるが攻撃の気配はない。ジーフォースはこちらを一瞥し、不満げに口元を歪めるも渋々と蛍光ブルーの刃を背に納める。

 

「磁気推進繊盾なしでいけると思ったんだけどなあ。流石はウィンチェスターってところ?」

 

「生憎、エゴサは封印してるんだ。そのなんとかを使う使わないは勝手だが、ただ手札の中で切札を従えたところで何の役にも立ちはしない」

 

「評判どおりだよ。しぶとさはメジャー級、おまけに減らず口はこの上なし。全部当たってるね」

 

「ネットは素晴らしい、誰だって悪党になる」

 

 遠慮なしの白兵戦から一転、お互いにその場から動かずに敵意の視線だけを交差させている緊迫状態。ジーサードの停戦の命令がなければ、今すぐにでも二回戦が開幕しそうだ。眼前で振るわれていた凶刃が納められたとはいえ、まだ一息つける状況じゃない。

 

 未だに警戒心を募らせていると、不意に背後で何かが動く気配がした。ほぼ同時に「……ぁ……」と、ジーフォースが恍惚な笑みで小声を漏らす。まるでさっきとは別人、迸る殺気がそのまま狂喜に変わり、蕩けた笑みで俺の背後を見ている。

 

「ユキヒラ……?」

 

 聞き覚えがある。この声はワトソンか?

 

「おい! 無事か……!」

 

「よぉ、キンジ。まあ、息はしてるよ。どうしてここが?」

 

「ユキヒラ、そういう話はあとだ。トオヤマ、アリアたちはボクが診る。キミは彼と」

 

「分かった、みんなを頼む」

 

「キンジ、あそこと観客席だ。相手は二人、女のほうはジャンヌレベルで刀の扱いに長けてる。そっちのロックスターみたいなのは不明だがその女より格上だ」

 

「アリアたちは?」

 

「奴の言葉を信じるなら無事だ。激情を飲み下す理由にはならねえが」

 

 既にベレッタはコッキング済みのキンジが隣に並ぶ。その目は闇夜で二人の敵を見つけると、早々に敵意を向ける。銃口まで向けてないところを見ると、一応話し合うつもりらしい。横目で見たジーサードは、未だにブーツの足を前の座席に乗せたままだ。目もくれずにいる。

 

「ようやくか。待ちくたびれたぜ、遠山キンジ」

 

「へえ、驚きだ。お高く止まってるから下界には降りてこないと思ってたぜ」

 

 まだ例の戦闘状態になっていないキンジに変わって、俺が言葉を返してやる。

 

「当初の計画じゃ、相手を刺激するのはご法度だったんだけどな。お前のせいで台無しだ」

 

「当ててやろうか。大方、ジャンヌか玉藻に交渉に持ち込むように言われたんだろ?」

 

「ああ、でも思ってたより難航しそうだ。また派手にやったな」

 

「仕方ないだろ、あの女が先に斬りかかってきたんだよ。俺は投げられてきた石を投げ返しただけだ。ったく、こっちは自分の腹に悪趣味なアートを刻んだってのに」

 

「じゃあ、掠り傷か?」

 

「悪かったな、次は派手に斬られるよ」

 

 一度、自分の肌にナイフで落書きしてみろ。控えめに言ってかなり痛い。だが、減らず口を叩けるくらいに落ち着いてるなら朗報だ。俺が言えた立場じゃないが怒りに任せてどうにかなる連中じゃないのはよく分かった。

 

 連中はあくまで極東戦役では無所属を決め込んでいる。敵でもなければ味方でもない。下手に刺激せず、血を流さずに味方に抱え込めるなら、それが一番かもしれない。連中は片手間に相手にできるレベルを余裕で超えてる。

 

「──ワシントン・コロンビア特別区法五五〇九D、上院法八八〇七ーーワシントンDCよりライセンスを受得した武偵は、如何なる状況に於いても人間を殺害してはならないーーまァ、俺たちゃ附則で認めらてれるからいいっちゃいいんだけどな。フォースには手を抜かせた、殺しちゃいねえよ」

 

「トオヤマ、大丈夫だ。見た目ほど重症じゃない。四人ともね」

 

 先んじて、壇上に登っていたワトソンが答えてくる。どうやらキンジが連れてきたのは衛生武偵兼戦闘もこなせるワトソン一人だけ。大人数で乗り込こんで、相手を刺激するのは避けたな。俺は売り言葉に買い言葉で石を投げちまったが。

 

「ユキヒラ、彼等は──」

 

「ああ、本土の連中だ。嬉しくもないが同郷だよ」

 

「今の発言、やはりアメリカの武偵か」

 

 まあ、武偵は武偵でも訳ありだろう。本土の武偵事情なんざ管轄外もいいところだがな。

 

「ベルセまで到達してりゃ、なれるかもと思ったんだがな。レガルメンテの気配には遠い」

 

 キンジを見ながら、ジーサードがそんな訳の分からない単語を口にする。いや、俺には意味が分からないだけでキンジには通じる言葉なのかもしれない。現に横目で見たキンジの顔つきが一段階険しくなった。

 

「えっ、サード。それならお兄ちゃんとは──」

 

「今のソイツとは戦う価値がねェ。レガルメンテに覚醒してねェなら、HSSに慣れさせる必要がある。お前は落ちこぼれ同士、そいつとHSSを使いこなせるようにしてこい。今から、作戦をプロセスγに移す」

 

 意味の分からない言葉を次から次へと……なんでもかんでも横文字か、それ言えばかっこいいと思ってんだろ。それにさっきからお兄ちゃんお兄ちゃんって誰のこと言ってんだよ。内心で毒を吐いていたとき、

 

「仕方ないかあ。次には合流するのは『双極兄妹』になったときだね。お兄ちゃん、やっと会えたね?」

 

 信じられないことに、彼女はキンジに向けてウィンクした。

 

「なにお前妹もいたの?」

 

「俺には兄さんしかいない! 俺はお前なんて知らん!」

 

 ちくしょうめ、そうなるとこの流れはお約束の家庭の事情が舞い込む流れだぞ。

 

「トオヤマ、本当に彼女は……」

 

「だから知らん! 断じて、俺には妹なんていないッ!」

 

 かぶりまで振ってキンジは否定する。

 

「他にもハッキリさせておくことがある。ジーサード、俺にはさっきのお前の言葉が自分の部下に再合流するまでキンジと仲良くやれって聞こえたぜ。まさかこの通り魔女を和平の使者として扱えって言うんじゃないだろうな?」

 

「それはてめえら次第だ。ここで遊びたいなら──俺は止めねえ」

 

「お、抑えろユキヒラっ、これはキミだけの問題じゃない! 師団全体に関わる問題なんだぞ! キミは自分が言った言葉も忘れたのか! その男はアリアたちを一人で全滅させた彼女よりも──さらに格上なんだぞ!」

 

 ワトソンの言葉で俺は口を紡ぐ。確かに、これは個人の問題ではなく戦争だ。俺だけでなく、師団に募った全員がジーサードの陣営と敵対することになる。ワトソンの言うとおりだ、落ち着いて定めれば分かる。ジーフォースも冗談抜きの手練れだったが、この男の纏っている気配はそれ以上に得体が知れない。

 

 もしかすると、俺はもう少しでキルボックスの蓋を開けようとしていたのかもしれない。これでも冷静でいたつもりだったがワトソンを見習うべきか。俺が矛先を引いたときにはジーサードの姿も闇夜に紛れるように、跡形もなく座っていた観客席から消えていた。

 

 ……噂の光学迷彩ってやつか。その場から一瞬でいなくなるのは天使や悪魔の十八番だが、人間相手に見せられることになるなんてな。不思議な気分だよ。

 

 いや、それ以上にキルボックスを開かなかったことに安堵すべきか。無惨に蹴り破られた劇場の重いドアを見ながら、俺は構えていた天使の剣を袖に納める。

 

「ふーん、退くときはあっさり退くんだねえ」

 

 ボスが消え、この場に一人で取り残されたジーフォースは場違いにもどこからか取り出していたキャラメルを口に運んでいた。そして殺伐とした空間には似合わない無邪気な笑みでキンジ目掛けて駆け寄ってくる。

 

「おっ、と。んーと、お兄ちゃんが信用してくれないなら」

 

 依然としてベレッタの用心金に指をかけていたキンジにジーフォースは駆け寄った途中で立ち止まる。

 

「じゃあ、はい」

 

 そう言うと、マッドブラックのプロテクターから水蒸気のような何かが鋭く吹き出した。突然の異変に俺たちは揃って目を丸めるが、次の瞬間にはあれだけ強固だったプロテクターが嘘のように彼女の体から崩れていく。この女……自分から武装解除しやがった。

 

「……あッ、み、見るなトオヤマ! ユキヒラ、キミも目を塞げ!」

 

「数分前まで殺意を飛ばされてた相手に邪な気持ちを持つと思うか?」

 

 キンジの両目を必死で塞いでいるワトソンに至極当たり前に俺は答える。全身に張り付く、黒いアンダーウェアだけになったジーフォースは蠱惑的だが腕を斬り落とされそうになった相手に魅了も何もない。

 

 キンジはワトソンの手から下に抜けると、器用にもジーフォースを見ないようにしつつ、倒れた神崎たちの傍へと駆け寄る。

 

「じゃあ、こいつら運ぼ。武偵病院ってとこでいいよね?」

 

 同じく、壇上に登っていたジーフォースが理子と神崎の頭を掴もうとしたところで、

 

「なんの真似?」

 

 その手を俺が掴み、静止させる。

 

「その二人は俺の同僚だ。俺が運ぶ。文句ないだろ」

 

「勝手にすれば?」

 

 既に星枷を背負っていたキンジと目を合わせ、俺は神崎と理子を両肩に担ぐ。ワトソンもレキを背負い、同じく俺に視線をくれた。悪いな二人とも、キンジじゃなくて。今は俺で我慢してくれ。

 

「ワトソン、本当にアリアたちは大丈夫なのか?」

 

「大丈夫だよ、トオヤマ。彼女たちはタフだ。それに映像では派手に見えても実際には見た目ほど重症じゃない」

 

 キンジの心配を再度払拭するようにワトソンが落ち着いた声で答える。

 

「──今夜は手加減したから。そうしろってサードに命令されたからね。そっちのは腕の一本くらい落とすつもりだったけど」

 

 そう言うと、ジーフォースはキンジには小悪魔的なウィンクを、そして俺には冷えた視線を交互に返してくる。

 

「お前カウンセリング行け、俺が払うから」

 

 冷えた視線には、冷えた視線と言葉を返してやる。

 

「キミはジーサードの命令には忠実みたいだな。それは彼がキミより強いからかい」

 

「そうだよ。ずっと強い。そしてあたしはーー自分より強い者には、絶対逆らわない」

 

 投げられた石を投げ返した俺とは違い、うまく探りを入れたワトソンのお陰で予想は確信に変わった。嬉しくもなんともないニュースだが、ジーサードは彼女よりも格上。この反応を見ると、それも実力にはかなり開きがあると見える。

 

 聞くだに背中が寒くなる内容だった。一人でバスカビールを半壊させた女よりもさらに数ランク上の存在。仮にそんな男が眷属と徒党を組んでやってくるような事態になれば、バスカビールの半壊で済むかどうかも怪しいところだ。現状の俺が正攻法で戦っても、まず太刀打ちできる相手じゃない。正攻法で戦ったことのほうが少ないが。

 

 ビルの車寄せには大きな黒塗りのハマーが駐車しており、ジーフォースからはアンガスと呼ばれたスーツを着た白髪の男が深いお辞儀の姿勢で俺たちを待っていた。

 

「アンガス。サードは?」

 

「ロカの御するグンペルト・アポロにて、ガリオンへ向かわれておりますよ」

 

 ……ロカめ、何が資金が「心もとない」だ。数千万は下らない高級外車だぞ。

 

「キミの話に出てきた超能力者かい?」

 

「ああ。他に何人部下がいるかまでは知らないが金は有り余ってるらしいな。ハワイだとバターフィッシュの味噌焼き大量に売らないと豪邸には住めないのに」

 

「ここではその理屈は通用しないよ。キミにバターフィッシュは合わないけど」

 

「ああ、合わないよ。あんな高いの俺の財布も嫌だって、でも魚を毛嫌いするのは体に良くないだろ?」

 

 ……ダメだ。軽口叩いとかないと頭がどうにかなりそうだ。

 

「お兄ちゃんはこっちこっち!その車で全員は乗れないよー?」

 

 手を抜いてる先兵一人──今の俺は倒せなかったんだからな。

 

 

 

 

 

 

 

 




『ネットは素晴らしい、誰だって悪党になる』S14、4、ディーン・ウィンチェスターーー

ワトソンのランクってAはありそうですが……そろそろ本当のところを知りたいですね。

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